カテゴリー「ドキュメンタリー映画」の47件の記事

2024年4月 2日 (火)

これまでに観た映画より(327) TBSドキュメンタリー映画祭2024 「坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち」

2024年3月28日 アップリンク京都にて

TBSドキュメンタリー映画祭2024「坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち」を観る。監督は金富隆。前半は坂本龍一が「NEWS23」に出演したり「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」の企画に参加したりした際の映像を中心とし、後半はTBSが収録したドキュメンタリーの映像の数々が登場する。

出演:坂本龍一、筑紫哲也、細野晴臣、高橋幸宏、DREAMS COME TRUE、佐野元春、桜井和寿(Mr.Children)、大貫妙子、TERU(GLAY)、TAKURO(GLAY)、Chara、シンディ・ローパー、デヴィッド・シルヴィアン、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)ほか。

筑紫哲也がキャスターを務めたTBS50周年特別企画「地雷ZERO」で、坂本龍一がモザンビークの地雷撤去作業地域を訪れるところから映画は始まる。2001年のことである。坂本龍一は、地雷撤去のための資金を集めるためにチャリティー音楽「ZERO LANDMINE」を作成することを思い立ち、デヴィッド・シルヴィアンの作詞による楽曲を完成。シンディ・ローパーなど海外のアーティストも参加した作品で、国内からも多くのミュージシャンが参加した。

その後、植樹の活動(モア・トゥリーズ)なども始めた坂本龍一。環境問題に取り組み、ライブのための照明も水力発電によるものを買って使用するようになる。

2001年9月11日。アメリカで同時多発テロが発生。発生時、ニューヨークの世界貿易センター(ワールドトレードセンター)ビルから1マイルほどのところにいた坂本はカメラで炎上する世界貿易センタービルを撮影。その後、ツインタワーであった世界貿易センタービルは倒壊し、土煙を上げる。アメリカは報復措置として、アフガン空爆、そしてイラク戦争へと突入する。坂本は「世界に60億の人がいても誰もブッシュを止められない」と嘆く。
「ニュース23」の企画で、戦争反対の詩を募集し、坂本の音楽に乗せるという試みが行われる。全国から2000を超える詩の応募があり、中には6歳の子が書いた詩もあった。その中から坂本自身が19編の詩を選び、作者のナレーションを録音して音楽に乗せる作業を行う。作業はコンピューターを使って行われるのだが、微妙なズレを生むために何度も繰り返し行われる。

日本では安保法案改正問題があり、坂本も反対者の一人として国会議事堂前でのデモに参加し、演説も行う。都立新宿高校在学時の若き坂本龍一がアジ演説を行っている時の写真も紹介される。

2011年3月11日。東日本大震災が発生。福島第一原子力発電所ではメルトダウンが起こる。
坂本は原発稼動への反対を表明。電気よりも命を優先させるべきだと演説し、50年後には電気は原発のような大規模な施設ではなく、身近な場所で作られるものになるだろうとの理想を述べる。
東日本大震災では家屋にも甚大な被害が出たが、坂本は植樹運動で育てた樹を仮設住宅に使用する。
その後、東北ユースオーケストラを結成した坂本。東北の復興のために音楽で尽力する。東北ユースオーケストラは坂本が亡くなった現在も活動を続けている。

坂本の最後のメッセージは、明治神宮外苑再開発による樹木の伐採反対。交流があった村上春樹も反対の声明をラジオで発しているが、東京23区内で最も自然豊かな場所だけに、再開発の影響を懸念する声は多い。

名物編集者、坂本一亀(かずき)の息子として生まれた坂本龍一。若い頃には父親への反発から文学書ではなく思想書ばかり読んでいたというが(音楽家になってからも小説などはほとんど読まなかったようである)、若き日に得た知識の数々が老年になってからもなお生き続けていたようである。また、音楽家が自らの思想を鮮明にするアメリカに長く暮らしていたことも彼の姿勢に影響しているのかも知れない。

映画のラストで流れるのは、「NEWS23」のエンディングテーマであった「put your hands up」のピアノバージョン(「ウラBTTB」収録)。心に直接染み渡るような愛らしい音楽である。

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2024年3月27日 (水)

これまでに観た映画より(325) ドキュメンタリー映画「アアルト」

2024年3月21日 京都シネマにて

京都シネマで、フィンランドのドキュメンタリー映画「アアルト」を観る。フィンランドのみならず北欧を代表する建築家にしてデザイナーであるアルヴァ・アアルトの生涯と彼の二人の妻に迫る作品。ヴィルビ・スータリ監督作。

母校のヘルシンキ工科大学が現在はアアルト大学に校名変更されていることからも分かるとおり、絶大な尊敬を集めたアルヴァ・アアルト(1898-1976)。「北欧デザイン」といわれて何となく頭に浮かぶイメージは彼が作り上げたものである。彼の最初の妻であるアイノは4つ年上であり、同じヘルシンキ工科大学の出身であった。
アアルトがヘルシンキ工科大学卒業後にユヴァスキュラに建築事務所を設立。従業員を募集し、それに応募してきたのがアイノであった。

アアルトの設計の最大の特徴は、「人間的」であること。また自然との調和も重視し、人間もまた自然の一部であるという発想はシベリウスを生んだフィンランド的である。
二人三脚で仕事を進めたアアルトとアイノ夫人。アイノもアアルトと同じヘルシンキ工科大学を卒業しているだけあって、アイデアも豊富でセンスにも長け、アアルトが起こしたデザイン企業アルテックの初期の家具などのデザインにはアイノ夫人の発案も多く取り入れられているようである。
ただ、二人とも家具職人ではないので、実用的な部分は専門家に任せていたのだが、彼が亡くなると家具デザイナーとしてのアアルトは全盛期を過ぎることとなる。
地中海を行く船上で行われた近代建築国際会議(CIAM)に出席し、ル・コルビュジエなどの知遇を得、パリ万博やニューヨーク万博のフィンランド館(パビリオン)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での個展などで注目を浴びたアアルト。作風を次々に変えながら、「人間的」という意味では通底したものを感じさせる建築を次々に発表。マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授に就任し、MITの学生寮も設計。蛇行した川に面したこの学生寮は、全ての部屋から川面が見えるよう、建物自体もうねっているという独特のものである。

1948年にアイノ夫人が若くして亡くなると、3年後に24歳年下のアアルト事務所職員で同じヘルシンキ工科大学出身のエリッサと再婚。エリッサ夫人は、アアルトが亡くなると、彼が残した設計図を元に建築の仕上げなども行っているようである。

アアルトの最大の仕事は、ヘルシンキ市中心部の都市設計であったが、これはフィンランディアホールを完成させるに留まった。このフィンランディアホールは白亜の外観の美しさで有名であるが、それ以上に劣悪な音響で知られており、ヘルシンキのクラシック音楽演奏の中心は、現在ではヘルシンキ音楽センターに移っている。

晩年になると海外での名声は高まる一方であったアアルトであったが、フィンランド国内では逆に保守的な建築家と目されるようになり、国民年金協会本部や村役場、大学などの設計を行うことで、体制側と見なされることもあったという。

フィンランド以外での建築物としては、前記MITの学生寮、ハーバード大学のウッドベリー・ポエトリー・ルーム、ベルリン・ハンザ地区の集合住宅、ノイエ・ファールの高層集合住宅(ドイツ・ブレーメン)、フランスのルイ・カレ邸、ヴォルフスブルクの文化センター(ドイツ)、同じくヴォルフスブルクの精霊教会、エドガー・J・カウフマン記念会議室(アメリカ・ニューヨーク)、リオラの教会(イタリア)などがある。

ラジオなどで収録されたアアルト自身の肉声、アアルトが残した手紙などを朗読する声優(アアルトの声を当てているエグゼクティブ・プロデューサーで俳優でもあるマルッティ・スオサオは、ヴィルビ・スータリ監督の夫だそうである)の他に、建築家の仲間や専門家、大学教授などの証言を豊富に収めており、アカデミックな価値も高いドキュメンタリー映画である。

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2022年12月28日 (水)

これまでに観た映画より(318) 第44回ぴあフィルムフェスティバル in 京都 ブラック&ブラック「ザ・ビッグ・ビート:ファッツ・ドミノとロックンロールの誕生」 ピーター・バラカンのアフタートーク付き

2022年11月25日 京都文化博物館フィルムシアターにて

午後6時から、京都文化博物館フィルムシアターで、第44回ぴあフィルムフェスティバル in 京都、ブラック&ブラック 日本未公開/関西初上映の音楽映画「ザ・ビッグ・ビート:ファッツ・ドミノとロックンロールの誕生」をピーター・バラカンのアフタートーク付きで観る。

共にルイジアナ州ニューオーリンズ近郊に生まれたファッツ・ドミノとデイヴ・バーソロミューを中心に、黒人音楽がリズム&ブルールへ、そしてロックンロールへと昇華する過程を様々なミュージシャンや伝記作家などへのインタビューと往年の演奏姿によって綴る音楽映画である。
ジャズ発祥の地としても名高いニューオーリンスが生んだ二人の天才音楽家が生み出した音楽が、エルヴィス・プレスリーやビートルズなどの白人ミュージシャンに影響を与え、ロックンロールという名を与えられていく。
ちなみに、リズム&ブルースは1949年に生まれたとされる言葉で、それまでは黒人の音楽を指す専門用語はほとんど存在しなかったようである。ただ、リズム&ブルースは、黒人音楽のイメージが余りに強いため、ロックンロールという新語が生まれたようだ。ともあり、ファッツ・ドミノが生み出し、デイヴ・バーソロミューが演奏とプロデュースを手掛けた音楽は全米で大ヒット。新たな音楽の潮流を生むことになった。
ブラスの分厚いニューオーリンズサウンドがとにかく華やかで、音楽性の豊かさに魅せられる。

ピーター・バラカンのアフタートークは、ニューオーリンズの紹介を中心としたもので(持ち時間が限られていたためにそこから先に行けなかったということもある)、フレンチクオーターと呼ばれる地域があり、フランス統治時代の面影が残っている(ルイジアナ州のルイジアナとはルイ○世のルイ由来の地名であり、オーリンズとはフランスのオルレアン地方が由来である)。フレンチクオーターの北の方にコンゴスクエアという場所があるが、ここで黒人奴隷達が週に1回音楽を奏でることが許されたそうで、ここが黒人音楽の発祥の地ということになるようである。音楽をすることを許されたのは、ピーター・バラカンによると統治していたフランスがカトリックの国であったことが大きいという。その他の地域、イギリスの統治下にあったところは、黒人が音楽を奏でることは許されなかったそうである。

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2022年11月10日 (木)

これまでに観た映画より(314) ドキュメンタリー映画「役者として生きる 無名塾第31期生の4人」

2022年11月1日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「役者として生きる 無名塾第31期生の4人」を観る。

仲代達矢が主宰する無名塾。1975年に仲代と妻の宮崎恭子と共に創設した俳優養成所である。入塾のための倍率は高く、文学座と共に「演劇界の東大」と呼ばれることもある。

無名塾に第31期生として入ったのは、上水流大陸(かみずる・たいりく)、中山正太郎、島田仁(じん)、朝日望(のぞみ。女性)の4人である。バックボーンは様々で、中山正太郎は日大一高演劇部から日大藝術学部演劇学科を卒業して入塾。上水流大陸は鹿児島高校の演劇部での活動を経て無名塾に入り、島田仁は国立香川高等専門学校の5年次に無名塾に合格、国立大学の編入試験にも合格していたが無名塾を選んでいる。朝日望は以前に無名塾に合格するも短大での学生生活より無名塾を優先させることがためらわれて一度辞退し(最終面接で、「短大は辞めて来て下さい」と言われたようである)、短大卒業後に無名塾を再度受けてまた合格し、第31期生となった。

無名塾は学費無料だがアルバイトは原則禁止であり(新入生に仲代本人が説明する場面がある)、塾生(でいいのだろか)は常に俳優としてのスキルを上達させることが望まれる。
第31期生は2017年の入塾ということで、新型コロナによる中断を経て、2021年の11月に、総決算ともいえる「左の腕」(松本清張原作、仲代達矢の演出。能登演劇堂ほかでの上演)に全員が出演することとなる。

無名塾は自主稽古が多く、無名塾の先輩からの指導で稽古をすることも比較的多く、仲代が年4回ほどの直接指導を行う。

仲代は、「俳優はアスリート」と考えを持っており、身体訓練は自主的に行うことが求められる。第31期生も、近くの砧公園でランニングを行い、それぞれが成長を自覚しているようである。

養成課程修了後に関しては仲代は、「自由にしていい。ただ演劇は続けて欲しい。技術が必要になるから」と述べている。

4人の演劇観もそれぞれ異なり、小劇場指向で、「お金のために演技をしたくない。稼ぐにはアルバイトがあるので」と昔ながらの舞台俳優としての生き方を志すメンバーもいた。

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2022年11月 3日 (木)

これまでに観た映画より(313) ドキュメンタリー映画「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」

2022年10月28日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」を観る。現在、京都市京セラ美術館で開催されている「ボテロ展」に合わせて公開されているものである。2018年の制作で、監督はドン・ミラー。バンクーバーを拠点とするカナダ人スタッフを中心に制作されている。フェルナンド・ボテロ本人を始め、ボテロの実子や孫などが出演し、コメントをしたりインタビューに応えたりしている。キュレーターや評論家といった絵画・美術の専門家も多数登場する。

3人兄弟の次男として生を受けたフェルナンド・ボテロ。父親は商売人であり、馬にまたがって商品を運んだりしていた。だがボテロが4歳の時に心臓発作で他界。母親は女手一つで3人の子どもを育てることになる。母親には裁縫の才があり、お針子として生計を立てていたが、収入は十分ではなく、ボテロは中学生の頃から新聞の挿絵などを描くアルバイトに励んでいた。ボテロの夢は世界一の画家になることだったが、生まれ育ったメデジンには絵画の教育を受けるのに十分な機関が存在せず、ボテロはヨーロッパに渡ることになる。

ボテロの画風の特徴であるふっくらとした「ボテリズム」は、直接的にはメキシコでマンドリンを描いている時に着想を得たものだが、若い頃、フィレンツェ滞在中に数多く触れたルネサンス期とその少し前のイタリア絵画に影響を受けていることがこのドキュメンタリーを見ていると分かる。ボテロの絵を見ているだけでは関連性に気づかなかったが、ルネッサンス期の絵画は確かにふくよかなものが多い。

ボテロはその後も成功を求めてニューヨークやパリなどに移り住み、絵画を制作。決して順風満帆という訳ではなく、作品を酷評されることも多かった。だがニューヨークで活動をしていたある日、隣に住んでいた画家のところにMoMAことニューヨーク近代美術館のキュレーターが来ており、その画家が、「隣にも画家がいるからついでに見て行きなよ」と言ったため、キュレーターがボテロのアトリエに来たのが成功へと繋がる。MoMAで行われたボテロの個展は大成功を収める。実の子ども達と語り合うシーンで、「私がその時留守だったら運命は変わっていた」とボテロは述べている。

この映画にはこの手のドキュメンタリーとしては珍しく、ボテロの作風を「マンガ的」などと否定的に捉える評論家のコメントなども取り上げられている。
また、「分かりやすいから成功したと思われるようだがそうではない」という専門家の意見も聞くことが出来る。

子ども達や孫達はボテロの成功を夢見ての努力を賞賛しているが、ボテロ本人のコメントは面白いことにそれとは異なっており、「成功したか失敗したかは問題じゃない」として、「とにかく描くことが人生」だとボテロは心の底から思っているようである。描くことで学ぶことが出来、日々発見がある。存命中の画家としては世界で最も有名という評価もあるが、老境に入った今は若い頃と違って名声をいたずらに求めるのではなく、絵と芸術に向かい合うことが何より幸せな時間であると実感していることが伝わってくる。

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2022年8月16日 (火)

これまでに観た映画より(306) ドキュメンタリー映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」

2022年8月12日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」を観る。アメリカを代表するバンドであったビーチボーイズのリーダーにしてヴォーカル、ベース&キーボード、作詞・作曲、プロデューサーを一人で手掛けたブライアン・ウィルソン。「God Only Knows(神のみぞ知る)」はポール・マッカートニーから「ポピュラー音楽史上最高の傑作」と称されるなど、「真の天才」と誰もが認める大物ミュージシャンでありながら、天才音楽家ゆえの繊細さから精神を病み、また麻薬中毒に苦しんで長期に分かってキャリアを絶つことになってしまう。近年はまた積極的にライブ活動を行っており、エルトン・ジョン、グスターボ・ドゥダメル(ベネズエラ出身の指揮者)、ブルース・スプリングスティーンなどジャンルを超えたミュージシャン達がブライアンを激賞している。ハイライトとなるのは、ハリウッド・ボウルでのライブであるが、客席にいるドゥダメルの姿が映っている(ドゥダメルはハリウッドに近いロサンゼルスのフィルハーモニックの音楽監督を務めている)。

ブライアン・ウィルソンは本当に特別な才能で、ビーチボーイズのメンバーには実弟のデニスとカールがいるが、音楽家としての才能はブライアンが飛び抜けている。「サーフズ・アップ」などを聴けばそれは明白である。
しかし、ブライアンの音楽活動からの離脱は比較的早く、ビーチボーイズのアルバム「ペット・サウンド」を巡るバンド内での争いに疲れたブライアンは、ツアー中にパニック発作に襲われ、ライブ活動を見合わせることになり、その後の精神的不調を診ることになった精神科医ユージン・ランディの職権乱用(最終的にはランディは、「ブライアンへの不適切な処方を行った」ことで医師免許を剥奪されることになる)に振り回されることになる。

本作品でドライブの相棒的存在を務めるジェイソン・ファイン(元「ローリング・ストーン」誌編集者)と知り合った直後も自宅で冷蔵庫の中に隠れていたことがあったそうで(ポール・マッカートニーとの初対面時にも同じようなエピソードがあったはずである)、精神状態がなかなか安定しないことが分かる。

そんな中でブライアン・ウィルソンは音楽活動を続けている。ルーティンワークではなく、様々な新しい実験を行いながらである。この人は音楽に愛された男であり、音楽しかないのだということがありありと伝わってくるドキュメンタリー映画である。

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2022年8月11日 (木)

これまでに観た映画より(305) 「BLUE ISLAND 憂鬱之島」

2022年8月2日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「BLUE ISLAND 憂鬱之島」を観る。自由と民主を求める香港を舞台に、文化大革命、六七暴動、天安門事件によって香港へと亡命した人々や、香港を題材に撮影されているドラマなどを追ったドキュメンタリー。
監督・編集:チャン・ジーウン。香港と日本の合作で、プロデューサーは香港からピーター・ヤム、アンドリュー・チョイ、日本からは小林三四郎と馬奈木厳太郞が名を連ねている。映画制作のための資金が足りないため、クラウドファンディングにより完成に漕ぎ着けた。

「香港を解放せよ」「時代を革命(時代革命)せよ」というデモの声で始まる。
そして1973年を舞台としたドラマの場面。一組の若い男女が山を越え、海へと入る。文化大革命に反発し、香港まで泳いで亡命しようというのだ。この二人は実在の人物で、現在の彼ら夫婦の姿も映し出される。旦那の方は老人になった今でも香港の海で泳いでいることが分かる。

1989年6月4日に北京で起こった第二次天安門事件。中国本土ではなかったことにされている事件だが、当時、北京で学生運動に参加しており、中国共産党が学生達を虐殺したのを目の当たりにして香港へと渡り、弁護士をしている男性が登場する。本土ではなかったことにされている事件だが、香港では翌年から毎年6月4日に追悼集会が行われていた。それが2021年に禁止されることになる。男性は時代革命で逮捕された活動家や市民の弁護も行っているようだ。

六七暴動というのは日本では知られていないが、毛沢東主義に感化された香港の左派青年達が、イギリスの香港支配に反発し、中国人としてのナショナリズム高揚のためにテロを起こすなどして逮捕された事件である。
劇中で制作されている映画の中では、当時の若者が「自分は中国人だ」というアイデンティティを語る場面が出てくるが、その若者を演じる現代の香港の青年は、「そういう風には絶対に言えない」と語り、自らが「香港人である」という誇りを抱いている様子が見て取れる。1997年の返還後に生まれた青年であり、小学校時代には、「自分達は中国人」という教育を受けたようだが、今は中国本土からは完全に心が離れてしまっているようである。皮肉なことに現在は六七暴動とは真逆のメンタリティが香港の若者の心を捉えている。

青年達は、中国共産党の独裁打倒と中国の民主化を求めている。

だが中国共産党と香港政府からの弾圧は激しく、この作品に出演している多くの市民が逮捕され、あるいは判決を待ち、あるいは亡命して香港を離れている。

ラストシーンは、彼ら彼女らが受けた判決が当人の顔と共に映し出される。多くは重罪である。治安維持法下の日本で起こったことが、今、香港で起こっているようだ。歴史は繰り返すのか。

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2022年7月24日 (日)

これまでに観た映画より(302) ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」

2022年7月21日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」を観る。今年で96歳になる世界最高齢元首のエリザベス女王(エリザベス2世)の、即位前から現在に至るまでの映像を再構成したドキュメンタリーである。時系列ではなく、ストーリー展開も持たず、あるテーマに沿った映像が続いては次のテーマに移るという複数の断章的作品。

イギリスの王室と日本の皇室はよく比べられるが、万世一系の日本の皇室とは違い、イギリスの王室は何度も系統が入れ替わっており、日本には余り存在しない殺害された王や女王、逆に暴虐非道を行った君主などが何人もおり、ドラマティックであると同時に血なまぐさい。
そんな中で、英国の盛期に現れるのがなぜか女王という巡り合わせがある。シェイクスピアも活躍し、アルマダの海戦で無敵艦隊スペインを破った時代のエリザベス1世、「日の沈まない」大英帝国最盛期のヴィクトリア女王、そして前二者には及ばないが、軍事や経済面のみならずビートルズなどの文化面が花開いた現在のエリザベス2世女王である。

イギリスの王室が日本の皇室と違うのは、笑いのネタにされたりマスコミに追い回されたりと、芸能人のような扱いを受けることである。Mr.ビーンのネタに、「謁見しようとしたどう見てもエリザベス女王をモデルとした人物に頭突きを食らわせてしまう」というものがあるが(しかも二度制作されたらしい。そのうちの一つは頭突きの前の場面が今回のドキュメンタリー映画にも採用されている)、その他にもエリザベス女王をモデルにしたと思われるコメディ番組の映像が流れる。

1926年生まれのエリザベス2世女王。1926年は日本の元号でいうと大正15年(この年の12月25日のクリスマスの日に大正天皇が崩御し、その後の1週間だけが昭和元年となった)であり、かなり昔に生まれて長い歳月を生きてきたことが分かる。

とにかく在位が長いため、初めて接した首相がウィンストン・チャーチルだったりと、その生涯そのものが現代英国史と併走する存在であるエリザベス女王。多くの国の元首や要人、芸能のスターと握手し、言葉を交わし、英国の顔として生き続けてきた。一方で、私生活では早くに父親を亡くし、美貌の若き女王として世界的な注目を集めるが(ポール・マッカートニーへのインタビューに、「エリザベス女王は中学生だった私より10歳ほど年上で、その姿はセクシーに映った」とポールが語る下りがあり、アイドル的な存在だったことが分かる)、子ども達がスキャンダルを起こすことも多く、長男のチャールズ皇太子(エリザベス女王が長く生きすぎたため、今年73歳にして今なお皇太子のままである)がダイアナ妃と結婚したこと、更にダイアナ妃が離婚した後も「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を手放そうとせず、そのまま事故死した際にエリザベス女王が雲隠れしたことについて市民から避難にする映像も流れたりする。この時は、エリザベス女王側が市民に歩み寄ることで信頼を取り戻している。

その他に、イギリスの上流階級のたしなみとして競馬の観戦に出掛け、当てて喜ぶなど、普通の可愛いおばあちゃんとしての姿もカメラは捉えており、おそらく世界史上に長く残る人物でありながら、一個の人間としての魅力もフィルムには収められている。

「ローマの休日」でアン王女を演じたオードリー・ヘップバーンなど、エリザベスが影響を与えた多くのスター達の姿を確認出来ることも、この映画の華やかさに一役買っている。

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2022年7月21日 (木)

これまでに観た映画より(301) ドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」

2022年7月15日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」を観る。ロシアのプーチン大統領の唯一の対抗馬的存在であるアレクセイ・ナワリヌイに密着したCNNのドキュメンタリーである。監督はダニエル・ロアー。

プーチンの事実上の独裁が続くロシア。数少ない反プーチンの実力者がアレクセイ・ナワリヌイであるが、そのナワリヌイがノヴォシヴィルスクからモスクワに向かう飛行機に搭乗中に毒殺されかかるという衝撃的な出来事が起こる。飛行機は途中の空港で緊急着陸、ナワリヌイは入院するが、ユリア夫人はロシアの病院は信用出来ないと各方面に訴え、ドイツのメルケル首相が受け入れを表明。ナワリヌイはベルリンの病院に入院し、快復することになる。暗殺未遂に使われたのはノビチョクという毒物であり、モスクワにある研究所がノビチョクを使った劇物の製造を行っていたことが分かる。この研究所と手を組んだプロの暗殺集団がノヴォシビルスクからモスクワに向かう飛行機に搭乗していたことも判明。ナワリヌイ達は、支援者である情報解読のスペシャリスト達と共に、毒殺未遂事件の真相を追うことになる。

研究所の化学者の一人が、電話の向こうのナワリヌイ達を味方と信じて概要を漏らしてしまうシーンなどは、一級のサスペンスやスパイ映画を観ているようであるが、これはフィクションではなく(編集でブラッシュアップされているだろうが)ドキュメンタリー映画で、実際に起こっていることがカメラに収められているのだと思うと底知れぬ恐怖を覚える。極めて面白いドキュメンタリー映画であるが、これほど面白いドキュメンタリー映画は実は制作されないのが最上というアイロニーも感じる

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2022年5月11日 (水)

これまでに観た映画より(293) 「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」

2022年5月6日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」を観る。監督:ハリナ・ディルシュカ、撮影:アリシア・パウル、ルアーナ・クニップファー。ドイツ映画であるが、ドイツ語、英語、スウェーデン語の3カ国語が用いられている。

カンディンスキーらに先駆けて抽象画を生み出したスウェーデンの女流画家、ヒルマ・アフ・クリントの生涯とその謎に迫る、再現VTRなどもまじえたドキュメンタリーである。

カンディンスキーらが抽象画を発表したのは1910年代であるが、ヒルマ・アフ・クリントは、それよりも前の1906年に初めて抽象画の系譜に入る絵画を創作している。だが、当時、ヒルマの抽象画はほとんど認められず、ヒルマもつましい生活のまま82歳で世を去り、甥のエリックに、「晩年の作品は死後20年公開しないように」との遺言を残した。

ヒルマ・アフ・クリントが生まれたのは、1862年。代々海軍士官を務める貴族の家に生を受けた。当時、スウェーデンの貴族の娘が長年独身でいるケースが目立っており、「自立させる」ための絵画教育を施すことが流行っていた。ヒルマもこれの波に乗り、スウェーデン王立美術院に学んで、卒業後は伝統的な絵画を描くことで職業画家として自立。ストックホルムの当時の中心部にアトリエを与えられ、純粋な絵画作品の他に、病院などで用いられる実用的な作品も手掛けていた。

当時のスウェーデンでは降霊術が流行っており、ヒルマも降霊術のサークルに参加している。同じサークルにのちに劇作家となるストリンドベリも参加していたそうだが、その時は互いに有名になる前だったため、接点らしい接点はなかったようである。

やがて神秘主義に傾倒したヒルマは、志を同じくする女性芸術家達と「5人」という芸術集団を結成。啓示を受け、降霊などにインスピレーションを得た絵画を創造することになる。

「降霊などにインスピレーションを得た」などと書くといかにも怪しそうだが、シャーロック・ホームズ・シリーズで知られるサー・アーサー・コナン・ドイルも降霊術に傾倒していたことで知られているように、降霊に興味を持つことは世界的な風潮でもあった。スウェーデンは、その名もずばりエマヌエル・スウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)という、世界史上最大級の心霊学者が生まれた国でもある。
また、科学が一大進歩を遂げる時代でもあり、原子や波動などの発見があり、「世界そのものを描きたいなら見えるように描いてはいけない」という科学からの影響も大きかった。

ただ、新しいものは往々にして受け入れられない。ヒルマの新しい絵画は仲間の女性芸術家2人から否定的に受け取られ、ヒルマが理解を求めた神秘思想家のルドルフ・シュタイナーからも色よい返事は貰えず、シュタイナーと会った1908年から4年ほどは創作自体を行っていない。

当時はスウェーデンでもまだ、「女性は結婚したら家庭に入り、仕事は辞めるべき」という風潮があり、女性が芸術家として生きていくことは難しい時代。そして、美術史は男性画家の歴史であり、女性の作品というだけで価値以前の扱いを受けていた。

こうして、カンディンスキーやモンドリアンといった男性の抽象画家が注目を浴びる中、ヒルマは埋もれた存在となっていく。これまでヒルマは生前に展覧会を開いたことはないとされていたが、実はロンドンで一度だけ個展を開いていることが分かったそうだ。
売れない画家として後半生を送ったヒルマ。彼女が生活していけたのは、芸術団体「5人」のメンバーで、富豪の娘であったアンナ・カッセルによる援助があったためとされている。

ところが、2019年、ヒルマは突如として脚光を浴びる。没後20年が経過し、ヒルマの抽象画も世に出るようになるが、最初のうちは、「降霊術の絵なんて興味はない」と断られたりもしていた。しかし、各地の展覧会での好評を受けて、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で行われた回顧展が大評判となり、同美術館史上最高となる約60万の来場者を記録。マスコミ各紙からも絶賛される。

ただ大成功したからといって、美術的な価値が診断されるには20年から30年掛かるそうで、ヒルマがこのまま偉大な画家との評価が定まるかどうかは不確定であるが、このドキュメンタリーに出演した多くの専門家は、美術史の書き換えに肯定的な意見を述べている。

彼女の作品は巨大であり、実物を観ないことには、そのエネルギーは感じられないであろうことが察せられる。一度は実作を目にしてみたくなる。

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