カテゴリー「シベリウス」の86件の記事

2020年9月19日 (土)

コンサートの記(655) 京都フィルハーモニー室内合奏団 「北欧の室内楽」@アートコンプレックス1928 2005.12.7

2005年12月7日 三条御幸町のアートコンプレックス1928にて

午後7時からアートコンプレックス1928で京都フィルハーモニー室内合奏団のメンバーによる室内楽演奏会、「北欧の室内楽」を聴く。
アートコンプレックスでコンサートを聴くのは久しぶり。前回はジャズの演奏会だったのでクラシック音楽を聴くのは自分でも意外だが初めてである。

京都フィルハーモニー室内合奏団(以下:京フィル)はアートコンプレックスで定期的に演奏会を行っていたのだが、これまではずっと平日の昼間に演奏会を開いていたのでなかなか聴きに行けなかった。客席は、京フィルの関係者とファン、北欧音楽ファン(私もここに入る)、室内楽ファンに大別されるようだ。あまり宣伝はしていなかったので、「よくわからないけれど何となく来てしまった」という人はいないようである。

楽団紹介パンフレットには、藤堂音楽賞受賞や京都新聞大賞文化学芸術賞受賞など受賞歴が書いてあるが、それがどういう音楽賞なのかよくは知らないため、感じるのは「頑張ってるんだねえ」ということだけ。
それよりも、「アーノンクールが初めて、そして今のところ唯一指揮した日本のオーケストラ」という売り文句を書いた方がずっとわかりやすいしアピール力もあると思うのだが(クラシックファンの中に、アーノンクールが京都に来たことを知らない人は何人かいるかも知れないが、アーノンクールという名前を知らない人はまずいないだろうし)、京フィルには「売らんかな」という姿勢はないようなので、こちらがどうこういっても仕方ない。


曲目はニールセン(デンマーク)の木管五重奏曲。シンディング(ノルウェー)の「セレナーデ」より第1番、第2番、第5番。グリーグ(ノルウェー)の「ソルヴェイグの子守歌」と「白鳥」。シベリウス(フィンランド)の弦楽四重奏曲「親愛なる声」。グリーグのみ室内楽ではなく歌曲である。


ニールセンの曲は不思議なメロディーと現代的な響きが特徴。クラリネットが普通は出さないような音を出す。技巧的にも難しいのがわかる。
しかしその割りには曲があまり面白くない。今日のアートコンプレックスの客席は平戸間であるため、暖房が下まで届かず寒かったのだが、にも関わらず居眠りしている人が続出。やはり曲に魅力がないのだろう。


シンディングの曲は二つのヴァイオリンとピアノによる三重奏という編成。
シンディングの音楽はどこまで行っても青空、といった風な明るさと、艶やかで優しく爽やかなメロディーが特徴だ。だが少なくとも今日聴いた音楽からは影がほとんど感じられない。
生前は人気作曲家であったというシンディング。しかし死後、急速に忘れ去られてしまう。あるいは影が不足していたことがその原因なのかも知れない。シベリウスの音楽が喜びの歌の背後に癒しがたい悲しみを湛えていたのとは好対照である。


グリーグの歌は、清澄なメロディー、温かな雰囲気、透き通るような悲しみが特徴。愛らしい歌曲である。歌ったのはソプラノの島崎政子。真っ赤なドレスが印象的であった。


ラストのシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」は他の曲とは格が違う。弦楽四重奏曲ではあるが、スタイルは小編成による合奏曲に近い。先にも書いたがチャーミングで喜び溢れる歌の中に、悲しみや孤独が隠れている。私はそこに人生を感じてしまう。
視覚的にも格好良く、一斉合奏の部分は絵になっている。
ただシベリウスの音がしていたかというと、「ある程度は」と答えるしかない。シベリウスの音楽を聴かせるのは難しいのだと再確認する。

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2020年8月15日 (土)

コンサートの記(647) 三ツ橋敬子指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2020「オーケストラの旅」@京都市北文化会館

2020年8月9日 北大路の京都市北文化会館にて

午後2時から、北大路にある京都市北文化会館で、京都市交響楽団 みんなのコンサート2020「オーケストラの旅」を聴く。指揮は日本を代表する女性指揮者の一人である三ツ橋敬子。

今日も第1ヴァイオリン4人、第2ヴァイオリン3人、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが2人ずつという室内オーケストラ編成での演奏。弦楽はワントップの配置である。木管楽器奏者の前には透明なアクリル板が置かれ、飛沫が弦楽器奏者の方に飛ばないよう配慮されている。

コンサートマスターは今日も泉原隆志だが、京響の出演メンバーは先週の「みんなのコンサート」とは大きく異なる。

 

上演時間約1時間、休憩なしのコンサート。曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(ロシア)、ヴェルディの歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲(イタリア)、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」よりカンカン(フランス)、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲(オーストリア)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から“行進曲”“こんぺい糖の踊り”“あし笛の踊り”“花のワルツ”(ロシア)。

世界各国のオペラやバレエの名曲を並べたプログラムだが、バロックから初期ロマン派までだった先週の「みんなのコンサート」と違い、比較的新しくて本来は大編成で演奏される曲が多いため室内オーケストラでそのままとはいかず、編曲を施したりカットした上での演奏となる。

京都市北文化会館は、京都市内の多目的ホールの中では比較的音が良い。

 

今日も指揮者も含めて全員が京響の黒いポロシャツを着ての登場となる。

 

三ツ橋敬子は、東京生まれ。幼い頃は医師に憧れていたが、早くから音楽の才能も示していた。東京藝術大学と大学院で指揮を学ぶ。大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者である角田鋼亮は大学と大学院の指揮科同期である。その後、ウィーン国立音楽大学とイタリアのキジアーナ音楽院に学ぶという、昨今の日本人指揮者の王道路線を歩み、第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで優勝。第9回アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールでも入賞している。
身長151㎝と小柄なマエストラである。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。木琴を足しての演奏である。勢いよく始まり、京響の美音が生きるが、やや中だるみの傾向あり。コンサート全体として緩徐部分が弱いという印象を受けた。

三ツ橋のマイクを手にしてのトーク。6歳から入場可であり、「小さなお友達」もいるため(コロナの影響で例年よりは少なめ)、三ツ橋はゆっくりと発音良く、「うたのおねえさん」的トークを行う。だが暑くてボーッとしたのか、オッフェンバックのことを「フランス生まれでドイツで活躍した」と真逆に紹介したり、幼いモーツァルトが求婚したマリー・アントワネットのことを「女王様」と言ってしまったりと、ちょっと頼りない。

 

ヴェルディの歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲。
三ツ橋は、「次はイタリアです。イタリアってどういうイメージありますか? 小さいお友達はピザって知ってるよね? あと、サッカー、は最近弱いんですけど有名です」
三ツ橋はヴェネチア在住なので、イタリアには思い入れがあるようだ。
編成が小さいので迫力は出ないが、整った演奏を聴かせる。オペラの中に出てくる形そのままではなく、サッカーでサポーターが口ずさむことでも知られる有名な旋律を中心にしたカット版での演奏。

 

オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」よりカンカン。
三ツ橋は、「天国と地獄、どちらに行ってみたいですか? 天国に行ってみたいという方。結構いらっしゃいますね。では地獄に行ってみたいという方。シーン」
その後、「天国と地獄」のあらすじや「フレンチカンカン」の説明。そして昨日の右京ふれあい文化会館での同一演目の演奏会で、「CMでも使われています」と言ったものの、実は関西地方でそのCMが流れていないことを今朝知ったという話をする。カステラと言っていたため、「文明堂」のCMであることがわかる。私は関東の出身なので、子どもの頃によく目にした。全国区じゃなかったのか。トヨタのCMでも流れていたらしいが、そちらは知らない。

これも編成の都合上、迫力には欠けるが良く纏まっている。ただ、三ツ橋の演奏を聴くと大抵いつも「良く纏まっている」という印象は受けるもそこから先に行けないというもどかしさは感じる。

 

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲。大阪フィルと大阪新音の合唱団を指揮した「レクイエム」の演奏も優れた出来であり、三ツ橋はモーツァルトは得意としているようである。この「フィガロの結婚」序曲も、「ウキウキ」と「ワクワク」に満ちている。

 

チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から“行進曲”“こんぺい糖の踊り”“あし笛の踊り”“花のワルツ”。
三ツ橋は、“こんぺい糖の踊り”でチェレスタという楽器が活躍するのだが、チャイコフスキーは初演を衝撃的なものにするためチェレスタの存在を隠し続けたという話をする。今日はチェレスタはなく、鉄琴2台がチェレスタが受け持つ旋律を奏でる(メインの鉄琴を奏でるのは打楽器首席の中山航介)。
“あし笛の踊り”もフルートは3本ではなく単管での演奏。

神秘的な雰囲気や華やかなど、この曲の魅力が生きているが、室内オーケストラの演奏で聴くとチャイコフスキーのオーケストレーションの巧みさがより鮮やかになる。弦楽による音の受け渡しなど、視覚的にもとても面白い。

 

アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。コロナ自粛が始まってから配信コンサートでよく耳にする曲目である。

三ツ橋はフィンランドの紹介を行う。子ども達に、「ムーミンって知ってるかな? ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソン(調べたところ、今日8月9日が誕生日に当たるようだ)がフィンランド人です(スウェーデン系フィンランド人であり、彼女自身はスウェーデン語を用いた)。サンタクロースもフィンランドから来ていたり。とても寒い国なんですが、シベリウスが書いた温かい音楽です。タイトルが覚えられなかったという方もいらっしゃるかも知れませんが、日本語では『祝祭アンダンテ』と言いましゅ。“言いましゅ”って言っちゃった」

室内オーケストラ編成でも演奏可能な「アンダンテ・フェスティーヴォ」。色彩を変えつつ、うねるような痛切な祈りに満ちた演奏であり、ラストでは「希望と未来への確信」が響く。やはりこうした時に聴くのに相応しい楽曲である。三ツ橋と京響の弦楽陣は小編成ながらスケールの大きな演奏を歌い上げた。

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2020年8月10日 (月)

配信公演 藤岡幸夫指揮 山形交響楽団 「山響ライブ特別企画公演」(文字のみ)

2020年8月6日 山形テルサホールからの配信

今日はクラシック専門配信サービスのカーテンコールで山形交響楽団の演奏会の配信がある。YouTubeでは広島交響楽団の平和の夕べコンサートの中継もあるのだが、曲目が魅力的なため、山形交響楽団を選ぶ。

「山響ライブ特別企画公演」と銘打たれたコンサート。指揮は、関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者と東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者を務める藤岡幸夫。山形テルサホールでの演奏会である。


曲目は、シベリウスの「クリスティアン2世」より“夜想曲”、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:田部京子)、シベリウスの交響曲第3番。


午後7時開演だが、午後6時50分頃から、山形交響楽団専務理事の西濱秀樹のプレトークが始まり、カーテンコールでの配信の他に、藤岡幸夫が司会を務めるBSテレ東の「エンター・ザ・ミュージック」の収録があることが告げられる。

その後、藤岡も呼ばれて西濱との二人でトーク。西濱は山形交響楽団に来る前は関西フィルハーモニー管弦楽団の事務局長を務めており、関西フィルに藤岡を招いたのも西濱だという。

藤岡は、「西濱さんとは20年来の付き合い」「僕の暴露本書ける」と言い、「一緒に新地に遊びに行ったこともある」と語るが、配信があるため、新地の話は西濱からNGが出る。

シベリウスの「クリスティアン2世」は、聴いたことのある人がほとんどいないだろうが、素晴らしい曲だと藤岡は語る。藤岡は渡邉暁雄の愛弟子であり、シベリウスを得意としている。関西フィルとは1年にシベリウスの交響曲1曲という全曲演奏会を7年がかりで行っている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のソリスト、田部京子は叙情的な作品を得意とするピアニストで、藤岡幸夫とは吉松隆繋がりでもある。
日本人女性ピアニストは、「話すと面白い」人が案外多いのだが、田部京子は本当に育ちの良さを感じさせるピアニストである。藤岡も西濱も田部の気品について触れ、藤岡は「僕は汚れまくっている」と語る。

シベリウスの交響曲第3番。ドイツにおけるシベリウスの紹介者であったヘルベルト・フォン・カラヤンが唯一取り上げなかった曲としても知られている。

藤岡がシベリウスが愛娘を亡くしたことについて語り、気分を変えるためにイタリアに旅行に行った結果、完成したのが交響曲第2番だと説明し、愛国的精神の発露と語られるこの曲が実際は個人的な思いによって書かれたと語る。だが交響曲第2番だけでは娘の死を乗り越えることは出来ず、交響曲第3番でも娘の死と向き合うことになったと解説した。シベリウスの交響曲とは「特別な」「異常な」音楽であり、他の誰にも似ていないことを藤岡は強調する。
交響曲第1番と第2番に関してはチャイコフスキーからの影響が指摘されることがあるが、第3番からは本当に独自の路線を歩むことになる。

藤岡は、「シベリウスというと、静かで真面目なイメージあるでしょ? 全然そうじゃなかった。酒好きで遊び好きで、『お前(遊びをやめるため)田舎に引っ越せ』と言われて引っ越すんだけど、ヘルシンキのバーに行って3日間帰ってこないだとか。酔って暴れて逮捕されたりだとか。浪費家、贅沢好きで借金まみれだとか。それで凄いのは周りから嫌われなかったということ」

西濱が、前回のベートーヴェン交響曲スペシャル第2弾では、聴衆が「ブラボー」ボードを掲げ、最後は指揮者の阪哲朗が「感謝」と書かれたボードを拡げたことを話す。藤岡は、「何も用意してないや」と語った。


ドイツ式の現代配置での演奏である。藤岡はコンサートマスターやフォアシュピーラー、ソリストと握手ではなくエルボータッチを行う。


シベリウスの「クリスティアン2世」より“夜想曲”。今日も真夏日であったが、シベリウスの曲は凜として透明感に溢れ、聴く清涼剤、音によるクーラーである。本当に体に自然に馴染む音楽だ。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。トランペットやホルンはナチュラル仕様のものを用い、ティンパニもバロックスタイルが採用される。HIPによる演奏だが、特に強調はせず、自然体である。藤岡の指揮ということもあり、ロマンティシズムよりもしなやかさが目立つ。
田部京子のピアノもまた涼しげでクリアな響きを紡ぐ。思いのほか構築感のある演奏でもある。清々しいピアニズムであるが、熱気をはらんでもいる。アルフレッド・ヒッチコックがグレース・ケリーを評した「雪を頂く活火山」という言葉が浮かんだ。
ベートーヴェンの若々しさと精神的な成熟が同時に感じられる曲と演奏である。


休憩時間には、カーテンコールの酒井さんと西濱さんのトークを経て、コロナによって山形交響楽団がリハーサルは行ったのに本番が行えなくなった様に始まり、カーテンコールによって配信された山形交響楽団の複数の演奏会の映像が流れる。カーテンコールの画と音が飛躍的に良くなっていることも確認出来る。


シベリウスの交響曲第3番。民族舞踊のような旋律で始まる曲だが、この部分が「ちょいダサ」にも感じられるため、カラヤンの美意識に反した可能性が高いと思われる。
しかしその後に強烈な広がりと内省的な旋律が繰り返され、異世界へと誘われていく。

シベリウスを得意とする藤岡と、シベリウスに合った音色を持つ山形交響楽団の相性も良く、透明感溢れる音の風が吹きすぎていく。

第2楽章の寂寥感の表出も優れており、音響もマジカルなレベルに達している。
第3楽章の前衛志向の響きとダイナミズムを兼ね備えた疾走感も素晴らしい。曲が終わっても走り続けていくであろう音楽の予感がある。


今日も客席には、「Bravo!」ボードが掲げられ(サッカーのサポーターのタオル応援に影響を受けてか、「Bravo!」タオルを作る予定もあるそうだ)、藤岡も「やられたらやり返す! 文字返しだ!」ということで(?)前回、阪哲朗が拡げた「感謝」ボードで応えていた。

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2020年7月26日 (日)

配信公演 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」(文字のみ)

2020年7月17日 住友生命いずみホールより配信。同7月23日 アーカイブを視聴

7月17日に、大阪フィルハーモニー交響楽団が大阪の京橋にある住友生命いずみホールで行った「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」がクラシック専門ストリーミングサービスのカーテンコールで配信されたのだが、そのアーカイブを視聴する。17日は、左京区下鴨にある月光堂という楽器店で仏教談義を行っていた(店主が真言宗の僧侶である)ため、リアルタイムでは接することの出来なかった演奏会である。当初、大阪フィルはこの日に神戸国際会館国際ホールで演奏会を行うはずだったのだが、新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信のための演奏会が組まれた。無観客ではなく関係者を客席に入れての公演である。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

冒頭に「食い倒れ」の街・大阪のグルメと、中之島周辺の夜景など大阪の魅力を紹介する映像が流れ、西成区岸里(きしのさと)にある大阪フィルハーモニー会館とこの演奏会のリハーサルの模様が映し出される。管楽器以外の奏者はマスクを、指揮者の尾高はフェイスシールドをしてのリハーサルである。
本番でも尾高はフェイスシールドをして登場したが、指揮台に上がってからは取る。尾高によると、フェイスシールドは東大阪市の会社が作ったもので、とても優秀だそうである。


曲目は、デュカスのバレエ音楽「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」、エルガーの弦楽セレナード、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、モーツァルトの交響曲第39番。

デュカスとホルストは管楽のみ(ホルストは吹奏楽ということでコントラバス奏者はいる)、エルガーとシベリウスは弦楽のみ(シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」はティンパニ入りでの演奏)、モーツァルトでフル編成となる。

休憩時間なしの演奏会で、曲間の楽団員や楽器入れ替えの時間は尾高がマイクを手にトークで繋ぐ。


いずみホールは、元々が住友のホールであるが(住友の屋号が「泉屋」)、今年から住友生命いずみホールという名称に変わっている。


先月から演奏会が再開された大フィル。今月は定期演奏会を含めて4度のコンサートがある。ただソーシャル・ディスタンスを保つため使用可能な客席は通常の半分ほどであり、ぴあなどで取り扱うチケットは比較的少なめで、ほぼ全て売り切れ。大フィルのチケットセンターでの取り扱いが中心となっている。


まずデュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレ。フランス音楽のファンファーレとしては最も有名なものである。ステージ最後列に半円形に陣取った金管奏者達が輝かしい音を放つ。

本番前の映像に尾高忠明へのインタビューも含まれていたが、デュカスは自身に厳しい人で、寡作。「ラ・ペリ」もいったんは破棄しようとして、友人に止められたという比較的有名なエピソードを紹介していた。


ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」。ホルストは職業作曲家ではあったが、専業ではなく、女学校の音楽教師をすることで主な収入を得ており、作曲作品も自分が書きたいものよりも依頼されたものが中心となっている。自身がトロンボーンを専攻していたということもあり、吹奏楽のための作品も多い。
尾高は、ホルストの代表作である組曲「惑星」の話をする。組曲「惑星」は地球を除く太陽系の惑星の神話等を音楽で描いたものだが、ホルストの死後に冥王星が発見されたため、「不完全な惑星」と見做されたこともあった。だが、つい最近であるが、「冥王星は惑星の基準を満たしていない」ということで準惑星となり、惑星の数はホルストが作曲した通りに戻ったという話である。実はイギリスのコリン・マシューズという作曲家が、サー・サイモン・ラトルの依頼を受けて「冥王星」を作曲したばかりだったのだが、それはまた別の話である。

生き生きとした演奏が展開される。舞台上でもソーシャル・ディスタンスを保つということで大編成の曲をプログラムに載せにくく、テューバなどは出番がなかったのだが、この曲はテューバが含まれるため、久々に本番を迎えられたという話を尾高はする。

演奏後、管楽器奏者は退場し、弦楽奏者が持ち場に着くという入れ替えがある。その間、尾高はイギリスの話をする。尾高は元々はイギリスのことが余り好きではなかったそうで、一番の理由は「12進法」の採用だと話す。日本は「10進法」だが、ヨーロッパは元々は12進法で、イギリスは今でも12進法が主である(12の半分が6、6の半分が3という割り算基準である。3は「1と2」という数字の始まりの数二つを足した特別な数字とされている。12は当然ながら3の倍数でもある。10進法だと2つと5つにしか割れない)。そのため初めてイギリスに行ったときは計算がややこしく難儀したが、一緒にいた安永徹(元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)がとても頭が良くて計算に強い人で助かったそうである。当時、ウィーンに留学中だった尾高は「イギリスなんて二度と行くものか。ウィーンで頑張ろう」と誓ったそうだが、皮肉なことにイギリスのオーケストラから「首席指揮者にならないか」という話が来る。受ければ海外初のポストとなる。最初は断ろうと思った尾高だが、「日本からの行き帰りの交通費、全部出すよ」という話だったので受けたそうだ。

着任したのはカーディフにあるBBCウェールズ交響楽団である。日本の感覚だと「イギリスと呼ばれるところは全てイギリス」だろうと思いがちだが、そもそもあの国は「イギリス」ではなく、「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」で、ウェールズはロンドンのあるイングランドとは違うという意識が強い。これはサッカーのワールドカップで別代表を送っていることからもよく分かる。大フィルのヴィオラ奏者である木下雄介は、8歳の頃からカーディフで育ったそうだが、ウェールズは英語とはまた別の世界最古といわれる言語を持っており、尾高と木下はウェールズ語でやり取りをしていた。

ウェールズ時代のことは、尾高は「徹子の部屋」に出演した際に語っていたが、ホールから歩いて5分ぐらいの所に家を構えて、リハーサル前に紅茶を飲んでリラックスという、結構、優雅な生活であったらしい。


エルガーの弦楽セレナード。エルガーを得意としている尾高。元々の音楽性が合っていたということもあるだろうが、ウェールズとはいえ、イギリスで長い時間を過ごすことで英国音楽のイディオムを身につけたということは大きいだろう。ノーブルな演奏である。


シベリウスも得意としている尾高。シベリウスは本国であるフィンランドの他にイギリス、アメリカ、そして日本で高く評価されている作曲家である。イギリス人指揮者の多くがシベリウス作品を取り上げ、アメリカにはユージン・オーマンディ、レナード・バーンスタイン、ユタ交響楽団の指揮者であったモーリス・アブラヴァネル、日本にも渡邉暁雄という優れた紹介者がいた。
日本のオーケストラもそうだが、フィンランドのオーケストラのメンバーもシャイな人が多いそうである。シベリウス自身がシャイな人として有名である。フィンランドに行くと色々なところでシベリウスの曲が流れているそうで、「シベリウスの音楽のないフィンランドは考えられない」そうである。

「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、ここ数ヶ月の間に、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル、村川千秋指揮山形交響楽団が共に配信演奏会で取り上げており、人気の曲目となっている。美しさの中に力強さを持っている曲であり、ラストで示される確固たる意思が人気の理由なのかも知れない。
尾高指揮の「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、サントリーホールで行われた札幌交響楽団によるオール・シベリウス・プログラム演奏会のアンコール曲目として聴いたことがあるが、その時同様、自身と確信に満ちた演奏である。現在の日本におけるシベリウス演奏の泰斗としての誇りが窺える。

尾高は、「ティンパニがいつ入るんだろうと思われた方も多いでしょうが、ラストで効果を上げます」と語り、打楽器繋がりで、現代日本の作曲家は作品に多くの打楽器を用いるという話をする。打楽器が多いと、打楽器奏者当人よりも楽器の配置換えを行うステージマネージャーが大変になるそうで、曲の演奏の前にてんやわんやになるそうである。それでいて聴衆に大変さが分かって貰えず、配置換えの長さ故に面白い顔をされないので疲れるそうだ。
尾高は、N響のステージマネージャーだったKさんから、「モーツァルトはいいですね。打楽器の配置換えが少ないのにお客さんに喜んで貰える」という話をされたことがあるそうだ。


モーツァルトの交響曲第39番。この曲も尾高指揮大阪フィルのモーツァルト後期三大交響曲一挙演奏の定期演奏会で聴いたことがあるが、今日も尾高らしい細やかな味わいが光る演奏となる。尾高はフォルムで聴かせるタイプであるが、繊細な表情を特徴としており、音で押し切るスタイルとは異なる。


東京でも演奏会の仕事は始まっているそうであるが、東京は大阪とは違い、街を歩いていてもマスクをしていない人が目立つそうである。
錦糸町にある、すみだトリフォニーホールでの演奏は上首尾だったそうだが、「ブラボー禁止」ということで、本来ならブラボーがいくつか掛かってもいい出来と感じていたが、声を発する人がおらず、寂しい思いもしたそうだ。だが、「ブラボー!」と書かれた紙を掲げている人が5、6人ほどいたそうで、尾高も「あれいいね」と大フィルの楽団員に語りかける。「今度から紙配っておこうか」

多くの人が工夫を凝らしているようである。サッカーのサポーターが掲げるような「ブラボー!タオル」を作ったら売れそうな気もする。一時的だろうけれど。


志村けん、岡江久美子といった有名人も含めて多くの人が新型コロナで亡くなったということで、追悼曲として、グリーグの「二つの悲しい旋律」より「過ぎた春」が演奏された。

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2020年6月14日 (日)

配信公演 阪哲朗&村川千秋指揮山形交響楽団「山響ライブ第1弾」(文字のみ)

2020年6月13日 山形テルサより配信

午後7時から、クラシック専門ストリーミング配信サービス「カーテンコール」で、山形交響楽団の「山響ライブ第1弾」を視聴。金管パート、木管パート、弦楽パートに分かれての三部構成による演奏である。

曲目は、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレ」、ブルックナーの「正しき者の唇は知恵を語る」、リンドバーガー編曲の「悪魔のギャロップ」と「セルからモースへの結婚行進曲」(以上、金管パート)、リヒャルト・シュトラウスのセレナード変ホ長調(木管パート)、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」とシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」(以上、弦楽パート)。弦楽パートの選曲は、3日前に行われた広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団の配信公演と完全に同じである。

指揮は山形交響楽団首席指揮者の阪哲朗。シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」のみ山形交響楽団創立名誉指揮者である87歳の村川千秋(男性)がタクトを執る。

3月にも山形交響楽団の配信を行ったカーテンコールであるが、3ヶ月の間に配信のための基盤がかなり整ってきているようで(そもそも本格的なサービス開始は今年の秋からであり、今はまだ試験段階である)、音声はハイレゾ配信となり、カメラも3台から6台に増えたそうである。


飯森範親による改革が成功して、「田舎のオーケストラ」というイメージを脱却し、日本を代表するアンサンブルへと成長した山形交響楽団。財政的には厳しいが、新たなる本拠地ホールが完成するなど、更なる飛躍のための足がかりが構築されつある。


まず、山形交響楽団が日本で初めて始めたというプレトークが、指揮者の阪哲朗と山形交響楽団専務理事の西濱秀樹によって行われる。


阪は全編ノンタクトでの指揮、キビキビとした推進力に富む音運びである。山形交響楽団も揃っての演奏は久しぶりのはずで、万全とはいえない部分もあるが、ある程度の精度の高さを維持していることが感じ取れる。

金管の音は輝かしく、ブルックナーの楽曲ではオルガン的な響きを見事に再現してみせる。リヒャルト・シュトラウスが17歳で完成させるという早熟振りを示したセレナード変ホ長調の木管による洒落っ気に飛んだ表現も優れている。


転換を兼ねた20分の休憩時間中に、阪哲朗と西濱秀樹が客席中央通路に出てのトークを行い、更に今日のための撮影された山形の名所案内映像が流れる。阪と女優の永池南津子が、天童市内の温泉旅館やさくらんぼ農園、山寺こと立石寺を訪ねるという内容(麓から立石寺を眺めるだけで上ることはなかった)である。


チャイコフスキーの「弦楽セレナード」。チェロ以外の弦楽奏者はオールスタンディングでの演奏である。ハイレゾであるためか、弦の人数が日フィルよりも多いためか、奏者間をさほど空けていないからか、もしくはその全てか、弦の表情の細やかさや音の広がりは山形交響楽団の方が優れているように感じられる。


村川千秋が指揮するシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」(ティンパニありのバージョン)。村川は指揮棒を持って指揮する。チェロとティンパニ奏者以外はやはり起立しての演奏。清澄な弦の音色が印象的な佳演であった。

演奏終了後、客席に山形交響楽団の管楽器メンバーが現れ、村川を拍手で讃えた。

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2020年6月11日 (木)

配信公演 広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル 「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」(文字のみ)

2020年6月10日 東京・溜池山王のサントリーホールからの配信

今日は、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル(弦楽合奏)によるサントリーホールからの配信公演「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」が午後2時からある。休憩なし、上演時間約1時間のコンサート。

e+でのストリーミング配信。事前にチケットを購入し、メールで送られてきたURLで配信画面に飛んで視聴するというシステムである。

今日はテレワークなので、画面を見ながらはまずいが、音を聴きながら仕事は出来るため、午後2時からまず音だけを聴き、その後、アーカイブの映像を確認することにする。配信画像視聴には2種類の券があり、安い方は11日の午後2時まで映像を観ることが出来る。高い券だと比較的長い期間観られるのだが、私は安い券を買う。ちなみにアーカイブ映像視聴のためだけの券もある。


配信公演ということで、事前のアナウンスもホールに流れるが、いつもとは違ったものになっている。


今日の日本フィルハーモニー交響楽団は、ソーシャル・ディスタンス・アンサンブルという名で弦楽のみの編成、それも奏者間を広く空けての演奏である。コンサートマスターは田野倉雅秋。握手などが難しいというので、広上と田野倉は、何度もエアーハイタッチを行う。
管楽器は飛沫感染の危険性の高さを現時点では否定出来ないため、全ての楽器が揃っての演奏はまだ先になるかも知れない。


曲目は、グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:田野倉雅秋)、ドヴォルザークの「ユーモレスク」(弦楽合奏版)、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」

広上淳一はマスクをしての指揮。司会進行役である音楽ライターの高坂はる香もマスクを付けて登場し、コンサートマスターの田野倉雅秋もトークの際はマスクを装着していた。


距離感を空けての演奏であり、通常のプルトでの合奏ではない。フォアシュピーラーは存在せず、その他の楽器も首席が一人だけ前に出て弾き、すぐ横に人がいないよう配慮しての演奏となる。

ということでアンサンブルとして万全とはいかないかも知れないが、久しぶりに日本のオーケストラの演奏を配信で聴けるということで嬉しくなる。


グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”はスプリングの効いた演奏で、躍動感と推進力に富む。日フィルは昔から音の洗練度に関しては東京の他のオーケストラに比べると不足しがちであり、今後も課題となってくるだろう。

演奏終了後に広上と高坂とのトーク。高坂が日本フィルハーモニー交響楽団が演奏を行うのは3ヶ月半ぶり、サントリーホールで演奏会が行われることも約2ヶ月ぶりだと説明。広上は、「ホールがもし言葉を喋ることが出来たら、『久しぶり、よく来たね!』と喜んでくれるだろう」と語る。
「ホルベアの時代から」に関して広上は、ホルベアというのはノルウェー文学の父とも呼ばれる人物で、グリーグにとってはベルゲンの街の先輩でもあった。この曲は元々はピアノ曲で、ヴァイオリンとピアノのための編曲が行われたり、歌詞が付けられて歌曲になったこともあったが、現在では弦楽合奏曲として知られていると語る。


「愛の挨拶」は、エルガーが奥さんとなるキャロラインに求婚した時に送った曲で、広上はキャロライン夫人の内助の功を、「今の大河(広上がメインテーマを指揮している「麒麟がくる」)でいうと、帰蝶のような、お濃さんのような」と例える(エルガーは遅咲きの作曲家である)。

「愛の挨拶」は、田野倉雅秋のヴァイオリンソロと弦楽アンサンブルの伴奏による演奏。少し速めのテンポを取り、愛らしさよりも流麗さを重視する。日本人なのでチャーミングな演奏は照れくさいということもあるのだろう。


ドヴォルザークの「ユーモレスク」は、クライスラー編曲によるヴァイオリンとピアノのデュオ版でも有名だが、今回はソリストを置かずに弦楽合奏版での演奏を行う。ユーモラスな曲想が広上の音楽性にも合っている。
トークで広上は、「ドヴォルザーク先生はヴィオラが得意、ヴィオラ奏者だった。ピアノはあんまり好きじゃなかった」と語るが、ロベルト・シューマンの影響でピアノ組曲を書こうと思い立ち、その7曲目が「ユーモレスク」で、様々な編曲による演奏で親しまれていると語る。


チャイコフスキーの「弦楽セレナード」。西欧ではロマン派全盛の時代となっており、装飾の多い雄弁な音楽が流行っていたが、遙か東方のロシアにいたチャイコフスキーはそれに疑問を感じ、モーツァルトを範とした「虚飾を排し、本質を突く」という意気込みで書いたのがこの「弦楽セレナード」だと語る。実際にパトロンであったフォン・メック夫人にそうした内容の手紙を送っているそうだ。

通常の「弦楽セレナード」よりも小さめの編成での演奏ということもあって、「虚飾を排し、本質を突く」というチャイコフスキーの意図がより鮮明になっているように感じられる。アレクサンドル・ラザレフやピエタリ・インキネンに鍛えられて性能が向上した日フィルであるが、更なる典雅さと優美さも欲しくなる。ただ広上の巧みな棒捌きに導かれて、フル編成でないにも関わらずスケールの豊かさとシャープさを兼ね備えた演奏で聴かせた。


アンコール演奏の前に広上は、「文化はAIやITのような科学文明の進歩とは違った、心を解き明かすもの」と語り、学校教育においては文化が大上段から語られるため誤解されやすいが、人間を人間たらしめている「心」を大切にし、描くものとしてその重要性を説いた。


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」(弦楽合奏版)。広上は、日本フィルハーモニー交響楽団の初代常任指揮者で、現在も創立指揮者として頌えられている渡邉暁雄(わたなべ・あけお)が得意としたのがシベリウスだと語り、日フィルの創立記念日が渡邉暁雄の命日(6月22日)であるという因縁も述べる。

音楽が出来るという喜びと、ここから新しい演奏史が始まるのだという高揚感溢れる熱い演奏であった。

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2020年5月24日 (日)

コンサートの記(636) アジアオーケストラウィーク2004 岩城宏之指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 伊福部、武満、外山ほか

2004年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴く。アジアオーケストラウィーク2004のトリを飾る演奏会。チケットはいつもに比べれば安いが、台風が近づいているためか客の入りは良くない。指揮は岩城宏之。

岩城の公演を生で聴くのは2回目。いずれも彼の病気が悪化した後だが、今日も歩みがたどたどしい。

1曲目は伊福部昭の「管弦楽のための日本組曲」。伊福部は北海道生まれの作曲界の重鎮。土俗的な迫力ある作風が特徴。世間一般には「ゴジラのテーマ」の作曲者としての方が有名だ。岩城なかなか好調。

武満徹の「夢の時」。誰が聴いても武満の曲だとわかる曲である。武満の前に武満なく、武満の後に武満なし。武満の曲を聴く機会はコンサートでは意外に少ないが(2004年当時)、ホールが武満色に染まってしまう貴重な時間を体験する。

3曲目は徳山美奈子の「大阪素描」。大阪生まれの女流作曲家の作品。祭りや童謡、民謡などを題材にしており、伊福部に共通するところがあるが、彼女の方が洗練されている。演奏後、作曲者登場。喝采を受ける。


メインはシベリウスの交響曲第2番。岩城とシベリウスという組み合わせは意外だが、相性ははっきり言って良くない。ベートーヴェンの交響曲に対するのと同じようにシベリウスに向かってしまったため、結果として迫力はあるが、曲想をはっきり捉えることが出来なくなってしまっている。
ベートーヴェン的シベリウスというものが成功し得ないことを知る。少し眠たい演奏だった。シベリウスの交響曲第2番を生で聴くのは4度目だが、退屈するのは初めてである。


アンコールは外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。岩城はこの曲の初演者。ちょっとバランスが悪い気もするが手慣れた演奏となる。迫力も十分であるが、ザ・シンフォニーホールは残響がありすぎて直接音が届きにくい気がする。ラストのパーカションは聴覚的にも視覚的にも格好いい。

この曲の演奏は作曲者である外山雄三の指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による演奏が良かった。サントリーホールでの演奏会で聴いたのだが、これはライヴ録音されてCDでも聴くことが出来る。
民謡が露骨に使われているので、「真面目」な評論家からは、「オリエンタリズムの押し売り」などと言われるが、こういう人は西洋の作曲家が西洋の民謡を使って作曲すると絶賛したりするのだ。ただの西洋コンプレックスであるような気がする。

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2020年4月13日 (月)

コンサートの記(634) 太田弦指揮 大阪交響楽団第31回いずみホール定期演奏会

2018年10月17日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会を聴く。


午後6時30分開場と、クラシックの演奏会にしては開場時間が遅めなので、大阪城に向かう。山里郭で秀頼公・淀殿自刃の地碑に手を合わせた後、本丸を横切って豊國神社に参拝。鳥居の横の木が何本か倒れているが、台風21号によって倒されたものだと思われる。

大阪城本丸にある大阪市立博物館が内部改修を経てミライザ大阪城としてリニューアルオープンしている。1階にタリーズコーヒーと土産物屋、2階と3階にレストランが入っている。レストランメニューは高そうなので、今日はタリーズコーヒーでブラッドオレンジジュースを飲むに留める。

京橋花月がなくなり、シアターBRAVA!も閉鎖(跡地には読売テレビの新社屋が建設中である)いずみホールも改修工事が行われていたということで、京橋に来る機会が減ってしまっていた。

大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会。1日2回同一演目公演であり、昼公演が午後2時開演、夜公演が午後7時開演である。

指揮は今年24歳という、若手の太田弦。

曲目は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:チャン・ユジン)とシベリウスの交響曲第2番。


太田弦は、1994年、札幌生まれ。幼時よりピアノとチェロを学び、東京芸術大学音楽学部指揮科を経て同大学大学院音楽研究科指揮専攻修士課程を修了したばかりである。2015年、東京国際音楽コンクール指揮部門で2位に入り、聴衆賞も受賞している。指揮を尾高忠明、高関健に師事。山田和樹、パーヴォ・ヤルヴィ、ダグラス・ボストックらにも指揮のレッスンを受けている。


いずみホールであるが、大幅改修というわけではないようである。だた、身体障害者用トイレが新設されており、ユニバーサルデザインに力を入れたようだ。


今日のコンサートマスターは森下幸路。ドイツ式の現代配置での演奏である。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのチャン・ユジンは、韓国出身の若手女性ヴァイオリニスト。9歳でKBS交響楽団やソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、11歳でソロリサイタルを開催という神童系である。2004年にメニューイン・コンクールで3位入賞、2009年のソウル国際音楽コンクールで4位に入り、マイケル・ヒル国際ヴァイオリンコンクールで第2位入賞と聴衆賞を得て、2013年には名古屋で行われた宗次エンジェル・ヴァイオリンコンクールで優勝している。2016年には仙台国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でも優勝を果たした。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を十八番としており、「炎のヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる情熱的な演奏スタイルを特徴とするそうである。

指揮者の太田弦であるが、童顔であり、十代だと言われても通じそうであるため、見た目はいささか頼りない。全編ノンタクトで指揮する。

独奏のチャン・ユジンであるが、ヴィルトゥオーゾ的な演奏スタイルである。音楽に挑みかかるような演奏を聴かせ、情熱的であるが没入的ではなく、適度な客観性が保たれている。

今日は前から2列目の上手寄り。1列目には発売されていないため、実質最前列での鑑賞である。この席は音が散り気味であり、オーケストラを聴くには余り適していないように思われる。太田は若いということもあって「統率力抜群」とまではいかないようである。


チャンのアンコール演奏は、ピアソラのタンゴ・エチュード第3番。温かみと切れ味の鋭さを共存させた演奏であり、今日の演奏会ではこれが一番の聞き物とあった。


シベリウスの交響曲第2番。太田はやや速めのテンポで演奏スタート。
金管の鳴らし方に長けた指揮者であり、伸びやかで煌びやかな音像を描く。一方で、金管を鳴らし過ぎたためにバランスが悪くなることもある。
若手らしい透明感のある演奏で、ヴァイオリンの響きの築き方などはかなり巧みな部類に入る。そのために影の誇張はなく、第2楽章や第4楽章では単調になる嫌いあり。
第4楽章でもクライマックスで音が飽和してしまい、音型が確認出来なくなったりしたが、ラストのまさにオーロラの響きのような音色の豊かさは印象的である。二十代前半でこれだけのシベリウスを聴かせられるなら将来有望だと思われる。

拍手に応えた太田は、最後は総譜を閉じて「これでおしまいです」と示してコンサートはお開きとなった。


大阪交響楽団のパンフレットは、月1回の冊子という、NHK交響楽団や読売日本交響楽団と同じスタイルを取っているが、ミュージック・アドバイザーの外山雄三の回想が連載されているなど、興味深い内容の記事が多い。

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2019年12月 7日 (土)

イン・メモリアム マリス・ヤンソンス ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 「悲しきワルツ」

先月、フェニーチェ堺で行われたパーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会のアンコール曲としてこの曲を聴いているのですが、それから一月も経たないうちに、こんな形で耳にするとは思ってもいませんでした。

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2019年10月17日 (木)

2346月日(17) ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」

2019年9月16日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後2時から、京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1で、ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」を聴く。すぐそばにある大阪市立東洋陶磁美術館で開催されている「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」との連携プロジェクトである。ゲストは、石野裕子(国士舘大学文学部史学地理学科准教授)と宮川智美(大阪市立東洋陶磁美術館学芸員)。カフェマスターは、當野能之(大阪大学言語文化研究科講師)。

石野裕子は、フィンランド史が専門。フェリス女学院大学文学部を経て、津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程単位取得退学後に博士号取得。中央公論社から『物語 フィンランドの歴史』を上梓している。

 

日本で北欧関係というと、東海大学の文化社会学部に北欧学科(旧文学部北欧学科。その前は文学部北欧文学科であった)があるだけであり、フィンランド語を専攻できるのもここが唯一。専門家を生み出す課程自体は少ないということで、日本では一般に北欧のイメージは良いが、北欧の歴史や文化までもが熟知されているというわけではない。

カフェマスターの當野能之が所属している大阪大学言語文化研究科は、外国語学部の研究科で、大阪大学の外国語学部は大阪外国語大学時代から日本で最も多くの言語を教える外国語学部であったが、スウェーデン語専攻はあるものの、フィンランド語のコースは残念ながらないそうである。フィンランド語は他のヨーロッパ言語とは異なる構造を持つことで知られている。

 

まず石野裕子によるフィンランド現代史の概説が述べられ、次いで宮川智美による大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」展示作品の解説がある。

フィンランドは約600年に渡ってスウェーデンの統治下にあり、公用語はスウェーデン語だけで、フィンランド語は農民達が話す言葉であった。支配層はスウェーデン系が多く、スウェーデン語が話されていた。それが1809年にスウェーデンとロシアの間で2度目の戦争があり、ロシアが勝利して、フィンランドはロシアに割譲される。ここにフィンランド大公国が生まれ、フィンランドはロシアの中の一国となる。フィンランド大公はロシア皇帝が兼任しており、独立を果たしたわけではなかったが、フィンランド人による自治が認められ、やがて公用語にフィンランド語が加わることになる。
その後、アレクサンドル2世の時代にフィンランドの自由化があり、フィンランドは「自由の時代」を迎えるが、アレクサンドル2世が暗殺され、ドイツの台頭が顕著になると、ロシアはフィンランドへの締め付けを強化し始める。エートウ・イストの風刺画「攻撃」が描かれたのがこの頃だそうだ。

1917年にロシアで2月革命が起こると、フィンランドは同年12月6日に独立を宣言する。だが、そのまますんなりとは進まず、親ソ連派の赤衛隊と親ドイツ派の白衛隊に分かれて内戦が起こり、白衛隊が勝利したが、フィンランド人同士での殺し合いが発生し、約3万人が犠牲になったという。
更に第二次世界大戦ではソ連と戦い、冬戦争と継続戦争という2度の戦いにいずれも敗北(2つの戦争は日本の人気漫画に出てくるそうで、若い人の間では知名度が高いそうだ)。フィンランドはカレリア地方を含む国土の10分の1を失い、多額の賠償金を支払うことになる。
フィンランドが世界に復興を示すのは、1952年のヘルシンキ・オリンピックを待たなければならなかった。ちなみに1940年の東京オリンピックが返上された時、次点であったヘルシンキが開催地に決まったが、大戦が始まってしまったため中止となっている。1940年のヘルシンキ・オリンピックのためにデザインされたポスターは、1952年のヘルシンキ・オリンピックのポスターとして年号だけ変えて使用されたそうである。

 

宮川智美によるフィンランド陶芸の解説。ラボカフェの最初の挨拶で、當野能之がフィンランドの陶芸について、「(イメージと違って)意外だった」と述べていたが、大阪市立東洋陶磁美術館の「フィンランド陶芸」に並ぶ作品は、バラエティに富み、「フィンランドのデザイン」と聞いて思い浮かべるすっきりとしたものもあるがそうでないものも多い。
ただ、まずはもう一つの展示であるマリメッコについてから。フィンランドを代表するテキスタイルブランドのマリメッコ。「マリのドレス」という意味だが、マリというのは、創設者の一人であるArmi Ratiのファースネームの綴りを変えたものに由来しているという。ジャクリーヌ・ケネディなどがマリメッコの衣装を愛用したことで、「知識人のユニフォーム」と言われた時代もあったようである。

そしてフィンランドの陶芸史。
フィンランドの陶芸に偉大な足跡を残している人物は二人いる。アルフレッド・ウィリアム・フィンチとクルト・エクホルムであるが、二人ともフィンランド人ではない。フィンチはイギリス系両親の下、ベルギーに生まれ育ち、ベルギーで画家として活動した後に陶芸にも乗り出し、実践的な芸術運動であるアーツ・アンド・クラフト運動に乗る。やがてフィンランドに招かれ、1897年に設立されたアイリス工房で陶芸を指導。アイリス工房自体は5年の歴史しか持たずに閉鎖されてしまったが、1900年のパリ万国博覧会のフィンランド館にアイリス・ルームなる展示を行い、評判を呼んでいる。アイリス工房閉鎖後は、フィンチはアテネウム(工芸中央美術学校)の教師となり、後継者の育成に尽力。フィンランドを代表する陶芸作家達を生み出していった。
クルト・エクホルムは、スウェーデン出身。ストックホルムで陶磁器デザインを学び、ヘルシンキのアラビア地区に生まれたアラビア製陶所を率いて活躍していく。クルト・エクホルムは陶芸作家でもあったが、批評家としても活動し、実績を残しているようだ。
スウェーデンの陶芸会社であるロールストランド製陶所が税制優遇のためにヘルシンキに作ったのではないかといわれるアラビア製陶所。エクホルムはこの製陶所美術部門のディレクターとなる。ここに所属する陶芸作家達は、社員ではあるが、製陶所の売り上げに繋がる作品を制作するよりも、個々の個性に根ざした作品を作ることが奨励されるという恵まれた環境にあった。社員に女性が多かったのも特徴である。フィンランドでは昔から女性の地位は諸外国に比べて高かったようである。
ただ、アラビア製陶所の作風は凝っていたため、「ライオンとコーヒーカップ」論争というものが起こり、陶器はもっと実用的なものであるべきだという立場の人々からは「ボタンホールの飾りに過ぎない」と批難された。これを受けて、機能主義的な作品を生み出していったのがカイ・フランクらである。カイ・フランクの作風などはシンプルですっきりとしていてそれでいてチャーミングというアルヴァ・アアルトに代表されるいわゆる北欧デザイン的な特徴が表れている。ただ、カイ・フランクらの作風だけがフィンランド陶芸ではなく、もっと多様性を持つのがフィンランド陶芸なのだそうだ。

 

再び、石野裕子による講義「19世紀フィンランドの芸術とナショナリズム」
アレクサンドル2世時代にフィンランド語が公用語となったとき、人々はフィンランド人のアイデンティティを求めるようになる。「もうスウェーデン人ではない。ロシアン人にもなれない。ならばフィンランド人で行こう」という言葉と共に、ナショナリズムが勃興する。
フィンランド的なるものを追求した時に注目されたのだが、叙事詩「カレワラ」である。スウェーデン系フィンランド人であるシベリウスも「カレワラ」を題材にした「クレルヴォ」交響曲を書き、同じくスウェーデン系フィンランド人の画家であるアクセリ・ガッレン=カッレラは「カレワラ」を題材にした絵画を制作している。

一方、文学の方は、ルーネベリとトペリウスというスウェーデン系の作家が生まれた。ただ当然ながら、スウェーデン語での文学であり、フィンランド語による本格的な文学の誕生は、フランス・E・シッランパーの登場を待たねばならなかった。

それまでスウェーデンとロシアという二つの大国の間に押し込められてきた感のあったフィンランドに、「ヨーロッパの一員となりたい」という希望が生まれ、「ヨーロッパへの窓を開けよ」を合い言葉に、松明を掲げる者たちと呼ばれた人々が勢いを増す。ヨーロッパの文化が盛んに取り入れられるようになるのだが、当時の、特にフランスではジャポニズムが流行っており、フィンランドの画家達もそれを間接的に受け入れて、「カレリア」の挿絵を浮世絵の手法を入れて描いたりしているそうである。
この頃、フィンランドは右傾化し、男子学生は「大戦で奪われたカレリアを取り戻せ」としてカレリア学徒会に参加、女子学生は「良き家庭」を理想としたロッタ・スヴァルトという保守的団体にこぞって加入する。
こうしたナショナリズムは言葉と密接に関係しているが、言葉を用いない陶芸や絵画はそれにとらわれない自由さがあり、ナショナリズムでひとくくりには出来ないというのが石野の意見のようである。

フィンランドは人口が約500万人と少ないので個を大切にする教育が行われており、またフィンランドに限らず北欧全体にいえることだが、芸術への手厚い保護があり、例としてシベリウスが若い頃から生涯年金を貰っていたという話をする。アラビア製陶所も企業ではあるが、売れ線のものを作らずに個性を発揮させることが許されていた。そのため、バラバラな個性の陶芸が生まれたのではないかというのが石野の想像のようである。

フィンランド的なデザインとしてよく挙げられるアルヴァ・アアルトとの関係であるが、二人とも建築やデザインは専門ではないのでよくわからないとしていたが、カイ・フランクなどは多分にアアルト的であり、人間の自然にフィットしているように感じられる。これはシベリウスの音楽にも共通することである。

 

思えば、私がシベリウス以外でフィンランドについて注目したのは、ヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズが、UNIXをベースとして生み出したLinuxが初めであった。Linuxは個々が自由に改良できるオープンソースOSであり、個性や多様性を許したプログラムである。また汎用性豊かという意味で極めて機能的である。Linuxがフィンランド的なるものに根ざしているのかどうかはわからないが、少なくとも「発想」に関してはフィンランドのような歴史を持つ国からでないと生まれないような気がする。

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