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2022年3月31日 (木)

コンサートの記(772) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021(年度)「発見!もっとオーケストラ!!」第4回「オーケストラ・ミーツ・シネマ」

2022年3月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021(年度)「発見!もっとオーケストラ!!」第4回「オーケストラ・ミーツ・シネマ」を聴く。映画で使われたクラシック音楽や映画音楽をフィーチャーした演奏会。指揮は、史上最高の映画音楽作曲家の一人であるジョン・ウィリアムズの弟子にして友人である原田慶太楼。京響の2月定期に出演するはずが、アメリカでの仕事を終えて日本に向かった場合、コロナ待機期間を満たせないという理由で降板した原田慶太楼(ガエタノ・デスピノーサが代役を務めた)。今回のオーケストラ・ディスカバリーには十分間に合った。
1985年に生まれ、高校からアメリカで学び始めた原田慶太楼。吹奏楽の指揮者として知られるフレデリック・フェネルにまず師事。複数の大学で音楽を学んだ後、シンシナティ交響楽団とシンシナティ・ポップス・オーケストラ(主に演奏する曲目が違うだけで両者は同一母体である)などのアソシエイト・コンダクターなどを経て、現在はジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニックの音楽&芸術監督として活躍している。「題名のない音楽会」など、メディアへの出演も多く、2021年春からは東京交響楽団の正指揮者に就任し、日本でもポストを得ている。京都市交響楽団とは、ロームシアター京都メインホールで行われた、ジョン・ウィリアムズの楽曲を中心としたコンサートで共演している。今日は全編、ノンタクトでの指揮。


曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)」冒頭(オルガン:桑山彩子)、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番(合唱:京響コーラス)、ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」から「時の踊り」、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」からメインテーマ(ヴァイオリン独奏:石田泰尚)、ロジャース&ハマースタインⅡ世の「サウンド・オブ・ミュージック」セレクション、久石譲の「千と千尋の神隠し」から「あの夏へ」(ピアノ独奏:佐竹裕介)、ジョン・ウィリアムズの「ハリー・ポッターと賢者の石」から「ヘドウィグのテーマ」(チェレスタ独奏:佐竹裕介)、「スター・ウォーズ」から「インペリアル・マーチ(ダース・ベイダーのテーマ)」、「スター・ウォーズ」から「運命の決闘」(合唱:京響コーラス)、シベリウスの交響詩「フィンランディア」

前半は、「2001年宇宙の旅」に使われた「ツァラトゥストラはこう語った」の冒頭、ディズニー映画の「ファンタジア」で使われた「威風堂々」第1番と「時の踊り」というクラシック作品が演奏され、その後は映画のためのオリジナル曲を経て、ロシアの圧政に苦しんでいた時代のフィンランドの音楽である交響詩「フィンランディア」に至るというプログラム。

今日のコンサートマスターは京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はヴァイオリン両翼配置での演奏である。
管楽器の首席奏者は前半にほぼフル登場。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳は前半のみの出演となった。

ナビゲーターは、オーケストラ・ディスカバリーではお馴染みとなったロザンの二人が務める。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」。ヴァイオリン両翼配置のせいか、原田慶太楼が京都コンサートホールの音響に慣れていないためか、あるいは私が座った席が悪かったのか、もしくはその全てか、いつもに比べて音がモヤモヤしており、直接音が弱めに聞こえる。その後、どんどん音響が良く聞こえるようになったので、私の席や耳の問題か、原田と京響が響きをさりげなく調整したのか、音響に関する不満はなくなっていった。

エルガーの行進曲「威風堂々」第1番では「英国第2の国歌」と言われる部分を京響コーラスが歌うのだが、最初の場面では、オーケストラサウンドに隠れて声が思うように届かず。不織布マスクを付けての歌唱と言うことで、声量が十分出なかったのかも知れない。再度合唱が入る場面では、前回よりは声が通って聞こえた。

ロザンは、菅ちゃんが大の映画好きということで、楽しそうである。宇治原には映画を観ているようなイメージはないが、実際にどうなのかは分からない。

原田が菅ちゃんに、「今日は豪華です」と京響コーラスを紹介するも、菅ちゃんは、「あの背中向けてる人」とパイプオルガン独奏の桑山彩子にまず興味を持ったようだった。
今日も宇治原が楽曲解説などを真面目に行い、菅ちゃんがかき回すというパターンである。

ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」から「時の踊り」はラストで急速な加速を行い、聴衆の興奮をあおる。原田は若いだけあって、キビキビとした指揮姿であり、体中からエネルギーがほとばしる様が見えるかのようだ。


ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」。私もロードショー時に映画館で観た作品である。どぎついシーンもあるということで、全編モノクロームの映画となっている。
ヴァイオリン独奏の石田泰尚に、菅ちゃんが「昔、悪かったでしょう?」と聞くも、原田は、「いや、ナイスガイだと思いますよ」とフォロー(?)していた。
オリジナルはイツァーク・パールマンが、磨き上げられた厚みのある音で歌った美演であったが、石田のヴァイオリンソロはそれに比べると陰影がクッキリしており、良い意味で日本人的感性にフィットする独奏であったと思う。


ロジャース&ハマースタインⅡ世による「サウンド・オブ・ミュージック」セレクション。「サウンド・オブ・ミュージック」もヒットナンバーがずらりと並ぶ名作ミュージカル。反ナチスのプロパガンダ映画という側面があるが、そういう見方をしなくても楽しめる作品である。私は、小学校、中学校、高校で計4回、この映画を見せられている。ということで、見飽きてしまい、自分ではなかなか食指が動かない作品になってしまった。高校1年生の音楽の授業では、「サウンド・オブ・ミュージック」の1場面を演じることになり、私は、トラップ大佐の「ロルフ、君は騙されているんだ」というセリフを日本語で語り、「すべての山に登れ」を同じグループの人と英語詞で合唱した。そんな思い出が今も鮮やかに脳裏に浮かぶ。
映画は積極的に観ることはなかったが、「サウンド・オブ・ミュージック」のCDはテラークから出ていたものを買って何度も聴いている。エリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるものであった。90年代には、ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス・オーケストラ(こちらはボストン交響楽団の団員のうち、首席奏者を除いたメンバーで構成されており、ボストン交響楽団と同一ではない)とエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラが人気を二分していた。

選ばれたのは、「サウンド・オブ・ミュージック」「恋のゆくえは」「ひとりぼっちの羊飼い」「私のお気に入り」「もうすぐ17歳」「さようなら、ごきげんよう」「ド・レ・ミの歌」「エーデルワイス」「ふつうの夫婦」「誰も止められない」「マリア」「すべての山に登れ」。ちなみに「ド・レ・ミの歌」は、各国で翻訳が違い、「ミ」はという話になったところで、客席にいたちびっ子が、「me,for myself」と答えを歌っていた。
編曲者は不明だが、生き生きとした描写力の高い演奏が続く。
演奏終了後、原田はスキップしながら再登場していた。


第2部。久石譲の「千と千尋の神隠し」より「あの夏へ」。久石譲のコンサートでは作曲者自身がアンコール曲として弾くことも多い曲だが、佐竹裕介のピアノもリリカルで、京響の響きも日本のオーケストラらしい弱音の美学を体現していた。


ジョン・ウィリアムズの「ハリー・ポッターと賢者の石」から「ヘドウィグのテーマ」。映画監督からもしくは原作者からという二つの説があるが、「魔法の様な音が欲しい」と言われたジョン・ウィリアムズは、ある楽器を選ぶ。原田が客席に、「ヴァイオリンだと思う人」「ハープだと思う人」と聞いていくが、ジョン・ウィリアムズが選んだのは、チェレスタであった。結構有名な話、というより「ハリポタ」シリーズの映画を観た人は知っている情報である。原田は、チェレスタを独奏する佐竹裕介に、「魔法のような音出して」と言うも、佐竹が奏でたのは、新幹線が目的駅に近づいた時に流れるベルの旋律。その後、原田の求めで、「ヘドウィグのテーマ」の冒頭のチェレスタソロが演奏された。
菅ちゃんが、「魔法っぽいと思った人」と客席に聞くが、続いて「新幹線っぽいなあと思った人」と聞いて宇治原に突っ込まれる。

ジョン・ウィリアムズのアシスタントとして、本番でウィリアムズが指揮する際の前振りなども行っているという原田。自信と確信に溢れた音運びである。

ちなみに、スティーヴン・スピルバーグをゲストに招き、スピルバーグとウィリアムズがトークを行うイベントでも原田は指揮を担い、トークが一段落してからウィリアムズの音楽を奏でるという仕事もしたことがあるそうだ。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から「インペリアル・マーチ(ダース・ベイダーのテーマ)」と「運命の決闘」。「運命の決闘」では、合唱を受け持つ京響コーラスが、最後の音で全員が右手を突き出していた。

ここで、菅ちゃんが花束を持って登場。チェロの古川真差男は、このコンサートをもって京都市交響楽団を定年退職するというので、原田から花束が贈られる。古川は、「大学時代から京都市交響楽団で演奏していた」と語る。菅ちゃんが、「どこの大学ですか?」としつこく聞くので、古川は「京都市立芸術大学」と答え、菅ちゃんが宇治原に、「どうですか? 京都市立芸術大学」と聞き、京大芸人の宇治原が「まあまあやね」と答えて菅ちゃんに頭をはたかれる。これがやりたかったらしい。
余談だが、京都市立芸術大学は、音楽学部は一部の専攻を除いてそうでもないが、美術学部は受験科目が他の美大よりも多いため、併願が難しいことで知られている。例えば東京芸術大学と京都市立芸術大学の美術学部を併願しようとなった場合、京都市立芸大の方が東京芸大より入試の試験科目が多いため、本命を京都市立芸大にして勉強しないと少なくとも両方受かるのは難しい。
とまあ、ロザンに乗って受験の話をしてみたが、正直、自分が受けるわけでもないのでどうでもよかったりする。

それよりも重要なのはサプライズがあったということで、原田と京響チェロ奏者達の提案で、古川がプリンシパルの位置で「フィンランディア」を弾くことになる。特別首席チェロ奏者であるチェロ康こと山本裕康と場所を入れ替えての演奏である。

宇治原が、「フィンランディア」が書かれた当時、フィンランドがロシアの圧政に苦しんでいたことを紹介してから演奏スタート。京響は鳴りが実に良い。京響コーラスは、日本語での歌唱(翻訳者不明)で「スオミ(フィンランドで自国と自国民を指す言葉)の平和の里」と、平和へのメッセージを歌い上げた。


アンコール演奏は、「美女と野獣」より。この曲でも京響コーラスは日本語の歌詞を歌った。
なお、今回は、原田が新しい才能にチャンスを与えるプロジェクトを手掛けているということで、山本菜摘による新編曲版での初演となる。ウインドマシーンやレインスティックといった比較的珍しい楽器を取り入れた編曲であった。山本菜摘は会場に駆けつけており、ステージ上から原田に紹介されたが、若くて可愛らしい女性で、作・編曲家らしい雰囲気は纏っておらず、驚いた。

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2022年2月20日 (日)

これまでに観た映画より(283) スティーヴン・スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022年2月15日 MOVIX京都にて

新京極のMOVIX京都でスティーヴン・スピルバーグ監督のミュージカル映画「WEST SIDE STORY ウエスト・サイド・ストーリー」を観る。先頃亡くなったスティーヴン・ソンドハイムの作詞、レナード・バーンスタイン作曲の最強ミュージカルである「ウエスト・サイド・ストーリー(ウエスト・サイド物語)」。1曲ヒットナンバーがあれば大成功というミュージカル界において、全曲が大ヒットというモンスター級の作品であり、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台をニューヨークのスラム街に置き換え、ポーランド系移民のジェッツとプエルトリコ移民によるシャークスという少年ギャングの対立として描いて、世界中の若者の共感も呼んでいる。

1961年に公開された映画「ウエスト・サイド物語」も大ヒットしており、名画として認知されているが、出演俳優がその後、なぜか不幸に見舞われるという因縁でも知られている。マリアを演じたナタリー・ウッドは、1981年、映画の撮影中に水死。事故とされたが、最近に至るまで殺害説がたびたび浮上している。トニー役のリチャード・ベイマーは、一時的に俳優のキャリアを中断している。ベルナルド役のジョージ・チャキリスも映画よりもテレビドラマなどに活動の場を移しているが、日本では小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを演じた「日本の面影」に出演しており、私が初めてジョージ・チャキリスという俳優を知ったのも「日本の面影」においてである。


1961年の「ウエスト・サイド物語」と、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」とでは、設定や舞台、歌の担い手、ラストの解釈などが大きく異なっている。

スピルバーグ版「ウエスト・サイド・ストーリー」のキャストは、アンセル・エルゴート(トニー)、レイチェル・ゼグラー(マリア)、アリアナ・デボーズ(アニータ)、デヴィット・アルヴァレス(ベルナルド)、マイク・ファイスト(リフ)、ジョシュ・アンドレス(チノ)、コリー・ストール(シュランク警部補)、リタ・モレノ(バレンティーナ)ほか。リタ・モレノは、「ウエスト・サイド物語」で、アニータを演じ、アカデミー助演女優賞などを受賞した女優であり、今回の映画の製作総指揮も彼女が務めている。

脚本はトニー・クシュナーが担当しており、細部にかなり手を加えている。

指揮を担当するのは世界的な注目を浴びているグスターボ・ドゥダメル。ニューヨーク・フィルハーモニックや手兵のロサンゼルス・フィルハーモニック(コロナによりニューヨークでの録音が出来なくなったための追加演奏)からシャープにしてスウィング感にも溢れる極上の音楽を引き出している。

「ウエスト・サイド物語」では、リタ・モレノ以外は、白人のキャストがメイクによってプエルトリコ人に扮して演技を行っていたが、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」では、プレルトリコ移民側は全員、ラテンアメリカ出身の俳優がキャスティングされている。また、プエルトリコ移民は英語も話すが、主として用いる言語はスペイン語であり、プエルトリコ移民同士で話すときはスペイン語が主となるなど、リアリティを上げている。デヴィッド・ニューマン編曲によるスペイン語によるナンバーも加わっている。

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映画はまず、リンカーン・センター(メトロポリタン歌劇場や、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地であるデヴィッド・ゲフィン・ホールなどが入る総合芸術施設)の工事現場の上空からのショットで始まる。マンハッタンのウエスト・サイドがスラム街から芸術の街に変わっていく時代を舞台としている。と書くと美しく聞こえるが、それまでその土地で暮らしていた人が住み家や居場所を失うということでもある。皮肉にも――と書くのはおかしいかも知れないが――彼らを追い込み追い出すのは、映画やミュージカルも含む芸術なのである。ジェッツのメンバーが、リンカーン・センター建設の工事現場地下からペンキを盗み出し、プエルトリコの国旗が描かれたレンガにぶちまけ、それを見たシャークスの面々と乱闘になる。

今回の映画では、ジェッツのメンバーの主力がポーランド系移民とは示されず(トニーはポーランド系移民であることが明かされる場面がある)、白人対有色人種の構図となっている。ヒスパニック系住民の増加は、現代アメリカの重要問題となっており、将来、英語を母語とする人種を数で上回るのではないかといわれている。また、ジェッツの取り巻きには、外見は女性だが内面は男性というトランスジェンダーのメンバーがおり、LGBTQの要素も入れている。

「ウエスト・サイド・ストーリー」といえば、ダンスシーンが有名だが、今回一新されたジャスティン・ペック振付によるダンスはキレも迫力も抜群であり、カメラ自身が踊っているような優れたカメラワークも相まって見物となっている。

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トニー(本名はアントン)は、傷害罪で逮捕され、刑務所で1年間の服役を終えて仮出所中という設定になっており、ベルナルドはボクサーとしても活躍しているということになっている(格闘のシーンではなぜかトニーの方がベルナルドより強かったりする)。

リフが歌う「クール」であるが、これがトニーの歌に変わっており、「クラプキ巡査どの」は警察署に拘留されたジェッツのメンバーによる戯れの劇中劇のような形で歌われる。「Somewhere」が、今回のバージョンのオリジナルキャラクターであるバレンティーナの独唱曲として懐旧の念をもって歌われる場面もある。

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決闘の場が塩の保管倉庫になっていたり、ラストシーンの舞台がバレンティーナが営む商店のそばになるなど、異なる場面は結構多い。ベルナルドの腰巾着的立場であったチノが幅のある人間として描かれているのも意外だが、映画全体の奥行きを出すのに一役買っている。

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シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は人間の愚かしさを恋愛劇という形で描き上げた作品であるが、1961年の「ウエスト・サイド物語」のラストシーンでもマリアが人間の愚かしさを憎むような表情で退場していた。ただ、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」では憎しみというよりも運命の受け容れに近いように見える。時を経て、差別に対しては憎悪よりもある程度の受け容れが重要であると認識が変わってきたことを表しているようでもある。

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2021年1月15日 (金)

これまでに観た映画より(240) 「ラ・ラ・ランド」

2021年1月11日 新京極のMOVIX京都ドルビーシネマにて

MOVIX京都ドルビーシネマで、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」を観る。英語表記だと「LA LA LAND」と「LA」が3つ重なるが、これは「LA」ことロサンゼルス(Los Angeles)が舞台になっていることにも由来する。脚本・監督:デミアン・チャゼル。音楽:ジャスティン・ハーウィッツ。出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズほか。2016年の公開(日本では2017年公開)。高音質のドルビーシネマの登場に合わせてのリバイバル上映である。

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アメリカ文化が背景にあり、名ミュージカル作品へのオマージュに溢れているため、そういった知識が十分にない人は意味を100%掴むことは難しいかも知れないが、ストーリーは複雑でないため、楽しむのには何の問題もない。

セブ(本名はセバスチャン。ライアン・ゴズリング)は売れないジャズピアニストだが、アメリカにおけるジャズ文化の衰退が背景にある。私がジャズを本格的に聴き始めた1990年代にはすでに、アメリカにおいては「ジャズはコンテンポラリーな音楽ではない」と見なされていた。勿論、偉大な現役のジャズミュージシャンは何人もいるが、ジャズ・ジャイアンツといわれた時代の人々は、モノクロの写真や映像の時代に活躍している。この映画にも写真が登場するチャーリー・パーカー然り、ビル・エヴァンス然り、会話に登場するサッチモことルイ・アームストロング然り。マイルス・デイヴィスはカラーの時代の人だが、故人である。彼らに匹敵するジャズメンははもはや存在しないというのが現状である。セブの弾くジャズがオーナーの怒りを買ったり、ヒロインのミア(エマ・ストーン)が平然と「ジャズは嫌い(英語のセリフを聞くと、思いっきり“I hate Jazz.”と言っている)」と言ってセブが激怒するという背景にはこうした事実がある。日本でも人気のあるケニー・Gの話も出てくるが、どうもアメリカではイージーリスニング扱いのようである。

ハイウェイの通勤ラッシュのシーンから始まる。夏の朝のロサンゼルス、気温は摂氏29度。少しも進まぬ渋滞に皆イライラしている。そんな時にある黒人女性が路上に降り立ち、歌い踊り始める。すると人々は次々に車のドアを開けて歌とダンスに参加する。曲が終わると、人々は車に戻り、元の渋滞へと帰る。やがて車が動き始めるのだが、一人で車に乗っていた女優志望のミアはセリフの練習をしていたため発車が遅れ、後ろにいたセブにクラクションを鳴らされる。セブはエマの車に横付けして「何をやってるんだ?」という顔。出会いは最悪だった。そしてその夜、二人は偶然再会する、という一昔前に流行ったトレンディードラマのような展開を見せる。

その後も突然歌ったり踊ったりがある(タモリさんが嫌いそうな)王道のミュージカル的展開で話は進む。

ミアは、女友達と共同生活を送りながらオーディションを受ける日々を続けている。普段は撮影所の近くのカフェでアルバイトをしているが、たまに有名俳優がその店を訪れることがあるようだ。なんとかかんとか一次オーディションを通ったのだが、二次オーディションではセリフを言い終わらないうちに落選を告げられ、落ち込む。

一方、セブは、オールドジャズに憧れを持っているのだが、西海岸ということもあって音楽好きからも理解が得られない。レストランのピアノ弾きに採用されたが、ジャズを弾いたためオーナーからその場で解雇を言い渡される。その場にたまたまミアが居合わせることになった。ただここでの再会もまた最悪のうちに終わる。
セブはオールドジャズのための店を開くという夢を持つが資金がない。
その後、セブは余りパッとしないバンドにキーボーディストとして加わり、またも偶然、ミアと再会する。急速に距離を縮めていく二人。セブはミアにも店をやりたいという夢を語り、ミアは女優を目指す理由を幼少期の思い出から物語る。
ある日、昔なじみのキース(ジョン・レジェンド)と再会したセブは、セッションに加わる。キースは、電子音を用いたジャズを行っているのだが、セブはそれには違和感を覚える。キースはマイルス・デイヴィスの話を持ち出す。

ここでなぜマイルス・デイヴィスなる人物の話が登場するのかわからない人もいると思うが、マイルス・デイヴィスは初めてジャズにエレキ音を取り入れた人であり、その他にもラッシュフィルムに即興で音楽を付けるなど(「死刑台のエレベーター」)次々と新しい試みを行って「ジャズの帝王」と呼ばれた人物である。セブはマイルスに比べて保守的に過ぎるというキースの意見が語られている。
随分昔、黛敏郎が「題名のない音楽会」で司会を務めていた時代に、ジャズの特集が放送されたことがあったのだが、黛がエレキを取り入れたマイルスのジャズに「これはもうジャズではなくロックだ」と否定的な見解を述べていたのを覚えている。

本心からやりたい音楽ではなかったが、店を始めるための資金を稼ぐため、セブはキースのバンドに加わり、レコーディングを行い、全米ツアーに出る。かなり売れているバンドのようだ。ミアはセブが出演しているライブを聴きに行くが、熱狂する観客の中にあってセブの存在が遠くなるのを感じる。ただセブの方もやりたい音楽が全く出来ないばかりか、プロモーションに継ぐプロモーションという環境に嫌気が差し始めていた。

一方、ミアは女優の仕事がないなら自分で作るということで、一人芝居の戯曲を書き、劇場を借りて上演することに決めた。主人公の名はジュヌヴィエーヴ。名作ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」のヒロインの名前である。出身地であるボールダーを舞台にした作品だ(上演中のシーンは出てこないため、筋書きや内容は一切わからない)。セブはミアに自分のツアーに帯同してはどうかと誘うが、ミアは稽古のための時間が取れないと断る。すでに同棲を始めていた二人だったが、次第に境遇に差が生まれていた。

小劇場で行われたミアの一人芝居だが、知り合いとそのほか数名が観に来ただけで不入り。更に楽屋に戻ったミアは、帰る途中の観客がミアの演技と作品を酷評しているのを聞いてしまう。仕事で劇場に駆けつけるのが遅れたセブがようやく劇場の前に到着。だが己の才能に絶望したミアはセブの言うことも聞かず、女優の夢を諦めて故郷のボールダーに帰ることを決意する。
再び一人で暮らすことになったセブだが、ある日、一本の電話が入る。配役エージェンシーからのもので、ミアの一人芝居を観た映画関係者が彼女の演技を観て気に入り、呼びたいとの申し出があったという。配役エージェンシーはミアがまだセブと同棲しているものだと思い込んでセブのスマホに電話をかけてきたのである。セブはすぐにボールダーのミアの実家に向かって車を飛ばす。

 

「シェルブールの雨傘」からの影響が特に顕著であり、あの物語をもっと納得のいく形で終わらせたいという思いがあったのかも知れない。
「シェルブールの雨傘」では、共に金銭的に成功しながら完全なる別離という残酷な結末を迎えた男女だったが、この「ラ・ラ・ランド」では成功しつつも別の道を歩んだことを後悔はせず、むしろ互いを祝福しているように見える。
成功を夢見る若者が押し寄せる希望と絶望の街、ロサンゼルスが舞台となっているが、エマ・ストーン演じるミアは夢見る人々への讃歌を歌い、セブはささやかではあるが確固とした幸せを手にしている。別れを描いているにも関わらず、清々しい気持ちになれる佳編であった。

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2020年9月11日 (金)

これまでに観た映画より(206) 「シェルブールの雨傘」

2020年9月7日 東寺近くの京都みなみ会館にて

東寺の近くにある京都みなみ会館で、「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち《デジタル・リマスター版特集上映》」の中の一本、「シェルブールの雨傘」を観る。冒頭から流れ、何度も歌われるメインテーマはミシェル・ルグランの代表作である。
監督・脚本:ジャック・ドゥミ。出演:カトリーヌ・ドヌーブ、ニーノ・カステルヌオーヴォ、アンヌ・ヴェルノン、ミレーユ・ペレー、マルク・ミシェル、エレン・ファルナーほか。セリフの全てが歌われるという全編ミュージカル作品であり、歌は全て本職の歌手によって吹き替えられている。演技と歌を別人が行っているということで、宮城聰の演出スタイルやその元ネタとなった文楽などの日本の伝統芸能、古代ギリシャの頃のギリシャ悲劇の上演形態が連想される。

英仏海峡に面したノルマンディー地方の港町シェルブールが舞台であり、映画はまずシェルブールの港の風景から始まる。やがて俯瞰ショットとなり、雨が降り始め、人々が傘を差して通り過ぎる。

1957年11月。主人公のジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーブ)は傘屋の娘、恋人のギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)はなぜか男前揃いの自動車整備工場の工員である。
映画は3つのパートとエピローグからなっており、第1部「旅立ち」では、自動車整備工場の場面に続き、ギイとジュヌヴィエーヴが劇場デートの約束をするシーンになる。二人が観るのはオペラ「カルメン」。おそらくこれはさりげない伏線になっていると思われる。
シェルブールの街を歩きながら将来を語るギイとジュヌヴィエーヴ。女の子が生まれたら名前は「フランソワーズにしよう」などと決める。

愛し合う二人だが、ギイがしがない自動車整備工ということもあって、ギイ本人も今すぐ結婚ということは考えておらず、ジュヌヴィエーヴの母親であるエムリ夫人(アンヌ・ヴェルノン)もギイの将来性を疑問視し、結婚には反対する。またギイの叔母のエリーズ(ミレーユ・ペレー)は病気がちで、ギイの幼なじみのマドレーヌがエリーズの面倒を見ている。マドレーヌを演じるエレン・ファルナーがこれまた絶世の美女であり、登場した時から何かが起こりそうな予感がする。

そんな中、二十歳になったギイは兵役に就くことになる。20世紀の終わり頃までフランスには義務兵役制があったが、1957年当時のフランスはアルジェリア戦争を戦っており、兵役に就くということは単なる訓練ではなく戦場に赴くことを意味していた。ギイもアルジェリアに向かうことになり、ジュヌヴィエーヴとシェルブール駅で別れる。

一方、エムリ夫人とジュヌヴィエーヴが営むシェルブール雨傘店の経営が傾いており、店の営業権利を守るためにエムリ夫人のネックレスを売ることにする。宝石店でネックレスを出すも店主からは色よい返事が貰えない。だが、たまたま店に来ていた宝石商のローラン・カサール(マルク・ミシェル)がネックレスを高値で買い上げる。カサールは母親と一緒に来ていたジュヌヴィエーヴを一目見て気に入る。

第2部「旅立ち」。2ヶ月後の1958年1月。ジュヌヴィエーヴが妊娠していることが判明する。ギイとの子だった。だが肝心のギイはアルジェリアにおり、手紙もたまにしか来ない。一方、カサールがジュヌヴィエーヴにアプローチを始めており、最終的に倫理上正しいのかどうかわからないが、「生まれた子どもは自分たちの子として育てよう」と言ってくれたカサールをジュヌヴィエーヴは選ぶことになる。

 

「戦争に引き裂かれた悲恋もの」などといわれることがあるが、それはちょっと違う気がする。ジュヌヴィエーヴは自分の意思でギイの帰郷を待たずにカサールと結婚したのであり、少なくともこの時はジュヌヴィエーヴにとっては悲恋でも何でもない。

第3部「帰還」以降はギイが主人公となり、ジュヌヴィエーヴはエピローグのラストになるまで登場しない。ギイはやはりというかなんというか次の恋人としてマドレーヌを選び、結婚する。マドレーヌにプロポーズする際、「ジュヌヴィエーヴのことは忘れた」とギイは言ったが、以前、ジュヌヴィエーヴと「男の子が生まれたらフランソワという名にしよう」という約束を引きずっており、マドレーヌとの間に生まれた息子にフランソワと名付けた。
ギイは以前、ジュヌヴィエーヴに語った将来の夢をマドレーヌ相手に成し遂げていく。

 

原色系の衣装やセット、街並みなどが鮮やかであり、全編音楽が流れてセリフも歌ということを考えると、メルヘンチックではある。衣装は主人公の心境を代弁するかのように色彩を変えていく。この辺は表現主義過ぎて嫌う人もいるかも知れない。セリフもド直球のものが多く、ミュージカルでなくストレートプレーだったとしたらかなり馬鹿っぽいやり取りになってしまうため、ミュージカルとして成立させたのは成功だった、というより最初からミュージカルスタイルでしか成功し得ない展開を狙っているのだと思われる。

ラストシーン、ギイが経営するガソリンスタンドの場面。クリスマスイヴであり、マドレーヌはフランソワを連れて買い物に出掛ける。その時、ガソリンスタンドに一台の車が駐まる。運転しているのは今はパリで暮らしているジュヌヴィエーヴであり、助手席にはギイとの間の娘であるフランソワーズがいた。

ジュヌヴィエーヴは高級車に乗り、身につけている服も上質なものだが、その表情はどう見ても幸せそうには見えない。ガソリンスタンドの部屋に入り、「ここは暖かいわ」などと「かもめ」のニーナのようなセリフを言うジュヌヴィエーヴであるが、ギイは「フランソワーズに会わないか」というジュヌヴィエーヴの提案には乗らない。ガソリンスタンドに寄ったのはたまたまだというジュヌヴィエーヴであるが、本来寄る必要のないシェルブールに寄っているということは、心のどこかでギイに会えたらという気持ちがあったものと推察される。というよりもむしろ、「かもめ」へのオマージュであるということを考えれば、ジュヌヴィエーヴはギイに会うためにシェルブールに来たのである。半島の先端にあるシェルブールはついでに寄るような街ではない。その街に行きたいという意志のある人だけが来る街である。ジュヌヴィエーヴはギイの夢を以前に聞いており、今のギイがそれを果たしているであろうことは容易に推測出来る。今現在と違って情報化社会ではないが、その気になればギイと再会することはそう難しくはない。そして二人の間の娘であるフランソワーズを見せればギイも態度を変えるのではと、甘い期待を抱いていたのかも知れない。だがそうはならなかった。

ジュヌヴィエーヴの車が去ると同時にマドレーヌとフランソワが帰ってくる。ギイはジュヌヴィエーヴを一顧だにせず、マドレーヌと抱き合い、フランソワと遊び戯れる(一顧だにせずというところが結構衝撃的である)。ギイは本当に幸せそうだ。多くの人が、「あの時、素直にギイを選んでおけば良かったのに」とジュヌヴィエーヴの愚かしさに悲しくなる。これがこの映画の最大のカタストロフィであろう。同じフランスが生んだ作品である「カルメン」はどちらかというと男の方が馬鹿だったが、この映画では女の方が浅はかであり、手にし得た幸せをみすみす逃してしまうという話になっている。そもそもジュヌヴィエーヴが歌うメインテーマの歌詞はギイに対して「あなたなしで生きていけない死んでしまう」歌ったものなのだが、歌詞とは裏腹にあっさりとカサールを選んでいる。恋に誠実になれなかったジュヌヴィエーヴの女としての悲しさが、もう戻すことの叶わない日々のセリフとしてこだまするかのようである。


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2020年9月 8日 (火)

楽興の時(39) 京都坊主BAR 「MANGETSU LIVE vol.24」(オーボエ:國本恵路)

2020年9月2日 元本能寺の近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU LIVE vol.24」を聴く。今日はオーボエの國本恵路(くにもと・えみ)独奏の演奏会である。

國本恵路は、大阪芸術大学演奏学科オーボエ専攻卒業後、フランスに渡り、更にスイスに移ってチューリッチ芸術大学でもオーボエを修め、同大学の大学院で音楽生理学の基礎コースを修了している。帰国後は合気道を習い、現在は合気道の指導員としても活躍しているという。

飛沫防止用のシートを前にしての演奏。これまで京都坊主BARでは、リコーダー、ヴィオラ、電子チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどの演奏を聴いてきたが、オーボエが一番音の通りがいい。


スコット・ジョプリンの「ジ・エンターテイナー」のオーボエ独奏版でスタート。合間にトークを入れながらの進行である。今日はマイクが使えるため、トークの内容もよく聞こえる。
「ジ・エンターテイナー」は、1973年公開の映画「スティング」で一躍有名になり、今ではサッカーのサポーターが歌う曲として抜群の知名度を誇っている。

秋をテーマにしたということで、イギリスの作曲家であるジェームズ・オズワルドの「キリンソウ」が演奏される。秋というと日本ではノスタルジックなシーズンというイメージだが、イギリスの曲ということで日本の秋のイメージとは大分異なる。

日本の秋の曲として「夕焼け小焼け」が録音伴奏付きで演奏されるが、やはり日本の秋というと、空が高く澄んでいて、夕焼けが映えてというイメージが浮かびやすい。秋の季語である「月」も歌詞に登場する。中村雨紅の詩は出身地である今の東京都八王子市の夕景を表したものだそうである。國本によると「夕焼け小焼け」のメロディーは草川信が1923年に作り上げたものであるが、この年の9月1日起こった関東大震災によってオリジナルの譜面は焼けてしまったという。ただ友人に写譜を渡していたため、作品自体が灰燼に帰すということは避けられたそうだ。

続いて瀧廉太郎の「荒城の月」が録音伴奏付きで演奏される。1番は歌曲の旋律通り(山田耕筰の編曲に準拠)に吹いたが、その後は崩して歌われ、最後に歌曲のメロディーに戻ってくるという編曲であった。

アンタル・ドラティ作曲の無伴奏オーボエのための5つ小品から「蟻とキリギリス」。
指揮者大国ハンガリー出身の名指揮者として名高いアンタル・ドラティ(ドラーティ・アンタル)。世界初の「ハイドン交響曲全集」を作成し、晩年にデトロイト交響楽団を指揮して録音したストラヴィンスキーの「春の祭典」は名盤中の名盤として知られる。
作曲家や編曲家としても活躍しており、無伴奏オーボエのための5つの小品は、名オーボイストのハインツ・ホリガーのために作曲されたものである。
20世紀の作品だけに音に鋭さがあり、進行も割合複雑である。最後に軽いオチがある。

20世紀のイギリスを代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンの「6つの変容」より。「6つの変容」は、ギリシャ神話に登場する神々にちなんだ曲集で、今日はそのうちの“パン”、“フェイトン”、“アレトゥーサ”にまつわる3曲が演奏された。
ベンジャミン・ブリテンは、生前から「パーセル以来久しぶりに現れたイギリスの天才作曲家」と呼ばれていたが、近年、作品が上演される機会の増えている作曲家の一人であり、才気に満ちた作品の数々が人々を魅了している。

今年の7月に亡くなった映画音楽の大家、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」。録音伴奏付きの演奏である。耳に馴染みやすく、どこか懐かしい甘美で流麗な旋律が魅力的である。

クロード=ミシェル・シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、十二音技法で知られるアーノルト・シェーンベルクの親戚である。
“夢破れて”は、スーザン・ボイルの歌唱で有名になったほか、映画「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイによる感情を最優先させた歌唱も話題になった。日本語訳詞版を歌う歌手も多く、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中でもキーになっている曲として人気が高い。嘆きの歌詞を持つだけに、歌だと情感たっぷりとなるが、オーボエで演奏した場合は旋律の美しさが目立つ。

最後はテレマンのファンタジー。「MANGETSU LIVE」はバロック以前の楽曲演奏を主軸とした演奏会であるため、テレマンの楽曲が演奏されることが多いのだが、均整の取れた楽曲は魅力的である。

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2020年3月24日 (火)

これまでに観た映画より(162) 「アナと雪の女王」(吹き替え版)

配信でディズニー映画「アナと雪の女王」(2019吹き替え版)を観る。「アナ雪」の略称を持ち、大ヒットした作品で、アカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞するなど評価も高く、「Let It Go ありのままで」などの楽曲も好セールスを記録、続編まで作られているが、私はこの映画を観るのは初めてである。字幕版でも良かったのだが、話題になった吹き替え版で観てみる。エルサのセリフや歌を聴いている間、吹き替えを担当した松たか子の顔がずっと浮かんでしまうのが個人的な難点である。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの余り知られていない童話が原作であるが、映画のストーリーは原作とは全く別のものである。後に女王の座に就くことになるエルサと妹で王女のアナの二人が主人公であるが、ディズニー映画でダブルヒロインが採られるのは史上初とのことである。

北欧の架空の王国、アレンデールが舞台である。国王の長女のエルサは、手で触ったものを氷に変え、雪や氷を自由に操るという特殊能力を持っている。エルサが8歳の時、妹のアナにせがまれて王城内を氷に変え、雪だるまや雪山を作って遊んでいたのだが、エルサはちょっとしたミスを犯し、雪山から雪山へと飛び移っていたアナのために次の雪山を作るのが遅れてしまう。アナの墜落を止めるため、エルサは雪玉をアナの顔に当てるのだが、アナはそのまま床に落ち、気を失ってしまう。王と王妃はアナを救うため、トロール達に助けを求める。トロールの長老、パビーは、「当たったのが頭で良かった。頭ならなんとかなる」とアナの命を救う。しかし、心に当たってしまうと取り返しがつかないということで、エルサに魔法を封じるように命じ、アナからエルサが自在に氷や雪を操れるという記憶を消し去る。しかし、エルサの魔術はエルサ本人にも封じることが出来ず、しかも日々、能力は進化していく。アナを傷つけることを怖れたエルサは自室に閉じこもり、アナの声にも応えないようになるが、記憶を消されたアナは、エルサが自分を嫌いになったのだと勘違いする。

月日は流れ、エルサは18歳となった。王と王妃は船で海外へと出掛けるが海難事故にて落命。その3年後、成人したエルサが女王として即位することになる。
戴冠式の日、アナは、サザンアイルズ王国の王子であるハンスと出会い、瞬く間に恋に落ちる。戴冠式の後に舞踏会でアナはハンスと婚約したことをエルサに告げるが、エルサは結婚を許さない。そしてふとしたことで今まで隠してきた能力を表に出してしまう。皆から怖れられて絶望したエルサは王城から抜けだし、ノースマウンテンに氷の宮殿を築いて閉じこもる。だが、エルサの能力は本人が自覚しているよりも強く、7月のアレンデールが雪に覆われることになってしまう。
ちなみにノースマウンテンに到着したエルサが、もう自分の能力を隠さなくていいという開放感から歌うナンバーが「Let It Go ありのままで」である。


ファンタジー映画なので、そのまま楽しんでも良いのだが、自分なりに理解してみたくなる。そしてこうした試みはこの映画の中で密かに伝えられるメッセージを受け取ることでもある。

私にとっては、ということであるが、雪や氷を自在に操る能力は言葉の喩えのように思える。それは世界を生み出し、芸術にまで高めることの出来るものであるが、容易に人を傷つけ、人と人の間を破壊するものでもある。インターネット上ではそうした言葉が日々飛び交っている。優れたものであるが過信してはならないということだ。エルサへの仕打ちは魔女狩りそのものであるが、古代に起こった魔女狩りは言葉を狩るものでもあった。

そしてそれは知への絶対崇拝への疑問に繋がる。智者ではあるが冷酷な人物が何人か登場する一方で、最重要人物の一人であるクリストフは無学で野蛮な氷売りだが、人生の本質については王族の人達よりもよく心得ている。更にクリストフの相棒であるトナカイのスヴェンは、獣であるにも関わらず、人よりも人の心に敏感であったりする。
とはいえ、無知であることが推奨されるようなポピュリズムに傾くことはない。森の智者であり、自然の知恵の象徴であるトロール達を人間を上回る慧眼の持ち主とすることでバランスは保たれている。

言葉や知に勝るものについての答えはありきたりではある。だが、それが飽くことなく繰り返されているという事実は、唯一絶対ではないが最上のものの一つであることの証明でもある。

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2020年2月13日 (木)

これまでに観た映画より(153) 「CATS キャッツ」(字幕版)

2020年2月8日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ミュージカル映画「CATS キャッツ」(字幕版)を観る。世界的ヒットミュージカルの映画化であるが、前評判は散々。アメリカの本年度最低映画を決めるラジー賞に最多ノミネートされている他、アメリカやイギリスの映画評論家達が「最低の作品」「とんでもない駄作」との評価を下しており、興行収入も散々で、大コケ映画確定となっている。日本は劇団四季が看板ミュージカルとしていて知名度抜群なためか、入りはまだ良い方であるが、日本の映画評論家や映画ファンからの評価も芳しくない。

「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー監督作品。作曲はミュージカル版同様、アンドリュー・ロイド=ウェバーで、ロイド=ウェバーは、映画のための新曲も書き下ろしている。制作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ。出演は、フランチェスカ・ヘイワード、ロビー・フェアチャイルド、ジェニファー・ハドソン、ジュディ・デンチ(実は「キャッツ」の世界初演の際にグリザベル役を務めるはずだったのがジュディ・デンチであるが、怪我により降板している)、ジェームズ・コーデン、ローリー・デヴィッドソン、スティーブン・マックレー、ジェイソン・デルーロ、レベル・ウィルソン、イアン・マッケラン、イドリス・エルバ、テイラー・スウィフト、ダニー・コリンズ、ニーヴ・モーガンほか。本来は雄猫の役であるオールドデュトロノミーをジュディ・デンチ演じる雌猫としているのは、先に挙げた理由によるものであり、一定の効果を上げている。

 

ロンドンの下町に、一匹の子猫が捨てられる。白い雌猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)である。ヴィクトリアが包まれた袋に集まってくるジェリクルキャッツという猫たち。今夜開かれる舞踏会と歌合戦で選ばれた最も優れた猫が天上の世界で再生する権利を得るのだという。様々な猫たちが個性溢れるパフォーマンスを披露する中、この集いに入ることを許されない猫もいて……。

 

余談になるが、浅利慶太がこの作品を劇団四季のメインレパートリーに据えたのには明確な哲学があったとされている。舞台で主役を演じるのは美男美女という常識に、猫のメイクをする「キャッツ」でアンチテーゼを掲げたのである。顔が良いのか悪いのかも分からないほどのメイクをして演じられる「キャッツ」(そもそもこの作品には主役らしい主役はいないわけであるが)では、容姿でない部分で評価されたり良い役を勝ち取る可能性が広がる。そしてこれは「キャッツ」というミュージカルの根幹にも関わるものである。ただ、映画の場合はクローズアップを使う必要もあるため、そうしたテーゼは通用しないわけだが。

ミュージカル「キャッツ」は、T・S・エリオットの詩集『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』という詩集を元にしたものである。『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』は、実は90年代にちくま文庫から日本語訳が出て(邦題は『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』。池田雅之の訳)、私も明治大学在学中に今はなき明大の生協で買って読んでいる。哲学的な面もあるが子ども向けの詩集であり、特にどうということもないものなのだが、詩集を原作にしているということもあって「キャッツ」には明確なストーリーが実はないのである。ショー的な要素が極めて強いのであるが、登場する猫達が歌うのは基本的に自己紹介が多く、広がりのある舞台空間で行われるなら良いのだが、映像だとそうもいかないため話が遅々として進まないように感じられ、そこが映画版の悪評に繋がっていることは間違いないと思われる。特にフーパー監督はクローズアップを多用しているため、尚更空間を感じにくい。かといって引きで撮ると迫力が出ないのも目に見えているため、そもそも映像化が難しい題材ではある。他にもCGが気持ち悪いだの、猫なのか人間なのかわからなくて不気味だとの声もあるが、今の技術ならこんなものだろうし、ビジュアル面で気になることは個人的には特になかった。

個人的には結構楽しんでみられたが、それは過去の自分とはぐれてしまった猫や、いざという時に弱い猫などの悲哀がきちんと描かれているからである。底抜けに明るいミュージカルも良いが、実は「キャッツ」はそうした路線のミュージカルではない。気持ち悪いといわれたメイクやCGの多用も、猫でありながら人間を描いていると取れば(ラストにはそうしたセリフがちゃんと用意されている)納得のいくものである。「猫を描いたから成功した」といわれるミュージカル「キャッツ」であるが、今回の映画版でも猫といいながら様々な人間の諸相が描かれていることで、皮相でない充実感も味わうことが出来たように思う。

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2018年9月 1日 (土)

コンサートの記(419) ローマ・イタリア管弦楽団 「映画音楽名曲選」@京都コンサートホール

2018年8月22日 京都コンサートホールにて

午後6時30分から京都コンサートホールで、ローマ・イタリア管弦楽団の「映画音楽名曲選」コンサートを聴く。

ローマ・イタリア管弦楽団は、1990年創設のオーケストラである。クラシックと映画音楽の演奏を両輪として活動しており、室内楽や小編成のアンサンブルでの公演も行っているという。映画音楽に関しては多くのサウンドトラックのレコーディングを手掛けており、エン二オ・モリコーネ作品のほか、「ライフ・イズ・ビューティフル」や「イル・ポスティーノ」などの映画本編の演奏を担当している。

以前は、ローマ室内管弦楽団の名義で日本ツアーを行っていたが、今回はローマ・イタリア管弦楽団として日本中を回る。これまでに関東各地と愛知県日進市、静岡県浜松市で演奏会を行っており、今後は、呉、山口、福岡県、熊本、宮崎、大分、鹿児島を経て関東に戻り、長野、静岡、楽日となるてつくば市のノバホールまで計24会場を回るという大型ツアーである。このうち、鹿児島市文化第1ホール、東京オペラシティコンサートホール、ノバホールでの3公演は吉俣良特別プロデュース公演であり、「篤姫」や「江~姫たちの戦国~」で知られる吉俣良が出演して自作を中心としたコンサートを行う。

曲目は、ジョルジュ・オーリックの「ローマの休日」メインテーマ、ヘンリー・マンシーニの「ティファニーで朝食を」より“ムーンリバー”と「ピンクパンサー」のテーマ、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」よりテーマ、マックス・スタイナーの「風と共に去りぬ」より“タラのテーマ”、ピエトロ・マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲(ゴッド・ファーザー」パートⅢ)、ニーノ・ロータの「ゴッド・ファーザー」より“愛のテーマ”、「ロミオとジュリエット」よりテーマ、「山猫」より“愛のテーマ”、「フェリーニのアマルコムド」よりテーマ、「道」よりテーマ、「8 1/2(はっかにぶんのいち)」よりテーマ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲第25番第1楽章(「アマデウス」)と歌劇「フィガロの結婚」序曲(「アマデウス」)、ニコラ・ピオヴァーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」メインテーマ、フランシス・レイの「ある愛の詩」テーマ、「白い恋人たち」テーマ、「男と女」よりテーマ、ミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」より“愛のテーマ”、エン二オ・モリコーネの「海の上のピアニスト」より“愛を奏でて”、「ニュー・シネマ・パラダイス」より“愛のテーマ”、「ミッション」よりメインテーマ、「続・夕日のガンマン」よりテーマ。当日になって曲順を大幅に入れ替えている。

今日はステージからは遠いが音は良い3階正面席で聴く。なおポディウム席、2階ステージ横席、3階サイド席は発売されていない。

イタリアはクラシック音楽の祖国ではあるが、名門オーケストラはあっても一流オーケストラはないというのが現状である。指揮者に関してはアルトゥーロ・トスカニーニに始まり、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、リッカルド・シャイー、ジュゼッペ・シノーポリ、最近話題のダニエレ・ガッティに至るまで、オーケストラビルダーとしても名高い多くの逸材が生まれているが、イタリア国内はオーケストラコンサートよりもオペラが盛んということもあってオーケストラ自体の名声が上がらない。名門よりもむしろ最近出来たミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団やアルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団の方が高い評価を得ていたりする。

というわけで、機能に関しては余り期待していなかったのだが、想像していたよりもはるかに優れたオーケストラであった。透明な音と朗らかなカンタービレが特徴。管の抜けも良いが、弦はそれ以上に優れており、流石は「弦の国」のオーケストラと感心させられる出来であった。今後も日本でハイレベルな演奏を聴かせてくれそうである。

今回のツアーの指揮を務めるのは、ニコラ・マラスコ。フォッジア・ウンベルト・ジョルダーノ音楽院とペスカーラ音楽院で指揮をピエロ・ベルージやヨルマ・パヌラ、リッカルド・ムーティらに師事。2005年にはジュゼッペ・パターネ指揮コンクールで優勝している。マラスコは曲によってはピアノ独奏も担当しており、多才であるようだ。
「シンドラーのリスト」、「ニュー・シネマ・パラダイス」などではヴァイオリン独奏も務めたコンサートマスターのアントニオ・ペッレグリーノは、ローマ・イタリア管弦楽団の創設者の一人で、ローマ歌劇場第2ヴァイオリン奏者を経て同楽団のコンサートマスターも務めたという経歴の持ち主である。1999年から2003年まではフェーデレ・フェナローリ音楽院やアブルッツォ・ユース・オーケストラでオーケストラ演奏法指導者としても活躍していたそうだ。

ローマ・イタリア管弦楽団は、室内オーケストラより一回り大きめの編成。メンバー表を見たが、ほぼ全員がイタリア人のようである。アメリカ式の現代配置を基本としているが、ティンパニを舞台上手、ヴィオラの隣に置くなど独自性が見られる。「ティファニーで朝食を」より“ムーンリバー”では、出だしがサティの「ジムノペディ」第1番を意識した編曲だったりとアレンジにも凝っている。エレキ音はギターなどは用いず、全てキーボード(赤毛のミレラ・ヴィンチゲラという女性奏者が担当)で出しているようだ。

映画音楽だけでなく、マスカーニやモーツァルトの演奏も優れている。特にマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲はイタリアのオーケストラでないと出せないような絶妙の彩りが特徴である。
指揮のニコラ・マラスコは強弱のコントラストを大きくつけた音楽作りをする。パースペクティヴの作り方も上手い。

アンコールは、ペッレグリーノのヴァイオリン独奏による「愛の賛歌」、更にオーリックの「ローマの休日」メインテーマが再度演奏される。豊かな歌と輝かしい音が印象的であった。

20世紀のクラシック音楽がどんどん歌から離れていく一方で、劇伴やポップスはよりメロディアスなものへと発展を遂げていく。音楽史的には、12音楽を始めとして響きの音楽へと転換していくクラシック部門に耳目を奪われがちになるが、ポピュラー部門に関していうなら20世紀ほど旋律が追求された時代はこれまでなかったように思う。録音技術やマスメディアの発達で世界各国の音楽をいながらにして聴くことが出来るようになったことも大きいだろう。望めば24時間音楽が聴ける環境が整ったことでメロディーの世界は広大無辺は大げさにしても一個人や国家の壁を越えて広がるようになっている。
というわけで、クラシックのコンサートホールでは例がないほど甘い旋律に酔うことが出来た。

 

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2018年7月 3日 (火)

「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”

サッカー日本代表とベルギー代表を讃えて

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2018年3月20日 (火)

観劇感想精選(238) ミュージカル「舞妓はレディ」

2018年3月18日 福岡・中洲川端の博多座にて観劇

12時から博多座でミュージカル「舞妓はレディ」を観る。周防正行監督の同名ミュージカル映画の舞台化。原作:周防正行&アルタミラピクチャーズ、脚色:堀越真、演出:柴﨑秀臣、作曲・編曲:周防義和、作詞:周防正行&種ともこ。出演:唯月ふうか、榊原郁恵、平方元基(ひらかた・げんき)、蘭乃はな、多田愛佳(おおた・あいか)、片山陽加(かたやま・はるか)、土屋シオン、谷口浩久、湖月わたる、辰巳琢郎ほか。

映画「舞妓はレディ」でのナンバーの他に新曲も含めた上演が行われる。博多座オリジナルのミュージカルであり、京都が舞台ではあるが上演は博多座でしか行われない。

主人公の西郷春子(舞妓としては小春)を演じる唯月(ゆづき)ふうかは北海道札幌市生まれの21歳。本名の川上桃子名義で歌手としてデビューしたが現在はミュージカルを主舞台として活動している。唯月ふうかという芸名はどことなく宝塚っぽいが宝塚歌劇とは一切関係がない。

宝塚出身なのは湖月(こづき)わたると蘭乃はなであり、男役出身の湖月わたるには男装するシーンも用意されている。

映画にもAKBグループのアイドルがバイト舞妓役で出演していた(武藤十夢と松井珠理奈)が、今回も元HKT48の多田愛佳と元AKB48の片山陽加が同じ役で出演。映画ではラップ調の曲が用意されていたが、今回はその代わりに新曲「アイドルになりたい」(作詞:寺﨑秀臣、作曲:佐藤泰将)が歌い上げられた。

メイン楽曲である「舞妓はレディ」に乗せて、芸舞妓役の女優による舞でスタート。上手の花道(今回は客席を横切る形のいわゆるメインの花道は使用しない)から旅装の春子が登場し、舞台の中央へ。回り舞台が反時計回りして奥へと消えていく。

舞台は京都の架空の花街・下八軒。下八軒は小さな花街であり、後継者不足に悩んでいる。現役の舞妓は桃春(蘭乃はな)一人だけ。しかも桃春は現在29歳で、本来ならとっくに芸妓に上がっているところを舞妓が他にいないために留任させられている。イベントでは舞妓が足りないのでバイト舞妓の福葉(多田愛佳)や福名(片山陽加)を駆り出さねばならない有様だ。そんな下八軒の老舗置屋である万寿楽に春子が訪ねてくる。 「舞妓になりたい」と語る春子は鹿児島弁と津軽弁をちゃんぽんで話す。京大学の言語学者・京野法嗣(平方元基)は春子に興味を覚え、春子に京言葉を仕込むことに決める。京野のバックアップを受けて、下八軒で仕込み(見習い)として働くことになった春子だったが……。

映画「舞妓はレディ」よりも春子と京野の恋愛路線が前面に押し出されており、ミュージカル的な味わいが増している。
そのため、春子(小春)という人物の不可解さはこの劇ではほとんど触れられておらず、掘り下げられることも当然ながらない。
映画「舞妓はレディ」を観て春子の出自について疑問を持った方もいらっしゃると思われる。春子は薩摩弁と津軽弁をネイティブ並みに話す。祖父が鹿児島県出身で祖母が青森県出身、現在は津軽地方在住。両親は共に他界しており、祖父母に育てられる。そのため不思議な話し方になる。ただ津軽でずっと暮らしていたら津軽弁が強くなるのが普通である。そして映画では京野が津軽の春子の実家に行くシーンがある(今回のミュージカルでは音声のみによって処理されている)のだが雪深く、他に何もないような場所。そしてそこに住む春子の社会性の乏しさ。本当に友達がいるのだろうか? そもそも不登校なのではないか? そんな印象も受ける。もっとも仮にそうだったとしてもそうした設定が明かされることはないだろう。春子が本当にそういう性格だったとしても、花街側、少なくとも京都の五花街は「舞妓はそういう子がなるもの」という誤解を受けることを怖れるはずである。わかる人にはわかるはずなので、それがシンデレラストーリーに繋がっていると見ることも出来るのだが、今回のミュージカルではそうした要素はなく、「マイ・フェア・レディ」同様のピグマリオンのみが展開の軸となる。

舞妓・小春となる春子を演じた唯月ふうかは芸達者なようで、歌もダンスも見事にこなす。冒頭の素朴さや襟替えしてからの華やかさなど、演じ分けも堂に入っている。ただ、これは彼女の責任ではないのだが、「やはり上白石萌音って凄かったんだなあ」と思ったのも事実である。

万寿楽の女将、小島千春は榊原郁恵が演じているのだが、その配役によって舞台の明るさとコミカルさが増す。存在しているだけで雰囲気が作れるのが榊原郁恵の良いところである。
幕間にご主人である渡辺徹さんとすれ違う。話していたのは息子さんかな? その後、渡辺徹さんとその関係者が私と同じ4列目のセンター付近で鑑賞されているのが確認出来た(私は下手端の方である)。

ミュージカル俳優として売り出し中の平方元基。福岡県出身である。学者の息子である長谷川博己のような見るからにインテリ然とした雰囲気は出せていないが、京野の若さと才気の表現は十分に出来ており、歌も万全である。

湖月わたると蘭乃はなの元宝塚コンビは歌にダンスに大活躍。映画スターを演じるダンスシーンでの湖月わたるの男装は本物の男よりも格好がいいくらいだ。

終幕とカーテンコールでタイトル曲「舞妓はレディ」の歌とダンスが行われるのだが、何度も行われるので、前の方のお客さんは振りを覚えてしまい、一緒に踊っていた。私も見ているだけでは悔しいので少しだけ踊った。



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