カテゴリー「シベリウス」の92件の記事

2021年9月 7日 (火)

コンサートの記(741) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第260回定期演奏会

2014年10月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第260回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。藤岡が毎年1曲ずつ取り組んでいる「シベリウス交響曲チクルス」の3年目、第3回である。

曲目は、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:萩原麻未)、シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」、シベリウスの交響曲第4番。


午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
藤岡はまず、ショパンのピアノ協奏曲第1番の独奏者である萩原麻未について語る。ジュネーヴ国際コンクールで日本人として初めて優勝した若手ピアニストであることを紹介。藤岡が、いずみホールで行われた萩原のピアノリサイタルを聴いて感激し、以後、東京などでは共演してきたが、関西フィルでやっと共演出来るという喜びを語った。

シベリウスの交響曲第4番についてだが、「今日、来ていただいてこういうことを言うのはどうかとも思うのですが、とっても取っつきにくい」曲だと述べる。藤岡はシベリウスのスペシャリストであるが、「私も若い頃はこの曲がさっぱりわからなかった」そうだ。シベリウスの交響曲第4番に関しては初演の際に曲を理解出来た者が客席に一人もいなかったという言い伝えが有名である。

「シベリウスは、酒や煙草を愛していて、特に大酒飲みであり、酔って乱闘を起こして牢屋に入れられたこともある」と語った後で、「一方で、非常に優しい細やかな人で、自然を愛していた」と続け、「そんな彼が病気になった。腫瘍が見つかり、良性で助かったが、再発の危険を医師から指摘され、酒も煙草も禁じられた」という。酒や煙草は繊細な性格であったシベリウスの自己防衛だったのかも知れない。「酒や煙草を禁じられたシベリウスはストレス発散の方法を日記を書くことに求め、そのため、その当時の心理状況がよくわかる」そうである。「発狂寸前までいった」らしい。シベリウス自身が「暗黒時代」と読んだ日々の中で交響曲第4番は生まれた。「無駄を徹底して削り、管弦楽法も高度なものを用いて、シベリウス本人も『無駄な音符は一つもない』と言ったほど。言っておきますが、交響曲第4番は大変な傑作であります。シベリウスが好きな人の中には『交響曲第4番がシベリウスの最高峰』とおっしゃる方も多くいます(「私=本保弘人」もその一人である)。この曲はいわばシベリウスの音楽がどこまでわかるかの試金石ともいうべきものです」と述べる。

藤岡は、「この曲の第3楽章はシベリウス自身の葬儀で演奏されました。私の師は渡邉暁雄というシベリウスの世界的権威でして、渡邉先生も『自分の葬儀にシベリウスの交響曲第4番の第3楽章を流してくれ』と仰っていましたが、渡邉先生が亡くなったときは、私もまだ若かったものですから実現しませんでした」と語った。

今日はJR西日本やダイキン工業から招待客が多く来ているようだが、クラシックを初めて聴く人にとってはシベリウスの交響曲第4番は手強すぎる。野球に例えると、16打席連続三球三振を食らうレベルである。

シベリウスの交響曲を理解するには、他のクラシックの楽曲を良く理解している必要があるが、それだけでは暗中模索になってしまう。ある程度年齢を重ねていることもシベリウスの交響曲を理解する上での必須条件である。また「ただ悲しみを知る者のみが」シベリウスの楽曲を十分に理解出来る。そういう意味ではシベリウスの交響曲がわからないということは皮肉ではなく幸せであるともいえる。


ショパンのピアノ協奏曲第1番。
ソリストの萩原麻未は広島市安佐南区出身。5歳でピアノを始め、広島音楽高等学校を卒業後、渡仏。パリ国立高等音楽院に入学し、修士課程を首席で卒業。2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。年によっては優勝なしの2位が最高位ということがある同コンクールで8年ぶりの優勝者となった。それ以前にも第27回パルマドーロ国際コンクールにおいて、史上最年少の13歳で優勝している。

藤岡がベタホメしたので、かなり期待してしまったのだが、確かに良いピアニストである。音は透明感に溢れ、鍵盤を強打した時も音に角がなく、柔かである。ただ、これは時折力感を欠くという諸刃の剣にもなった。メカニックは完璧ではないものの高く、美音を生かした抒情的な味わいを生み出す術に長けており、緩徐楽章の方が良さそうだ、という第一印象を受けたが、やはり第2楽章が一番良かった。他の楽章では一本調子のところも散見される。まだ若いということである。ショパンよりもドビュッシーやラヴェルに向いていそうな予感がした。

藤岡がハードルを上げてしまったため、こちらの期待が大きくなりすぎてしまったが、それを差し引けば、十分に良いピアニストである。

藤岡指揮の関西フィルの伴奏であるが、萩原と息を合わせて思い切ったリタルダンドを行うなど巧みな演奏を聴かせる。今日もチェロを舞台前方に置くアメリカ式の現代配置での演奏であったが、アメリカ式の現代配置だとチェロの音がやや弱く感じられ、低音部が痩せて聞こえる。日本のオーケストラのほとんどがドイツ式の現代配置を採用しているのはドイツ音楽至上主義であった名残であるが、ドイツ式の配置を取ることでチェロの音の通りを良くし、結果として体力面では白人に勝てない日本人に合った配置となったのかも知れない。

演奏終了後、萩原はマイクを持って登場。自身が広島市安佐南区の出身であり、豪雨による大規模土砂崩れが安佐南区で起こったということに触れ、「私はその時、ヨーロッパにいて、テレビでそれを知ったのですが、私に何か出来ることはないかと思いまして」ということで、募金を呼びかける。途中休憩時にはステージ衣装である薄緑色のドレスで、終演後は私服で萩原は募金箱を持ってロビーに立った。私も少額ながら募金を行った。

萩原のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第2番。夜想曲の代名詞的存在である同曲であるが、萩原は左手の8分の12拍子の内、2、3、5、6、8、9、11、12拍目をアルペジオで奏でる。音が足されていたようにも感じたのだが、そこまではわからない。そのため、推進力にも富む夜想曲第2番の演奏となった。


シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」。シベリウスがまだ若かった頃の楽曲である。シベリウスの楽曲は後期になればなるほど独自色を増し、他の誰にも似ていない孤高の作曲家となるが、「レミンカイネンの帰郷」を含む「レミンカイネン」組曲ではまだロマン派の影響が窺える。作風もドラマティックである。藤岡指揮の関西フィルも過不足のない適切な演奏を行っていた。


メインであるシベリウスの交響曲第4番。陰々滅々たる曲であるが、20世紀が生んだ交響曲としてはおそらくナンバーワンである。シベリウスの他の曲も、「モーツァルトの再来」ことショスタコーヴィチの交響曲群もここまでの境地には到達出来なかった。

シベリウスを得意とはしているものの、これまではスポーティーな感じであることが否めなかった藤岡の指揮であるが、この曲に関してはアナリーゼが完璧であることは勿論、この曲を指揮するのに必要な計算と自然体を高度な水準において止揚することに成功しており、耳だけでなく皮膚からも音楽が染み込むような痛切にしてヴィヴィッドな音楽を聴かせる。
関西フィルはそれほどパワフルなオーケストラではないが、今日は弦楽パートが熱演。管楽器もシベリウスを演奏するには十分な水準に達している。

絶望を音楽化した作品は、ベートーヴェンやチャイコフスキーも書いており、特にチャイコフスキーの後期3大交響曲は有名であるが、シベリウスはチャイコフスキーとは違い、絶望を完全に受けいれてしまっているだけに余計救いがない。

なお、第4楽章では、チューブラーベルズを使用。シベリウスの交響曲第4番を生で聴くのは3度目であるが、チューブラーベルズを用いた演奏を生で聴くのは初めてである。普通は鉄琴(グロッケンシュピール)が用いられる。シベリウスは「鐘(グロッケン)」とのみ記しており、グロッケンシュピールのことなのか、音程の取れる鐘であるチューブラーベルズのことなのか明記していない。
録音ではヘルベルト・ブロムシュテットやロリン・マゼールがチューブラーベルズを採用している。

チューブラーベルズ入りの演奏を生で聴くと、ベルリオーズの幻想交響曲の最終楽章で奏でられる鐘(これはチューブラーベルズではないが音は似ている)を連想してしまい、ちょっと異様な印象を受ける。明るい音であるため却って不気味なのだ。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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2021年4月11日 (日)

コンサートの記(708) 大友直人指揮京都市交響楽団第523回定期演奏会

2009年4月18日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第523回定期演奏会を聴く。指揮は桂冠指揮者の大友直人。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲と、シベリウスの交響曲第2番というプログラムである。


ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲のソリストは、ジェニファー・ギルバート。父親はニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者で現在は指揮者として活躍するマイケル・ギルバート、母親もやはりニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者である建部洋子、兄は指揮者のアラン・ギルバートという音楽一家の出である。ジェニファーは現在、リヨン国立管弦楽団のコンサート・ミストレスを務めている。

ジェニファー・ギルバートのヴァイオリンは豊かで美しい音色が特徴。第一級のヴァイオリニストと見て良いだろう。

大友直人指揮の京響の演奏も充実していたが、金管がたまに安っぽい音を出すのが残念である。


シベリウスの交響曲第2番。大友は例によって力で押すが、シベリウスの本質を把握しているのか、力だけの演奏にはならない。第2楽章が押す一方の演奏になってしまったのは疑問だが、他の楽章ではオーケストラが鳴り渡り、トップを揃えた金管も輝かしかった。

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2021年4月 8日 (木)

コンサートの記(706) 「コバケン・ワールド in KYOTO」@ロームシアター京都メインホール 2021.4.4

2021年4月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」を聴く。指揮とお話を小林研一郎が受け持つコンサート。
本来は、今年の1月23日に行われるはずの公演だったのだが、東京も京都も緊急事態宣言下ということもあり、今日に順延となった。

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現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団のコンビによる演奏である。
「炎のコバケン」の名でも知られる小林研一郎は、京都市交響楽団の常任指揮者を務めていたことがあり、日フィルこと日本フィルハーモニー交響楽団もロームシアター京都が出来てからは毎年のように京都での公演を行っているが、親子コンサートなどが中心であり(来月5日の子どもの日にも、ロームシアター京都のサウスホールで、海老原光の指揮により「小学生からのクラシック・コンサート」を行う予定)、本格的な演奏会を行うのは今回が初めてとなる。コバケンと日フィルの顔合わせで京都公演を行うのは今回が初めてとなるようだ。

 

小林研一郎は、1940年生まれで、昨年卒寿を迎えた。福島県いわき市出身。東京藝術大学作曲科卒業後に同大指揮科を再受験。芸大は編入などを一切認めていないため、受験勉強をやり直して合格し、1年生から再スタートしている。その頃は指揮者コンクールの多くに25歳までと年齢制限があり、芸大指揮科卒業時には20代後半となっていた小林は年齢で引っかかったが、年齢制限が緩かったブダペスト国際指揮者コンクールに応募して第1位を獲得。その縁でハンガリーでの活動が増え、同国最高のポストであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督としても活躍。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者時代には、「プラハの春」音楽祭のオープニングである、スメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮も務めている。
日本では日本フィルハーモニー交響楽団と長年に渡ってパートナーを組み、首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書きを変え、2010年に名誉指揮者の称号を与えられている。1985年より京都市交響楽団常任指揮者を2年だけ務めた。最近はインスタグラムにはまっているようで、更新回数も多い。

日本フィルハーモニー交響楽団は、元々はフジサンケイグループの文化放送が創設したオーケストラであり、ドイツ本流の楽団を目指すNHK交響楽団に対抗する形でアメリカのオーケストラを範とするスタイルを採用。渡邉暁雄や小澤征爾をシェフとして、一時はN響と共に日本を代表する二大オーケストラと見なされていた時期もあったが、1972年にフジテレビと文化放送から一方的な資金打ち切りと解散を命じられる。この時、小澤征爾が日本芸術院賞受賞の際に昭和天皇に直訴を行い、右翼から睨まれるなど社会問題に発展している。結局、小澤とそれに従った楽団員が新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、残った日本フィルハーモニー交響楽団は「市民のためのオーケストラ」を標榜して、自主運営という形で再スタートを切った。
渡邉暁雄とは、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音での「同全集」を作成するという快挙を成し遂げており、現在も首席指揮者にフィランド出身のピエタリ・インキネン(インキネンともシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音による全集がリリースされた)、客員首席指揮者にエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ(ネーメともシベリウス交響曲チクルスを行っている)を頂くなど、シベリウスと北欧音楽の演奏に強さを発揮する。

そんな日フィルの京都における初の本格的な演奏会ということで、曲目には、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」より第1曲“前奏曲”、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:田部京子)、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より“朝”“オーゼの死”“アニトラの踊り”“山の魔王の宮殿にて”“ソルヴェイグの歌”、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と北欧を代表する曲がずらりと並ぶ。初回ということで自分達の最も得意とする分野での勝負である。

今日のコンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、首席チェロが「ペール・ギュント」では活躍するということで、日本フィル・ソロ・チェロの菊池知也の名が無料パンフレットには記されている。

日本フィルは自主運営ということもあり、東京のオーケストラの中でも経済的基盤は弱い。今回のコロナ禍によって苦境に立っており、寄付を募っている。

 

グリーグの「ホルベルク組曲」より第1曲“前奏曲”は、指揮者なしでの演奏。弦楽合奏で演奏されることも多い曲だけに、整った仕上がりとなった。

その後、小林研一郎が登場。今日はマスクをしたままの指揮とトークである。「私が出遅れたというわけではありませんで、室内楽的な演奏を聴いて頂こう」というわけで指揮者なしでの演奏が行われたことを説明する。
その後で、コバケンさんは、京都市交響楽団常任指揮者時代の話を少しする。任期中に出雲路にある現在の練習場が出来たこと、また新しいホール(京都コンサートホール)を作る約束をしてくれたこと、京都会館第1ホールで行われた年末の第九コンサートの思い出などである。

 

田部京子を独奏に迎えてのグリーグのピアノ協奏曲イ短調。田部京子はこの曲を得意としており、私自身も田部が弾くグリーグの実演に接するのはおそらく3度目となるはずである。田部の独奏によるグリーグのピアノ協奏曲を初めて聴いた時も日本フィルとの共演で、東京芸術劇場コンサートホールでの演奏会だったと記憶している。

田部京子は、北海道室蘭市生まれ。東京藝術大学附属高校在学中に、日本音楽コンクールで優勝。ベルリン芸術大学に進み、数々のコンクールで優勝や入賞を重ねている。リリシズム溢れるピアノが持ち味で、グリーグなどの北欧作品の他に、シューマン、シューベルトを得意とし、シベリウスに影響を受けた作曲家である吉松隆の「プレアデス舞曲集」の初演者にも選ばれて、CDのリリースを続けている。

先に書いた通り、田部の弾くグリーグのピアノ協奏曲は何度も聴いているが、結晶化された透明度の高い音が最大の特徴である。国民楽派のグリーグの作品ということで、民族舞曲的側面を強調することも以前は多かったのだが、今回は控えめになっていた。
スケールも大きく、理想的な演奏が展開される。

今回は指揮台の前に譜面台は用意されておらず、小林は全曲暗譜での指揮となる。
ゲネラルパウゼを長めに取ったり、独特のタメの作り方などが個性的である。

田部のアンコール演奏は、シベリウスの「樹の組曲」より“樅の木”。田部はシャンドス・レーベルに「シベリウス ピアノ曲集」を録音しており、「樹の組曲」も含まれていて、現在ではナクソスのミュージック・ライブラリーでも聴くことが出来る。
透明感と憂いとロマンティシズムに溢れる曲と演奏であり、田部の長所が最大限に発揮されている。
シベリウスはヴァイオリンを自身の楽器とした作曲家で、ピアノも普通に弾けたがそれほど好んだわけではなく、残されたピアノ曲は全て依頼によって書かれたもので、自分から積極的に作曲したものはないとされる。ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなども手がけていない。ただ、こうした曲を聴くと、ピアノ曲ももっと聴かれても良いのではないかと思えてくる。

 

後半、グリーグの「ペール・ギュント」より。第1組曲に「ソルヴェイグの歌」(第2組曲に入っている)が足された形での演奏である。

演奏開始前に、小林はマイクを手にスピーチ。演奏だけではなく「ペール・ギュント」という作品のあらすじについても語りながら進めたいとのことで、出来れば1曲ごとに拍手をして欲しいと語る。

第1曲の「朝」は非常に有名な曲で、グリーグや「ペール・ギュント」に関する知識がない人でも一度は耳にしたことのある作品である。
この曲は、「モロッコ高原での朝について書かれたものですが、やはり作曲者の故郷の、氷が張った海に朝日が差し込むような、あるいは日本の光景でも良いのですが、そうしたものを思い浮かべて頂ければ」というようなことを語ってのスタートである。
ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読む戯曲)として書かれたもので、イプセン自身は上演を念頭に置いていなかったのだが、「上演して欲しい」との要望を断り切れなくなり、ノルウェーを代表する作曲家になりつつあったグリーグの劇付随音楽ありならという条件の下で初演が行われ、一応の成功はしているが、その後はグリーグの曲ばかりが有名になっている。「ペール・ギュント」のテキストは、イプセン全集に収められていたり、単行本も出ていたりで、日本でも手に入れることは可能である。

「オーゼの死」について小林は、シンプルなメロディーで見事な効果を上げていることを褒め、「アニトラの踊り」の妖しさ、「山の魔王の宮殿にて」(3月で放送が終了した「ららら♪クラシック」のオープニングテーマであった)の毒についても語る。「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュントの恋人であるソルヴェイグが、今どこにいるのか分からないペール・ギュントを思いながら歌う曲である。コバケンさんは、ペール・ギュントと共にソルヴェイグが死ぬ時の歌と説明していたが、厳密には誤りで、ペール・ギュントが息絶える時に歌われるのは「ソルヴェイグの子守歌」という別の歌で、ソルヴェイグ自身は死ぬことはない。

この曲でもゲネラルパウゼが長めに取られるなど、小林らしい個性が聴かれる。

 

シベリウスの交響詩「フィンランディア」の演奏前には、小林はステージ下手に置かれたピアノを弾きながら解説を行う。帝政ロシアの圧政のように響く冒頭は、小林の解釈によるとギロチンで処刑されるフィンランドの人々を描いたものだそうで、その後に悲しみのメロディーが流れ、やがて戦争が始まる。「フィンランド第2の国歌」として知られる部分を小林はテノールで歌った。

演奏も描写力に富んだもので、抒情美も見事であった。

 

アンコール演奏については、小林は、「よろしかったら2曲やらせて下さい」と先に言い、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲と、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏される。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番は、スローテンポで開始して一気に加速するというアゴーギクを用いた演奏で、ハンガリーのロマ音楽本来の個性を再現していた。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2020年9月19日 (土)

コンサートの記(655) 京都フィルハーモニー室内合奏団 「北欧の室内楽」@アートコンプレックス1928 2005.12.7

2005年12月7日 三条御幸町のアートコンプレックス1928にて

午後7時からアートコンプレックス1928で京都フィルハーモニー室内合奏団のメンバーによる室内楽演奏会、「北欧の室内楽」を聴く。
アートコンプレックスでコンサートを聴くのは久しぶり。前回はジャズの演奏会だったのでクラシック音楽を聴くのは自分でも意外だが初めてである。

京都フィルハーモニー室内合奏団(以下:京フィル)はアートコンプレックスで定期的に演奏会を行っていたのだが、これまではずっと平日の昼間に演奏会を開いていたのでなかなか聴きに行けなかった。客席は、京フィルの関係者とファン、北欧音楽ファン(私もここに入る)、室内楽ファンに大別されるようだ。あまり宣伝はしていなかったので、「よくわからないけれど何となく来てしまった」という人はいないようである。

楽団紹介パンフレットには、藤堂音楽賞受賞や京都新聞大賞文化学芸術賞受賞など受賞歴が書いてあるが、それがどういう音楽賞なのかよくは知らないため、感じるのは「頑張ってるんだねえ」ということだけ。
それよりも、「アーノンクールが初めて、そして今のところ唯一指揮した日本のオーケストラ」という売り文句を書いた方がずっとわかりやすいしアピール力もあると思うのだが(クラシックファンの中に、アーノンクールが京都に来たことを知らない人は何人かいるかも知れないが、アーノンクールという名前を知らない人はまずいないだろうし)、京フィルには「売らんかな」という姿勢はないようなので、こちらがどうこういっても仕方ない。


曲目はニールセン(デンマーク)の木管五重奏曲。シンディング(ノルウェー)の「セレナーデ」より第1番、第2番、第5番。グリーグ(ノルウェー)の「ソルヴェイグの子守歌」と「白鳥」。シベリウス(フィンランド)の弦楽四重奏曲「親愛なる声」。グリーグのみ室内楽ではなく歌曲である。


ニールセンの曲は不思議なメロディーと現代的な響きが特徴。クラリネットが普通は出さないような音を出す。技巧的にも難しいのがわかる。
しかしその割りには曲があまり面白くない。今日のアートコンプレックスの客席は平戸間であるため、暖房が下まで届かず寒かったのだが、にも関わらず居眠りしている人が続出。やはり曲に魅力がないのだろう。


シンディングの曲は二つのヴァイオリンとピアノによる三重奏という編成。
シンディングの音楽はどこまで行っても青空、といった風な明るさと、艶やかで優しく爽やかなメロディーが特徴だ。だが少なくとも今日聴いた音楽からは影がほとんど感じられない。
生前は人気作曲家であったというシンディング。しかし死後、急速に忘れ去られてしまう。あるいは影が不足していたことがその原因なのかも知れない。シベリウスの音楽が喜びの歌の背後に癒しがたい悲しみを湛えていたのとは好対照である。


グリーグの歌は、清澄なメロディー、温かな雰囲気、透き通るような悲しみが特徴。愛らしい歌曲である。歌ったのはソプラノの島崎政子。真っ赤なドレスが印象的であった。


ラストのシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」は他の曲とは格が違う。弦楽四重奏曲ではあるが、スタイルは小編成による合奏曲に近い。先にも書いたがチャーミングで喜び溢れる歌の中に、悲しみや孤独が隠れている。私はそこに人生を感じてしまう。
視覚的にも格好良く、一斉合奏の部分は絵になっている。
ただシベリウスの音がしていたかというと、「ある程度は」と答えるしかない。シベリウスの音楽を聴かせるのは難しいのだと再確認する。

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2020年8月15日 (土)

コンサートの記(647) 三ツ橋敬子指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2020「オーケストラの旅」@京都市北文化会館

2020年8月9日 北大路の京都市北文化会館にて

午後2時から、北大路にある京都市北文化会館で、京都市交響楽団 みんなのコンサート2020「オーケストラの旅」を聴く。指揮は日本を代表する女性指揮者の一人である三ツ橋敬子。

今日も第1ヴァイオリン4人、第2ヴァイオリン3人、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが2人ずつという室内オーケストラ編成での演奏。弦楽はワントップの配置である。木管楽器奏者の前には透明なアクリル板が置かれ、飛沫が弦楽器奏者の方に飛ばないよう配慮されている。

コンサートマスターは今日も泉原隆志だが、京響の出演メンバーは先週の「みんなのコンサート」とは大きく異なる。

 

上演時間約1時間、休憩なしのコンサート。曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(ロシア)、ヴェルディの歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲(イタリア)、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」よりカンカン(フランス)、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲(オーストリア)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から“行進曲”“こんぺい糖の踊り”“あし笛の踊り”“花のワルツ”(ロシア)。

世界各国のオペラやバレエの名曲を並べたプログラムだが、バロックから初期ロマン派までだった先週の「みんなのコンサート」と違い、比較的新しくて本来は大編成で演奏される曲が多いため室内オーケストラでそのままとはいかず、編曲を施したりカットした上での演奏となる。

京都市北文化会館は、京都市内の多目的ホールの中では比較的音が良い。

 

今日も指揮者も含めて全員が京響の黒いポロシャツを着ての登場となる。

 

三ツ橋敬子は、東京生まれ。幼い頃は医師に憧れていたが、早くから音楽の才能も示していた。東京藝術大学と大学院で指揮を学ぶ。大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者である角田鋼亮は大学と大学院の指揮科同期である。その後、ウィーン国立音楽大学とイタリアのキジアーナ音楽院に学ぶという、昨今の日本人指揮者の王道路線を歩み、第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで優勝。第9回アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールでも入賞している。
身長151㎝と小柄なマエストラである。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。木琴を足しての演奏である。勢いよく始まり、京響の美音が生きるが、やや中だるみの傾向あり。コンサート全体として緩徐部分が弱いという印象を受けた。

三ツ橋のマイクを手にしてのトーク。6歳から入場可であり、「小さなお友達」もいるため(コロナの影響で例年よりは少なめ)、三ツ橋はゆっくりと発音良く、「うたのおねえさん」的トークを行う。だが暑くてボーッとしたのか、オッフェンバックのことを「フランス生まれでドイツで活躍した」と真逆に紹介したり、幼いモーツァルトが求婚したマリー・アントワネットのことを「女王様」と言ってしまったりと、ちょっと頼りない。

 

ヴェルディの歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲。
三ツ橋は、「次はイタリアです。イタリアってどういうイメージありますか? 小さいお友達はピザって知ってるよね? あと、サッカー、は最近弱いんですけど有名です」
三ツ橋はヴェネチア在住なので、イタリアには思い入れがあるようだ。
編成が小さいので迫力は出ないが、整った演奏を聴かせる。オペラの中に出てくる形そのままではなく、サッカーでサポーターが口ずさむことでも知られる有名な旋律を中心にしたカット版での演奏。

 

オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」よりカンカン。
三ツ橋は、「天国と地獄、どちらに行ってみたいですか? 天国に行ってみたいという方。結構いらっしゃいますね。では地獄に行ってみたいという方。シーン」
その後、「天国と地獄」のあらすじや「フレンチカンカン」の説明。そして昨日の右京ふれあい文化会館での同一演目の演奏会で、「CMでも使われています」と言ったものの、実は関西地方でそのCMが流れていないことを今朝知ったという話をする。カステラと言っていたため、「文明堂」のCMであることがわかる。私は関東の出身なので、子どもの頃によく目にした。全国区じゃなかったのか。トヨタのCMでも流れていたらしいが、そちらは知らない。

これも編成の都合上、迫力には欠けるが良く纏まっている。ただ、三ツ橋の演奏を聴くと大抵いつも「良く纏まっている」という印象は受けるもそこから先に行けないというもどかしさは感じる。

 

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲。大阪フィルと大阪新音の合唱団を指揮した「レクイエム」の演奏も優れた出来であり、三ツ橋はモーツァルトは得意としているようである。この「フィガロの結婚」序曲も、「ウキウキ」と「ワクワク」に満ちている。

 

チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から“行進曲”“こんぺい糖の踊り”“あし笛の踊り”“花のワルツ”。
三ツ橋は、“こんぺい糖の踊り”でチェレスタという楽器が活躍するのだが、チャイコフスキーは初演を衝撃的なものにするためチェレスタの存在を隠し続けたという話をする。今日はチェレスタはなく、鉄琴2台がチェレスタが受け持つ旋律を奏でる(メインの鉄琴を奏でるのは打楽器首席の中山航介)。
“あし笛の踊り”もフルートは3本ではなく単管での演奏。

神秘的な雰囲気や華やかなど、この曲の魅力が生きているが、室内オーケストラの演奏で聴くとチャイコフスキーのオーケストレーションの巧みさがより鮮やかになる。弦楽による音の受け渡しなど、視覚的にもとても面白い。

 

アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。コロナ自粛が始まってから配信コンサートでよく耳にする曲目である。

三ツ橋はフィンランドの紹介を行う。子ども達に、「ムーミンって知ってるかな? ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソン(調べたところ、今日8月9日が誕生日に当たるようだ)がフィンランド人です(スウェーデン系フィンランド人であり、彼女自身はスウェーデン語を用いた)。サンタクロースもフィンランドから来ていたり。とても寒い国なんですが、シベリウスが書いた温かい音楽です。タイトルが覚えられなかったという方もいらっしゃるかも知れませんが、日本語では『祝祭アンダンテ』と言いましゅ。“言いましゅ”って言っちゃった」

室内オーケストラ編成でも演奏可能な「アンダンテ・フェスティーヴォ」。色彩を変えつつ、うねるような痛切な祈りに満ちた演奏であり、ラストでは「希望と未来への確信」が響く。やはりこうした時に聴くのに相応しい楽曲である。三ツ橋と京響の弦楽陣は小編成ながらスケールの大きな演奏を歌い上げた。

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2020年8月10日 (月)

配信公演 藤岡幸夫指揮 山形交響楽団 「山響ライブ特別企画公演」(文字のみ)

2020年8月6日 山形テルサホールからの配信

今日はクラシック専門配信サービスのカーテンコールで山形交響楽団の演奏会の配信がある。YouTubeでは広島交響楽団の平和の夕べコンサートの中継もあるのだが、曲目が魅力的なため、山形交響楽団を選ぶ。

「山響ライブ特別企画公演」と銘打たれたコンサート。指揮は、関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者と東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者を務める藤岡幸夫。山形テルサホールでの演奏会である。


曲目は、シベリウスの「クリスティアン2世」より“夜想曲”、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:田部京子)、シベリウスの交響曲第3番。


午後7時開演だが、午後6時50分頃から、山形交響楽団専務理事の西濱秀樹のプレトークが始まり、カーテンコールでの配信の他に、藤岡幸夫が司会を務めるBSテレ東の「エンター・ザ・ミュージック」の収録があることが告げられる。

その後、藤岡も呼ばれて西濱との二人でトーク。西濱は山形交響楽団に来る前は関西フィルハーモニー管弦楽団の事務局長を務めており、関西フィルに藤岡を招いたのも西濱だという。

藤岡は、「西濱さんとは20年来の付き合い」「僕の暴露本書ける」と言い、「一緒に新地に遊びに行ったこともある」と語るが、配信があるため、新地の話は西濱からNGが出る。

シベリウスの「クリスティアン2世」は、聴いたことのある人がほとんどいないだろうが、素晴らしい曲だと藤岡は語る。藤岡は渡邉暁雄の愛弟子であり、シベリウスを得意としている。関西フィルとは1年にシベリウスの交響曲1曲という全曲演奏会を7年がかりで行っている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のソリスト、田部京子は叙情的な作品を得意とするピアニストで、藤岡幸夫とは吉松隆繋がりでもある。
日本人女性ピアニストは、「話すと面白い」人が案外多いのだが、田部京子は本当に育ちの良さを感じさせるピアニストである。藤岡も西濱も田部の気品について触れ、藤岡は「僕は汚れまくっている」と語る。

シベリウスの交響曲第3番。ドイツにおけるシベリウスの紹介者であったヘルベルト・フォン・カラヤンが唯一取り上げなかった曲としても知られている。

藤岡がシベリウスが愛娘を亡くしたことについて語り、気分を変えるためにイタリアに旅行に行った結果、完成したのが交響曲第2番だと説明し、愛国的精神の発露と語られるこの曲が実際は個人的な思いによって書かれたと語る。だが交響曲第2番だけでは娘の死を乗り越えることは出来ず、交響曲第3番でも娘の死と向き合うことになったと解説した。シベリウスの交響曲とは「特別な」「異常な」音楽であり、他の誰にも似ていないことを藤岡は強調する。
交響曲第1番と第2番に関してはチャイコフスキーからの影響が指摘されることがあるが、第3番からは本当に独自の路線を歩むことになる。

藤岡は、「シベリウスというと、静かで真面目なイメージあるでしょ? 全然そうじゃなかった。酒好きで遊び好きで、『お前(遊びをやめるため)田舎に引っ越せ』と言われて引っ越すんだけど、ヘルシンキのバーに行って3日間帰ってこないだとか。酔って暴れて逮捕されたりだとか。浪費家、贅沢好きで借金まみれだとか。それで凄いのは周りから嫌われなかったということ」

西濱が、前回のベートーヴェン交響曲スペシャル第2弾では、聴衆が「ブラボー」ボードを掲げ、最後は指揮者の阪哲朗が「感謝」と書かれたボードを拡げたことを話す。藤岡は、「何も用意してないや」と語った。


ドイツ式の現代配置での演奏である。藤岡はコンサートマスターやフォアシュピーラー、ソリストと握手ではなくエルボータッチを行う。


シベリウスの「クリスティアン2世」より“夜想曲”。今日も真夏日であったが、シベリウスの曲は凜として透明感に溢れ、聴く清涼剤、音によるクーラーである。本当に体に自然に馴染む音楽だ。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。トランペットやホルンはナチュラル仕様のものを用い、ティンパニもバロックスタイルが採用される。HIPによる演奏だが、特に強調はせず、自然体である。藤岡の指揮ということもあり、ロマンティシズムよりもしなやかさが目立つ。
田部京子のピアノもまた涼しげでクリアな響きを紡ぐ。思いのほか構築感のある演奏でもある。清々しいピアニズムであるが、熱気をはらんでもいる。アルフレッド・ヒッチコックがグレース・ケリーを評した「雪を頂く活火山」という言葉が浮かんだ。
ベートーヴェンの若々しさと精神的な成熟が同時に感じられる曲と演奏である。


休憩時間には、カーテンコールの酒井さんと西濱さんのトークを経て、コロナによって山形交響楽団がリハーサルは行ったのに本番が行えなくなった様に始まり、カーテンコールによって配信された山形交響楽団の複数の演奏会の映像が流れる。カーテンコールの画と音が飛躍的に良くなっていることも確認出来る。


シベリウスの交響曲第3番。民族舞踊のような旋律で始まる曲だが、この部分が「ちょいダサ」にも感じられるため、カラヤンの美意識に反した可能性が高いと思われる。
しかしその後に強烈な広がりと内省的な旋律が繰り返され、異世界へと誘われていく。

シベリウスを得意とする藤岡と、シベリウスに合った音色を持つ山形交響楽団の相性も良く、透明感溢れる音の風が吹きすぎていく。

第2楽章の寂寥感の表出も優れており、音響もマジカルなレベルに達している。
第3楽章の前衛志向の響きとダイナミズムを兼ね備えた疾走感も素晴らしい。曲が終わっても走り続けていくであろう音楽の予感がある。


今日も客席には、「Bravo!」ボードが掲げられ(サッカーのサポーターのタオル応援に影響を受けてか、「Bravo!」タオルを作る予定もあるそうだ)、藤岡も「やられたらやり返す! 文字返しだ!」ということで(?)前回、阪哲朗が拡げた「感謝」ボードで応えていた。

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2020年7月26日 (日)

配信公演 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」(文字のみ)

2020年7月17日 住友生命いずみホールより配信。同7月23日 アーカイブを視聴

7月17日に、大阪フィルハーモニー交響楽団が大阪の京橋にある住友生命いずみホールで行った「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」がクラシック専門ストリーミングサービスのカーテンコールで配信されたのだが、そのアーカイブを視聴する。17日は、左京区下鴨にある月光堂という楽器店で仏教談義を行っていた(店主が真言宗の僧侶である)ため、リアルタイムでは接することの出来なかった演奏会である。当初、大阪フィルはこの日に神戸国際会館国際ホールで演奏会を行うはずだったのだが、新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信のための演奏会が組まれた。無観客ではなく関係者を客席に入れての公演である。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

冒頭に「食い倒れ」の街・大阪のグルメと、中之島周辺の夜景など大阪の魅力を紹介する映像が流れ、西成区岸里(きしのさと)にある大阪フィルハーモニー会館とこの演奏会のリハーサルの模様が映し出される。管楽器以外の奏者はマスクを、指揮者の尾高はフェイスシールドをしてのリハーサルである。
本番でも尾高はフェイスシールドをして登場したが、指揮台に上がってからは取る。尾高によると、フェイスシールドは東大阪市の会社が作ったもので、とても優秀だそうである。


曲目は、デュカスのバレエ音楽「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」、エルガーの弦楽セレナード、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、モーツァルトの交響曲第39番。

デュカスとホルストは管楽のみ(ホルストは吹奏楽ということでコントラバス奏者はいる)、エルガーとシベリウスは弦楽のみ(シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」はティンパニ入りでの演奏)、モーツァルトでフル編成となる。

休憩時間なしの演奏会で、曲間の楽団員や楽器入れ替えの時間は尾高がマイクを手にトークで繋ぐ。


いずみホールは、元々が住友のホールであるが(住友の屋号が「泉屋」)、今年から住友生命いずみホールという名称に変わっている。


先月から演奏会が再開された大フィル。今月は定期演奏会を含めて4度のコンサートがある。ただソーシャル・ディスタンスを保つため使用可能な客席は通常の半分ほどであり、ぴあなどで取り扱うチケットは比較的少なめで、ほぼ全て売り切れ。大フィルのチケットセンターでの取り扱いが中心となっている。


まずデュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレ。フランス音楽のファンファーレとしては最も有名なものである。ステージ最後列に半円形に陣取った金管奏者達が輝かしい音を放つ。

本番前の映像に尾高忠明へのインタビューも含まれていたが、デュカスは自身に厳しい人で、寡作。「ラ・ペリ」もいったんは破棄しようとして、友人に止められたという比較的有名なエピソードを紹介していた。


ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」。ホルストは職業作曲家ではあったが、専業ではなく、女学校の音楽教師をすることで主な収入を得ており、作曲作品も自分が書きたいものよりも依頼されたものが中心となっている。自身がトロンボーンを専攻していたということもあり、吹奏楽のための作品も多い。
尾高は、ホルストの代表作である組曲「惑星」の話をする。組曲「惑星」は地球を除く太陽系の惑星の神話等を音楽で描いたものだが、ホルストの死後に冥王星が発見されたため、「不完全な惑星」と見做されたこともあった。だが、つい最近であるが、「冥王星は惑星の基準を満たしていない」ということで準惑星となり、惑星の数はホルストが作曲した通りに戻ったという話である。実はイギリスのコリン・マシューズという作曲家が、サー・サイモン・ラトルの依頼を受けて「冥王星」を作曲したばかりだったのだが、それはまた別の話である。

生き生きとした演奏が展開される。舞台上でもソーシャル・ディスタンスを保つということで大編成の曲をプログラムに載せにくく、テューバなどは出番がなかったのだが、この曲はテューバが含まれるため、久々に本番を迎えられたという話を尾高はする。

演奏後、管楽器奏者は退場し、弦楽奏者が持ち場に着くという入れ替えがある。その間、尾高はイギリスの話をする。尾高は元々はイギリスのことが余り好きではなかったそうで、一番の理由は「12進法」の採用だと話す。日本は「10進法」だが、ヨーロッパは元々は12進法で、イギリスは今でも12進法が主である(12の半分が6、6の半分が3という割り算基準である。3は「1と2」という数字の始まりの数二つを足した特別な数字とされている。12は当然ながら3の倍数でもある。10進法だと2つと5つにしか割れない)。そのため初めてイギリスに行ったときは計算がややこしく難儀したが、一緒にいた安永徹(元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)がとても頭が良くて計算に強い人で助かったそうである。当時、ウィーンに留学中だった尾高は「イギリスなんて二度と行くものか。ウィーンで頑張ろう」と誓ったそうだが、皮肉なことにイギリスのオーケストラから「首席指揮者にならないか」という話が来る。受ければ海外初のポストとなる。最初は断ろうと思った尾高だが、「日本からの行き帰りの交通費、全部出すよ」という話だったので受けたそうだ。

着任したのはカーディフにあるBBCウェールズ交響楽団である。日本の感覚だと「イギリスと呼ばれるところは全てイギリス」だろうと思いがちだが、そもそもあの国は「イギリス」ではなく、「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」で、ウェールズはロンドンのあるイングランドとは違うという意識が強い。これはサッカーのワールドカップで別代表を送っていることからもよく分かる。大フィルのヴィオラ奏者である木下雄介は、8歳の頃からカーディフで育ったそうだが、ウェールズは英語とはまた別の世界最古といわれる言語を持っており、尾高と木下はウェールズ語でやり取りをしていた。

ウェールズ時代のことは、尾高は「徹子の部屋」に出演した際に語っていたが、ホールから歩いて5分ぐらいの所に家を構えて、リハーサル前に紅茶を飲んでリラックスという、結構、優雅な生活であったらしい。


エルガーの弦楽セレナード。エルガーを得意としている尾高。元々の音楽性が合っていたということもあるだろうが、ウェールズとはいえ、イギリスで長い時間を過ごすことで英国音楽のイディオムを身につけたということは大きいだろう。ノーブルな演奏である。


シベリウスも得意としている尾高。シベリウスは本国であるフィンランドの他にイギリス、アメリカ、そして日本で高く評価されている作曲家である。イギリス人指揮者の多くがシベリウス作品を取り上げ、アメリカにはユージン・オーマンディ、レナード・バーンスタイン、ユタ交響楽団の指揮者であったモーリス・アブラヴァネル、日本にも渡邉暁雄という優れた紹介者がいた。
日本のオーケストラもそうだが、フィンランドのオーケストラのメンバーもシャイな人が多いそうである。シベリウス自身がシャイな人として有名である。フィンランドに行くと色々なところでシベリウスの曲が流れているそうで、「シベリウスの音楽のないフィンランドは考えられない」そうである。

「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、ここ数ヶ月の間に、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル、村川千秋指揮山形交響楽団が共に配信演奏会で取り上げており、人気の曲目となっている。美しさの中に力強さを持っている曲であり、ラストで示される確固たる意思が人気の理由なのかも知れない。
尾高指揮の「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、サントリーホールで行われた札幌交響楽団によるオール・シベリウス・プログラム演奏会のアンコール曲目として聴いたことがあるが、その時同様、自身と確信に満ちた演奏である。現在の日本におけるシベリウス演奏の泰斗としての誇りが窺える。

尾高は、「ティンパニがいつ入るんだろうと思われた方も多いでしょうが、ラストで効果を上げます」と語り、打楽器繋がりで、現代日本の作曲家は作品に多くの打楽器を用いるという話をする。打楽器が多いと、打楽器奏者当人よりも楽器の配置換えを行うステージマネージャーが大変になるそうで、曲の演奏の前にてんやわんやになるそうである。それでいて聴衆に大変さが分かって貰えず、配置換えの長さ故に面白い顔をされないので疲れるそうだ。
尾高は、N響のステージマネージャーだったKさんから、「モーツァルトはいいですね。打楽器の配置換えが少ないのにお客さんに喜んで貰える」という話をされたことがあるそうだ。


モーツァルトの交響曲第39番。この曲も尾高指揮大阪フィルのモーツァルト後期三大交響曲一挙演奏の定期演奏会で聴いたことがあるが、今日も尾高らしい細やかな味わいが光る演奏となる。尾高はフォルムで聴かせるタイプであるが、繊細な表情を特徴としており、音で押し切るスタイルとは異なる。


東京でも演奏会の仕事は始まっているそうであるが、東京は大阪とは違い、街を歩いていてもマスクをしていない人が目立つそうである。
錦糸町にある、すみだトリフォニーホールでの演奏は上首尾だったそうだが、「ブラボー禁止」ということで、本来ならブラボーがいくつか掛かってもいい出来と感じていたが、声を発する人がおらず、寂しい思いもしたそうだ。だが、「ブラボー!」と書かれた紙を掲げている人が5、6人ほどいたそうで、尾高も「あれいいね」と大フィルの楽団員に語りかける。「今度から紙配っておこうか」

多くの人が工夫を凝らしているようである。サッカーのサポーターが掲げるような「ブラボー!タオル」を作ったら売れそうな気もする。一時的だろうけれど。


志村けん、岡江久美子といった有名人も含めて多くの人が新型コロナで亡くなったということで、追悼曲として、グリーグの「二つの悲しい旋律」より「過ぎた春」が演奏された。

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2020年6月14日 (日)

配信公演 阪哲朗&村川千秋指揮山形交響楽団「山響ライブ第1弾」(文字のみ)

2020年6月13日 山形テルサより配信

午後7時から、クラシック専門ストリーミング配信サービス「カーテンコール」で、山形交響楽団の「山響ライブ第1弾」を視聴。金管パート、木管パート、弦楽パートに分かれての三部構成による演奏である。

曲目は、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレ」、ブルックナーの「正しき者の唇は知恵を語る」、リンドバーガー編曲の「悪魔のギャロップ」と「セルからモースへの結婚行進曲」(以上、金管パート)、リヒャルト・シュトラウスのセレナード変ホ長調(木管パート)、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」とシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」(以上、弦楽パート)。弦楽パートの選曲は、3日前に行われた広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団の配信公演と完全に同じである。

指揮は山形交響楽団首席指揮者の阪哲朗。シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」のみ山形交響楽団創立名誉指揮者である87歳の村川千秋(男性)がタクトを執る。

3月にも山形交響楽団の配信を行ったカーテンコールであるが、3ヶ月の間に配信のための基盤がかなり整ってきているようで(そもそも本格的なサービス開始は今年の秋からであり、今はまだ試験段階である)、音声はハイレゾ配信となり、カメラも3台から6台に増えたそうである。


飯森範親による改革が成功して、「田舎のオーケストラ」というイメージを脱却し、日本を代表するアンサンブルへと成長した山形交響楽団。財政的には厳しいが、新たなる本拠地ホールが完成するなど、更なる飛躍のための足がかりが構築されつある。


まず、山形交響楽団が日本で初めて始めたというプレトークが、指揮者の阪哲朗と山形交響楽団専務理事の西濱秀樹によって行われる。


阪は全編ノンタクトでの指揮、キビキビとした推進力に富む音運びである。山形交響楽団も揃っての演奏は久しぶりのはずで、万全とはいえない部分もあるが、ある程度の精度の高さを維持していることが感じ取れる。

金管の音は輝かしく、ブルックナーの楽曲ではオルガン的な響きを見事に再現してみせる。リヒャルト・シュトラウスが17歳で完成させるという早熟振りを示したセレナード変ホ長調の木管による洒落っ気に飛んだ表現も優れている。


転換を兼ねた20分の休憩時間中に、阪哲朗と西濱秀樹が客席中央通路に出てのトークを行い、更に今日のための撮影された山形の名所案内映像が流れる。阪と女優の永池南津子が、天童市内の温泉旅館やさくらんぼ農園、山寺こと立石寺を訪ねるという内容(麓から立石寺を眺めるだけで上ることはなかった)である。


チャイコフスキーの「弦楽セレナード」。チェロ以外の弦楽奏者はオールスタンディングでの演奏である。ハイレゾであるためか、弦の人数が日フィルよりも多いためか、奏者間をさほど空けていないからか、もしくはその全てか、弦の表情の細やかさや音の広がりは山形交響楽団の方が優れているように感じられる。


村川千秋が指揮するシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」(ティンパニありのバージョン)。村川は指揮棒を持って指揮する。チェロとティンパニ奏者以外はやはり起立しての演奏。清澄な弦の音色が印象的な佳演であった。

演奏終了後、客席に山形交響楽団の管楽器メンバーが現れ、村川を拍手で讃えた。

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