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2021年10月14日 (木)

コンサートの記(748) びわ湖ホール オペラへの招待 プッチーニ 歌劇「つばめ」2021.10.10

2021年10月10日 大津市の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 プッチーニの歌劇「つばめ」を観る。園田隆一郎指揮大阪交響楽団の演奏。演出は伊香修吾。なお、園田と伊香は、今月下旬にフェニーチェ堺大ホールで日本語訳詞によるプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を上演する予定である(演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団)。
ダブルキャストで今日の出演は、中村恵理(マグダ)、熊谷綾乃(リゼット)、谷口耕平(ルッジェーロ)、宮城朝陽(プルニエ)、平欣史(ランバルド)、市川敏雅(ペリショー)、有本康人(ゴバン)、美代開太(クレビヨン)、山岸裕梨(イヴェット)、阿部奈緒(ビアンカ)、上木愛李(スージィ)ほか。原語(イタリア語)歌唱、日本語字幕付きでの上演。字幕担当は藪川直子。伊香修吾が字幕監修も行っている。

なお、東京ヤクルトスワローズにマジックナンバーが点灯しているが、「つばめ」ということで、舞台袖ではつば九郎の人形が見守っていることがSNSで紹介されていた。

上演開始前に、伊香修吾によるお話がある。注目の若手オペラ演出家である伊香修吾。東京大学経済学部を経て、同大学院経済学研究修士課程を修了するが、そのまま経済学やビジネス方面には進まず、英国ミドルセックス大学大学院舞台演出科修士課程を修了し、ザルツブルク音楽祭、ウィーン国立歌劇場、ウィーン・フォルクスオーパーなどで研鑽を積んだという比較的変わった経歴の持ち主である。びわ湖ホール オペラへの招待では、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の演出を手掛けている。

伊香は、まず「つばめ」が初演された時代の背景について、ココ・シャネルをモデルに語る。ココ・シャネル(「ココ」は愛称で、本名はガブリエル・シャネル)が、パリにサロンを開いたのが、今から丁度100年前の1921年のこと。シャネルのサロンには、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、イーゴリ・ストラヴィンスキーらが出入りしていたという。
行商人の娘として生まれたシャネルは、12歳の時に母親を亡くし、父親はフランス中を旅していてそばにいられないということで教会が運営する孤児院に入れられ、そこで育つことになる。その後、22歳の時にキャバレーで歌手としてデビュー。この時代にはまだ歌手や女優というのは売春婦と同義語であり、シャネルも元将校の愛人となって、歌手として大成は出来なかったものの、後にデザイナーとして頭角を現していくことになる。シャネルだけが特別なのではなく、この時代は資産家の愛人となる以外に資金を得たり自立したりといった術はほとんどなく、今とは女性の存在価値自体が大きく異なっていた。これが「つばめ」が初演された時代のパリである。

「ラ・ボエーム」と背景が似ているといわれる「つばめ」であるが、シャネルの例からもわかる通り、この時代のフランスは女性の地位が著しく低く、貴族階級の生き残りや新興のブルジョワジーなどの良家や資産家に生まれなかった女性は、低賃金労働に従事せざるを得ず、それでも搾取の対象で、どれだけ働いても生活するのに十分な金銭を稼ぐことは到底無理であり、愛人として囲われたり、売春をして日銭を稼ぐしかなかった。その中で特に寵愛を得た者は高級娼婦(クルティザンヌ)となっていく。「椿姫」のヴィオレッタ(原作ではマルグリット)が特に有名だが、「つばめ」のヒロインであるマグダも銀行家のランバルドをパトロンとする高級娼婦である。

「つばめ」は、プッチーニの歌劇の中でも人気がある方ではなく、上演される機会も少ない。ということで伊香は、プッチーニが上演の機会に恵まれない「つばめ」のことを気に掛けながら亡くなったということを紹介してから、「これが『オペラへの招待』のみではなく『つばめ』への招待となるように」「皆様が『つばめ』のようにびわ湖ホールに舞い戻って来られますように」という話もしていた。タイトルとなっている「つばめ」は、マグダの性質を燕に重ねたものである。渡り鳥である燕は、遠く海を越えた場所へと飛び去っていくが、1年後に元の巣へと戻ってくることで知られている。

3幕からなる歌劇。第1幕はマグダのサロン、第2幕はブリエの店(ダンスホール)、第3幕は南仏コート・ダジュールが舞台となっている。今回の上演では舞台となる時代は、第二帝政期から1920年代に置き換えられている。

サロンの運営者であるマグダは、豪奢な生活を送っている。不満も述べるマグダだが、他の夫人からは、「貧乏していないから分からないのよ」とたしなめられる。マグダは少女時代に、ブリエの店(今もその名残はあるが、この頃のダンスホールはちゃんとした身分の人はほとんどいない場所である)で若い男性に一目惚れする。まだ男を知らなかったマグダは恐怖心を抱いて逃げてしまったため、この初恋は2時間しか持たなかったが、マグダはまたあの時のようなときめきを味わいたいと語る。
サロンに出入りする詩人のプルニエは、戯曲なども書いているようで、2時間のみの恋を題材にした作品を書こうと語ったりするのだが、手相も見られるようで、マグダの手相を見て、「運命に導かれ、つばめのように海を越え、愛を目指すだろう」(伊香修吾の訳)と診断する。そこにランバルドの旧友の息子であるルッジェーロがやって来る。パリは初めてのルッジェーロが「パリを観光するならまずどこに」と聞くと、プルニエは、「ブリオの店だ」と即答し……。

高級娼婦というのは、愛人の援助を受けて、場合によっては社会的な成功を収めることも可能だが、基本的に好きな男性と結婚することは出来ない。マグダも身分を隠したままルッジェーロと恋に落ちるが、身分故に最初から結婚に行き着くことは不可能であり、また元の場所へと戻っていく。その姿が「つばめ」に重ねられている。

「高級娼婦は好きな人と結婚出来ない」。このことは初演が行われた時代には常識であり、「当たり前のことが上演されている退屈なオペラ」と見られるのも必然であったように思う。悲恋でもなんでもなかった。ただ、身分違いの恋は、初演から100年を経た今現在では十分に悲恋の要素をはらんでいるように見受けられる。実際、「つばめ」の日本での上演は21世紀に入ってから大幅に増えているようだ。


伊香修吾は、常に紗幕が降りているという演出を採用。紗幕に様々な映像が投影され、モノクロの映画を観ているような気分を味わえる。実はこのことは説明的な要素だけでなく伏線ともなっていて、第2幕には、自転車に二人乗りしたルッジェーロとマグダがパリの名所(凱旋門、ノートルダム大聖堂、エッフェル塔など)を回るという、本来にはない場面が用意されているのだが、これが名画「ローマの休日」の名場面に重なって見える。おそらくかなり意識していると思われるのだが、「つばめ」にはもう一組、これまたオードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」(原作はバーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』)を連想させるカップルが登場する。詩人のプルニエと、マグダの女中であるリゼットで、プルニエはリゼットに詩人の恋人に相応しい行いをするように命じている。結果としてこのピグマリオンは失敗に終わるのだが、そこからの連想で「ローマの休日」へと繋げるアイデアが生まれたのかも知れない。これが当たっているのかどうかは分からないが、「ローマの休日」ならぬ「パリの休日」の場面は本当に微笑ましく(俗にいう「キュンキュンする」場面である)、第1幕で歌われる「ドレッタの美しい夢」そのものである。ちなみにドレッタというのはプルニエが書いた詩劇のヒロインのことである。

「つばめ」自体は知名度の高いオペラとはいえないが、「ドレッタの美しい夢(ドレッタの素晴らしい夢)」は、40代以上の方は聞き覚えはあると思われる。1990年頃だったと思うが、当時新進ソプラノであった中丸三千繪がこの曲を得意としており、テレビCMにも採用されていた。

評価の高いソプラノ、中村恵理の歌は本当に圧倒的。スケールといい、声の艶と輝きといい文句なしの歌唱である。

「つばめ」の登場するもう一組のカップルであるプルニエとリゼットは実はもっと注目されても良いように思われる。ピグマリオンに失敗して別れるかと思った二人なのだが、プルニエはそのままのリゼットを受け入れるのである。それまでには余り見られなかったタイプのキャラクターだ。プルニエという人物は、進歩的であると同時に一連の出来事の仕掛け人的立場であり、かなり魅力的である。

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2021年9月13日 (月)

配信公演 古瀬まきを主演 プーランク オペラ「人間の声(声)」YouTube配信アーカイブ視聴

2021年9月2日

YouTubeで、古瀬まきを主演によるプーランクのオペラ「人間の声(声)」を視聴。8月9日に上演と同時配信とが行われた公演で、終演後1ヶ月はアーカイブとして映像を観ることが出来る。
プーランクのオペラ「人間の声」は、ジャン・コクトーのテキストを用いたモノオペラ(一人で演じるオペラ)である。

コクトーの一人芝居「声」は、青山のスパイラルホールで、鈴木京香の主演、三谷幸喜の演出で観たことがあるのだが、鈴木京香、三谷幸喜共に陽性で健康的な表現を得意とする人であるためか、痛切さはほとんど感じられなかった。鈴木京香が高校時代に陸上部だったということで、そうした要素も入れて笑いに変えていたが、この作品には笑いの要素は夾雑物でしかないように思われる。

オーケストラ伴奏によるプーランクの「声」は、「近江の春びわ湖クラシック音楽祭」2019において、石橋栄実の主演、沼尻竜典指揮京都市交響楽団の演奏、中村敬一の演出によるものを、びわ湖ホール大ホールでハーフステージ形式で聴いており(石橋栄実は体調不良で降板した砂川涼子の代役)、追い込まれた女の孤独が浮かび上がる優れた出来であったのを覚えている。

今回の上演は、コロナ感染拡大に配慮し、入場者20名と数を抑えて行われる公演で、關口康佑によるピアノ伴奏版と、歌い手だけでなく演奏者も一人きりの版での上演である。
字幕は、昨年11月に他界した藤野明子による日本語訳詞が用いられている。

なお、古瀬まきをは、2019年に行ったプーランクのオペラ「人間の声」を中心としたソプラノリサイタルで、第40回音楽クリティック・クラブ賞奨励賞を受賞している。


ジャン・コクトーのテキストによる一人芝居「人間の声(声)」が初演された1930年時点では、一人芝居はそれほどポピュラーなジャンルではなかった。一人語り形式のものは勿論あったが、朗読されることの方が多く、「声」のように語りではなくセリフのみで行われる一人芝居はほとんど例がなかった。「声」は、ある女性(名前不明)がある男(こちらも名前不明)と電話で話している状態を描いた作品である。当時はまだ電話は高級品で、一般にはそれほど普及しておらず、今と違って交換手を通じて望む相手に繋いで貰う必要があり、また混線があるなど、必ずしも便利な道具という訳ではなかった。この作品でも、混線や偶然起こった傍受などは女を焦らせ、苛立たせる。また今のようにワイヤレスではなく、電話機に伸びる電話線も、受話器と電話本体を繋ぐコードも長く、これがラストへと繋がっていく。

電話という当時はまだ新しい装置が、声は近くにあるが体は遠いという、当時としては奇妙なパースペクティブとアンバランスを招いている。また、犬の存在が、間接的かつ絶対的な男女の分け隔てを象徴する。

コクトーの原作では、女が外国語を話すシーンがある(オペラ版ではカットされている)。コクトーは「出演している女優が最も得意とする外国語を話すこと」としているのみで、何語を話すのが適切なのか指示はしていない。いずれにせよ、この女性がフランス語圏以外の外国籍で、出身身分もそれほど高くなく、経済的手段も能力もなんら持ち合わせていないことが分かってくる。当時のフランスは今よりもかなり差別が酷く、外国籍である程度年齢がいった女性が職に就ける可能性はまずない。あったとしても洗濯婦など最底辺の肉体労働で身も心もすり減らしていくだけだ。
そんな女が、5年間囲われていた男に捨てられた。女は睡眠薬自殺を図るのだが、命は取り留める。男からの電話に、女は「睡眠薬は飲んだが1錠だけだ」と嘘をつく……。

電話の向こうの男の声は聞こえないので、観る側が想像する必要がある。そのため、自由度が高いと同時に、内容を把握するのは困難で、100%想像するのはほぼ不可能である。観る者、聴く者に許されるのは、おおよその状況把握のみである。
ただ、オペラ「人間の声(声)」はプーランクが作曲した音楽によって、その場の空気や心理状態はある程度規定される。そういう意味では原作の一人芝居版よりもモノオペラ版の方が入りやすいかも知れない。

女にはマルトという女友達がいて(マルトというのはジャン・コクトーの実姉と同じファーストネームだが、どの程度関係があるのか、あるいは無関係なのかは不明。たまに「モルト=死」(この単語は劇中に登場する)に聞こえてゾッとするが、フランス人は多分間違えないだろう)、男と女が暮らしていた家の執事の名はジョゼフという。女が自殺未遂を図った際には、マルトが駆けつけ、マルトが医師を呼んだために女は助かっている。だが今はマルトは家に帰り、女は一人である。電話の向こうで男は、「マルトの下に身を寄せてはどうか」と提案しているようだが、女はそんな身勝手な真似は出来ないと断る。

男と女の甘い思い出が語られる際には、プーランクの音楽もロマンティックなものへと傾く。「パリのモーツァルト」の異名を取ったプーランク。甘い旋律を書かせると天下一品である。

男が新しい女と旅行に出ようとしているのは確実で、男が家から電話しているというのも交換手によって嘘であることが分かる。そして男は、かつて女と暮らしていた時に女にしてくれたのと同じ事を新しい女としようとしている。思い出が上書きされる。忘れ去られる。

女にとっては、おそらくは生活が出来なくなるということよりも、男が他の女のものになるということの方が耐えられない事実なのだと思われる。電話コードを体に巻き付け、男の声を体で感じながらの死は(ただし、今回の演出では死は明示されない)、単なる自殺というよりも男の声に抱かれた「空想の上での情死」を女が選んだことを仄かに伝えている。

明るすぎても暗すぎても良くないという、高度な演技が要求されるオペラであるが、古瀬まきをは過不足のない演技で、地球の外に放り出されたかのような女の孤独を炙り出していた。

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2021年8月22日 (日)

コンサートの記(740) 上方西洋古楽演奏会シリーズ2021夏「~フランス宮廷バレエと劇音楽~ コメディ・バレへの憧れⅡ」

2021年8月14日 大阪・中之島の大阪市中央公会堂中集会室にて

午後5時から、中之島にある大阪市中央公会堂中集会室で上方西洋古楽演奏会シリーズ2021夏「~フランス宮廷バレエと劇音楽~ コメディ・バレへの憧れⅡ」というコンサートを聴く

京都市左京区下鴨の楽器店兼音楽教室・月光堂の講師でもあるフルート・リコーダー奏者の森本英希(日本テレマン教会所属)が音楽監督を務める演奏会で、タイトル通りブルボン王朝最盛期のフランスの音楽家達が作曲したバレエと劇音楽が演奏される。


曲目は、シャンパンティエのコメディ・バレ「病は気から」より、リュリのコメディ・バレ「町人貴族(「超人気俗」と誤変換された)」より、ラモーの歌劇「ピグマリオン」より序曲、ラモーの歌劇「イポリトとアリシ」より、歌劇「優雅なインドの国々」より、歌劇「ピグマリオン」より。

前半がバレ(バレエ)、後半が歌劇の曲で構成されているが、前半にもアリアは歌われ、後半でもバレエは踊られる。今でこそバレエとオペラは別分野となっているが、元々は区別なく上演されており、歌あり踊りありが普通の姿であった。


演奏は、「コメディ・バレへの憧れ」特別アンサンブル。ピリオド楽器使用である。音楽監督の森本英希が曲によって、指揮、リコーダー弾き振り、フルート弾き振りを行い、「町人貴族」の“トルコ儀式の行進曲”では太鼓も叩く。
参加者は、戸田めぐみ・赤坂放笛(オーボエ)、中山裕一・大谷史子(ヴァイオリン)、中川敦史(ヴィオラ)、上田康雄(チェロ。エンドピンなし)、池内修二(ヴィオローネ=コントラバスの先祖のようなもの)、二口晴一(ファゴット)、吉竹百合子(チェンバロ)、樋口裕子・有門奈緒子(バロック・ダンス)、進元一美(ソプラノ)、眞木喜親(テノール)。

オーボエとリコーダーを吹く赤坂放笛は、このコンサートを主催する「そう楽舎」の主宰でもあるが、1988年から14年間、狂言を修行したこともあるそうで、前半は曲の演奏の前に、「この辺りの者でござる」と狂言の口調で自己紹介をして、「疫病退散」のために演奏を行うことを宣言したり、「町人貴族」のあらすじを紹介したりする(ここでは森本英希も参加)。

歌手やダンサーは当時の衣装に近いものを身に纏い、重要文化財に指定されている大阪市中央公会堂中集会室の内装も相まって、古雅にして絢爛豪華な世界が繰り広げられる。

マルカントワーヌ・シャンパンティエもジャン=バティスト・リュリも、フランスのバロック以前の作曲家としてはかなり有名な部類に入るが、リュリは、「床を杖で突いて指揮している最中に誤って自分の足を突き刺してしまい、それが元で亡くなった作曲家」としてのみ有名で作曲作品が知られている訳ではない。ただ、共に典雅で良い音楽を書いている。

ジャン=フィリップ・ラモーは、シャンパンティエやリュリより時代が下ったバロック期の作曲家であり、フランスのみならず、この時代の最重要作曲家の一人に数えても良いと思われる。音楽愛好家以外にも名前は知れ渡っていたようで、ラモーの死の約20年後に思想家のディドロが『ラモーの甥』という小説を書いて当時のベストセラーとなったりしている。ラモー自身も風変わりな経歴を持った人物で、若い頃は教会のオルガニストや音楽理論を専門とする学者として活躍しており、40歳を越えてから本格的に作曲家に転身。フランス楽壇の頂点まで上り詰めることになる。

ラモーはそれまでの作曲家とは違い、明らかに自身の個性を作品に刻印している。そのため部分部分ではあるが、モーツァルトの先達のように聞こえたり、凝った技巧が展開されるなど、我々が「クラシック音楽」としてイメージする像に近くなっている。フランスのバロック音楽入門には、やはりラモーの楽曲が最適であろう。


アンコール演奏として、リュリのコメディ・バレ「町人貴族」より“イタリア人の二重唱”が再度演奏され、続いてプログラムノートには載っているが本編では演奏されなかった、同じく「町人貴族」より“道化のシャコンヌ”が、樋口裕子と有門奈緒子のバロック・ダンス付で演奏された。

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2021年8月 8日 (日)

コンサートの記(735) 沼尻竜典オペラセレクション ビゼー作曲 歌劇「カルメン」@びわ湖ホール 2021.81

2021年8月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、ビゼーの歌劇「カルメン」を観る。沼尻竜典オペラセレクションとして、沼尻が芸術監督を務めるびわ湖ホールと、東京・初台の新国立劇場との提携オペラ公演として上演される。今日がびわ湖2日目にして楽日。公演全体としても大千穐楽を迎える。


指揮は沼尻竜典。演奏は日本のオーケストラとしては最もオペラ経験が豊かであると思われる東京フィルハーモニー交響楽団が担う。
ダブルキャストによる公演で、今日の出演は、山下牧子(カルメン。メゾソプラノ)、村上敏明(ドン・ホセ。テノール)、須藤慎吾(エスカミーリョ。バリトン)、石橋栄実(ミカエラ。ソプラノ)、大塚博章(スニガ。バス)、星野淳(モラレス。バリトン。両日とも出演)、成田博之(ダンカイロ。バリトン)、升島唯博(レメンダード。テノール)、平井香織(フラスキータ。ソプラノ)、但馬由香(メルセデス。メゾソプラノ)ほか。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、大津児童合唱団。
演出は、アレックス・オリエ。舞台美術は、アルフォンス・フローレス。

先に新国立劇場オペラパレスで大野和士の指揮により上演されているが、舞台を現代のキャバレーやライブハウスに置き換えたアレックス・オリエの演出がかなりの不評であり、気にはなっていたが、自分の目で確かめないことには何ともいえない。

無料パンフレントに記載されたオリエの演出ノートを読むと、オリエがカルメンを27クラブ(27歳で他界したミュージシャン達を指す言葉。ジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリンなどなぜか数が多く、「27」は不吉な数字とされている)の一人であるエイミー・ワインハウスに重ねていることが分かる。エイミーは十代で成功を収めるも、酒とドラッグに溺れ、晩年は酔ったままステージに立って、まともな歌唱が行えないことで酷評を受けたりした(タモリがこの時のことを「笑っていいとも」で語っており、「名前がエイミー・ワインハウス」だからとネタにしていた)。その後に事故か自殺か分からない形でエイミーは他界している。

今日は4階席の中央通路より後ろで、出演者の顔などははっきりとは見えず、字幕の文字も小さめに感じられたが、音響的にはまずまずである。


沼尻はかなり速めのテンポを採用。迫力は増すが、特に合唱、重唱などでは歌手達がテンポに付いていけず、粗めになった場面が多かったことも否めない。

オーケストラピットで演奏する機会が多い東京フィルハーモニー交響楽団。ただ、びわ湖ホールでの演奏経験はそれほど多くなく、勝手が分からないためだと思われるが、第1幕などでは音が散り気味であった。

びわ湖ホール大ホールは、近年ワーグナー作品を立て続けに上演して、「日本のバイロイト」「オペラの殿堂」とも呼ばれるようになっているが、4面舞台を備えたオペラ対応劇場ではあるものの、基本的にはコンサートホール寄りの音響であるため残響も長く、今日も歌声で壁などがビリビリいう場面が何度もあった。兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールやロームシアター京都メインホールは、逆にオペラ寄りの音響であり、オーケストラ演奏よりも声楽に向いている。

アルフォンス・フローレスの美術は、鉄パイプを網の目に張り巡らせたセットを効果的に用いており、同じ風景がライトによって街頭、闘牛場の壁、牢獄などに変容していく。


舞台を現代に置き換えているということで、衣装なども現代風(衣装デザイン:リュック・カステーイス)。カルメンは煙草工場で働きながら密輸盗賊集団の一味として暗躍するというジプシー(ロマ)ではなく、ライブハウスなどで歌う人気歌手(ボヘミアン)で、よくあるように裏でマフィアとのパイプを持つという設定に変わっている。一方のドン・ホセは、捜査4課あるいは組対5課の私服刑事もしくは厚労省の麻薬取締官で、元の設定よりも公務員的印象が増している。
現代に置き換える必要性がどこまであったのかは疑問だが、私服刑事ということでドン・ホセがカルメンに抱く恨みが伝わりやすくなっているように思われる。
一方で、洗練され過ぎたことで、ドン・ホセがたやすくカルメンに籠絡される馬鹿男以外に見えなくなり、なぜそれほど簡単にカルメンに惚れるのかも納得しにくくなる。カルメンがドン・ホセの何が良いと思ったのかも同様に伝わりにくい。元々の歌劇「カルメン」にあった一種の土臭さが、こうした謎を中和していたのだが、舞台を現代に置き換えたことで理屈に合わないように見えてしまう。恋に落ちるのに理屈はいらないが、生涯未婚率が高くなった現代社会にはマッチしていない演出のように思われる。だがその他の本質の部分は変えていないため、全般的には満足のいく上演となっていた。


「面白いがなんか変」な場面はいくつもあり、カルメン登場の場面では、カルメンはステージの上でスタンドマイクに向かって「ハバネラ」を歌い、ビデオカメラで撮影された映像が背後のスクリーンに映る。これによってドン・ホセのカルメンに対する思いは、「歌姫への恋」となるのだが、これがその後の展開と余り結びつかない。

第3幕第2場では鉄パイプのセットが金色に照らされ、闘牛場らしく見えるセットの前に敷き詰められたレッドカーペットの上を出演者達が歩き、フラッシュがたかれる。映画祭の一場面のようになっているが、特になくてもいい演出のようにも思える。

ただ、この第3幕第2場での心理表現は優れている。カルメンのせいで公務員、しかも私服刑事という花形から追われる羽目になったドン・ホセは復讐のために現れてもいいのだが、実際はカルメンに復縁を迫る。カルメンはカルメンで、ホセから貰った指輪をはめたままである。本当に100%エスカミーリョに靡いたなら、ホセから貰った指輪を身につけたり所持していたりはしないはずで、カルメンも実はホセに未練があるのだと思われる。これは愛と葛藤の話なのである。演出によってはこれが上手く伝わってこなかったりするのだが、オリエはカルメンとホセの姿勢によって心情を観る者に悟らせる演出を施していた。奇抜なだけでなくきちんとした演出が出来る人であることもここで分かる。
闘牛場の中から聞こえてくる「闘牛士の歌」の合唱は、ビゼーが仕掛けたホセとカルメンの好対照な心理を暴き出す巧みな装置であるが、今回の演出は、合唱、ホセ、カルメンの演技の三つがはまって愚かしくも切ない人間ドラマが表れていた。かなり感動的である。ここさえしっかり描けていれば、現代に舞台を置き換えたことで発生したマイナスも気にする必要はないように思われる。人間が描けていればそれで良い。


歌手では、びわ湖ホールへの出演回数も多い石橋栄実が、繊細さと迫力を兼ね備えた歌声で魅せる。ミカエラのキャラクターもあるが、彼女はびわ湖ホール大ホールの音響を把握しているためか、迫力は出しても壁をビリビリ鳴らすことはなかった。

タイトルロールを務めた山下牧子も知情意のバランスの取れた歌唱で、カルメンを単なる「自由」に憧れる向こう見ずな女とはせず、「揺れ動く女性」として再現していて説得力がある。

女性陣に比べると、男性陣は歌声が大き過ぎたり、身振りが大仰だったりとマイナスも多いが、沼尻のテンポとの相性が悪かった可能性もある。


観る度に発見のある歌劇「カルメン」。やはり永遠の名作である。

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2021年7月24日 (土)

コンサートの記(733) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハール 喜歌劇「メリー・ウィドウ」

2021年7月18日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハールの喜歌劇(オペレッタ)「メリー・ウィドウ」を観る。なお、「メリー・ウィドウ」では劇中に選挙の話が出てくるが、今日は兵庫県知事選の投票日で、兵庫県立芸術文化センターの周りを投票を呼びかける選挙カーが回っていた。

佐渡裕の指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の演奏で行われる毎夏恒例のオペラ公演。昨年の「ラ・ボエーム」はコロナ禍のため、2022年に延期となったが、今年は無事に開催される運びとなった。ダブルキャストで、明日と23日は休演となるが、それ以外は1日おきに出演者が変わる。

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今日の出演は、高野百合絵(ハンナ・グラヴァリ)、折江忠道(ミルコ・ツェータ男爵)、高橋維(たかはし・ゆい。ヴァランシエンヌ)、黒田祐貴(ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵)、小堀勇介(カミーユ・ド・ロシヨン)、小貫岩夫(おぬき・いわお。カスカーダ子爵)、大沼徹(ラウール・ド・サンブリオッシュ)、泉良平(ボクダノヴィッチ)、香寿たつき(シルヴィアーヌ)、桂文枝(ニエグシュ)、志村文彦(ブリチッチュ)、押見朋子(プラスコヴィア)、森雅史(もり・まさし。クロモウ)、鈴木純子(オルガ)、鳥居かほり(エマニュエル)、高岸直樹&吉岡美佳(オペラ座のエトワール)、佐藤洋介(パリのジゴロ=ダンサー)、伊藤絵美、糀谷栄里子、四方典子(よも・のりこ。以上3人は踊り子)。踊り子役の3人は、関西では比較的名の知れた若手歌手なのだが、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の中で踊りも担当する役ということで、無料パンフレットには個別のプロフィールは記載されていない。その他にダンサーとして、高岸、吉岡、佐藤も含めた16人の名前がパンフレットに載っており、助演名義で14人が出演する。

演出は、広渡勲(ひろわたり・いさお)。日本語訳詞・字幕付での上演。訳詞を手掛けたのは森島英子。演出の広渡が日本語台本を手掛けている。プロデューサーは小栗哲家(俳優・小栗旬の実父)。

グランドピアノをイメージしたセットが組まれており、ミニチュアセットが兵庫県立芸術文化センター内の「ポッケ」というスペースに展示されていて、写真を撮ることも出来る。
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オーケストラピットを囲うようにスペースが設けられており(宝塚歌劇でいうところの銀橋)、そこでも歌唱やダンスなどが行われる。

佐渡裕が登場し、客席に顔を見せて振り返ったところで入り替わりがあり、タクトを振り上げてから客席を振り返った指揮者は桂文枝に代わっていて、「いらっしゃーい」というお馴染みの言葉が客席に向かって放たれる。文枝が務めるのは、架空の国であるポンテヴェドロ王国(モンテネグロ公国がモデルである)の大使館書記のニエグシュとストーリーテラー(狂言回し)である。

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ポンテヴェドロ王国の資産を握るほどの大富豪が死去したことから問題が起こる。

その前にまず主人公であるハンナとダニロの関係から。二人は元々は恋人で、結婚を誓ったほどの仲だったのだが、ダニロが伯爵であるのに対して、ハンナは平民の娘。身分違いの恋ということで二人は引き離されることとなったのだ。
その後、ハンナはポンテヴェドロ王国の大富豪の老人と結婚。ところが、十日も経たないうちに(正式には八日後ということになっている)老人が死去。文枝は、「最近、和歌山で同じようなことがありまして、田辺の方だったでしょうか。あちらは事件性がありますが、こちらはございません」と、現在に至るまでのあらすじを語り、ハンナもパリに出てきて、陽気な未亡人(メリー・ウィドウ)として暮らしているのだが、彼女がフランス人と再婚すると、受け継いだ大富豪からの遺産がフランスのものになってしまうということで、元恋人であるダニロに白羽の矢が立つのだが、ダニロはプライドが邪魔する上に、財産目当てと見られることを嫌い、その気になれない。ハンナと別れてからのダニロは駐仏大使館の一等書記官となるも荒れた生活を送っており、有名バー・レストラン「マキシム」に入り浸る毎日を過ごしている。

一方、ポンテヴェドロ王国駐仏公使のツェータ男爵の夫人であるヴァランシエンヌに、パリの伊達男であるカミーユが懸想し、ヴァランシエンヌの扇に「愛している」と書き込んだのだが、その扇をヴァランシエンヌが紛失してしまったことから一騒動起こる。扇は大使館員の手で拾われ、話題になるのだが、ツェータ男爵は自分の妻が関係しているとは夢にも思っていない。

ということで、ハンナとダニロ、ヴァランシエンヌとツェータとカミーユによる騒動を描いたドタバタである。オペレッタということで、筋書きも単純だが、音楽と「人を愛することの素晴らしさ」を存分に味わうことが出来る。音楽によって舞台上と客席が一体になる様は、オペラやオペレッタならではのものである。

歌手達の歌唱と演技も上等。新劇と宝塚歌劇の中間のような演技をする人が多いので、作りものっぽさが気になる人もいるかも知れないが、日本人歌手による日本語上演としてはかなり健闘しているように思う。桂文枝は落語家なので、語りや演技スタイルが浮いているが、そもそもがそうした要素を求められてのキャスティングである。文枝に名演技を期待している人も余りいないだろう。


育成型のオーケストラである兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)は、在籍期間最長3年ということで、個性のある団体にはならないのだが、見方を変えるとどんな音楽にも順応しやすいということで、「メリー・ウィドウ」でもウィーンとパリの良さを合わせたレハールの音楽を洒落っ気たっぷりに演奏する。コンサートマスターは元大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターで、現在は日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務める田之倉雅秋だが、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者のペーター・ヴェヒターを招き、ウィーン情緒の醸成に一役買って貰っているようである。佐渡の生き生きとした音楽作りも良い。

全体的に野球ネタがちりばめられており、ダニロが通う「マキシム」は甲子園店という設定で、文枝が「毎晩、虎になる」という話をするが、ツェータ男爵は巨人ファンだったという謎の設定である。また、ダニロが酔っ払って、「佐藤(輝明。西宮市出身である)、オールスターで打った」と寝言を言ったり、ハンナが「ダニロ」と言うのかと思ったら、そうではなくて「ダルビッシュ」だったりする。


3幕の前に、文枝が客席通路を喋りながら銀橋に上がり、「私と香寿たつきさんとで面白いことやってくれと言われまして。香寿たつきさんはいいですよ、歌って踊れる。私は話しか出来ない」ということで、花月などでもやったことのある病院ネタの創作落語を、今日は立ったまま行う。「病院で薬を貰うようになってから体調が悪化した」という老人の話。元々酒豪で、医師から「1日1合まで」と決められたのだが、それでも体調が悪くなる。医師は、酒の他に「煙草も1日2本まで」と決めたのだが、「元々煙草は飲まない」そうで、無理して朝晩1本ずつ吸うようにしたら頭がクラクラして体調が悪化したとのこと。更に、右脚が悪くなり、医師から「年だ」と言われるも、「左脚も同い年なんですけれど」「左右共に一緒に学校に通ったりしてたんですけれど」と粘るも、「直に追いつく」などと言われる内容であった。
文枝は、佐渡にも病院ネタの話をして貰うのだが、「脚を骨折した」「溝に落ちて骨折した」「病院に予約しないで行ったら、『佐渡さんだ! 佐渡さんだ!』と騒がれた」「脚の診察を終えたが、顔にも傷が出来てきたので、『頭のレントゲンも撮った方が良いですよ!』と医者に言われるも」「医者は興奮していて、自分の骨折した方の足を思いっ切り踏んでいた」という佐渡の話に、「私より面白い話してどうしまんのん?」とつぶやく。

一方の香寿たつきは、十八番である「すみれの花咲く頃」を歌って踊る。ちなみに佐渡裕は、昨年、コロナ禍を乗り切るために「すみれの花咲く頃」の歌声映像や音声を募集して、合唱作品を作り上げている


「メリー・ウィドウ」の「ダニロの登場の歌」は、ショスタコーヴィチが交響曲第7番「レニングラード」の第1楽章の「戦争の主題」の一部に取り入れられているとされる。「メリー・ウィドウ」はヒトラーが好んだオペレッタとして有名で、ショスタコーヴィチがヒトラーを揶揄する意味で取り入れたのではないかとする説もある。


本編終了後におまけがあり、まずレハールのワルツ「金と銀」抜粋に合わせて、高岸と吉岡がパ・ド・ドゥを行い、その後に「メリー・ウィドウ」のハイライトが上演される。最後はステージ上に登場した佐渡が「さて女というものは」を歌い、文枝がPACオーケストラを指揮して伴奏を行うなど、遊び心に溢れた上演となった。

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2021年7月 6日 (火)

クラシカジャパン 佐渡裕指揮トリノ王立劇場管弦楽団ほか モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」2015トリノ王立歌劇場

2021年6月29日

録画してまだ観ていなかった、佐渡裕指揮トリノ王立劇場管弦楽団ほかによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を視聴。2015年にトリノ王立歌劇場で収録された映像である。

このところ、顔も声も疲れた感じで、少し気になる佐渡裕だが、この頃はまだ溌剌としている印象である。

衣装は舞台となっている18世紀当時のものを基調としており、出演者などの動きもその頃の上流階級とその使用人を意識していて、洗練されており、ウイットにも富んでいる。柱を使ったセットも効果的であり、特に第4幕の暗闇の庭のシーンの顔が見えない者同士が動く場面で、「障壁」として上手く用いられている。

出演:ミルコ・パラッツィ(フィガロ。バス)、エカテリーナ・バカノワ(スザンナ。ソプラノ)、ヴィト・プリアンテ(アルマヴィーヴァ伯爵。バス・バリトン)、カルメラ・レミージョ(伯爵夫人=ロジーナ。ソプラノ)、パオラ・ガルディーナ(ケルビーノ。メゾ・ソプラノ)ほか。

女性演出家のエレーナ・バルバリッチは、意図的にかどうかは分からないが、登場人物が女性を貶める内容のアリアを強調しているように見え、当時の女性蔑視を露わにしたいという思いがあったのかも知れない。一方で、「博愛」を打ち出したナンバーはこの公演でもカットされており、モーツァルトやダ・ポンテの意図を汲むという意味では合格点に達してはいないように思われる。ただ出演者をチャーミングに見せる演出は施されており、全体像よりも演技に力を入れるタイプの演出家のようにも見受けられる。
子役を登場させているのも特徴だが、特に深い意味はなく、伯爵邸の賑やかさと多様さを表しているに過ぎないようだ。
アンサンブルキャストをストップモーションにするところなどは映像的である。

今回のケルビーノは成熟した感じで、少年というよりも青年のようであり、第4幕などではやや邪悪な印象も受ける。個人的には女性的で、いたずらな感じのケルビーノが好きである。野田秀樹の演出で、カウンターテナーがケルビーノ役を演じているのを観たことがあるが、やはりケルビーノは男性がやってはいけないと思う。男性がやっているというだけで笑えなくなってしまう。
なお、今回の「フィガロの結婚」では、ケルビーノのアリア「恋とはどんなものでしょう」で伴奏をするのは伯爵夫人で、ギターではなくヴァイオリンをピッチカートで演奏するという趣向となっている。

フィガロを演じるミルコ・パラッツィは、顔がどことなく博多華丸に似ており、親しみが持てた。

佐渡の指揮するトリノ王立劇場管弦楽団は、弦の音色が艶やかであり、爆発力とデリケートさを兼ね備えている。ピット内を映した映像を見ると、弦楽はかなり徹底したノンビブラート奏法を行っており、ピリオドを意識していることがわかる。

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2021年6月 7日 (月)

グラインドボーン音楽祭2012 ロビン・ティチアーティ指揮指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団ほか モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

2021年5月4日

Blu-rayで、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観る。2012年のグラインドボーン音楽祭での収録。指揮は、「第二のラトル」といわれたこともある若手のロビン・ティチアーティ。古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の演奏。演出は、マイケル・グランデージで、彼は舞台を1960年代から70年代のヒッピームーブメントの時代に置き換えており、バルバリーナなどはサイケデリックなファッションに身を包んでいる。

出演は、リディア・トイシャー(スザンナ)、ヴィート・ブリアンテ(フィガロ)、サリー・マシューズ(アルマヴィーヴァ伯爵夫人=ロジーナ)、アウドゥン・イヴェルセン(アルマヴィーヴァ伯爵)、イザベル・レナード(ケルビーノ)、アン・マレー(マルチェッリーナ)、アンドリュー・ショ(バルトロ)ほか。
合唱は、グラインドボーン合唱団。
オーパス・アルテからの発売で、日本語字幕付き(他に英語、フランス語、ドイツ語、韓国語の字幕が付いている)。ナクソス・ジャパンによる輸入販売。

「セビリアの理髪師」では、フィガロと組んでロジーナとの結婚を成功させた才人のアルマヴィーヴァ伯爵であるが、続編である「フィガロの結婚」では、初夜権を復活させて、フィガロの婚約者であるスザンナの貞操を奪おうとする悪漢に変身している。「セビリアの理髪師」と「フィガロの結婚」の間に何があったのかは分からないが、伯爵夫人となったロジーナとの間に、何らかのすれ違いがあった可能性もある。

理髪師というホームレスが多い職業であったフィガロであるが、ロジーナとの結婚を取り持った功により、アルマヴィーヴァ伯爵の召使いに昇進。伯爵邸の一部に部屋を頂き、そこで許嫁のスザンナと共に過ごせるということでウキウキである。だが、スザンナは伯爵の企みに気づいており、スザンナから話を聞いたフィガロもそれを信じざるを得なくなる。そして、アルマヴィーヴァ伯爵の浮気の現場をつかもうという計画を練り、スザンナの身代わりとして小姓のケルビーノを使おうという話になる。
一方、「セビリアの理髪師」では、ロジーナをアルマヴィーヴァ伯爵とフィガロに奪われたバルバロは、年増のマルチェッリーナをフィガロと結婚させ、フィガロとスザンナの仲を裂くことで復讐を図る。マルチェッリーナはフィガロに恋しており、スザンナとどちらがフィガロの結婚相手に相応しいか、鞘当てを始める。
ケルビーノが去ったため、伯爵夫人はスザンナと計略を図り、互いの衣装を入れ替えて、伯爵夫人本人がスザンナに化けて夫の不貞を暴こうとする。しかし、二人の計略をフィガロもケルビーノも知らないため、想定外の狂騒(ラ・フォル・ジュルネ)が起こってしまう。
さて、フィガロとマルチェッリーナとの結婚を認めるか否かの裁判であるが、結婚は有効との判決が出る。だが、予想外の事実が判明して……。

イギリスのシックな建築が基本となった舞台。序曲演奏中も幕は下りておらず、伯爵の使用人達が表の掃除をしたり、ものを運んだりしている。フィガロも使用人頭として甲斐甲斐しく働いている。1960年代から70年代ということで伯爵と伯爵夫人がオープンカーに乗って現れ、フィガロが伯爵夫人をエスコートする。

ロビン・ティチアーティ指揮のエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団であるが、はち切れんばかりの生命力が印象的である。推進力とアンサンブルの精度も優れている。
20世紀半ばから80年代に掛けて主流だったロマンスタイルの演奏は情緒面の拡大には寄与したが、モーツァルトの音楽が持っている本来の意味での快活さや爆発力が犠牲になっていたのかも知れない。古楽器のオーケストラとその扱いに長けた若い指揮者の演奏によって初演時30歳そこそこだったモーツァルトの若々しさが復活したような印象を受ける。

フィガロを演じるヴィート・ブリアンテは男前で、おそらく女性にモテモテのはずである。なんだかんだで男前は得で、見た目だけで才気ありそうなフィガロに見える。

ボーマルシェの原作は、露骨に貴族階級批判の意図が込められたものだが、ロレンツォ・ダ・ポンテの台本によるモーツァルトの歌劇版は貴族に対する矛先はそれほど鋭いものではなく(それでも貴族批判を感じ取った貴族中心の聴衆には不評で初演は数日のみで打ち切られた。現代の演出は鋭い場面をカットした穏健なものが主流であり、この上演でも端折られている)恋にまつわるドタバタが中心で、それ故に長年に渡ってオペラ史上屈指の人気を博してきたのだと思われる。

若手中心のキャストで、若者のムーブメントが盛んであった1960年代から70年代に舞台を移すことで、若々しさのエネルギーを前面に押し出した上演となっている。

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2021年5月24日 (月)

クラシカ・ジャパン トリノ王立歌劇場2015「セビリアの理髪師」

2021年5月3日

録画してまだ観ていなかった、トリノ王立歌劇場2015「セビリアの理髪師」を観る。
ジャンパオロ・ビザンティ指揮トリノ王立歌劇場管弦楽団及び合唱団の演奏。演出:ヴィットーリオ・ボレッリ。出演は、キアラ・アマル(ロジーナ。メゾ・ソプラノ)、アントニーノ・シラグーザ(アルマヴィーヴァ伯爵。テノール)、ロベルト・デ・カンディア(フィガロ。バリトン)、マルコ・フィリッポ・ロマーノ(ドン・バルトロ。バリトン)、ニコラ・ウルヴィエリ(ドン・バジリオ。バス)、ラヴィニア・ビーニ(ベルタ。メゾ・ソプラノ)、ロレンツォ・バッタジョン(フィオレッロ。バリトン)、フランコ・リッツォ(将校。バリトン)。

ボーマルシェ三部作の第1作であり、「フィガロの結婚」前日譚に当たる「セビリアの理髪師」。町のなんでも屋であるフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵とロジーナの間を取り持つという話である。ロッシーニのオペラは、作曲家自身が若くして引退し、美食家に転向して高級レストランを経営するようになるという、音楽史上例を見ない生き方を選択したということもあって、急速に忘れ去られ、序曲のみが有名という状態が長く続いた。20世紀後半になるとロッシーニのオペラ作品の見直しが始まり、メディアの発達によって、ロッシーニのオペラを映像で観る機会も増えたが、「セビリアの理髪師」だけはロッシーニの生前から今にいたるまでずっと人気を博し続けてきた作品である。

「ロッシーニ・クレッシェンド」という言葉があり、音楽が急速にクレッシェンド(増強)していくことを指すが、ロッシーニはこの独自の音楽性などを武器に、祖国のイタリア、更にウィーンを始めとするドイツ語圏でも大人気を博した。その人気は「最盛期のビートルズをも上回る」というほどで、例えばウィーンの王立歌劇場なども1年の大半がロッシーニ作品で埋まったというのだから、大熱狂を呼び起こしていたことになる。

「フィガロの結婚」ではタイトルロールとなるフィガロであるが、この作品では純粋な主役というよりも恋の取り持ち役である。理髪師であるため、様々な家に潜り込むことが出来るが、身分的には最下級層で、自分の家を持っていない(今回はフィガロもホームレスという設定で、アルマヴィーヴァ伯爵に「家はどこか?」と聞かれたフィガロが、適当なことを言って誤魔化すということになっている)人も多い。今も理髪店には、静脈、動脈、包帯を表す「あめんぼう」(サインポール)が回っているが、中世ヨーロッパの理髪師は、外科医の仕事も兼ねていた。今でこそ外科医は、開業医なら高給取りで権威ある職業だが、昔は他人の体に直接触れる仕事は卑しい身分の人が行うことだった。フィガロも「便秘の弁護士のために浣腸をしに行かないといけない」と歌う場面があるが、今で言う3K的な職業だったわけである。
こうした理髪師であるフィガロが、アルマヴィーヴァ伯爵と美しい娘であるロジーナのキューピットを演じる。
といってもそう簡単にことが進むわけではない。伯爵は、プラドで医者(この場合は内科医で、内科医はこの時代も権威ある仕事である)であるドン・バルトロの娘であるロジーナに一目惚れしてセビリアまで追ってくる。伯爵が夜明け前のバルトロ邸の前で楽士達に伴奏させてロジーナのための恋歌をうたうも最初は空振りに終わるが、旧知の仲であったフィガロからロジーナはバルトロの義理の娘であり、バルトロは後見人となっていることを知らされる。
一方、ロジーナも伯爵の声に惹かれ、ベランダから恋文を落とす。伯爵は「貧乏学生、リンドーロ」と名乗り、ロジーナに向けた恋歌を再びうたう。
フィガロが軍隊が近くに駐屯していることを知っており、伯爵に軍人に化けてバルトロ邸に潜り込むことを提案する。
まんまとバルトル邸に忍び込むことに成功した伯爵であるが、バルトロやロジーナの音楽教師であるドン・バジリオ(スペインでは「ドン」がつく男性は貴族階級である)もリンドーロなる人物がおかしな振る舞いをしていることには気づいて……。

続編の「フィガロの結婚」では開始早々に決裂することになるフィガロと伯爵であるが、「セビリアの理髪師」では一致団結して、バルトロとバジリオの鼻を明かし、ロジーナをものにする。
そしてロジーナは伯爵の歌声に恋しており、また伯爵も――上流貴族ということで当然なのかも知れないが――バジリオの弟子の音楽教師に扮して再度バルトロ邸に忍び込んだ際には、ロジーナ(相手がリンドーロであるということには気づいているが、リンドーロの正体がアルマヴィーヴァ伯爵であるということにはまだ気づいていない)の歌のレッスンでクラヴサンを弾いて愛情を交わすなど、音楽が突破口になっているということが、この歌劇をより面白いものにしている。


幕間に、演出のヴィットーリオ・ボレッリ、指揮者のジャンパオロ・ビザンティ、フィガロ役のロベルト・デ・カンディア、ロジーナ役のキアラ・アマル(キアラというのは「明るい」という意味だそうで、キアラ・アマルはロジーナについて自分の名前と同じキアラ=明るい人だと嬉しそうに語る)、アルマヴィーヴァ伯爵役のアントニーノ・シラグーザへのインタビューが流れる。


演出のヴィットーリオ・ボレッリは、「ロッシーニの『セビリアの理髪師』は完成されたオペラであるので、大袈裟な演出を加えないようにした」と語り、一方で、カットされることの多いラスト付近の伯爵のアリア「逆らうのはやめなさい」を復活させたことについて述べる。「逆らうのはやめなさい」は高難度のアリアであるため、カットされることが多いのだが、伯爵役のアントニーノ・シラグーザの歌唱力が高いため、通用すると思ったそうだ。演出家の仕事は、オペラ作品を分析し、音楽や台本などあらゆる要素に最大限の尊重を払うことだと語る。多くの指揮者が楽曲に対して払う敬意と似通っていることが面白い。当然といえば当然であるのだが、残念ながら現代の日本の演劇では台本に対する演出家の暴力がまかり通っている。
そのアルマヴィーヴァ伯爵役のアントニーノ・シラグーザは伯爵役の魅力について、「ほとんどの恋敵には勝てる。バスやバリトンには負けない」と語る。「セビリアの理髪師」の男性登場人物の中で伯爵だけがテノールである。なお、続編の「フィガロの結婚」では伯爵の声域はバリトンになっており、これだけでも役割が異なることが分かる。

フィガロ役のロベルト・デ・カンディアは、ロッシーニが書いたアリアの多様さについて述べる。また、「セビリアの理髪師」の初演以来、200年以上に渡ってフィガロ役を務めてきた数々の名歌手達と比べられる覚悟や、師から「音符をなぞるだけでは全くだめで、フィガロが持つエネルギーを聴衆に伝えるよう指導された」ことを明かす。

指揮者のジャンパオロ・ビザンティは、ロッシーニのオペラ作曲家としての高い職人芸や、発想力、オーケストレーションやアリアの細部に至るまでの高度な技巧について語り、ロッシーニは19世紀の音楽劇の指標となったと断言した。

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2021年5月12日 (水)

コンサートの記(720) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 石橋栄実&藤井快哉「もしあなたと一緒になれたなら」+福原寿美枝&船橋美穂「女の想い~シューマン歌曲集」+砂川涼子&河原忠之「ベルカント!」

2021年5月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

今日もびわ湖ホールで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021がある。今日が2日目にして楽日である。

今日は午前中に、児玉姉妹の姉である児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏があるのだが、午前中からベートーヴェンの音楽を聴くのは気が引けたたため、ソプラノの石橋栄実、メゾソプラノの福原寿美枝、ソプラノの砂川涼子が立て続けに登場する3つのコンサートのみを聴くことにする。

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今日も昨日同様、雨がパラつく天気だったのだが、びわ湖ホールに着く直前に太陽が顔を覗かせる。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー2-L-3「もしあなたと一緒になれたなら」。出演は石橋栄実(ソプラノ)と藤井快哉(ピアノ)。

2019年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、体調不良で降板した砂川涼子の代役としてプーランクのモノオペラ「声」に出演し、大成功を収めた石橋栄実(いしばし・えみ)。大阪音楽大学声楽科卒業、同専攻科を修了。大阪舞台芸術奨励賞、音楽クリティック・クラブ奨励賞、坂井時忠音楽賞、咲くやこの花賞などを受賞。現在は大阪音楽大学の教授と大阪音楽大学付属音楽院の院長も務めている。

藤井快哉(ふじい・よしや)は、大阪音楽大学を経て同大学院を修了。インディアナ大学音楽学部アーティストディプロマ課程修了。坂井時忠音楽賞、兵庫県芸術奨励賞、佐治敬三賞、神戸灘ライオンズクラブ音楽賞などの受賞歴があり、現在は大阪音楽大学の教授を務めている。

曲目は、ベネディクトの「四十雀(しじゅうから)」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”、プーランクの歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”。

ベネディクトは、ドイツ出身のイギリスの作曲家だそうである。石橋栄実のトークによると、選曲した時には「今頃(「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021開催の頃)は、色々と大変だったことが過去になって、『良かったね』という状況で歌いたい」ということで1曲目に選んだのだが、残念ながらコロナ禍は却って深刻さを増してしまっている。

昨年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、小ホールで全曲日本の歌曲によるプログラムを歌う予定だったのだが中止になってしまい、本来は今年も日本の歌曲を歌う予定だったのだが、会場が大ホールになり、「オペラの殿堂ということでオペラの曲を並べることにした」そうである。
ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”は、男装してフィデリオと名を変えたレオノーレを本当に男だと勘違いして恋をしてしまう娘、マルツェリーネのアリアである。石橋栄実は、典型的なリリック・ソプラノであり、声が澄んでいて可憐、ただ芯がしっかりしており、私が最も好むタイプの声質の持ち主である。

藤井快哉によるプーランクのピアノ曲「エディット・ピアフを讃えて」の独奏。「エディット・ピアフを讃えて」は、若手ピアニストの牛田智大がアンコールなどで好んで取り上げる楽曲である。藤井快哉が演奏前に解説を行い、エディット・ピアフがシャンソンの名歌手であることや、プーランクがピアフの大ファンだったことなどを語り、「私も石橋栄実さんの大ファンです」と言って、プーランクとピアノの関係を重ねたりする。

続く曲は、歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”なのであるが、「エディット・ピアフを讃えて」の演奏前、いったん退場する際に石橋が、「なんていうタイトルなんでしょうと思いますが、女性が、『自分はフェミニストだ!』と言って、掃除やら洗濯やら家事一般が女性の仕事とされることに納得がいかず、兵士になりたいとか弁護士ですとか、当時、男性しか就けない仕事に就けるよう要求するのですが、すると顎にひげが生えて、胸の膨らみが飛んでいっちゃって」と解説する。
「エディット・ピアフを讃えて」演奏終了後に、石橋は胸の前に風船を二つ付けて登場。ヘリウムガスで膨らませた風船であるため、胸の膨らみを否定する場面では、風船が上に浮かぶ。その後、石橋は風船を二つとも割る。演奏前に風船を割るという演出の説明をしなかったのは、事前に言うと風船を割ることだけを意識してしまう人がいそうだったからだそうで、風船が割れる音を嫌う人もいるので、怖がらせたらまずいとも思っていたそうだ。「皆さん、こういう演出見たことあります?」と客席にも聞いていた。無反応だったので、見たことがある人はほとんどいないようであったが、私はたまたま川越塔子が青山音楽記念館バロックザールでのリサイタルでそれに近いことをしていたのを覚えている。もう4年も前なので、正確には記憶していないが、変わった演出だったので、それらしきことをしていた映像がぼんやりとではあるが浮かぶ。
演奏終了後に、藤井は、「尊敬している方にああいうことをされると結構な衝撃で」と語っていた。リハーサル時にも風船は使っていたが、割ったのは本番だけだったそうである。

切々と歌われる團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”は、今のコロナ禍を念頭に置いて選ばれたと思われ、「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”では一転してコケティッシュな歌声を聴かせた。「夕鶴」と「ラ・ボエーム」ということで振り幅がかなり広い。

日本歌曲を予定していたのに、團伊玖磨の1曲だけになってしまったということで、アンコールとして中田喜直の「歌をください」が歌われた

 

午後2時10分開演の、公演ナンバー2-L-4「女の想い~シューマン歌曲集」。出演は、福原寿美枝(メゾソプラノ)、船橋美穂(ピアノ)。

福原寿美枝は、京都市立芸術大学卒業、同大学院修了。平成25年神戸市文化奨励賞、2015年度音楽クリティック・クラブ賞受賞などの受賞歴がある。現在は武庫川女子大学音楽学部教授を務め、京都市立芸術大学でも後進の指導に当たっている。

船橋美穂(ふなはし・みほ)も京都市立芸術大学出身。大学卒業後に渡米し、エール大学大学院音楽科講師などを務めた。2002年藤堂音楽褒賞、第29回京都芸術祭京都府知事賞などの受賞歴がある。

曲は、いずれもシューマンのリートで、「女の愛と生涯」と「メアリー・スチュワート女王への詩」

歌唱の前に福原は、「緊張で心臓がバクバクしてる。飛び出そう」と語り(なんでもコンサートでリートを歌うのは約30年ぶりだそうである)、また年齢を重ねるにつれて声が低くなってきているので、低音版の楽譜で歌うことを告げる。

「女の愛と生涯」は、愛しい人との出会いと結婚生活、出産、死別を描いたシャミッソーの詩に基づく歌曲で、背景にはシューマンのクララとの結婚がある。歌う前に「声が低いので、可愛らしい女の人にはなりません」と語った福原だが、これはこれで若き日を回顧する趣があり、味わい深い。

「メアリー・スチュワート女王への詩」。生後まもなくスコットランド女王に即位し、あらゆる才能に恵まれながらも様々な男性との恋に破れ、最終的にはエリザベス女王により追い込まれて処刑された悲劇の女王であるメアリー・スチュワート。その生涯は様々な文学作品や映画や芝居で描かれ、多くの人が知るところとなっている。
「メアリー・スチュワート女王への詩」に関しては事前に歌詞をチェックしていかなかったのだが、シューマンらしい個性に満ちた旋律を味わうことが出来た。
シューマンは、晩年は梅毒に起因する精神障害が進み、作曲活動が思うようにはかどらなくなっていた。シューマンが自身をメアリー・スチュワートに重ねても不思議ではない気はするが、「重ねている」という絶対的な根拠は当然ながらないようである。


午後3時30分開演の、公演ナンバー2-L-5「ベルカント!」。出演は、砂川涼子(ソプラノ)と河原忠之(ピアノ)。「ベルカント!」は砂川の最新アルバムのタイトルでもあるようだ。
びわ湖ホール大ホールの2階席(びわ湖ホールの1階席と2階席は繋がっている)の後ろの方では、本番を終えた石橋さんと福原さんが並んで聴いているのが確認出来た。

砂川涼子(すなかわ・りょうこ)は、沖縄県生まれ。ということで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」でもオール沖縄民謡によるリサイタルを行ったことがある。武蔵野音楽大学と同大学院を修了。ミラノに渡って研鑽を積み、第34回日伊声楽コンコルソで優勝。第69回日本音楽コンクール声楽部門でも第1位を獲得している。第12回R・ザンドナイ国際声楽コンクールではザンドナイ賞を受賞。現在は藤原歌劇団団員であると共に、母校の武蔵野音楽大学で講師を務めている。

河原忠之は、歌手の伴奏ピアニストとして高い評価を受けている。太メン4人によるユニットIL DEVU(イル・デーヴ)のピアノメンバーであり、指揮者としても活躍している。国立(くにたち)音楽大学と同大学院を修了。母校の大学院教授を務めると同時に、新国立(こくりつ)劇場オペラ研修所シニアコレペティトゥアとしても活躍している。

曲目は、いずれも砂川のニューアルバム「ベルカント!」に収録されているもので、ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”、ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”(清水徹太郎との共演)、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の叫ぶ声に”、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。

プッチーニの歌劇「トーランドット」より“氷のような姫君の心は”は、女奴隷であるリューのアリアであるが、砂川は一昨年にびわ湖ホール大ホールで行われた大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほかによる歌劇「トゥーランドット」にリュー役で出演している。

砂川涼子は見た目は可憐であるが、ドラマティックソプラノであり、声量豊かでスケールも大きい。トークでも河原に、「見た目と歌声が一致しない」と言われていた。

ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」は初めて聴く曲である。思ったよりも長い。
歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”は、スザンナが幼いケルビーニを無理矢理伯爵夫人に見立てようとするいたずら心たっぷりの歌で、そうした心持ちを存分に発揮する。

ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”はミカエラのアリア。砂川はミカエラを得意レパートリーの一つとしているが、今年の夏にびわ湖ホールで行われる「カルメン」でもミカエラを歌い、次の曲で登場する清水徹太郎(ドン・ホセ役)と共演するそうである。

ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”。愛の妙薬が手に入ったと勘違いしたドタバタの場面である。演技付きでの演奏。ユーモラスな演技が客席の笑いを誘う。

プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の呼ぶ声に”と歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。同じプッチーニ作品であるが、求められるものは真逆である。実際にびわ湖ホール大ホールで上演を観たことのある“氷のような姫君の心は”がダイナミックでとても良い。
“氷のような姫君の心は”は、プッチーニが最後に書き上げたアリアであり、リューはプッチーニ版の「トゥーランドット」にのみ登場する役で、実際にプッチーニに仕えていた女召使いがモデルになっているとも言われている。

 

びわ湖ホールを出ると、晴れ間が覗く中に雨粒がポツリポツリと落ちてくるという天気で、三上山の方を振り返ると、巨大な虹が架かっているのが見えた。

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2021年5月 3日 (月)

コンサートの記(715) 「ソプラノ 川越塔子リサイタル ~珠玉のオペラアリア集Ⅱ~」

2017年6月4日 上桂の青山音楽記念館バロックザールにて

午後3時から、上桂の青山音楽記念館バロックザールで、「ソプラノ 川越塔子リサイタル ~珠玉のオペラアリア集Ⅱ~」を聴く。

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今日は全席自由である。開場10分後ぐらいに会場に着いたので、後ろの方の席は埋まっており、前の方の席は空いていたので、前から3列目に座る。前列にも前々列にも誰もいない。

 

川越塔子は、私と同じ1974年生まれのソプラノ歌手。宮崎市出身。東京大学法学部卒業後、武蔵野音楽大学大学院声楽専攻を修了という異色の系列を持つ。藤原歌劇団所属。昭和音楽大学では声楽の講師も務めている。京都芸術劇場春秋座で毎年行われている「春秋座オペラ」の常連であり、これまで、「夕鶴」、「ラ・ボエーム」、「蝶々夫人」、「椿姫」、「セビリアの理髪師」で主演を務めている。私はそのうち、「ラ・ボエーム」、「蝶々夫人」、「椿姫」を観ているが、川越はいずれも薄幸な雰囲気を上手く出していた。ただ薄幸な役だけしか出来ないというわけでもないはずなので、リサイタルを聴きに来たのである。
ちなみに、春秋座で「都をどり」を見た時に、チケットオフィスのそばに川越の今日のリサイタルのチラシが置かれていたため公演の存在を知ったのであり、そうでなければ知らないままだったということになる。

ピアノ伴奏は細川智美(二期会ピアニスト)が務める。

 

曲目は、第1部が、グノーの「ロメオとジュリエット」より“夢に生きたい”、オッフェンバッハ(オッフェンバック)の「ホフマン物語」より“オランピアの唄”、マスネの「マノン」より“ガヴォット”、マスネの「エロディアード」より“甘く優しく”、細川智美のピアノソロでプーランクの即興曲第15番「エディット・ピアノを讃えて」、プーランクの「ティレジアスの乳房」より“いいえ旦那様”。
第2部が、團伊玖磨の「夕鶴」より“あたしのだいじな与ひょう”、プッチーニの「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”、プッチーニの「蝶々夫人」より“可愛い坊や”、細川智美のピアノソロでドビュッシーの「月の光」、クルト・ワイルの「ヴィーナスの口吻」より“愚かなハート”、メノッティの「泥棒とオールドミス」より“私を盗んで”、レナード・バーンスタインの「キャンディード」より“きらびやかに着飾って”。

仏、日、伊、米というバラエティ豊かな選曲である。またプーランクやクルト・ワイル、メノッティ、レナード・バーンスタインといった「知名度はそこそこあるが作品はそれほど知られていない作曲家」の作品を選んでいるのも興味深い。

 

細川智美とともに純白のドレスで登場した川越塔子であるが、細川のピアノソロの間に着替えて、赤のコルセット風トップスに黒のミニスカートでプーランクを歌い、第2部では紫の着物姿で團伊玖磨の「夕鶴」にプッチーニの「蝶々夫人」という日本ゆかりの曲を歌い、最後は「月の光」独奏の間に薄萌葱のドレスに着替えて残りのプログラムを歌った。舞台監督さんに「こんなに着替える人、初めてです」と言われたそうである。

マイクを手にトークを挟みながらの歌唱。話もウイットに富んで面白いし、プラカードを使って笑いを誘ったり、“オランピア(オランピアは機械仕掛けの人形である)の唄”ではオペラ本番さながらに動きを止めたりギクシャク動いたりと、とにかく聴き手を楽しませるエンターテインメント性豊かな歌手である。

歌声も安定しており、とかく「お堅い」とされるクラシック音楽界にあって、楽しませることを考えた面白いコンサートであった。

 

アンコールは3曲。プッチーニの「トスカ」より“歌に生き恋に生き”、ドリーブの「カディスの娘たち」ではカスタネットを叩きながらの歌唱、3曲目は中島みゆきの「糸」であった。

カスタネットを叩きながら歌う練習をしているとのことだったが、「カルメン」をやる予定があるのだろか? ちなみに今年の春秋座オペラでは「魔笛」の夜の女王を歌うことが決まっている。

「糸」を歌う前には、川越は「皆さんと一緒に歌いたい」と述べたため、あるいは聴衆の人達にも歌って貰いたかったのかも知れないが、京都人はノリは良くないので、歌う人はいなかった。大阪人はノリが良いので参加してくれる人がいたりするのだけれど。私は前の方の席だったので、口パクだけはした。中島みゆきの「糸」は自分からカラオケで歌うことはないのだが、人に頼まれて歌うことはたまにある。

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