カテゴリー「フィンランド」の13件の記事

2019年10月17日 (木)

2346月日(17) ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」

2019年9月16日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後2時から、京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1で、ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」を聴く。すぐそばにある大阪市立東洋陶磁美術館で開催されている「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」との連携プロジェクトである。ゲストは、石野裕子(国士舘大学文学部史学地理学科准教授)と宮川智美(大阪市立東洋陶磁美術館学芸員)。カフェマスターは、當野能之(大阪大学言語文化研究科講師)。

石野裕子は、フィンランド史が専門。フェリス女学院大学文学部を経て、津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程単位取得退学後に博士号取得。中央公論社から『物語 フィンランドの歴史』を上梓している。

 

日本で北欧関係というと、東海大学の文化社会学部に北欧学科(旧文学部北欧学科。その前は文学部北欧文学科であった)があるだけであり、フィンランド語を専攻できるのもここが唯一。専門家を生み出す課程自体は少ないということで、日本では一般に北欧のイメージは良いが、北欧の歴史や文化までもが熟知されているというわけではない。

カフェマスターの當野能之が所属している大阪大学言語文化研究科は、外国語学部の研究科で、大阪大学の外国語学部は大阪外国語大学時代から日本で最も多くの言語を教える外国語学部であったが、スウェーデン語専攻はあるものの、フィンランド語のコースは残念ながらないそうである。フィンランド語は他のヨーロッパ言語とは異なる構造を持つことで知られている。

 

まず石野裕子によるフィンランド現代史の概説が述べられ、次いで宮川智美による大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」展示作品の解説がある。

フィンランドは約600年に渡ってスウェーデンの統治下にあり、公用語はスウェーデン語だけで、フィンランド語は農民達が話す言葉であった。支配層はスウェーデン系が多く、スウェーデン語が話されていた。それが1809年にスウェーデンとロシアの間で2度目の戦争があり、ロシアが勝利して、フィンランドはロシアに割譲される。ここにフィンランド大公国が生まれ、フィンランドはロシアの中の一国となる。フィンランド大公はロシア皇帝が兼任しており、独立を果たしたわけではなかったが、フィンランド人による自治が認められ、やがて公用語にフィンランド語が加わることになる。
その後、アレクサンドル2世の時代にフィンランドの自由化があり、フィンランドは「自由の時代」を迎えるが、アレクサンドル2世が暗殺され、ドイツの台頭が顕著になると、ロシアはフィンランドへの締め付けを強化し始める。エートウ・イストの風刺画「攻撃」が描かれたのがこの頃だそうだ。

1917年にロシアで2月革命が起こると、フィンランドは同年12月6日に独立を宣言する。だが、そのまますんなりとは進まず、親ソ連派の赤衛隊と親ドイツ派の白衛隊に分かれて内戦が起こり、白衛隊が勝利したが、フィンランド人同士での殺し合いが発生し、約3万人が犠牲になったという。
更に第二次世界大戦ではソ連と戦い、冬戦争と継続戦争という2度の戦いにいずれも敗北(2つの戦争は日本の人気漫画に出てくるそうで、若い人の間では知名度が高いそうだ)。フィンランドはカレリア地方を含む国土の10分の1を失い、多額の賠償金を支払うことになる。
フィンランドが世界に復興を示すのは、1952年のヘルシンキ・オリンピックを待たなければならなかった。ちなみに1940年の東京オリンピックが返上された時、次点であったヘルシンキが開催地に決まったが、大戦が始まってしまったため中止となっている。1940年のヘルシンキ・オリンピックのためにデザインされたポスターは、1952年のヘルシンキ・オリンピックのポスターとして年号だけ変えて使用されたそうである。

 

宮川智美によるフィンランド陶芸の解説。ラボカフェの最初の挨拶で、當野能之がフィンランドの陶芸について、「(イメージと違って)意外だった」と述べていたが、大阪市立東洋陶磁美術館の「フィンランド陶芸」に並ぶ作品は、バラエティに富み、「フィンランドのデザイン」と聞いて思い浮かべるすっきりとしたものもあるがそうでないものも多い。
ただ、まずはもう一つの展示であるマリメッコについてから。フィンランドを代表するテキスタイルブランドのマリメッコ。「マリのドレス」という意味だが、マリというのは、創設者の一人であるArmi Ratiのファースネームの綴りを変えたものに由来しているという。ジャクリーヌ・ケネディなどがマリメッコの衣装を愛用したことで、「知識人のユニフォーム」と言われた時代もあったようである。

そしてフィンランドの陶芸史。
フィンランドの陶芸に偉大な足跡を残している人物は二人いる。アルフレッド・ウィリアム・フィンチとクルト・エクホルムであるが、二人ともフィンランド人ではない。フィンチはイギリス系両親の下、ベルギーに生まれ育ち、ベルギーで画家として活動した後に陶芸にも乗り出し、実践的な芸術運動であるアーツ・アンド・クラフト運動に乗る。やがてフィンランドに招かれ、1897年に設立されたアイリス工房で陶芸を指導。アイリス工房自体は5年の歴史しか持たずに閉鎖されてしまったが、1900年のパリ万国博覧会のフィンランド館にアイリス・ルームなる展示を行い、評判を呼んでいる。アイリス工房閉鎖後は、フィンチはアテネウム(工芸中央美術学校)の教師となり、後継者の育成に尽力。フィンランドを代表する陶芸作家達を生み出していった。
クルト・エクホルムは、スウェーデン出身。ストックホルムで陶磁器デザインを学び、ヘルシンキのアラビア地区に生まれたアラビア製陶所を率いて活躍していく。クルト・エクホルムは陶芸作家でもあったが、批評家としても活動し、実績を残しているようだ。
スウェーデンの陶芸会社であるロールストランド製陶所が税制優遇のためにヘルシンキに作ったのではないかといわれるアラビア製陶所。エクホルムはこの製陶所美術部門のディレクターとなる。ここに所属する陶芸作家達は、社員ではあるが、製陶所の売り上げに繋がる作品を制作するよりも、個々の個性に根ざした作品を作ることが奨励されるという恵まれた環境にあった。社員に女性が多かったのも特徴である。フィンランドでは昔から女性の地位は諸外国に比べて高かったようである。
ただ、アラビア製陶所の作風は凝っていたため、「ライオンとコーヒーカップ」論争というものが起こり、陶器はもっと実用的なものであるべきだという立場の人々からは「ボタンホールの飾りに過ぎない」と批難された。これを受けて、機能主義的な作品を生み出していったのがカイ・フランクらである。カイ・フランクの作風などはシンプルですっきりとしていてそれでいてチャーミングというアルヴァ・アアルトに代表されるいわゆる北欧デザイン的な特徴が表れている。ただ、カイ・フランクらの作風だけがフィンランド陶芸ではなく、もっと多様性を持つのがフィンランド陶芸なのだそうだ。

 

再び、石野裕子による講義「19世紀フィンランドの芸術とナショナリズム」
アレクサンドル2世時代にフィンランド語が公用語となったとき、人々はフィンランド人のアイデンティティを求めるようになる。「もうスウェーデン人ではない。ロシアン人にもなれない。ならばフィンランド人で行こう」という言葉と共に、ナショナリズムが勃興する。
フィンランド的なるものを追求した時に注目されたのだが、叙事詩「カレワラ」である。スウェーデン系フィンランド人であるシベリウスも「カレワラ」を題材にした「クレルヴォ」交響曲を書き、同じくスウェーデン系フィンランド人の画家であるアクセリ・ガッレン=カッレラは「カレワラ」を題材にした絵画を制作している。

一方、文学の方は、ルーネベリとトペリウスというスウェーデン系の作家が生まれた。ただ当然ながら、スウェーデン語での文学であり、フィンランド語による本格的な文学の誕生は、フランス・E・シッランパーの登場を待たねばならなかった。

それまでスウェーデンとロシアという二つの大国の間に押し込められてきた感のあったフィンランドに、「ヨーロッパの一員となりたい」という希望が生まれ、「ヨーロッパへの窓を開けよ」を合い言葉に、松明を掲げる者たちと呼ばれた人々が勢いを増す。ヨーロッパの文化が盛んに取り入れられるようになるのだが、当時の、特にフランスではジャポニズムが流行っており、フィンランドの画家達もそれを間接的に受け入れて、「カレリア」の挿絵を浮世絵の手法を入れて描いたりしているそうである。
この頃、フィンランドは右傾化し、男子学生は「大戦で奪われたカレリアを取り戻せ」としてカレリア学徒会に参加、女子学生は「良き家庭」を理想としたロッタ・スヴァルトという保守的団体にこぞって加入する。
こうしたナショナリズムは言葉と密接に関係しているが、言葉を用いない陶芸や絵画はそれにとらわれない自由さがあり、ナショナリズムでひとくくりには出来ないというのが石野の意見のようである。

フィンランドは人口が約500万人と少ないので個を大切にする教育が行われており、またフィンランドに限らず北欧全体にいえることだが、芸術への手厚い保護があり、例としてシベリウスが若い頃から生涯年金を貰っていたという話をする。アラビア製陶所も企業ではあるが、売れ線のものを作らずに個性を発揮させることが許されていた。そのため、バラバラな個性の陶芸が生まれたのではないかというのが石野の想像のようである。

フィンランド的なデザインとしてよく挙げられるアルヴァ・アアルトとの関係であるが、二人とも建築やデザインは専門ではないのでよくわからないとしていたが、カイ・フランクなどは多分にアアルト的であり、人間の自然にフィットしているように感じられる。これはシベリウスの音楽にも共通することである。

 

思えば、私がシベリウス以外でフィンランドについて注目したのは、ヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズが、UNIXをベースとして生み出したLinuxが初めであった。Linuxは個々が自由に改良できるオープンソースOSであり、個性や多様性を許したプログラムである。また汎用性豊かという意味で極めて機能的である。Linuxがフィンランド的なるものに根ざしているのかどうかはわからないが、少なくとも「発想」に関してはフィンランドのような歴史を持つ国からでないと生まれないような気がする。

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美術回廊(39) 大阪市立東洋陶磁美術館 特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」&「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」

2019年7月18日 大阪市立東洋陶磁美術館にて

中之島と堂島川を隔てて向かいにある大阪市立東洋陶磁美術館で特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」を観る。多くの作品は撮影可である。午後5時閉館で、東洋陶器美術館に入ったのが午後4時20分頃であったため、駆け足の鑑賞になる。

フィンランドの陶芸を興隆させたのはアルフレッド・ウィリアム・フィンチ(1854-1930)という人物であり、その弟子達によって更なる発展を遂げている。
「フィンランド陶芸」では、フィンチの弟子であるミハエル・シルキン(1900-1962)、ルート・ブリュック(1916-1999)、ビルゲイ・カイピアイネン(1915-1988)らの作品を中心とした展示が行われている。
トーベ・ヤンソンの画風を思わせるような愛らしい作品もあるが、ターコイズブルー1色の陶器や白と青のシンプルな作品なども北欧らしくて気に入る。

「マリメッコ・スピリッツ」は、テキスタイルのブランドであるマリメッコの展示会。1974年生まれのパーヴォ・ハロネン、1982年生まれのマイヤ・ロウエカリ、1983年生まれのアイノ=マイヤ・メッツォラの3人の若い作家の「JAPAN」をテーマにした作品が展示されている。展示のラストには今回の展覧会のために制作された茶室の展示がある。趣もあるが白木の香りがなんともいえず心地よい。

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2019年7月10日 (水)

コンサートの記(572) 新田ユリ指揮愛知室内オーケストラ第23回定期演奏会 フィンランド公演壮行演奏会

2019年7月3日 名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールにて

名古屋へ。午後7時から伏見にある電気文化会館ザ・コンサートホールで愛知室内オーケストラの第23回定期演奏会を聴くためである。指揮は常任指揮者の新田ユリ。愛知室内オーケストラはこの夏、フィンランドで行われる音楽祭に参加する予定で、今回の定期演奏会はフィンランド公演壮行演奏会を兼ねている。

愛知室内オーケストラ(Aichi Chember Orchestra,ACO)は、2002年に愛知県立芸術大学出身の若手演奏家によって結成されている。現在は愛知県を中心とする東海地方在住の音楽家がメンバーとなり、2011年に一般社団法人化。当初、名古屋市天白区に置かれた事務所は一時、愛知県立芸術大学のある長久手町に移っていたが、2015年に名古屋の繁華街である栄に設けられ、同年には新田ユリを常任指揮者として招いている。2016年に名古屋市芸術賞奨励賞を受賞。

新田ユリは、シベリウスを始めとする北欧もののスペシャリストとして知られる指揮者。シベリウス作品に特化したアマチュアオーケストラであるアイノラ交響楽団の正指揮者であり、現在は日本シベリウス協会の第3代会長も務めている。国立音楽大学を卒業後、桐朋学園大学ディプロマコース指揮科に入学。尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、小松一彦に師事。1990年のブザンソン国際指揮者コンクールでファイナリストに残り、91年の東京国際音楽コンクール指揮部門では2位に入っている。2000年から2001年に掛けて文化庁芸術家在外研究生としてフィンランドに留学し、ラハティ交響楽団でオスモ・ヴァンスカのアシスタントとなって研修に励んでいる。

 

曲目は、シベリウスの「カッサツィオーネ」、芥川也寸志の「弦楽のための三章(トリプティーク)」、シベリウスの交響曲第4番。

 

午後6時30分から新田ユリによるプレトークがある。途中で愛知室内オーケストラのヴァイオリン奏者でACO理事の一人でもある岩月茉那もトークに加わりフィンランドツアーの意気込みなどを語る。
愛知室内オーケストラでは、シベリウスの管弦楽曲を取り上げたことはあるが、交響曲をやるのは今回が初めてとなるそうだが、よく演奏される交響曲第1番や第2番は編成も大きくないと骨格がはっきりわからないということで、室内楽的な響きの曲として第3番と第4番が候補に上がり、第4番が残ったそうである。
シベリウスの交響曲第4番は日本で取り上げられる機会は余り多くないが、フィンランドでは「シベリウスのみならずフィンランド音楽の神髄」と捉えられているそうで、フィンランドに留学した際にも、「ユリさん、シベリウスの何を知っていますか? (交響曲)第1番や第2番だけでは駄目ですよ」と何度も言われたそうだ。フィンランドではシベリウスの交響曲第4番と第7番を研究すると良いとアドバイスを受けたという。

 

シベリウスの「カッサツィオーネ」。作品ナンバーは6であり、交響曲第2番と第3番の間の時期に書かれている。1904年に初演されたが、翌年に小規模オーケストラのための編曲が施され、今回演奏されるのはその1905年の版である。その後も改訂を加えられるはずだったが、結局果たされることはなく、作曲者の生前にはスコアは出版されなかった。

ウィーン留学時代にブルックナーの作品に感銘を覚え、ウィーン音楽院の教授だったブルックナー本人から直接教えを授かろうとして叶わなかったというエピソードを持つシベリウス。「カッサツィオーネ」は、弦のトレモロに乗って管が浮かび上がるというブルックナースタートによく似た始まり方であり、影響が聞き取れる。
旋律がはっきりしていた頃の作品であり、シベリウスの醍醐味からは遠いが、独特の響きにはその個性がはっきり刻印されている。

ザ・コンサートホールは、日本で初めて室内楽の演奏に特化して設計されたホールであり、響きがかなりクッキリしていて美しい。室内楽専門ホールということで管のソロは輪郭がはっきり浮かび上がるが、シベリウスのオーケストラ曲をやるには響きがリアル過ぎるかも知れない。フォルテになるとすぐに飽和状態になるため、音のバランス作りも難しそうである。
ステージが狭いため、第1ヴァイオリン6、第2ヴァイオリン5という編成にも関わらずギッシリで、コンサートマスターの平光真彌は登場する際、ステージ前方の狭いスペースを綱渡りでもするようにソロリソロリと歩んでいた(後半は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの間を歩いて席に向かった)。
ホールに指揮台は備えられているようだが、新田ユリは指揮台を使わず、ステージ上に直接立って指揮を行う。

 

芥川也寸志の「弦楽のための三章」。芥川也寸志の父親である芥川龍之介は、ストラヴィンスキーなど当時のロシア前衛音楽の愛好家だったそうで、也寸志も幼い頃から父が遺したSPなどを聴いて育ち、長じてからはショスタコーヴィチなどのソビエト音楽家の紹介者としても活動するようになる。
「弦楽のための三章」は、古典的なフォルムと鋭い響きを併せ持つが、聴いているうちに「日本版『古典交響曲』みたいだな」という印象を受ける。ソビエト音楽に詳しい芥川がプロコフィエフの「古典交響曲」の日本版を試みたとしても別に不思議ではない。

ザ・コンサートホールの響きは美しいのだが、美しすぎて腹に響くようなところがないため記憶に残りにくいという難点がある。

 

シベリウスの交響曲第4番。音がヒンヤリとしており、ホール内の温度が本当に下がったように感じられる。
第1楽章のいいところで木管のミスがあり、感銘が下がってしまったの残念だが、全体的にはシベリウスの音楽性を存分に表現出来ていたように思う。半音ずつ上がっていく音階からシベリウスの苦悩と呻吟が痛いほど伝わってくる。
第4楽章のグロッケンの場面ではグロッケンシュピールを採用。流石にザ・コンサートホールでチューブラーベルは無理だろう。

 

アンコールとしてシベリウスの組曲「クリスチャンⅡ世」よりミュゼットが演奏された。

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2019年5月 5日 (日)

コンサートの記(554) パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団の演奏会を聴く。

エストニア・フェスティバル管弦楽団は、パーヴォ・ヤルヴィが創設したオーケストラである。
エストニアの保養地・避暑地であるパルヌで毎年行われる音楽祭のレジデンスオーケストラであり、2011年にパーヴォが父親であるネーメ・ヤルヴィと共にパルヌ音楽祭の指揮マスタークラスを始めた際に結成された。メンバーのうち半分はエストニアの若い音楽家、残りの半分はパーヴォが世界中から集めた優秀な音楽家たちであり、教育的な面と表現拡大の両面を目指しているようである。

 

曲目は、ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋みどり)、トゥールの「テンペストの呪文」、シベリウスの交響曲第2番。

 

午後2時15分頃からプレイベントがある。ナビゲーターはソリストの五嶋みどり(MIDORI)。
黄色いTシャツで登場した五嶋みどりは、プレイベントの説明と、エストニア・フェスティバル管弦楽団の簡単な紹介を行った後で、エストニア・フェスティバル管弦楽団の女性ヴァイオリニスト、ミーナ・ヤルヴィと二人でプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調より第2楽章を演奏する。今日は2階の最後部の席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音がかなり小さく感じられ、当然ながらフェスティバルホールが室内楽には全く向いていないことがわかる。

続いて、エストニア・フェスティバル管弦楽団の創設者兼音楽監督で今日の指揮も務めるパーヴォ・ヤルヴィに五嶋みどりが話を聞く。
パーヴォはまずエストニアの紹介をする。人口150万ぐらいの小さな国だが、音楽が重要視されていること、優れた作曲家や音楽家が大勢いること、自分は17歳の時にエストニアを離れてアメリカで暮らしてきたが、人からエストニアについて聞かれるうちに、エストニアの音楽親善大使になる団体を作りたいと思い、エストニア・フェスティバル管弦楽団を創設したことなどを語る。
エストニアの音楽文化のみならず、バルト三国やポーランド、フィンランド、スウェーデン、ロシアなどとも互いに影響し合っており、そのことも表現していきたいとの意気込みも語った。
パルヌはフィンランドの温泉のある保養地で、パーヴォの父親であるネーメもそこに家を持っていて、パーヴォはショスタコーヴィチやロストロポーヴィチなどとパルヌのヤルヴィ家で会っているそうである。

最後は、エストニア・フェスティバル管弦団のヴィオラ奏者である安達真理に五嶋が話を聞く。安達がステージに出ようとする際に誰かとじゃれ合っているのが見えたが、パーヴォが「行かないで」という風に手を引っ張ったそうで、五嶋は「今のはマエストロのエストニアンジョークですか?」と聞いていた。
エストニアの首都タリンについては、安達は「可愛らしい、可愛らしいなんて軽く言っちゃいけない悲しい歴史があるんですが、古き良きヨーロッパが凝縮されているような」街で、ヨーロッパ人からも人気があるそうだ。パルヌ(五嶋みどりは「ペルヌ」と発音。おそらく「パ」と「ペ」の中間の音なのだろう)にはビーチがあるのだが、「サンフランシスコのビーチのようなものではなくて、わびさびというか」と思索に向いた場所らしいことがわかる。
プレイベントの締めくくりは、五嶋と安達によるヴァイオリンとヴィオラの二重奏。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調より第1楽章が演奏された。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏である。ティンパニは上手奥に陣取る。

 

ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
エストニアのみならず世界を代表する現代作曲家の一人であるアルヴォ・ペルト。ロシア正教の信者となってからは強烈なヒーリング効果を持つ作品を生み出し、1990年代にはちょっとしたペルトブームを起こしている。
タイトル通り、ベンジャミン・ブリテンへの追悼曲として作曲された、弦楽オーケストラとベルのためのミニマル風作品である。
冒頭の繊細な弦のささやきから魅力的であり、色彩と輝きと光度のグラデーションを変えながら音が広がっていく。あたかも音による万華鏡を見ているような、抗しがたい魅力のある作品と演奏である。エストニア・フェスティバル管弦楽団の各弦楽器の弓の動き方など、視覚面での面白さも発見した。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
ソリストの五嶋みどりは、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と同曲をレコーディングしており、歴代屈指の名盤に数えられている。
五嶋のヴァイオリンであるが、集中力が高く、全ての音に神経が注がれて五嶋独自の色に染まっていることに感心させられる。全ての音を自分のものにするということは名人中の名人でもかなり難しいはずである。
第3楽章における弱音の美しさもそれまで耳にしたことのないレベルに達していた。
パーヴォ指揮のエストニア・フェスティバル管は表現主義的でドラマティックな伴奏を繰り広げる。音の輝きやニュアンスが次々と変わっていくため、シベリウス作品に似つかわしくないのかもしれないが、面白い演奏であることも確かだ。

五嶋みどりのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からサラバンド。まさに音の匠による至芸であり、バッハの美しさと奥深さを存分に伝える。

 

トゥールの「テンペストの呪文」
トゥールは1959年生まれのエストニアの作曲家。パーヴォの3つ年上である。1979年にプログレッシブ・ロックバンドバンドIn speで注目を集めており、リズミカルな作風を特徴としている。パーヴォはトゥール作品のCDをいくつか出している。
「テンペストの呪文」は、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に影響を受けて書かれたもので、2015年にヤクブ・フルシャ指揮萬バンベルク交響楽団によって初演されている。煌びやかにしてプリミティブな音楽であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に繋がるところがある。パーヴォは打楽器出身ということもあってリズムの処理は万全、楽しい演奏に仕上がる。

 

メインであるシベリウスの交響曲第2番。全編を通して透明な音で貫かれる。
パーヴォがかなりテンポを動かし、即興性を生んでいる。パーヴォは音のブレンドの達人だが、この曲ではあたかも鉈を振るって彫刻を行うような力技も目立つ。ゲネラルパウゼが長いのも特徴だ。
「荒ぶる透明な魂の遍歴」を描くような演奏であり、第4楽章も暗さは余り感じさせず、ラストに向かって一直線に、時には驚くほどの速さによる進撃を見せる。
終結部はなんとも言えぬほどの爽快さで、フィンランドと人類の魂の開放が謳われる。

 

アンコールは2曲。まず、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏される。今日も超絶ピアニシモが聞かれた。

アンコールの2曲目は聴いたことがない作品。アルヴェーンの「羊飼いの娘の踊り」だそうである。弦楽による民族舞踊風の音楽が終わった後で拍手が起こったが、パーヴォは「まだまだ」と首を振って、オーボエがリリカルでセンチメンタルな旋律を歌い始める。
その後、冒頭の民族舞踊調の音楽が戻ってきて、ノリノリのうちに演奏を締めくくる。爆発的な拍手がパーヴォとエストニア・フェスティバル管を讃えた。

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2018年12月19日 (水)

美術回廊(21) 名古屋市美術館 「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」

2018年12月13日 名古屋市美術館にて

名古屋へ。名古屋駅から地下鉄で伏見(京都の伏見とは異なり、語尾にアクセントが来る)まで出て、白川公園内にある名古屋市美術館へ。フィンランドの建築家・デザイナーとして活躍したアルヴァ・アアルト(アールト)の特別展「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」が開かれている。

北欧デザインの祖とも呼ばれているアルヴァ・アアルト。1898年生まれ、1976年没。ヘルシンキ工科大学で建築を学び、隣国スウェーデンに渡ってアルヴィート・ビヤケルの事務所で働いた後に独立。ファーストネームはフーゴであったが、フィンランドの建築家リストのトップに載るために、セカンドネームのアルヴァを用いてアルヴァ・アアルトと名乗る。建築、インテリアデザイン、都市計画(ヘルシンキ・オリンピック選手村など)といった仕事を行っており、建築家としてはヘルシンキのフィンランディア・ホールの設計を行っている。フィンランドを代表するこのホールは、白亜の美しい外観と同時に音響の悪さで知られており(音響設計に関しては建築家の責任ではない)、1971年竣工とそう古くはないのであるが、「音響改善の見込みなし」として、2011年にヘルシンキ音楽センターが建てられ、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団とフィンランド放送交響楽団が本拠地を移している。

アアルトはシベリウスと同時代を生きた人であり、二人の間には共通点も多い(スウェーデン系フィンランド人である、自然と人間の調和を志向、奥さんの名前がアイノなど)。アアルトは建築家をあらゆる芸術の指揮者と位置づけていたようだ。

インテリアデザイナーとしてのアアルトは、シンプルさと自然そのものの優美な曲線を特徴としており、「北欧のインテリア」と聞いてパッと思いつくようなものはアアルトが最初に提案したもののようだ。椅子に関しては腰掛ける部分と背もたれ、更には手すりなどの部分を全て緩やかに曲がる「L字」で手掛けているのが特徴である。

母校であるヘルシンキ工科大学は、ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ美術大学と合併し、現在ではアアルト大学を名乗っている。まさに国民的建築家とされているようだ。


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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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2018年2月25日 (日)

コンサートの記(350) オリ・ムストネン指揮 京都市交響楽団第620回定期演奏会

2018年2月16日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第620回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフィランド出身の才子、オリ・ムストネン。

1967年生まれのムストネン。90年代にまずピアニストとして注目を浴びる。表現力はもちろんのこと、J・S・バッハの平均律クラーヴィア集とショスタコーヴィチの「プレリュードとフーガ」を組み合わせて1つの曲集にするなど、斬新なプログラミング能力でも目立っていた。バッハとショスタコーヴィチの組み合わせで演奏会も行われ、私もサントリーホールに聴きに行っているが、CDならともかくとして実演でこれを聴くにはかなり体力と集中力がいったのを覚えている。途中休憩で帰る人も多いコンサートであった。
ピアニストとしての代表盤に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団と録音した、ショパンのピアノ協奏曲第1番とグリーグのピアノ協奏曲イ短調がある。

その後、ムストネンは指揮者や作曲家としても活動を始めるようになっている。私もムストネンがヘルシンキ祝祭管弦楽団とレコーディングしたシベリウスの交響曲第3番とヒンデミットの「四つの気質」のCD(オンディーヌ)を持っている。

曲目は、ムストネンの自作自演で弦楽オーケストラのためのトリプティーク、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ムストネンの弾き振り)、シベリウスの交響曲第2番。

今日の京響は通常とは異なり、チェロがステージ前側に出るアメリカ式の現代配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。第2ヴァイオリン首席はなかなか埋まらないようで、今日も瀧村依里が客演首席奏者として入っていた。

プレトークで、ムストネンは(英語でのトーク。通訳は小松みゆき)、トリプティークがある学者からの依頼によって書かれたものであり、学者の亡き妻の思い出に捧げる曲として作られたものであることを述べる。原曲は3台のチェロのための曲だったのだが、後に弦楽オーケストラのための曲としてリライトされたそうである。最後が喜びで終わることも語られる。
ベートーヴェンはムストネンにとってはヒーローだそうで、その重層的な構造の作品に触れると、「森の中を彷徨う時のように」いつも新しい発見があるのだそうだ。また、ベートーヴェンの作品は暗いまま終わることなく最後が勝利になるのが常と語る。
シベリウスについては、いつも自然と一緒にいるような作曲家であり、その点においてベートーヴェンと似ていると述べた。

ムストネンの弦楽オーケストラのためのトリプティーク。3つの曲からなり、第1曲が「ミステリオーソ(神秘的に)」、第2曲が「フリオーソ(熱狂的に、激しく)」、第3曲が「アド・アストラ(天へ)」である。
例えばシベリウスの交響曲第5番の第3楽章のように、あるいはこの後演奏される第2番の第4楽章のように、反復する音型が用いられた作品である。シベリウスに限らず、フィンランド出身の作曲家は透明な音像を用いることが多いのだが、ムストネンの作品もこの例に漏れず、瑞々しくも透明感に溢れる音響を大事にしている。
ムストネンの指揮はノンタクトであり、動きだけを見ていると指揮者というよりは運動選手のようだが、生み出す音楽が軽くなるということはない。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。
ムストネンのピアノだが、入りではほとんどダンパーペダルを使わず、あたかもフォルテピアノで弾いているような音を生み出す。ただそれだけなら単なる個性的演奏なのだが、音に深味がある。ペダルを使わないために音の粒立ちが良く、ベートーヴェンが生きていた時代に聴かれたであろう演奏が説得力を持って現れる。一音だけ取れば乱暴に聞こえる表現もその後の展開をたどると緻密な計算の基づくものであったことがわかる。もう50代に入ったムストネンであるが今なおアグレッシブな表現に挑んでいることが聞き取れた。
京響もピリオドを意識した演奏。特にティンパニの硬い音と強打が効果的であった。

アンコールとしてムストネンは、バッハのインベンション第14番を弾くが、老眼鏡を持ってくるのを忘れたということで中断して退場。アイグラスを手に再登場して最初から最後まで弾いた。

シベリウスの交響曲第2番。ムストネンは京都市交響楽団から輪郭のクッキリとした音を引き出す。余り押しつけがましさのない演奏であり、シベリウスの交響曲の中でも叙事詩的とされるこの曲に対して叙景詩的なアプローチを行っているように思えた。
初演時から凱歌と受け止められた第4楽章に関しても物語的な演奏を行わず、フォルムのグラデーションを変えることで拡がりのある音の風景を描き出す。長調の部分は晴れやかな光景を、短調のところは風雪の日々を歌い上げているようであり、よくある「勝ちか負けか」の外にある解釈を示していたように思う。こうしたシベリウスの交響曲第2番を聴くのは初めてであり、ムストネンの怜悧さが際立っていた。

この一週間で、大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団、そして京都市交響楽団を聴いたことになるが、やはり現在の実力でいえば京響がナンバーワンだと思える。音の密度が違う。



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2017年6月12日 (月)

コンサートの記(304) サントゥ=マティアス・ロウヴァリ指揮フィンランド・タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年5月25日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、フィンランド・タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

フィンランド独立100年を記念してのタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の日本ツアー。今日の大阪での公演がトリとなる。
フィンランド人も客席に多く詰めかけており、第2部演奏前と演奏終了後にはフィンランド国旗の小旗が4本ほど振られていた。
フィンランドのタンペレはムーミン美術館があるところだそうで、ホワイエではトーベ・ヤンソン直筆のムーミンシリーズの絵が展示されていた。
日本のクラシックの聴衆はブランド志向であるため、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団のような有名とはいえないオーケストラでは入りが良くない。今日の入りは大体6割程度といったところ。3階席のチケットはそもそも発売していないようだ。

指揮者は、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者を務めるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。1985年生まれのフィンランドの若手である。現在は、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、今年の秋からはスウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者に就任する予定である。シベリウス音楽院で指揮をレイフ・セーゲルスタム、ヨルマ・パヌラ、ハンヌ・リントゥに師事している。

オール・シベリウス・プログラム。交響詩「フィンランディア」、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:堀米ゆず子)、交響曲第2番。

ドイツ式の現代配置での演奏。首席ティンパニ奏者は女性である。

カーリーヘアの持ち主であるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。頭が膨張して見える上に痩身なので、頭と体のバランスが不思議に見える。手首から先をクルクル回したり、スナップを利かせて振ったりするのが特徴である。
また、見た目だけでなく音楽もかなり個性的だ。


交響詩「フィンランディア」。「フィンランディア」の冒頭は金管を思いっきり咆哮させる演奏が多いのだが、ロウヴァリは冒頭の金管を抑える。急激な加速と減速が特徴であり、一音一音ずつ切って演奏させる部分もある。各パート毎に浮かび上がらせるなど、オーケストラコントロール能力も高い。
弦は北欧のオーケストラらしくウエットで、立体感にも富んでいる。


ヴァイオリン協奏曲。ソリストの堀米ゆず子は白髪頭で登場。1980年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで優勝して注目されてから長い歳月が流れ、見た目はすっかりお婆ちゃんである。
堀米のヴァイオリンは美音だがタイトで広がりはそれほど大きくはない。ただシベリウスのコンチェルトには合っている。
ロウヴァリ指揮のタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団は思いの外、豪快なところのある伴奏を聴かせる。ロウヴァリという指揮者は一筋縄ではいかないようだ。

堀米のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタより“ガヴォット”。軽快な演奏であり、バッハの深遠さはそれほど強くは感じられなかった。


交響曲第2番。ロウヴァリの生み出す音楽は緩急・強弱ともに変幻自在。かなり速いテンポを採ることもある。最終楽章のトランペットによる合いの手には急激なディミヌエンドが用いられる。
第2楽章は、シベリウス本人が「ドン・ファンと死との対決」をイメージしたと語ったとされているようだが、この「ドン・ファン」とは、若い頃は放蕩児だったというシベリウス本人のメタファーなのかも知れない。
交響曲第2番は、「フィンランドの民族的高揚を描いた」と解釈されているが、実際は案外プライベートな内容の交響曲なのかも知れない。第4楽章も凱歌ではなく、苦しみと希望の狭間にあるシベリウスが希望へと手を伸ばそうとする過程なのかも知れない。ロウヴァリは最終楽章で速めのテンポを取ったため、凱歌には聞こえなかったということもある。


アンコールは2曲。まずは「悲しきワルツ」。テンポと強弱を大きく動かす演奏である。ラストの弦楽による3つの音はノンビブラートで1音ずつ音を切って演奏された。
2曲目は、組曲「カレワラ」より“行進曲”。弦の刻み方に特徴があり、迸らんばかりの活気と春の喜びがホールを満たしていた。

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2009年2月 4日 (水)

ペサパッロという競技がある

ペサパッロなる競技があります。ペサパッロ(PesaPallo)とはフィンランド語で“Base Ball”という意味。しかし、アメリカや日本で行われている野球とは異なり、野球専用の球場がなくても、サッカー場や陸上競技場などで出来るように、フィンランド人によってルールを大幅に変えられた独特のスポーツです。フィンランドではとても盛んで、国技の一つになっているようです。

日本にも札幌にペサパッロの協会があり、そのページでペサパッロが紹介されています。

http://www2.ocn.ne.jp/~xebecs/pesa2001/PESATOP.html

ちなみに札幌のペサパッロ協会によるペサパッロのルール紹介はこちら↓

http://hkbrains.hp.infoseek.co.jp/XEBECSPESA%2001/pesa2001/Ruletop.html

フィンランドでのペサパッロの様子はYouTubeで見られます。

黒いユニフォームのヤルヴェンパーは、シベリウスがアイノラ荘を構えていた街のチームです。

一度、生で試合を見てみたい気もします。しかし、ルールが難しそうですね。しかも、野球の醍醐味であるバッテリーとバッターの駆け引きやホームランがないというのも、日本人が見るには苦しいかも。

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2008年5月15日 (木)

これまでに観た映画より(21) 「過去のない男」

DVDでフィンランド映画を観る。「過去のない男」。監督は、フィンランド映画といえばこの人、アキ・カウリスマキ。

有名なので書くまでもないことだが、アキ・カウリスマキは男性である。フィンランドではアキ、ミツコ、ミカなどは男性のごく一般的なファーストネームである。

3人組の暴漢に襲われ、記憶をなくした男が主人公。家を借り、仕事を始め、女性を愛するという記憶喪失ものの王道パターンを行くのだが、非常に面白い。記憶喪失者にとって現実は厳しいが、周囲の人との心の交流により(それも比較的淡々とした交流である)、以前よりももっと幸福になるストーリーは心温まる。

主人公は身元が判明し、家に戻るが妻とはすぐに離婚することになる。その帰りの汽車の中で男は寿司を食べ、日本酒を飲むのだが、なぜかその車両にはクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」がBGMとして流れている。あのシーンの意味は何なのだろう? 

悲惨な人間像をユーモアを込めた視線で温かく見守るというカウリスマキ監督の作風が最も良く現れた作品である。

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