カテゴリー「ドキュメンタリー映画」の58件の記事

2026年1月30日 (金)

これまでに観た映画より(426) 「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto」4Kレストア版

2026年1月17日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口南西にあるイオンモールKYOTO内の映画館、T・ジョイ京都で、ドキュメンタリー映画「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto 4Kレストア版」を観る。上映時間62分の中編。フランス映画である。監督はエリザベス・レナード。1986年の作品だが、撮影自体は1984年に行われている。YMO散開直後であり、坂本は大島渚監督のオール・メイル・キャスト映画「戦場のメリークリスマス」の音楽が高く評価されて、アメリカではなくイギリスのアカデミー賞作曲賞を受賞。この映画の中にも映画「戦場のメリークリスマス」の場面が挿入されている。

1952年1月17日に東京都中野区に生まれた坂本龍一。東京都世田谷区に育ち、都立新宿高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。その後、同大学大学院音響研究科で、電子音楽やコンピューター音楽などを学んでいる。学生運動を行い、授業には余り出なかったそうだが、民族音楽の小泉文夫には多く学び、また作曲の師である三善晃から得たものも大きいことが作品を聴くと感じられる。
本当は大学院に進む気はなく、「社会には出たくない」ので留年しようと思っていたが、指導教員(誰なのかは不明)から、「留年は駄目だ。お前は卒業するか大学院に行くかどっちかにしろ」と言われ、大学院進学を選んでいる。望んで進んだわけではないが、これが愛称の「教授」に繋がる。大学院在学中に友部正人と出会い、レコーディングに参加。当時としては破格のギャラに驚喜し、バックバンドのミュージシャンとしてスタートすることになる。

最初にドビュッシーの言葉がフランス語で語られる(この作品は全編英語字幕付き)。“I am working on things that will only be understood by the grandchildren of the twentieth century.”。坂本はおもちゃの銃で遊んでいる。
坂本のアルバムの中でもマイルストーン的な1枚である「音楽図鑑」の制作に取材班は密着し、それ以外に坂本へのインタビューや思考を聞きだし、明治神宮や浅草寺の祭りなど、東京的な要素の濃い場所でロケを行っている。
当時の東京には、自動改札は勿論なく、駅員が切符を切っている。原宿では竹の子族が踊っているが、ダンスのレベルは今の若い人に比べるとかなり低い。今の若い子は、小学校の授業でダンスを学んでおり、誇張でなく竹の子族の何十倍も高度な動きとスピードでダンスを行っている。本当に隔世の感である。

坂本龍一が、新宿アルタの液晶ビジョンが見える位置に立つと、YMO時代の「体操」や「Behind the Mask」のPROPAGANDAライブ時の映像がビジョンに映る。

後年、坂本は若い頃の自分について、ヘッドバッドを行うポーズをして、「生意気だった」「(YMO結成の時も)時間があったらやります」「年取って(そういうことがなくなって)良かった」と述べている。

この頃は30代前半(厳密に書くと32歳)だが、父親への反発から文学書よりも思想書を多く読んでいたという坂本は、鋭さを特に隠そうとはしていない。

1から10まで、順番に作曲するのが音楽というのがそれまでの作曲法だったが、坂本はそれに疑義を呈し、部分部分を作曲して保存し、次の部分とつなぎ合わせるというシャッフリングのような発想をしていることが分かる。村上春樹が1985年に発表した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にもシャッフリングは登場するので、そういう発想をする人が多い時代だったのだろう。
シンセサイザーで作曲をする坂本だが、この時代のシンセサイザーの性能は今のおもちゃ以下。フロッピーディスクをLPレコードサイズにしたようなメモリーディスクを何枚も使い、音色の変更はメモリーディスクに入っているものの中からセレクトして行う。今なら適当な電気店で買った安いキーボードでも音色のチェンジは簡単に出来る。そう思うと、1984年は思っているよりも遙かに昔ということになるようだ。ちなみにCDの発売は、1985年なので、スクリーンの向こうの世界にはまだCDというものは存在しない。
明治神宮の神苑に似た場所で、坂本は「歩き煙草禁止」「順路→」という立て札の前を煙草を吸いながら逆方向に進んでいく。反骨精神を表しているようだ。今は「歩き煙草禁止」じゃなくて「禁煙」の立て札になっているだろう。
ちなみに明治神宮での祭りで鼓が打たれるが、鼓に近い音もメモリーディスクには入っている。

影響を受けた人物として坂本は、様々な作曲家を挙げた後で、哲学者・思想家の吉本隆明(「たかあき」ではなく有職読みで通称の「りゅうめい」で答えている)を挙げた。
一方で、「クラシックよりビートルズを先に聴いていたらクラシックには行かなかったかも知れない」と述べている。

坂本が作曲した作品以外に流れるのは、坂本が愛したフランスの作曲家の作品。ドビュッシーの「子供の領分」より第1曲“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”、サティのグノシエンヌ第1番などだ。

YMO時代の中でもとりわけ有名な作品である「東風」は、PROPAGANDAライブの時のものと、矢野顕子とのピアノ連弾のものが採用されている。

なお、坂本はたまに眼鏡を掛けているが、後に老眼になるまで視力1.5なのが誇りだったと語っているため、伊達眼鏡である。老眼になってから丸眼鏡を掛けるようになり、「お洒落」と評判になったが、フランスの作曲家には丸眼鏡を愛用していた人が何人かいるため、影響を受けたのかも知れない。

坂本は、店舗で掛かるBGMについては、「最初から聴かないで次の階に行ったらまた別の音楽に変わる」として、音楽の聴き方が変わるという予兆を感じている。ただ、音楽の聴き方については現時点では激変はしていないように思う。ソフトから配信が主流になったりはしているが、基本的には好きな音楽を最初から最後まで聴く人の方が多いだろう。

1984年、バブル前夜。日本が上り調子の時代である。GDP(当時GNP)は世界第2位。1位のアメリカを脅かす勢いで、「Japan as No.1」と呼ばれるのが、1985年頃である。坂本も東京を「資本主義の最先端」と呼んでいる。まさかここまでひどい国になってしまうとは誰も予想していなかっただろうが、YMOも世界初のサンプリングを駆使したアルバム「テクノデリック」を発表するなど、世界最先端の音楽を作っていた。世界音楽史上、日本のミュージシャンが世界最先端の地位に躍り出たのはおそらくこの時だけだっただろう。

アルバム「音楽図鑑」の収録曲は、「M.A.Y. IN BACKYARD」と「マ・メール・ロワ」、ラストに演奏される「SELF PORTRAIT」がメインだ。それ以外の楽曲では、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」が教授によるピアノソロと、映画の場面をセレクトして流れる。

その後、坂本は「ラストエンペラー」の音楽で、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡)と共にアメリカのアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる(なお、この時、エンニオ・モリコーネが落選し、作曲者を大いに落胆させた)。
だがこれはまだ坂本龍一が世界的に知られる前の映像である。

この時の坂本は、整然としたものではなく、そこからこぼれ落ちたもの、はみ出たものなどに興味を持っていたようで、ノイズなどを取り入れた音楽に繋がって行くのかも知れない。アルヴァ・ノト(カールハインツ・ニコライ)との作業はまさにそんな感じだ。

ニューヨークに転居して世界的な活動を始める坂本。ニューヨーク転居については矢野顕子が強く望んだもので、その理由については知っている人は知っているので詳しくは書かない。村上龍はテレビ番組で「亡命していった」と語っていたが、坂本はそれも否定している。

一方で、東京に対する落胆は増していったようで、自伝『音楽は自由にする』では、東京に対して、「限界に来ている」「家賃が高すぎる」「誰が住むか」と露骨に嫌悪している。「東京じゃない、家賃の安い場所から新しいものが生まれる」という予感もあったそうで、最後の方では、「京都あたりに住んでみようかと思っている」と述べている。これは絵空事ではなく、実際に京阪神地域を愛したデヴィッド・ボウイが手に入れていた九条山の土地を買ったか、買おうとした動きがあったようである。だが、癌になったことで京都移住は夢と終わった。

東京に生まれ、東京に育ち、東京で学び、東京で仕事をしてきた坂本龍一。「東京はもう駄目だ」とまで宣告したようなものだったが、最後の癌の治療は主治医が東京にいたため、東京に仮住まいし、東京の病院で手術を受け、東京の病院で亡くなった。そして何よりも、本人は否定するかも知れないが、彼は東京が似合う男だった。

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2025年12月28日 (日)

これまでに観た映画より(419) ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」

2025年12月10日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」を観る。NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一最期の日々」でも使われた映像を中心に未公開映像などを加えて再編集したもの。監督:大森健生(おおもり・けんしょう)。朗読:田中泯。出演:坂本龍一ほか。

2023年3月28日に71歳で他界した坂本龍一。父は日本大学文学部(現在の文理学部)出身で、敏腕編集者の坂本一亀(かずき。あだ名は「いちかめ」さん)。帽子デザイナーであった母親の敬子も父親同様、日本大学出身という家に生まれており、東京芸術大学に受からなかったら、日本大学藝術学部に行こうかと考えたこともあるようだ。母親が日藝出身ということもあるが、高校時代から学生運動に参加していた坂本は、「学生運動では日大全共闘が一番ぶっ飛んでたからね」と語っており、音楽とは特に関係のない理由もあったようである。
だが、やはり親の影響はあるようで、自伝では、都立新宿高校時代の進路志望について、「まず『東大』と書く。続いて『芸大』と書く。最後に『日大』と書く」と明かしている。前2校と日大とは日藝とはいえブランドにかなり差がある。坂本一亀は厳父で龍一は父と口を利くこともほとんど出来なかったそうだが(死後に息子が出た雑誌などは全て買い、スクラップ収集していたことが分かる)、龍一はかなりのマザコンであることを隠そうとはしていないため、母親の母校に愛着を持っていたようだ。私も法政大学出身の父親の影響で、明治大学か法政大学に行きたいと思っていたので、親の影響は大きい。

坂本龍一が癌により、「余命半年」の宣告を受けたのはコロナ禍の最中である2020年12月11日のこと。坂本はその日の日記に、「死刑宣告だ」「俺の人生終わった」と書き記している。翌日は、生配信コンサートであった。私もリアルタイムでこのピアノコンサートを聴いており、特に変わったところは感じなかったが、このとき、坂本龍一は頭が真っ白で、なんとなく始まりなんとなく終わったという感じで、演奏の記憶がほとんどなかったということを後に語っている。坂本は主治医に「あと10年は音楽をやりたいので」と告げ、闘病生活に入った。

このとき、坂本龍一は長時間にわたるインタビューを何度も受けていた。自伝『音楽は自由にする』に続く第2弾の刊行を予定していたのだ。『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』いうタイトルで、映画音楽を担当した「シェルタリング・スカイ」でラストに登場する原作者のポール・ボウルズの語る言葉に由来している。そのため、「シェルタリング・スカイ」のテーマだけは、全曲、坂本のピアノ演奏姿が収められている。他にも有名曲はたくさん登場するが断片が多く、「シェルタリング・スカイ」だけは自伝のタイトルと密接に結びついているということで別格の扱いだ。ポール・ボウルズによる朗読も流れる。
坂本龍一は、いくつも著書を出しているが、自分で一から書くのではなく、インタビューを受けて、その中からライターに抜粋と再構成を依頼するというのが常である。多くが語り口調で書かれているのはそのためだ。このときには鈴木正文がインタビュアーを務めていた。

2019年。坂本はニューヨークの自宅の庭に古くなったピアノを運び出し、ピアノの音色と共に雨の音にも耳を澄ませた。ここから坂本龍一の自然音への傾倒が始まるのだが、病気が重いときには体力がないので音楽を聴くことが出来ないというのもその理由だった。YouTubeで雨音を何時間も聴き続けたりした。
坂本龍一というと、コンサート会場に武満徹弾劾のビラを撒きに行き、そこに武満徹が来て、「これ撒いたの君?」と聞かれた話が知られている。私はてっきり東京芸大から近く、武満ら日本現代音楽家の作品演奏がよく行われていた東京文化会館でのことだと思い込んでいたのだが、実際に初めてのビラは東京文化会館小ホールで撒かれている。だが実はビラ撒きは何度も行われていて、武満とやり取りを行ったのは長野県軽井沢町での音楽祭でのことだそうである。わざわざ軽井沢まで出向いたということになる。それほど武満が憎かったのか、暇だったのか分からないが、後年、作曲家となった坂本は武満と再会。武満は、「ああ、あの時の君ね」と坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と称賛。坂本は「あの武満さんに褒められた」と有頂天になったことを明かしている(NHKスペシャル「武満徹の残したものは」)。その後、坂本は武満の作品に真正面から向かい合い、共感してもいくのだが、自然音を愛するという武満と同じ境地にたどり着いたことになる。ちなみに坂本のニューヨークの家の本棚には武満徹の著作集全5巻が並んでいた。

武満徹は、ポール・マッカートニーを理想の作曲家とし、メロディーメーカーを目指して作曲に取り組んだが、意に反して「響きの作曲家」として評価されることになる。独特の色彩美と清浄さを兼ねたメロディーがあり、ここから新たな地平が開けるのではないかと感じさせた「系図 若い人のための音楽詩」を発表したが翌年に死去した。
一方の坂本龍一は稀代のメロディーメーカーであり、ポピュラー楽曲や映画音楽で、一聴したら忘れられないほど印象的なメロディーをいくつも書いた。大ヒットした「energy flow」なども全く苦労することなく短時間で書き上げている。坂本はアンビエントミュージックも書いているが、やはり今後、新たな作風が生まれようかという時になって世を去ることになった。
あるいはそれが作曲家の宿命なのかも知れない。

癌克服のために坂本は様々な試みを行っている。
新潮新書から出た『世界が認めた和食の知恵 マクロビオティック物語』という食事法に感銘を受けた坂本は、新書の帯にメッセージを寄稿しているが、その後、「マクロビオティックさえ行っていれば健康になると思っていたら癌になってしまい、反省している」とも述べている。そのためか、食事療法のようなものは行っていない。日記にも「みかんが食べたい」「ショートケーキが食べたい」など、シンプルな記述があるのみだ。

坂本は「雲」を愛した。ドビュッシーの管弦楽曲「夜想曲」第1曲である。ピアノで冒頭を弾いて、「この浮遊感」と惚れ惚れとした表情を浮かべていたこともある。ドビュッシーの弦楽四重奏曲にも衝撃を受けた坂本は本気で「自分はドビュッシーの生まれ変わりかも知れない」と言って笑われたこともあるそうだ。坂本龍一は入院している病院の窓から見た雲についての記述も行っている。

手術を受けては、東京の白金に設けた仮の新居で作曲をする日々。日記のように綴られる音楽は、やがて「12」という12曲入りのアルバムとなり、これが坂本龍一の音源での遺作となった。無題未完成に終わった作品もいくつかある。

坂本龍一は、文字での日記も残しており、田中泯によって朗読されるが、小さなメモ帳に日付と短い文が書かれたもので、文学的なものではない。それこそメモと言った方が良いかも知れない。田中泯は淡々とした朗読を行う。俳優としてドラマティックに読むことも出来るはずだが、そうすると坂本龍一のものではなく田中泯のものになってしまう。ということで、朗読ではあるが、声よりも教授の書いた文字が観客に突きつけられるようなスタイルとなっている。

坂本龍一の死までの3年半という長い歳月が映像に収められているのは、次男(実子としては長男)が映像作家だから可能になったことである。飾らない態度で映っているのも息子がカメラを向けているからだ。余命宣告を受けてからの作曲家の活動を捉え続けた映像作品はほとんどない。その点でも貴重な作品といえる。

「教授」というあだ名で知られながら、教育活動にはほとんど関わってこなかった坂本龍一。芸大でも少しだけ教えたことがあったことが自伝に書かれているが、東日本大震災発生を受けて、自ら代表・音楽監督として組織した東北ユースオーケストラとの活動についての映像も登場する。東北ユースオーケストラと坂本龍一の活動は、NHKがドキュメンタリー番組として制作しているので、そちらに詳しいが、この映画でも東京・溜池山王のサントリーホールでの定期演奏会に顔を出した様子(このときにはもう演奏出来るだけの体力はない)や、死の前日に東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で行われた東北ユースオーケストラの演奏を病床でスマートフォンを観て確認する様が映されている。スマートフォンに向かいながら坂本は指揮を行っていた。タケミツホールとも呼ばれるこのホールでの演奏を見ることになるのも何かの因縁かも知れない。

作曲家の役割は当然ながら曲を作ることだが、東北ユースオーケストラのメンバーもまた坂本の創造物だろう。

NHKの503スタジオで、1日数曲ずつの収録を行い、自ら「これで最後」と語ったピアノコンサートを作り上げた坂本龍一。実際、これが演奏家としての最後の仕事となった。

病床で4人の子どもと語らった坂本龍一。次女(有名な人だが、「Last Days」同様、実名は出ない)に「幸せな人生だった」と坂本は語っている。

それを受けて、エンディングには「Happy End」が流れた。


2023年3月28日午前4時32分。雨の朝、東京に死す。

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2025年12月22日 (月)

これまでに観た映画より(417) ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode2 ミュージシャン・アハマドのメッセージ」

2025年12月17日 烏丸御池のアップリンク京都にて

烏丸御池のアップリンク京都で、ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode2 ミュージシャン・アハマドのメッセージ」を観る。Episode1の主人公の名もアハマドであり、アラブ系の男性は同じファーストネームの人がかなり多いようである。イスラム教の聖人から取るケースが多いからだと思われる。西欧やアメリカもキリスト教の聖人の名前から取ることが多いので、ファーストネームの種類は多くない。彼らが、苗字も名前も膨大にあるという日本の事情を知ったら驚くだろう。更に日本の場合は、キラキラネームであるかどうかに関わらず新たな名前が生まれて増えていく。おそらく日本は名前に関しては世界一バリエーションに富む国だろう。

監督:ムハンマド・サウワーフ。ガザ地区の映像制作会社、アレフ(アルファ)マルチメディアとアップリンクの共同制作。

今回は、2025年7月12日に、ガザ市の無名戦士公園の避難民キャンプで撮影が行われている。この時はまだ停戦中であるが、ドローンからの空襲があったそうで油断出来ない状況である。前回、ガザ・イスラーム大学の跡地に作られた避難民キャンプで撮影が行われていたが、今回も「イスラーム大学が空襲された」という話が出てくる。ガザ・イスラーム大学のことだと思われる。通常は、大学は爆撃しても、攻撃する側も大して意味がないし、攻撃される側も大学は死守しなければいけない施設でもない。夜は誰もいないし、教室と食堂とその他、体育館やスポーツ施設、講堂など、攻撃しても相手にダメージは与えられない。それでも空襲したのは、ガザ・イスラーム大学がハマス指導者の母校だからだと思われる。腹いせにだろう。

 

今回、収録が行われた無名戦士公園の避難民キャンプはガザ市の西部にある。周辺は瓦礫の山だが、比較的高めのビルなどはあちこち撃たれているものの崩れていなかった。頑丈であるということも考えられるが、おそらく襲撃対象として後回しになったのだろう。ビルは見た目から判断するに企業のオフィスビルで、夜間に襲撃しても中には誰もいない。それよりは、人々が住む低い住宅を攻撃して打撃を与えようとしたのだと思われる。一般市民を標的にすることはあってはならないことだが、少なくとも第二次大戦以降は軍属よりも市民が犠牲になるケースが多い。

今回の主人公は、ミュージシャンのアハマド・アブ=アムシャ。5人の子を持つ父親でもある。これまで空襲に遭うこと12回、住居は3度変わって今は避難民キャンプにいる。家を3つほど持っていると取れるような発言をしているが、金持ちでないことは確かであるため、親族の家か何かだろうか? パレスチナの住宅事情については知識がないのでよく分からない。
元々いた住居が空襲で焼かれ、音楽スタジオに避難しようと思ったが、そこもグチャグチャになっており、避難民キャンプにも入れて貰えなかったが、端の方にテントを張ることが出来たそうだ。
アハマドは、イスラエルがガザ地区を攻撃するまでは、生活が出来る位の金を音楽で稼いでいた。彼はギターの弾き語りをする。だがガザ地区が攻撃されて、演奏活動などが出来なくなった。
それでもアハマドは、音楽をしている時だけは現実を忘れることが出来るため、音楽の効用を説く。避難所でも人々に楽器(ヴァイオリンやギター、民族楽器など)を教え、新しい曲を作詞・作曲する。少年がパレスチナの誇りを歌ったりする。
音楽が持つ力が描かれるが、同時に、怖ろしさも同居しているように思う。
大阪のザ・シンフォニーホールでプロムスのコンサートが行われ、トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団の演奏で、エルガーの「威風堂々」第1番が演奏され、「英国第2の国歌」と言われる中間部に詞が書かれたものを歌ったのだが、イギリス人でも何でもないのに気分が異様に興奮した。爽快だったが危険だとも思った。音楽には我を忘れさせる作用がある。アドルフ・ヒトラーは子どもの頃からのオペラマニアだった。音楽にどんな効果があるのか熟知していただろう。

基本的に、現地で撮影されたものを編集しただけであり、起伏はないので、ドキュメンタリーとしての面白さは求められない作品であるが、ガザの人々の生の声が聴ける稀少性を持つ。

最後にチラシに書かれたアハマドのメッセージ
「戦争の中でも歌い続ける これは一種の抵抗だ。歌い 教え 奏でることでほんの一瞬でも戦争の空気から俺たちを引き離してくれる。世界中の芸術家たちへ僕からのメッセージ 不正義に沈黙することは加担だ」

その後、再びイスラエルによる空爆が再開された。ガザ市にいることはもう出来ない。今、彼らはどうしているのだろう。

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2025年10月21日 (火)

これまでに観た映画より(408) ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode:1 アハマドの物語」

2025年10月8日 烏丸御池のアップリンク京都にて

烏丸御池、新風館の地下にあるアップリンク京都で、ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode:1 アハマドの物語」を観る。2025年5月21日に、ガザ市のガザ・イスラーム大学避難民キャンプ周辺で撮影された映像。制作資金はアップリンクが出し、撮影や編集はガザのアレフ・マルチメディアが担当している。監督はムハンマド・サウワーフ。

ガザ・イスラーム大学避難民キャンプとあるが、映像に大学のキャンパスらしきものは映らない。ガザ・イスラーム大学は、ハマス党首の母校であるため、2023年に空襲を受けている、おそらく憎き敵が出た大学だけに徹底的に破却され、跡地が避難民キャンプになっているのだと推測される。
周辺であるが、立派なビルが残っている一方で、ひしゃげた建物も多く、「半分破壊された」と語られる建物などもある。
避難民キャンプ住民の多くは、イスラエルのガザ地区北部攻撃宣言を受けて一度は南部に逃れたが、停戦状態となったのでガザ市に戻ってきているようだ。
主人公であるアハマドは、双子の兄弟の一人として育ち、共に7歳から体操を始めてガザ・サーカスに入り、バック転などのアクロバット技を得意としていた。アハマドにとって同じ日に生まれた兄弟のムハンマドはかけがえのない存在だった。
しかし、今年の3月。イスラエルが再びガザを攻撃すると宣言。アハマドの一家は逃げる用意をして、自転車に乗ったが、ムハンマドや叔父などはミサイルの直撃を受けて死亡。アハマドも両足と右手の指4本を失った。

今はまた停戦状態だが、上空をイスラエル軍のドローンが飛んでおり、蝿のような耳障りな音に、アハマドの母親は「夜も寝られない」と嘆いている。なお、アハマドの母親は、ドナルド・トランプ米国大統領の「ガザから原住民を一掃する」という宣言に、「家も建てたばかりだし」と反発している。アハマドは一時は亡命も考えたがトランプの発言により逆に反骨心をくすぐられたようで、ガザに残る気になった。いずれ義足が手に入ったらまた体操を始めるつもりだというアハマド。そして、義足で技が出来たら今度は義足なしで挑みたいと夢を語る。彼らは避難民だが、人生を諦めたわけではない。それどころか希望に燃えている。アハマドの弟であるクサイも連続バック転が得意で、いずれは兄と一緒に演技したいと思っているのだろう。
アハマドは車椅子に乗って外出。ガザの人々もiPhoneを使っていたり、アイスクリームを食べたりと、凪の時間をそれなりに楽しんでいるようである。

 

今日は私の他に観客はもう一人いるだけ。18時50分上映開始という観やすい時間だっただけに惜しまれる。

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2025年10月14日 (火)

これまでに観た映画より(406) ドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」

2025年10月11日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」を観ることにする。時間的にもピッタリだった。
ドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」は、2021年に行われた第18回ショパン国際ピアノコンクールの出場者に焦点を当てた作品である。
第18回ショパン国際ピアノコンクールは、5年に1回行われる同コンクールの中で、コロナ禍により1年開催が遅れた大会でもある。2025年10月現在、第19回ショパン国際ピアノコンクールが、4年おきになったが開催されている。今後は5年おきに戻る予定。

第18回ショパン国際ピアノコンクールでは、反田恭平が2位入賞、小林愛実(あいみ)が4位入賞を果たした年だが、二人ともドキュメンタリーの対象にはなっていないので、ほとんど映らない。小林愛美は、冒頭付近で名前を呼ばれるが、登場するのは終盤になってからである。入賞者全員の集合写真をスマホの内側カメラで撮ろうとしているのが小林愛実だ。反田恭平が現れるのも終盤で、入賞者に「人生でこんなにピアノ練習したの初めて」と語っている。
表彰式では反田も小林も当然ながら映っている。

牛田智大(うしだ・ともはる)の名前が呼ばれるシーンがあるが、本選には進めていない。牛田は今年のショパン国際ピアノコンクールにも出場し、より高い順位を狙う。

出場者の中には厳しいコーチがいて、何度も弾き直しさせたり別のメーカーのピアノを弾かせたりする。
一方で、プレッシャーからだと思うが、二次予選での演奏を取りやめ、棄権してしまうピアニストもいる。
興味深いのは、ラオ・ハオという中国人ピアニスト。同世代と思われる若い女性がアドバイスを送ったり励ましたり身の回りの世話を焼いたりと甲斐甲斐しく動いている。だからといって恋人ではなさそうだし、男女の関係にも今のところは見えない。彼女はハオの姉のようでもあり、母親代わりにも見える。とにかく仲が良い。不思議な二人である。女性の方もピアニストとしてコンクールに参加したことがあるのだが、準備が不十分で上手くいかず、自身の腕を磨くよりも有望なピアニストに賭けてみたいという思いがあるようだ。ただ将来的にもこの関係は続くのだろうか。

コンクールの優勝者は、中国系カナダ人のブルース・リウ。ハオの世話をしている女性が、「ブルース・リーみたい」と行っていたピアニストだ。だが、ブルース・リウも取材の対象ではなかったため、途中から姿を現すに過ぎない。成功者を追うドキュメンタリーではないのだ。
取材の対象となったのは、たまたまだと思うが、余り上手くいかなかったピアニスト達だ。ピアノの腕を競うことの過酷さ。それでもそれぞれにドラマがあり、想像もしたことがないような関係を築いている人々を見ることは世界の広さを知るようでもある。

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2025年10月 6日 (月)

これまでに観た映画より(403) 「Voice from GAZA ガザからの声 Episode:Now」

2025年10月3日 烏丸御池のアップリンク京都にて

烏丸御池、新風館地下のアップリンク京都で、「Voice from GAZA ガザからの声 Episode:Now」を観る。アップリンク代表の浅井隆によるアフタートーク付きでの上映。

「Voice of GAZA ガザからの声」は、アップリンクとガザ地区の映像会社との共同制作として今年に入ってから始まったドキュメンタリーによる政策作品で、映像を通してイスラエルのネタニヤフ政権を国際的に孤立させることで終戦に持ち込もうという狙いがあるようだ。今日のアフタートークは、アップリンク京都と東京都武蔵野市のアップリンク吉祥寺をネットで繋いで行われた。

イスラエルが、ガザ地区への本格攻撃を開始してから2年近くが経つが、それ以前からイスラエルとガザの関係はくすぶり続けてきた。だが、イスラム教原理派のハマスがガザ地区を制圧してからは、イスラエルも一気に態度を硬化させ、ガザのパレスチナ人掃討を狙い始める。
「ガザ地区の北部を攻撃するので住民は南部に移動するように」との突然の要求。そんなことに急に対応出来るはずがないのを承知で、一応は人道的措置をとったように見せかけるという本来の意味での姑息なやり方であった。

「ガザからの声」は、まず、今年の春に「Episode1」が撮られ、イスラエル軍の攻撃により手や足を失いながらそれでもスポーツ選手になりたいと夢見る少年が主人公。「Episode2」はガザ地区で音楽を教える男性の複雑な心境を描いたものだったという。再上映される予定のようだ。

戦争ものというと、軍人の英雄視と悲劇、住民の日常と惨劇などがよく描かれるが、戦時中ではあっても我々のように日常的に好きなものに打ち込んだり、夢や希望を描く人がいる。世界が小さくなり、ガザ地区と日本とで共同でのドキュメンタリー映画が制作出来るようになったから分かることも多く、我々は多くのものを見逃してきたのかも知れないと、今日のドキュメンタリー映画を観て思った。

本来は、「家族」をテーマにした「Episode3」として公開する予定だったが、10月の頭から再びイスラエル軍が軍事行為を活発化させており、ガザ地区の北部に「北部の残る者は容赦なく殺害する」と書かれた紙を空から大量にばらまき、またカッシ国防相が「ガザ市に残る者は全員ハマスのテロリストと見なす」という事実上の皆殺し宣言を行った。民間人は南部のハーンユーニス市に集まるよう指示されており、狭いところに追い込んで一気に殲滅という手は見えているのだが、今すぐ殺されないようにするためには向かう以外の選択肢はなく、何らかの助けの手が差し伸べられるのを待つしかない。
なお、パレスチナ住民には「パレスチナは今のままアラブ人のための土地にするよ」、ユダヤ人には「パレスチナの古代イスラエル王国とユダ王国があった場所に、ユダヤ人のための国を建国するよ」と二枚舌外交を行った真の悪玉であるイギリスは、パレスチナ自治州を国家と承認。フランスも追従した。
一方でユダヤが強い力を持つアメリカ(元々はWASP一強だったが、経済面でそれらを十八番とするユダヤ人が台頭。ナチスドイツがユダヤ人の迫害を始めてからは、ナチス勢力下にいた多くの有能なユダヤ人ビジネスマンや経営者がアメリカに亡命。世界一の経済大国の座を揺るぎないものにしている)はイスラエル支持。バラク・オバマ元大統領もXで「イスラエル人大量虐殺を行ったハマスが悪い」とかなり強い口調で批難のポストを行っている。
アメリカに守って貰っている立場の日本はこういう時には弱く、アメリカに従うしかないということで属国 であることを自ら現している。

多くの車が海沿いの道を北から南へと走っている。北爆(と書くとベトナム戦争のようなので北部攻撃と書くべきか)が予告されたため、南部の都市へと一家総出で脱出の最中なのだ。だが、道は狭く、北へ向かう車もいるため遅々として進まない。

そんな中、とある一家は車道の傍ら、海沿いの場所にテントを張ってそこで暮らすことに決める。日本と違い、ガザ地区の家は子だくさんであることが多い。隣にもテントがあったが、そこの住人も子ども達もすぐに彼らを受け入れている。アラブ人同士ならこんなにもスムーズなのだ。

子ども数人に対するインタビュー映像もあるが、みな、北部に住んでいて家を失い、ひどい人になると何度も何度も住む場所を焼かれたそうだが、それでも次の場所で元気に生きようと目をキラキラさせている。先進国の人達よりもこうした面では逞しい人が多いような気がする。

水であるが、海から調達する。「塩分を蒸発させなければいけないのでは?」、「濾過しないと飲めないのでは?」と思うが、普通に飲んで調理に使っている。地中海なので、太平洋や日本海、瀬戸内海などの日本の海とは塩分濃度が異なるのかも知れない。この辺はよく分からない。
土を掘っている、もう若くはない男性がいるが、そこに埋まっているビニール袋などをエネルギー資源に用いているそうだ。

目を輝かせて遊ぶ子どもたちや、父と幼い娘の姿を見ていると、ただ単に「ガザ地区攻撃反対!」や「SAVE GAZA」を表明するよりも、誰のため何のために支援をどうやって行うかが至上命題であることが明白になる。そしてそれらは、「自分のための正義」ではない。2025年10月3日を生きている意味がクッキリと形をなし、時代と共に在ることが実感される。

こういうことをトークの時間に言えると良かったのだが、目立つのが嫌なので言えなかった。

今日は編集が十分でなく、字幕も一部しか出なかったということもあって、料金は1500円均一であったが、完成したものを10月下旬に公開する予定であること、「Episode1」と「Episode2」も再上映が決まっていること、売り上げは全てこれからの「ガザからの声」の制作費(ガザ地区の制作責任者はムハンマド監督)に回すことなどが発表された。

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2025年6月 5日 (木)

これまでに観た映画より(387) ドキュメンタリー映画「私は、マリア・カラス」

2025年4月21日

ドキュメンタリー映画「私は、マリア・カラス」を観る。残されたカラスへのインタビュー映像や音声、カラスの歌唱シーンなどで彼女の人生を振り返る。フランスの制作で、言語は主に英語とフランス語が用いられている。トム・ヴォルフ監督作品。

カラスがスターになってからの映像が用いられているが、どちらかというと世紀のプリマドンナ、マリア・カラスよりも、人間、マリア・カラスに焦点が当てられている。そのためアリストテレス・オナシスとの恋愛はかなり重要視されている。歌手として成功したマリア・カラスであるが、オペラ歌手の演技の重要性を説く場面がある。ということは、それまでオペラ歌手は演技は余り重要視してこなかったことが分かるが、従来のクラシック音楽は職人気質で、きちんとした音楽学校を出ていなくても楽器が弾ければ良い、演技はおまけで歌がよければ良いという考えが一般的だった。オーケストラの団員と指揮者が喧嘩になることが多かったのも、一方は音楽学校や音楽大学で楽理からなにから収めている、一方は自己流でも何でも楽器は弾けるという知性軽視の傾向があったためである。オペラ歌手というと、今でもマフィアとのつながりなどが指摘されることがあるが、学究肌である必要はないという考えが普通。それに一石を投じたのがマリア・カラスだった。徹底した楽曲分析に裏付けられたドラマティックな歌唱は喝采を浴びた。
だが、カラスは見た目は強気な女性であったが、実際には精神的にも肉体的にも余り強い方ではなさそうだということが分かる。肉体を酷使した結果、十分に歌えなくなり、ローマ歌劇場での「ノルマ」は、第1幕終了と同時にキャンセル。アンダースタディー(カバーキャスト)などは用意していなかったようで(していても聴衆が満足したとは思えないが)公演が中止になる。「十分な体調でなければ歌えない」というカラスの完璧主義によるものだが、以後、「カラス=キャンセル」のイメージが出来てしまう。実際は、カラスがキャンセルする割合は低かったにも関わらずだ。夫のバティスタはマネージャーも務めたが余り有能とは言えなかったようだ。

そんな中、1957年にヴェネチアで出会ったのだが、ギリシャの海運王、アリストテレス・オナシスであった。優しく、少年のようなオナシスにカラスは癒やされるが、この「少年のような」部分というのは実は地雷だったのかも知れない。9年後、オナシスは、ジャクリーン・ケネディとの結婚を発表。時を同じくしてカラスは歌劇場から遠ざかるようになる。パゾリーニ監督の映画「王女メディア」に出演。カラスは次回作について聞かれて、出るかどうか分からないまでも「喜劇などにも出たい」などと話していたが、「王女メディア」が興行的に伸び悩んだため、映画の出演依頼はなく、これが最初で最後の映画出演になった。なお、「王女メディア」にはカラスが歌うシーンはない。

その後、オペラよりも負担の軽いリサイタルをジュゼッペ・ディ・ステファーノと世界各地で行う。東京のNHKホールでのカーテンコールの模様も収められている。当時の日本の聴衆は今と違ってかなり熱狂的である。
ディ・ステファーノとも恋仲だったと言われるカラスだが、オナシスが戻ってくる。この映画ではカラスはオナシスに甘えた弱い女という一面が描かれている。決して猛女という訳ではないのだ。

エンドロールに選ばれたのは、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」から“ねえ、私のお父さん”。カラスの愛らしい一面を示す歌唱である。

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2024年10月29日 (火)

これまでに観た映画より(348) ドキュメンタリー映画「拳と祈り-袴田巌の生涯-」

2024年10月28日 京都シネマにて

ドキュメンタリー映画「拳(けん)と祈り-袴田巌の生涯-」を観る。その名の通り、袴田事件の容疑者として死刑宣告が行われ、以後、47年7ヶ月を死刑囚として過ごした袴田巌さんの釈放後の姿と、袴田事件の概要を描いた作品。監督・撮影・編集は笠井千晶。

袴田事件は、1966年6月30日未明に、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起こった一家惨殺事件。味噌製造会社の専務一家のうち4人が刺殺され、全焼した民家から見つかった事件で、味噌製造会社に住み込みで働いていた当時30歳の袴田巌さんが容疑者として静岡県警清水警察署に逮捕されている。袴田巌さんは元プロボクサーで(タイトルの「拳と祈り」の拳はボクシングの意味である)、バーの経営者となったが成功せず、味噌製造会社の従業員となっていた。殺害された専務は柔道を得意とする巨漢であったが、「ボクサーなら殺害も可能」という偏見もあり、拷問を伴う激しい取り調べによる自白が証拠とされた。また、当初は袴田さんが着ていたパジャマに微量の血痕がついていたとされていたが、事件発生の1年2ヶ月後に血まみれの衣服5点が味噌樽の中から見つかる。袴田さんと同じB型の血液が付着しており、これが袴田さんのものとされ、証拠とされたのだが、実際に着て貰ったところ、ズボンが小さすぎて履けないなど、衣服が袴田さんのものでない可能性が高まった。
血液型がB型の者などいくらでもいる。
自白以外に証拠がないまま静岡地方裁判所での一審で死刑の判決が下り、袴田さんは無罪を主張し続けたが、控訴、上告共に棄却され、死刑が確定する。

当初から冤罪説は根強く、何度も再審請求がなされ、2014年に再審の決定と、袴田さんの死刑及び拘置の執行停止が行われ、袴田さんは釈放された。
釈放後、袴田さんは姉の秀子さんと共に静岡県浜松市で静かな生活を送るようになる。45年以上に渡って拘置所におり、一般人と接する機会がほぼなかった袴田さん。親しい人を作る機会は奪われ、コミュニケーション能力も十分に培うことは叶わなかった。友人らしき人はいない。
笠井監督は秀子さんと交流があり、この辺りから、袴田姉弟を中心とする人々の映像が撮られるようになる。袴田さんはひたすら歩くことを日々の課題とする生活を送っている。映画「フォレスト・ガンブ/一期一会」に、主人公のフォレスト・ガンブ(トム・ハンクス)がひたすら走り続ける生活を送る日々が描かれているが、それに近いものを感じる。
袴田さんは、「世界平和」などへの祈りを繰り返し語っていたりもする。

映画では、静岡県警による計48時間にも及び袴田さんへの取り調べ音声からの抜粋なども用いられている。

袴田さんは現在の浜松市生まれ。中学卒業後、昼間は工場で働いて夜はボクシングに励むという日々を送り、国体にも出場。その後、プロボクサーを目指し、川崎市内のボクシングジムに入ってトレーニングを行う。当時の袴田さんについて、ボクシング評論家の郡司信夫やボクシング雑誌の編集者らは、「とてもタフな選手」と評している。年間19試合出場は現在でも年間最多試合出場の記録となっている。プロボクサーとしてはまずまずの成績を収めるが、体調に問題が発生したため引退。結婚してバーを経営。子どもも出来るが、運営の才覚はなかったようでバーは1年で廃業。清水市内の味噌製造会社の従業員となり、ここで事件が起きている。

死刑が確定してからも証拠が余りに乏しく、冤罪の余地があったためか死刑は執行されず、この間、支援者による再審請求の輪が広がっていく。
2014年に証拠とされた衣服5点のDNA鑑定が行われ、これらが袴田さんのものである可能性が否定される。死刑と拘置の執行停止はこの鑑定結果が大きい。

しかし釈放されたとはいえ、無罪を勝ち取った訳ではなく、袴田さんもすでに高齢。再審を急ぐ必要があった。
実は静岡地方裁判所で行われた第一審でも、裁判官のうち2人は死刑の判決をしたが、1人は無罪との判断をしている。だが無罪の判断をした熊本典道裁判官は判決を覆すよう言われた上、死刑執行の決定書などを書かされている。熊本裁判官は、このことをずっと苦にしており、裁判官から弁護士に転身し、袴田さんの無罪を訴える運動に参加している。また袴田さんが獄中でカトリックに入信すると、自身もカトリックの洗礼を受けた。年老いた熊本氏の様子や、死が迫った熊本氏が入院する福岡市内の病院を袴田さんと秀子さんが訪ねる場面をカメラは捉えている。

カナダのトロントに住む、ルービン・カーターへの取材が行われる。かつてルービン・“ハリケーン”カーターの名でプロボクサーとして活躍したルービン・カーター。袴田事件の起こった1966年に殺人の容疑で逮捕され、終身刑の判決を受けたが、89年に証拠不十分で釈放されている。以後は冤罪救済活動団体を組織して活動。その半生がデンゼル・ワシントン主演による「ザ・ハリケーン」というタイトルの映画になったり、ボブ・ディランに「ハリケーン」という曲で歌われてもいるカーター。袴田さんの支援者がモデルケースとした人物でもある。同じ冤罪容疑の元プロボクサーという共通点のある袴田さんへのメッセージを語るカーターであるが、そのカーターも2014年に結果を知ることなく他界する。

その2014年に袴田事件の再審が決まったが、2018年に東京高裁は再審請求を棄却。ただし死刑と拘置の執行停止は保持される。弁護側は特別抗告を行った。
再審が始まるも、検察側は、執拗に「死刑」の求刑を求める。
そして今年の9月26日(ついこの間である)、袴田さんの無罪判決が下る。10月9日に検察側が上訴権の放棄を決定し、無罪が確定した。

お姉さんの秀子さんが明るい人で、それが救いにもなっている。孤独な僧侶のようにも見える袴田さん。事件がなかったらどんな人生を歩んでいたのだろうか。

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2024年8月 2日 (金)

これまでに観た映画より(343) ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」

2024年6月6日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を観る。ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドなどの中心メンバーとして活躍し、日本ポピュラー音楽界をリードし続けながら残念な最期を遂げた加藤和彦(愛称:トノバン)の姿を多くの音楽関係者達の証言を元に浮かび上がらせるという趣向の映画である。

京都市伏見区生まれの加藤和彦。実は生まれてすぐに関東に移っており、中高時代は東京で過ごして、自身は「江戸っ子」の意識でいたようなのだが、京都市伏見区深草にある龍谷大学経済学部に進学し、在学中にデビューしているため「京都のミュージシャン」というイメージも強い。ということもあってか、京都シネマは満員の盛況。一番小さいスクリーンでの上映であるが、それでも満員になるのは凄いことである。

監督:相原裕美。出演:きたやまおさむ(北山修)、松山猛、朝妻一郎、新田和長、つのだ☆ひろ、小原礼、今井裕、高中正義、クリス・トーマス、泉谷しげる、坂崎幸之助(THE ALFEE)、重実博、清水信之、コシノジュンコ、三國清三、門上武司、高野寛、高田漣、坂本美雨、石川紅奈(soraya)、斉藤安弘“アンコー”、高橋幸宏ほか。声の出演:松任谷正隆、吉田拓郎、坂本龍一。

加藤和彦は、バンドを始めるに当たって、雑誌でメンバーを募集。住所が京都市内となっていたため、それを見た、京都府立医科大生のきたやまおさむ(北山修)が、「京都で珍しいな」と思い、参加を決めている。参加したのは、加藤と北山を含めて5人。うち二人は浪人生で一人は高校生。浪人生二人は受験のために脱退。一人は東京の大学に進学したために戻ってこなかった。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)に進学を決めた芦田雅喜は戻ってくるが、再び脱退。加藤、北山、平沼義男の3人で再スタートする。
加藤和彦が龍谷大学への進学を決めたのは、祖父が仏師であるため、それを継ぐ志半分で、浄土真宗本願寺派の龍谷大学を選んだということになっているが、どうも東京時代に東京を離れたくなる理由があったようだ。龍谷大学には文学部に仏教学科と真宗学科があるが、加藤が選んだのは経済学部であり、特に仏教について学びたい訳ではなかったことが分かる。
常に新しいことをやりたいと考えていた加藤和彦。「帰ってきたヨッパライ」はメンバーが新しくなったので新しいことをやりたいという思いと、半ば「ふざけ」で作ったものだが、その先に何か新しいことが開ける予感のようなものがあるという風なことを若き日の加藤は語っている。

「帰ってきたヨッパライ」は、自主制作アルバム「ハレンチ」の1曲として発売された。当時、関西のミュージシャンが関西でレコーディングしたアルバムを出し、加藤もそのアルバムの録音に参加。「関西でもやろうと思えば出来る」との思いがあった。また関西の音楽人には、中央=東京に対する反骨心のようなものがあったと、北山は述べている。「帰ってきたヨッパライ」は、ラジオ関西で放送され、大きな反響を呼ぶ。それがやがて東京に飛び火。オールナイトニッポンのパーソナリティーだった斉藤安弘“アンコー(安弘を有職読みしたあだ名)”は、「帰ってきたヨッパライ」を一晩に何度も流したそうだ。
「帰ってきたヨッパライ」に関しては、高橋幸宏や坂崎幸之助が、「今まで聴いたことのない新しい音楽」と口を揃えて評価する。そんな曲が関西のアマチュア音楽家でまだ大学生の若い人々によって作られたというのは衝撃的だった。
一方、加藤、そして医大生だった北山は大学卒業と同時に音楽は終わりと考えていた。北山は大学院に進学して医師を目指し、加藤は普通に就職する気だった。だが、プロデビューの話が舞い込み、パシフィック音楽出版と東芝レコード(東芝音楽工業。後に東芝EMI、EMIミュージック・ジャパンを経て、ユニバーサル・ミュージックに吸収される)と契約。東芝からレコードを出し、1年限定のプロ活動を行うことにする。この時、はしだのりひこが加わる。どうもこの頃、加藤は学生生活が上手くいっていなかったようで、はしだが加藤の面倒をよく見ていたようだ。プロデビューのために龍谷大学は中退した。
東芝側は、第2、第3の「帰ってきたヨッパライ」を期待していたのだが、ビートルズは1曲ごとにスタイルを変えているということで、ザ・フォーク・クルセダーズ側は全く趣が異なる「イムジン河」を第2弾シングルとすることを決める。だがここで問題が起こる。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーは全員、「イムジン河」が朝鮮の民謡だと思い込んでいたのだが、実際は北朝鮮の作詞家と作曲家が作ったオリジナル楽曲だったのだ。北山は、「南北分断が歌詞に出てくるんだから民謡の訳がない」と後になって気づいたそうだが、朝鮮総連から「盗作」「歌詞を正確に訳すように」と物言いが付き、東芝は当時、韓国進出に力を入れていて、北朝鮮と揉めたくないということで、「イムジン河」は発売中止となる。そこで、「加藤をスタジオに缶詰にするから」という条件で、サトウハチローに作詞を依頼して書かれたのが、「悲しくてやりきれない」だった。

その後、ソロミュージシャンとしての活動をスタートさせた加藤和彦。新しいものが好きで、「イギリスで、グラムロックというものが流行っている」と知るといち早く真似をして髪を染めてステージに立った。

北山との共作でベッツィ&クリスに「白い色は恋人の色」を提供。ヒットさせる。

北山修との共作で「あの素晴らしいを愛をもう一度」をリリースしてヒット。実は、クリスに歌って貰うつもりで作ったのだが、出来が良いので「俺たちで歌っちゃおうぜ」となったようだ。「あの素晴らしい愛をもう一度」は高校の音楽の教科書に載っており、私が初めて知った加藤和彦の楽曲である。また、若き日の仲間由紀恵も出演していた、村上龍原作、庵野秀明監督の映画「ラブ&ポップ」のエンディング曲として主役の三輪明日美が拙い歌声で歌っており、そのため却って印象に残っている。

代表曲「悲しくてやりきれない」は、実は最初は松本伊代によるカバーをラジオで聴いて知ったのだが、周防正行監督の映画「シコふんじゃった。」で印象的な使われ方をしていた。立教大学をモデルとした教立大学相撲部が合宿を行うシーンで、おおたか静流の歌唱で流れた。

1970年に加藤は同じ京都出身の福井ミカと結婚。サディスティック・ミカ・バンドの結成へと繋がる。ちなみに私が福井ミカの声を初めて聴いたのは、サディスティック・ミカ・バンドの音楽ではなく、YMOのアルバム「増殖」に含まれていた有名ナンバー「NICE AGE」の途中に挿入される「ニュース速報」のナレーション(ポール・マッカートニーが大麻取締法違反で逮捕されたことを仄めかしたもの)においてであった。
ちなみにドラムの高橋幸宏を加藤に紹介したのは、小原礼だそうで、小原は高橋幸宏と一緒に演奏活動をしており、「高橋幸宏といういいドラマーがいる」と加藤に紹介。加藤と高橋はロンドンでたまたますれ違い(そんなことってあるんだろうか?)、加藤が「話には聞いてます」と話しかけたのが最初らしい。

加藤和彦の若い頃の映像は見たことがあったが、高橋幸宏の若い頃の映像は余り見たことがなく、想像以上に若いのでびっくりする。
つのだ☆ひろは、若い頃にずっと加藤和彦にくっついており、サディスティック・ミカ・バンドにも加入するが、すぐに辞めてしまったそうだ。
サディスティック・ミカ・バンドは、日本よりも先にイギリスで評判となり、逆輸入という形で日本でも売れた。高橋幸宏はYMOでも同じような体験をしている。

この頃の加藤和彦は音響にも熱心で、「日本はPAが弱い」というので、イギリスから機材を個人輸入して使っていたそうだ。

イギリスでの好評を受けて、イギリスからクリス・トーマスが招かれ、サディスティック・ミカ・バンドのレコーディングが行われることとなる。クリス・トーマスは、ビートルズのアルバム制作にも関わったプロデューサーであり、レコーディングの初日にはメンバー全員が緊張していたというが、クリスはまず「左と右のスピーカーの音が違う」とスタジオの音響から指摘。スピーカーの調整から始まった。クリス・トーマスへのインタビューも含まれるが、福井ミカについては、「彼女は、何というか、音程が、その……自由だった」と語っている。クリスは気に入るまで作業をやめず、レコーディングが朝まで続くこともたびたびであった。
そんな苦労の末にセカンドアルバム「黒船」を完成させ、イギリスでのツアーも成功させる。日本に帰ってきた加藤であるが、東芝の新田和長に「ミカが帰ってこない」と漏らす。新田は若い頃に加藤とミカと暮らしていた経験を持つ人物である。新田は、「そのうち帰ってくるよ」と慰めるが、3、4日して、「これはミカはもう帰ってこない。クリス・トーマスと一緒になる」ということが明らかになる。そんな折りに加藤が失踪。ほうぼう電話しても見つからなかったが、しばらくして「ズズのところにいる」と加藤から連絡が入る。ズズというのは作詞家の安井かずみのことである。コシノジュンコの親友で、ハイクラスの人物であり、新田は「我々とは釣り合わないのではないか」と思ったというが、加藤と安井は結婚する。安井との結婚後、加藤もまたハイクラス志向になったそうで、明らかに影響を受けている。ちなみに、安井が亡くなった後、加藤は有名ソプラノ歌手の中丸三千繪と結婚しているが、そのことについては今回の映画では触れられていない。サディスティック・ミカ・バンドの再結成や再々結成についても同様である。

加藤和彦は、「ヨーロッパ三部作」という一連のアルバムを作成することになるが、レコーディングスタジオにはこだわったようだ。YMOのメンバーが参加しており、レコーディングの様子などについて坂本龍一が語っているが、細野晴臣は写真に写っているだけで、今回は何も語っていない。坂本は、加藤について「事前に何冊も本を読んで練り上げる人」といったような証言をしている。また加藤は、楽曲が出来上がってレコーディングをする振りをしてアレンジが出来る音楽家を呼び、「いいイントロない?」「いいアレンジ出来ない」と言っていきなり仕事を振ることがあったそうで、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」で清水信之がそうした経験をしており、「教授にもやってる」と証言しているが、教授こと坂本龍一もそれを裏付ける発言をしている。
三部作最後のアルバム「ベル・エキセントリック」では、最後にサティの「Je Te Veux(ジュ・トゥ・ヴー)」(「おまえが欲しい」と訳される男版「あなたが欲しい」と訳される女版の二つの歌詞を持つシャンソン。ピアノソロ版も有名)を入れることにし、坂本龍一がピアノを担当することになった。楽譜は当時、坂本と事実婚状態にあった(その後、正式に結婚)矢野顕子が買ってきたそうである。

加藤和彦は料理が得意で、料理を味わう舌も肥えていた。いきつけの店だったという、京都の祇園さゝ木が紹介されている他、岡山の吉田牧場でのエピソードなどが語られる。

音楽面ではその後、映画音楽や歌舞伎の音楽に挑戦するなど、様々なチャレンジを行っているが、この映画では触れられていない。

2009年10月17日、加藤和彦は軽井沢のホテルで遺体となって発見される。首つり自殺であった。鬱病を患っており、鬱病の患者は自殺率が高いことから、精神科医となっていた北山修は加藤に「絶対に自殺はしない」と誓わせていたが、果たされることはなかった。

北山修は、加藤について、「完璧を目指す人。だが完璧を演じる自分と素の自分との間に乖離があり、それが広がっていったのではないか」という意味の分析を行っている。
プロデューサーの朝妻一郎、つのだ☆ひろ、坂崎幸之助なども「自分が何かしてあげられたら」結末は違うものになっていたのではないかとの後悔を述べている。

小原礼は加藤を「ワン・アンド・オンリー」と称し、北山修は「ミュータント。彼のような人に会ったことはない」と語り、高中正義は「加藤さんと出会わなかったら今の自分はない」と断言した。

最後は、「あの素晴らしい愛をもう一度」の2024年版のレコーディング風景。高野寛と高田漣がギターを弾き、きたやまおさむ、坂崎幸之助、坂本美雨、石川紅奈などのボーカルにより録音が行われる。坂本美雨を映像で見るのは久しぶりだが(舞台などでは見ている)、顔が両親に似てきており、体型は矢野顕子そっくりになっていて、遺伝の力の強さが伝わってくる。


映画の中では全く触れられていない、俳優・加藤和彦についての思い出がある。岩井俊二監督の中編映画「四月物語」である。松たか子の初主演作として知られている。今はなくなってしまったが、渋谷のBunkamuraの斜向かいにあったシネ・アミューズという映画館(上のフロアからハイヒールで歩く音が絶えず響いてくる映画館で、映画館側も苦情を入れていたようだが、上のフロアには何があったのだろう?)でロードショー時に観ている。ファーストシーンで観客を笑わせる仕掛けのある映画であるが、加藤和彦はラストシーンに登場する。千葉市の幕張新都心での撮影である。
主人公の楡野卯月(松たか子)は、高校時代、密かに思いを寄せる先輩(山崎先輩。田辺誠一が演じている)がおり、その先輩が東京の武蔵野大学(映画公開時には架空の大学であったが、その後、浄土真宗本願寺派の武蔵野女子大学が共学化して武蔵野大学となり、実態は違うが同じ名前の大学が存在することとなった)に進学したと知り、卯月も武蔵野大学を目指して合格。上京した四月の出来事を描いた作品である。卯月は先輩がアルバイトをしている本屋を探しだし、高校と大学の後輩だと打ち明けた後、スコールに襲われ雨宿りをする。ここで画廊から出てきた加藤と出会う。加藤もスコールだというので画廊の職員から傘を借りたところだったのだが、加藤は「傘ないの? じゃあこれ使いなさい。まだ中に傘あるから」と提案。卯月は傘を受け取るも、「傘買ってすぐ戻ってくるんで。すぐ戻りますから」と言って、先輩がアルバイトをしている本屋に引き返し、傘を借りようとする。しかし本屋にあるのは破れ傘ばかり。だが卯月は破れ傘を「これでいいです。これがいいです」と言って引き返す。加藤は破れ傘で戻ってきた卯月を見て、「それどうしたんだい? 拾ったのかい?」と笑いかけるという役であった。役名は画廊の紳士・加藤で、身分は明かされていなかったが、画家ではおそらくなく、知的な雰囲気であったことから、大学の先生か出版社の人物か何かの役で、エレガントな身のこなしが印象的であった。

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2024年7月20日 (土)

これまでに観た映画より(340) ドキュメンタリー映画「ビヨンド・ユートピア 脱北」

2024年1月31日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ビヨンド・ユートピア 脱北」を観る。アメリカの作品。金王朝が続く北朝鮮。洗脳教育が行われ、民は貧しく餓死者が出る始末。飲み水にも事欠くという状況であり、脱北を試みる人が後を絶たないが、金正恩は脱北は犯罪行為と断言したため、連れ戻されて悲惨な目に遭う人も多い。最悪、死刑もあり得るようだ。

今回のドキュメンタリーでは、北朝鮮から鴨緑江を越え、中国へと入った一家5人が、中国大陸を通過し、ベトナムとラオスを経てタイに亡命するまでを追っている。ソウルに住む牧師が計画を立ててリードを行い、ブローカーが何人も間に入るが、ブローカーは人助けがしたいわけではなく、金目当てだという。

中国国内も安全というわけではないが、そこから先は更に危険。ベトナムでは3つの道なき山を上る必要があり、予想以上に時間が掛かってしまう。ラオスも共産圏だけあって中国との結びつきが強く、途中、危険な目に遭うことはなかったが、用心する必要はある。

最後はラオスとタイの間を流れるメコン川。船は小さく、川に落ちたら渦巻く底流によりまず助からないという。そうした危機の数々を乗り越えて、ようやくソウルに至った家族。それでもまだ金正恩に対する洗脳が解けていないのが印象的であり、北朝鮮がいかに異様な国家であるかをうかがい知ることが出来る。

北朝鮮の家庭では、金日成、金正日、金正恩の肖像を一家で一番良いところに掛けねばならず、時折、当局から抜き打ちの検査があり肖像に埃が付いていたりすると大変なことになるようだ。また北朝鮮の威容を世界に示すマスゲームも幼い頃から放課後に有無を言わさず練習させられるようで、実情を知る人は哀れで見ていられないという。

この異様な国家がどこへ向かうのか。我々は見届ける必要があるように思う。

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