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2021年7月24日 (土)

コンサートの記(733) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハール 喜歌劇「メリー・ウィドウ」

2021年7月18日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハールの喜歌劇(オペレッタ)「メリー・ウィドウ」を観る。なお、「メリー・ウィドウ」では劇中に選挙の話が出てくるが、今日は兵庫県知事選の投票日で、兵庫県立芸術文化センターの周りを投票を呼びかける選挙カーが回っていた。

佐渡裕の指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の演奏で行われる毎夏恒例のオペラ公演。昨年の「ラ・ボエーム」はコロナ禍のため、2022年に延期となったが、今年は無事に開催される運びとなった。ダブルキャストで、明日と23日は休演となるが、それ以外は1日おきに出演者が変わる。

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今日の出演は、高野百合絵(ハンナ・グラヴァリ)、折江忠道(ミルコ・ツェータ男爵)、高橋維(たかはし・ゆい。ヴァランシエンヌ)、黒田祐貴(ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵)、小堀勇介(カミーユ・ド・ロシヨン)、小貫岩夫(おぬき・いわお。カスカーダ子爵)、大沼徹(ラウール・ド・サンブリオッシュ)、泉良平(ボクダノヴィッチ)、香寿たつき(シルヴィアーヌ)、桂文枝(ニエグシュ)、志村文彦(ブリチッチュ)、押見朋子(プラスコヴィア)、森雅史(もり・まさし。クロモウ)、鈴木純子(オルガ)、鳥居かほり(エマニュエル)、高岸直樹&吉岡美佳(オペラ座のエトワール)、佐藤洋介(パリのジゴロ=ダンサー)、伊藤絵美、糀谷栄里子、四方典子(よも・のりこ。以上3人は踊り子)。踊り子役の3人は、関西では比較的名の知れた若手歌手なのだが、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の中で踊りも担当する役ということで、無料パンフレットには個別のプロフィールは記載されていない。その他にダンサーとして、高岸、吉岡、佐藤も含めた16人の名前がパンフレットに載っており、助演名義で14人が出演する。

演出は、広渡勲(ひろわたり・いさお)。日本語訳詞・字幕付での上演。訳詞を手掛けたのは森島英子。演出の広渡が日本語台本を手掛けている。プロデューサーは小栗哲家(俳優・小栗旬の実父)。

グランドピアノをイメージしたセットが組まれており、ミニチュアセットが兵庫県立芸術文化センター内の「ポッケ」というスペースに展示されていて、写真を撮ることも出来る。
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オーケストラピットを囲うようにスペースが設けられており(宝塚歌劇でいうところの銀橋)、そこでも歌唱やダンスなどが行われる。

佐渡裕が登場し、客席に顔を見せて振り返ったところで入り替わりがあり、タクトを振り上げてから客席を振り返った指揮者は桂文枝に代わっていて、「いらっしゃーい」というお馴染みの言葉が客席に向かって放たれる。文枝が務めるのは、架空の国であるポンテヴェドロ王国(モンテネグロ公国がモデルである)の大使館書記のニエグシュとストーリーテラー(狂言回し)である。

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ポンテヴェドロ王国の資産を握るほどの大富豪が死去したことから問題が起こる。

その前にまず主人公であるハンナとダニロの関係から。二人は元々は恋人で、結婚を誓ったほどの仲だったのだが、ダニロが伯爵であるのに対して、ハンナは平民の娘。身分違いの恋ということで二人は引き離されることとなったのだ。
その後、ハンナはポンテヴェドロ王国の大富豪の老人と結婚。ところが、十日も経たないうちに(正式には八日後ということになっている)老人が死去。文枝は、「最近、和歌山で同じようなことがありまして、田辺の方だったでしょうか。あちらは事件性がありますが、こちらはございません」と、現在に至るまでのあらすじを語り、ハンナもパリに出てきて、陽気な未亡人(メリー・ウィドウ)として暮らしているのだが、彼女がフランス人と再婚すると、受け継いだ大富豪からの遺産がフランスのものになってしまうということで、元恋人であるダニロに白羽の矢が立つのだが、ダニロはプライドが邪魔する上に、財産目当てと見られることを嫌い、その気になれない。ハンナと別れてからのダニロは駐仏大使館の一等書記官となるも荒れた生活を送っており、有名バー・レストラン「マキシム」に入り浸る毎日を過ごしている。

一方、ポンテヴェドロ王国駐仏公使のツェータ男爵の夫人であるヴァランシエンヌに、パリの伊達男であるカミーユが懸想し、ヴァランシエンヌの扇に「愛している」と書き込んだのだが、その扇をヴァランシエンヌが紛失してしまったことから一騒動起こる。扇は大使館員の手で拾われ、話題になるのだが、ツェータ男爵は自分の妻が関係しているとは夢にも思っていない。

ということで、ハンナとダニロ、ヴァランシエンヌとツェータとカミーユによる騒動を描いたドタバタである。オペレッタということで、筋書きも単純だが、音楽と「人を愛することの素晴らしさ」を存分に味わうことが出来る。音楽によって舞台上と客席が一体になる様は、オペラやオペレッタならではのものである。

歌手達の歌唱と演技も上等。新劇と宝塚歌劇の中間のような演技をする人が多いので、作りものっぽさが気になる人もいるかも知れないが、日本人歌手による日本語上演としてはかなり健闘しているように思う。桂文枝は落語家なので、語りや演技スタイルが浮いているが、そもそもがそうした要素を求められてのキャスティングである。文枝に名演技を期待している人も余りいないだろう。


育成型のオーケストラである兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)は、在籍期間最長3年ということで、個性のある団体にはならないのだが、見方を変えるとどんな音楽にも順応しやすいということで、「メリー・ウィドウ」でもウィーンとパリの良さを合わせたレハールの音楽を洒落っ気たっぷりに演奏する。コンサートマスターは元大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターで、現在は日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務める田之倉雅秋だが、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者のペーター・ヴェヒターを招き、ウィーン情緒の醸成に一役買って貰っているようである。佐渡の生き生きとした音楽作りも良い。

全体的に野球ネタがちりばめられており、ダニロが通う「マキシム」は甲子園店という設定で、文枝が「毎晩、虎になる」という話をするが、ツェータ男爵は巨人ファンだったという謎の設定である。また、ダニロが酔っ払って、「佐藤(輝明。西宮市出身である)、オールスターで打った」と寝言を言ったり、ハンナが「ダニロ」と言うのかと思ったら、そうではなくて「ダルビッシュ」だったりする。


3幕の前に、文枝が客席通路を喋りながら銀橋に上がり、「私と香寿たつきさんとで面白いことやってくれと言われまして。香寿たつきさんはいいですよ、歌って踊れる。私は話しか出来ない」ということで、花月などでもやったことのある病院ネタの創作落語を、今日は立ったまま行う。「病院で薬を貰うようになってから体調が悪化した」という老人の話。元々酒豪で、医師から「1日1合まで」と決められたのだが、それでも体調が悪くなる。医師は、酒の他に「煙草も1日2本まで」と決めたのだが、「元々煙草は飲まない」そうで、無理して朝晩1本ずつ吸うようにしたら頭がクラクラして体調が悪化したとのこと。更に、右脚が悪くなり、医師から「年だ」と言われるも、「左脚も同い年なんですけれど」「左右共に一緒に学校に通ったりしてたんですけれど」と粘るも、「直に追いつく」などと言われる内容であった。
文枝は、佐渡にも病院ネタの話をして貰うのだが、「脚を骨折した」「溝に落ちて骨折した」「病院に予約しないで行ったら、『佐渡さんだ! 佐渡さんだ!』と騒がれた」「脚の診察を終えたが、顔にも傷が出来てきたので、『頭のレントゲンも撮った方が良いですよ!』と医者に言われるも」「医者は興奮していて、自分の骨折した方の足を思いっ切り踏んでいた」という佐渡の話に、「私より面白い話してどうしまんのん?」とつぶやく。

一方の香寿たつきは、十八番である「すみれの花咲く頃」を歌って踊る。ちなみに佐渡裕は、昨年、コロナ禍を乗り切るために「すみれの花咲く頃」の歌声映像や音声を募集して、合唱作品を作り上げている


「メリー・ウィドウ」の「ダニロの登場の歌」は、ショスタコーヴィチが交響曲第7番「レニングラード」の第1楽章の「戦争の主題」の一部に取り入れられているとされる。「メリー・ウィドウ」はヒトラーが好んだオペレッタとして有名で、ショスタコーヴィチがヒトラーを揶揄する意味で取り入れたのではないかとする説もある。


本編終了後におまけがあり、まずレハールのワルツ「金と銀」抜粋に合わせて、高岸と吉岡がパ・ド・ドゥを行い、その後に「メリー・ウィドウ」のハイライトが上演される。最後はステージ上に登場した佐渡が「さて女というものは」を歌い、文枝がPACオーケストラを指揮して伴奏を行うなど、遊び心に溢れた上演となった。

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2021年7月 6日 (火)

クラシカジャパン 佐渡裕指揮トリノ王立劇場管弦楽団ほか モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」2015トリノ王立歌劇場

2021年6月29日

録画してまだ観ていなかった、佐渡裕指揮トリノ王立劇場管弦楽団ほかによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を視聴。2015年にトリノ王立歌劇場で収録された映像である。

このところ、顔も声も疲れた感じで、少し気になる佐渡裕だが、この頃はまだ溌剌としている印象である。

衣装は舞台となっている18世紀当時のものを基調としており、出演者などの動きもその頃の上流階級とその使用人を意識していて、洗練されており、ウイットにも富んでいる。柱を使ったセットも効果的であり、特に第4幕の暗闇の庭のシーンの顔が見えない者同士が動く場面で、「障壁」として上手く用いられている。

出演:ミルコ・パラッツィ(フィガロ。バス)、エカテリーナ・バカノワ(スザンナ。ソプラノ)、ヴィト・プリアンテ(アルマヴィーヴァ伯爵。バス・バリトン)、カルメラ・レミージョ(伯爵夫人=ロジーナ。ソプラノ)、パオラ・ガルディーナ(ケルビーノ。メゾ・ソプラノ)ほか。

女性演出家のエレーナ・バルバリッチは、意図的にかどうかは分からないが、登場人物が女性を貶める内容のアリアを強調しているように見え、当時の女性蔑視を露わにしたいという思いがあったのかも知れない。一方で、「博愛」を打ち出したナンバーはこの公演でもカットされており、モーツァルトやダ・ポンテの意図を汲むという意味では合格点に達してはいないように思われる。ただ出演者をチャーミングに見せる演出は施されており、全体像よりも演技に力を入れるタイプの演出家のようにも見受けられる。
子役を登場させているのも特徴だが、特に深い意味はなく、伯爵邸の賑やかさと多様さを表しているに過ぎないようだ。
アンサンブルキャストをストップモーションにするところなどは映像的である。

今回のケルビーノは成熟した感じで、少年というよりも青年のようであり、第4幕などではやや邪悪な印象も受ける。個人的には女性的で、いたずらな感じのケルビーノが好きである。野田秀樹の演出で、カウンターテナーがケルビーノ役を演じているのを観たことがあるが、やはりケルビーノは男性がやってはいけないと思う。男性がやっているというだけで笑えなくなってしまう。
なお、今回の「フィガロの結婚」では、ケルビーノのアリア「恋とはどんなものでしょう」で伴奏をするのは伯爵夫人で、ギターではなくヴァイオリンをピッチカートで演奏するという趣向となっている。

フィガロを演じるミルコ・パラッツィは、顔がどことなく博多華丸に似ており、親しみが持てた。

佐渡の指揮するトリノ王立劇場管弦楽団は、弦の音色が艶やかであり、爆発力とデリケートさを兼ね備えている。ピット内を映した映像を見ると、弦楽はかなり徹底したノンビブラート奏法を行っており、ピリオドを意識していることがわかる。

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2021年6月 7日 (月)

グラインドボーン音楽祭2012 ロビン・ティチアーティ指揮指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団ほか モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

2021年5月4日

Blu-rayで、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観る。2012年のグラインドボーン音楽祭での収録。指揮は、「第二のラトル」といわれたこともある若手のロビン・ティチアーティ。古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の演奏。演出は、マイケル・グランデージで、彼は舞台を1960年代から70年代のヒッピームーブメントの時代に置き換えており、バルバリーナなどはサイケデリックなファッションに身を包んでいる。

出演は、リディア・トイシャー(スザンナ)、ヴィート・ブリアンテ(フィガロ)、サリー・マシューズ(アルマヴィーヴァ伯爵夫人=ロジーナ)、アウドゥン・イヴェルセン(アルマヴィーヴァ伯爵)、イザベル・レナード(ケルビーノ)、アン・マレー(マルチェッリーナ)、アンドリュー・ショ(バルトロ)ほか。
合唱は、グラインドボーン合唱団。
オーパス・アルテからの発売で、日本語字幕付き(他に英語、フランス語、ドイツ語、韓国語の字幕が付いている)。ナクソス・ジャパンによる輸入販売。

「セビリアの理髪師」では、フィガロと組んでロジーナとの結婚を成功させた才人のアルマヴィーヴァ伯爵であるが、続編である「フィガロの結婚」では、初夜権を復活させて、フィガロの婚約者であるスザンナの貞操を奪おうとする悪漢に変身している。「セビリアの理髪師」と「フィガロの結婚」の間に何があったのかは分からないが、伯爵夫人となったロジーナとの間に、何らかのすれ違いがあった可能性もある。

理髪師というホームレスが多い職業であったフィガロであるが、ロジーナとの結婚を取り持った功により、アルマヴィーヴァ伯爵の召使いに昇進。伯爵邸の一部に部屋を頂き、そこで許嫁のスザンナと共に過ごせるということでウキウキである。だが、スザンナは伯爵の企みに気づいており、スザンナから話を聞いたフィガロもそれを信じざるを得なくなる。そして、アルマヴィーヴァ伯爵の浮気の現場をつかもうという計画を練り、スザンナの身代わりとして小姓のケルビーノを使おうという話になる。
一方、「セビリアの理髪師」では、ロジーナをアルマヴィーヴァ伯爵とフィガロに奪われたバルバロは、年増のマルチェッリーナをフィガロと結婚させ、フィガロとスザンナの仲を裂くことで復讐を図る。マルチェッリーナはフィガロに恋しており、スザンナとどちらがフィガロの結婚相手に相応しいか、鞘当てを始める。
ケルビーノが去ったため、伯爵夫人はスザンナと計略を図り、互いの衣装を入れ替えて、伯爵夫人本人がスザンナに化けて夫の不貞を暴こうとする。しかし、二人の計略をフィガロもケルビーノも知らないため、想定外の狂騒(ラ・フォル・ジュルネ)が起こってしまう。
さて、フィガロとマルチェッリーナとの結婚を認めるか否かの裁判であるが、結婚は有効との判決が出る。だが、予想外の事実が判明して……。

イギリスのシックな建築が基本となった舞台。序曲演奏中も幕は下りておらず、伯爵の使用人達が表の掃除をしたり、ものを運んだりしている。フィガロも使用人頭として甲斐甲斐しく働いている。1960年代から70年代ということで伯爵と伯爵夫人がオープンカーに乗って現れ、フィガロが伯爵夫人をエスコートする。

ロビン・ティチアーティ指揮のエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団であるが、はち切れんばかりの生命力が印象的である。推進力とアンサンブルの精度も優れている。
20世紀半ばから80年代に掛けて主流だったロマンスタイルの演奏は情緒面の拡大には寄与したが、モーツァルトの音楽が持っている本来の意味での快活さや爆発力が犠牲になっていたのかも知れない。古楽器のオーケストラとその扱いに長けた若い指揮者の演奏によって初演時30歳そこそこだったモーツァルトの若々しさが復活したような印象を受ける。

フィガロを演じるヴィート・ブリアンテは男前で、おそらく女性にモテモテのはずである。なんだかんだで男前は得で、見た目だけで才気ありそうなフィガロに見える。

ボーマルシェの原作は、露骨に貴族階級批判の意図が込められたものだが、ロレンツォ・ダ・ポンテの台本によるモーツァルトの歌劇版は貴族に対する矛先はそれほど鋭いものではなく(それでも貴族批判を感じ取った貴族中心の聴衆には不評で初演は数日のみで打ち切られた。現代の演出は鋭い場面をカットした穏健なものが主流であり、この上演でも端折られている)恋にまつわるドタバタが中心で、それ故に長年に渡ってオペラ史上屈指の人気を博してきたのだと思われる。

若手中心のキャストで、若者のムーブメントが盛んであった1960年代から70年代に舞台を移すことで、若々しさのエネルギーを前面に押し出した上演となっている。

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2021年5月24日 (月)

クラシカ・ジャパン トリノ王立歌劇場2015「セビリアの理髪師」

2021年5月3日

録画してまだ観ていなかった、トリノ王立歌劇場2015「セビリアの理髪師」を観る。
ジャンパオロ・ビザンティ指揮トリノ王立歌劇場管弦楽団及び合唱団の演奏。演出:ヴィットーリオ・ボレッリ。出演は、キアラ・アマル(ロジーナ。メゾ・ソプラノ)、アントニーノ・シラグーザ(アルマヴィーヴァ伯爵。テノール)、ロベルト・デ・カンディア(フィガロ。バリトン)、マルコ・フィリッポ・ロマーノ(ドン・バルトロ。バリトン)、ニコラ・ウルヴィエリ(ドン・バジリオ。バス)、ラヴィニア・ビーニ(ベルタ。メゾ・ソプラノ)、ロレンツォ・バッタジョン(フィオレッロ。バリトン)、フランコ・リッツォ(将校。バリトン)。

ボーマルシェ三部作の第1作であり、「フィガロの結婚」前日譚に当たる「セビリアの理髪師」。町のなんでも屋であるフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵とロジーナの間を取り持つという話である。ロッシーニのオペラは、作曲家自身が若くして引退し、美食家に転向して高級レストランを経営するようになるという、音楽史上例を見ない生き方を選択したということもあって、急速に忘れ去られ、序曲のみが有名という状態が長く続いた。20世紀後半になるとロッシーニのオペラ作品の見直しが始まり、メディアの発達によって、ロッシーニのオペラを映像で観る機会も増えたが、「セビリアの理髪師」だけはロッシーニの生前から今にいたるまでずっと人気を博し続けてきた作品である。

「ロッシーニ・クレッシェンド」という言葉があり、音楽が急速にクレッシェンド(増強)していくことを指すが、ロッシーニはこの独自の音楽性などを武器に、祖国のイタリア、更にウィーンを始めとするドイツ語圏でも大人気を博した。その人気は「最盛期のビートルズをも上回る」というほどで、例えばウィーンの王立歌劇場なども1年の大半がロッシーニ作品で埋まったというのだから、大熱狂を呼び起こしていたことになる。

「フィガロの結婚」ではタイトルロールとなるフィガロであるが、この作品では純粋な主役というよりも恋の取り持ち役である。理髪師であるため、様々な家に潜り込むことが出来るが、身分的には最下級層で、自分の家を持っていない(今回はフィガロもホームレスという設定で、アルマヴィーヴァ伯爵に「家はどこか?」と聞かれたフィガロが、適当なことを言って誤魔化すということになっている)人も多い。今も理髪店には、静脈、動脈、包帯を表す「あめんぼう」(サインポール)が回っているが、中世ヨーロッパの理髪師は、外科医の仕事も兼ねていた。今でこそ外科医は、開業医なら高給取りで権威ある職業だが、昔は他人の体に直接触れる仕事は卑しい身分の人が行うことだった。フィガロも「便秘の弁護士のために浣腸をしに行かないといけない」と歌う場面があるが、今で言う3K的な職業だったわけである。
こうした理髪師であるフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵と美しい娘であるロジーナのキューピットを演じる。
といってもそう簡単にことが進むわけではない。伯爵は、プラドで医者(この場合は内科医で、内科医はこの時代も権威ある仕事である)であるドン・バルトロの娘であるロジーナに一目惚れしてセビリアまで追ってくる。伯爵が夜明け前のバルトロ邸の前で楽士達に伴奏させてロジーナのための恋歌をうたうも最初は空振りに終わるが、旧知の仲であったフィガロからロジーナはバルトロの義理の娘であり、バルトロは後見人となっていることを知らされる。
一方、ロジーナも伯爵の声に惹かれ、ベランダから恋文を落とす。伯爵は「貧乏学生、リンドーロ」と名乗り、ロジーナに向けた恋歌を再びうたう。
フィガロが軍隊が近くに駐屯していることを知っており、伯爵に軍人に化けてバルトロ邸に潜り込むことを提案する。
まんまとバルトル邸に忍び込むことに成功した伯爵であるが、バルトロやロジーナの音楽教師であるドン・バジリオ(スペインでは「ドン」がつく男性は貴族階級である)もリンドーロなる人物がおかしな振る舞いをしていることには気づいて……。

続編の「フィガロの結婚」では開始早々に決裂することになるフィガロと伯爵であるが、「セビリアの理髪師」では一致団結して、バルトロとバジリオの鼻を明かし、ロジーナをものにする。
そしてロジーナは伯爵の歌声に恋しており、また伯爵も――上流貴族ということで当然なのかも知れないが――バジリオの弟子の音楽教師に扮して再度バルトロ邸に忍び込んだ際には、ロジーナ(相手がリンドーロであるということには気づいているが、リンドーロの正体がアルマヴィーヴァ伯爵であるということにはまだ気づいていない)の歌のレッスンでクラヴサンを弾いて愛情を交わすなど、音楽が突破口になっているということが、この歌劇をより面白いものにしている。


幕間に、演出のヴィットーリオ・ボレッリ、指揮者のジャンパオロ・ビザンティ、フィガロ役のロベルト・デ・カンディア、ロジーナ役のキアラ・アマル(キアラというのは「明るい」という意味だそうで、キアラ・アマルはロジーナについて自分の名前と同じキアラ=明るい人だと嬉しそうに語る)、アルマヴィーヴァ伯爵役のアントニーノ・シラグーザへのインタビューが流れる。


演出のヴィットーリオ・ボレッリは、「ロッシーニの『セビリアの理髪師』は完成されたオペラであるので、大袈裟な演出を加えないようにした」と語り、一方で、カットされることの多いラスト付近の伯爵のアリア「逆らうのはやめなさい」を復活させたことについて述べる。「逆らうのはやめなさい」は高難度のアリアであるため、カットされることが多いのだが、伯爵役のアントニーノ・シラグーザの歌唱力が高いため、通用すると思ったそうだ。演出家の仕事は、オペラ作品を分析し、音楽や台本などあらゆる要素に最大限の尊重を払うことだと語る。多くの指揮者が楽曲に対して払う敬意と似通っていることが面白い。当然といえば当然であるのだが、残念ながら現代の日本の演劇では台本に対する演出家の暴力がまかり通っている。
そのアルマヴィーヴァ伯爵役のアントニーノ・シラグーザは伯爵役の魅力について、「ほとんどの恋敵には勝てる。バスやバリトンには負けない」と語る。「セビリアの理髪師」の男性登場人物の中で伯爵だけがテノールである。なお、続編の「フィガロの結婚」では伯爵の声域はバリトンになっており、これだけでも役割が異なることが分かる。

フィガロ役のロベルト・デ・カンディアは、ロッシーニが書いたアリアの多様さについて述べる。また、「セビリアの理髪師」の初演以来、200年以上に渡ってフィガロ役を務めてきた数々の名歌手達と比べられる覚悟や、師から「音符をなぞるだけでは全くだめで、フィガロが持つエネルギーを聴衆に伝えるよう指導された」ことを明かす。

指揮者のジャンパオロ・ビザンティは、ロッシーニのオペラ作曲家としての高い職人芸や、発想力、オーケストレーションやアリアの細部に至るまでの高度な技巧について語り、ロッシーニは19世紀の音楽劇の指標となったと断言した。

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2021年5月12日 (水)

コンサートの記(720) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 石橋栄実&藤井快哉「もしあなたと一緒になれたなら」+福原寿美枝&船橋美穂「女の想い~シューマン歌曲集」+砂川涼子&河原忠之「ベルカント!」

2021年5月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

今日もびわ湖ホールで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021がある。今日が2日目にして楽日である。

今日は午前中に、児玉姉妹の姉である児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏があるのだが、午前中からベートーヴェンの音楽を聴くのは気が引けたたため、ソプラノの石橋栄実、メゾソプラノの福原寿美枝、ソプラノの砂川涼子が立て続けに登場する3つのコンサートのみを聴くことにする。

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今日も昨日同様、雨がパラつく天気だったのだが、びわ湖ホールに着く直前に太陽が顔を覗かせる。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー2-L-3「もしあなたと一緒になれたなら」。出演は石橋栄実(ソプラノ)と藤井快哉(ピアノ)。

2019年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、体調不良で降板した砂川涼子の代役としてプーランクのモノオペラ「声」に出演し、大成功を収めた石橋栄実(いしばし・えみ)。大阪音楽大学声楽科卒業、同専攻科を修了。大阪舞台芸術奨励賞、音楽クリティック・クラブ奨励賞、坂井時忠音楽賞、咲くやこの花賞などを受賞。現在は大阪音楽大学の教授と大阪音楽大学付属音楽院の院長も務めている。

藤井快哉(ふじい・よしや)は、大阪音楽大学を経て同大学院を修了。インディアナ大学音楽学部アーティストディプロマ課程修了。坂井時忠音楽賞、兵庫県芸術奨励賞、佐治敬三賞、神戸灘ライオンズクラブ音楽賞などの受賞歴があり、現在は大阪音楽大学の教授を務めている。

曲目は、ベネディクトの「四十雀(しじゅうから)」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”、プーランクの歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”。

ベネディクトは、ドイツ出身のイギリスの作曲家だそうである。石橋栄実のトークによると、選曲した時には「今頃(「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021開催の頃)は、色々と大変だったことが過去になって、『良かったね』という状況で歌いたい」ということで1曲目に選んだのだが、残念ながらコロナ禍は却って深刻さを増してしまっている。

昨年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、小ホールで全曲日本の歌曲によるプログラムを歌う予定だったのだが中止になってしまい、本来は今年も日本の歌曲を歌う予定だったのだが、会場が大ホールになり、「オペラの殿堂ということでオペラの曲を並べることにした」そうである。
ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”は、男装してフィデリオと名を変えたレオノーレを本当に男だと勘違いして恋をしてしまう娘、マルツェリーネのアリアである。石橋栄実は、典型的なリリック・ソプラノであり、声が澄んでいて可憐、ただ芯がしっかりしており、私が最も好むタイプの声質の持ち主である。

藤井快哉によるプーランクのピアノ曲「エディット・ピアフを讃えて」の独奏。「エディット・ピアフを讃えて」は、若手ピアニストの牛田智大がアンコールなどで好んで取り上げる楽曲である。藤井快哉が演奏前に解説を行い、エディット・ピアフがシャンソンの名歌手であることや、プーランクがピアフの大ファンだったことなどを語り、「私も石橋栄実さんの大ファンです」と言って、プーランクとピアノの関係を重ねたりする。

続く曲は、歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”なのであるが、「エディット・ピアフを讃えて」の演奏前、いったん退場する際に石橋が、「なんていうタイトルなんでしょうと思いますが、女性が、『自分はフェミニストだ!』と言って、掃除やら洗濯やら家事一般が女性の仕事とされることに納得がいかず、兵士になりたいとか弁護士ですとか、当時、男性しか就けない仕事に就けるよう要求するのですが、すると顎にひげが生えて、胸の膨らみが飛んでいっちゃって」と解説する。
「エディット・ピアフを讃えて」演奏終了後に、石橋は胸の前に風船を二つ付けて登場。ヘリウムガスで膨らませた風船であるため、胸の膨らみを否定する場面では、風船が上に浮かぶ。その後、石橋は風船を二つとも割る。演奏前に風船を割るという演出の説明をしなかったのは、事前に言うと風船を割ることだけを意識してしまう人がいそうだったからだそうで、風船が割れる音を嫌う人もいるので、怖がらせたらまずいとも思っていたそうだ。「皆さん、こういう演出見たことあります?」と客席にも聞いていた。無反応だったので、見たことがある人はほとんどいないようであったが、私はたまたま川越塔子が青山音楽記念館バロックザールでのリサイタルでそれに近いことをしていたのを覚えている。もう4年も前なので、正確には記憶していないが、変わった演出だったので、それらしきことをしていた映像がぼんやりとではあるが浮かぶ。
演奏終了後に、藤井は、「尊敬している方にああいうことをされると結構な衝撃で」と語っていた。リハーサル時にも風船は使っていたが、割ったのは本番だけだったそうである。

切々と歌われる團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”は、今のコロナ禍を念頭に置いて選ばれたと思われ、「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”では一転してコケティッシュな歌声を聴かせた。「夕鶴」と「ラ・ボエーム」ということで振り幅がかなり広い。

日本歌曲を予定していたのに、團伊玖磨の1曲だけになってしまったということで、アンコールとして中田喜直の「歌をください」が歌われた

 

午後2時10分開演の、公演ナンバー2-L-4「女の想い~シューマン歌曲集」。出演は、福原寿美枝(メゾソプラノ)、船橋美穂(ピアノ)。

福原寿美枝は、京都市立芸術大学卒業、同大学院修了。平成25年神戸市文化奨励賞、2015年度音楽クリティック・クラブ賞受賞などの受賞歴がある。現在は武庫川女子大学音楽学部教授を務め、京都市立芸術大学でも後進の指導に当たっている。

船橋美穂(ふなはし・みほ)も京都市立芸術大学出身。大学卒業後に渡米し、エール大学大学院音楽科講師などを務めた。2002年藤堂音楽褒賞、第29回京都芸術祭京都府知事賞などの受賞歴がある。

曲は、いずれもシューマンのリートで、「女の愛と生涯」と「メアリー・スチュワート女王への詩」

歌唱の前に福原は、「緊張で心臓がバクバクしてる。飛び出そう」と語り(なんでもコンサートでリートを歌うのは約30年ぶりだそうである)、また年齢を重ねるにつれて声が低くなってきているので、低音版の楽譜で歌うことを告げる。

「女の愛と生涯」は、愛しい人との出会いと結婚生活、出産、死別を描いたシャミッソーの詩に基づく歌曲で、背景にはシューマンのクララとの結婚がある。歌う前に「声が低いので、可愛らしい女の人にはなりません」と語った福原だが、これはこれで若き日を回顧する趣があり、味わい深い。

「メアリー・スチュワート女王への詩」。生後まもなくスコットランド女王に即位し、あらゆる才能に恵まれながらも様々な男性との恋に破れ、最終的にはエリザベス女王により追い込まれて処刑された悲劇の女王であるメアリー・スチュワート。その生涯は様々な文学作品や映画や芝居で描かれ、多くの人が知るところとなっている。
「メアリー・スチュワート女王への詩」に関しては事前に歌詞をチェックしていかなかったのだが、シューマンらしい個性に満ちた旋律を味わうことが出来た。
シューマンは、晩年は梅毒に起因する精神障害が進み、作曲活動が思うようにはかどらなくなっていた。シューマンが自身をメアリー・スチュワートに重ねても不思議ではない気はするが、「重ねている」という絶対的な根拠は当然ながらないようである。


午後3時30分開演の、公演ナンバー2-L-5「ベルカント!」。出演は、砂川涼子(ソプラノ)と河原忠之(ピアノ)。「ベルカント!」は砂川の最新アルバムのタイトルでもあるようだ。
びわ湖ホール大ホールの2階席(びわ湖ホールの1階席と2階席は繋がっている)の後ろの方では、本番を終えた石橋さんと福原さんが並んで聴いているのが確認出来た。

砂川涼子(すなかわ・りょうこ)は、沖縄県生まれ。ということで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」でもオール沖縄民謡によるリサイタルを行ったことがある。武蔵野音楽大学と同大学院を修了。ミラノに渡って研鑽を積み、第34回日伊声楽コンコルソで優勝。第69回日本音楽コンクール声楽部門でも第1位を獲得している。第12回R・ザンドナイ国際声楽コンクールではザンドナイ賞を受賞。現在は藤原歌劇団団員であると共に、母校の武蔵野音楽大学で講師を務めている。

河原忠之は、歌手の伴奏ピアニストとして高い評価を受けている。太メン4人によるユニットIL DEVU(イル・デーヴ)のピアノメンバーであり、指揮者としても活躍している。国立(くにたち)音楽大学と同大学院を修了。母校の大学院教授を務めると同時に、新国立(こくりつ)劇場オペラ研修所シニアコレペティトゥアとしても活躍している。

曲目は、いずれも砂川のニューアルバム「ベルカント!」に収録されているもので、ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”、ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”(清水徹太郎との共演)、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の叫ぶ声に”、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。

プッチーニの歌劇「トーランドット」より“氷のような姫君の心は”は、女奴隷であるリューのアリアであるが、砂川は一昨年にびわ湖ホール大ホールで行われた大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほかによる歌劇「トゥーランドット」にリュー役で出演している。

砂川涼子は見た目は可憐であるが、ドラマティックソプラノであり、声量豊かでスケールも大きい。トークでも河原に、「見た目と歌声が一致しない」と言われていた。

ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」は初めて聴く曲である。思ったよりも長い。
歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”は、スザンナが幼いケルビーニを無理矢理伯爵夫人に見立てようとするいたずら心たっぷりの歌で、そうした心持ちを存分に発揮する。

ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”はミカエラのアリア。砂川はミカエラを得意レパートリーの一つとしているが、今年の夏にびわ湖ホールで行われる「カルメン」でもミカエラを歌い、次の曲で登場する清水徹太郎(ドン・ホセ役)と共演するそうである。

ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”。愛の妙薬が手に入ったと勘違いしたドタバタの場面である。演技付きでの演奏。ユーモラスな演技が客席の笑いを誘う。

プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の呼ぶ声に”と歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。同じプッチーニ作品であるが、求められるものは真逆である。実際にびわ湖ホール大ホールで上演を観たことのある“氷のような姫君の心は”がダイナミックでとても良い。
“氷のような姫君の心は”は、プッチーニが最後に書き上げたアリアであり、リューはプッチーニ版の「トゥーランドット」にのみ登場する役で、実際にプッチーニに仕えていた女召使いがモデルになっているとも言われている。

 

びわ湖ホールを出ると、晴れ間が覗く中に雨粒がポツリポツリと落ちてくるという天気で、三上山の方を振り返ると、巨大な虹が架かっているのが見えた。

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2021年5月 3日 (月)

コンサートの記(715) 「ソプラノ 川越塔子リサイタル ~珠玉のオペラアリア集Ⅱ~」

2017年6月4日 上桂の青山音楽記念館バロックザールにて

午後3時から、上桂の青山音楽記念館バロックザールで、「ソプラノ 川越塔子リサイタル ~珠玉のオペラアリア集Ⅱ~」を聴く。

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今日は全席自由である。開場10分後ぐらいに会場に着いたので、後ろの方の席は埋まっており、前の方の席は空いていたので、前から3列目に座る。前列にも前々列にも誰もいない。

 

川越塔子は、私と同じ1974年生まれのソプラノ歌手。宮崎市出身。東京大学法学部卒業後、武蔵野音楽大学大学院声楽専攻を修了という異色の系列を持つ。藤原歌劇団所属。昭和音楽大学では声楽の講師も務めている。京都芸術劇場春秋座で毎年行われている「春秋座オペラ」の常連であり、これまで、「夕鶴」、「ラ・ボエーム」、「蝶々夫人」、「椿姫」、「セビリアの理髪師」で主演を務めている。私はそのうち、「ラ・ボエーム」、「蝶々夫人」、「椿姫」を観ているが、川越はいずれも薄幸な雰囲気を上手く出していた。ただ薄幸な役だけしか出来ないというわけでもないはずなので、リサイタルを聴きに来たのである。
ちなみに、春秋座で「都をどり」を見た時に、チケットオフィスのそばに川越の今日のリサイタルのチラシが置かれていたため公演の存在を知ったのであり、そうでなければ知らないままだったということになる。

ピアノ伴奏は細川智美(二期会ピアニスト)が務める。

 

曲目は、第1部が、グノーの「ロメオとジュリエット」より“夢に生きたい”、オッフェンバッハ(オッフェンバック)の「ホフマン物語」より“オランピアの唄”、マスネの「マノン」より“ガヴォット”、マスネの「エロディアード」より“甘く優しく”、細川智美のピアノソロでプーランクの即興曲第15番「エディット・ピアノを讃えて」、プーランクの「ティレジアスの乳房」より“いいえ旦那様”。
第2部が、團伊玖磨の「夕鶴」より“あたしのだいじな与ひょう”、プッチーニの「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”、プッチーニの「蝶々夫人」より“可愛い坊や”、細川智美のピアノソロでドビュッシーの「月の光」、クルト・ワイルの「ヴィーナスの口吻」より“愚かなハート”、メノッティの「泥棒とオールドミス」より“私を盗んで”、レナード・バーンスタインの「キャンディード」より“きらびやかに着飾って”。

仏、日、伊、米というバラエティ豊かな選曲である。またプーランクやクルト・ワイル、メノッティ、レナード・バーンスタインといった「知名度はそこそこあるが作品はそれほど知られていない作曲家」の作品を選んでいるのも興味深い。

 

細川智美とともに純白のドレスで登場した川越塔子であるが、細川のピアノソロの間に着替えて、赤のコルセット風トップスに黒のミニスカートでプーランクを歌い、第2部では紫の着物姿で團伊玖磨の「夕鶴」にプッチーニの「蝶々夫人」という日本ゆかりの曲を歌い、最後は「月の光」独奏の間に薄萌葱のドレスに着替えて残りのプログラムを歌った。舞台監督さんに「こんなに着替える人、初めてです」と言われたそうである。

マイクを手にトークを挟みながらの歌唱。話もウイットに富んで面白いし、プラカードを使って笑いを誘ったり、“オランピア(オランピアは機械仕掛けの人形である)の唄”ではオペラ本番さながらに動きを止めたりギクシャク動いたりと、とにかく聴き手を楽しませるエンターテインメント性豊かな歌手である。

歌声も安定しており、とかく「お堅い」とされるクラシック音楽界にあって、楽しませることを考えた面白いコンサートであった。

 

アンコールは3曲。プッチーニの「トスカ」より“歌に生き恋に生き”、ドリーブの「カディスの娘たち」ではカスタネットを叩きながらの歌唱、3曲目は中島みゆきの「糸」であった。

カスタネットを叩きながら歌う練習をしているとのことだったが、「カルメン」をやる予定があるのだろか? ちなみに今年の春秋座オペラでは「魔笛」の夜の女王を歌うことが決まっている。

「糸」を歌う前には、川越は「皆さんと一緒に歌いたい」と述べたため、あるいは聴衆の人達にも歌って貰いたかったのかも知れないが、京都人はノリは良くないので、歌う人はいなかった。大阪人はノリが良いので参加してくれる人がいたりするのだけれど。私は前の方の席だったので、口パクだけはした。中島みゆきの「糸」は自分からカラオケで歌うことはないのだが、人に頼まれて歌うことはたまにある。

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2021年4月11日 (日)

コンサートの記(709) 現田茂夫指揮 京都市交響楽団第524回定期演奏会

2009年5月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第524回定期演奏会に接する。今日の指揮者は現田茂夫(げんだ・しげお)。

現田茂夫(愛称は「ゲンタ」)は、京都市交響楽団の常任指揮者である広上淳一と東京音楽大学において同窓であり、当然ながら知り合いである。現田は東京音楽大学卒業後、東京藝術大学でも指揮を学び、その後、オペラとコンサートの両方で活躍している。夫人はソプラノ歌手の佐藤しのぶ。以前は指揮者としてよりも、佐藤しのぶの旦那としての方が有名であった。

曲目は、前半がビゼーの歌劇「カルメン」より抜粋(メゾ・ソプラノ:福島紀子、テノール:松本薫平、バリトン:萩原寛明)、後半がシチェドリンの「カルメン組曲」(原曲:ビゼー)という興味深い組み合わせ。

今年の兵庫県立芸術文化センター・佐渡裕芸術監督プロデュースオペラの演目が「カルメン」なので、その予習にもなる。

京都市交響楽団による「カルメン」の音楽は、広上淳一指揮による実演を聴いているのでそれとの比較になるが、現田茂夫の方がテンポは平均的演奏に近い。だが、ハーモニーに関する感度の違いか、今日の演奏は広上指揮のものに比べると音がモワモワして団子状に聞こえた。

独唱者3人はいずれも見事な歌唱。現田の指揮もオペラでの豊かな経験を生かし、曲を楽しむには十分であった。

演奏は、後半のシチェドリンの「カルメン組曲」の方が更に良かった。弦楽と打楽器のための作品だが、打楽器奏者が様々な楽器を掛け持ちするため、視覚的にも面白い。現田は巧みにオーケストラを導き、聴き応えのある演奏に仕上げた。演奏終了後、盛んな拍手が現田を称えた。

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2021年4月 6日 (火)

コンサートの記(705) 「岩田達宗道場 Vol.2 オペラハイライトコンサート」@宝塚ベガ・ホール

2021年3月30日 宝塚市立文化施設ベガ・ホールにて

午後6時から、宝塚ベガ・ホールで、「岩田達宗道場 Vol.2 オペラハイライトコンサート」を聴く。

「岩田達宗道場」といわれても何のことか分からない人の方が多いと思われるが、オペラ演出家の岩田達宗(たつじ)とテノール歌手の迎肇聡(むかい・ただとし)が2020年6月に創設した若い演奏家のための鍛錬の場で、リモートにより講義や実技が行われた。有料であるが聴講も可能なので、参加しても良かったのだが、こちらもスケジュールが合わない日の方が多いため、見送っていた。ということで、オペラコンサートも当初は行く予定はなかったのだが、岩田さんが演出する予定の「ラ・ボエーム」の西宮公演と、堺での「愛の妙薬」がいずれもコロナの影響で中止になってしまったため、オペラを聴く予定がポッカリ空いてしまい、また宝塚ベガ・ホールにはまだ行ったことがないため、興味を引かれた。

ただ、今は時差出勤で、今週は早番であるため通常なら早めに終わるが、急な予定が入る可能性も否めないため、予約は入れず、当日券で入ることにする。

阪急清荒神駅の目の前にある宝塚ベガ・ホール(正式名称は「宝塚市立文化施設ベガ・ホール」)は、1980年竣工ということで、なかなか年季が入ったホールなのだが、レンガ造りのように見える(実際はどうなのかわからない)壁面とパイプオルガン、高い格子天井というお洒落な内装が特徴で、今回は舞台セットなしでの演奏であるが、セットなしでも各場面がドラマティックに見えるという利点がある。阪神間ロマンの重要地点であった宝塚市が持つ文化の奥深さを実感させられる施設である。ホール前には、2002年にウィーン市から贈られたというヨハン・シュトラウスⅡ世の像が建ち、最高の出迎えとなっている。

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岩田達宗道場は、岩田達宗の名が入っているが、代表は迎肇聡が務めるという変則的なものであるが、共同代表という形と見て良いと思われる。今回のコンサートも演出とナビゲーターは岩田達宗が担当している。

全席自由であるが、前から4列目までは飛沫対策として使用出来ないようになっており、また歌手達はマウスシールドをしての歌唱となる。演技と衣装付きでの歌唱。伴奏はピアノの掛川歩美が全曲一人で担当する。

歌手は総勢18名が登場するが、コロナによって会うこともままならない状態が続いており、18名全員が顔を合わせるのは今回が初めてだという。出演は、岩田達宗と迎肇聡が共に大阪音楽大学の教員ということもあって、全員が大阪音楽大学の学部や大学院や専攻科で学んだことのある若者達である。中には大阪音楽大学の大学院在学中という人もいる。将来が期待される若手達であるが、すでにコンクールで優秀な成績を上げていたり、関西歌劇団やびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーとして活躍している人もいる。

 

曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」、ドニゼッティの歌劇「ランメルモールのルチア」、モーツァルトの歌劇「魔笛」からのハイライトで、いずれ約1時間ほどのハイライト上演、合間に10分の休憩を挟んで合計で3時間以上と長丁場である。

出演者は、東里桜(あずま・りお)、乾彩子、岡田彩菜(あやな)、奥村哲(さとる)、田口絵理、中井百香(ももか)、中村理子(みちこ)、長太優子(なごう・ゆうこ)、難波孝、野尻友美(ともみ)、芳賀健一、福西仁(じん)、森千夏(ちなつ)、安井裕子(ゆうこ)、山村麻依、山本千尋、吉本朱里(あかり)、脇阪法子。女声は安井裕子だけがメゾ・ソプラノで、他は全員ソプラノ。男声は福西仁だけがテノールで、他はバリトンである。

客席も大阪音楽大学の関係者が多く、関西のオペラ好きなら知っている大物歌手も聴きに来ている(もっとも、出演者と師弟関係だったりもする)。

字幕なしでの原語歌唱による上演だが、演奏前に演出兼ナビゲーターの岩田達宗が舞台上であらすじや場面の内容などを、時代背景や自らの解釈を踏まえつつ紹介するため、「なにがなにやら」ということにはならない(といっても、オペラというものを一度も観たことのない人にとっては苦しいと思われるが、そうした人が今回のコンサートにふらりとやって来るとは思えないため、問題はないだろう)。

「魔笛」は、演技は日本語で、歌唱はドイツ語で行われる。今の若い歌手達が第一線で活躍する頃には日本語によるオリジナルオペラが今よりも盛んに上演されている可能性が高いため、若いうちに日本語での演技力も高めておきたいところである。ドイツ語圏には、国立の演劇音楽大学というものがいくつもあって、声楽専攻の人も演劇の実技を受けられたりするようだが、日本の場合は、演劇とクラシック音楽の専攻の両方があるのは、日大藝術学部や大阪芸術大学など数える程度で、他専攻の授業をどれだけ取れるのかも不明である。大阪音楽大学も勿論、オペラ向けの演技指導は行っているが、あくまでオペラ向けの演技である。「魔笛」のセリフと歌唱を聴いても思ったのだが、セリフと歌唱の表現力は必ずしも一致しないようである。

若さとはやはり特権であり、みなパワーがあり、声が瑞々しい。まだまだ怖いもの知らずでいられる時期ということもあり、思いっきりの良い歌唱と演技が見られる。窮地に陥っている音楽界であるが、こうした活きの良い歌手が大勢いるなら、コロナなど恐るるに足らずと思えてくる。とにかく音楽に関しては日本の未来は明るいようである。客席も身内が多いということで温かな空気に満ちており、出演者達の溌剌とした演技と歌唱を支えていた。私自身は大阪音楽大学とは特に関係はないが、良い体験になったと思う。

勿論、若さ全てがプラスに働くというわけではなく、演技も歌唱も未熟な部分があるのは確かで、今日のよう実質的なホームではなく、アウェイになった場合にどこまで通用するのか未知数という不安もある。だが、それを乗り越えていけそうなパワーを彼らから感じた。今日はそのアリアは歌われなかったが、「恐れるな若者よ」と歌いたくなる――ソプラノの曲なので実際には歌えないわけであるが――気分であった。モーツァルトやベートーヴェンも確信していた最高の武器、「音楽」を彼らは手にしているのである。

アンコールとしてモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」よりフィナーレが上演される。音楽をする喜びに溢れた出演者達の顔を見ていると、こちらも自然と笑顔になる。

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2021年3月12日 (金)

コンサートの記(701) びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー作曲 歌劇「ローエングリン」 2021.3.7 沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほか

2021年3月7日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホールプロデュースオペラ ワーグナーの歌劇「ローエングリン」を観る。ワーグナー作品を積極に演奏して、近年では「日本のバイロイト」とも呼ばれるようになっているびわ湖ホール。楽劇「ローエングリンの指輪」に4年がかりで挑み、昨年は最終作である楽劇「神々の黄昏」が新型コロナによって公開上演こそ中止になったものの無観客上演を行い、同時配信された映像が世界各国45万人以上の視聴を記録するなど、話題になった。そして今年は人気作の「ローエングリン」。コロナ第3波が心配であったが上演に漕ぎ着けた。だが、昨日今日と2回公演のうち、今日の公演は、当初は外国人キャスト2名が出演する予定だったのだが、入国制限による来日不可ということで日本人キャストに変更になり、更にエルザ役の横山恵子が体調不良のため降板し、元々カバーキャストとして入っていた木下美穗子が出演することになった。関西は緊急事態宣言が解除され、街に人も多くなったが、余波はまだ続いている。

今回はステージ前方の2ヵ所に台を築いてのセミ・ステージ形式での上演である。映像と照明を駆使し、演技と衣装も凝っていて、セミ・ステージではあるが十分にドラマを楽しめるようになっている。

指揮は、びわ湖ホール芸術監督である沼尻竜典。演奏は京都市交響楽団。演出は粟國淳(あぐに・じゅん)。出演は、斉木健詞(ドイツ王ハインリヒ)、小原啓楼(おはら・けいろう。ローエングリン)、木下美穗子(エルザ・フォン・ブラバント)、黒田博(フリードリヒ・フォン・テルラムント)、八木寿子(やぎ・ひさこ。オルトルート)、大西宇宙(おおにし・たかおき。王の伝令)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーと客演歌手による混成である。

パンフレットは無料ながらボリューム十分で読み応えがあり、びわ湖ホール プロデュースオペラの良心が窺える。

 

京都市交響楽団はステージ前方を歌手達に譲り、舞台の中央部で演奏。舞台奥部にはひな壇が設けられていて、そこに合唱が陣取る。合唱とオーケストラの間には、ビニールを張り巡らした柵が設けられており、飛沫対策が取られている。なお、合唱は全員不織布マスクをしながらの歌唱である。合唱スペースの後ろにスクリーンが下りていて、ここに様々な映像が投影される。

オルトルート役の八木寿子は真っ赤なドレスを纏っており、オルトルートが主役となる場面では照明も赤に支配される。一方、エルザが主役の場面では神秘的な青系の照明が用いられる。

びわ湖ホール大ホールの前から3列目までは飛沫対策のため空席となっているが、ここにモニターが4台ほど設置されており、歌手達はモニターで沼尻の指揮を確認しながら歌うことになる。更に第2幕や第3幕では、金管のバンダが、空席になっている前方席の両側で壁を背にしながらの演奏を行う。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田尚泰。泉原隆志がフォアシュピーラーに入る。弦楽器の配置はドイツ式の現代配置がベースだが、コントラバスは最後列、合唱スペースの前に横一線に並ぶ。管楽器はコンサートの時とは違い、下手側のヴァイオリン奏者の背後に木管楽器群やハープが並び、上手側のチェロ奏者やヴィオラ奏者の後ろにティンパニなどの打楽器や金管楽器が入る。
バンダが多用されるため、トランペットの客演奏者が多い。またオルガンの演奏を桑山彩子が務める。

それまで歌手達が主役で、管弦楽は伴奏だったオペラだが、ワーグナーはオーケストラと歌手が一体となった一大交響楽を構想し、実現していった。その後、総合的なスタイルは更に追求され、楽劇というジャンルを生むことになる。

ワーグナーは子どもの頃は音楽よりも文学を好んでおり、シェイクスピア作品などを愛読。音楽家よりも文学者を夢見る少年であった。ということもあって、ワーグナーは自身の歌劇や楽劇の台本のほとんどを自ら執筆しており、「ローエングリン」もまたワーグナーが台本から音楽に至るまでを一人で手掛けた作品である。

ワーグナーはかなりハチャメチャな人生を送った人物であり、作曲家としては遅咲き。もっとも早い時期から優れた音楽の才を示していたのだが、人間関係の形成が下手だったり、倫理面で問題があったりしたため、人から受け入れられにくかった。「音楽史上最も性格が悪かった有名作曲家は誰か」というアンケートを行ったら、おそらく1位になるのはワーグナーであろう。その後、革命運動に参加したことで指名手配され、スイスでの亡命生活を余儀なくされる。革命運動参加の直前に完成した「ローエングリン」だが、上演の機会はドイツ国内に限られたため、ワーグナーは自作でありながら長きに渡って「ローエングリン」を観る機会を得ることが出来なかったという。初演は、1850年。フランツ・リストの指揮によりワイマール宮廷劇場で行われた。

 

事件や進行、感情などは全て歌われるため、筋の把握自体はそれほど困難ではない作品である。
先日、NHKオンデマンドで観た2018年のバイロイト音楽祭での「ローエングリン」について書いた際にもあらすじは記したが、もう一度確認しておく。

舞台となっているのは、現在のベルギー北部にあったブラバント公国である。先のブラバント大公が亡くなり、エルザとジークフリートという大公の子が残される。だが、ある日、森に出掛けたエルザとジークフリートは迷子になり、エルザは戻ったが、ジークフリートの行方はようとして知れない。ブラバントを訪れたドイツ王ハインリヒは、ブラバントの貴族、フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵から、「エルザがジークフリートを殺害し、継承権を独り占めにしようとしている」との告発を受け、裁判を行うことにする。
被疑者であるエルザであるが、申し開きをするよう言われても、「白鳥の曳く小舟に乗って騎士がやって来る」といった、否認とは全く関係のない話をし始める。なんとも妙なのだが、実際に白鳥の曳く小舟に乗った騎士(ローエングリンである)がやって来る。そしてエルザの窮地を救うことになる。
フリードリヒは、ブラバントに貢献する数々の人材を生んだ名家出身のオルトルートと結婚した。実はオルトルートは魔女であり、フリードリヒは妻となったオルトルートの助力を得ていて、そのことで自信満々であったが、騎士と決闘してあえなく敗れ去る。

余り触れられていないことだが、エルザもまた予知能力のようなもの、あるいは思い描いた通りの騎士を呼び寄せる力を持っており、明らかに異能者である。「ローエングリン」は実は異能者である女性二人の対決という側面を持っているように思われる。

騎士は名を明かさず、正体を問うてもいけないと人々に誓わせるのだが、エルザにだけは正体を明かす可能性を話す。これがその後の悲劇への第一歩となる。オルトルートはエルザに、「後ろ暗いところがあるから正体を明かせないのではないか」「本当に彼の身分は貴族なのか」と疑問をぶつけ、エルザの心を揺るがす。

結婚式が終わり、二人きりとなった騎士とエルザだが、エルザは騎士に正体を明かすよう迫る。騎士は、「信じる力があれば名など知らなくてもいい」という意味の言葉を繰り返す(「ロミオとジュリエット」のバリエーションのように見えなくもない)。知られたなら全てが終わることを知っているからだ。だが、エルザは騎士を信じることが出来ず、破滅へと向かう。

絶対的な信仰の時代であった中世(それゆえ進歩も滞り、「暗黒の中世」などと呼ばれることになる)が終わり、科学の発展により信仰の屋台骨がきしむ時代が訪れていた。「神」の存在そのものへの疑問である。その代表格であるニーチェはワーグナーのシンパだった。
ニーチェはワーグナーに対して信仰に近い心酔を示していた。おそらくニーチェにとってはワーグナーこそが神に成り代わって世界を再生させる存在でもあったのだろうが、やはりこの関係もニーチェのワーグナーに対する不信により終わりを告げている。

自己を神格化するような性格であったワーグナーは、音楽に多大なる影響を与えたが、それが調性音楽の崩壊という一種のバッドエンドを招いている。

神の時代が終わり、人間の時代が来る。これは政治や宗教のみならず文化でもそうであり、音楽にも当然ながら反映される。そしてその人間の欲望の肥大化が、二つの世界大戦など20世紀の悲劇を招き、音楽も時の政権によって利用されることになるのだが、それはまだ先の話である

 

私個人の話をすれば、――興味がある人は余りいないと思われるが――、京都に移住後、真宗大谷派の門徒としての信仰生活に入るようになった。宗教色の余り強くない関東で育った人間にとって京都で生きるためにはそれは必須であるように思われた。どの宗教や宗派を選ぶかから始まり、最終的には父方の家の宗派である真宗大谷派を選ぶ。人間としての軸の創造である。高村光太郎的に言えば、地理的な意味ではないが「ここを世界のメトロポオルとひとり思」うことにしたのだ。ただ実感するのは、今の時代に宗教色の弱い地域に生まれ育った人間が絶対の信仰を得るのは難しいということだ。親鸞ですら弥陀の本願を信じ切れずに苦悩した、況んや~をやである。
絶対的な信仰は、心のみならずあらゆるものの安寧へと結びつく。最近では唯識思想を学ぶなど、知識が広がることへの喜びも覚える。だがそれは、基本的には知的満足においてである。理論体系に納得することは出来ても信じることは難しい。それが私のみならず現代に生きる人間の宿命である。信じることが出来たなら楽になれることはわかるのだが、それは不可能なのだ。

 

一方で、信念は狂信へと繋がる歴史を生んだ。石原莞爾が構想に関与した満州国は傀儡国家なのは間違いないが、日蓮宗国柱会の人間であった石原は本気で日蓮聖人が説いた理想郷を満州の地に生むつもりだったよう思われる。そしてその信念は、結局、悲劇で終わる。

ワーグナーを愛好したヒトラーはゲルマン民族の優越を信仰した。客観的に見れば異様にしか見えない彼の盲信は、世界的な災禍を招くことになった。

彼らは本気でユートピアの到来を信じており、それが破局へと繋がった。

そうした歴史を知った上で、まだ絶対的な何かを信じることが出来るかということだが、21世紀に入ってから、別の形での「信仰」が顕在化するようになった。従来からあったがそれが強化された形である。それを呼び寄せた者達が破滅へと向かうのは歴史的にも明らかなのだが、人々は宗教とはまた違った形の「信仰」を止めようとはしない。今回の演出では、呼び寄せた者であるエルザの最後は明確には描かれていないが、本来の筋にある彼女の破滅は、呼び寄せながら不信に陥る人間の弱さと罪業の結果であるようにも思う。信じることも信じないことも悲劇である。

 

ローエングリンとエルザのこの世界からの退場と共に、絶対的な神のいなくなった世界が始まる。おそらくそれは絶対王政の終わりとリンクしている。ワーグナーも参加した社会主義革命、それは絶対的な存在を否定する行為でもあり(この時点では却って独裁を招く形態であるとの認識を持っている人はほとんどいなかったはずである)、同時に絶対的な孤独を招く行いでもある。自由を目指す行為は、絶対的な存在の前での平等を崩してしまう。歴史を辿れば、絶対的な神のいなくなった世界では、神に成り代わろうとする英雄気取りの者達が次から次へと現れ、新たな「信仰」を生み、別の形での犠牲者を生んでいった。

 

劇の内容に関する考察はここまで。演奏であるが、なめらかな響きと輝きと神秘感を合わせ持った京都市交響楽団の演奏が見事である。
関西では、びわ湖ホール以外でも演奏を聴く機会の多い沼尻竜典。キビキビとした音運びが印象的であるのと同時に、コンサートレパートリーではややスケールの小ささも感じられる指揮者であるが、オペラの演奏に関してはドラマティックな音楽作りといい、語り口の上手さといい、優れた適性を示している。スケールも雄大であり、彼には絶対音楽よりもこうした物語性のある音楽の方が向いているようだ。沼尻も十八番がなんなのかよく分からない指揮者なのだが(マーラーやショスタコーヴィチは良い)、オペラの指揮に関しては全幅の信頼を置いてもいいように思う。

歌唱も充実。オーケストラよりも前で歌うということもあるが、凄絶なうねりを生むワーグナーの音楽と、それを見事に具現化する沼尻と京響と共に壮大な音の伽藍を築き上げる。
来日経験も豊富な某有名指揮者から、「日本人にワーグナーなど歌えるわけがない」と見下されてもそれを受け入れざるを得なかった時代が、遠い過去のことになったように思える。

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2021年3月 4日 (木)

NHKオンデマンド プレミアムシアター バイロイト音楽祭2018 クリスティアン・ティーレマン指揮 歌劇「ローエングリン」

2011年3月2日

NHKオンデマンドで、2018年のバイロイト音楽祭でのワーグナーの歌劇「ローエングリン」を観る。7月25日、バイロイト祝祭劇場での上演と収録である。BSプレミアムシアターで放送されたものだが、NHKオンデマンドでも観ることが出来る。同一内容と思われるBlu-rayとDVDも出ているが、日本語字幕は付いていないため、ドイツ語やその他の主要外国語が分からない場合は、ディスクではなく配信で観るかプレミアムシアターを録画していたならそれで観るしかない。

クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭管弦楽団の演奏。演出はユーヴァル・シャロン。シャロンは、「ローエングリン」をドイツ建国神話の一部ではなく、中世のフェアリーテイルと捉えており(本当かどうかは不明)、そのため、出演者は昆虫の羽根を付けている。一部、効果的な場面もあるが、いらない演出であるようにも思える。以前、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を、蝶々だというので、出演者を昆虫に見立て、それらしい衣装で出演させるという酷い演出をDVDで観たことがあるのだが(ステファノ・モンティの演出)、それを思い出した。

ティーレマンは「ローエングリン」を十八番の一つとしているが、この上演でバイロイトでのワーグナーの歌劇や楽劇全作品の指揮を成し遂げたそうである。押しの強い指揮が持ち味であり、私は苦手なタイプだが、ワーグナー指揮者としてはやはり現役最高峰であると思われる。うねるようなワーグナーの音楽を的確に音にする才能に長けている。

出演は、ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス。ドイツ国王ハインリヒ)、ピョートル・ペチャワ(テノール。ローエングリン)、アニヤ・ハルテロス(ソプラノ。エルザ・フォン・ブラバント)、トマシュ・コニェチュニ(バリトン。フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵)、ヴァルトラウト・マイヤー(メゾ・ソプラノ。オルトルート)、エギルス・シリンス(バリトン。ハインリヒ王の伝令)ほか。

シャロンの演出は、映像や電飾の多様が特徴。セットも発電所を意識したもののようだ。ローエングリンは、雷の剣を持っているのだが、そのためか電気技師の格好をしている。そしてエルザは最後の場面ではレスキュー隊を想起させるオレンジ色の衣装ということで、原子力発電所がモチーフとなっていることが想像される。電気関連であることの分かる演出はその他の場面にも鏤められている。原発への信頼を問う演出であり、脱原発へと舵を切ったドイツらしい演出であるとも言える(ユーヴァル・シャロン自身はアメリカ人である)。勿論、日本も他人事ではない、というよりも張本人のような立場に残念ながら立ってしまっている。そして日本は原発をまだ続ける予定である。

テーマは置くとして(本来は置いてはいけないのだが)、決闘の場面では、吹き替えのキャストが宙乗りになり、中空で闘うなど、外連に富んだ演出が目立つが、どことなく歌舞伎っぽい。そして第3幕には本来ないはずの地震のシーンが加えられている。その直後に、エルザが騎士ローエングリンの正体を知ったことが表情で分かり、騎士は頭を抱える。ラストもドイツの未来を描いたものと思われるが、日本絡みのように見えなくもない。ちなみにエルザもオルトルートも死なない。

「ローエングリン」は、アリアよりも、第1幕への前奏曲と、第3幕への前奏曲が有名で、コンサートでもよくプログラムに載る人気曲目である。また、コンサートでは演奏されることは少ないが、第3幕で演奏される「婚礼の合唱」は、「結婚行進曲」としてメンデルスゾーン作品と共に、ウエディングの定番となっている。

白鳥が重要なモチーフとなっているが(今回の演出では白鳥は具体的な形では出てこない)、白鳥を表す主題は、後に書かれたチャイコフスキーの「白鳥の湖」に用いられたメロディーに酷似しており、チャイコフスキーがワーグナーの白鳥の主題をモチーフとして取り入れたことが想像される。


「ローエングリン」は、現在のベルギーに当たるブラバントのアントワープ(アントウェルペン)を舞台とした歌劇である。聖杯伝説などのドイツの神話を下敷きとしており、ワーグナーの他の歌劇や楽劇などとも関連が深い。
先の大公が亡くなり、その娘であるエルザと息子のジークフリートが行方不明となる。エルザは戻ってくるが、ジークフリートの行方はようとして知れない。ブラバントで名声を得ているフリードリヒが、「継承権を奪うために、エルザがジークフリートを殺したのだ」として告発し、裁判が行われる。エルザは自己弁護は特にせず弟の境遇を嘆き始め、「夢の中で白鳥が曳く小舟に乗った騎士を見た。彼が現れる」という不思議なことを語る。そうこうしているうちに本当に夢の中で見た騎士が白鳥が曳く小舟に乗って現れる(この辺はリアリティがないが、そもそもこれはリアルな物語ではない)。ハンガリーとの戦いにそなえてブラバントにやって来ていたドイツ国王ハインリヒは、両者が決闘を行い、騎士(観客は歌劇のタイトルからその名がローエングリンであることは知っている)が勝てばエルザは無罪、フリードリヒが勝てばエルザが有罪と決める。それが神の御意志であるとする。デンマーク制圧などに貢献した傑出した武人であったフリードリヒだが、謎の騎士の前に完敗。騎士はエルザを妻に迎えることにするが、自身の正体を問うてはならないと全員に誓わせる。だが、魔女のオルトルートの話術に乗せられたエルザは騎士の正体に疑念を抱いて……というストーリーである。今回の演出では、第3幕でそれまで各国が行っていた原発広報の危険性と暴力性を問うシーンが出てくる。

なお、調べてみたところ、2017年から2018年に掛けて、新たな発電方式が話題になったことが確認出来た。あるいは最新の情報を取り入れたラストと見ることも可能であるように思われる。もっとも、ワーグナーとも「ローエングリン」とも直接関係のない演出だけに、カーテンコールで結構な数のブーイングが飛んでいることも確認出来る。

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