カテゴリー「ミュージカル」の52件の記事

2024年10月11日 (金)

観劇感想精選(471) 日米合作ブロードウェイミュージカル「RENT」 JAPAN TOUR 2024大阪公演

2024年9月14日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時30分から、大阪・梅田のSkyシアターMBSで、日米合作ブロードウェイミュージカル「RENT」JAPAN TOUR 2024 大阪公演を観る。英語上演、日本語字幕付きである。
SkyシアターMBSは、大阪駅前郵便局の跡地に建てられたJPタワー大阪の6階に今年出来たばかりの新しい劇場で、今、オープニングシリーズを続けて上演しているが、今回の「RENT」は貸し館公演の扱いのようで、オープニングシリーズには含まれていない。

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プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」をベースに、舞台を19世紀前半のパリから1990年代後半(20世紀末)のニューヨーク・イーストビレッジに変え、エイズや同性愛、少数民族など、プッチーニ作品には登場しない要素を絡めて作り上げたロックミュージカルである。ストーリーなどは「ラ・ボエーム」を踏襲している部分もかなり多いが、音楽は大きく異なる。ただ、ラスト近くで、プッチーニが書いた「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)の旋律がエレキギターで奏でられる部分がある。ちなみに「私が街を歩けば」に相当するナンバーもあるが、曲調は大きく異なる。

脚本・作詞・作曲:ジョナサン・ラーソン。演出:トレイ・エレット、初演版演出:マイケル・グライフ、振付:ミリ・パーク、初演版振付:マリース・ヤーヴィ、音楽監督:キャサリン・A・ウォーカー。

出演は、山本耕史、アレックス・ボニエロ、クリスタル ケイ、チャベリー・ポンセ、ジョーダン・ドブソン、アーロン・アーネル・ハリントン、リアン・アントニオ、アーロン・ジェームズ・マッケンジーほか。
観客とのコール&レスポンスのシーンを設けるなど、エンターテインメント性の高い演出となっている。

タイトルの「RENT」は家賃のことだが、家賃もろくに払えないような貧乏芸術家を描いた作品となっている。

主人公の一人で、ストーリーテラーも兼ねているマークを演じているのは山本耕史。彼は日本語版「レント」の初演時(1998年)と再演時(1999年)にマークを演じているのだが、久しぶりのマークを英語で演じて歌うこととなった。かなり訓練したと思われるが、他の本場のキャストに比べると日本語訛りの英語であることがよく分かる。ただ今は英語も通じれば問題ない時代となっており、日本語訛りでも特に問題ではないと思われる(通じるのかどうかは分からないが)。
マークはユダヤ系の映像作家で、「ラ・ボエーム」のマルチェッロに相当。アレックス・ボニエロ演じるロジャーが詩人のロドルフォに相当すると思われるのだが、ロジャーはシンガーソングライターである。このロジャーはHIV陽性である。ミミはそのままミミである(演じるのはチャベリー・ポンセ)。ミミはHIV陽性であるが、自身はそのことを知らず、ロジャーが話しているのを立ち聞きして知ってしまうという、「ラ・ボエーム」と同じ展開がある。
ムゼッタは、モーリーンとなり、彼女を囲うアルチンドロは、性別を変えてジョアンとなっている。彼女たちは恋人同士となる(モーリーンがバイセクシャル、ジョアンがレズビアンという設定)。また「ラ・ボエーム」に登場する音楽家、ショナールが、エンジェル・ドゥモット・シュナールドとなり、重要な役割を果たすドラッグクイーンとなっている。

前半は賑やかな展開だが、後半に入ると悲劇性が増す。映像作家であるマークがずっと撮っている映像が、終盤で印象的に使われる。
「ラ・ボエーム」は悲劇であるが、「RENT」は前向きな終わり方をするという大きな違いがある。ロック中心なのでやはり湿っぽいラストは似合わないと考えたのであろう。個人的には、「ラ・ボエーム」の方が好きだが、「RENT」も良い作品であると思う。ただ、マイノリティー全体の問題を中心に据えたため、「ラ・ボエーム」でプッチーニが描いた「虐げられた身分に置かれた女性」像(「ラ・ボエーム」の舞台となっている19世紀前半のパリは、女性が働く場所は被服産業つまりお針子や裁縫女工、帽子女工など(グリゼット)しかなく、彼女達の給料では物価高のパリでは生活が出来ないので、売春などをして男に頼るしかなかったという、平民階級の独身の女性にとっては地獄のような街であった)が見えなくなっているのは、残念なところである。

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2022年9月24日 (土)

観劇感想精選(446) 日本初演30周年記念公演 ミュージカル「ミス・サイゴン」@梅田芸術劇場メインホール 2022.9.15

2022年9月15日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ミス・サイゴン」を観る。日本でもたびたび上演される大ヒットミュージカルである。ロングランのため複数人がキャストに名を連ねており、今日の出演は、伊礼彼方(エンジニア)、高畑充希(キム)、チョ・サンウン(クリス)、上原理生(ジョン)、松原凜子(エレン)、神田恭兵(トゥイ)、青山郁代(ジジ)、藤元萬瑠(タム)ほかとなっている。

プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の舞台をベトナム戦争とその直後に置き換えて制作されたミュージカル。作曲は、「レ・ミゼラブル」のクロード=ミシェル・シェーンベルクである。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、「蝶々夫人」の旋律を生かしており、「ここぞ」という場面では、「蝶々夫人」の旋律が効果的にアレンジされた上で奏でられる。またベトナムが主舞台ということで、東南アジア風の旋律も要所要所で登場する。どことなくラヴェル風でもある。

ベトナム最大の都市にして、南ベトナムの主都であったサイゴン市(現ホーチミン市)。戦災により家を失い、サイゴンへと逃げてきたキムは、女衒のエンジニアの後について、売春宿にやってくる。キムは米兵のクリスに買われて一夜を共にするが、それがキムの初体験だった。二人は愛し合い、結婚式を挙げるが、アメリカの傀儡国家であった南ベトナム(ベトナム共和国)の首都であるサイゴンが陥落し、米国の敗北が決定的になったことから、米兵であったクリスはサンゴンを後にしてアメリカへと戻る。その間にキムは、クリスの子である男の子を生んでいた。


有名作であるが、私は「ミス・サイゴン」を観るのは初めて。プッチーニの音楽を大胆に取り入れた音楽構成と、ベトナムの風習や衣装を生かし「蝶々夫人」では日本人以外は納得しにくかったラストを改変するなどしたストーリーが魅力で、「蝶々夫人」を観たことがない人でも楽しめる作品になっている。
「蝶々夫人」のラストは、日本人以外には納得しにくいもののようである。台本を担当したジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ、原作小説を書いたジョン・ルーサー・ロングとそれを戯曲化したデーヴィッド・ベラコス、更にはプッチーニも日本的な美意識を理解していたということになるが、「自決の美学」は西洋人にはピンとこない事柄であるようだ(そもそも西洋人の大半がキリスト教の信者であり、キリスト教では自殺は罪とされている)。そこで蝶々夫人にあたるキムを積極的にわが子に命を与える女性に設定し、死ぬことで子どもの未来を開いた女性の「自己犠牲」を描いた悲劇となっている。ただ日本人である私は、この改変に対しては「合理的」に過ぎるという印象を受け、良くも悪くも「死」でもって何かと決着をつけようとする日本的な美意識の方により引き付けられる。ただ日本人の美意識もたびたびの転換を迎えており、日本人であっても「蝶々夫人」のラストの意味が分からない人が大半になる日が来るのかも知れない。そしてそれは第二次大戦時の残酷さを思えば、必ずしも悪いことではないのだろう。

私自身は、高畑充希が演じるキムが見たかったので、この日を選んだが、童顔系でありながらパワフルな歌唱を聞かせる高畑充希は、キム役に合っていたように思う。何度も上演されているミュージカルなので、そのうちにまた高畑充希以外のキムで聴くのもいいだろう。今日は視覚・聴覚(歌詞が聞き取れない部分がいくつもあった)両面で問題のある席だったので、別の席で観る必要も感じた。今回のプロジェクトで再び観る気はないが、次回以降のプロジェクトでも観てみたくなる作品であった。

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2022年2月20日 (日)

これまでに観た映画より(283) スティーヴン・スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022年2月15日 MOVIX京都にて

新京極のMOVIX京都でスティーヴン・スピルバーグ監督のミュージカル映画「WEST SIDE STORY ウエスト・サイド・ストーリー」を観る。先頃亡くなったスティーヴン・ソンドハイムの作詞、レナード・バーンスタイン作曲の最強ミュージカルである「ウエスト・サイド・ストーリー(ウエスト・サイド物語)」。1曲ヒットナンバーがあれば大成功というミュージカル界において、全曲が大ヒットというモンスター級の作品であり、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台をニューヨークのスラム街に置き換え、ポーランド系移民のジェッツとプエルトリコ移民によるシャークスという少年ギャングの対立として描いて、世界中の若者の共感も呼んでいる。

1961年に公開された映画「ウエスト・サイド物語」も大ヒットしており、名画として認知されているが、出演俳優がその後、なぜか不幸に見舞われるという因縁でも知られている。マリアを演じたナタリー・ウッドは、1981年、映画の撮影中に水死。事故とされたが、最近に至るまで殺害説がたびたび浮上している。トニー役のリチャード・ベイマーは、一時的に俳優のキャリアを中断している。ベルナルド役のジョージ・チャキリスも映画よりもテレビドラマなどに活動の場を移しているが、日本では小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを演じた「日本の面影」に出演しており、私が初めてジョージ・チャキリスという俳優を知ったのも「日本の面影」においてである。


1961年の「ウエスト・サイド物語」と、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」とでは、設定や舞台、歌の担い手、ラストの解釈などが大きく異なっている。

スピルバーグ版「ウエスト・サイド・ストーリー」のキャストは、アンセル・エルゴート(トニー)、レイチェル・ゼグラー(マリア)、アリアナ・デボーズ(アニータ)、デヴィット・アルヴァレス(ベルナルド)、マイク・ファイスト(リフ)、ジョシュ・アンドレス(チノ)、コリー・ストール(シュランク警部補)、リタ・モレノ(バレンティーナ)ほか。リタ・モレノは、「ウエスト・サイド物語」で、アニータを演じ、アカデミー助演女優賞などを受賞した女優であり、今回の映画の製作総指揮も彼女が務めている。

脚本はトニー・クシュナーが担当しており、細部にかなり手を加えている。

指揮を担当するのは世界的な注目を浴びているグスターボ・ドゥダメル。ニューヨーク・フィルハーモニックや手兵のロサンゼルス・フィルハーモニック(コロナによりニューヨークでの録音が出来なくなったための追加演奏)からシャープにしてスウィング感にも溢れる極上の音楽を引き出している。

「ウエスト・サイド物語」では、リタ・モレノ以外は、白人のキャストがメイクによってプエルトリコ人に扮して演技を行っていたが、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」では、プレルトリコ移民側は全員、ラテンアメリカ出身の俳優がキャスティングされている。また、プエルトリコ移民は英語も話すが、主として用いる言語はスペイン語であり、プエルトリコ移民同士で話すときはスペイン語が主となるなど、リアリティを上げている。デヴィッド・ニューマン編曲によるスペイン語によるナンバーも加わっている。

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映画はまず、リンカーン・センター(メトロポリタン歌劇場や、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地であるデヴィッド・ゲフィン・ホールなどが入る総合芸術施設)の工事現場の上空からのショットで始まる。マンハッタンのウエスト・サイドがスラム街から芸術の街に変わっていく時代を舞台としている。と書くと美しく聞こえるが、それまでその土地で暮らしていた人が住み家や居場所を失うということでもある。皮肉にも――と書くのはおかしいかも知れないが――彼らを追い込み追い出すのは、映画やミュージカルも含む芸術なのである。ジェッツのメンバーが、リンカーン・センター建設の工事現場地下からペンキを盗み出し、プエルトリコの国旗が描かれたレンガにぶちまけ、それを見たシャークスの面々と乱闘になる。

今回の映画では、ジェッツのメンバーの主力がポーランド系移民とは示されず(トニーはポーランド系移民であることが明かされる場面がある)、白人対有色人種の構図となっている。ヒスパニック系住民の増加は、現代アメリカの重要問題となっており、将来、英語を母語とする人種を数で上回るのではないかといわれている。また、ジェッツの取り巻きには、外見は女性だが内面は男性というトランスジェンダーのメンバーがおり、LGBTQの要素も入れている。

「ウエスト・サイド・ストーリー」といえば、ダンスシーンが有名だが、今回一新されたジャスティン・ペック振付によるダンスはキレも迫力も抜群であり、カメラ自身が踊っているような優れたカメラワークも相まって見物となっている。

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トニー(本名はアントン)は、傷害罪で逮捕され、刑務所で1年間の服役を終えて仮出所中という設定になっており、ベルナルドはボクサーとしても活躍しているということになっている(格闘のシーンではなぜかトニーの方がベルナルドより強かったりする)。

リフが歌う「クール」であるが、これがトニーの歌に変わっており、「クラプキ巡査どの」は警察署に拘留されたジェッツのメンバーによる戯れの劇中劇のような形で歌われる。「Somewhere」が、今回のバージョンのオリジナルキャラクターであるバレンティーナの独唱曲として懐旧の念をもって歌われる場面もある。

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決闘の場が塩の保管倉庫になっていたり、ラストシーンの舞台がバレンティーナが営む商店のそばになるなど、異なる場面は結構多い。ベルナルドの腰巾着的立場であったチノが幅のある人間として描かれているのも意外だが、映画全体の奥行きを出すのに一役買っている。

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シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は人間の愚かしさを恋愛劇という形で描き上げた作品であるが、1961年の「ウエスト・サイド物語」のラストシーンでもマリアが人間の愚かしさを憎むような表情で退場していた。ただ、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」では憎しみというよりも運命の受け容れに近いように見える。時を経て、差別に対しては憎悪よりもある程度の受け容れが重要であると認識が変わってきたことを表しているようでもある。

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2022年1月 3日 (月)

コンサートの記(756) 2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」@ロームシアター京都

2021年11月28日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時30分から、ロームシアター京都メインホールで、2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」を聴く。

このコンサートは、チケット発売初日に席を確保出来ず、同じ日に行われる京都市交響楽団のチケットを取ったのだが、その後に教職員のキャンセルが出たのかどうかは知らないが、新たにロームシアター公演のチケットが発売になっていたため購入。ロームシアターを優先させることにした。

「ミュージックフェア」での共演などを経て、森山良子、平原綾香と4人でLA VITAを結成した新妻聖子とサラ・オレイン。日本歌謡界の若手を代表する二人の共演による豪華なコンサートを格安で聴ける機会である。ただ前後左右一席空けのソーシャルディスタンススタンスであるが席は埋まり切っておらず、そこは残念な気がした。なお、肉親などの親しい関係であれば一席空けなくても大丈夫なようである。

第一部がサラ・オレイン、第二部が新妻聖子という二部制のコンサート。二人のデュオがあるとは書かれていないが、普通に考えて、ないとは思えない。
果たしてアンコールでは二人揃って登場した。


第一部に登場のサラ・オレイン。オーストラリアの出身で、日本文学を学ぶために東京大学に留学。その後に歌手として日本で活動するようになっている。音楽活動は多岐に渡り、楽器演奏や作曲、指揮もこなすという才女である。言語学が専門領域であり、今日も、「ほな、いきまっせ」「おいでやす。おこしやす」など関西弁でのトークも行った。
三島由紀夫の『金閣寺』を読んで感動し、「これは日本に行くしかない」と思ったそうで、数年前には金閣寺でのコンサートも行っているという。

2018年に京都コンサートホールで行われた「時の響」に出演した時に聴いて以来のサラ・オレイン。まず1曲目に久石譲の「君をのせて~天空の城ラピュタより」を歌い、その後に自作などを披露。ヴァイオリンやキーボードを弾きこなすなど多才である。
葉加瀬太郎とセリーヌ・ディオンの「TO LOVE MORE」でヴァイオリン弾き語りの一人二役を行ったり、チック・コリアの「スペイン」に歌詞を付けたものを歌ったり、最後はプッチーニの歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」(本来はテノールの曲である)を歌うなど、バラエティに富んだ選曲。歌声も澄んだソプラノからソウルフルなものまで幅広い。


最も好きなミュージカル歌手の一人である新妻聖子。歌声にも演技にも全幅の信頼の置ける人である。今日は青いパンタロン(でいいのかな?)姿で登場する。
まずはお得意のミュージカルナンバーから。「ラ・マンチャの男」から同名曲、「アニー」から「Tomorrow」、「レ・ミゼラブル」から「夢破れて」。「ラ・マンチャの男」は英語、「Tomorrow」と「夢破れて」は日本語での歌唱である。「Tomorrow」は少女が主演する「アニー」のナンバーということで、新妻聖子が歌うようになったのは最近だそうだが、歌詞が深く、「子どもが歌う曲だからとは侮れない」そうである。「レ・ミゼラブル」は、新妻のミュージカルデビュー作(エポニーヌ役)であるが、エポニーヌが歌う「On My Own」ではなく、最も有名な曲である「夢破れて」を歌う。客席に「『レ・ミゼラブル』をご覧になったことのない方っていますかね?」と聞いて、数名拍手する人がいたので、「7人ぐらいいらっしゃいますね」ということで、説明しようとするが、「ある人がパンを盗んでですね、改心する。割と早く改心するんですが、その前に出てくる恵まれない人がフォンテーヌ。フォンテーヌは人を信じやすいんですが、不幸になって、子どもを宿して、でも子どもがいたら働けないから、信用出来そうな夫婦(テナルディエ夫妻)に預けたら、実際には酷い人達で」と大まかなものに留める。『レ・ミゼラブル』はミュージカルとしても大作であるが、原作小説も岩波文庫の厚いもので4冊あり、そう簡単に説明出来るものではない。「Tomorrow」も優れていたが、「夢破れて」は入魂の出来で素晴らしかった。

続いては「ピコ太郎さんの歌をうたいたいと思います。ふざけてるんじゃないですよ。ピコ太郎さんは真面目な曲も書いてるんです。さだまさしさんの『関白宣言』という歌がありますが、みんな知っているという前提で言いますけど、結婚した旦那さんが割と高圧的な、半分冗談なんですけど、それを生まれてくる子どもの視点から書いた『完パパ宣言』というのがありまして、刺さるものがあったので、ピコ太郎さんに『歌いたいんですけどいいですか?』とお伺いしたら『いいですよ』ということでレパートリーに入れた」そうである。赤ちゃんの視点で歌うということで、椅子の上に座り、胎児のように脚を抱えて歌う。途中で録音された産声が流れるが、新妻聖子の長男が生まれた時の産声だそうである。

新妻聖子の実姉は、シンガーソングライターだそうだが、姉妹のことを書いた「sisters」という曲も歌われる。新妻の姉の声が録音で流れて「疑似デュオ」になるが、実の姉ということで声が新妻聖子にそっくりである。

LA DIVAでは、韓国の音楽グループであるBTSの「Dynamite」をカバーしているのだが、それを「ラウンジでブランデーを傾けながらシャム猫を撫でているイメージ」でアレンジして貰ったものを歌う。モダンジャズなテイストであった。

新妻は現在、ミュージカル「ボディガード」の稽古に励んでいるそうで、「有名な『エンダーイ』を歌います」ということで、「Always Love You」が日本語と英語が混じったミュージカル日本上演バージョンで歌われた。

最後はお別れのイメージがある「Time to say goodbye」。伸びやかな歌唱であった。


アンコールは、サラ・オレインと新妻聖子の共演で、中島みゆきの「時代」とABBAの「ダンシングクィーン」が歌われる。先頃の再結成宣言でも話題になったABBAはスウェーデンのグループということで、サラ・オレインは新妻の青の衣装と合わせてスウェーデンの国旗に見えるよう黄色のドレスを選んだのだが、新妻はそれに気付かず、昨日の綾部市での公演では、「サラちゃん、黄色のドレス素敵だね」としか思っていなかったそうである。
新妻はサラに「京都の思い出」について聞いたのだが、「先程語り尽くした」ということで再び三島由紀夫の『金閣寺』の話をする。新妻は、「日本人なのに(『金閣寺』を)読んだことない」そうだが、「京都がサラちゃんを日本に呼んだと」と纏めていた。

「時代」には英訳された歌詞が存在するそうで、二番は英訳詞でのデュオとなった。
ミュージカル「マンマ・ミーア!」の振り付きで歌われた「ダンシングクィーン」もノリノリであり、「良いものを聴いた」と心から満足出来るコンサートとなった。

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2021年6月 3日 (木)

観劇感想精選(399) 井上芳雄主演 ミュージカル「ハムレット」

2012年2月27日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後1時から、梅田芸術劇場シアタードラマシティで、ミュージカル「ハムレット」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、脚本・作曲・作詞:ヤネック・レデツキー、演出:栗山民也。出演は、井上芳雄、昆夏美、伊礼彼方、成河(ソン・ハ)、阿部裕、山路和弘、涼風真世、村井国男ほか。

ストレートプレーだと上演時間3時間を超える大作である「ハムレット」を2時間に短縮してミュージカル化したもの。

開演前、舞台上にはデンマークの国旗が下4分の1ほどが何かに被さる形で垂れている。

上演開始、先王ハムレットの葬儀のシーンから始まり、デンマークの国旗が被さっていたものが、先王の棺であることがわかる。ハムレット(井上芳雄)は棺が運ばれていく様を憂鬱な表情で見つめている。

舞台は一転して、オフィーリア(昆夏美)が明るい表情で登場。ハムレットからの恋文を読み上げて浮き浮きしている。

そしてクローディアス(村井国男)とガートルード(涼風真世)の婚儀のシーンとなり、皆は愛の美しさを歌い上げるが、ハムレットは「愛は全てを駄目にする」と語る。

その後、ハムレットがガートルードに向かって言う「弱き者、汝の名は女」、そしてポローニアスがハムレットのことを「He is crasy」だと歌い上げるナンバー(このナンバーは同じ旋律でハムレットによる「Who is crasy」としてポローニアス殺害後に歌われる)を挟んで、ハムレットがオフィーリアに向かって放つ「尼寺へ行け!」のセリフが出てくる。

なお、有名な「To be,or not to be」は日本語に訳されることなく、英語のまま、後半の冒頭の歌詞に登場する。

役者では井上芳雄が抜群の出来。動きにキレがあるし、歌声も、特に高音の伸びが素晴らしい。オフィーリアを演じた昆夏美も小柄な体型からは想像出来ないほどパワフルな歌声を発し、後半の狂気の場面での演技力も高い。

ただ、ミュージカルとしてはまずまずの出来であったが、「ハムレット」としてはやや不満が残る。カットした部分が多いため、心理描写が今一つで、あらすじを追っているだけに思える場面もあった。また追加された場面もさして効果的とは思えなかった。音楽や俳優は充実していただけにそれが残念である。

栗山民也の演出は、ラストでデンマークの国旗が十字架に見えるという仕掛けがなかなか良かったように思う。


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2021年4月25日 (日)

観劇感想精選(393) ミュージカル「シラノ」

2009年6月3日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場メインホールでミュージカル「シラノ」を観る。エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」のミュージカル化。台本・作詞:レスリー・ブリカッス、テキスト日本語訳:松岡和子、作曲:フランク・ワイルドホーン、演出:山田和也。
タイトルロールを演じるのは鹿賀丈史。出演は他に、朝海ひかる、中河内雅貴、戸井勝海、光枝明彦、鈴木綜馬等。

まず、レスリー・ブリカッスの台本だが、エドモン・ロスタンの本になるべく忠実に、ミュージカル用にセリフを縮めていた。ミュージカルだけに歌の部分の時間が長くなり、ロスタンの本をそのままやったら上演時間3時間には収まらないはずだが、不自然さが感じられない程度に圧縮していた。優れた台本だといっていいだろう。クリスチャン(中河内雅貴)とロクサーヌ(朝海ひかる)のバルコニー上における二人だけの場面の歌詞はどうするのだろうかと思っていたが、二人同時に歌うということで処理していた。ここは私だったら歌詞は同じものにしてロクサーヌの後にクリスチャンの歌を入れてカノンとしてやると思う。別に私が作家ではないので私の見解などどうでもよいのだが、一意見として書いておく。

ワイルドホーンの音楽はチャーミングだ。難を言うなら、修道院の場面でのロクサーヌの独唱がドラマティック過ぎること。場面に合っていないように思う。


鹿賀丈史の落ち着いた演技は安心して観ていられる。脇も充実。ロクサーヌを演じる朝海ひかるは歌声がアルトに近いメゾ・ソプラノで(宝塚では男役だった)、ロクサーヌの可憐さには合っていないように思うが、傷にはなっていないし、修道院の場面では落ち着いたメゾ・ソプラノの方がいいとも考えられる。

おなじみ山田和也の演出はオーソドックスで、セットの使い方なども目新しさこそないがツボを押さえた確かなものであった。

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2020年11月 3日 (火)

観劇感想精選(363) ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」再演

2020年10月30日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時30分から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」を観る。「リトル・ダンサー」という邦題で公開されたイギリス映画をエルトン・ジョンの音楽でミュージカル化した作品で、日本では2017年に初演され、今回は再演となり、今日が大阪公演初日である。

「リトル・ダンサー(原題「Billy Eliot」)」は、2000年に公開された、スティーヴン・ダルドリー監督の映画で、私もDVDで観ているが、かなりの好編に仕上がっていた。
スティーヴン・ダルドリー監督は元々は舞台演出家として活躍していた人であり、ミュージカル版でも演出を担当。イギリスを代表するミュージシャンのエルトン・ジョンの作曲ということもあって、高い評価を受けているが、こうして実際に観てみると、映画とは別物として評価すべきであるように感じる。感銘の度合いは映画の方が上である。舞台演出家であったスティーヴン・ダルドリーがまずは「映画として撮るべき」と判断したのであるから、それは間違いないだろう。舞台にしてしまうとどうしても背景が分かりにくくなってしまう。ミュージカル版は妙技を堪能する作品だ。

主演のビリー・エリオット少年役はクワトロキャスト(4人)であり、今日は川口調がタイトルロールを務める。他の役もダブルキャストで、今回はお父さん(ジャッキー・エリオット)役が益岡徹、ウィルキンソン先生役が柚希礼音、おばあちゃん役が根岸季衣、トニー(兄)役が中河内雅貴、ジョージ役が星智也、オールド・ビリー(成人後のビリー)役が大貫勇輔となっている。

梅田芸術劇場メインホールの新型コロナ対策であるが、運営元である阪急グループ独自の追跡サービスが導入されているのが特徴である。おそらく宝塚歌劇などでも用いられていると思われる。

 

英国病といわれた時代の北部イングランドの炭鉱の町・エヴァリントンが舞台ということで、英語の訛りが日本版では筑豊炭田や三池炭坑で知られる福岡県の言葉に置き換えられている。

下手からビリー・エリオット役の川口調が登場し、しゃがむと同時に紗幕に映像が映し出される。第二次大戦で英国がナチス・ドイツに勝利し、炭鉱も国営化されるということで更なる発展が英国にもたらされるはず……、というところで事態が暗転する。紗幕に映し出されたのはマーガレット・サッチャーだ。長期政権(1979-1990)を敷き、今でも20世紀後半の英国の首相というと真っ先に顔や名前が思い浮かぶマーガレット・サッチャー。高福祉社会の副産物ともいえる英国病克服のため新自由主義の先駆ともいえる政策を次々に打ち出し、労働者階級から目の敵にされた政治家である。サッチャーによって炭鉱は民営化され、ただでさえ斜陽の産業であったため多くの炭坑夫が苦境に立たされることになるのだが、「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」はそんな時代(1984年)の話である。

サッチャーの政策に反対し、エヴァリントンの炭坑夫達がストライキに入る。リーダー的存在のジャッキー・エリオットの息子で、11歳のビリー・エリオット(劇中で1つ年を取る)は、ボクシングを習っていたのだが、ボクシング教室が終わった後、同じ場所で開かれることになったバレエ教室を目にする。早くに母親を亡くしたビリー。ジャッキーも「ビリーに強くなって欲しい」との思いからボクシングを習わせたのだが、何しろ保守的な田舎町、男は男らしくあるべしという思想が根強く、「バレエなどをやる男はオカマだ」という偏見に満ちており、ビリーも知らず知らずのうちにそうした考えに染まっている。ウィルキンソン先生からバレエに興味があるかどうか聞かれたビリーも最初は否定したが、その後、父親には内緒でレッスンを受け、バレエに惹かれていく。
ウィルキンソン先生から才能を見込まれたビリーは、「ロンドンのロイヤル・バレエ・スクールを受験してみないか」と誘われる。だが当然ながら父親は反対。一度はバレエダンサーへの夢は絶たれたかに見えたのだが……。

伏線としてビリーの友人であるマイケルが実はトランスジェンダー(でいいのかどうかは正確にはわからない。LGBTのうちのGBTのどれかである)であるという設定がある。作曲を担当したエルトン・ジョンも男性と結婚したことで知られているため、そうした問題にも軽くではあるが触れられている。ただ、それは主題ではなく、重要なのは「らしさとは何か」ということであると思われる。

ダンスだけでなく、セリフやアクロバットをこなす子役の実力にまず感心する。日本初演時には千人を超える応募があり、その中から勝ち抜いた子ども達がビリー役を得ているが、今回も高倍率のオーディションを潜り抜けた子達であり、身体能力も表現力も並みの子役ではない。

チャイコフスキーの「白鳥の湖」より“情景”(「白鳥の湖」と聴いて誰もが真っ先に思い浮かべる音楽)をオールド・ビリー役の大貫勇輔を二人で踊る(デュエット)シーンがダンスとしては最大の見せ場であるが、ワイヤーアクションも鮮やかにこなしていた。

イギリスは階級社会であるが、そのことが最もはっきりと現れているのが、ロイヤル・バレエ・スクール受験のシーンである。エリオット親子以外はみな上流階級に属しており、日本版ではそれを表すために「ざます」言葉が用いられている。上流階級と労働者階級では当然ながら考え方が根本から異なるわけで、それが揉め事に繋がったりもする。
現代の日本は階級社会でこそないが、「上級国民」という言葉が話題になったり、格差や学歴の固定化などが問題視されるようになっており、イギリスのような社会へといつ変貌するかわからないという状況である。そもそも日本とイギリスは島国の先進国としてよく比較される存在である(イギリスも日本も先進国なのか今では怪しいが)。
「総中流」といわれた日本であるが、今では非正規社員が約4割を占め、ついこの間までの常識が通用しないようになっている。それを考えれば、このミュージカルを単なるサクセスストーリーと見るわけにはいかないだろう。そこには明確にして冷徹な視座も含まれている。

同じくイギリスの炭鉱町を描いた映画に「ブラス!」という作品(1996年制作)があり、これはバレエではなく音楽を題材にしているが、主題は同じである。ロードショー時に有楽町の映画館(今はなき銀座シネ・ラ・セット)で観て感銘を受けたが、「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」を気に入った人はこの映画も観て欲しい。

毀誉褒貶激しかったサッチャーの政策だが、その後のイギリスが辿った道を冷静に見つめてみると、少なくとも「正しかった」とは言えないように思う。サッチャーが残した爪痕は今もイギリスだけでなく、世界各国で見ることが出来る。無論、日本も例外ではない。

なんだが、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」も観てみたくなった。

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2020年11月 2日 (月)

はいだしょうこ 一人二役宝塚歌劇風「木綿のハンカチーフ」

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2020年9月 8日 (火)

楽興の時(39) 京都坊主BAR 「MANGETSU LIVE vol.24」(オーボエ:國本恵路)

2020年9月2日 元本能寺の近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU LIVE vol.24」を聴く。今日はオーボエの國本恵路(くにもと・えみ)独奏の演奏会である。

國本恵路は、大阪芸術大学演奏学科オーボエ専攻卒業後、フランスに渡り、更にスイスに移ってチューリッチ芸術大学でもオーボエを修め、同大学の大学院で音楽生理学の基礎コースを修了している。帰国後は合気道を習い、現在は合気道の指導員としても活躍しているという。

飛沫防止用のシートを前にしての演奏。これまで京都坊主BARでは、リコーダー、ヴィオラ、電子チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどの演奏を聴いてきたが、オーボエが一番音の通りがいい。


スコット・ジョプリンの「ジ・エンターテイナー」のオーボエ独奏版でスタート。合間にトークを入れながらの進行である。今日はマイクが使えるため、トークの内容もよく聞こえる。
「ジ・エンターテイナー」は、1973年公開の映画「スティング」で一躍有名になり、今ではサッカーのサポーターが歌う曲として抜群の知名度を誇っている。

秋をテーマにしたということで、イギリスの作曲家であるジェームズ・オズワルドの「キリンソウ」が演奏される。秋というと日本ではノスタルジックなシーズンというイメージだが、イギリスの曲ということで日本の秋のイメージとは大分異なる。

日本の秋の曲として「夕焼け小焼け」が録音伴奏付きで演奏されるが、やはり日本の秋というと、空が高く澄んでいて、夕焼けが映えてというイメージが浮かびやすい。秋の季語である「月」も歌詞に登場する。中村雨紅の詩は出身地である今の東京都八王子市の夕景を表したものだそうである。國本によると「夕焼け小焼け」のメロディーは草川信が1923年に作り上げたものであるが、この年の9月1日起こった関東大震災によってオリジナルの譜面は焼けてしまったという。ただ友人に写譜を渡していたため、作品自体が灰燼に帰すということは避けられたそうだ。

続いて瀧廉太郎の「荒城の月」が録音伴奏付きで演奏される。1番は歌曲の旋律通り(山田耕筰の編曲に準拠)に吹いたが、その後は崩して歌われ、最後に歌曲のメロディーに戻ってくるという編曲であった。

アンタル・ドラティ作曲の無伴奏オーボエのための5つ小品から「蟻とキリギリス」。
指揮者大国ハンガリー出身の名指揮者として名高いアンタル・ドラティ(ドラーティ・アンタル)。世界初の「ハイドン交響曲全集」を作成し、晩年にデトロイト交響楽団を指揮して録音したストラヴィンスキーの「春の祭典」は名盤中の名盤として知られる。
作曲家や編曲家としても活躍しており、無伴奏オーボエのための5つの小品は、名オーボイストのハインツ・ホリガーのために作曲されたものである。
20世紀の作品だけに音に鋭さがあり、進行も割合複雑である。最後に軽いオチがある。

20世紀のイギリスを代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンの「6つの変容」より。「6つの変容」は、ギリシャ神話に登場する神々にちなんだ曲集で、今日はそのうちの“パン”、“フェイトン”、“アレトゥーサ”にまつわる3曲が演奏された。
ベンジャミン・ブリテンは、生前から「パーセル以来久しぶりに現れたイギリスの天才作曲家」と呼ばれていたが、近年、作品が上演される機会の増えている作曲家の一人であり、才気に満ちた作品の数々が人々を魅了している。

今年の7月に亡くなった映画音楽の大家、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」。録音伴奏付きの演奏である。耳に馴染みやすく、どこか懐かしい甘美で流麗な旋律が魅力的である。

クロード=ミシェル・シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、十二音技法で知られるアーノルト・シェーンベルクの親戚である。
“夢破れて”は、スーザン・ボイルの歌唱で有名になったほか、映画「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイによる感情を最優先させた歌唱も話題になった。日本語訳詞版を歌う歌手も多く、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中でもキーになっている曲として人気が高い。嘆きの歌詞を持つだけに、歌だと情感たっぷりとなるが、オーボエで演奏した場合は旋律の美しさが目立つ。

最後はテレマンのファンタジー。「MANGETSU LIVE」はバロック以前の楽曲演奏を主軸とした演奏会であるため、テレマンの楽曲が演奏されることが多いのだが、均整の取れた楽曲は魅力的である。

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2020年7月14日 (火)

「モン巴里」(宝塚歌劇団花組)

昭和4年(1929)録音

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