カテゴリー「ドキュメンタリー映画」の24件の記事

2020年8月24日 (月)

これまでに観た映画より(201) 太田隆文監督作品「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

2020年8月20日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」を観る。太田隆文監督作品。太平洋戦争において住民を巻き込んだ唯一の地上戦となった沖縄戦を、体験者12人・専門家8人へのインタビューとアメリカ軍が記録用に残した映像などを中心に描く。ナレーション:宝田明&斉藤とも子。この頃、なぜか斉藤とも子出演作を観ることが多い。企画・制作:浄土真宗本願寺派(西本願寺)。

大東亜共栄圏を掲げて、アメリカ、イギリス、中国、オーストラリアなどと戦った大日本帝国であるが、中国戦線やインドシナ戦線が泥沼状態となり、対米戦もミッドウェー海戦で敗れて以降は連戦連敗を重ね、本土決戦を決意する。その前哨戦の舞台となったのが沖縄である。ただ「沖縄は捨て石」という言葉がよく知られるように、日本軍にとって沖縄戦は本土決戦の準備のための時間稼ぎであり、少しでも多くアメリカ兵に血を流させて弱体化させるための手段でしかなかった。米兵が沖縄に上陸する前からすでに軍部から「沖縄は諦める」という話が出ていた程である。米軍も日本本土での戦いを視野に入れ、日本の文化や歴史などについて撤退した調査を行っていたが、「日本と沖縄は同一文化圏と見て良いが、日本人は沖縄人を差別している。沖縄人というのは少数派民族のようだ」という情報を得ており、「これは使える」と、分断作戦も念頭に置いての戦いだった。

アメリカは54万人を超える兵士を沖縄に上陸させたが、迎え撃つ日本軍の兵の数は11万人ほど、人数の時点で圧倒的に不利である。しかも参謀本部はあくまで日本本土での決戦の準備を優先させているため援軍も望めない。ということで民間人を戦場に駆り出すことになる。男子は14歳から70代までを兵士として、女子も若ければ女子挺身隊として救護活動に回される。結果、老人、母親、子どもが家を守ることになるのだが、これがまた悲劇を生む。

1944年8月22日、沖縄の子ども達を乗せた疎開船・対馬丸が米軍によって撃沈される。対馬丸に乗っていて助かった女性の証言もある。当時は状況が分かっておらず、「本土に行けば雪が見られる」などと行楽気分であったそうだが、対馬丸に乗っていた日本兵が乗員を甲板に集め、「今夜は危ない」と言ったところから不穏な空気が漂う。

沖縄の人々は日本軍を「友軍」と呼んでおり、親しみを持っていた。沖縄の子ども達の将来の夢は、「立派な兵隊さんになること」だった。だが、実際に戦が始めると、日本軍は沖縄の人々を助けるどころか、逆に死へと追い込むなど、「沖縄は敵」とまではいかないが味方とは思っておらず、当てにならないことがわかる。
沈みゆく対馬丸のマストに上って、「兵隊さん、助けて!」と叫んでいる母親がいたそうだが、日本兵は助けるどころか子ども達を海へと放り込んでいたそうで、「同じ日本人ではない」と思っていたことがわかる。
米軍は、対馬丸が疎開船であることは把握していた。その上で撃沈した。逃げ道を与えない作戦であったと思われる。

1945年3月28日、渡嘉敷島で集団自決が起こる。前日に米軍が渡嘉敷島に上陸したばかりであった。島民の男性には手榴弾が一人につき2つずつ渡されていた。軍部からは「アメリカ兵を見たら1つ投げつけろ、それでも駄目ならもう一つで自決しろ」と厳命されていた。
自決とはいえ、この自決は強制されたものであったことがわかっている。

琉球処分以降、沖縄では徹底した軍国主義教育、皇民化教育が行われており、ウチナーグチではなく日本の標準語で話すことが求められた。日本に取り込まれたわけであるが、これが沖縄人が自ら魂を蔑ろにし、「日本国のために死ぬ」という精神に染まっていくきっかけとなった。発想自体が大和民族そのものとなり、自分自身で考えないようになる。

「死して虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓(最終校閲を行ったのは島崎藤村である)を常日頃から頭に置き、「アメリカが来たら、男はみんな戦車に弾かれ、銃剣で刺されて死ぬ。女はみんな強姦される」という言葉を信じ、ガマ(洞穴)での集団自決が起こった。男はみな戦場に出ていたため、籠もっていたのは老人、母親、子どもだけだった。読谷村のチビチリガマで「娘を米兵に強姦されたくない」と思った母親は、娘を自らの手に掛ける。ただ、子ども達がみな苦しみ抜いて死ぬ様を見た母親達は自決するつもりが怯えてしまい、結局、生き残ることになった。生き残った母親達は証言者の役割を果たすことになる。現在では集団自決というのは適当でないとして、「強制集団死」と呼ばれるようになっているようだ。実際、集団自決とされてきたものは日本軍が駐留している場所でのみ起こっている。

実際の米軍はイメージ戦略を用いており、女性や子どもには優しく、食べ物やお菓子などを与えてくれたそうである。
チビチリガマのすぐそばにある読谷村のシムクガマでは、約千人が隠れていたそうだが、その中と付近にハワイで学んだ経験のある老人が二人いた。一人はハワイの学校の夜間部で本格的に英語やアメリカ文化などを学んだ経験があり、アメリカ人がやることを知悉していた。結果として投降が成功し、犠牲者は一人も出なかった。

ハワイで学んだ老人は、沖縄に帰ってからも家にエイブラハム・リンカーンの肖像を飾っていたそうだが、日本の軍国主義ではアメリカの民主主義に勝てないと見抜いていた。

エイブラハム・リンカーンは、南北戦争時の大統領であるが、この内戦で北軍司令官のウィリアム・シャーマンは南部に対して徹底した焦土化作戦と無差別殺戮を決行し、今に至るまで南部の人々から恨まれるという結果になった。第二次大戦でもウィリアム・シャーマンの名を記念した俗称「シャーマン戦車」への搭乗を拒否する南部出身者が続出している。同じ轍を踏むわけにはいかない。日本に対する戦後交渉を有利に運ぶ必要もあっただろうと思われる。日本軍とアメリカ軍の沖縄に対する態度の違いを見せつけ、沖縄人の戦意を喪失させる狙いもあったかも知れない。

米軍は沖縄本島に上陸したのは、1945年4月1日。読谷村(よみたんそん)の渡久地ビーチにおいてであった。日本軍は全く反撃しなかった。読谷村は、現在は嘉手納基地となっている中飛行場に近く、ここを抑え、空路を確保するのが目的であったが、反撃がなかったため楽々と制圧した。

米軍は、県都である那覇を目指す。首里城の地下に陸軍の司令部が置かれていたためだ。
日本軍が上陸後すぐに戦闘行為に出なかったのは、那覇へと向かう途中で待ち受け、米軍にダメージを与えるという目的があったはずである。日本軍は嘉数高地の要塞に陣取り、当初の米軍の進撃予定を40日以上も遅らせるという激戦を展開。首里城での攻防では敗れるが、今では那覇の都心となっている安里52高地(シュガーローフ)での激戦でも米軍に大打撃を与える。しかしこれらはあくまで、「本土決戦の準備を進めるための時間稼ぎ」であり、沖縄のための戦いではなかった。


私が沖縄に本格的に興味を持つきっかけを作ったのは坂本龍一である。矢野顕子と共に最初に沖縄に注目したアーティストである。中学生の頃に買った「BEAUTY」というアルバムでは沖縄の音楽をいくつもカバーしており、ネーネーズなど沖縄のミュージシャンとも共演している。坂本はインタビューで、「日本は単一民族だと思われているけれどそれは違う。最も身近にある異質なるものである沖縄を突きつける」というようなことを語っていたように記憶している。その後坂本は、山梨県出身ではあるが沖縄戦の悲劇を伝える「島唄」を作詞・作曲した宮沢和史とも一緒に仕事をしている。

というわけで、沖縄に対しては「リゾート」や「観光地」というイメージではなく、歴史から入っていたわけであるが、それでもこの映画で語られた多くのことを知らなかったわけで、「知ること」の難しさを覚える。沖縄戦を描いたドラマや映画、楽曲などは存在するが、どうしても情緒的側面が強くなるため、リアルに見つめる機会はなかなか得られない。受け身でなく取りに行く姿勢が必要であることを強く感じる。


若い頃から、教育に関して興味は持っていた。私が生まれ育った千葉県は「管理教育」の牙城であり、教師に良い印象を抱いていなかったということもあるが、「受験のためや役立てるためでない学問」を大学時代からずっとやってきたことも影響している。
「教育熱心」「教育を重要視」というといかにも良いことのように思われるが、教育というのは洗脳であり、自由な思考を奪うことにも繋がる。

渡嘉敷島で強制集団死があった時、その頃はまだ小学校1年生だった男性も手榴弾を使って自決しようとした。だが、手榴弾は不発。2発貰っていたのでもう一つを使うもこれまた不発。そこで大人から「火を焚いて手榴弾を中に入れろ」と提案される。その時、身を挺して男性を救ったのは実の母親だった。男性は母親のことを「無学だった」と語るが、教育を受けていなかったからこそ「死ぬのが当たり前」という発想にとらわれていなかったと見ることも出来る。

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2020年8月11日 (火)

これまでに観た映画より(196) 「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」

2020年8月3日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」を観る。沖縄テレビの平良いずみ監督作品。中学卒業後、沖縄県那覇市に移り住み、フリースクールに通う石川県珠洲市出身の坂本菜の花(本名)の姿を追うドキュメンタリーである。ナレーションは那覇市生まれの俳優、津嘉山正種(つかやま・まさね)が担当する。

「ちむぐりさ」は漢字にすると「肝苦りさ」となり、「肝(心、魂)の苦しい」という意味である。
実は沖縄方言(琉球語。ウチナーグチ)には「悲しい」に相当する言葉はないそうで、最も近い単語を探すと「ちむぐりさ」ということになる。ただ「ちむぐりさ」は私個人が悲しむということではなく、誰かの悲しみを己がこととして胸を痛めるというニュアンスであるそうだ。

坂本菜の花は、首里城の近くの沖縄料理の店に住み込みとして働き、昼間は那覇市内にあるフリースクール珊瑚舎スコーレで学んでいる。
坂本菜の花は、石川県珠洲市の旅館の家に生まれ育ったが、旅館では井戸水を使い、洗濯用の石けんも他の家とは異なるものを使っていたことから衣服の匂いが元でいじめに遭い、中学卒業後は、初めて訪れた時に「みんな明るくて好印象を持った」という沖縄に移り住んだ。ご両親がインタビューで語っているように、「逃げ」るしかなかったのだ。
一方で彼女の感性は高く評価されており、北陸中日新聞に「菜の花の沖縄日記」というコラムを連載することになる。

元々は琉球王朝が支配する、日本とは別の国だった沖縄。太平洋戦争で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた県であり、戦後はアメリカ領に。1972年に日本に復帰するが、日本における米軍基地の75%が沖縄県内に置かれることになり、今も日本本土とは別の戦後を歩んでいる土地である。

珊瑚舎スコーレは、5教科など主要教科も教えているようだが、生徒達が好きなことを学ぶというスタイルを通しているようで、坂本菜の花は美術や演劇なども学んでいる。昼間はフリースクールである珊瑚舎スコーレであるが、夜にはお年寄りが通う夜間中学となる。通ってくるのは戦時中に生まれ、学校に通う機会がなかったお年寄り達。フリースクールに通う若者と夜間中学に通うお年寄りとで協力し合っており、一緒に劇を制作したりもしている。劇の内容は夜間中学に通うお年寄り達が、戦時中に実際に体験したことであり、ノンフィクションとなるようだ。

 

首里城の正殿などが焼失した際に、本土人からの心ない書き込みも目立ったが、元々別の民族である日本人(ヤマトンチュ)と沖縄人(ウチナンチュ)の心理的距離は思ったよりも離れている。今でこそ、沖縄の大学に進む本土の人もそれほど珍しくはないが、私より一世代上までは本土の人間が沖縄の大学に進むなどということは「考えられないこと」だったようで、京都出身で琉球大学に進んだ中江裕司監督や、東京都出身でやはり琉球大学に進んだ天願大介監督(今村昌平の長男)もそのようなことを口にしていたはずである。

そして普天間基地の辺野古移設問題で、日本国政府と沖縄県は更に複雑な曲面を迎えることになる。

学校や幼稚園の上空を米軍のオスプレイやヘリコプターが低空飛行で通過し、時には落下物があり、墜落が起こることも珍しくない。学校の上空を米軍機やヘリコプターが通る際は、生徒達は避難するそうで、驚くべきことに戦中の空襲警報のようなものが今もある。そんな状況を日本政府は沖縄に押しつけているわけで、普天間の基地機能移転も「最低でも(沖縄)県外」と言っておきながら結局は沖縄から出ることはなかった。県民集会で、圧倒的多数の沖縄県人が辺野古移転に反対しても声が日本国政府に届くことはない。

沖縄に滞在する米軍は下層階級出身者も多い海兵隊であるためモラルには問題があり、坂本菜の花が沖縄にいた3年(2015-2018)の間にも米軍と米軍基地絡みの事件は次々に起こる。2016年には、うるま市で米軍関係者が二十歳の女性を強姦した上で殺害、死体を遺棄するという事件が起こる。同じ年に名護市でオスプレイが墜落するという事件があり、翌2017年には米軍ヘリが民間地に墜落する。墜落したのは牧草を育てている場所だったそうで、坂本菜の花が所有者の男性に話を聞く場面があるが、「30年間育ててきた牧草が一からやり直し」になったそうである。

翁長雄志沖縄県知事が先頭に立って辺野古移転反対を訴えてきたが、その翁長知事も癌に倒れ、志半ばで亡くなる。辺野古移転反対かそれとも容認して経済優先か、県民の民意を問う沖縄県知事選挙では翁長知事の意思を受け継ぎ、辺野古移転反対を訴えた玉城デニー知事が圧勝する。

そして辺野古移転の是非を問う県民投票が行われる。石川県に戻り、実家の旅館で働いていた坂本菜の花も沖縄に1ヶ月滞在し、選挙に協力する。投票の結果は辺野古移転反対という意見が圧倒的だったが、それで何が変わったかというと何も変わらない。坂本菜の花が生まれた石川県ではかつて内灘闘争と呼ばれる米軍砲弾試撃場反対運動があり、成功したのだが、本土と沖縄とでは違う。かつて坂本菜の花を苛んだ「いじめ」にも似た本土の沖縄に対する姿勢は今も続く。

 

坂本菜の花自身は声高らかに叫ぶことはない。あくまで穏健で、マハトマ・ガンジーの言葉(「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」)を引用し、世界を変えることよりも自身が世界に変えられないことに留意する。

ヤマトンチュである坂本菜の花が望むのは、アメリカに敗れた日本本土と沖縄の悲しみの共有である。現状では本土の人間は沖縄についてよく知らず、米軍絡みの事件が起こっても、重大事件でない限りは「沖縄のこと」としてほとんど報道もされず、されたとしてもさほど興味は持たれない。同じ日本でありながら、上下関係があり、差別がある。
坂本菜の花は3年の間に沖縄の人々が明るいのは、「明るくしないとやっていられないから」だと気付く。

 

テーマ音楽として流れるのは、上間綾乃が歌う「悲しくてやりきれない」のウチナーグチバージョンである。本当に素晴らしい選曲で、現実では達成されていないヤマトンチュとウチナンチュの心の寄り添いが、歌の中では成し遂げられている。

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2020年8月 2日 (日)

これまでに観た映画より(194) ヴィム・ヴェンダース監督作品「東京画」

2005年8月9日

ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画」をビデオで観る。敬愛する小津安二郎監督が描く東京への憧憬からこの街にやって来たヴェンダース監督の目に映る1983年の東京の風景が切り取られている。冒頭とラストは小津監督の「東京物語」のそれをそのまま用いている。

ヴェンダース監督が興味を持つ対象はパチンコ店や、飲食店の前のショーケースに並ぶ定食のサンプルを作る工場など。特にサンプル工場のシーンは見ているこちらが奇妙に感じるほど長い。
ゴルフの打ちっ放しに対する見方は誤解だらけで、おもわず「それは違うだろう」と突っ込みたくなる。

ヴェンダースは東京ディズニーランドに行こうとしたが、「アメリカのコピーだと思うと急に興味が冷めて」引き返してしまう。そして、「アメリカの影響を受けた若者達を見た」として紹介されるのが、当時、原宿に出没していた竹の子族。この辺りは作為を感じてしまって余り面白くない。竹の子族だけで当時の東京を語らないで欲しい。

1983年の東京の風景を見たい人にはやや物足りない作品である。しかし小津安二郎の映画が好きな人は絶対観た方がいい映画だ。
笠智衆や、小津の下で撮影監督を務めた厚田雄春らのインタビューが収められているためで、これを観ると小津という男が俳優やスタッフからいかに敬愛され、神のように崇拝されていたかがわかる。小津の思い出を語っていた厚田が突然、感極まって泣き出してしまうのも印象的。

小津安二郎とは改めて偉大な映画監督、いやそれ以前に偉大な人間だったのだと確認することが出来る。

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2020年7月13日 (月)

これまでに観た映画より(191) 「精神0」@京都シネマ

2020年6月16日 京都シネマにて

※すでに「仮設の映画館」で観た時の感想を上げているため、元々はそれに加筆するつもりでしたが、重複する部分も多いものの夫婦の関係をより注視して書いたものであるため別記事として載せることにしました。

 

京都シネマで想田和弘監督のドキュメンタリー映画「精神0」を観る。Webストリーミング配信による「仮設の映画館」でも京都シネマに料金が入る設定にてスマホで観たのだが、やはりミニシアターでもちゃんと観ておきたい。

想田和弘監督のドキュメンタリー映画は「観察映画」というスタイルを掲げており、音楽なし、ナレーションなし、台本なし、事前の打ち合わせも原則行わないなど、先入観や作り手のイメージへの誘導をなるべく排することを重視している。

詳しい内容や感想は以前にも書き、ブログにも転載しているので多くは述べないが、山本昌知医師が、中学校・高校と同級生だった奥さんのことを「芳子さん」と「さん」付けで呼んでいるのが印象的である。青春時代を同じクラスで過ごし、しかも82歳という年齢を考えれば、呼び捨てか「お前」か「おい」という呼び方をするケースが多いように思われる。今でも奥さんのことを「さん」付けて呼んでいることに、山本医師の芳子さんに対する敬意が感じられる。

山本医師は、昨今の優れた向精神薬を処方することを第一とする医師とは違い、患者と誠実に向き合うことを大事にしており、患者に対しても敬意を持って接している。

そんな山本医師なので、奥さんに対しても敬意を払うのは当然なのかも知れないが、中学・高校と山本医師はどちらかといえば落ちこぼれで、一方の芳子さんは常にクラスで一番の成績を誇る才女。おそらく憧れの女性である。山本医師もそんな芳子さんに振り向いて貰うために努力し、精神科の医師となれるだけの学力を身につけたのかも知れない。芳子さんとの出会いが、名医・山本昌知のゼロ地点であり、そのため今も芳子さんに敬意を抱いているのではないか。

山本医師と芳子さんが、芳子さんの親友の女性を訪ねる場面がある。実はセッティングをしたのは山本医師で、想田監督が「全て撮り終えた」と思っていたところに山本医師から提案があったのだという。

親友の語る芳子さんはとにかく頭が良く、歌舞伎やクラシック音楽に通じていて、株で儲け、政治にも経済にも強いという「出来る女性」である。今は高齢のため認知にも衰えが生じてしまっている芳子さんであるが、山本医師にとっては自慢の奥さんであり、彼女がいかに素晴らしい女性かを知って貰いたかったのだと思われる。座っている間、山本医師は芳子さんの手の上に自身の手を重ねている。
「支える」「支え合う」という言葉が出てくるが、あるいは山本医師と芳子さんはそれ以上の二人で一人のような関係だったのかも知れない。

とても素敵である。

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2020年5月21日 (木)

これまでに観た映画より(177) 佐々木美佳監督作品「タゴール・ソングス」

2020年5月18日 「仮設の映画館」@出町座

仮設の映画館@出町座で、ドキュメンタリー映画「タゴール・ソングス」を観る。佐々木美佳監督作品。

アジア人としてまた西欧人以外では初のノーベル文学賞受賞者となったタゴール(ラビンドラナート・タゴール)が残した、タゴール・ソングスという歌の数々がベンガル地方の人々に与えた影響に迫るドキュメンタリーである。インドの国際都市コルカタ(旧カルカッタ)と、英領インドから東パキスタン時代を経て独立したバングラデシュの首都ダッカでのロケを中心とした映像が流れる。

インドの国歌の作詞・作曲とバングラデシュの国歌の作詞を手掛けたのもタゴールであり、今もベンガル地方の人からは神のように崇拝されており、タゴールが残した歌は彼らのソウルミュージックとなっている。

タゴール・ソングスは多様な心模様を歌い上げている。愛しい人を思う歌もあれば、孤独や悲しみと向き合う歌もある。元々はベンガル地方の民族楽器の伴奏で歌われていたようだが、今はギターなどの西洋の楽器の伴奏に乗って歌われることが多く、編曲も現代風になっている。

タゴールが作ったメロディーではなくラップを歌い上げる若者もタゴール・ソングへのリスペクトを語る。


タゴールは、富豪の末っ子としてカルカッタに生まれた。生家である豪邸は今も残っており、この映画にも登場する。幼い頃から詩の才能を示すが、学校の勉強は拒否した(このことは映画の中でも語られている)。金銭的には恵まれていたが、当時のインドはイギリスの植民地。実に不自由な時代である。映画に出てくる人々の証言を纏めると、今もインドは不自由だそうである。貧しさに泣いている子どもが大勢おり、家では両親、特に父親の権限が強く、女性に対する差別も激しい。生まれてくる子どもが女の子だとわかると中絶してしまうことも少なくないようである。

現在はバングラディシュ領となっている農村、シライドホの領地管理を任されたタゴールは、自然の中で多くのインスピレーションを得るようになる。また、善政を敷き、領民が「土地が欲しい」と訴えれば与え、貧しい人には租税の一時免除を行った。そのため今でもシライドホではタゴールは神様そのものと讃えられているようである。


タゴール・ソングスは、常に人々と寄り添うものである。押しつけがましさはなく、同じ道を歩む同行者である。「もし君の呼び声に誰も答えなかったとしてもひとり進め」と歌う。だが、隣にはタゴールが付いている。悲しみや孤独をタゴールは共に感じてくれる。西洋の歌とは一味も二味も違う詞と音楽をタゴールは生む。
象徴的な場面がある。タゴール・ソングを歌い、教師として弟子にも教えている男性、オミテーシュ・ショルカール。彼は人から「あなたは歌手か?」と聞かれると「違う」と答える。「でも歌を歌っているでしょ?」と聞かれると彼はこう答えるそうである。「歌っているのはタゴール・ソング。タゴール・ソングと歌は別のものだ」

コルカタの大学に通う女子学生、オノンナが、日本を訪れる場面がある。タゴールは1916年に来日しており、東京の日本女子大学校(現在の日本女子大学の前身。当時は旧制の専門学校)と軽井沢で講演を行っている。軽井沢を訪れた後、東京に向かったオノンナは、バングラデシュと日本のハーフであるタリタと知り合い、(おそらく)横浜に遊びに出掛ける。ずっと日本で過ごしてきたタリタは日本語しか話せなかったが、東京外国語大学に進学し、ベンガル語やバングラデシュの文化を専攻している。タゴールを始めとするベンガル語の文学や音楽などを広めたいと語るタリタは、同じ東京外国語大学出身でタゴールを広く紹介することを目指す佐々木美佳監督の分身のようでもある。


最後に私のタゴールに関する思い出を一つ。二十代前半の頃だったと思うが、現代詩文庫のアジアの詩人の作品を集めた詩集を明治大学駿河台キャンパス12号館の地下にあった生協(今は生協はなくなり、三省堂書店が入っている)で買って読んだのだが、劈頭を飾っていたのがタゴールの詩であった。アジア初のノーベル文学賞受賞なのだから当然といえる。海辺で遊ぶ子ども達を描いた詩であり、詳しいことは忘れてしまったが、広がりと煌めきとが印象的であったことを覚えている。

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2020年5月18日 (月)

これまでに観た映画より(175) 坪田義史監督作品「だってしょうがないじゃない」

2020年5月17日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマでドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」を観る。坪田義史監督作品。字幕付きでの上映である。

40歳を過ぎてから発達障害に含まれるADHDの診断を受けた坪田義史監督が、やはり発達障害の診断を受けた親戚(再従兄弟とのことだったが後に違うことが判明する)のまことさんとの3年間をカメラに収めた映画である。
まことさんは中学卒業後、溶接工などの職を転々とした後で、二十歳の時に自衛官となるが、ほどなく父親が死去したため、神奈川県藤沢市辻堂にある実家に戻り、以後、40年に渡って母親と二人で暮らしていたのだが、母親も死去。今は障害基礎年金を受け取り、様々な福祉サービスを受けながら一人暮らしをしている。

まことさんは、母親が亡くなってから軽度の知的障害を伴う広汎性発達障害と診断を受けた。叔母さんがまことさんの面倒を主に見ているのだが、診断を受けるには様々な資料が必要だそうで、小学校の通知表などもなんとか探し出したそうである。ちなみにオール1が並んでいるようなものだったらしい。今なら特別学級に通うことになるのだと思われるが、当時は知的障害の認定は可能だったかも知れないが、発達障害は存在すらほとんど知られていなかった時代。知的障害があることは分かっていたのかも知れないが、軽度であるため、「学習に支障なし」とされたのであろう(成績から察するに実際は支障があったと思われる)。

まことさんは、吃音はあるが、言語は明瞭であり、漢字の読み書きなども割合普通に出来る。ということで何の情報もなければ障害者には見えないが、だからこその辛さも経験しているであろう。

 

精神医学は近年、急速に発達しているが、枠組みも変化しており、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害障害などはより大きな枠組みである自閉症スペクトラムに組み込まれるようになっている。スペクトラム(連続体)という言葉が表している通り、同じ障害であっても症状は人それぞれ違うというのがやっかいなところである。知的障害があるものとないものがあり(知的障害がないものを以前はアスペルガー症候群といっていたが、今ではこの区分は少なくとも積極的には用いられていない)、その他の能力もバラバラである。ただ強いこだわりなど、共通するいくつかの特徴がある。強いこだわりはコレクターという形で現れることが多く、まことさんもフィギュアのコレクションを行っている。また風呂には土曜日にしか入らず、洗濯は水曜にしかしないと決めており、変更を嫌がる。

生まれ育った神奈川県への愛着があるようで、まことさんは毎年、藤沢市を通る箱根駅伝を見に出掛け、地元の神奈川大学(私立で、略称は「じんだい」。優勝経験もある)を応援する。またベイスターズのファンであり、坪田監督と横浜スタジアムに試合を見に出掛ける前にベイスターズのレプリカキャップを購入。その後、ずっと愛用し続けている。これもこだわりであるが、障害故なのかは判然としないところである。

 

「レインマン」という有名な映画があるが、ダスティン・ホフマンが演じているレイモンドも今診断を受けると自閉症スペクトラムになると思われる。レイモンドもこだわりが強く何曜日の何時からどのテレビを見るかを決めており、メジャーリーガーの成績を細部まで記憶しているというマニアであった。ただ、レイモンドは計算能力に秀でたり、驚異的な記憶力や認知能力を誇るサヴァン症候群でもあったが、サヴァン症候群は極めてまれな存在であり、まことさんには人よりも特に優れている部分はないように見受けられる。ということで、計算がうまく出来なかったり、小さな事で悩んだりと余り格好は良くない。自制心に欠けるところがあるため、ビニール袋が風に飛ばされる様をずっと眺めていて(いけないとわかっていてもやってしまうそうである)隣家から苦情を言われたり、エロ本を隠し持っていたことで叔母さんに心配され、怒られたりしている。

 

坪田監督とは良好な関係を築いていたが、ずっと住んでいた実家を手放さざるを得ない状況となる。これまでまことさんを支えてきた親族もみな高齢化し、今後もずっとまことさんの面倒を見るというわけにもいかない。

ということでグループホームに入るという話が出るのだが、変化を嫌がるという性質を持つまことさんは、いい顔をしない。

 

坪田監督は、まことさんの居場所を探し、平塚市にある就労継続支援B型(B型事業所)のstudio COOCAという芸術特化型の施設を見つける。平塚までの送り迎えは自分がやってもいいという。
studio COOCAに見学に出掛けたまことさんと監督であるが、まことさんは入所する気は全くないようだ。

 

その後、日本三大七夕祭りの一つである平塚の七夕祭りに出掛けたまことさんは、その夜、初めてカラオケに挑戦する。予想を遙かに上回る歌唱を披露したまことさん。歌をみんなに聴いて貰いたいという希望が生まれた。

 

といったように概要を述べてきたわけであるが、ドキュメンタリーであるため、「レインマン」のようなフィクションとは異なり、ドラマティックなことは起こらない。ダスティン・ホフマンやトム・クルーズのような男前も登場しないし、レインマンの正体が解き明かされたりもしない。軽い知的障害を伴う発達障害者の姿そのものを映し出すに留まる。そこにメッセージ性があるわけでもない。

だが、この世界に、まことさんは生きている。確実に存在している。上手くいかないことの方が多いが、これまで生きてきて今もいる。何かのためにというわけでもなく。
本来人間というのはそれだけでいいものなのかも知れない。時代と環境とによって規定が変わっていくだけなのだ。

 

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2020年5月17日 (日)

これまでに観た映画より(174) 想田和弘監督作品「精神0」

2020年5月15日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマで、ドキュメンタリー映画「精神0」を観る。想田和弘監督作品。プロデューサー:柏木規与子(想田和弘夫人)。

現在、日本中の映画館が臨時休館を余儀なくされているが、その中でも営業的に苦しい運営形式であるミニシアターが共同でWeb上での映画配信を行うのが「仮設の映画館」である。映画の一般料金と同じ1800円をクレジットカードなどで支払い、自分が料金を支払いたい映画館を選択してストリーミングでの映像配信を観るというシステムとなっている。私はそもそもこの映画をここで観る予定であった京都シネマを選択する。京都シネマはこれまでも民事再生法の適用を受けながら営業、つまり倒産はしているわけで、今も資金面ではかなり苦しいはずである。更に近くにある新風館の地下にミニシアターのシネマコンプレックスが誕生する予定であり、先行きはかなり不安である。ただコロナ禍は去ったがお気に入りの映画館が潰れていたということは避けたい。今後も「仮設の映画館」の京都シネマでいくつか作品を観る予定である。

描かれるのは前作「精神」の10年後であるが、今回の主役は精神障害者の方達ではなく、山本昌知医師である。精神障害者に真摯に向き合い、親しく接する山本医師の人物像を掘り下げるということも含めて「精神2」ではなく「精神0」というタイトルになっている。

岡山市。精神科医院「こらーる岡山」の医師である山本昌知も82歳ということで、第一線から退くことになる。現役最後となる講演には山本の評判を聞いて東京から駆けつけた女性からサインを求められるなど、名医としての地位を築いた山本であるが、もう精神科の医師として働ける年齢は過ぎたと悟った(のかも知れない)。

ただ心残りなのは残される患者達である。山本医師の特徴は患者の言葉をよく聞いて、的確なアドバイスを送るというところである。説得力があり、ぬくもりに満ちている。だが少なくとも岡山市内にはそうした医師は他にいない。向精神薬は次々と優れたものが登場しているが、その結果として精神科医は最適な薬を選ぶことを主な仕事とするようになり、患者の話を聞かない医師が増えた。患者の一人は他の病院を受診した時のことを、「散々待たせて1分半で受診が終わり」と不満げに語る。

最初の、「CDを買いたいだとかそういった欲求が抑えられない」という患者に山本医師は、自然に欲求が沸いてくるのはいいことだがゼロになる日をたまに作るといいというアドバイスをする。アドバイスをするだけではなく、精神病者は誰よりも頑張っているというリスペクトも送る。

前作の「精神」で流れたものや、撮られたがカットされて使われなかった映像はモノクロームで映し出される。

想田和弘監督が東京大学文学部宗教学科卒業ということで、山本医師の姿に「膝をつき合わせるようにして弟子や信徒と語った」というブッダや、「共生(ともいき)」を掲げる浄土宗の祖で現在の岡山県出身の法然、その弟子で一人一人と共に悩み共に生きる宗教家である親鸞などを重ねて見ることも出来る。そしてそれは比較的たやすいことなのであるが、「精神0」で観るべきは、おそらくそこではないだろう。

山本昌知医師の奥さんである芳子さん。こらーる岡山で夫を手伝ったりもしていたが、山本昌知が医師ではない一個の人間となる「ゼロの場」である家庭でも共に時を過ごしてきた。山本医師とは中学高校と一緒であったという。10年前にはテキパキ動き、ハキハキと喋る奥さんだった芳子さんだが、高齢ということで無口になり、カメラの前でも所在なげである。撮影を行う想田監督に見当違いな発言をするなど勘違いが増えて、普通の生活を送ることももうままならないようだ。山本医師の引退も芳子さんの現状が絡んでいるように思われる。
芳子さんが学生時代の思い出を語る場面がある。山本医師は学生時代は「勉強がよく出来ない」生徒だったと芳子さんは語り、一方の山本医師は芳子さんのことを成績は一番が指定席のような人と話す。

芳子さんの親友が芳子さんについて話す場面がある。「凄い頭のいい方」だそうで、歌舞伎やクラシック音楽が大好きで、海老蔵(おそらく今の海老蔵ではなく、「海老さま」と呼ばれた先々代だと思われる)の大ファン。更にバブルの頃は夫に内緒で株で儲けたりもしていたそうで、政治面にも明るく、単に聡明なだけでなく多芸多才の女性であることがわかる。家には芳子さんの作った俳句が飾られており、おそらく生まれ持った能力は山本医師よりも上であると思われる。

 

ここから先は、映画には描かれていないが、確実であると思われることを書く。山本医師を作ったのは実は芳子さんなのではないかということだ。山本医師は芳子さんの成績が常に一番であることを知っていた。興味を持っていたのである。クラスのマドンナ的存在だったのかどうかはわからないが、山本医師が芳子さんに憧れを抱いていたのは間違いない。同じ人生を歩む女性の候補と考えてもいただろう。だが、成績優秀な女性を振り向かせるには、こちらも勉強を頑張って認めて貰うしかない。同じ男なのでよくわかる。「勉強が出来ない」と言われていた山本昌知が医師になるだけの学力を付けたのだから、相当努力したことは間違いない。そして結ばれることが出来た。岩井俊二監督の「四月物語」的ロマンティックな話である。映像ではそうしたことは一切語られていないが、それ以外のストーリーはあり得ない。芳子さんがいなかったら、おそらく名医・山本昌知は誕生していなかったであろう。芳子さんいう尊敬出来る女性と出会ったこと、それが山本昌知の医師としてのゼロ地点(起点)であったのだと思う。

ラストシーンで二人はお墓参りに向かう。この日は芳子さんも山本医師と一緒に歌を唄い、よく喋る。高齢と病状のため芳子さんが立ち止まってしまうと山本医師が戻ってきて手を握り、一緒に墓地へと向かう。ずっと手を握り合っている。私の想像は間違っていないと確信する。

 

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2020年5月16日 (土)

これまでに観た映画より(173) 想田和弘監督作品「精神」

YouTubeの有料配信で、想田和弘監督のドキュメンタリー映画「精神」を観る。現在、ミニシアター支援のためにWeb上に設けられた「仮設の映画館」で続編に当たる「精神0」が公開中であるが、それを観る前に前編を観ておこうというわけである。「精神0」が上映される「仮設の映画館」はミニシアター支援が目的であるため、通常料金の1800円が必要だが、YouTubeで配信されている「精神」は300円でレンタルとして観ることが出来る。ストリーミングのみの配信で期限は3日間。ダウンロードする「購入」という手段もあるが、そちらは結構値が張る。

2005年から2007年に掛けての岡山市が舞台。この時点での岡山市はまだ政令指定都市になっていない。

精神科病院「こらーる岡山」。精神科の他に、精神障害者のための事業所や相談所、居場所などが併設されているが、民家を改築したものであり、外観も内装も医療施設っぽさが全くない。院長の山本昌知医師は、精神病者の診察や交流を生き甲斐としており、開業医となってからしばらくは給料も取らずに診察を行っていて、「現代の赤ひげ」とも呼ばれていたそうである。今は給料は10万円ほど受け取っているが、他に年金の収入があるだけで、全く金銭に執着がないようである。

日本は精神病大国なのであるが、精神病者が隔離される場合も多く、多くの人は精神病者の実態について、本当のことは知らないでいる。だから、精神病棟を舞台にして精神病者が襲ってくるという内容のホラーゲームが出来てしまったりするわけだが、外見からではわからない普通に近い人も当然ながら大勢いる。精神病は頭脳のエラーなのであるが、緻密な脳ほどダメージを受けやすく、夏目漱石や芥川龍之介らも精神病には苦しんだ。この映画にも、高校生時代1日18時間勉強する生活を半年続けておかしくなってしまった人や、岡山県随一の進学校である岡山朝日高校で3年間トップの成績を続け、岡山大学医学部に入学するがやはり無理をしすぎて精神的に参ってしまった人が出てくる。彼らは今も投薬の治療を続けてはいるが、エキセントリックではあるが一般的な日本人よりもむしろ知的な印象を受ける。

統合失調症で40年間治療を受けている男性も登場するが、健常者と障害者の間にカーテンがあるだけでなく、障害者同士の間にもカーテンがあると語る。なんとなく避けたり目にしなかったりということであるが、結局のところ互いのことをよく知らずに来てしまっている。男性は健常者であっても完璧な人などいないとわかったということで、健常者とされる人も障害者とされる人もどこかが欠けているわけであり、障害者が健常者の欠けているところを補うという生き方を提案したりもする。

背景として障害者自立支援法の存在がある。自立支援というと聞こえはいいが、「もう国が障害者を保護する金はないから自分で稼いでくれ」ということである。悪いことばかりではなく、これまでは門前払いだった一般就労への可能性が開かれたということもあるのだが、実はこの映画公開から10年後、この岡山県を舞台に一大スキャンダルが起こることになる。

舞台となったのは就労継続支援A型(A型事業所)という組織である。障害者に最低賃金を保障した上で就労訓練を行う施設で、賃金は売上金から出し、スタッフへの収入は給付金という形で国が保証するというシステムであったが、民間企業の参入を許可したことからコンサルタントを介した障害者ビジネスが発生。スタッフの人数や賃金、施設費や障害者の労働時間を抑えることで、稼げる事業がなくても黒字が出せてしまうという、仕組みの盲点を突いたもので、「悪しきA型」と呼ばれた。当然ながら国も給付金から賃金を支払うことを禁じ、結果としていい加減な経営を行っていた事業所は苦しくなり、奇しくも岡山県では大規模A型事業所が閉鎖、経営者は姿をくらまし、雇用されていた障害者は一斉解雇となり、その悪質な手口故に全国紙などでも報じられた。一部の障害者は別のA型事業所に移ったが、そのA型事業所も同様の手口を用いる悪しきA型事業所であったためにすぐに経営破綻、二度続けて解雇になる障害者も現れてしまい、「障害者を食い物にした」ということでテレビのドキュメンタリーで取り上げられたりもした。

この映画はそうした不祥事の起こる10年ほど前の障害者の姿を描いている。映像に映っている数名は映画公開前に他界されたようである。
健常者と障害者が共存するという青写真にはまだまだ遠い。

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2020年5月15日 (金)

これまでに観た映画より(172) 「Ryuichi Sakamoto:CODA」

dTV配信で、ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:CODA」を観る。震災後に癌の宣告を受けた坂本龍一の姿に迫るドキュメンタリーである。監督:スティーヴン・ノムラ・シズル。

宮城県にある農業高校。津波が押し寄せ、周囲には瓦礫以外なにもないという高校の体育館に津波を受けたピアノがあるというので坂本龍一は弾きに出掛ける。調弦は狂い、坂本は「ピアノの死体」を弾いているようだと述べる。

福島の原発近くでは放射能が異常値を示す。首相官邸前では原子力発電所の再稼働反対のデモが繰り広げられ、坂本も「原発反対、再稼働反対」のスピーチを行う。

そして、津波によって街ごと流されてしまった陸前高田市の第一中学校では、「戦場のメリークリスマス」をトリオで奏でる。

 

癌を患うとは全く予想していなかったという坂本龍一であるが、宣告を受け、治療のためにアルバムの制作を中断せざるを得なくなる。そして仕事を再開する時に、それまで作っていた楽曲を封印して一から新しい楽曲を制作することにする。アンドレイ・タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」では、J・S・バッハが作曲したオルガンによるコラールが流れているのだが、自分が音楽を担当したい映画なのに、バッハの音楽がもう付いてしまっているのが悔しいということで、自分がタルコフスキーの架空の映画に音楽を付けるとしたらという仮定で音楽制作が行われる。これは後に「async」というアルバムとなり、少人数の聴衆の前で実演が行われ、このコンサートの様子はフィルムに収められて映画館で上映されていて、私もMOVIX京都で観ている。あるいは、「CODA」と「async」は2つ観ることで完結するものなのかも知れない。

 

坂本の過去の映像も度々登場する。まずYMO散会直後の1984年の映像。若き坂本が「東京は芸術的にも文化的にも世界最先端」と述べているが、その言葉が全く違和感なく受け取られるような時代であった。この頃の日本の未来は明るく見えていた。

その後、坂本が手掛けた映画音楽の数々が紹介される。初めて手掛けた映画音楽で画ある「戦場のメリークリスマス」、俳優としてのオファーが先だった「ラスト・エンペラー」、そしてレコーディング直前に、もうオーケストラ(イギリスのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が演奏を担当している)のメンバーが揃って坂本が指揮しようとしていたその瞬間に、ベルナルド・ベルトリッチ監督から、「書き直して」と言われた「シェルタリング・スカイ」などの思い出が語られる。映画「シェルタリング・スカイ」のラストシーンには原作者である小説家のポール・ボウルズが登場し、「シェルタリング・スカイ」の中に書かれた文章がボウルズ自身によって朗読される。人生の儚さに関する内容だ。

坂本龍一も癌を患い、「いつ死んでもおかしくない」と悟るようになっている。「20年後か10年後か、あるいはもっと早く」ということで、人生がCODA(終結部)に入ったことを実感している。坂本は、この頃に、自身の最初期の作品をCDで発表するなど、いつ死んでもいいよう、自分の作品の何を残すかという総括も行うようになる。

坂本が環境問題に取り組むようになったのは、1992年頃からそうだが、具体的に何がというわけでもないのだが「今のままではまずい」と感じるようになったそうである。音楽家を「炭鉱のカナリア」になぞらえ、とにかく感じたということである。

2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生。ニューヨークにいた坂本はワールドトレードセンターのツインビルが崩壊する様を目撃する。その後、1週間、ニューヨークは無音の街になったそうで、ある日、若者がビートルズの「イエスタデイ」を弾き語りしているのを聴いて初めて「1週間音楽を何も聴いていなかった」と気づき、「平和でなければ音楽はやれない」と実感する。

その後、分断の時代が訪れたことを実感した坂本は人類発祥の地であるアフリカに向かう。アフリカ大陸は広いが、そこの音楽は単一のリズムしか持たないそうで、「エクソダス」といわれるアフリカからの旅立ちを行った30組ほどの家族もまた同じようなリズムと音楽しか持っていなかったはずだが、それが次第に発展――といっていいのだと思うが――していくうちに、多様性と同時に引き離される感覚も発生したと思われる。坂本は人類はアフリカで生まれたのだから、「僕らは全員アフリカ人」だとも語る。

更に北極圏に向かった坂本は、産業革命発生以前に積もった氷から流れ出るせせらぎの音に感動する。

坂本は作曲する時に、ピアノの音を思い浮かべて作曲するそうであるが、ピアノという楽器も産業革命の時代に生まれている。木材を鋳型に無理矢理押し込んで曲げて、という過程がピアノ製作にはあるわけだが、自然の木材を人力で抑え込むという過程は、まさに産業革命以降の人間と自然の対立の縮図そのものである。坂本自身はそう語ってはいないが、震災というものも、思い上がった人間への自然からの警鐘でもあるわけで、被災ピアノを弾いた際、「ピアノの死体」といいながらも、人間の力から解放された「自然が調弦した」ピアノを弾いたような心地よさを感じたことを坂本は述べている。

「CODA」は坂本自身の人生のCODAという意味でもあるのだが、更に敷衍させれば人類や地球までもがCODAに入ってしまったのではないかという危機感に繋がっているようでもある。坂本本人の発言を追うと、そう考えているのだと思えてならない。

「惑星ソラリス」で使用されたバッハのオルガンのためのコラールをピアノで弾き、終盤ではバッハの平均律クラーヴィア第1巻よりプレリュードを演奏する坂本。高校生時代に「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と本気で思っていたという坂本であるが、やはり「音楽の父」としてのバッハを心から尊敬しているのだと思われる。そして「音楽で森羅万象を描いた」といわれるバッハに対する畏敬の念と共感が、そのまま自然に対する思いに繋がっているようでもある。一見するとかけ離れているように見える彼の音楽性と社会活動の根源が、実は同一であることが垣間見える映画でもある。

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2020年3月27日 (金)

これまでに観た映画より(163)「わたしは分断を許さない」

2020年3月23日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「わたしは分断を許さない」を観る。元NHKの堀潤が監督・脚本・編集・ナレーションを務めた作品である。

全世界を覆うようになった分断の影。互い互いを憎み合ったまま相容れない断絶がどこまでも深く足元を流れている。

堀潤が取材を続けていた福島に加え、「時代革命」の嵐が吹き荒れる香港、日本と緊張関係が続く北朝鮮、辺野古問題で揺れ続ける沖縄、内戦の続くシリア、パレスチナ問題の中心地であるガザ地区などの現状がカメラに捉えられる。

 

まずは香港である。1997年の香港の中国返還から50年続くことが保証された一国二制度(一国両制)しかし、返還から20年が過ぎ、香港の自由と民主制度が脅かされているとして若者が立ち上がる。だがそれを取り締まる警察もまた香港人である。
この映画には出てこないが、NHKのドキュメンタリーによると、実は中国による支配を容認する人も実は4割に上るのだそうで、特に高齢の人達は現状に満足しており、若者達に注ぐ視線は冷たいようである。世代間での断絶だ。
街中で若者と警察とが取っ組み合いを行い、ついには警官が発砲。しかし、それを遠くから見ているだけの市民も多いことがさりげなく示されている。静観したい人や政治に興味がない人も当然ながら存在するはずである。

福島。東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から8年が経った2019年3月11日。福島県郡山市に復興住宅に暮らす元美容師の元富岡町在住の女性は、震災の日からハサミを握っていない。東京電力から賠償金が支払われたのだが、それが元で近所の居酒屋の亭主やタクシーの運転手から、「あんたらは賠償金貰えていいね」などと毒づかれるようになる。女性も70歳を過ぎ、賠償金よりも何よりも元の暮らしに戻りたいと考えているのだが、金銭という別の問題により、周囲から引き裂かれているような現状がある。

東京出入国在留管理局。日本における難民認定が困難であることが知られているが、認定率はわずか1%ほど。諸外国でも難民の審査は厳しいが、日本は文字通り桁違いである。詳しいことはわからないとしながらも、追われてきた国が日本と友好関係だったりすると、厳しさはより増すようでもある。

沖縄。福島第一原子力発電所の事故の影響を避けるため、子どもと共に茨城県水戸市から沖縄に移住した女性。夫は離婚しているのだが、彼女の沖縄への移住という思い切った行動に、「きちがい女」などとレッテルを貼り、もう茨城県には戻りたくても戻れない状態であるという。
そんな彼女が現在取り組んでいるのが、辺野古への米軍基地移転の問題。実は辺野古に基地が移転して得をするのはアメリカだけだということが、故大田昌秀沖縄県知事の証言によって語られる。

北朝鮮。日本とは国交がなく、今もなお、金一族による王朝のようが体制が敷かれている。
実は10年前からであるが、日本と北朝鮮との学生同士による「日朝大学交流会」が行われている。平壌外国語大学で日本語を学ぶ北朝鮮の若者と日本からやって来た学生達。最初の内は緊張しているが、話が乗り始めると互いに笑顔を見せ合う。

カンボジア。ポル・ポトの独裁と圧政により、国が再建されるのに200年かかるともいわれたカンボジアであるが、そこに中国が進出してくる。カンボジア人で中国の資本進出を喜ばしく思っている人はほとんどいないそうだが、政府は中国にべったりである。中華系市民の発言力や存在感が高まっており、カンボジア人との間の溝は深まるばかりである。

こうした分断であるが、監督の堀は、「主語が大きすぎる」としてより小さな主語、そして一人一人に焦点を当てていく。

個と個の溝であっても、それは深く広い。それぞれに立場が違い、それを譲ることもない。
反核運動によりノーベル平和賞を受賞したヒーローであるバラク・フセイン・オバマ米大統領もパレスチナと対立するイスラエル軍のための資金援助は惜しむことがない。

だがそれぞれが完全にわかり合えないかというと、そう断言も出来ない。異国の人々のために惜しみない援助や救済を行ってくれる人存在する。だが、そうした小さな物語は、声高に叫ばれる声にかき消されてしまう。

その声は誰の声なのだろう。発している当人は、あるいは心からの声だと思っているかも知れない。しかし実はそれはその背後にある大きな物語から抽出されたものでしかない可能性がある。余りにも既視感に満ちている。そしてわかりやすい価値観に基づいているがための危うさが如実に感じられる。ともかく大きな声は誰かの声に乗っかったものである。逆に個々人の声が大きなものになる可能性は実際のところかなり低い。

結局、一人一人と向き合うしかない。それは一大勢力にはなりにくいし、おそらくひどく時間がかかる。大きな物語に乗っていないが故にわかりにくいのだ。だがそれは他の誰かではないオリジナルの声を生み出し、探り当てることの出来る行為である。

元朝日新聞社会部記者の故・むのたけじは、戦中の朝日新聞社の態度について語っている。むのは朝日新聞が戦争に協力したことを恥じ、終戦の日に退社している。
むのによると、大本営発表に加担した朝日新聞は、政府に逆らうと社員の生活が脅かされるとして、検閲の前の事前に3回ほど推敲を重ね、絶対に引っかからない文章にしていたという。憲兵や特高の影を普通は感じるところなのだが、実際はそうではなく、存在するかどうかもわからない影に勝手に及び腰になってしまっていたのだそうだ。

敢えて大きな主語を用いるが、実は、我々は今も、存在しない「何か」や「誰か」に自主的に操られてしまっているのではないか。


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