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2020年10月23日 (金)

コンサートの記(663) 能「隅田川」×オペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演「幻(GEN)」ソーシャルディスタンス対応公演@よこすか芸術劇場

2020年10月18日 横須賀・汐入の横須賀芸術劇場内よこすか芸術劇場にて

午後2時から、京急汐入駅前にある横須賀芸術劇場内よこすか芸術劇場で、能「隅田川」×オペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演「幻(GEN)」を観る。世阿弥の息子である観世元雅の作による狂女ものの有名作「隅田川」と、20世紀のイギリスを代表する作曲家、ベンジャミン・ブリテンが「隅田川」を東京で鑑賞した時にインスパイアを受けて書かれた作品「カーリュー・リヴァー」(台本:ウィリアム・プルーマー)の連続上演である。「カーリュー・リヴァー」は最初はオペラと定義されず、「教会上演用の寓話劇」と題してサフォーク州オーフォードの聖バーソロミュー教会という小さな教会で初演されたが、現在ではオペラとして歌劇場で上演されるようになっている。2014年に大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスで、山下一史の指揮、井原広樹の演出で観ているが、それ以来、久しぶりの再会となる。

能「隅田川」は、映像や歌舞伎版(南座にて坂田藤十郎の狂女)では観ているのだが、劇場で観るのは初めてとなる。

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よこすか芸術劇場の感染症対策であるが、まず横須賀芸術劇場が入っているベイスクエアよこすかの3階入り口からは1階席前方の席を取った客が入場し、それ以外の客はベイスクエアよこすか4階から入ることで分散を図る。チケットの半券は自分でもぎって箱に入れ、パンフレットも自分で取る。サーモカメラによる検温も行う。
そもそも「幻(GEN)」はチケット発売時に通常の形で売り出したが、それをいったん全て払い戻しとし、客席前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応公演として再度チケットを発売して行われている。
終演後は、混雑を避けるために時差退場が行われた。

 

能「隅田川」の出演は、観世喜正(シテ・狂女)、観世和歌(子方・梅和若丸)、森常好(ワキ・渡し守)、舘田善博(ワキツレ・旅人)。笛:竹市学、小鼓:飯田清一、大鼓:亀井広忠。演出は観世喜正が行う。観世喜正は2005年からよこすか芸術劇場で「よこすか能」をプロデュースしているそうである。「よこすか能」は蝋燭を使った演出が特徴だそうで、今回も巨大蝋燭数本に小型の蝋燭数百本が灯される中での上演である。日本語字幕付き。

武蔵国と下総国の国境を流れる隅田川。現在とは水路も異なるが、川幅も今の2倍ほどはあった巨大な川である。後に荒川放水路が出来て川幅は狭くなっている。
国境ということで(江戸時代中期以降には二つの国に跨がることが由来である「両国」の東岸が栄えるようになり、後に隅田川以東の葛飾は武蔵国に編入されることになる)、あの世とこの世の境、つまり三途の川にも見立てられている。
とにかく川幅が広いため、渡るのも容易ではない。また坂東の川はよく荒れる。ということで渡し守も何度も川を渡ることはままならず、客を溜めてから渡すことにする。旅人が現れ、渡し守と子細を話す。丁度1年、商人に連れられて来た少年が隅田川を渡ったところで病死した。商人は少年を見捨てて行ってしまったという。今日はそれから1年目ということで供養のための大念仏が唱えられているという。
そこへ、狂女がやって来る。京・北白川に住まいしていた女であり、我が子がさらわれたため、追って東国までやって来たのだ。
隅田川で詠まれた歌として知られる、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」が効果的に用いられ、狂女がただの狂女ではなく、元は教養溢れる人物であったことが偲ばれ、一層の哀感を誘う。

船の上で渡し守が1年前に亡くなった少年のことを語り、狂女がそれが自分の息子だと徐々に気付く。狂女役の観世喜正は、少しずつ少しずつ体を時計回りに回転させ、そのことを表現する。

少年を埋葬した塚の前で念仏が唱えられ、狂女もそれに加わるのだが、突然、念仏に子どもの声が混じり、少年の幽霊が現れる。

少年の幽霊を登場させることに、観世元雅の父親である世阿弥が大反対したという話が残っているが、子方を出すと生々しくなるというのがその理由の一つだと思われる。幽玄さも後退するだろう。だが、この能の本質が「哀感」であるとしたのなら、子方を出した方が狂女の悲しみへの共感はより強まるだろう。目の前に見えているのに触れることも叶わずに訪れる別れ。それこそが「隅田川」を傑作へと昇華しているのだと思われる。
狂女を演じる観世喜正の動きは抑制されたものであったが、それゆえにその心情が惻々と伝わってきた。語らざる雄弁であり、動かざるダイナミズムである。

 

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ブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」。日本語字幕付きの上演であるが、タイトルには「キリスト教会上演用の寓話劇」と記されており、舞台に教会のステンドグラスが映されるなど、キリスト教的要素の濃い上演となる。「隅田川」に念仏を唱えるシーンがあるため、よりクッキリと対比を付けたいという意図もあるのかも知れない。

演出は彌勒忠史。小編成のオーケストラのための作品で、指揮者を置かないというのがブリテンの指示である。ただ、今回、オルガンと音楽監督を務めるのが鈴木優人というのが最大の売りであり、鈴木優人だけが客席に背中を向けての演奏し、またそのキャリアから事実上の指揮者であることは明白である。演奏は鈴木の他に、上野星矢(うえの・せいや。フルート)、根本めぐみ(ホルン)、中村翔太郎(ヴィオラ)、吉田秀(よしだ・しゅう。コントラバス)、高野麗音(たかの・れいね。ハープ)、野本洋介(パーカッション)。邦楽器を模した音型が登場するのが特徴である。
出演は、鈴木准(狂女)、与那城敬(渡し守)、坂下忠弘(旅人)、町田櫂(霊の声。ボーイソプラノ。横須賀芸術劇場少年少女合唱団員)、加藤宏隆(修道院長)。巡礼者役(合唱)として、金沢青児、小沼俊太郎、吉田宏、寺田穰二、寺西一真、山本将生、奥秋大樹、西久保孝弘が出演する。

 

「カーリュー・リヴァー」も大型蝋燭2本に火を灯しての上演となる。
まず、「隅田川」でも鳴り物を務めた、竹市学、飯田清一、亀井広忠の3人が登場し、邦楽の演奏を行う。その後、修道僧が登場し、オペラ「カーリュー・リヴァー」が始まるのだが、いかにもキリスト教的な賛美歌風合唱から始まるため、かなりの落差が感じられる。

ブリテンとプルーマーは、亡くなった子を「聖人」としており、そのことからして「隅田川」とはかなり趣が異なる。
出演者達は、口元を布で隠し、頭巾を被っている。大谷刑部こと大谷吉継のようだが、これはコロナ対策であると同時に、宗教的な雰囲気を出す役割も担っていると思われる。

カウンターテナーでもある彌勒忠史は、観世喜正と2018年まで数年に渡って、市川海老蔵の「源氏物語」で共演してきたそうで、能の要素を取り入れた演出となっている。元々はもっと能の型を全面に取り入れるはずだったのだが、コロナの影響で少しシンプルになったようだ。だが、狂女が、さらわれてきた子が我が子だと気付く場面で、「隅田川」の観世喜正と完全に同じゆっくりとした振り返りを取り入れており、能との連続上演ということで、違う作品に同じ動きを取り入れることで却って明らかになる差違を示していく。

「隅田川」では現れるだけだった少年が、「カーリュー・リヴァー」ではキリスト教的な救済を述べる。ブリテンもプルーマーも「隅田川」的哀感ではやはり救いがないと思ったのだろうか。「隅田川」も、日本的「哀れ」を描いた作品であり、他国の人に完全に伝わるかどうかは疑問である。また宗教観の違いもあり、有名な「悲しむ者は幸いである」をメッセージとして入れるべきだと感じたのかも知れない。なによりこれは救済のための「寓話」として再現された「隅田川」である。

鈴木優人を音楽監督とする演奏者達は、邦楽からの置き換えを上手く表現しつつ、高雅な響きを紡ぎ上げる。独唱者も合唱も充実しており、ブリテンの叡智と才気を十全に表現していた。

両作品とも、突如として響き渡る子どもの声が効果的に用いられている(「カーリュー・リヴァー」では舞台奥の紗幕の後ろに少年の姿が浮かび上がる)。それは突然の啓示のようでもあり、闇の中に不意に差し込んできた光のようでもある。金曜日に小林研一郎指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で聴いた、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲のオルガンにもそうした要素があるが、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により、未来が全く見えない今現在、求められている救いにも似たものである。
もののわかった振りをした山師的な人々が現れては消えているが、そうした打算的なものとは違った本当の恩寵が、フィクションの世界の中とはいえもたらされていることが、あるいは救いなのかも知れない。

フィクションとは絵空事ではなく、人類の歴史が凝縮されたものである。これまで人類に降りかかってきた数々の悲劇が、そこには詰め込まれているが、にも関わらず人類は今も存在して歩みを続けている。それは希望に他ならない。

 

 

上演終了後、どぶ板通りを歩いてみる。コロナの影響からか、あるいは日曜の夜だからかはわからないが閉まっている店も多い。
一昔前に比べるとアメリカ系の店舗は減ったといわれているが、それでも迷彩服姿の米兵が何人も歩いているなど、日本離れした光景が広がっている。
舗道には横須賀ゆかりの有名人の手形が押してあり、指揮者の飯森範親(鎌倉生まれの葉山育ちだが、横須賀市内にある神奈川県立追浜高校出身)と横須賀市出身のヴァイオリニストである徳永二男(元NHK交響楽団コンサートマスター)の手形が並んでいた。

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2020年3月22日 (日)

これまでに観た映画より(161) 「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」

2020年3月18日 京都シネマにて

京都シネマで、イタリア映画「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」を観る。原作・原案:アンドレア・ボチェッリ。「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォード監督作品。出演は、トビー・セバスチャン、ルイーザ・ラニエリ、ジョルディ・モリャ、エンニオ・ファンタスティキーニ、ナディール・カゼッリ、アントニオ・バンデラスほか。
イタリアで制作された映画であり、イタリア人俳優も数多く出演しているが、アンドレア・ボチェッリ本人のメッセージ以外のセリフは英語が用いられている。
邦題は「アンドレア・ボチェッリ」であるが、原作となったボチェッリの実話小説のタイトルと原題は「The Music of Silence」で原題の方がボチェッリが込めたメッセージに近い。というより、邦題だと単なるボチェッリのサクセスストーリーだと勘違いされる怖れもある。タイトルは大事である。

何度も繰り返すが、邦題は「アンドレア・ボチェッリ」であるが、映画の主人公の名前はアモス・バルディ(トビー・セバスチャンが演じている)である。もし許されるのならアンドレア・ボチェッリが名乗りたかったという理想の名前で、バルディという苗字は出身地であるイタリア・トスカーナ地方によくあるものだという。

バルディ家の長男として生を受けたアモスであるが、母親(ルイーザ・ラニエリ)が異変に気づき、診断を受けたところ先天性の緑内障であることが判明する。手術を受け、失明は免れたが弱視のまま育つ。入院先でアモスは音楽に興味を示す。子どもの頃のアモスのお気に入りは自宅の倉庫だった。そして大好きな叔父さんジョヴァンニ(エンニオ・ファンタスティキーニ)が掛けるレコードにアモスは惹かれていく。
やがて目に問題を抱えた子ども達のための寄宿学校にアモスは入ることになる。音楽の授業で、アモスは美声を見いだされることになるが、鈴の音サッカーでキーパーをしている時にシュートを顔面に受け、ついに全盲となってしまう。落ち込むアモスをジョヴァンニ叔父さんが無理矢理歌唱コンクールに参加させる。まずオーディションを突破したアモスは決勝でも青年シンガーを退けて優勝する。オペラ歌手を夢見るようになるアモスだったが、声変わりをしてからは歌声に自信が持てなくなる。父親(ジョルディ・モリャ)はピアノなどの演奏家を目指してはどうかと提案するが、演奏家は視覚障害者の定番だからという理由で避け、弁護士を目指して名門高校へ進学。しかし、視覚障害者を受け入れられる素地が高校には整っていなかった。コンクールに出た時の歌声を知っていたアドリアーノと親友になったアモスは勉強そっちのけでバンド活動などに打ち込み、成績は低迷。これを聴覚教育に優れた家庭教師の教育で乗り切り、大学の法学部に進学したアモスは、夜にはバーで弾き語りのアルバイトを始める。そこで高校在学中のエレナ(ナディール・カゼッリ)と出会い、エレナからのアプローチによって二人は恋に落ちる。
バーでオペラの楽曲の弾き語りを行って評判となったアモス。そこでジョヴァンニ叔父さんが本職の音楽評論家を連れてきて聴いて貰うのだが、ボロクソにけなされる。
そんなある日、ピアノの調律などを手掛ける友人がスペイン出身の歌唱指導のマエストロ(アントニオ・バンデラス)の指導を受けるよう進言。マエストロに評価されたアモスは生活から変えていくことになる。

マエストロから「沈黙」の時間を大切にするように言われたことが、この映画における最も重要な主題となっている。その理解を邦題は妨げるようになりそうな危うさがある。

ストーリー的にはオーソドックスで特に突飛なこともなく、捉えようによっては平板であるが、とにかく音と映像と風景が美しく、音楽映画を観る楽しみを十分に味わうことが出来る。あたかもオペラの構造と同じような構成であり、あるいは意識したのだろうか。流石にそんなことはないと思うが。

邦題から受ける印象とは別の感銘を受ける映画である。

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2020年2月28日 (金)

トーマス・ハンプソン コルンゴルト 歌劇「死の都」より“憧れと空想は甦る”

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2020年1月25日 (土)

コンサートの記(621) 室内オペラ「サイレンス」(アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ)

2020年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、室内オペラ「サイレンス」を観る。川端康成の短編小説「無言」のオペラ化である。無料パンフレットには「アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ」と書かれている。台本・作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ、台本・演出・音楽監督・ビデオ演出:ソルレイ、舞台美術:シャルル・シュマン、衣装:ピエール・パオロ・ピッチョーリ。演奏は、アンサンブル・ルシリン。出演は、ロマン・ボクレー(バリトン)、ジュディット・ファー(ソプラノ)、ロラン・ストケール(語り。コメディ・フランセーズ所属)。フランス語での上演、字幕付きである。

作曲のアレクサンドル・デスプラは、映画音楽の作曲家である。「英国王のスピーチ」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「グランド・ブダペスト・ホテル」などの音楽を手掛けており、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞作曲賞などを受賞している。
ソルレイ(本名はドミニク・ルモニエ)は、ヴァイオリン演奏、舞台演出、ビデオ演出などを手掛けている女性で、デスプラの公私にわたるパートナーである。2015年に脳疾患を患うも復帰している。「サイレンス」には自身の闘病経験が反映されているという。

演奏を担当するアンサンブル・ルシリンは、ルクセンブルクを拠点とする現代音楽アンサンブル。2014年に初来日して、細川俊夫の「大鴉―メゾ・ソプラノと12の奏者のためのモノドラマ」の初演を手掛けている。

富子役のジュディット・ファーは、アムステルダム音楽院に学び、2011年にオランダ国立オペラアカデミーに入団。ベルギーのモネ劇場やフランスのエクサンプロバンス音楽祭、ルクセンブルク大劇場などで出演を重ねているという。

三田役のロマン・ボクレーは、リヨン国立高等音楽・舞踊学校を優秀な成績で卒業し、リヨン国立歌劇場で学ぶ。世界各地の国際大会で優秀な成績を収め、ハンガリーのARMEL国際オペラコンクールでは優勝に輝いている。

語りのロラン・ストケールは、1973年、フランス・オトマイヌ生まれ。ジェラール・フィリップのアトリエで学び、パリの国立演劇院でも研鑽を積む。ソルボンヌ大学では現代文学を学び、2001年にコメディ・フランセーズに入団。2004年に正団員に昇格し、ルコックシアターなどにも参加しているそうである。

 

アンサンブル・ルシリンは、ステージの後方での演奏。その上にあるスクリーンにソルレイが監督した映像が投影される。

 

アレクサンドル・デスプラの音楽は、武満徹や黛敏郎、西村朗など日本を代表する作曲家の作風を巧みに取り入れ、更に仏教音楽の要素なども用いた「和」の現代音楽を作ることに成功している。弦楽のピッチカートやコルレーニョ奏法なども多用しており、曲調がガラリと変わる場面があるなど、多彩な音楽を生み出している。

 

鎌倉の名越に実在する「お化けトンネル(鎌倉側の名越トンネルと逗子側の小坪トンネル)」の怪談をモチーフにした話である。ここは関東屈指の心霊スポットとして有名で、トンネルの上に火葬場があり、しかも鎌倉時代の城跡で、三浦合戦の激戦地として多くの人が亡くなった場所であることから、「出る」という噂が絶えない。

逗子(川端康成終焉の地でもある)に住む老作家、大宮良房が病気を患い、話すことが出来なくなって、右半身も不随になる。左手は動くのだが、大宮はもう何も書こうとはしない。大宮の20歳年下の友人である三田が大宮の見舞いに赴く。三田はおそらく鎌倉駅からタクシーに乗って逗子の大宮邸に向かうのであるが、その際にお化けトンネルをくぐる。三田はタクシー運転手(ロラン・ストーケル)に「幽霊を見たことがあるか?」と聞き、タクシー運転手はないと答える。

大宮は妻に先立たれており、娘の富子に面倒を見てもらっている。父親の介護に専念していたため富子は魅力的な女性であるにも関わらず婚期を逸しており、その姿が三田には大宮に仕える幽霊のように映り始める。

富子は三田に、大宮が若い頃、文学志望の青年から手紙を受け取ったという話をする。しかしその手紙は次第に狂的になり、青年は精神病院の閉鎖病棟に入れられる。病棟でも執筆がしたいと望む青年だったが、ペンも鉛筆も危険だというので、青年に与えられたのは白紙だけ。青年は白紙に見えない文字を綴り続けた。と、ここまでは本当にあったことなのだが、大宮はその続きを小説にしている。青年がカタカナで綴ったと言い張る文字を母親に見せるのだが、そこには当然ながら白紙しかない。そこで母親はあたかも青年が書いた文字が見えるかのように振る舞い、二人の思い出話などを語り、息子と共に小説を共作することになるという話である。「母の読める」という小説だったが、富子は大宮が実は自分達のことを小説に取り込んだのだと話し、文字が書けなくなった大宮が「娘の読める」として富子の筆で小説を執筆するという構想を三田は思いつく。沈黙の大宮に三田は、左手でカタカナを書き、コミュニケーションを行うように促すのだが、次第にその沈黙には意味があるのだと確信するようになり……。

幽霊の話が富子と結びつき、幽霊のように生き続けるであろう彼女をそのままにするしかないという諦観が、上演終了後も後を引くような話である。三田が富子に恋をしたのはわかるのだが、それが進展するとも思えない。三田もまた富子に対して本音は無言としたまま過ごしていくのであろう。

今日は前から6列目の真ん真ん中ということで、歌手達の動きは見やすいのだが、字幕は舞台両端に出るため、首を動かして確認する必要がある。
字幕であるが、最初は歌詞やセリフの日本語訳が出ていたのだが、途中から地の文も字幕で語られるようになり、文学性の強い上演となる。

ロマン・ボクレーはバリトンではあるが、ハイトーンボイスも得意としており、繊細な文学青年である三田の雰囲気を上手く出している。

ジュディット・ファーは、儚げな印象の富子を雰囲気豊かに演じる。

語りとして様々な役を演じるロラン・ストーケルは、ヴォツェックのようなメイクをしており、この物語が持つ本質的な不気味さを演技でも巧みに表現していた。

 

ソルレイの映像は、トンネルのシーンでは逗子ではなくおそらく首都高のトンネルでの映像を使っており、延々と続くライトに少し違和感も感じる。三田が大宮の家を訪ねるシーンでは、読売ジャイアンツ対阪急ブレーブスの後楽園球場での日本シリーズの模様が映し出される。読売ジャイアンツの王貞治、張本勲、堀内恒夫、阪急ブレーブスの山田久志、足立光宏ら姿が確認出来る。今はYouTubeなどの映像配信サイトでも見ることの出来るものだが、時代と季節が語られており、なかなか効果的な映像であったように思う。

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2019年12月24日 (火)

コンサートの記(616)「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」

2019年12月14日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から、大阪・京橋のいずみホールで、「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」を観る。いずみホールのディレクターでもあった故・礒山雅が企画・監修したバロック音楽のシリーズであり、礒山の遺志を引き継ぐ形で続けられている。

今日は、日本におけるバロックヴァイオリン演奏の第一人者である寺神戸亮(てらかど・りょう)が率いるレ・ボレアードの演奏会である。
レ・ボレアードとは、ギリシャ神話に登場する北風の神々で、東京都北区にある文化施設、北とぴあ(ほくとぴあ)で行われた国際音楽祭から生まれた古楽オーケストラである。「北区から文化の風を吹かそう」というメッセージが込められているそうだ。

今回は、バロックのバレエとオペラの企画である。
演目は、前半が、リュリの「アティス」より序曲~「花の女神のニンフたちのエール」~メヌエット~ガヴォット、コレッリの「ラ・フォリア」、リュリの「町人貴族(変換したら「超人気族」と出たがなんだそりゃ?)」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリア人のエール」、リュリの「アルミード」より「第2幕第2場の音楽」と「パサカーユ」。後半がラモーのオペラ「ピグマリオン」(演出:岩田達宗)。

岩田さんも神戸のお寺の子なので、寺神戸さんと一緒に仕事をするのに似つかわしい気もするが、それはどうでもいいことである。

寺神戸亮は、ボリビア生まれ。桐朋学園大学に学び、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務めている。その後、オランダのデン・ハーグ音楽院に留学。オランダはイギリスと並ぶ古楽のメッカであり、寺神戸も世界的に知られた古楽の大家、シギスヴァルト・クイケンに師事。レザール・フロリアン、ラ・プティットバンド、バッハ・コレギウム・ジャパンなどのコンサートマスターを歴任し、ソロでも多くのCDをリリースしている。1995年には北とぴあで上演されたパーセルのオペラ「ダイドーとエネアス(ディドとエネアス)」で指揮者としてもデビューしている。現在は、デン・ハーグ音楽院教授、桐朋学園大学特任教授、ブリュッセル音楽院と韓国の延世大学校(ヨンセ大学。日本では「韓国の慶応」として知られる)の客員教授を務めている。ブリュッセル在住。

 

オペラ「ピグマリオン」の演出を務める岩田達宗が司会役となり、寺神戸と二人で進行を行うのだが、二人とも話すのは本職でないため、聞きたいことと言いたいことがチグハグになって、客席からの笑いを誘っていた。

寺神戸は、「バロック音楽というと、イタリアのヴィヴァルディ、ドイツのバッハ、ヘンデルがイギリスに渡って『メサイア』を書くといったことがよく知られていますが」と他国のバロック音楽を紹介した上で、フランスのバロック音楽の豊穣さを述べていた。

 

リュリは、クラシック音楽好きの間では、「指揮中に怪我をしてそれが元で亡くなってしまった作曲家」として知られている。というよりそれでしか知られていなかったりする。
ジャン=バティスト・リュリは、イタリア出身であり、フランスに帰化して「太陽王」ことルイ14世のお気に入りの作曲家として政治分野でも権勢を振るった人物である。
ルイ14世は、音楽とバレエをことのほか愛した王様であり、自らもバレエを踊ることを好み、王立の舞踏アカデミーも創設している。

今日は二段舞台を使っての上演である。舞台にはリノリウムカーペットが敷き詰められており、ここが舞踏のスペースとなっている。レ・ボレアードは後方の一段高くなった特設ステージ上での演奏となる。

弦楽器はガット弦を用いた古楽使用のものでの演奏であるため、音はかなり小さめとなるが、いずみホールは空間がそれほど大きくないのでこれで十分である。いかにもベルサイユ宮殿での演奏が似合いそうな典雅な楽曲が流れる。

バロック時代のバレエを行うのは松本更紗(まつもと・さらさ)。桐谷美玲の本名である松岡さやさに少し似た名前である。どうでもいいことだけれど。
実は松本は、国立音楽大学とパリ市立高等音楽院でヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たる楽器)を専攻したという演奏畑出身の人であり、演奏家としての活動も行っているようである。元々クラシックバレエを習っており、在仏時代に古典舞踊を学び、2014年にはオペラ「ディドとエネアス」に演奏と踊りの両方で出演。2018年に帰国し、様々な舞踏公演に出演している。
松本がフランスバレエについての解説を行う。バレエには譜面が存在するそうで、小さいがバレエ譜(舞踏譜)を使っての説明も行われた。バレエもベルサイユ宮殿のようにシンメトリーが重要視されたようで、男女が並んだり離れたりしながら、上から見ると一対の動きをしているように進んでいくバレエが理想とされたようである。また、バレエの動きは雅やかだが、それは振りのための振りではなく、日常動作を美しく行うために考えられた振りなのではないかとのことである。

 

コレッリの「ラ・フォリア」。
「ラ・フォリア」というのはイベリア半島由来の音楽であり、ポルトガル起源だそうである。「狂乱する女性」という意味があるそうで、元々は速めの曲調を持つものがラ・フォリアと呼ばれたそうだが、コレッリのものは比較的ゆったりとしている。
この曲は比較的有名な旋律を持っており、誰もがどこかしらで一度は耳にしたことがあるはずである。アントニオ・サリエリがこの曲の主題を用いた「スペインのラ・フォリアによる26の変奏曲」というオーケストラ曲を書いており、今年の夏に延原武春指揮テレマン室内オーケストラの演奏で聴いている。
寺神戸とレ・ボレアードは、高貴にしてメランコリックな曲調を適切に描き出していた。

 

リュリの「町人貴族」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリアのエール」。「イタリアのエール」は、波多野睦美の歌と松本更紗による仮面舞踏入りである。
「町人貴族」は、モリエールとリュリによるコメディ・オペラ(コメディというと喜劇という訳語になりがちだが、元々は単に「演劇」という意味である)。金持ちになった町人が、貴族になることを願うが「自分には貴族に相応しい教養がない」という自覚があり、様々な道の第一人者に師事していくという、まるですぐそばにあるお城の築城主を主人公にしたようなお話である。この音楽にはトルコ趣味の音楽も登場するが、フランスを訪れたオスマントルコの大使がフランスを下に見るような発言をしてルイ14世を激怒させたという事件があったそうで、仕返しのために書かれた作品でもあるそうだ。「町人貴族」は後にリヒャルト・シュトラウスによってリメイクされているが、大失敗に終わり、現在ではリヒャルト・シュトラウス自身がまとめた組曲のみが知られている。なお、リヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」の合間狂言として書かれたのが「ナクソス島のアリアドネ」であり、こちらの方はオペラとして大ヒットしている。
「イタリアのエール」は、イタリア語の歌詞による歌唱。歌詞はその後上演されたラモーの「ピグマリオン」の冒頭によく似ている。
松本の仮面舞踏は即興で行われるそうで、寺神戸によるとリハーサルでも毎回振りが違ったそうである。

リュリの「アルミード」より第2幕第2場の音楽とパサカーユ。パサカーユはパッサカリアのことである。リュリのパッサカリアは大人気だったそうで、聴衆もパッサカリアが出てくるのを今か今かと待ちわびていたらしい。
バロック音楽は音が意外な進行を見せることがあり、リュリの音楽もまたそうである。古典派以降の音楽は、音の進行パターンがある程度決めっているため、上手く嵌まっていく安定感があるのだが、バロック音楽はそれとは少し違う。「バロックと現代音楽は相性が良い」と言われることがあるが、いわゆるクラシック音楽の王道とは違ったスタイルであるという共通点がある。
この曲では、松本が客席通路を通ってステージに上がり、ダンスを行った。

 

ラモーのオペラ「ピグマリオン」。バロック時代のフランス人作曲家としては最も有名なジャン=フィリップ・ラモー。彼の架空の甥を主人公とした『ラモーの甥』という小説があったりする。ラモーが本格的なオペラを書き始めたのは50歳を超えてからだそうだが、最初の音楽悲劇である「イポリートとアリシ」がセンセーショナルな成功を収め、その後、ラモーは30年に渡ってオペラを書き続け、フランスバロックオペラの黄金期を牽引することになる。
ラモーは遅咲きの作曲家であり、フランス中部のディジョンに生まれ、40歳までは故郷や地方のオルガニストとして活動していた。その後、音楽理論書を発刊して成功を収め、パリに出て音楽理論家やクラヴサンの演奏家としての活動を開始。裕福な徴税請負人ラ・ププリニエール家の楽長となって本格的に作曲家としての活動を開始している。
「ピグマリオン」は、1748年8月27日にパリのパレ・ロワイヤルにあったオペラ劇場、王立音楽アカデミーで初演された作品である。大ヒット作となり、革命前までに200回以上上演されたという記録があるそうだ。
バレエの部分が長いのも特徴であり、言葉ではない表現の重要度も高い。

「変身物語」に由来する話であり、ストーリー自体はたわいないというかとてもシンプルなものである。彫刻家のピグマリオンが自身が制作した人形に恋をして、やがてその人形が意思を持つようになり、ピグマリオンの恋が報われるというそれだけの話である。
愛の神が登場し、愛が賛美されて終わる。
出演は、クレマン・ドビューヴル(ピグマリオン)、波多野睦美(セフィーズ)、鈴木美紀子(愛の神)、佐藤裕希恵(彫像)、松本更紗(バロックダンス)、中川賢(コンテンポラリーダンス)、酒井はな(コンテンポラリーダンス)。振付:小尻健太(こじり・けんた。「じり」は下が「九」ではなく「丸」)。
合唱は、コルス・ピグマリオーネス(臨時編成の合唱団)。

岩田達宗の演出は、いずみホールの空間を目一杯使ったものである。まず女性出演者達がステージ上に現れて戯れ始め、ピグマリオンとその分身のダンサーである中川賢は客席入り口から現れて通路を通って舞台に上がり、女性達と手を繋いだり、手と手で出来た橋の下を潜ったりして踊り始める。
やがて舞台から一人また一人と去って行き、ピグマリオンと一体のダンスを行っていた中川賢も下手バルコニーから降りている布の背後へと去って行く。ピグマリオンと彫像だけが残り、ピグマリオンが彫像に対する報われない恋に落ちてしまったことを嘆いている。この時はピグマリオンは愛の神が放った愛の矢を憎む発言を行っているのだが、人形に命が吹き込まれると一転して愛の神を絶賛し始め、愛の矢をもっと射るよう望み出すため、今の時代の視点からは結構いい加減な奴に見える。

ちなみにピグマリオンにはセフィーズという愛人がいるのだが、ピグマリオンは生身の人間であるセフィーズよりもまだ動く前の彫像を選んでおり、彫像に負けたセフォーズの身になってみればたまったものではないが、彫刻家と彫像ではなく、ラモーのような作曲家と作曲作品に置き換えると、案外まっとうなことに思えてしまう。もし仮に私が作曲家だったとしたら、女よりも自作を選んでしまう可能性は結構高い気がする。

彫像が命を得た後で、愛の神が客席後方(いずみホールの客席は緩やかな傾斜となっており、バルコニー席以外の2階席はないが、1階席の後方には2階通路から入る構造となっている)から分身を伴って現れる。

その後、コルス・ピグマリオーネスのメンバーが現代風の衣装で舞台に現れ、客席通路を通って後方へと進み、ピグマリオンとの掛け合いが行われる。更にそれが終わるとコルス・ピグマリオーネスは2階バルコニー席に現れ、最後は舞台上から再び客席に降りて手拍子を行い、観客にも手拍子を促す。

バルコニーにいた愛の神と分身が階段を降りてパイプオルガン演奏スペースに進み、手に手を取って舞い始める。ダンスと音楽の素敵な結婚。ヴァイオリン奏者たちが立ち上がっての演奏を行い、最後は寺神戸もコンサートマスターの位置を離れて舞台前方へと歩み出る。

衣装や空間の用い方により、時代や境界を超えたありとあらゆる愛が讃えられるかのような祝祭性に満ちあふれたオペラ上演となっていた。

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2019年10月 1日 (火)

コンサートの記(596) 春秋座オペラ10周年記念ガラコンサート

2019年9月21日 京都芸術劇場春秋座にて

午後4時30分から、京都芸術劇場春秋座で、春秋座オペラ10周年記念ガラコンサートを聴く。文字通り春秋座で毎年オペラが上演されるようになってから10年が経つのを記念してのガラコンサートである。午後1時開演と午後4時30分開演の2回公演で、出演者が多少異なるほか、曲目を担う歌手にも変動がある。

 

春秋座での公演はミラマーレ・オペラによる上演であることが多く、オーケストラもミラマーレ・オペラによる小編成の団体が手掛けていたが、今回は常設の京都フィルハーモニー室内合奏団が担う。指揮は奥村哲也。ステージ上での演奏である。
実は、春秋座でオーケストラが演奏を行ったことが一度だけある。2002年の初夏のことで、ルーマニアのトランシルヴァニア交響楽団(ドラキュラで有名な地方の団体)の来日公演であった。私もそれを聴いているのだが、中編成のオケではあったが、そもそもオーケストラが演奏することを想定して作られていないため、「新世界」交響曲ではずっと壁がビリビリ鳴っているという状態で、以後、春秋座ではオーケストラによる演奏は行われていない。京フィルは今年も春秋座で壮一帆とのジョイントコンサートを行ったりしているが、今日も第1ヴァイオリン4のサイズなので音響面で問題はない。足りない音は殿護弘美のピアノが補う。

一方、歌唱の響きに関しては理想的である。そもそも春秋座は三代目市川猿之助(現在の二代目市川猿翁)による上演を想定して作られているのだが、猿之助は歌舞伎は勿論、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「影のない女」やリムスキー=コルサコフの歌劇「金鶏」の演出を手掛けたこともあり、グランド形式ではないもののオペラの上演は最初から念頭に入れられていたといわれている。そのため声の通りも良いのだ。ただその分、誤魔化しは利かず、ちょっと上手くいかないと客席にすぐ伝わってしまう。

 

開演前にプロデューサーの橘市郎氏に挨拶したのだが、「入りが良くない」とのことだった。2階席にも人はいるようだったが、休憩時間に確認したところ極々まばら。1階席も前の方や中央列は埋まっているのだけれどという状況である。日本の場合はオペラが日常に根付いていないし、名士が聴きに来たり、ビジネスマンが幕間に商談を行うという習慣もない。西洋だとオペラが共通の教養になっていたりするのだが、ここは西洋でもない。ということで、基本的にはオペラが好きな人だけが来るのだが、当然ながらオペラが好きな日本人というのは圧倒的少数派である。ブランド志向なので海外の名門オペラ劇場の引っ越し公演があったりするとチケットが馬鹿高くても客は入るのだが、ブランドが目当てで音楽やオペラが好きなわけではないので、地元で何かあっても来ない。東京は毎年行われるオペラの森が盛況で、状況は変わりつつあるのかも知れないが、地方にはまだ波及していないのだと思われる。びわ湖ホールなどは子どものためのオペラ作品を上演しており、両親も含めたオペラファン発掘に努力している。

 

曲目は、ビゼーの「カルメン」より前奏曲、ヴェルディの「椿姫」より“ああ、そはかの人か~花から花へ”(西田真由子)、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」より“今の歌声は”(高嶋優羽)、“俺は町の何でも屋”(奥村哲)、プッチーニの「ラ・ボエーム」より“冷たき手を”(笛田博昭)、“私の名はミミ”(稲森慈恵)、“幸せだったあの場所に戻ります”(江口二美)、“もう本当に終わってしまったの”(江口二美、山本欣也、三輪千賀、鶴川勝也)、モーツァルトの「魔笛」より“燃え立つ復讐の炎”(川越塔子)、“ああ消え去った恋の幸せ”(高嶋優羽)、“パパパ”(西田真由子&奥村哲)、プッチーニの「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”(川越塔子)、“さらば愛の家よ”(笛田博昭)、ビゼーの「カルメン」より“恋は野の鳥(ハバネラ)”(並河寿美)、“闘牛士の歌”(片桐直樹)、“うまい話があるぞ”(岡村彬子、三輪千賀、西田真由子、山本欣也、奥村哲)、“花の歌”(井藤航太)、ヴィルディの「椿姫」より“乾杯の歌”(全員)。進行はミラマーレ・オペラ代表理事の松山郁雄が務める。

 

歌手がオーケストラの前に出て歌うスタイルであるため、歌とオーケストラの間にズレが生じることも多いのだが、これはいわゆるオペラ上演と異なるので仕方のないところである。
日本語のセリフを入れての上演だったが、ちゃんと言えている人がほとんどいないというのが問題点である。音大でも演技の指導はちゃんと行っているはずなのだが、二の次にされているのかも知れない。ドイツには演劇音楽大学が多く、オペラを学ぶのに理想的な環境だと思われるのだが(実際にどうなのかは知らない)、日本の場合は、音楽と演劇の両方があるのは日藝と大阪芸術大学だけだろうか。両方ともクラシック音楽には強くない。

 

歌手はやはり関西出身者や関西で学んだ人が多いが、それ以外の人を紹介する。
春秋座オペラの常連である川越塔子は「東大卒のオペラ歌手」して知られているが、井藤航太も東大卒である(出身は大阪府)。東大を出てオペラ歌手になるのが流行っているのだろうか? オペラでなくても東大卒で音楽方面に行く人には文学部出身者が多いと思われるのだが(加藤登紀子や小沢健二など)、川越は法学部卒(同期に豊田真由子や山尾志桜里がいるという凄い学年)、井藤は医学部卒(医学科ではなく健康総合科学科というところ)である。
江口二美(えぐち・つぐみ)は、愛知県立芸術大学と同大学院修了。
岡村彬子は、熊本県出身で国立音楽大学卒、東京学芸大修士課程修了。
笛田博昭は、名古屋芸術大学と同大学院修了である。
鶴川勝也は、国立音楽大学卒で、現在も東京在住であるが、春秋座オペラのオーディションには毎回参加して役を勝ち取っていたそうである。

 

岡村彬子は、“うまい話があるぞ”でカルメンを歌っていたが、見た目も声の質もカルメンによく合っている。
笛田博昭は朗々とした歌唱で、歌唱終了後の拍手も最も大きかった。
残念なのはお客さんの少なさで、これではステージと客席とに一体感が生まれない。京フィルもファンは多いのだが、今回はその効果を発揮出来なかったようである。

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2019年8月 5日 (月)

コンサートの記(584) 東京2020公認プログラム 大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほか プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」大津公演

2019年7月28日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、東京2020公認プログラム プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」を観る。大野和士指揮バルセロナ交響楽団の演奏、バルセロナ・オリンピックの開会式の演出も務めた(ということは坂本龍一が音楽と指揮を務めた時である)アレックス・オリエの演出。出演は、ジェニファー・ウィルソン(トゥーランドット)、デヴィッド・ポメロイ(カラフ)、砂川涼子(リュー)、妻屋秀和(ティムール)、持木弘(アルトゥム皇帝)、森口賢二(ピン)、秋谷直之(パン)、糸賀秀平(ポン)、真野郁夫(ペルシャの王子)、黒澤明子(侍女1)、岩本麻里(侍女2)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部。児童合唱:大津児童合唱団。

来年の東京オリンピックの開催を記念して、東京(東京文化会館、新国立劇場)、びわ湖ホール、札幌文化芸術劇場hitaruで開催される「トゥーランドット」公演。大野和士が手兵であるバルセロナ交響楽団を率いて行うツアーである。

昨日今日と、びわ湖ホールでの公演が行われるのだが、実は昨日は公演中に原因不明の停電があり、約70分に渡る中断があった。
ということで、開演前にびわ湖ホール館長の山中隆が登場して(第一声は「私が登場するとろくなことがないんですが」)、昨日の公演での中断のお詫びと、それでも礼儀正しく鑑賞していただけたことの感謝、そして、停電によって舞台機構に異常が発生したため、演出を変えることの断りを述べていた。

セットは両サイドに階段の伸びる柱状のものが組まれており、中央には一段高くなった舞台があるというシンプルなものだが、本来は背後で色々動く予定だったのかも知れない。

 

プッチーニの遺作となった「トゥーランドット」。中国・北京を舞台にした作品であるが、初演直後に中華民国から「国辱だ!」と抗議が入ったという話がある。中華人民共和国になってからも、「トゥーランドット」の中国での上演は長く行われなかった。
プッチーニはリューの葬送の場面までを書いたのだが、その直後に急死。残されたスケッチなどを基にフランコ・アルファーノが補筆完成させた。初演の指揮はアルトゥーロ・トスカニーニが担当したが、トスカニーニはリューの葬送の場面が終わったところで、「作曲者はここで力尽きたのです」と客席に語って演奏を切り上げてしまっている。公演2日目には、トスカニーニはアルファーノの補作を縮めたバージョンを指揮、これが定着したが、ルチアーノ・ベリオの補作による新バージョンも存在する。私自身は「トゥーランドット」を生で観るのは初めてだが(異なったストーリー展開を見せる宮本亜門演出の音楽劇「トゥーランドット」を生で観たことはある)、映像では本場の紫禁城で行われたズービン・メータ指揮(張芸謀演出)のものと、ベリオの補筆完成版を採用したヴァレリー・ゲルギエフ指揮のものを観ている。

プッチーニがラストを確定させる前に亡くなってしまったということで、まるで取って付けたかのような結末に関する異論は当然あり、今回はアレックス・オリエが用意した悲劇的なラストを迎えるという趣向が取られている(それほと突飛なものではないが)。

 

ベルギーのモネ劇場音楽監督を経て、リヨン国立歌劇場の首席指揮者として世界的に活躍する大野和士。今日もバルセロナ交響楽団と日本が誇る3つの合唱団から、まさに「マッシブ」と呼ぶに相応しい凄絶な音を引き出す。響きだけで聴き手を圧倒出来るレベルである。

 

スペインはオーケストラ大国ではないが、バルセロナ交響楽団は、大植英次や日本でもお馴染みのパブロ・ゴンザレスが音楽監督を務めていたということで、日本でも知名度の高い楽団である。元々はパブロ・カザルスが組織したオーケストラが母体となっており、歴代の音楽監督には、ガルシア・ナバロや京都市交響楽団へも客演したエルネスト・マルティネス・イスキエルドといったスペインを代表する指揮者の名前を見ることが出来る。艶やかで滑らかで多彩な音を繰り出すことの出来るオーケストラである。

「トゥーランドット」というタイトルであるが、タイトルロールがなかなか登場しない(登場しても1幕ではセリフなし)という不思議な構造を持つ。トゥーランドットは冷酷な王女であるが、その性質もあって余りドラマティックな活躍はせず、ヒロインに相応しいのはむしろ女奴隷のリューの方である。私は観たことがないが、実際にリューをヒロインとした補作完成バージョンも存在するようだ。
今回、リューを演じた砂川涼子は見事な歌唱と演技で客席を沸かせ、カーテンコールでの拍手や歓声も一番大きかった。

 

演出のアレックス・オリエは、トゥーランドットやカラフのトラウマを掘り下げ、先祖のトラウマを愛は乗り越えられないという結論へと導く。筋的には納得のいくものである。ただ、個人的には純粋な愛に生きたリューという人物が今回の演出以上に鍵を握っているのではないかという気もする。本来的にはこれはリューの物語なのではないだろうか。氷のトゥーランドットと熱のリューの対比をもっとあからさまに描いてみるのも面白いかも知れない。

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2019年7月20日 (土)

コンサートの記(577) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019 レナード・バーンスタイン ミュージカル「オン・ザ・タウン」西宮公演

2019年7月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019 ミュージカル「オン・ザ・タウン」を観る。佐渡の師であるレナード・バーンスタインが初めて作曲した舞台作品であり、某有名ドラマシリーズのタイトルの由来となったミュージカル映画「踊る大紐育」の原作としても知られている。

佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)の演奏。演出・装置・衣装デザインは、イギリス出身で佐渡プロデュースオペラの「魔笛」と「真夏の夜の夢」でも演出を担当したアントニー・マクドナルド。合唱は特別編成である、ひょうごプロデュースオペラ合唱団(合唱指揮:矢澤定明)。
佐渡プロデュースオペラは、外国人キャストと邦人キャストの日が交互に来ることが多いが、今回はミュージカル作品でダンスも多いということで、ロンドンで行われたオーディションで選ばれた白人中心のキャストでの上演である。出演は、チャールズ・ライス(ゲイビー)、アレックス・オッターバーン(チップ)、ダン・シェルヴィ(オジー)、ケイティ・ディーコン(アイヴィ)、ジェシカ・ウォーカー(ヒルディ)、イーファ・ミスケリー(クレア)、スティーヴン・リチャードソン(ピトキン判事&ワークマン1)、ヒラリー・サマーズ(マダム・ディリー)、アンナ・デニス(ルーシー・シュミーラー)、フランソワ・テストリー(ダイアナ・ドリーム、ドロレス・ドロレス、老女)ほか。このほかにもアンサンブルダンサーとしてバレエやコンテンポラリーのダンサーが数多く出演している。振付はアシュリー・ペイジが担当。

ブルックリンの海軍造船所に停泊した船に乗る、ゲイビー、チップ、オジーの3人の水兵が初めて訪れたニューヨークでの24時間の休暇を楽しむべく、様々な観光地を巡る計画を立てている。今回のセットは全面にマンハッタン島を中心としたニューヨークのガイド地図が描かれたものだ。ゲイビーはニューヨークの女の子とデートがしたいと語る。
キャットウォークから様々なボードが降りてきたり、左右から地下鉄の車両内のセットや登場人物のアパートメントの部屋などが出てくるなど、コミック調の演出と舞台美術が特徴である。またニューヨーク市タクシー(通称:イエローキャブ)は実際に舞台上を走り回る。

ニューヨークの地下鉄の乗り込んだ3人の水兵。ゲイビーは車両内に飾られた「6月のミス改札口」に選ばれたアイヴィ・スミスのポスターを見て一目惚れ。ニューヨークに住んでいるはずのアイヴィを探し出そうとチップやオジーに提案。ポスターに書かれた情報を手がかりに3人で手分けしてアイヴィを探すことになる。
イエローキャブに乗ったチップは、女性運転手のヒルディ(本名はブルンヒルド・エスターハージ)に惚れられ、ポスターにあった「アイヴィはミュージアムで写生の勉強をするのを好む」という情報を頼りにミュージアムに向かったオジー(勘違いして美術館ではなく自然史博物館に行ってしまう)は、文化人類学者のクレアと出会い、恋に落ちる。そしてゲイビーは「アイヴィはカーネギーホールでオペラのレッスンをしている」という記述に従い、カーネギーホール(ゲイビーは「カニーギホール」と誤読している)のレッスン室でアイヴィを探し出す。

地下鉄内でゲイビーが「6月のミス改札口」のポスターを剥がすのを見とがめた老女がその後も執拗に水兵達を追いかけようと登場するのが特徴。「統一感を与えるため」らしいのだが、この老女はクロノスの象徴なのではないかと思われる。実際に24時間ひいては人生や青春の短さが登場人物によって何度も歌われており、若者達の行方を遮る時間がつまりはクロノスとして現れているのであろう。

「オン・ザ・タウン」が初演されたのは、1944年(大戦中である)。レナード・バーンスタインはまだ二十代。ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックの指揮台に急遽上がって社会現象を巻き起こした翌年である。登場人物達とさほど変わらぬ年齢だったことになる。

 

兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年の育成型オーケストラであり、独自の色は出せない団体だが、若いメンバーが多いということもあってかアメリカものやミュージカルには最適の熱く迫力のある音を奏でる。なお、今回のゲストコンサートマスターはベルリン・ドイツ交響楽団の第1コンサートマスターであるベルンハルト・ハルトーク、第2ヴァイオリン客演首席に元ウィーン・フィルハーモニー第2ヴァイオリン首席のペーター・ヴェヒター、ヴィオラ客演首席にウィーン室内管弦楽団首席のシンシア・リャオ、チェロ客演首席にウィーン室内管弦楽団首席のヨナス・クレイッチ、トランペット首席にジャズトランペッターの原朋直という強力な布陣である。

 

日本人も食生活の変化で体格がかなり良くなったが、やはり平均値では白人の方がスタイルは上で、ミュージカルには栄える。以前、劇団四季が上演した本場ブロードウェイと同じ振付による「ウエストサイド・ストーリー」を京都劇場で観たことがあるが、体操のお兄さん風になっており、まだ歴然とした差があるようだ。

台本と作詞を担当したベティ・コムデンとアドルフ・グリーンのコンビも当時二十代で、これが初ブロードウェイ作品ということで、アメリカ的ご都合主義があったりするのだが、パワフルでユーモアに富んだ流れが実に良い。

 

カーテンコールでは、佐渡裕がイエローキャブに跨がって登場。爆発的に盛り上がり、幕が下りてはまた上がるが繰り返された。

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2019年5月 2日 (木)

コンサートの記(554) 近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019初日 葵トリオ&大西宇宙バリトンリサイタル&沼尻竜典オペラ・セレクション プーランク 歌劇「声」

2019年4月27日 びわ湖ホールにて

今日から明日までの二日間、びわ湖ホールで「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019」が開催される。今年は昨年とは違ってそれほど興味を惹かれなかったのだが、プーランクのモノオペラ「声」に出演予定だった砂川涼子が数日前、体調不良のために降板、急遽カバーキャストだった石橋栄実が代役として本番に挑むことを知り、聴きたくなったのである。砂川涼子も良い歌手で聴いてみたくはあったのだが、大阪音楽大学声楽科の教授でもある石橋栄実が「声」をやるなったら「聴きにいかねば」という義務感のようなものを感じてしまったのだ。

数年前に、渋谷のスパイラルホールで三谷幸喜演出、鈴木京香の出演による「声」を観たのだが、三谷幸喜は基本的に陽性のものを生み出す人、鈴木京香も健康美が売りの女優であるため、痛切さには欠けていて、残念な気持ちで会場を後にしている。

 

せっかく音楽祭が行われているのにモノオペラ「声」だけを聴いて帰るというのももったいないので、葵トリオと大西宇宙のリサイタルのチケットも取った。

 

午後1時5分から、びわ湖ホール中ホールで葵トリオのコンサートを聴く。曲目は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」とマルティヌーのピアノ三重奏曲第3番。

葵トリオは、小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(いとう・ゆう。チェロ。男性)、秋元孝介(ピアノ)によって結成されたピアノトリオ。Akimoto、Ogawa、Itoの頭文字を取って葵トリオと命名されており、葵の花言葉である「大望、豊かな実り」にもちなんでいるそうである。昨年のミュンヘン国際コンクールで優勝を飾っており、今最も注目される日本人ピアノトリオである。
全員、東京藝術大学と同大学院の出身。
小川響子(愛称は「おがきょ」のようである)は、東京フィルハーモニー交響楽団のフォアシュピーラーとして活躍し、カラヤン・アカデミーの試験に合格して、現在ではベルリン・フィルで学んでいる。
伊東裕は、東京藝術大学大学院を修了後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院に進み、現在はラ・ルーチェ弦楽八重奏団と紀尾井ホール室内管弦楽団のメンバーである。
秋元孝介は、東京藝術大学大学院博士課程在籍中。第2回ロザリオ・マルシアーノ国際ピアノコンクールで第2位を受賞している。

中ホールで室内楽を聴くのは初めて。今日は2階席で聴いたが、音の通りが良く、室内楽にも向いているようだ。

葵トリオの演奏であるが、一体感が見事、あたかも三人で一つの楽器を弾いているかのような、あるいは三つの楽器を一人で奏でているかのような自在感と反応の良さに魅せられる。スタイルとしてはシャープであり、モダンスタイルによる演奏だが、時折古楽的な響きも出すなど、スタイルの幅広さが感じられ、現代的である。
昨年、びわ湖ホールで聴いたフォーレ四重奏団もそうだが、アルバン・ベルク・カルテットのスタイルを更に先鋭化させたような切れ味の鋭い表現が室内楽における一つの傾向となっているようである。

アンコール演奏があり、ハイドンのピアノ三重奏曲第27番より第3楽章が演奏された。
ここでも鋭利な表現が聴かれる。

 

続いて、小ホールで大西宇宙(おおにし・たかし)によるバリトンリサイタルを聴く。午後2時開演。葵トリオのアンコールがあったため、小ホールに入るのが遅くなり、開演5分前にようやく席に着く。

曲目は、プロコフィエフの歌劇『戦争と平和』より「輝くばかりの春の夜空だ」、ヴォルフの「メーリケ歌曲集」より「散歩」「少年鼓手」「炎の騎士」、武満徹の「死んだ男の残したものは」、シアーの「アメリカン・アンセム~名もなき兵士に捧ぐ歌」

ピアノ伴奏は、筈井美貴(はずい・みき)。

大西宇宙は、武蔵野音楽大学を経て、ジュリアード音楽院を卒業。シカゴ・リリック歌劇場で研鑽を積み、「エフゲニー・オネーギン」「真珠採り」「カルメン」「リゴレット」「ロメオとジュリエット」などに出演している。

筈井美貴は、武蔵野音楽大学音楽部器楽科を卒業、同大学院修了。第11回メンデルスゾーン・カップ・ヨーロッパ第1位及びルービンシュタイン賞受賞。主に声楽家と共に活動している。

日本人の場合、体格面の問題でバリトンとはいえ声が軽い人が多いのだが、大西は、はっきりとしたバリトンの音程と声質で歌うことの出来る歌手である。

「戦争と平和」を主題としたリサイタル。歌詞対訳などは配られなかったが、大西が曲の内容を解説する。

筈井のピアノは伴奏としては表現が豊かすぎるところがあるような気がしたが、達者なのは確かである。

私の好きな「死んだ男の残したものは」は、全曲ではなく抜粋版での歌唱。もう少し歌い分けが明確な方が良いように思うが、クラシックの歌曲としてはこうした表現の方がしっくりくるのも確かである。

 

 

午後3時から、大ホールで沼尻竜典オペラセレクション プーランクの歌劇「声」を観る。演奏会形式であるが、衣装、演技、セットありでの上演。先に書いたとおり、当初は砂川涼子が主演する予定であったが体調不良により降板、カバーキャストであった石橋栄実が短時間のリハーサルを経て本番に臨む。
原作・脚本:ジャン・コクトー、演出:中村敬一。演奏は沼尻竜典指揮の京都市交響楽団。
コクトーの「声(人間の声)」は心理劇であり、プーランクの音楽によって主人公である女の心理がよりわかりやすいようになっている。繰り返される音が女の落ち気味の心理状態を描写し、木琴による電話のベルが神経症的に響く。女はもう恋人である男にあうことは叶わず、声を聴くことだけで繋がっているのだが、「今の私にはあなたの声だって凶器になるわ!」という言葉が次第に真実味を増していく。

恋愛中毒気味の女を石橋栄実は見事に体現しており、歌唱も演技も万全、沼尻指揮の京響もプーランクの音楽を我が物にしており、アンニュイで痛みのあるオペラに仕上がっていた。

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2019年3月24日 (日)

コンサートの記(536) 創作オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」2019大阪

2019年3月10日 大阪・大手前のドーンセンター7階ホールにて

午後5時から、大阪・大手前のドーンセンター7階ホールで、創作オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」を観る。元李氏朝鮮王朝の李垠(り・ぎん)殿下の妃となった李方子(まさこ)の生涯を描いたモノオペラである。
ちなみにドーンセンターのすぐ南には追手門学院小学校と追手門学院大手前中学・高等学校があるのだが、李垠と方子は1940年代に大阪で暮したことがあり、次男である李玖は追手門学院小学校の前身である大阪偕行社附属小学校に通っていたそうである。

企画・構成・台本・主演は、田月仙(チョン・ウォルソン。ソプラノ)。作曲、指揮は孫東勲(Song Donghoon)、台本は木下宣子、演出は新宿梁山泊の金守珍(Kim SuJin)、プロデューサー・総監督は太田慎一。
演奏は、富永峻(ピアノ)とCALAFミュージックアンサンブル(桜田悟、花積亜衣、若狭直人、村山良介)。合唱はCALAFヴォーカルアンサンブル(田中由佳、星野律子、石山陽太郎、相原嵩)。李垠役はバレエダンサーの相沢康平が務める。歌もセリフもなく、李垠の化身としてダンスのみの表現となる(殿下の声:キム・テグワン)。ナレーションは濱中博久。韓国舞踊:金姫玉韓国伝統舞踊研究所。

日本語歌唱、字幕付きでの上演。ステージ後方にスクリーンがあり、そこに映像が投影される。


15歳の時に、日本に留学していた元大韓帝国の皇太子・李垠との婚約を新聞で知った梨本宮方子(田月仙)。完全な政略結婚であり、一方的に婚約を決められた方子は嘆くが、日韓双方の架け橋となるために嫁ぐことを決意する。
韓国併合により李垠は日本の王族となり、皇族に準ずる待遇を得ていた。かつての李王家邸は赤坂プリンスホテル旧館(現・クラシックハウス)となっており、私も前を通ったことがある。
敗戦後、李垠と方子は臣籍降下されることになり、国籍も失う。韓国に帰ろうとする李垠だったが、李承晩の妨害に遭って難航する。その後、朴正熙によって帰国が認められるが、李垠はすでに病身であり、7年後に死去。残された方子は、知的障害児のための学校を興すなどして韓国社会のために尽力。「韓国の母(オモニ)」と呼ばれるようになる。

激動の人生を歩んだ李方子であるが、その障害をモノオペラで描くのはかなり困難であることが予想される。実際、次から次へ休みなく様々なドラマが起こるため、逆に焦点が定まらず、盛りだくさんだが詰め込みすぎてドラマとしての起伏がないという印象も受けた。テレビドラマなどには向いているのだろうが。
感情表現やセリフの用い方にも疑問あり。歌詞に飛躍があるようにも感じられる。


東京音楽大学芸術音楽作曲科出身である孫東勲による音楽は充実しており(婚礼のバレエの場面では、意図的にショパンの「軍隊ポロネーズ」を模した音楽が流れる)、田月仙のドラマティックな歌唱も見事。相沢康平のバレエと金姫玉韓国伝統舞踊研究会による踊りも華やかで良い味を出している。

オペラとして成功作なのかどうかわからないが、李方子という女性には興味を持った。色々と調べてみたくなる。

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