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2025年2月11日 (火)

コンサートの記(886) 日本シベリウス協会創立40周年記念 シベリウス オペラ「塔の乙女」(日本初演。コンサート形式)ほか 新田ユリ指揮

2024年11月29日 東京都江東区の豊洲シビックセンターホールにて

東京へ。豊洲シビックセンターホールで、シベリウス唯一のオペラ「塔の乙女」の日本初演を聴くためである・
劇附随音楽などはいくつも書いているシベリウスであるが、オペラを手掛けているというイメージを持つ人はかなり少ないと思われる。「塔の乙女」はシベリウスがまだ若い頃に書かれたもので、初演後長い間封印されていた。1981年にようやく再演が行われたという。
実は、シベリウス同様にほとんどオペラのイメージのない指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ(実際には、「フィデリオ」やミュージカルになるが「ウエスト・サイド・ストーリー」などを指揮している)が「塔の乙女」を録音しており、これが最も手に入りやすい「塔の乙女」のCDとなっている。

 

豊洲シビックセンターは、江東区役所の特別出張所や文化センター、図書館などからなる複合施設で、2015年にオープン。ホールは5階にある。音楽イベントの開催なども多いようだが、音楽専用ではなく多目的ホールである。それほど大きくない空間なので、おそらく音響設計などもされていないだろう。ステージの背景はガラス張りになっていて、豊洲の街のビルディングが見えるが、遮蔽することも出来るようになっている。本番中は閉じて屋外の景色は見えにくくなっていた。

 

今回の演奏会は、日本シベリウス協会の創立40周年を記念して行われるものである。
オペラ「塔の乙女」は、上演時間40分弱であり、それだけでは有料公演としては短いので、前半に他のシベリウス作品も演奏される。

曲目は、第1部が、コンサート序曲、鈴木啓之のバリトンで「フリッガに」と「タイスへの賛歌」(いずれも小沼竜之編曲)、駒ヶ嶺ゆかりのメゾソプラノで「海辺のバルコニーで」(山田美穂編曲)と「アリオーソ」。第2部がオペラ「塔の乙女」(コンサート形式)である。スウェーデン語の歌唱であるが日本語字幕表示はなく、聴衆は無料パンフレットに掲載された歌詞対訳を見ながら聴くことになる(客席は暗くはならない)。

日本初演作品ということでチケットは完売御礼である。

 

指揮は、北欧音楽のスペシャリストで、日本シベリウス協会第3代会長の新田ユリ。彼女は日本・フィンランド新音楽協会の代表も務めている。

管弦楽団は創立40周年記念オーケストラという臨時編成のもの(コンサートミストレス・佐藤まどか)。第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがいずれも3、コントラバス2という小さい編成の楽団だが、「塔の乙女」初演時のオーケストラ編成はこれよりも1人少ないものだったそうである。

 

午後6時30分頃より、新田ユリによるプレトークがある。
シベリウスとオペラについてだが、シベリウスはベルリンやウィーンに留学していた時代にワーグナーにかぶれたことがあるそうで、「自分もあのようなオペラを書いてみたい」と思い立ち、「船の建造」という歌劇作品に取り組むことになったのだが、結局、筆が止まってしまい、未完。その素材を生かして「レンミンカイネン」組曲 が作曲された。「レンミンカイネン」組曲の中で最も有名な交響詩「トゥオネラの白鳥」は、元々は歌劇「船の建造」の序曲として書かれたものだという。
その後、ヘルシンキ・フィルハーモニー・ソサエティーからチャリティーコンサートの依頼を行けたシベリウスは、オペラ「塔の乙女」を完成させる。初演は、1896年11月7日。この時点ではシベリウスは「クレルヴォ」以外の交響曲を1曲も書いていない。指揮はシベリウス本人が行った。演奏会形式であったという。しかし、このオペラはシベリウスが半ば取り下げる形で封印してしまい、その後、1世紀近く知られざる曲となっていた。オペラにしては短いということと、シンプルなストーリー展開が作品の完成度を下げているということもあったのだろう。なお、台本はラファエル・ヘルツベリという人が書いており、先にも書いたとおりスウェーデン語作品である。これ以降、シベリウスは交響曲の作曲に本格的に取り組むようになり、オペラを書くことはなかった。
シベリウスはスウェーデン系フィンランド人で、母語はスウェーデン語である。当時のフィンランドはロシアの支配下にあったが、ロシア以前にはスウェーデンの領地であったことからスウェーデン系が上流階層を占めていた。ただ時代的には国民がフィンランド人としてのアイデンティティーを高めていた時期であり、シベリウスもフィンランド語の学校で学んでいる(ただ彼は夢想家で勉強は余り好きではなく、フィンランド語をスウェーデン語並みに操ることは終生出来なかった)。シベリウスの歌曲は多いが、大半はスウェーデン語の詩に旋律を付けたものであり、フィンランド語、英語、ドイツ語の歌曲などが少しずつある。

今日の1曲目として演奏されるコンサート序曲は、フィンランドの指揮者兼作曲家のトゥオマス・ハンニカイネンが、2018年に「塔の乙女」のスコアを研究しているうちに、矢印など意味ありげな記号を辿り、それが一つの楽曲になることを発見したもので、2021年に現代初演がなされている。1900年4月7日に、コンサート序曲が初演され、それが「塔の乙女」由来のものであることが分かっているのだが、総譜などは見つかっておらず、幻の楽曲となっていた。
一応、制約があり、2025年いっぱいまでは、トゥオマス・ハンニカイネンにのみ指揮する権利があるのだが、今回、日本シベリウス協会が「塔の乙女」の日本初演に合わせて演奏したいと申し出たところ特別に許可が下りたそうで、世界で2番目に演奏することが決まったという。

世界レベルで見るとシベリウス人気が高い国に分類される日本だが、それでも北欧音楽はドイツやフランスの音楽に比べるとマイナーである。ただ日本シベリウス協会の会員にはシベリウスや北欧の作品に熱心に取り組んでいる人が何人もいるため、オペラ作品なども上演可能になったそうである。

 

1曲目のコンサート序曲。日本初演である。創立40周年記念オーケストラは、チェロが客席寄りに来るアメリカ式の現代配置をベースにしている。楽団員のプロフィールが無料パンフレットに載っているが、日本シベリウス協会の会員も含まれている。現役のプロオーケストラの奏者や元プロのオーケストラ団員だった人もいれば、フリーの人もいる。有名奏者としては舘野泉の息子であるヤンネ舘野(山形交響楽団第2ヴァイオリン首席、ヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団コンサートマスター兼音楽監督)が第2ヴァイオリン首席として入っている。
コンサートミストレスの佐藤まどかは、東京藝術大学大学院博士後期課程を修了。シベリウスの研究で博士号を取得している。シベリウス国際ヴァイオリンコンクールでは3位に入っている。上野学園短期大学准教授(上野学園大学は廃校になったが短大は存続している)。日本シベリウス協会理事。
シベリウスがまだ自身の作風を確立する前の作品であり、グリーグに代表される他の北欧の作曲家などに似た雰囲気を湛えている。この頃のシベリウスはチャイコフスキーにも影響を受けているはずだが、この曲に関してはチャイコフスキー的要素はほとんど感じられない。後年のシベリウス作品に比べるとメロディー勝負という印象を受ける。

 

バリトンの鈴木啓之による「フリッガに」と「タイスへの賛歌」。神秘的な作風である。
鈴木啓之は、真宗大谷派の名古屋音楽大学声楽科および同大学大学院を修了。フィンランド・ヨーチェノ成人大学でディプロマを取得している。第8回大阪国際音楽コンクール声楽部門第3位(1位、2位該当なしで最高位)を得た。

 

駒ヶ嶺ゆかりによる「海辺のバルコニーで」と「アリオーソ」。神秘性や悲劇性を感じさせる歌詞で、メロディーも哀切である。
駒ヶ嶺ゆかりも、真宗大谷派の札幌大谷短期大学(音楽専攻がある)を卒業。同学研究科を修了。1998年から2001年までフィンランドに留学し、舘野泉らに師事した。東京でシベリウスの歌曲全曲演奏会を達成している。北海道二期会会員。

 

オペラ「塔の乙女」。合唱は東京混声合唱団が務める。
配役は、乙女に前川朋子(ソプラノ)、恋人に北嶋信也(テノール)、代官に鈴木啓之(バリトン)、城の奥方に駒ヶ嶺ゆかり(メゾソプラノ)。

前川朋子は、国立(くにたち)音楽大学声楽科卒業後、ドイツとイタリアに留学。フィンランドの歌曲に積極的に取り組んでいる。東京二期会、日本・フィンランド新音楽協会、日本シベリウス協会会員。

北嶋信也は、東海大学教養学部芸術学科音楽学課程卒業、同大学大学院芸術学研究科音響芸術専攻修了。二期会オペラ研修所マスタークラス修了時に優秀賞及び奨励賞を受賞。東海大学非常勤講師、二期会会員。
東海大学出身のクラシック音楽家は比較的珍しい。東海大学には北欧学科があり(元々は文学部北欧学科だったが、現在は文化社会学部北欧学科に改組されている)、言語以外の北欧を学べる日本唯一の大学となっている。ただ、そのことと今回の演奏会に出演していることに関係があるのかは分からない。

 

「塔の乙女」のあらすじ。
乙女が岸辺で花を摘んでいると、代官が現れ、娘をさらって塔に閉じ込めてしまう。乙女は嘆き、歌う。乙女が姿を消したことで彷徨っている恋人は乙女の歌声を耳にし、乙女が塔に閉じ込められていることを知る。代官と恋人の一騎打ちになろうとしたところで城の奥方が現れ(代官は偉そうに見えるが、身分としては城の奥方の方が上である)、乙女を解放した上で代官を捕縛するよう家臣に命じる。かくて乙女と恋人はハッピーエンド、という余りにも単純なストーリーである。一種のメルヘンであるが、代官がなぜそれほど乙女に惚れ込むのか、恋人と乙女はそれまでどういう関係だったのかなど、細部についてはよく分からないことになっている。
本格的なオペラというよりも余興のような作品として台本が書かれ、作曲が行われたということもあるだろう。
このテキストだと確かに受けないだろうなとは思う。見方を変えて、これは若き芸術の内面を描いたものであり、芸術家の中に眠っている才能を葛藤を経ながら自らの手で発掘していく話として見ると多少は面白く感じられるかも知れない。演奏会形式でしか上演されたことはないようだが、いわゆるオペラとして上演する時には演出を工夫してそういう見方が出来ても良いようにするのも一つの手だろう。
出来れば字幕付きでの上演が良かったのだが、それでも楽しむことは出来た。
シベリウスの音楽は抒情美があり、ピッチカートが心の高鳴りを表すなど、心理描写にも秀でている。ストーリーに弱さがあるため、今後も単独での上演は難しいかも知れないが、他の短編もしくは中編オペラと組み合わせての上演なら行える可能性はある。

今日は前から2番目の席ということもあり、歌手達の声量ある歌声を存分に楽しむことが出来た。

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2024年6月 9日 (日)

コンサートの記(847) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第578回定期演奏会

2024年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第578回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調(ピアノ独奏:アンヌ・ケフェレック)、シベリウスの組曲「レンミンカイネン」

今日のコンサートマスターは崔洙珠。ドイツ式の現代配置での演奏である。


モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調。モーツァルトが書いた多くのピアノ協奏曲の中でたった2曲の短調による作品の1曲で、デモーニッシュとも呼ばれる響きや、第2楽章の典雅さなどが有名である。

フランスの女流ピアニストを代表する存在であるアンヌ・ケフェレック。親日家であり、来日も多い。フランス発の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」の日本公演に何度も参加しており、以前はびわ湖ホールで行われていた「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」(その後、独立して「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」を経て「びわ湖の春 音楽祭」となる)にも2016年に出演しており、中ホールで、ドビュッシー、ケクラン、ラヴェルといったお国ものとリスト作品を弾いている。
パリ生まれ。パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール・ドゥ・パリ)ピアノ科を首席で卒業。パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、アルフレッド・ブレンデルといった名ピアニストに師事。1968年のミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ武門で優勝。翌年にはリーズ国際ピアノコンクールで入賞している。
1990年にはヴィクトワール・ドゥ・ラ・ムジークの年間最優秀演奏家賞を受賞。最新録音は今日演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、伴奏は京都市交響楽団への客演でお馴染みのリオ・クオクマン指揮するパリ室内管弦楽団が務めている。
なお、名画「アマデウス」のサウンドトラックでは、音楽監督を務めたサー・ネヴィル・マリナー指揮するアカデミー室内管弦楽団と共にピアノ協奏曲の演奏を手掛けており、ラストで流れるピアノ協奏曲第20番第2楽章のピアノもケフェレックの演奏だと思われる。

大フィルは第1ヴァイオリン10型の小さめの編成での演奏。フェスティバルホールは空間が大きいが、音の通りに不満はない。尾高の指揮による伴奏は端正だが、その一方で、闇、痛み、孤独、焦燥、毒といったものに欠けた印象があり、綺麗に過ぎるのが物足りない。その分、第2楽章は端麗そのものだった。解釈云々の問題ではなく尾高の音楽性に寄るところが大きいのだろう。
ケフェレックのピアノは尾高とは対照的に内容重視。まろやかな音の背後に痛切な寂寥感が湛えられており、モーツァルトの声に出せない叫びのようなものを感じる。第2楽章も単に美しいだけでなく、歯を見せてにっこりしてはいるが寂しげな表情が見えるかのよう。第3楽章の切迫感も胸に迫るものがある。
音楽性に隔たりが感じられ、ケフェレックと尾高の相性は余り良くないように思われた。

ケフェレックのアンコール演奏は、ヘンデル作曲、ヴィルヘルム・ケンプ編曲の「メヌエット ト短調」。たおやかで煌びやかで寂寞感に溢れた音楽が流れていく。


シベリウスの組曲「レンミンカイネン」。フィンランドの長編叙事詩『カレワラ』に登場する女好きの英雄、レンミンカイネンを題材にした交響詩をまとめたものである。元々はレンミンカイネンを主人公にした「船の建造」というオペラを構想していたシベリウスだが、筆は進まず、結局、オペラの作曲を断念。オペラのための素材をレンミンカイネンを題材にした交響詩へと転用したようだ。オペラのイメージが薄いシベリウスだが、「塔の乙女」というスウェーデン語の短いオペラを1曲だけ完成させており、面白いことにこれまたオペラのイメージが薄いパーヴォ・ヤルヴィが指揮して録音を行っている。

組曲「レンミンカイネン」であるが、最初から組曲として書かれた訳ではなく、4つのバラバラの交響詩として作曲され、後に改定を経て組曲としてまとめられた。

シベリウスを十八番としている尾高忠明。BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者をしていた時代に英国で人気のシベリウスを多く指揮する機会があり、日本でもシベリウスは人気ということで、札幌交響楽団の音楽監督時代には、札幌と東京でそれぞれシベリウス交響曲チクルスを行っており、ライブ録音による「シベリウス交響曲全集」も完成させていて評価も高い。
余談であるが、高校の後輩である広上淳一が一時期、尾高の影響でシベリウス作品に熱心に取り組んでいたが、最近はたまにしか指揮していないようである。
尾高は、今から31年前の1993年に大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で組曲「レンミンカイネン」を取り上げたことがあるそうで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏が行っているプレトークサロンによると、「31年前より大分上手くなった」と尾高は語っていたそうだが、「まだ分からない奴がいる」ということで、手厳しく指示するバチバチのリハーサルとなったそうで、尾高は「今日で大分嫌われちゃったかなあ」と話していたそうである。
大阪フィルでシベリウス交響曲チクルスを行うという話も尾高の音楽監督就任時から出ているそうだが、「集客の問題」で実現していないそうだ。関西にはもう一人、藤岡幸夫という渡邉暁雄直系のシベリウスのスペシャリストがおり、藤岡は関西フィルハーモニー管弦楽団を指揮して1年1曲7年掛けるシベリウス交響曲チクルスを完成させていて、ライブ録音による「シベリウス交響曲全集」もリリース。大阪のシベリウス好きも満足したはずである。日本で人気のシベリウスとはいえドイツ系の作曲家の人気とは比べものにならず、関西フィルが手掛けた後で大フィルがやっても大阪の聴衆がついてきてくれるかということだろう。実際、今日も空席は目立つ。

組曲「レンミンカイネン」であるが、「レンミンカイネンと島の娘たち」「トゥオネラの白鳥」「トゥオネラのレンミンカイネン」「レンミンカイネンの帰郷」の4曲からなる。
この中では、「トゥオネラの白鳥」が飛び抜けて有名で、単独で演奏会のプログラムに載ったり、録音されていたりする。イングリッシュ・ホルンの活躍が印象的な曲である。

「レンミンカイネンと島の娘たち」。大フィルの弦には神秘性と透明感と深遠さが宿り、空から降ってくるような管の抜けも良く、時折、大地が鳴動するような音がする。娘たちとの舞曲だけに華やかでリズミカル。愉悦感にも富む。

「トゥオネラの白鳥」。黄泉の国トゥオネラの川に浮かぶ白鳥を描いた作品である。黄泉の国が題材だけにこの世ならぬ響きが特徴。大フィルの音の瑞々しさが印象的である。イングリッシュ・ホルンのソロを吹く大島弥州夫(宮本文昭が出演したJTのCMを見てオーボイストを志したらしい)は無料パンフレットにもインタビューが載っているが、丁寧な演奏を聴かせた。

「トゥオネラのレンミンカイネン」も黄泉の国の音楽ということで霊感に満ちつつ仄暗い響きで曲は進むが、途中で明るさが増し、快活な曲調となる。尾高と大フィルの明るめの音がプラスに出ている。

「レンミンカイネンの帰郷」。管楽器が英雄的な旋律を奏で、シベリウスらしい透明感と、自然と人間の調和した響きが鳴り渡り、ドラマティックな展開を経て終わる。大フィルは響きに威力があり、尾高による音の設計と推進力も万全である。

4つの音楽からなるということで、交響曲に例える向きもあるかも知れないが、やはりこれは交響詩の連作という印象を受ける。深遠さや雄大さ、叙情味など共通点を持ちつつ曲の方向性と性格が異なるためで、4つの曲を通して楽しむというよりも別個の個性を楽しんだ方が楽曲の本質に近づけるように思われる。

尾高とシベリウスの相性の良さを再確認した演奏会であった。

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2024年4月27日 (土)

コンサートの記(841) 第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」

2024年4月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」を聴く。関西に本拠地を置く6つのプロコンサートオーケストラが一堂に会するイベント。

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これまでは、大阪府内に本拠地を置く4つのオーケストラ(4オケ)の共演や合同演奏会を行ってきたのだが、今回は関西全域にまでエリアを拡大し、兵庫と京都から1つずつオーケストラが加わった。日本オーケストラ連盟の正会員となっている関西のオーケストラはこれで全てである。

以前、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長(現・事務局長)の福山修氏が大フィルの定期演奏会の前に行われるプレトークサロンで、6オケ共演の構想を話していたのだが、その時点では、「上演時間が長すぎる」というので保留となっていた。それが今日ようやく実現した。
ちなみに午後1時から午後6時過ぎまでの長丁場である。

出演順に参加楽団と演奏曲目を挙げていくと、山下一史指揮大阪交響楽団がリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団がエルガーのエニグマ変奏曲、下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)がアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」とベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団がシベリウスの交響曲第5番、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団がドビュッシーの3つの交響的素描「海」、沖澤のどか指揮京都市交響楽団がプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。


トップバッターの大阪交響楽団は、大阪のプロコンサートオーケストラの中では2番目に若い存在で、本拠地は大阪府堺市に置いている。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホールであるが、堺市に新たな文化拠点であるフェニーチェ堺が出来たため、そちらでの公演も始めている。結成当初は大阪シンフォニカーと名乗っており、「シンフォニカー」はドイツ語で「交響楽団」を表す言葉であるが、シンフォニカーという言葉が日本に浸透しておらず、営業に行っても「カー」がつくので車の会社だと勘違いされたりしたため、大阪シンフォニカー交響楽団に改名。しかし、意味で考えると大阪交響楽団交響楽団となる名称に疑問の声も上がり、「なぜ大阪交響楽団じゃいけないの?」という話が各地で起こっていたということもあって、大阪交響楽団に改名して今に至っている。


今回出演するオーケストラの中で一番歴史が長いのが「大フィル」の略称でお馴染みの大阪フィルハーモニー交響楽団である。1947年に朝比奈隆を中心に関西交響楽団の名で結成。戦後の復興を音楽の面から支え続けたという歴史を持つ。1960年に、NHK大阪放送局(JOBK)が持っていた「大阪フィルハーモニー」の商標を朝比奈隆が買い取り、大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期演奏会の回数も1から数え直している。
朝比奈隆とは半世紀以上に渡ってコンビを組み、ブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽で強さを発揮してきた。京都帝国大学を2度出ている朝比奈隆の京大時代の友人が南海電鉄の重役になった縁で、西成区岸里(きしのさと)の南海の工場跡に大阪フィルハーモニー会館を建てて本拠地とし、練習場も扇町プールから移転している。
フェスティバルホールを定期演奏会場にしている唯一のプロオーケストラである。


兵庫芸術文化センター管弦楽団は、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターの座付きオーケストラとして2005年に創設された、今回登場するオーケストラの中で一番若い楽団である。しかも日本唯一の育成型オーケストラであり、楽団員は最長3年までの任期制で、その間に各自進路を決める必要がある。オーディションは毎年、世界各地で行われており、外国人のメンバーが多いのも特徴。愛称のPACオーケストラのPACは、「Performing Arts Center」の略である。結成以来、佐渡裕が芸術監督を務めている。毎年夏に、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる佐渡裕芸術監督プロデュースオペラのピットに入るオーケストラである。


関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年に大阪フィルと決別した指揮者の宇宿允人(うすき・まさと)により弦楽アンサンブルのヴィエール室内合奏団として誕生。その後、管楽器を加えたヴィエール・フィルハーモニックを経て、1982年に関西フィルハーモニー管弦楽団に改称。事務所と練習場は大阪市港区弁天町にあったが、2021年にパナソニックの企業城下町として知られる大阪府門真市に本拠地を移転している。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールで、京都府城陽市や東大阪市などでも定期的に演奏会を行っている。


日本センチュリー交響楽団は、大阪センチュリー交響楽団の名で大阪府所管の大阪文化振興財団のオーケストラとして1989年に創設。大阪の参加楽団の中で最も若い。大阪府をバックとするオーケストラで、最初から良い人材が集まり、人気も評判も上々だったが、維新府政が始まると状況は一変。補助金がカットされ、楽団は大阪府から離れて日本センチュリー交響楽団と改称して演奏を続けている。中編成のオーケストラであり、小回りが利くのが特徴。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールだが、大阪府豊中市を本拠地としていることもあり、新しく出来た豊中市立文化芸術センターでも豊中名曲シリーズを行っている。


京都市交響楽団は、1956年創設の公立公営オーケストラ。以前は京都市直営だったが、今は外郭団体の運営に移行している。結成当初は編成も小さく、それでも演奏出来るモーツァルト作品の演奏に磨きをかけていたことから「モーツァルトの京響」と呼ばれた。音響の悪い京都会館第1ホールを定期演奏会場とするハンデを負っていたが、1995年に京都コンサートホールが開場し、そちらに定期演奏会場を移している。近年は京都会館を建て直したロームシアター京都での演奏も増えているほか、公営オーケストラということで、京都市内各地の市営文化会館での仕事もこなす。地方公演にも積極的で、大阪公演、名古屋公演も毎年行っている。
初期は常任指揮者を2、3年でコロコロと変えていたが、井上道義が第9代常任指揮者兼音楽監督として長期政権を担った頃から方針が変わり、第12代と第13代の常任指揮者を務めた広上淳一は人気、評価共に高く、計14年の長きに渡って君臨した。


正午開場で、12時40分頃から、指揮者全員出演によるプレトークがある。司会進行は朝日放送アナウンサーの堀江政生が務める。なお、指揮者のトークの時間は撮影可となっている。

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まず、大阪交響楽団(大響)の常任指揮者である山下一史から。山下は現在、大響常任指揮者の他に、千葉交響楽団と愛知室内オーケストラの音楽監督を兼任しており、東大阪で3楽団合同の演奏会も行っている。いずれも経営の厳しいオーケストラばかりだが、N響や都響、京響のような経済的に恵まれた楽団に関わるよりも危機を乗り越えることに生き甲斐を見出すタイプなのかも知れない。桐朋学園大学を経て、ベルリン芸術大学に進み、ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントとなり、カラヤンが急病になった際には、急遽の代役としてジーンズ姿でベルリン・フィルの指揮台に立ったという伝説がある(誇張されてはいるらしい)。
大阪交響楽団はこれまで、ミュージックアドバイザーや名誉指揮者を務めていた外山雄三が4オケの共演で指揮を担ってきたが、その外山が昨年死去。作曲家でもあった外山は多くの作品を残しており、オール外山作品の演奏会を今月行うことを山下は宣伝していた。


尾高忠明。大阪フィルの第3代音楽監督のほかに、NHK交響楽団の正指揮者を務める。海外での経験も多く、イギリスのBBCウェールズ交響楽団の首席指揮者として多くのレコーディングを行ったほか、オーストラリアのメルボルン交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、読売日本交響楽団名誉客演指揮者、札幌交響楽団名誉音楽監督、紀尾井シンフォニエッタ東京(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)桂冠名誉指揮者など名誉称号も多く、日本指揮者界の重鎮的存在である。

尾高は、オーケストラが6つに増えたことについて、「来年は8つになるんじゃないか」と述べる。関西には日本オーケストラ連盟準会員の楽団として、オペラハウスの座付きだがザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪府豊中市)、定期演奏会は少ないが奈良フィルハーモニー管弦楽団(奈良県大和郡山市)、歴史は浅いがアマービレフィルハーモニー管弦弦楽団(大阪府茨木市)、いずれも室内管弦楽団だが、テレマン室内オーケストラ(大阪市)、京都フィルハーモニー室内合奏団、神戸室内管弦団などがあり、反田恭平が組織したジャパン・ナショナル・オーケストラも大和郡山市を本拠地とするなど、プロ楽団は多い。
今日演奏するのはエルガーのエニグマ変奏曲だが、尾高はイギリスに行くまでエルガーが嫌いだったそうで、エニグマ変奏曲を勉強したことで好きに変わっていったそうだ。今では尾高といえばエルガー演奏の大家。変われば変わるものである。


今回の演奏会ではどのオーケストラも、楽団のシェフか重要なポストを得ている指揮者が指揮台に立つが、下野竜也は兵庫芸術センター管弦楽団のポストは得ていない。ということで、「本当は、(芸術監督の)佐渡裕がここにいなきゃいけないんですが」と下野は述べ、「どうしても予定が合わないということで、『毎年のように客演してるんだからお前が行け』ということで」指揮を引き受けたそうである。今年の3月で広島交響楽団の音楽総監督を勇退し、今はNHK交響楽団の正指揮者として活躍する下野。元々、NHKの顔である大河ドラマのオープニングテーマを毎年のように指揮して、N響との関係は良好だった。
NHK交響楽団の正指揮者は現在は、下野と尾高の二人だけであり、二人ともに同一コンサートの指揮台に立つことになる。
鹿児島生まれの下野竜也は、子どもの頃から音楽にいそしむ環境にあったわけではなく、音楽に接したのは中学校の吹奏楽部に入部した時から。大学も音大ではなく鹿児島大学教育学部音楽科に進み音楽の先生になるつもりだったが、指揮者になるという夢が捨てられず、卒業後に上京して桐朋学園の指揮者教室に通い、指揮者としてのキャリアをスタートさせている。朝比奈隆の下で、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮研究員をしていたこともあり、大阪でのキャリアも豊富である。
エストニアの現役の作曲家であるアルヴォ・ペルトが作曲した「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」は、イギリスの天才作曲家であるブリテンの追悼曲として書かれたもので、続いてブリテン本人が作曲した曲が続く。合間なしに演奏することを下野は告げた。


昨年の夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校出身の藤岡幸夫。慶應には中学から大学まで通っており、その間、シベリウス演奏の世界的権威であった渡邉暁雄に師事している。慶大卒業後にイギリスに渡り、英国立ノーザン音楽大学指揮科に入学して卒業。その後、15年ほどイギリスを活動の拠点としてきたが、今は日本に帰っている。関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を25年に渡って務め、現在は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者でもある。BSテレ東で放送中の「エンター・ザ・ミュージック」の司会(ナビゲーター)としてもクラシックファンにはお馴染みで、同番組のオープニングで語られる言葉をタイトルにした『音楽はお好きですか?』という著書も続編と合わせて2冊上梓している。

シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も好きな曲だそうで、第1楽章のラストの「喜びの狂気」や「16羽の白鳥が銀のリングに見えた」というシベリウス本人の体験を交えつつ、「生きる喜び」を描いたこの楽曲の魅力や性質について語った。


神奈川県葉山町出身の飯森範親。公立高校の普通科から私立音大に進学という指揮者としては珍しいタイプである。高校時代には葉山町出身の先輩である尾高忠明に師事。桐朋学園大学指揮科に進んでいる。公立高校普通科出身で桐朋学園の指揮科に入ったのは飯森が初めてではないかと言われている。東京交響楽団正指揮者、ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦弦楽団の音楽監督を経て、現在は日本センチュリー交響楽団の首席指揮者のほかに、パシフィックフィルハーモニア東京の音楽監督、群馬交響楽団常任指揮者、山形交響楽団桂冠指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、東京佼成ウインドオーケストラの首席客演指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者など多くのポジションに着いて多忙である。山形交響楽団の常任指揮者時代にアイデアマンとしての才能を発揮。「田舎のオーケストラ」というイメージだった山形交響楽団を「食と温泉の国のオーケストラ」として売り出し、映画「おくりびと」に山形交響楽団のメンバーと共に出演したり、ラ・フランスジュースをプロデュースしたりとあらゆる戦術で山形交響楽団をアピール。定期演奏会の会場を音響は優れているがキャパの少ない山形テルサに変え、その代わり1演目2回公演にするなど演奏回数増加とアンサンブル向上に寄与し、今や山形交響楽団はブランドオーケストラである。山形交響楽団とは「モーツァルト交響曲全集」を作成するなどレコーディングにも積極的である。現在、日本センチュリー交響楽団とは、「ハイドン・マラソン」という演奏会を継続しており、ハイドンの交響曲全曲録音が間近である。
自称であるが、演奏会前に指揮者が行うプレトークを最初に実施したのは飯森だそうである。山形交響楽団の常任指揮者時代だそうだ。

飯森は、藤岡の楽曲解説が長いのではないかと指摘するが、飯森の解説も長く、藤岡は隣にいた下野に何か囁いていた。
ドビュッシーの「海」は、飯森の亡くなった母が好きだった曲だそうで、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏による「海」(EMI)を愛聴していたそうである。飯森は別荘地としても有名な葉山町出身であるため相模湾が身近な存在であり、葉山の海とドビュッシーの「海」には似たところがあるそうだ。現在、大阪中之島美術館ではモネの展覧会をやっているが、印象派のモネとドビュッシーには共通点があることなどを述べていた。


ラストは、沖澤のどか。京都市交響楽団の第14代常任指揮者で、京響初の女性常任指揮者である。青森県生まれ。東京藝術大学と同大学院で尾高忠明、高関健らに師事。パーヴォ・ヤルヴィや広上淳一、下野竜也のマスタークラスでも学んだ。2007年の第19回アフィニス夏の音楽祭では下野竜也の指導の下、指揮研究員として在籍する。芸大在学中には井上道義に誘われてオーケストラ・アンサンブル金沢の指揮研究員として籍を置いていたこともある。芸大大学院修士課程修了後に渡独してハンス・アイスラー音楽大学ベルリン・オーケストラ指揮専攻修士課程を修了。2019年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、東京国際音楽コンクール指揮部門でも1位獲得。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーに学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコの助手も務めた。現在もベルリン在住である。
今回の出演者の中では飛び抜けて若い(二番目に若い下野の弟子という関係である)が、京響の常任指揮者には兼任しないことを条件に選ばれている。その後、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの首席客演指揮者に就任しているが、夏の短期の音楽祭なので支障はないのだろう。
沖澤は、他の指揮者が話しなれていることに驚くが、藤岡は音楽番組の司会を務めているし、飯森はプレトークの先駆者、下野も京都と広島でトークを入れた子ども向けの音楽会シリーズを行っており、尾高もトーク入りのコンサートをよく開いている。
京都市交響楽団も定期演奏会の前にはプレトークを行っているが、沖澤が出演したのは4回ほど。トーク力が必要なオーケストラ・ディスカバリーというシリーズにも1回しか出演していない。
沖澤は、「ラスト」ということでラストに来るのは「死」という発想から死で終わる「ロメオとジュリエット」を選んだという話をした。また客席には「京都に来て下さい」とアピールした。


山下一史指揮大阪交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲。
コンサートマスターは森下幸路。なお今日は、兵庫芸術文化センター管弦楽団と関西フィルハーモニー管弦楽団がチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏。その他はドイツ式の現代配置での演奏である。

大阪交響楽団は、重厚さが売りの大阪フィルや、音の密度の濃さで勝負するセンチュリー響とは違い、大阪のオーケストラの中ではあっさりとした味わいのアンサンブルが特徴であり、庶民的な響きとも言えたが、今回の「ばらの騎士」組曲では音が煌びやか且つしなやかで、以前とは別のアンサンブルに変貌したような印象を受ける。ここ数年、オペラ以外で大響の演奏は聴いていなかったのだが、児玉宏時代に様々な隠れた名曲の演奏、外山雄三時代に将来有望な若手指揮者の登用という他のオーケストラとは異なる路線を歩んだのがプラスになっているのかも知れない。
譜面台を置かず、ノンタクトにより暗譜で指揮した山下のオーケストラ捌きも見事だった。

演奏終了後にも外山雄三作品の演奏会をアピールした山下。トップバッターを務めることについては、「その後の演奏をずっと聴いていられる」というメリットを挙げた。その後に抽選会があり、くじ引きが行われて当選者には今後行われるコンサートのチケットが当たった。
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尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるエルガーのエニグマ変奏曲。コンサートマスターは須山暢大。
大阪フィルは他のオーケストラと比べて低弦部の音が明らかに太く大きい。朝比奈以来の伝統が今に息づいていることが分かる。他のオーケストラは摩天楼型だが、大フィルだけはピラミッド型のバランスである。
音に奥行きと深みがあり、これは大阪交響楽団からは感じられなかったものである。イギリスで活躍した尾高ならではの紳士の音楽が空間に刻まれていく。優雅なだけではない渋みにも溢れた音楽だ。

終演後のトーク。6つのオーケストラの共演を、これまでの4つオーケストラの共演と比べて、「短い曲が選ばれるので仕事としては楽になった」と尾高は述べる。階級社会であるイギリスにおいて、エルガーが労働者階級出身(楽器商の息子)で、上流階級の女性と結婚しようとして相手の両親から猛反対されたという話もしていた。
大フィルに関しては上手くなったと褒め称えていた。
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下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団。コンサートマスターはゲストの田野倉雅秋。
サックスの客演奏者として、京都を拠点にソロで活躍している福田彩乃の名前が見える。
エストニアの作曲家であるアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」。エストニア出身の名指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィがよく取り上げることでも知られる。強烈なヒーリング効果を持つ曲調を特徴とするが、あるいはペルトの音楽はライブよりも録音で聴いた方が効果的かも知れない。
間を置かずにベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムが演奏される。200年以上に渡って「作曲家のいない国」などとドイツ語圏などから揶揄されてきたイギリスが久々に生んだ天才作曲家のベンジャミン・ブリテン。指揮者としても活躍し、自作のみならず他のクラシック作品の指揮も手掛けている。指揮者としてもかなり有能である。
シンフォニア・ダ・レクイエムは、大日本帝国政府から皇紀2600年(1940年)奉祝曲として各国の有名作曲家に依頼して書かれた曲の一つであるが、タイトルにレクイエムが入っていたため、「祝いの曲にレクイエムとは何事か」と政府から拒否され、演奏もされなかった。1956年になってようやくブリテン自身の指揮でNHK交響楽団により日本初演が行われている。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年までと在籍期間の短い奏者によって構成され、メンバーも次々に入れ替わるため、独自のカラーが生まれにくい。その分、指揮者の特性が出やすいともいえる。
若い奏者が多いからか、下野はいつもに比べてオーバーアクション。鋭い分析力を駆使して楽曲に切り込んでいく。各楽器の分離が良く、解像度が高くて音が細部まで腑分けされていく。オケを引っ張る力もなかなかだ。

演奏終了後のトークで、下野は、基本的にソリスト志望の人が多く集まっているため、最初はまとまりがなかったというような話をする。PACオーケストラは多くのオーケストラに人材を供給しており、京都市交響楽団でいえば首席トランペットのハラルド・ナエス、NHK交響楽団では首席オーボエの吉村結実が有名である。
「関西6オケ!」については下野は、「関西でしか出来ない企画」と述べる。東京にはプロコンサートオーケストラが主なものだけでも9つ。関東地方には埼玉県と栃木県を除く全県にプロのオーケストラ(非常設含む)があり、それぞれが忙しいということで一堂に会するのは無理である。
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藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団。コンサートマスターは客演の木村悦子。
日本とフィンランドのハーフで、シベリウスの世界的な権威として知られた渡邉暁雄の最後の愛弟子である藤岡幸夫。自身もシベリウスを得意としており、たびたびコンサートで取り上げ、関西フィルで1年に1曲7年掛けるというシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音が行われて「シベリウス交響曲全集」としてリリースされている。

喉に腫瘍が見つかり、手術を受けたシベリウス。腫瘍は陽性だったが、死を意識したシベリウスはその時の感情をそのまま曲にしたような交響曲第4番を発表。初演時には、「会場に曲を理解出来た人が一人もいなかった」と言われるほどだったが、自身の生誕50年を祝う演奏会のために書かれた交響曲第5番は一転して明るさに溢れた作品となった。初演は成功したが、シベリウス本人は出来に納得せず、大幅な改訂を実行。4楽章あった曲を3楽章にするなど構造をも変更する改作となった。そうして生まれた改訂版が現在、シベリウスの交響曲第5番として聴かれているものである。ちなみに初版はオスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団によって録音され、聴くことが出来る。

藤岡指揮の関西フィルは雰囲気作りが上手く、音に透明感があり、威力にも欠けていない。曲目によっては非力を感じさせることもある関西フィルだが、シベリウスの楽曲に関しては力強さはそれほど必要ではない。疾走感や神秘性なども適切に表現出来ていた。
藤岡は細部まで丁寧な音楽作り。奇をてらうことなくシベリウスの音楽を全身全霊で表現していた。
シベリウス作品は基本的に内省的であると同時にノーブルであるが、それがイギリスや日本で人気がある理由なのかも知れない。

東京生まれである藤岡(学者の家系である)は、東京は情報は多いが、文化度は大阪が上という話をされたと語る。日本初のクラシック音楽専用ホールは、大阪のザ・シンフォニーホール(1982年竣工)で、サントリーホール(1986年竣工)より先という話をする。その他の文化を見ても宝塚歌劇団があり、高校野球の聖地は甲子園で高校ラグビーは花園(東大阪市)と全て関西にあると例を挙げていた。
ちなみに日本初の本格的な音楽対応ホールも1958年竣工の旧フェスティバルホールで、東京文化会館がオープンするのはその2年後である。
なお、司会の堀江の息子である堀江恵太は関西フィルのアシスタント・コンサートマスターだそうで、今日は降り番で家で休んでいるという。
首席指揮者は、普通は1シーズンに20回ほど指揮台に立つが、藤岡の場合はその倍の40回は指揮しているそうで、共演回数は1000回を超えている可能性があるらしい。
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飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団によるドビュッシーの3つ交響的素描「海」。コンサートマスターは松浦奈々。フォアシュピーラー(アシスタントコンサートマスター)に田中佑子。飯森は譜面台を置かず暗譜での指揮である。バトンテクニックはかなり高い。
現在では管弦楽曲として屈指の人気を誇る曲だが、ドビュッシーが恋愛絡みで事件を起こした時期に発表されたものであり、そのせいで初演が成功しなかったことでも知られている。
日本センチュリー響はくっきりとした輪郭の響きを生む。たまにある曖昧さを抱えたドビュッシーではなく全てがクリアだ。音にキレがあり、スケールも大きすぎず小さすぎず中庸を行く。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による太洋を思わせるような名演奏があるが、それとは正反対の性格で、日本なら太平洋よりも日本海、イギリスなら北海といったような北の地方の海を連想させるような響きである。
音の密度の濃さは相変わらず感じられ、それが長所なのだが、「海」に関しては音の広がりがもう少し欲しくなる。

演奏終了後、飯森はホルンの新入りである鎌田渓志を呼ぶ。鎌田は鎌倉にある神奈川県立七里ヶ浜高校出身であるが、司会進行の堀江政生もまた七里ヶ浜高校出身で先輩後輩になるという話であった。
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沖澤のどか指揮京都市交響楽団によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。第2組曲を中心とした選曲である。コンサートマスターは泉原隆志。尾﨑平は降り番で、フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の岩谷弦が入る。
京都市交響楽団の音のパレットはどの楽団よりも豊かで、様々な表情に最適の音色を生み出すことが出来る。
「モンタギュー家とキャピュレット家」のブラスの威力と弦の厳格な表情、「少女ジュリエット」の楚々とした可憐さなどは同じ楽団が出している音とは思えないほど違う。
沖澤の指揮は女性らしく柔らかだが、出てくる音も威圧的ではなく、優しさや悲しみが自然に宿っている。「タイボルトの死」も迫力はあるが暴力的にはならない。「僧ローレンス」の慈しみに満ちた表情と音のグラデーションも理想的である。終曲である「ジュリエットの墓の前のロメオ」も鮮度と純度の高い音が空間を自然に満たしていく。感動の押し売り的なところは微塵もない。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はバレエ音楽の最高傑作だけに全曲盤、組曲盤、抜粋盤含めて名録音は多いが(ロリン・マゼール盤、ヴァレリー・ゲルギエフの2種類の録音、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ盤、チョン・ミョンフン盤など)、1つだけ、今日の演奏に似た音盤がある。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の抜粋盤(DECCA)で、美音を追求した演奏であり、ドラマ性重視の他の演奏に比べて異色だが、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の一つの神髄を突いた名盤である。私がデュトワ指揮の「ロメオとジュリエット」のCDを買ったのは高校生の頃だが、初めて聴いた時のことを懐かしく思い出した。

演奏終了後のトークで、堀江から「青森生まれで東京で学んだとなると関西には余り縁がないんじゃないですか」と聞かれた沖澤は、「修学旅行で京都に来ただけ。お上りさん」と答え、関西では「歩いているとよく話しかけられる」と文化の違いを口にしていた。今日、会場に来るときも「美術館どこですか?」と聞かれ、一緒に行ってそれから戻ってきたそうである。
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抽選であるが、当選した席は私の席のすぐ後ろ。だが、誰もいない。後ろにいた人が「帰った!」と言い、堀江も「帰った?」と呆れたように繰り返す。結局、無効となり、堀江が「帰るなよ、帰るなよ」とつぶやく中、再度くじが引かれた。

最後はこの公演に関わったスタッフ全員がステージ最前列に呼ばれ、拍手を受けていた。

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2022年12月 4日 (日)

コンサートの記(817) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「交響曲No.1」@兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

2022年11月13日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサート「交響曲№1」を聴く。

「作曲家が最初に作曲した交響曲の中で最も完成度が高いのは誰のものか?」という話題がたまにネット上で話題になることがあるが、今回はその「完成度の高い交響曲」の最右翼候補であるシベリウスの交響曲第1番とブラームスの交響曲第1番が並ぶという意欲的なプログラムである。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の川又明日香が入る。KOBELCO大ホールを本拠地としている兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)からは、6月まで在籍していたオーボエの上品綾香や、トランペットのガイルス彩乃(ハーフではなく、東京都交響楽団のトロンボーン奏者であるザッカリー・ガイルスの奥さん)らが客演として参加する。なお、大フィル首席コントラバス奏者のサイモン・ポレジャノフはPACオーケストラの出身であり、今度兵庫県立芸術文化センターで凱旋となるリサイタルを行う予定だそうである。


後にショスタコーヴィチと共に「ベートーヴェン以降最大のシンフォニスト」と呼ばれることになるジャン・シベリウスの最初の交響曲は彼が33歳の時に初演された。ティンパニのロールの上にクラリネットが孤独なモノローグをつぶやき、やがて弦の響きが巨大なうねりとなって広がっていく。

現在の日本においてシベリウス演奏の大家とも言える存在である尾高忠明。札幌交響楽団と「シベリウス交響曲全集」を完成させており、極めて高い水準を示していたが、今日も大フィルから澄んだ涼しげな音色を引き出す。
スケールの大きさ、寂寥感などの表出にも長けており、ティンパニの強打も印象的である。木管楽器のくっきりとした響きなどもシベリウスの優れた肖像を描き出す。


ブラームスの交響曲第1番は、おそらく交響曲第1番の中では最も有名な作品であり、個人的にもコンサートで最も多く接した楽曲である。
20代前半で交響曲の着想を得たブラームスであるが、慎重に慎重を重ね、43歳の時に交響曲第1版を完成させた。実に20年以上の歳月を掛けている(上には上がいて、バラキレフは交響曲第1番を完成させるのに30年以上の歳月を要した)。その間に別の交響曲の着想も得ていたが、結局、交響曲として完成させることが出来ず、他のジャンルの曲に転用している。

尾高は冒頭の悲劇性を強調せず、流れの良い音楽を築く。その後に音楽は白熱して行くわけだが、尾高は熱よりもアンサンブルの構築を重視。「流麗」とも呼べる弦の響きが印象的である。
ロマンティシズムの表出に長けた第2楽章と第3楽章を経て第4楽章も流れの良い音像を浮かび上がらせる。ベートーヴェンの「第九」の歓喜の歌に似た主題も愉悦感たっぷりに弾かれ、幸福な雰囲気がホールを満たしていた。


最後に尾高忠明は、「やっとお招きいただきました。素晴らしいホールです。そしてお世辞ではなく素晴らしいお客さんです」と語り、「西宮北口という駅には初めて降りました。北口と付く駅の名前は珍しいと思います。待ち合わせ場所を聞いたら『西宮北口の南口で』と言われて」と語って客席から笑いを引き出していた。

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2022年10月 6日 (木)

コンサートの記(808) サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団来日演奏会2022@フェニーチェ堺

2022年10月1日 フェニーチェ堺大ホールにて

午後4時から、フェニーチェ堺大ホールで、サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会に接する。コロナ禍以降、初めて接する海外オーケストラの来日演奏会である。

サー・サイモン・ラトルの実演に接するのは2度目。前回は1998年に東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”でのバーミンガム市交響楽団の来日演奏会で、ポディウム席(P席)で聴いている。メインはベートーヴェンの交響曲第5番、いわゆる「運命」であったが、前半の2曲がいずれも現代音楽であったため、客席はガラガラ。ラトルの指揮だというのに半分入っているのかどうかも怪しいという惨状で、日本人の現代音楽アレルギーが露わになった格好であった。
他の人が記した記録を参考にすると、コンサートが行われたのは1998年6月3日のことで、前半のプログラムは、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」とバートウィスル「時の勝利」(日本初演)である。武満の「鳥は星形の庭に降りる」は超有名というほどではないものの比較的知られた楽曲だが、バートウィスルの曲の情報が不足していたため避けられたのかも知れない。当時はまだ今ほどネットが普及しておらず、YouTubeなどで音源を気軽に聴くなどということも出来なかった。

ベートーヴェンの交響曲第5番はとにかく面白い演奏だったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによる演奏であったことを知るのはそれからしばらく経ってからである。

それから24年ぶりとなるラトル指揮の演奏会。今回は現在の手兵で祖国を代表するオーケストラのロンドン交響楽団との来日であるが、ラトルはすでにロンドン交響楽団を離れ、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任することが決定しており、ロンドン交響楽団の音楽監督としては最後の来日公演となる。
本来は、2020年にラトルとロンドン響の来日演奏会が行われる予定で、京都コンサートホールでの演奏曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」に決まっていたが、コロナにより来日演奏会は全て流れた。

今回の来日ツアーでも京都コンサートホールでの演奏会は組まれており、メインはブルックナーの交響曲第7番(B=G.コールス校訂版) であるが、フェニーチェ堺ではシベリウスの交響曲第7番がプログラムに入っていたため、少し遠いが京都ではなく堺まで出掛けることにした。流石に両方聴く気にはなれない。

演奏曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」(トロンボーン独奏:ピーター・ムーア)、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、シベリウスの交響曲第7番、バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。

フランス、日本、フィンランド、ハンガリーと国際色豊かな曲目が並ぶ。

アメリカ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなく舞台上手奥に配される。


ベルリオーズの序曲「海賊」。オーケストラのメカニック、アンサンブルの精度などは日本のオーケストラと五分五分といったところ、ホールの音響もあると思われるが音の厚みではむしろ勝っているほどで、日本のオーケストラの成長の著しさが確認出来るが、音色の多彩さや輝きなどは日本のオーケストラからは聞こえないものである。おそらく音に対する感覚が異なっているのだと思われるが、そうなると日本のオーケストラがもうワンランク上がることの困難さが想像出来てしまう。
フランス音楽らしい響きが出ているが、ジェントルでノーブルであるところがイギリスのオーケストラらしい。このジェントルなノーブルさはコンサートを通して聴かれ、ロンドン交響楽団ならではの個性となっている。よく「日本のオーケストラは個性がない」と言われることがあるが、こうした演奏に接すると「確かにそうかも知れない」と納得しそうになる。


武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」。
武満徹が書いたトロンボーン協奏曲で、ロンドン交響楽団首席トロンボーン奏者のピーター・ムーアがソリストを務める。
夢の中で更に夢を見るような重層的な夢想の構図を持つ作品で、次第に光度を増し、彼方からまばゆい光が差し込むようなところで終わる。
まどろみながら歩き続けているような、武満らしい楽曲である。ピーター・ムーアのソロも良い。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。一昨日参加した「JUN'ICHI'S Cafe」で広上淳一が、「ラヴェルの書いた『ダフニスとクロエ』はディアギレフに気に入られなかった」という話をしていたが、「ラ・ヴァルス」もディアギレフのためのバレエ音楽として書かれながら採用されなかった曲である。
雲の上から俯瞰で見るという冒頭の描写力も高く、典雅な演奏が繰り広げられるが、フランスの指揮者やフランスのオーケストラによる演奏に比べると上品である。エスプリ・ゴーロワに当たる性質を有していない(大枠でそれに含まれるものもあるにはあるだろうが)ということも大きいだろう。


シベリウスの交響曲第7番。これを聴きたいがために堺まで出向いた曲目である。
ラトルはシベリウスを得意としており、バーミンガム市交響楽団とベルリン・フィルを指揮した二種類の「シベリウス交響曲全集」をリリースしているが、シベリウスの交響曲の中でも後期の作品の方がラトルに合っている。
武満やラヴェルとはまた違った幻想的なスタートを見せる。人間と自然とが完全に溶け合った、シベリウスならではの音楽が巧みに編まれていく。フルートのソロなども谷間の向こうから聞こえてくるような広がりと神秘性を宿している。
ロンドン交響楽団は、わずかに乳白色がかったような透明な響きをだし、このオーケストラの上品な個性がプラスに作用している。
金管がややリアルなのがこの曲には合っていないような気がしたが、それ以外は理想的なシベリウス演奏であった。


バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。実はシベリウスの交響曲第7番と同じ年に書かれた作品なのであるが、シベリウスとは真逆の個性を放っている。猟奇的なストーリーを持つバレエの音楽であり、鋭く、キッチュでストラヴィスキーにも通じる作風だが、バルトークの作曲家としての高い実力が窺える作品と演奏である。
バルトークは20世紀を代表する作曲家として、今でも十分に高い評価を受けているが、今後更に評価が上がりそうな予感もする。


今日は最前列の席も販売されており、最前列に座った男性が「BRAVISSIMO(ブラヴィーッシモ。ブラヴォーの最上級)」と書かれた紙を広げ、ラトルは気に入ったようで、その男性と握手を交わす。
ラトルは、「皆さんお聴き下さりありがとうございました」と日本語で語り、最前列の男性を指して「ブラヴィーッシモ!」と言ってから、「フォーレの『パヴァーヌ』を演奏します」とやはり日本で語る。

そのフォーレの「パヴァーヌ」。繊細でエレガント。耳ではなく胸に直接染み込んでくるような嫋々とした演奏であった。

楽団員の多くがステージから去った後も拍手は鳴り止まず、ラトルが再登場して拍手が受ける。ラトルは客席に向かって投げキッスを送っていた。

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2022年7月22日 (金)

コンサートの記(790) 大友直人指揮京都市交響楽団第669回定期演奏会

2022年7月16日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第669回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団桂冠指揮者の大友直人。

曲目は、シベリウスの交響曲第6番とヴォーン・ウィリアムズの交響曲第2番「ロンドン交響曲」。大友は全編ノンタクトでの指揮を行った。


午後2時頃から大友直人によるプレトークがある。まずシベリウスに関しては、交響詩「フィンランディア」や交響曲第2番、あるいは最も演奏されるのはヴァイオリン協奏曲かも知れないが、最も得意としたのは交響曲の作曲であること、ただ第3番以降の交響曲はあまり演奏されないことなどを述べる。京都市交響楽団がシベリウスの交響曲第6番を演奏するのも久しぶり。大友自身も20年ほど前に京響を指揮して交響曲第6番を演奏したことがあるが、もうどんな演奏だったかも覚えていないという。

ヴォーン・ウィリアムズはシベリウス以上に演奏されない作曲家で、「作曲家のいない国」といわれたイギリスの出身であるが、イギリスが音楽的に不毛な国だったかというとそうではなく、ドイツ出身のヘンデルがイギリスに帰化していたり、モーツァルトやベートーヴェンもイギリスを訪れて影響を受けたりと、やはり大英帝国ということで、音楽の分野でも影響力は大きかったことを明かす。
また、シベリウスもヴォーン・ウィリアムズも同時代人であり、シベリウスの交響曲第6番もヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲も静かに始まり静かに終わるという共通点を持つと語っていた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(あいだ・りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。ロンドン交響曲ではヴィオラ独奏が活躍するということで、ソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積(たなむら・まづみ)が全編に出演する。
ロンドン交響曲が演奏時間約50分という大作であるため、シベリウスの交響曲第6番に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲とホルンの垣本昌芳のみ。垣本はロンドン交響曲には参加しなかったため、全編に出た首席奏者は岡本哲のみであった。


シベリウスの交響曲第6番。大友は京響から神秘的で透明感溢れる音を引き出す。21世紀に入ってから力技の演奏も目立つ大友だが、この曲の演奏は丁寧で見通しが良くハイレベルである。第3楽章のラストや第4楽章では音が濁ることがあり、万全の出来とはいかなかったが、潤いと憂いと美と救済とそのほかあらゆるものを描き出した「神品」交響曲第6番の美質を巧みに浮かび上がらせた秀演となっていた。
先に書いたとおり、この曲では、管楽器に首席奏者が少なかったが、「首席だったらもっと」と思うパートがあったのは事実である。


ヴィーン・ウィリアムズのロンドン交響曲(交響曲第2番)。シベリウスの交響曲全集はフィンランド出身の指揮者が音楽界を席巻しているということもあり、リリースラッシュだが、イギリスの指揮者も台頭が目立つため、当然ながら母国の偉大な交響曲作曲家であるレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を作成する人は多い。サー・アンドリュー・デイヴィスのように早くから世界的な知名度を築いた指揮者から、サー・マーク・エルダーのように日本では知名度はそれほど高くないが英国では尊敬を集めている実力派の指揮者まで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を作成しており、シベリウスやショスタコーヴィチにようにヴォーン・ウィリアムズも今後ブレイクが必至の作曲家となっている。なんだかんだで名指揮者が多い国の音楽は演奏される機会も多くなるし、多く聴かれることでファンも増えていく。
ドイツやフランスといったかつての音楽大国は、最近、指揮者が才能払底気味であり、比較的新しい時代の自国の作曲家の作品が思ったよりも演奏されないという現象も起きている。

イギリスの交響曲作曲家というとエルガーが有名であるが、彼は交響曲を3曲、完成したものに限ると2曲書いただけで、交響曲第2番は余り人気がない。一方、ヴィーン・ウィリアムズは9曲の交響曲を残しており、曲調もバラエティーに富んでいるということで、今後、日本でも取り上げられる回数が増えていくことだろう。

大友直人は元々、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリス音楽を得意としており、今回も引き締まった良い演奏を展開する。得意曲を振らせると、大友は若返ったように生き生きしている。

ロンドン交響曲は、大英帝国の首都時代のロンドンの様々な光景を描いたもので、趣としては同時代に作曲されたエルガーの交響曲第2番に近い。第1楽章では2台のハープがウエストミンスターの鐘(「キンコンカンコン」という学校のチャイムでよく使われる響き)を奏で、第4楽章の終盤でもウエストミンスターの鐘が1台のハープで奏でられて、幕開けと終幕の役割を担っている。活気に満ちていたり、異国情調溢れる場面があったりと、多彩な表情を持つ曲であり、師であるラヴェルからの影響も窺える。たまに雑然としたアンサンブルになるところもあったが、総体的には高く評価出来る演奏だと思う。大友の指揮も冴え、京響も力強い演奏で応えていた。

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2021年9月 7日 (火)

コンサートの記(741) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第260回定期演奏会

2014年10月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第260回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。藤岡が毎年1曲ずつ取り組んでいる「シベリウス交響曲チクルス」の3年目、第3回である。

曲目は、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:萩原麻未)、シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」、シベリウスの交響曲第4番。


午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
藤岡はまず、ショパンのピアノ協奏曲第1番の独奏者である萩原麻未について語る。ジュネーヴ国際コンクールで日本人として初めて優勝した若手ピアニストであることを紹介。藤岡が、いずみホールで行われた萩原のピアノリサイタルを聴いて感激し、以後、東京などでは共演してきたが、関西フィルでやっと共演出来るという喜びを語った。

シベリウスの交響曲第4番についてだが、「今日、来ていただいてこういうことを言うのはどうかとも思うのですが、とっても取っつきにくい」曲だと述べる。藤岡はシベリウスのスペシャリストであるが、「私も若い頃はこの曲がさっぱりわからなかった」そうだ。シベリウスの交響曲第4番に関しては初演の際に曲を理解出来た者が客席に一人もいなかったという言い伝えが有名である。

「シベリウスは、酒や煙草を愛していて、特に大酒飲みであり、酔って乱闘を起こして牢屋に入れられたこともある」と語った後で、「一方で、非常に優しい細やかな人で、自然を愛していた」と続け、「そんな彼が病気になった。腫瘍が見つかり、良性で助かったが、再発の危険を医師から指摘され、酒も煙草も禁じられた」という。酒や煙草は繊細な性格であったシベリウスの自己防衛だったのかも知れない。「酒や煙草を禁じられたシベリウスはストレス発散の方法を日記を書くことに求め、そのため、その当時の心理状況がよくわかる」そうである。「発狂寸前までいった」らしい。シベリウス自身が「暗黒時代」と読んだ日々の中で交響曲第4番は生まれた。「無駄を徹底して削り、管弦楽法も高度なものを用いて、シベリウス本人も『無駄な音符は一つもない』と言ったほど。言っておきますが、交響曲第4番は大変な傑作であります。シベリウスが好きな人の中には『交響曲第4番がシベリウスの最高峰』とおっしゃる方も多くいます(「私=本保弘人」もその一人である)。この曲はいわばシベリウスの音楽がどこまでわかるかの試金石ともいうべきものです」と述べる。

藤岡は、「この曲の第3楽章はシベリウス自身の葬儀で演奏されました。私の師は渡邉暁雄というシベリウスの世界的権威でして、渡邉先生も『自分の葬儀にシベリウスの交響曲第4番の第3楽章を流してくれ』と仰っていましたが、渡邉先生が亡くなったときは、私もまだ若かったものですから実現しませんでした」と語った。

今日はJR西日本やダイキン工業から招待客が多く来ているようだが、クラシックを初めて聴く人にとってはシベリウスの交響曲第4番は手強すぎる。野球に例えると、16打席連続三球三振を食らうレベルである。

シベリウスの交響曲を理解するには、他のクラシックの楽曲を良く理解している必要があるが、それだけでは暗中模索になってしまう。ある程度年齢を重ねていることもシベリウスの交響曲を理解する上での必須条件である。また「ただ悲しみを知る者のみが」シベリウスの楽曲を十分に理解出来る。そういう意味ではシベリウスの交響曲がわからないということは皮肉ではなく幸せであるともいえる。


ショパンのピアノ協奏曲第1番。
ソリストの萩原麻未は広島市安佐南区出身。5歳でピアノを始め、広島音楽高等学校を卒業後、渡仏。パリ国立高等音楽院に入学し、修士課程を首席で卒業。2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。年によっては優勝なしの2位が最高位ということがある同コンクールで8年ぶりの優勝者となった。それ以前にも第27回パルマドーロ国際コンクールにおいて、史上最年少の13歳で優勝している。

藤岡がベタホメしたので、かなり期待してしまったのだが、確かに良いピアニストである。音は透明感に溢れ、鍵盤を強打した時も音に角がなく、柔かである。ただ、これは時折力感を欠くという諸刃の剣にもなった。メカニックは完璧ではないものの高く、美音を生かした抒情的な味わいを生み出す術に長けており、緩徐楽章の方が良さそうだ、という第一印象を受けたが、やはり第2楽章が一番良かった。他の楽章では一本調子のところも散見される。まだ若いということである。ショパンよりもドビュッシーやラヴェルに向いていそうな予感がした。

藤岡がハードルを上げてしまったため、こちらの期待が大きくなりすぎてしまったが、それを差し引けば、十分に良いピアニストである。

藤岡指揮の関西フィルの伴奏であるが、萩原と息を合わせて思い切ったリタルダンドを行うなど巧みな演奏を聴かせる。今日もチェロを舞台前方に置くアメリカ式の現代配置での演奏であったが、アメリカ式の現代配置だとチェロの音がやや弱く感じられ、低音部が痩せて聞こえる。日本のオーケストラのほとんどがドイツ式の現代配置を採用しているのはドイツ音楽至上主義であった名残であるが、ドイツ式の配置を取ることでチェロの音の通りを良くし、結果として体力面では白人に勝てない日本人に合った配置となったのかも知れない。

演奏終了後、萩原はマイクを持って登場。自身が広島市安佐南区の出身であり、豪雨による大規模土砂崩れが安佐南区で起こったということに触れ、「私はその時、ヨーロッパにいて、テレビでそれを知ったのですが、私に何か出来ることはないかと思いまして」ということで、募金を呼びかける。途中休憩時にはステージ衣装である薄緑色のドレスで、終演後は私服で萩原は募金箱を持ってロビーに立った。私も少額ながら募金を行った。

萩原のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第2番。夜想曲の代名詞的存在である同曲であるが、萩原は左手の8分の12拍子の内、2、3、5、6、8、9、11、12拍目をアルペジオで奏でる。音が足されていたようにも感じたのだが、そこまではわからない。そのため、推進力にも富む夜想曲第2番の演奏となった。


シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」。シベリウスがまだ若かった頃の楽曲である。シベリウスの楽曲は後期になればなるほど独自色を増し、他の誰にも似ていない孤高の作曲家となるが、「レミンカイネンの帰郷」を含む「レミンカイネン」組曲ではまだロマン派の影響が窺える。作風もドラマティックである。藤岡指揮の関西フィルも過不足のない適切な演奏を行っていた。


メインであるシベリウスの交響曲第4番。陰々滅々たる曲であるが、20世紀が生んだ交響曲としてはおそらくナンバーワンである。シベリウスの他の曲も、「モーツァルトの再来」ことショスタコーヴィチの交響曲群もここまでの境地には到達出来なかった。

シベリウスを得意とはしているものの、これまではスポーティーな感じであることが否めなかった藤岡の指揮であるが、この曲に関してはアナリーゼが完璧であることは勿論、この曲を指揮するのに必要な計算と自然体を高度な水準において止揚することに成功しており、耳だけでなく皮膚からも音楽が染み込むような痛切にしてヴィヴィッドな音楽を聴かせる。
関西フィルはそれほどパワフルなオーケストラではないが、今日は弦楽パートが熱演。管楽器もシベリウスを演奏するには十分な水準に達している。

絶望を音楽化した作品は、ベートーヴェンやチャイコフスキーも書いており、特にチャイコフスキーの後期3大交響曲は有名であるが、シベリウスはチャイコフスキーとは違い、絶望を完全に受けいれてしまっているだけに余計救いがない。

なお、第4楽章では、チューブラーベルズを使用。シベリウスの交響曲第4番を生で聴くのは3度目であるが、チューブラーベルズを用いた演奏を生で聴くのは初めてである。普通は鉄琴(グロッケンシュピール)が用いられる。シベリウスは「鐘(グロッケン)」とのみ記しており、グロッケンシュピールのことなのか、音程の取れる鐘であるチューブラーベルズのことなのか明記していない。
録音ではヘルベルト・ブロムシュテットやロリン・マゼールがチューブラーベルズを採用している。

チューブラーベルズ入りの演奏を生で聴くと、ベルリオーズの幻想交響曲の最終楽章で奏でられる鐘(これはチューブラーベルズではないが音は似ている)を連想してしまい、ちょっと異様な印象を受ける。明るい音であるため却って不気味なのだ。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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2021年4月11日 (日)

コンサートの記(708) 大友直人指揮京都市交響楽団第523回定期演奏会

2009年4月18日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第523回定期演奏会を聴く。指揮は桂冠指揮者の大友直人。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲と、シベリウスの交響曲第2番というプログラムである。


ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲のソリストは、ジェニファー・ギルバート。父親はニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者で現在は指揮者として活躍するマイケル・ギルバート、母親もやはりニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者である建部洋子、兄は指揮者のアラン・ギルバートという音楽一家の出である。ジェニファーは現在、リヨン国立管弦楽団のコンサート・ミストレスを務めている。

ジェニファー・ギルバートのヴァイオリンは豊かで美しい音色が特徴。第一級のヴァイオリニストと見て良いだろう。

大友直人指揮の京響の演奏も充実していたが、金管がたまに安っぽい音を出すのが残念である。


シベリウスの交響曲第2番。大友は例によって力で押すが、シベリウスの本質を把握しているのか、力だけの演奏にはならない。第2楽章が押す一方の演奏になってしまったのは疑問だが、他の楽章ではオーケストラが鳴り渡り、トップを揃えた金管も輝かしかった。

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2021年4月 8日 (木)

コンサートの記(706) 「コバケン・ワールド in KYOTO」@ロームシアター京都メインホール 2021.4.4

2021年4月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」を聴く。指揮とお話を小林研一郎が受け持つコンサート。
本来は、今年の1月23日に行われるはずの公演だったのだが、東京も京都も緊急事態宣言下ということもあり、今日に順延となった。

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現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団のコンビによる演奏である。
「炎のコバケン」の名でも知られる小林研一郎は、京都市交響楽団の常任指揮者を務めていたことがあり、日フィルこと日本フィルハーモニー交響楽団もロームシアター京都が出来てからは毎年のように京都での公演を行っているが、親子コンサートなどが中心であり(来月5日の子どもの日にも、ロームシアター京都のサウスホールで、海老原光の指揮により「小学生からのクラシック・コンサート」を行う予定)、本格的な演奏会を行うのは今回が初めてとなる。コバケンと日フィルの顔合わせで京都公演を行うのは今回が初めてとなるようだ。

 

小林研一郎は、1940年生まれで、昨年卒寿を迎えた。福島県いわき市出身。東京藝術大学作曲科卒業後に同大指揮科を再受験。芸大は編入などを一切認めていないため、受験勉強をやり直して合格し、1年生から再スタートしている。その頃は指揮者コンクールの多くに29歳までと年齢制限があり、小林は年齢で引っかかったが、年齢制限が緩かったブダペスト国際指揮者コンクールに応募して第1位を獲得。その縁でハンガリーでの活動が増え、同国最高のポストであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督としても活躍。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者時代には、「プラハの春」音楽祭のオープニングである、スメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮も務めている。
日本では日本フィルハーモニー交響楽団と長年に渡ってパートナーを組み、首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書きを変え、2010年に名誉指揮者の称号を与えられている。1985年より京都市交響楽団常任指揮者を2年だけ務めた。最近はインスタグラムにはまっているようで、更新回数も多い。

日本フィルハーモニー交響楽団は、元々はフジサンケイグループの文化放送が創設したオーケストラであり、ドイツ本流の楽団を目指すNHK交響楽団に対抗する形でアメリカのオーケストラを範とするスタイルを採用。渡邉暁雄や小澤征爾をシェフとして、一時はN響と共に日本を代表する二大オーケストラと見なされていた時期もあったが、1972年にフジテレビと文化放送から一方的な資金打ち切りと解散を命じられる。この時、小澤征爾が日本芸術院賞受賞の際に昭和天皇に直訴を行い、右翼から睨まれるなど社会問題に発展している。結局、小澤とそれに従った楽団員が新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、残った日本フィルハーモニー交響楽団は「市民のためのオーケストラ」を標榜して、自主運営という形で再スタートを切った。
渡邉暁雄とは、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音での「同全集」を作成するという快挙を成し遂げており、現在も首席指揮者にフィランド出身のピエタリ・インキネン(インキネンともシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音による全集がリリースされた)、客員首席指揮者にエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ(ネーメともシベリウス交響曲チクルスを行っている)を頂くなど、シベリウスと北欧音楽の演奏に強さを発揮する。

そんな日フィルの京都における初の本格的な演奏会ということで、曲目には、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」より第1曲“前奏曲”、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:田部京子)、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より“朝”“オーゼの死”“アニトラの踊り”“山の魔王の宮殿にて”“ソルヴェイグの歌”、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と北欧を代表する曲がずらりと並ぶ。初回ということで自分達の最も得意とする分野での勝負である。

今日のコンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、首席チェロが「ペール・ギュント」では活躍するということで、日本フィル・ソロ・チェロの菊池知也の名が無料パンフレットには記されている。

日本フィルは自主運営ということもあり、東京のオーケストラの中でも経済的基盤は弱い。今回のコロナ禍によって苦境に立っており、寄付を募っている。

 

グリーグの「ホルベルク組曲」より第1曲“前奏曲”は、指揮者なしでの演奏。弦楽合奏で演奏されることも多い曲だけに、整った仕上がりとなった。

その後、小林研一郎が登場。今日はマスクをしたままの指揮とトークである。「私が出遅れたというわけではありませんで、室内楽的な演奏を聴いて頂こう」というわけで指揮者なしでの演奏が行われたことを説明する。
その後で、コバケンさんは、京都市交響楽団常任指揮者時代の話を少しする。任期中に出雲路にある現在の練習場が出来たこと、また新しいホール(京都コンサートホール)を作る約束をしてくれたこと、京都会館第1ホールで行われた年末の第九コンサートの思い出などである。

 

田部京子を独奏に迎えてのグリーグのピアノ協奏曲イ短調。田部京子はこの曲を得意としており、私自身も田部が弾くグリーグの実演に接するのはおそらく3度目となるはずである。田部の独奏によるグリーグのピアノ協奏曲を初めて聴いた時も日本フィルとの共演で、東京芸術劇場コンサートホールでの演奏会だったと記憶している。

田部京子は、北海道室蘭市生まれ。東京藝術大学附属高校在学中に、日本音楽コンクールで優勝。ベルリン芸術大学に進み、数々のコンクールで優勝や入賞を重ねている。リリシズム溢れるピアノが持ち味で、グリーグなどの北欧作品の他に、シューマン、シューベルトを得意とし、シベリウスに影響を受けた作曲家である吉松隆の「プレアデス舞曲集」の初演者にも選ばれて、CDのリリースを続けている。

先に書いた通り、田部の弾くグリーグのピアノ協奏曲は何度も聴いているが、結晶化された透明度の高い音が最大の特徴である。国民楽派のグリーグの作品ということで、民族舞曲的側面を強調することも以前は多かったのだが、今回は控えめになっていた。
スケールも大きく、理想的な演奏が展開される。

今回は指揮台の前に譜面台は用意されておらず、小林は全曲暗譜での指揮となる。
ゲネラルパウゼを長めに取ったり、独特のタメの作り方などが個性的である。

田部のアンコール演奏は、シベリウスの「樹の組曲」より“樅の木”。田部はシャンドス・レーベルに「シベリウス ピアノ曲集」を録音しており、「樹の組曲」も含まれていて、現在ではナクソスのミュージック・ライブラリーでも聴くことが出来る。
透明感と憂いとロマンティシズムに溢れる曲と演奏であり、田部の長所が最大限に発揮されている。
シベリウスはヴァイオリンを自身の楽器とした作曲家で、ピアノも普通に弾けたがそれほど好んだわけではなく、残されたピアノ曲は全て依頼によって書かれたもので、自分から積極的に作曲したものはないとされる。ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなども手がけていない。ただ、こうした曲を聴くと、ピアノ曲ももっと聴かれても良いのではないかと思えてくる。

 

後半、グリーグの「ペール・ギュント」より。第1組曲に「ソルヴェイグの歌」(第2組曲に入っている)が足された形での演奏である。

演奏開始前に、小林はマイクを手にスピーチ。演奏だけではなく「ペール・ギュント」という作品のあらすじについても語りながら進めたいとのことで、出来れば1曲ごとに拍手をして欲しいと語る。

第1曲の「朝」は非常に有名な曲で、グリーグや「ペール・ギュント」に関する知識がない人でも一度は耳にしたことのある作品である。
この曲は、「モロッコ高原での朝について書かれたものですが、やはり作曲者の故郷の、氷が張った海に朝日が差し込むような、あるいは日本の光景でも良いのですが、そうしたものを思い浮かべて頂ければ」というようなことを語ってのスタートである。
ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読む戯曲)として書かれたもので、イプセン自身は上演を念頭に置いていなかったのだが、「上演して欲しい」との要望を断り切れなくなり、ノルウェーを代表する作曲家になりつつあったグリーグの劇付随音楽ありならという条件の下で初演が行われ、一応の成功はしているが、その後はグリーグの曲ばかりが有名になっている。「ペール・ギュント」のテキストは、イプセン全集に収められていたり、単行本も出ていたりで、日本でも手に入れることは可能である。

「オーゼの死」について小林は、シンプルなメロディーで見事な効果を上げていることを褒め、「アニトラの踊り」の妖しさ、「山の魔王の宮殿にて」(3月で放送が終了した「ららら♪クラシック」のオープニングテーマであった)の毒についても語る。「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュントの恋人であるソルヴェイグが、今どこにいるのか分からないペール・ギュントを思いながら歌う曲である。コバケンさんは、ペール・ギュントと共にソルヴェイグが死ぬ時の歌と説明していたが、厳密には誤りで、ペール・ギュントが息絶える時に歌われるのは「ソルヴェイグの子守歌」という別の歌で、ソルヴェイグ自身は死ぬことはない。

この曲でもゲネラルパウゼが長めに取られるなど、小林らしい個性が聴かれる。

 

シベリウスの交響詩「フィンランディア」の演奏前には、小林はステージ下手に置かれたピアノを弾きながら解説を行う。帝政ロシアの圧政のように響く冒頭は、小林の解釈によるとギロチンで処刑されるフィンランドの人々を描いたものだそうで、その後に悲しみのメロディーが流れ、やがて戦争が始まる。「フィンランド第2の国歌」として知られる部分を小林はテノールで歌った。

演奏も描写力に富んだもので、抒情美も見事であった。

 

アンコール演奏については、小林は、「よろしかったら2曲やらせて下さい」と先に言い、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲と、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏される。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番は、スローテンポで開始して一気に加速するというアゴーギクを用いた演奏で、ハンガリーのロマ音楽本来の個性を再現していた。

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