カテゴリー「ドキュメンタリー映画」の11件の記事

2019年11月23日 (土)

これまでに観た映画より(142) ポーランド映画祭2019 in 京都 「ワイダ映画学校短編集」

2019年11月18日 出町枡形商店街の出町座にて

午後6時35分から、出町枡形商店街にある出町座で、ポーランド映画祭2019 in 京都 「ワイダ映画学校短編集」を観る。全てジャパンプレミアである。
立誠シネマの後継映画館として2017年に出町に誕生した出町座。訪れるのは初めてである。2階と地下1階に1つずつミニシアターがあり、「ワイダ映画学校短編集」は2階で上映される。

ポーランド映画界を代表する存在だったアンジェイ・ワイダ(1926-2016)が、2002年に創設したアンジェイ・ワイダ映画マイスター学校の生徒が作成した短編映画の上映である。キャストも撮影技術も予想以上にしっかりしている。

上映時間30分の課題作として制作されたうちの3本が上映される。まずは「彼女の事情」。バルテク・コノプカ監督作品。2006年制作。母親が癌で余命幾ばくもないということで、里子に出されそうになったり、社会福祉課に保護されそうになったりする姉弟の話である。長女でサッカーに夢中のインガは、社会福祉課の世話になることを拒み、まずは弟二人(そのうち一人はまだ赤ん坊である)を連れて男友達の部屋に移り、そこから写真でしか見たことのない伯母(母親の姉)を訪ねて、田舎へと向かう。そこから先が見たくなるのだが、30分という制限があるためか(実際の上映時間は39分である)田舎の家の場面で終わってしまう。クローズアップの手法が多用されているのが演出上の特徴である。

2本目は、「ゲーム」という上映時間27分の作品。監督はマチェイ・マルチェノフスキ。2013年の作品である。エレベーターに閉じ込められた男女の心理ゲーム、と見せかけて、実はエレベーターは行き詰まりを迎えた夫婦のメタファーであるらしいことが徐々にわかってくる。ラストには男女を乗せたエレベーターがSF的にいくつも登場し、世界は行き場のない夫婦で溢れていることが示唆される(日本でも夫婦の三組に一組は離婚する時代である)。

3本目はドキュメンタリー映画「ワイダの目、ワイダの言葉」。ワイダと共に仕事をしてきた映画仲間に取材したドキュメンタリー映像にワイダがコメントを加えていくという形で進んでいく。エリザ・クバルスカ他による監督。2014年制作。上映時間25分。
カメラマンがフィルム撮影用カメラを紹介するときに「(クシシュトフ)キェシロフスキが使っていたカメラ」と話しているのは興味深い。カメラマンは、デジタルカメラよりもフィルム撮影用カメラの方を今でも信用しているようだ。
フィルム現像係は、1974年からずっとこの仕事を続けているが、「面白いと思ったことは一度もない」「義務としてやっている」と語ってワイダを失望させている。ワイダはエンドクレジットに全員の名前が載るのは、映画というものは皆で作るものだということの象徴であると考えており、「その中に嫌いで仕事をやっている人間がいるとは」嘆く。「仕事を変えたらどうだい。稼げる仕事なら他にある」という趣旨の発言もしてる。
一方、フィルム編集者の女性は自らの仕事に誇りを持っており、ワイダも嬉しそうである。フィルム編集は今ではフィルム編集者しか行えないが、以前は政治家が口出ししてきて、勝手にフィルムを刻むようなこともあったようだ。
ワイダが「仲間だ」と感じている人は全員、撮影スタッフだそうである。彼らはいつも現場にいて作業をしているため、自然にそうした連帯感が生まれるようである。俳優は作品によって出たり入ったりするため、「仲間」という意識にはなりにくいようだ。
ワイダは撮影所が存在することの重要性を何度も語り、最近は撮影所に活気がなくなってきていることを気に掛けているようだった。

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2019年11月19日 (火)

これまでに観た映画より(141) 「天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント」

2019年11月13日 京都シネマにて

京都シネマで、ドイツのドキュメンタリー映画「天才たちの頭の中」を観る。

邦題は「天才たちの頭の中」であるが、原題は「Why are you creative?」であり、大分ニュアンスは異なる。ドイツ人の映画監督であるハーマン・ヴァルケが、世界各国の有名人に「Why are you creative?(なぜあなたは創造的なのですか?)」と聞いて回った結果得られた証言によって構成された作品である。まず冒頭は、デヴィッド・ボウイ(2016年没)へのインタビュー映像が流れる。ボウイのミュージックビデオがなぜ独創的なのか? 歌詞からの発想なのか映像からの発想なのか?
証言者は計107名に及ぶ。日本からは、山本耀司(ヨウジヤマモト)、荒木経惟、北野武、またオノ・ヨーコも証言を行っている。
生まれつきクリエイティブだったと語る人もいれば、一昼夜で出来上がったものではなくずって練ってきたものと答える人もいる。「アンビルドの女王」といわれたザハ・ハディッド(新国立競技場の設計で物議を醸す。2016年没)などは後者である。ビョークのように「そうするしかなかった」と語る人も多い。映画監督のイザベル・コイシェのように創造的であることは不幸だと断言する人もいる。2度登場するマリーナ・アブラモヴィッチは母親のしつけの厳しさへの反発が創造性として発揮されるようになったと考えているようである。

荒木経惟の証言から、「性欲」と創造力の関連について語られる場面が続くが、北野武は明確にこれを否定、むしろ欲を抑えたところから創造力が生まれるとしている。

創造力と政治性についての話もある。政治家も数人登場する。ジョージ・H・W・ブッシュ(パパの方。2018年没)は余り質問の意図がよくわかっていないようだが(息子もそうだが父親のブッシュも歴代大統領の中でIQは最下位レベルとされる)、ネルソン・マンデラ(2013年没)のように新しい世界を築く上で創造力は不可欠とする人物もいる。

同じ答えをする人もいれば、相反する回答を行う人達もいて、答えはそう簡単に出そうにはない。クエンティン・タランティーノは、「Why are you creative?」と聞かれて、「いきなりハードな質問だね」と第一声を発し(再度のインタビューでは、「生まれつき備わっている資質、才能」「才能に見合う努力をしなきゃならない」と答えている)、作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズ(2016年没)は「答えは出ないね」と断言している。

ダライ・ラマは、「生きているから」と生きていること自体が創造的という、らしい回答を行っている。
また、スティーヴン・ホーキング(2018年没)は、「創造的であるかないかは他者が決めることであって自身が決めることではない」と答えている。
ちなみに、ビル・ゲイツは質問に答えることなく通り過ぎた。

答えは人それぞれというありきたりな結果にもなっているのだが、それもまた当然である。答えが一つであったら、それこそ創造的では全くないからだ。

私自身が考えを述べると、創造性とは創造することではなく認識することだと捉えている。認識のない創造が本当の創造と呼べるかというと多分違うだろう。認識が優先される。読み取るものなのだ。

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2019年11月18日 (月)

これまでに観た映画より(139) 「ドリーミング村上春樹」

2019年11月11日 京都シネマにて

京都シネマで、デンマーク映画「ドリーミング村上春樹」を観る。村上春樹作品をデンマーク語に翻訳しているメッテ・ホルムを追ったドキュメンタリー映画である。脚本・監督:ニテーシュ・アンジャーン。

メッテ・ホルムは、村上春樹作品のデンマーク語翻訳を一人で手掛けており、彼女の翻訳がきっかけとなって、村上春樹は2016年にデンマーク最高の文学賞であるハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞している。

メッテが村上春樹作品に始めて触れたのは1995年の夏のこと。来日した際に『ノルウェイの森』を読み、自分で訳すことを決意した。15歳の時にフランスにゴブラン織りを習うためにホームステイした時、ホームステイ先の奥さんから川端康成の『眠れる美女』のフランス語訳版を薦められ、日本に興味を持った彼女は、1983年に初来日し、京都で1年に2度、計6ヶ月に渡るホームステイを行い、茶道と日本語を学んでいる。この時に撮られた写真が映画の中で紹介されていたが、一乗寺の八大神社が写っていることがわかった。その2年後には東京で4か月のホームステイを行っているが、八大神社の写真の横に並んでいた高幡不動の写真はこの時に撮られたものだろう。

メッテ・ホルムは孤独の影を抱えた女性である。人はみな集団生活を行い、馴染んでいくものだが、彼女はどうしてもそれが出来ない。勿論、友人も仕事仲間もいるが、一人になれる「秘密の居場所」が必要なようだった。彼女が自覚しているかどうかはわからないが、孤独な者同士がイメージを通して通じ合う村上春樹作品に彼女が親しみを覚えるのはある意味、当然なのかも知れない。

メッテは、『風の歌を聴け』の一節、「完璧な文章などというものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」をどう翻訳するかで悩む。勿論、直訳するのはわけがない。ただそれでは村上春樹の言葉を伝えたことにはならない。メッテは村上春樹が見た風景を確認するために日本に旅に出る。東京メトロ神宮外苑駅、JR上野駅、そしてJR京都駅でコペンハーゲン大学時代の友人であるクリスチャン・モリモト・ハーマンセンと再会し、「完璧な文章などと……」の一文についてディスカッションを行う。
また、村上春樹が育った芦屋の街ではタクシーに乗り、タクシー運転手に阪神・淡路大震災の時はどうしていたのかを聞いたりもしている。
飲み屋では、「日本が閉塞的になっている」という話をされ、「デンマークもそうだ」と語るが、日本の現状はずっと酷いということを聞かされる。日本人のおじさんは、「もっと多様性があるということを知らせないと。それをするのがアーティスト」とメッテにそう告げる。
ただ、これは、完全なドキュメンタリー映画というわけでもなく、中空に『1Q84』に登場した二つの月が浮かぶなど、翻訳されたというのが行き過ぎなら解釈されたメッテ・ホルムの話でもある。村上春樹の大ファンだという監督のニテーシュ・アンジャーンによって解釈された彼女と村上春樹の映画なのだ。この映画には、村上春樹の短編小説「かえるくん、東京を救う」のかえるくんがCGで登場する。日本映画のCGだとかえるくんも可愛らしく描かれるのかも知れないが、デンマーク映画のCGはハリウッド版ゴジラのように少しグロテスクである。この映画に登場するかえるくんは、東京を救う相棒としてメッテを選んでいるようでもある(これもアンジャーンの解釈である)。

翻訳は創作とはまた違うが、イメージと言葉の選択肢の中で繰り広げられる孤独な戦いという共通点がある。そこで戦うには孤独に強くなければいけないし、容易に心を乱されるタイプであってもならないし、無意識の領域で戦えるだけの人生の蓄積がなくてはならない。小説が人一人の人生を変えるだけの力を持っているように(少なくとも私は村上春樹の小説に出会ったことで人生は変わっている)、それを伝達する翻訳家も人を動かすだけの力を持つ、伝達の神・マーキュリーに祝福された存在である。人の心が変われば世界も変わる。誰も気づかぬほどひっそりとではあるが、聖戦は遂行されていく。

「完璧な文章などというものは存在しない」という言葉は、「完璧な翻訳などというものは存在しない」にスライドする。だが翻訳家である以上は、原作者を尊重した上で、言葉の海を上手く泳ぎ切らなくてはならない。メッテは本の表紙を決める際も「ムラカミならどう思うか」という配慮を怠らない。エゴは禁忌である。ある意味、翻訳家は再生芸術家である演奏家に近いものがある。世界史上、完璧な演奏などというものは一度もなかったと思われるが、完璧な翻訳というものは果たしてあるのか? ラストは映画自体もまた完璧でないことを告げている。
完璧を夢見ながら、メッテの聖戦は続いていくのである。

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2019年11月15日 (金)

これまでに観た映画より(138) ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」@同志社大学 「コメダ・コメダ」&「バリエラ」

2019年11月12日 同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールにて

同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールで、ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」と題された映画2本を観る。2012年製作の「コメダ・コメダ」と、1966年のイエジー・スコリモフスキ監督作品「バリエラ」。「バリエラ」の音楽は、クシシュトフ・コメダが手掛けている。なお、「バリエラ」の上映前にはイエジー・スコリモフスキ監督の舞台挨拶がある。

ポーランドのモダン・ジャズの先駆けでありながら、37歳の若さで事故死したクシシュトフ・コメダ。ロマン・ポランスキーとのコラボレーションを経て、ハリウッド映画の作曲家として活躍し始めたばかりの死であった。

「コメダ・コメダ」(ジャパンプレミア上映)は、クシシュトフ・コメダの生涯を辿るドキュメンタリー映画。ナタシャ・ジュウコフスカ=クルチュク監督作品。監督について詳しいことはよくわからないが、名前は明らかに女性名である。
ロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダといったポーランド映画界の巨頭を始め、コメダと共演経験のあるポーランドのミュージシャン、コメダの医大時代の同級生などが証言を行っている。

共産党一党独裁時代のポーランドにあっては、ジャズは敵国であるアメリカの敵性音楽であり、コメダも医大時代にジャズの演奏や作曲を行っていることがばれ、医大生達に囲まれてつるし上げに遭いそうになったことがあるそうだ。

コメダが生まれたのは1931年。ナチスドイツがポーランドに侵攻する8年前である。
コメダは幼い頃、ポリオに罹り、後遺症で片足が少し不自由になっている。ピアノの才能は幼時より発揮されていたそうで、7歳で出身地にあるポズナン高等音楽学校に入学。戦時下であっても母親はコメダの才能が途切れてしまわないよう、ピアノを弾ける環境を作ることに腐心したそうである。ただ、コメダの母親は、コメダがプロのミュージシャンなることには反対であり、医師になることを望んでいた。コメダは母親の望み通り医科大学を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となるが、結局、ジャズミュージシャンになることを選んだ。コメダの友人の一人は、「運命には抗えない」と語っている。
ポズナンには音楽の仕事がなかったため、コメダは、クラクフへ、更にワルシャワへと移動する。
ちなみにコメダというのは芸名で、本名はトルチンスキという。子どもの頃に、「command」(司令官)と書くべきところを「comada」とスペルミスしたことに由来するそうである。
アンジェイ・ワイダは、コメダの第一印象を、「パデレフスキ(ポーランドを代表するピアニストで、後には首相にもなっている)みたいな長髪の奴が来るのかと思ったら、見るからにオタクといった感じの奴が来て」と語っている。線が細く、いかにも繊細そうで影のあるコメダは、真逆の性格であるロマン・ポランスキーとは馬が合ったそうで、「水の中のナイフ」などの音楽を手掛け、ポランスキーに招かれる形でハリウッドへと渡っている。コメダは、自らのことを「映画の作曲家」と名乗っていたそうで、映画音楽を手掛けることに誇りを持っていたことが窺える。

ジャズ以外にもポーランドの生んだ音楽の先進性が語られる場面がある。ポーランド人は独自性を追求する傾向があるそうで、それがペンデレツキやルトスワフスキといった現代音楽の大家を生み出した下地になっているのかも知れない。

コメダの最期は転落事故である。交通事故となっている資料もあるが、関係者の証言によるとどうもそうではないようだ。事件性がありそうなことも語られてはいるのだが、詳しいことはわからないようである。

 

イエジー・スコリモフスキ監督による「バリエラ」。「バリエラ」というのはポーランド語で「障壁」という意味のようである。

上映前に、イエジー・スコリモフスキ監督による15分ほどの舞台挨拶がある。「バリエラ」はかなり特異な経緯で生まれた作品だそうで、元々は「空っぽの領域」というタイトルで、それまでドキュメンタリー映画を作り続けて来た映画監督の初劇映画作品として製作される予定であった。イエジー・スコリモフスキは依頼を受けて脚本を執筆。その監督のそれまでの作品も全て観て、「これはドキュメンタリータッチの脚本にした方がいいだろう」と判断。脚本を提出したのだが、その監督は脚本を読んで青ざめたようになってしまったという。ドキュメンタリー映画の監督で、劇映画は不得手であり、撮影には入ったのだが、制作費の4分の3を使ったところで、その監督は降板。続きをスコリモフスキの監督で撮るよう指示があったのだが、スコリモフスキは、監督に合わせてドキュメンタリー映画調の脚本を書いたが、自分ではそうした映画を撮りたいという気持ちはまるでない。ということで、残りの4分の1の予算で、1から新しい映画を撮ることになった。とにかく時間もないので脚本なしの即興で撮ることにし、キャストも全て一新、撮影監督も新たに指名した。キャスティングの一新についてスコリモフスキは、「大成功だった。主演女優はその後、私の妻になるのだから」とジョークを言っていた。
スコリモフスキ監督によると「バリエラ」には3つの奇跡があるそうで、まず「即興による映画が完成したこと」、2つ目は「即興にしては出来が良かったこと」、3つ目は「この映画が高く評価され、映画賞を受賞し、60年以上経った今でも上映される機会があるということ」だそうである。

内容は、ヌーヴェルヴァーグの影響も感じられるもので、「フランス映画だ」と言われたらそのまま信じてしまいそうになる。ポーランド映画とフランス映画は相性が良いのか、共同製作が行われることも結構多い。

国の世話になることもアメリカ人のように生きることもよしとしない主人公の医大生が医大を去り、「明日、結婚することになった」と父親に告げるも、相手が不明。父親に託された手紙を届けた家の女主人からサーベルを渡されることになる、といった風に、あらすじだけ書くと何が何やらわからないことになる。ただメインとなるのは、冬の停電の日に出会った路面電車の女運転士とのロマンスである。そこだけ辿ると素敵な恋愛映画と観ることも出来る。
人海戦術も多用されているが(特に深く考えられて行われたわけでもないと思うが、人一人の人生の背後には数多くの人物が潜んでいると捉えることも出来る)低予算映画でなぜあれほど多くのキャストを使えるのかは謎である。共産圏なので「低予算」といっても西側とは意味が異なっていたのかも知れない。
ロールスロイスなどの西欧の高級車が登場するが、これは若者達に敵対するものとして描かれているようだ。

また、クシシュトフ・コメダの音楽が実にお洒落である。即興で作り上げた映画だけにどうしても細部は粗くなるのだが、そこをコメダの音楽がまろやかなものに変えていく。映画の出来の半分近くはコメダの功績である。

ラストは、やはり即興風に撮られた王家衛監督の「恋する惑星」に近いもの。「恋する惑星」のラストに近いものになって欲しいと個人的にも思っていたのだが、やはりなるべくして同じようなラストに着地。めでたしめでたしとなった。

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2019年10月12日 (土)

これまでに観た映画より(132) 「お百姓さんになりたい」

2019年10月4日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「お百姓さんになりたい」を観る。原村政樹監督作品。
語りは小林綾子が務めている。

埼玉県三芳町にある明石農園の1年間を追う。16年前、28歳の時に東京から埼玉県の南端にある三芳町に移り住んで新規就農をした明石誠一が始めた明石農園。明石は子どもの頃の夢の3位が農業をやることだったそうである。1位は宇宙飛行士だったが「虫歯があったりしたら駄目」というので早々に諦め、2位の「サッカー選手になる」を求めて体育大学に進学したが、「自分の実力ではプロにはなれない」と悟り、しばらく何もする気になれなかったが、子どもの頃の夢を思い出して農業を始めることにしたそうである。

明石農園は、肥料や農薬に頼らない自然栽培を行っている。肥料の代わりに他の野菜や雑草を自然発酵させたものを用い、秋には枯葉を集めて土の質を向上させるなど(落ち葉堆肥農法として江戸時代からこの地方に伝わっているそうだ)、自然を最大限に利用する。自然栽培で育てられた作物だけに人気があるようだが、自然を相手にしているため、思い通りにならないことも多い。
農業というと種を植えて面倒を見る過程が思い浮かぶが、自然栽培を行う明石農園では種が育つための土を作ることが何よりも重要なようである。

明石農園では農家志望の人達が研修生として働いている。研修生として学んだ人のうち、これまでに10人ほどが農家として独立しているそうである。
農業高校を卒業して研修生として働いている最初から農家志望の女性もいるが、障害者なども幅広く受け入れている。知的障害者などは対人関係などは不得手だが、自然は人間よりも広量である。
明石は、「効率の良いこと、お金になることが優先される世の中だが、資本主義や民主主義とは違う、新しい物差し作り」を目指してもいるようである。

江戸時代には人口の8割を農民が占めていたが、時代を経るに従って農業に従事する人は減っていき、皆都会に出て対人業務を行うことが多くなっている。ただそうした第三次産業に合わない人も出てくる中で、消費者の声が大きくなりすぎるなど行き詰まりの感もあり、新たな価値観を求めて農業に就くということはある意味先祖返り、原点回帰的なことであり、現代社会で希求されるものとはまた別の豊かさを持つ未来が想像されるようにも思われる。

明石農園の森では、音楽祭なども催され、障害があって普通の音楽会に行けない人達も音楽を楽しんでいる。東京のベッドタウンで、特になにもないような町だが、ちょっとしたハレの喜びがここにはあるようだ。

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2019年5月18日 (土)

これまでに観た映画より(126) 「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」

2019年5月13日 京都シネマにて

京都シネマで「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を観る。ブルース・スピーゲル監督作品。20世紀を代表するジャズピアニストの一人であったビル・エヴァンス(本名:ウィリアム・ジョン・エヴァンス)の生涯を、関係者と残されたビル・エバンス本人の証言で綴るドキュメンタリー映画である。

理知的な容姿と繊細にして美しいタッチ、抒情的かつ哲学的な作風が印象的なビル・エヴァンス。死から40年近くが経過した今でも最も人気のあるジャズピアニストの一人であり、ミニシアターとはいえ京都シネマのシアター2がほぼ満員となる。

初期は見るからにインテリ風の容貌であったビル・エヴァンスであるが、実際にサウスイーストルイジアナ大学でクラシック音楽を専攻しており、学歴のない黒人が多かった当時のジャズミュージシャンの中では異色であった。白人がジャズをやっているというだけで黒人からも白人からも白眼視されるという世代ではなかったが、それでもマイルス・デイヴィスのバンドに参加していた頃には、黒人用クラブで演奏を行うと、「白い野良猫が何の用だ?」などと暴言を浴びせられたそうである。

大学でクラシック音楽を学んだ白人ピアニストということで、「きちんとした」印象を抱かれがちなビル・エヴァンス。実際、マイルスのバンドに「エレガント」な要素を加えたのは彼なのであるが、その生涯は「史上最も緩慢な自殺」といわれており、麻薬に溺れ、音楽の中でしか生きられない人生であった。ヘロインを始めたのはマイルスのバンドに加わった1950年代半ばのこと。マイルスを始めとする一流のジャズミュージシャンに囲まれ、しかもエヴァンス以外は全員黒人というプレッシャーの中で、弾けない状態に陥った彼は、ストレスをやわらげるためにヘロイン注射を始め、最も酷いときには45分置きに注射をしないと気が済まないようになってしまう。あるいはもし音楽がなかったら、彼は20代で自殺していたかも知れない。

ビル・エヴァンスは、兄のハリーや内縁の妻であったエレインを自殺で喪っている。ビル・エヴァンス・トリオ最初のベーシストであったスコット・ラファロもトリオ結成直後に事故死するなど彼の周辺には常に悲劇がつきまとっている(もっともエレインの自殺の原因はビル・エヴァンスの浮気であり、エヴァンスはエレインに新しい相手のネネットを紹介し、エレノアはショックで地下鉄に飛び込んで自殺。その直後にエヴァンスはネネットと結婚しており、彼が見た目に反して「いかれたジャズメン」の一人であることがわかるのだが)。その陰は音楽にも表れており、後年の音楽の奥深さに影響しているのは間違いないと思われる。「自己との対話」など、若い頃から孤独と向き合ってきたビル・エヴァンスの音楽は、悲劇的な人生展開によってより内省的になっていく。それであるが故にビル・エヴァンスの音楽は孤独に優しい。

トニー・ベネットはビル・エヴァンスが電話で彼に語った言葉を人生訓としている。「美と真実だけを追究して他は忘れろ」。良い言葉だ。ただいかにも不器用だ。ビル・エヴァンスは人生を破綻させても全てを音楽に捧げた。ビル・エヴァンスの録音は今も聴くことが出来る。仮の肉体を纏ったものではない本当のビル・エヴァンスは今も生き続けていると言えるのだろう。

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2019年4月25日 (木)

これまでに観た映画より(125) 「がんになる前に知っておくこと」

2019年4月18日 京都シネマにて

午後5時55分から京都シネマで「がんになる前に知っておくこと」を観る。がんの医療関係者などに女優でピアノ講師などもしている鳴神綾香がインタビューするスタイルで撮られたドキュメンタリー映画。三宅流監督作品。プロデューサーの上原拓治が4年前に義妹をがんで亡くしたことから制作を決めた映画である。
オープニングとエンディング曲は、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。鳴神綾香が演奏しており、演奏風景を収めたシーンもある。

二人に一人がかかる癌。日本人の死亡率トップの病気である。でありながら癌に関する知識は十分という人を余り見かけないのが現状である。私自身も癌の家系ではなく癌で亡くなった親族が少ないということもあって、全くといっていいほど知識を持ち合わせていない。
数年前に胸にしこりを感じ、乳がんを疑った鳴神。幸い良性であったが、癌に対する恐怖を感じたということでナビゲーターに選ばれている。
癌の治療に携わる外科医、放射線腫瘍医、癌の専門医である腫瘍内科医、癌の研究医、癌治療の緩和ケアを行う緩和医療医、更にがん専門看護師、がん相談支援センター相談員、癌経験者によるピア・サポーター、癌経験者などに鳴神が話を聞いていく。癌をめぐる多くの人々の話を聞くことで複数の視座と立体感を得ることに成功しており、また順番も工夫されていて、例えば複数の人が口にする「緩和ケア」についての情報を観る者に十分に与えるため、まず緩和医療医の話を流すことで、他の人やほとんどの日本人が抱いている緩和ケアに対する誤解などがわかるようになっている。

正しい知識を伝えることの大切さも語っており、例えばインターネット上には様々な情報が乗っているが、国立がんセンターなど確かな情報を載せているサイトを閲覧することが重要で、そうでないと効果のない療法にはまってしまう危険性がある。また、がん相談支援センターというものが日本全国の病院に約400ほど設置されているそうで、その病院の患者でなくても相談出来るようになっている。

癌に携わる医師に共通することは、「治せばいい、生きられればいい」ではなく、「いかに癌と生きていくか」を考えているということである。癌になったら死ぬだけというのは30年前の考えだそうで、今は癌と共存する時代だそうである。癌の治療をしながら働いてい生きていけることが可能になっているそうで、今なお「癌になったら終わり」というイメージが流布してしまっているのはマスコミにも責任があるそうだ。
感じるのは、「癌と生きる哲学」。複数の治療法が提案可能な時代であり、敢えて治療をしないという選択肢もあるという。ただ、個人的に「もう年だから何もしなくていい」と考えても、家族と医師による話を聞くことで考えが変わったりもするようである。
治療しても他に影響が出てしまって、それがクオリティ・オブ・ライフ(QOL)が低下するようでは本末転倒でもあり、医師や医療従事者が「何を優先するか」を患者と話し合うことで決めるというスタイルが取られている。ちなみに「ライフ」は「生活」という意味でとらえられることが多いが、「人生」という意味もあり、「癌になってもいかなる人生を設計するか」がこれからの癌治療では重要になってくる。
癌を経験しても希望を捨てずに生きている人も何人も登場し、「癌=終焉」ではないことを教えられる。
どうも「癌患者は癌患者らしくしなければならない」という思い込みと押しつけがまかり通っているようで、本人が率先してそうした考えに囚われてしまうケースが大半のようなのだが(仏教でいうところの「無縄自縛」である)、「押し込められた人生観」から自由になることは癌に罹患していなくても重要であるように思われる、というよりそうした姿勢でいることが癌に対する心構えにも繋がっているようだ。


帰り道の四条通は華やいでおり、気候の良さも相まって夢の中を歩いているような気分になる。

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2017年2月 5日 (日)

楽興の時(13) ロームシアター京都オープン1周年記念イベント「Kyoto Gathering」

2017年1月31日 左京区岡崎の京都モダンテラスにて

午後6時から、ロームシアター京都パークパレス2階にある京都モダンテラスで、ロームシアター京都オープン1周年記念イベント「Kyoto Gathering」に参加する。写真、映画、音楽などの芸術を取り上げる催し。映画監督の林海象(京都造形芸術大学時代に見知った関係である)、女優の鶴田真由、DJ・作曲家&プロデューサーの沖野修也(おきの・しゅうや)らが参加する。バンド演奏は、Based on Kyoto.とNAOITO☆.Aの2組。


京都モダンテラスに入るのは初めてである。入ってすぐに林海象とバッタリ出会ったので挨拶。林さんは、「取材?」と聞く。取材ではないが、色々なものに接して取り入れようとしているのは事実である。林監督が「取材?」と聞いたのは、おそらく私が色々聞く性分だったからだと思われる。林監督にお目にかかるのは13年ぶりぐらいである。Facebookで繋がっているので、そう遠い感じはしなかったのだけれど。林監督は少し小さくなられたように見えた。林監督は元田中で「バー探偵」という店も経営されているのだが、私は酒が飲めないので行きようがない。

鶴田真由さんも普通にいる。舞台でお見かけした時には気がつかなかったのだが、小柄な方である。

芸術紹介のイベントなのだが、参加者は多くは賑やかに歓談しており、写真や映像をじっくり見ている人は余りいない。

沖野修也のDJタイムが1時間ほど続く。ジャズセッションの音楽が流れていたので、私もコードに合わせて口笛を吹いたりした。


午後7時過ぎから、まず、写真のイベントが行われる。スクリーンが降りており、そこに写真が投影される。
まずは、志津野雷(しづの・らい)による水の写真集『ON THE WATER』(青幻舎)からの映像。その他にバスク地方(フランスとスペインの境にある地域。著名な出身者にモーリス・ラヴェルなど)の男性などの写真もある。
 
鶴田真由は、「今日、新幹線で来たんですけど、富士山が見えたので、写真を撮ろうと思ったら(撮っている間に)すぐ終わってしまって」と言って、写真を撮る時も「撮るよりまず見る」ことが大切だというようなことを語っていた。
 
アラーキーこと荒木経惟の最新作も投影される。荒木経惟は近年は病気のため、自宅から出ることもままならないそうだが、自宅にオブジェを置いて、それを撮ることで活動を続けているという。


続いて映画のイベント。まず、鶴田真由が監督したドキュメンタリー映画の予告編3本が流される。それぞれ、日本の伝統工芸である染め物、石垣島の女性、アイヌの人々の姿を収めている。
鶴田真由は、「現代に生きることに慣れてしまって、他の部分が弱っているような気がする」と語る。ポール・ボウルズ原作、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「シェルタリング・スカイ」にも繋がる考え方である。

林海象監督は、日本映画は京都が発祥の地であることを述べ、牧野省三が日本各地を巡回上映していたと語る。更に京都モダンテラスのある左京区岡崎について、「夜に来るところじゃない」と語る。左京区岡崎は白河上皇の時代に、京・白河と並び称された白河の地である。六勝寺という、6つの「勝」の寺の入る寺院がかつては建ち並んでいた。今でも岡崎は平安神宮を始めとする神道、金戒光明寺や真宗大谷派岡崎別院などの寺院、更には新宗教の施設も多い宗教地域でもある。
林監督によると、「今でも祇園の石塀小路なんかに行くと、新選組の幽霊が出るといわれている」と語る。ただ、「一番会いたい人って、もういない人じゃない」とも言う。野田秀樹の「パンドラの鐘」にも、「(亡くなった知り合いに会ったら、退きながら嫌悪の)おお! ではなくて(手を取って喜びの)おお!」だろうというセリフを書いている。映画の宗教的側面である。村上春樹もエッセイでそうしたことを書いている。なんだか人の意見ばかり引用しているようだけれど。
林監督は、下鴨神社で映写会も行っているという。「神様は映画知らないから(映画が出来たのは100年ちょっと前に過ぎないという意味)」ということで、映画を神事として奉納したのだという。下鴨神社の関係者も喜んで協力してくれたそうだ。

林監督の映画「BOLT」の予告編が流れた後で、同じく林監督による短編映画「GOOD YEAR」が上映される。上映時間は23分である。出演は、永瀬正敏と月船さららの二人。子役二人も登場するが重要な役ではない。2014年12月24日の山形が舞台。永瀬正敏演じる男は零細工場を営んでる。その工場には「幽霊が出る」という噂や「水槽には人魚がいる」などという噂がある。
品川ナンバーの車に乗った女(月船さらら)が、雪道でハンドルを取られ、零細工場のそばに突っ込む。男は女を助け、工場内に運ぶ。シューベルトの「アヴェ・マリア」の音に気づいて女は目覚める。女は自分の名前を「あべ・まりあ」だと告げる……。

林監督が、山形にある東北芸術工科大学(京都造形芸術大学の姉妹校)の教授を務めているということもあって、雪の山形で撮られた映画である。東北ということで東日本大震災にも触れている。

私が、ちょうど今取り組んでいる戯曲に少し重なる部分もある。
ラストはバンドタイム。ノリノリである。Based on Kyoto.もNAOITO☆.Aも変拍子の多い曲を奏でる(4分の4拍子の曲もある)。空いたスペースでは人々が踊り、一昔前のディスコ(クラブよりもディスコだろうな)のようになっていて楽しい。私も拍を取りながら動いた。

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2008年11月28日 (金)

これまでに観た映画より(38) 「アマンドラ!希望の歌」

DVDでドキュメンタリー映画「アマンドラ!希望の歌」を観る。2002年の映画、南アフリカ・アメリカ合作。リー・ハーシュ監督作品。
南アフリカのアパルトヘイトを題材にした作品である。

主題になっているのは、「人種差別」そして「音楽」と「革命」。

アパルトヘイトにより隔離された黒人達は、陽気なメロディーを持つ過激な歌詞で白人への対抗心を高めていく。

そして、世界史上初の「音楽による革命」が起こるのである。

深刻なテーマであるが、陽気な旋律を持つ歌が次々に出てくるためか陰気な感じはない。かつての悲劇を乗り越えたパワーが感じられ、観ている方も勇気づけられる。

そしてここに描かれていることは、決して他人事ではないため、私の心に切実に訴えてくるものがある。現状を覆すには暴力や権力よりも効果的な方法があるのだ。

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2007年9月24日 (月)

これまでに観た映画より(10) 「スーパーサイズ・ミー」

DVDでアメリカのドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』を観る。国民の半数以上が肥満体というアメリカで、肥満に悩む少女2人が、「肥満になったのはマクドナルド社が肥満に直結すると知りながら高カロリーの商品を売り続けたせいだ」として訴訟を起こしたことに興味を覚えたモーガン・スパーロック監督が、自分の体を実験台に、「1ヶ月、毎食マクドナルド製品、それもスーパーサイズ(特大サイズ)のものを食べ続け、しかも運動をしないとどうなるか」試してみるというドキュメンタリー。
スパーロック監督は、酒は飲まず、煙草もやめ、ベジタリアンの彼女と暮らしている。体は健康そのもの。そんなスパーロック監督の体と心がマクドナルド製品しか食べないことにより蝕まれていく。

ファーストフードを1ヶ月食べ続けたら体に悪いのは当たり前、というよりファーストフードでなくても1ヶ月同じものばかり食べ続けたら体に悪いのは明白であるが(しかし実際には何年もビッグマックを食べ続けて何ら問題を抱えていないという人物も登場する)、スパーロック監督は、単にファーストフードと健康の問題ではなく、アメリカの食品メーカーと社会の関わりにまで視点を拡げている。
アメリカでは、ファーストフードメーカーが大量のテレビCMを流すことで、幼児に向かっても自社製品を売り込んでいる。また学校とも提携して、給食にファーストフードを提供しているメーカーもある。そうしたファーストフードメーカーに頼らずに、アメリカ農務省が提供するレトルト製品を仕入れている学校もあるが、実はアメリカ農務省が提供する食品は、ファーストフードメーカーのものより更に高カロリー、高脂肪であったりする。国よりはファーストフードメーカーの方が良心的だったりするわけだ。

また、アメリカの教育問題にも触れており、2001年に就任したブッシュ大統領が始めた落ちこぼれ校底上げ対策により、体育や栄養学の時間が削られ、肥満問題が更なる悪化の一途をたどっていることも知らせる。何しろ、体育の時間が週に1時間しかない小学校がざらにあるのだ。
マクドナルド商品の大型化についても触れており、かってのレギュラーサイズが今のスモールサイズであること(ちなみにフランスのマクドナルドのレギュラーサイズは、アメリカのSサイズよりも小さいとのことである)、スーパーサイズが半端でない量のコースであることも教えてくれる(スパーロック監督が一番最初に、スーパーサイズのメニュー購入したとき、全部食べ終えるまで30分以上を要した。更に、「ファースト=健康に悪い」という先入観もあってか、スパーロック監督は食べたばかりのマック製品を嘔吐してしまう)。
また、実はファーストフード以上にアルコールが体に危険を及ぼすことがさりげなく示されている。
肥満問題を考えるには、マクドナルドを始めとするファーストフードや食品メーカーだけでなく、その背後に立ちはだかっているものを念頭に置く必要があるということも教えてくれる。

*余談 映画の中でフランス人の女性がインタビューに答えている場面があるのですが、彼女はマクドナルドを「マクド」と略しています。フランスではマクドナルドのことを関西同様「マクド」と略すようです。

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