カテゴリー「ミュージカル」の48件の記事

2021年6月 3日 (木)

観劇感想精選(399) 井上芳雄主演 ミュージカル「ハムレット」

2012年2月27日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後1時から、梅田芸術劇場シアタードラマシティで、ミュージカル「ハムレット」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、脚本・作曲・作詞:ヤネック・レデツキー、演出:栗山民也。出演は、井上芳雄、昆夏美、伊礼彼方、成河(ソン・ハ)、阿部裕、山路和弘、涼風真世、村井国男ほか。

ストレートプレーだと上演時間3時間を超える大作である「ハムレット」を2時間に短縮してミュージカル化したもの。

開演前、舞台上にはデンマークの国旗が下4分の1ほどが何かに被さる形で垂れている。

上演開始、先王ハムレットの葬儀のシーンから始まり、デンマークの国旗が被さっていたものが、先王の棺であることがわかる。ハムレット(井上芳雄)は棺が運ばれていく様を憂鬱な表情で見つめている。

舞台は一転して、オフィーリア(昆夏美)が明るい表情で登場。ハムレットからの恋文を読み上げて浮き浮きしている。

そしてクローディアス(村井国男)とガートルード(涼風真世)の婚儀のシーンとなり、皆は愛の美しさを歌い上げるが、ハムレットは「愛は全てを駄目にする」と語る。

その後、ハムレットがガートルードに向かって言う「弱き者、汝の名は女」、そしてポローニアスがハムレットのことを「He is crasy」だと歌い上げるナンバー(このナンバーは同じ旋律でハムレットによる「Who is crasy」としてポローニアス殺害後に歌われる)を挟んで、ハムレットがオフィーリアに向かって放つ「尼寺へ行け!」のセリフが出てくる。

なお、有名な「To be,or not to be」は日本語に訳されることなく、英語のまま、後半の冒頭の歌詞に登場する。

役者では井上芳雄が抜群の出来。動きにキレがあるし、歌声も、特に高音の伸びが素晴らしい。オフィーリアを演じた昆夏美も小柄な体型からは想像出来ないほどパワフルな歌声を発し、後半の狂気の場面での演技力も高い。

ただ、ミュージカルとしてはまずまずの出来であったが、「ハムレット」としてはやや不満が残る。カットした部分が多いため、心理描写が今一つで、あらすじを追っているだけに思える場面もあった。また追加された場面もさして効果的とは思えなかった。音楽や俳優は充実していただけにそれが残念である。

栗山民也の演出は、ラストでデンマークの国旗が十字架に見えるという仕掛けがなかなか良かったように思う。


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2021年4月25日 (日)

観劇感想精選(393) ミュージカル「シラノ」

2009年6月3日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場メインホールでミュージカル「シラノ」を観る。エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」のミュージカル化。台本・作詞:レスリー・ブリカッス、テキスト日本語訳:松岡和子、作曲:フランク・ワイルドホーン、演出:山田和也。
タイトルロールを演じるのは鹿賀丈史。出演は他に、朝海ひかる、中河内雅貴、戸井勝海、光枝明彦、鈴木綜馬等。

まず、レスリー・ブリカッスの台本だが、エドモン・ロスタンの本になるべく忠実に、ミュージカル用にセリフを縮めていた。ミュージカルだけに歌の部分の時間が長くなり、ロスタンの本をそのままやったら上演時間3時間には収まらないはずだが、不自然さが感じられない程度に圧縮していた。優れた台本だといっていいだろう。クリスチャン(中河内雅貴)とロクサーヌ(朝海ひかる)のバルコニー上における二人だけの場面の歌詞はどうするのだろうかと思っていたが、二人同時に歌うということで処理していた。ここは私だったら歌詞は同じものにしてロクサーヌの後にクリスチャンの歌を入れてカノンとしてやると思う。別に私が作家ではないので私の見解などどうでもよいのだが、一意見として書いておく。

ワイルドホーンの音楽はチャーミングだ。難を言うなら、修道院の場面でのロクサーヌの独唱がドラマティック過ぎること。場面に合っていないように思う。


鹿賀丈史の落ち着いた演技は安心して観ていられる。脇も充実。ロクサーヌを演じる朝海ひかるは歌声がアルトに近いメゾ・ソプラノで(宝塚では男役だった)、ロクサーヌの可憐さには合っていないように思うが、傷にはなっていないし、修道院の場面では落ち着いたメゾ・ソプラノの方がいいとも考えられる。

おなじみ山田和也の演出はオーソドックスで、セットの使い方なども目新しさこそないがツボを押さえた確かなものであった。

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2020年11月 3日 (火)

観劇感想精選(363) ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」再演

2020年10月30日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時30分から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」を観る。「リトル・ダンサー」という邦題で公開されたイギリス映画をエルトン・ジョンの音楽でミュージカル化した作品で、日本では2017年に初演され、今回は再演となり、今日が大阪公演初日である。

「リトル・ダンサー(原題「Billy Eliot」)」は、2000年に公開された、スティーヴン・ダルドリー監督の映画で、私もDVDで観ているが、かなりの好編に仕上がっていた。
スティーヴン・ダルドリー監督は元々は舞台演出家として活躍していた人であり、ミュージカル版でも演出を担当。イギリスを代表するミュージシャンのエルトン・ジョンの作曲ということもあって、高い評価を受けているが、こうして実際に観てみると、映画とは別物として評価すべきであるように感じる。感銘の度合いは映画の方が上である。舞台演出家であったスティーヴン・ダルドリーがまずは「映画として撮るべき」と判断したのであるから、それは間違いないだろう。舞台にしてしまうとどうしても背景が分かりにくくなってしまう。ミュージカル版は妙技を堪能する作品だ。

主演のビリー・エリオット少年役はクワトロキャスト(4人)であり、今日は川口調がタイトルロールを務める。他の役もダブルキャストで、今回はお父さん(ジャッキー・エリオット)役が益岡徹、ウィルキンソン先生役が柚希礼音、おばあちゃん役が根岸季衣、トニー(兄)役が中河内雅貴、ジョージ役が星智也、オールド・ビリー(成人後のビリー)役が大貫勇輔となっている。

梅田芸術劇場メインホールの新型コロナ対策であるが、運営元である阪急グループ独自の追跡サービスが導入されているのが特徴である。おそらく宝塚歌劇などでも用いられていると思われる。

 

英国病といわれた時代の北部イングランドの炭鉱の町・エヴァリントンが舞台ということで、英語の訛りが日本版では筑豊炭田や三池炭坑で知られる福岡県の言葉に置き換えられている。

下手からビリー・エリオット役の川口調が登場し、しゃがむと同時に紗幕に映像が映し出される。第二次大戦で英国がナチス・ドイツに勝利し、炭鉱も国営化されるということで更なる発展が英国にもたらされるはず……、というところで事態が暗転する。紗幕に映し出されたのはマーガレット・サッチャーだ。長期政権(1979-1990)を敷き、今でも20世紀後半の英国の首相というと真っ先に顔や名前が思い浮かぶマーガレット・サッチャー。高福祉社会の副産物ともいえる英国病克服のため新自由主義の先駆ともいえる政策を次々に打ち出し、労働者階級から目の敵にされた政治家である。サッチャーによって炭鉱は民営化され、ただでさえ斜陽の産業であったため多くの炭坑夫が苦境に立たされることになるのだが、「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」はそんな時代(1984年)の話である。

サッチャーの政策に反対し、エヴァリントンの炭坑夫達がストライキに入る。リーダー的存在のジャッキー・エリオットの息子で、11歳のビリー・エリオット(劇中で1つ年を取る)は、ボクシングを習っていたのだが、ボクシング教室が終わった後、同じ場所で開かれることになったバレエ教室を目にする。早くに母親を亡くしたビリー。ジャッキーも「ビリーに強くなって欲しい」との思いからボクシングを習わせたのだが、何しろ保守的な田舎町、男は男らしくあるべしという思想が根強く、「バレエなどをやる男はオカマだ」という偏見に満ちており、ビリーも知らず知らずのうちにそうした考えに染まっている。ウィルキンソン先生からバレエに興味があるかどうか聞かれたビリーも最初は否定したが、その後、父親には内緒でレッスンを受け、バレエに惹かれていく。
ウィルキンソン先生から才能を見込まれたビリーは、「ロンドンのロイヤル・バレエ・スクールを受験してみないか」と誘われる。だが当然ながら父親は反対。一度はバレエダンサーへの夢は絶たれたかに見えたのだが……。

伏線としてビリーの友人であるマイケルが実はトランスジェンダー(でいいのかどうかは正確にはわからない。LGBTのうちのGBTのどれかである)であるという設定がある。作曲を担当したエルトン・ジョンも男性と結婚したことで知られているため、そうした問題にも軽くではあるが触れられている。ただ、それは主題ではなく、重要なのは「らしさとは何か」ということであると思われる。

ダンスだけでなく、セリフやアクロバットをこなす子役の実力にまず感心する。日本初演時には千人を超える応募があり、その中から勝ち抜いた子ども達がビリー役を得ているが、今回も高倍率のオーディションを潜り抜けた子達であり、身体能力も表現力も並みの子役ではない。

チャイコフスキーの「白鳥の湖」より“情景”(「白鳥の湖」と聴いて誰もが真っ先に思い浮かべる音楽)をオールド・ビリー役の大貫勇輔を二人で踊る(デュエット)シーンがダンスとしては最大の見せ場であるが、ワイヤーアクションも鮮やかにこなしていた。

イギリスは階級社会であるが、そのことが最もはっきりと現れているのが、ロイヤル・バレエ・スクール受験のシーンである。エリオット親子以外はみな上流階級に属しており、日本版ではそれを表すために「ざます」言葉が用いられている。上流階級と労働者階級では当然ながら考え方が根本から異なるわけで、それが揉め事に繋がったりもする。
現代の日本は階級社会でこそないが、「上級国民」という言葉が話題になったり、格差や学歴の固定化などが問題視されるようになっており、イギリスのような社会へといつ変貌するかわからないという状況である。そもそも日本とイギリスは島国の先進国としてよく比較される存在である(イギリスも日本も先進国なのか今では怪しいが)。
「総中流」といわれた日本であるが、今では非正規社員が約4割を占め、ついこの間までの常識が通用しないようになっている。それを考えれば、このミュージカルを単なるサクセスストーリーと見るわけにはいかないだろう。そこには明確にして冷徹な視座も含まれている。

同じくイギリスの炭鉱町を描いた映画に「ブラス!」という作品(1996年制作)があり、これはバレエではなく音楽を題材にしているが、主題は同じである。ロードショー時に有楽町の映画館(今はなき銀座シネ・ラ・セット)で観て感銘を受けたが、「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」を気に入った人はこの映画も観て欲しい。

毀誉褒貶激しかったサッチャーの政策だが、その後のイギリスが辿った道を冷静に見つめてみると、少なくとも「正しかった」とは言えないように思う。サッチャーが残した爪痕は今もイギリスだけでなく、世界各国で見ることが出来る。無論、日本も例外ではない。

なんだが、黒沢清監督の「トウキョウソナタ」も観てみたくなった。

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2020年11月 2日 (月)

はいだしょうこ 一人二役宝塚歌劇風「木綿のハンカチーフ」

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2020年9月 8日 (火)

楽興の時(39) 京都坊主BAR 「MANGETSU LIVE vol.24」(オーボエ:國本恵路)

2020年9月2日 元本能寺の近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU LIVE vol.24」を聴く。今日はオーボエの國本恵路(くにもと・えみ)独奏の演奏会である。

國本恵路は、大阪芸術大学演奏学科オーボエ専攻卒業後、フランスに渡り、更にスイスに移ってチューリッチ芸術大学でもオーボエを修め、同大学の大学院で音楽生理学の基礎コースを修了している。帰国後は合気道を習い、現在は合気道の指導員としても活躍しているという。

飛沫防止用のシートを前にしての演奏。これまで京都坊主BARでは、リコーダー、ヴィオラ、電子チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどの演奏を聴いてきたが、オーボエが一番音の通りがいい。


スコット・ジョプリンの「ジ・エンターテイナー」のオーボエ独奏版でスタート。合間にトークを入れながらの進行である。今日はマイクが使えるため、トークの内容もよく聞こえる。
「ジ・エンターテイナー」は、1973年公開の映画「スティング」で一躍有名になり、今ではサッカーのサポーターが歌う曲として抜群の知名度を誇っている。

秋をテーマにしたということで、イギリスの作曲家であるジェームズ・オズワルドの「キリンソウ」が演奏される。秋というと日本ではノスタルジックなシーズンというイメージだが、イギリスの曲ということで日本の秋のイメージとは大分異なる。

日本の秋の曲として「夕焼け小焼け」が録音伴奏付きで演奏されるが、やはり日本の秋というと、空が高く澄んでいて、夕焼けが映えてというイメージが浮かびやすい。秋の季語である「月」も歌詞に登場する。中村雨紅の詩は出身地である今の東京都八王子市の夕景を表したものだそうである。國本によると「夕焼け小焼け」のメロディーは草川信が1923年に作り上げたものであるが、この年の9月1日起こった関東大震災によってオリジナルの譜面は焼けてしまったという。ただ友人に写譜を渡していたため、作品自体が灰燼に帰すということは避けられたそうだ。

続いて瀧廉太郎の「荒城の月」が録音伴奏付きで演奏される。1番は歌曲の旋律通り(山田耕筰の編曲に準拠)に吹いたが、その後は崩して歌われ、最後に歌曲のメロディーに戻ってくるという編曲であった。

アンタル・ドラティ作曲の無伴奏オーボエのための5つ小品から「蟻とキリギリス」。
指揮者大国ハンガリー出身の名指揮者として名高いアンタル・ドラティ(ドラーティ・アンタル)。世界初の「ハイドン交響曲全集」を作成し、晩年にデトロイト交響楽団を指揮して録音したストラヴィンスキーの「春の祭典」は名盤中の名盤として知られる。
作曲家や編曲家としても活躍しており、無伴奏オーボエのための5つの小品は、名オーボイストのハインツ・ホリガーのために作曲されたものである。
20世紀の作品だけに音に鋭さがあり、進行も割合複雑である。最後に軽いオチがある。

20世紀のイギリスを代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンの「6つの変容」より。「6つの変容」は、ギリシャ神話に登場する神々にちなんだ曲集で、今日はそのうちの“パン”、“フェイトン”、“アレトゥーサ”にまつわる3曲が演奏された。
ベンジャミン・ブリテンは、生前から「パーセル以来久しぶりに現れたイギリスの天才作曲家」と呼ばれていたが、近年、作品が上演される機会の増えている作曲家の一人であり、才気に満ちた作品の数々が人々を魅了している。

今年の7月に亡くなった映画音楽の大家、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」。録音伴奏付きの演奏である。耳に馴染みやすく、どこか懐かしい甘美で流麗な旋律が魅力的である。

クロード=ミシェル・シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、十二音技法で知られるアーノルト・シェーンベルクの親戚である。
“夢破れて”は、スーザン・ボイルの歌唱で有名になったほか、映画「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイによる感情を最優先させた歌唱も話題になった。日本語訳詞版を歌う歌手も多く、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中でもキーになっている曲として人気が高い。嘆きの歌詞を持つだけに、歌だと情感たっぷりとなるが、オーボエで演奏した場合は旋律の美しさが目立つ。

最後はテレマンのファンタジー。「MANGETSU LIVE」はバロック以前の楽曲演奏を主軸とした演奏会であるため、テレマンの楽曲が演奏されることが多いのだが、均整の取れた楽曲は魅力的である。

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2020年7月14日 (火)

「モン巴里」(宝塚歌劇団花組)

昭和4年(1929)録音

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2020年3月24日 (火)

これまでに観た映画より(162) 「アナと雪の女王」(吹き替え版)

配信でディズニー映画「アナと雪の女王」(2019吹き替え版)を観る。「アナ雪」の略称を持ち、大ヒットした作品で、アカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞するなど評価も高く、「Let It Go ありのままで」などの楽曲も好セールスを記録、続編まで作られているが、私はこの映画を観るのは初めてである。字幕版でも良かったのだが、話題になった吹き替え版で観てみる。エルサのセリフや歌を聴いている間、吹き替えを担当した松たか子の顔がずっと浮かんでしまうのが個人的な難点である。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの余り知られていない童話が原作であるが、映画のストーリーは原作とは全く別のものである。後に女王の座に就くことになるエルサと妹で王女のアナの二人が主人公であるが、ディズニー映画でダブルヒロインが採られるのは史上初とのことである。

北欧の架空の王国、アレンデールが舞台である。国王の長女のエルサは、手で触ったものを氷に変え、雪や氷を自由に操るという特殊能力を持っている。エルサが8歳の時、妹のアナにせがまれて王城内を氷に変え、雪だるまや雪山を作って遊んでいたのだが、エルサはちょっとしたミスを犯し、雪山から雪山へと飛び移っていたアナのために次の雪山を作るのが遅れてしまう。アナの墜落を止めるため、エルサは雪玉をアナの顔に当てるのだが、アナはそのまま床に落ち、気を失ってしまう。王と王妃はアナを救うため、トロール達に助けを求める。トロールの長老、パビーは、「当たったのが頭で良かった。頭ならなんとかなる」とアナの命を救う。しかし、心に当たってしまうと取り返しがつかないということで、エルサに魔法を封じるように命じ、アナからエルサが自在に氷や雪を操れるという記憶を消し去る。しかし、エルサの魔術はエルサ本人にも封じることが出来ず、しかも日々、能力は進化していく。アナを傷つけることを怖れたエルサは自室に閉じこもり、アナの声にも応えないようになるが、記憶を消されたアナは、エルサが自分を嫌いになったのだと勘違いする。

月日は流れ、エルサは18歳となった。王と王妃は船で海外へと出掛けるが海難事故にて落命。その3年後、成人したエルサが女王として即位することになる。
戴冠式の日、アナは、サザンアイルズ王国の王子であるハンスと出会い、瞬く間に恋に落ちる。戴冠式の後に舞踏会でアナはハンスと婚約したことをエルサに告げるが、エルサは結婚を許さない。そしてふとしたことで今まで隠してきた能力を表に出してしまう。皆から怖れられて絶望したエルサは王城から抜けだし、ノースマウンテンに氷の宮殿を築いて閉じこもる。だが、エルサの能力は本人が自覚しているよりも強く、7月のアレンデールが雪に覆われることになってしまう。
ちなみにノースマウンテンに到着したエルサが、もう自分の能力を隠さなくていいという開放感から歌うナンバーが「Let It Go ありのままで」である。


ファンタジー映画なので、そのまま楽しんでも良いのだが、自分なりに理解してみたくなる。そしてこうした試みはこの映画の中で密かに伝えられるメッセージを受け取ることでもある。

私にとっては、ということであるが、雪や氷を自在に操る能力は言葉の喩えのように思える。それは世界を生み出し、芸術にまで高めることの出来るものであるが、容易に人を傷つけ、人と人の間を破壊するものでもある。インターネット上ではそうした言葉が日々飛び交っている。優れたものであるが過信してはならないということだ。エルサへの仕打ちは魔女狩りそのものであるが、古代に起こった魔女狩りは言葉を狩るものでもあった。

そしてそれは知への絶対崇拝への疑問に繋がる。智者ではあるが冷酷な人物が何人か登場する一方で、最重要人物の一人であるクリストフは無学で野蛮な氷売りだが、人生の本質については王族の人達よりもよく心得ている。更にクリストフの相棒であるトナカイのスヴェンは、獣であるにも関わらず、人よりも人の心に敏感であったりする。
とはいえ、無知であることが推奨されるようなポピュリズムに傾くことはない。森の智者であり、自然の知恵の象徴であるトロール達を人間を上回る慧眼の持ち主とすることでバランスは保たれている。

言葉や知に勝るものについての答えはありきたりではある。だが、それが飽くことなく繰り返されているという事実は、唯一絶対ではないが最上のものの一つであることの証明でもある。

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2020年2月26日 (水)

観劇感想精選(343) Bunkamura30周年記念シアターコクーン・オンレパートリー2019+大人計画「キレイ ―神様と待ち合わせした女―」

2020年1月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールでBunkamura30周年記念シアターコクーン・オンレパートリー2019+大人計画 「キレイ -神様と待ち合わせした女-」を観る。2000年に初演され、衝撃を持って迎えられたミュージカルの四演である。

作・演出:松尾スズキ、音楽:伊藤ヨタロウ。出演は、生田絵梨花(乃木坂46)、神木隆之介、小池徹平、鈴木杏、皆川猿時、村杉蝉之介、荒川良々、伊勢志摩、猫背椿、宮崎吐夢、近藤公園、乾直樹、香月彩里、伊藤ヨタロウ、片岡正二郎、家納ジュンコ、岩井秀人、橋本じゅん、阿部サダヲ、麻生久美子ほか。

奥菜恵主演による「キレイ」は映像で観たことがあり、音楽も気に入ったのでCDも持っていたりするのだが、特に舞台を観ようとは思わず、再演、再々演にも出向くことはなかったが、今回は麻生久美子が出るのでフェスまで出掛けることにした。
第1幕の上演時間が約1時間40分、20分の休憩を挟んで第2幕が約1時間45分という大作であり、フェスを出たのは午後10時過ぎ。京都に帰るのが遅くなった。
役名を含めて、初演時と異同がある。といってももう初演の映像はほとんど覚えていないのだけれど。

舞台は現代の日本である。だが、今ある日本とは違うパラレルワールドの日本だ。ここは、キグリ、クマズ、サルタという3つの民族が対立する他民族国家であり、100年に渡って内乱が続いている。幕末期の動乱時に徳川家が薩長に逆らっていたら、あるいはこうした日本になっていたかも知れない。

 

少女(生田絵梨花)は、マジシャン(阿部サダヲ)とマタドール(猫背椿)とカウボーイ(乾直樹)に誘拐され、10年の間、地下室に閉じ込められていた。ある日、カウボーイが死に、カミと呼ばれる存在(伊藤ヨタロウ)が加わる。そしてまた別のある日、少女は、ソトに出た。3日掛けて全てを忘れた少女は、カミが「お前は穢れた!」と宣言するのを耳にする。少女はその時からケガレと名乗るようになる。それはカミの呪縛でもあった。

一方、成人したケガレはミソギと名乗っている(初演時の「ミサ」から役名変更。演じるのは麻生久美子)。成人し、富豪となったハリコナ(小池徹平)と結婚したミソギは、金を自由に使える身分になっていたのだが、結婚式が終わった後、ミソギはスコップを持って他人の土地を掘ろうとしていた。ハリコナが気づき、警備員を金で買収したため事なきを得たが、ミソギは自分がなぜそんなことをしようとしていたのかわからない。ケガレとミソギの世界は交互に、あるいは同時進行で進む。

ケガレは、戦闘用クローンであるダイズの死体を回収しているキグリのカネコ組の人々と出会い、知恵遅れのハリコナ(神木隆之介)と言葉を交わす。地下室から出たばかりで何も知らないケガレを見たハリコナは「俺より馬鹿がいた!」と歓喜しながら歌う。
元々はカネコは知能指数の高い家系なのだが、ハリコナはお腹の中にいた頃に頭をスズメバチに刺されたため、知育がストップしてしまったらしい。だが一方、枯れ木に花を咲かすことが出来るという特技を持っている。赤紙を受け取ったハリコナにケガレは、戻ってきたら結婚することを誓い……。

 

今回は阿部サダヲがマジシャン役になったということで、マジシャンのセリフをかなり足したとのことである。全てはこの日本一下手くそといってもいいマジシャンの絶望と妄想からスタートしている。ちなみに、マジシャンの本名は明かされていて、小松という。

松尾スズキの故郷である九州の地名が何度も出てくる。激戦地となった博多、福岡市内の地名である香椎、またクマズの本部は鹿児島にあるそうで、鹿児島市内にあるクマズの病院ではみな薩摩弁を喋っている。おそらくクマズというのは、熊本と鹿児島島津家を足したもので九州の南方のことなのだろう。
最重要人物のマジシャンに自身と同じ「松」の字を与えていることから、この物語に松尾スズキ本人の歩みが重ね合わされているようにも感じられる。再生と肯定の物語であるが、松尾スズキは子供の頃は体育の授業にも出られない虚弱児で劣等感を抱きながら過ごし、九州産業大学芸術学部卒業後に入ったデザイン関係の会社ではアルバイトにすら負けるような駄目社員だったため、当時の恋人から「演劇が得意なんだからそっちを頑張れば」と言われて会社を辞め、演劇界に飛び込んで成功している。マジシャン役の阿部サダヲも高校卒業後にサラリーマンを経験しているが、こちらもかなりの駄目社員だったそうで、俳優に転身して再生を果たしている。

実は鍵を握っているのは、ケガレでもミソギでもなく社長令嬢・カスミ(鈴木杏)である。カスミはケガレに何度も「やり直すのよ」と言い、それがケガレの再生へと繋がっていく。

地下室で、ケガレはかつての自分に別れを告げた。犠牲を出し、犠牲となった日々の記憶と共に。そしてその欠落に気づかぬまま奔放な生活を送る。だが、もう一度、生き直さなければならない。見捨てたかつての自分、ミソギと向かい合うことで。

 

ミュージカルというと夢のような世界を思い描きがちだが、「キレイ」はそれとは真逆の汚らしい世界が描かれている。ただ、タイトルも物語っているが、「マクベス」的な一体感を持ったこの世界と自分を肯定することになる。

パラレルワールドとはいえ、日本が舞台になっているということで、複雑な歴史を辿ることになった日本近現代史が重ねられており、地下室は「平和記念公園」という場所の平和の女神像の下にあるという設定になっている。そこでミソギはカミの振りをしていた少女ミソギと和解することになる。

ただ、これは個人的なことなのだが、私は一人の女性を思い浮かべた。酒井若菜。松尾スズキに気に入られて、「キレイ」再演時のケガレ役に抜擢された女優であるが、松尾スズキと愛人関係にあったことが発覚しそうになり、初日の幕が開く2週間ほど前に降板している(代役は鈴木蘭々)。酒井若菜さん本人が語っていることなので、書いても大丈夫だと思うが、その後、彼女はしばらく女優業から遠ざかり、地獄のような日々を送ったことを明かしている。文才があったため、文筆業と女優を兼ねる形で再生したが、まるでケガレを体現してしまったかのような人生だ。
あるいは……、なのだが、これ以上は私が言うべきことではない。語らずにおく。

 

ケガレを演じた生田絵梨花の歌唱力は抜群である。これまでの上演では、ミュージカル初挑戦の女優がケガレを演じることが多かったが、生田絵梨花はすでにミュージカル女優として高い評価を受けており、ものが違う。実は麻生久美子も余り歌うイメージはないかも知れないが歌はかなり上手い方なのであるが、流石に生田絵梨花には敵わない。生田絵梨花はおそらく日本における次期ミュージカルの女王に君臨するであろう逸材である。

ドイツに生まれ育ち、音大出身というお嬢様育ちで知られる生田絵梨花に対して、麻生久美子は子供の頃の貧乏体験で知られる女優である。対比するためにキャスティングされたというわけではないだろうが、女優本人の姿を重ね合わせてみるのも面白いのではないだろうか。

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2020年2月13日 (木)

これまでに観た映画より(153) 「CATS キャッツ」(字幕版)

2020年2月8日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ミュージカル映画「CATS キャッツ」(字幕版)を観る。世界的ヒットミュージカルの映画化であるが、前評判は散々。アメリカの本年度最低映画を決めるラジー賞に最多ノミネートされている他、アメリカやイギリスの映画評論家達が「最低の作品」「とんでもない駄作」との評価を下しており、興行収入も散々で、大コケ映画確定となっている。日本は劇団四季が看板ミュージカルとしていて知名度抜群なためか、入りはまだ良い方であるが、日本の映画評論家や映画ファンからの評価も芳しくない。

「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー監督作品。作曲はミュージカル版同様、アンドリュー・ロイド=ウェバーで、ロイド=ウェバーは、映画のための新曲も書き下ろしている。制作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ。出演は、フランチェスカ・ヘイワード、ロビー・フェアチャイルド、ジェニファー・ハドソン、ジュディ・デンチ(実は「キャッツ」の世界初演の際にグリザベル役を務めるはずだったのがジュディ・デンチであるが、怪我により降板している)、ジェームズ・コーデン、ローリー・デヴィッドソン、スティーブン・マックレー、ジェイソン・デルーロ、レベル・ウィルソン、イアン・マッケラン、イドリス・エルバ、テイラー・スウィフト、ダニー・コリンズ、ニーヴ・モーガンほか。本来は雄猫の役であるオールドデュトロノミーをジュディ・デンチ演じる雌猫としているのは、先に挙げた理由によるものであり、一定の効果を上げている。

 

ロンドンの下町に、一匹の子猫が捨てられる。白い雌猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)である。ヴィクトリアが包まれた袋に集まってくるジェリクルキャッツという猫たち。今夜開かれる舞踏会と歌合戦で選ばれた最も優れた猫が天上の世界で再生する権利を得るのだという。様々な猫たちが個性溢れるパフォーマンスを披露する中、この集いに入ることを許されない猫もいて……。

 

余談になるが、浅利慶太がこの作品を劇団四季のメインレパートリーに据えたのには明確な哲学があったとされている。舞台で主役を演じるのは美男美女という常識に、猫のメイクをする「キャッツ」でアンチテーゼを掲げたのである。顔が良いのか悪いのかも分からないほどのメイクをして演じられる「キャッツ」(そもそもこの作品には主役らしい主役はいないわけであるが)では、容姿でない部分で評価されたり良い役を勝ち取る可能性が広がる。そしてこれは「キャッツ」というミュージカルの根幹にも関わるものである。ただ、映画の場合はクローズアップを使う必要もあるため、そうしたテーゼは通用しないわけだが。

ミュージカル「キャッツ」は、T・S・エリオットの詩集『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』という詩集を元にしたものである。『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』は、実は90年代にちくま文庫から日本語訳が出て(邦題は『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』。池田雅之の訳)、私も明治大学在学中に今はなき明大の生協で買って読んでいる。哲学的な面もあるが子ども向けの詩集であり、特にどうということもないものなのだが、詩集を原作にしているということもあって「キャッツ」には明確なストーリーが実はないのである。ショー的な要素が極めて強いのであるが、登場する猫達が歌うのは基本的に自己紹介が多く、広がりのある舞台空間で行われるなら良いのだが、映像だとそうもいかないため話が遅々として進まないように感じられ、そこが映画版の悪評に繋がっていることは間違いないと思われる。特にフーパー監督はクローズアップを多用しているため、尚更空間を感じにくい。かといって引きで撮ると迫力が出ないのも目に見えているため、そもそも映像化が難しい題材ではある。他にもCGが気持ち悪いだの、猫なのか人間なのかわからなくて不気味だとの声もあるが、今の技術ならこんなものだろうし、ビジュアル面で気になることは個人的には特になかった。

個人的には結構楽しんでみられたが、それは過去の自分とはぐれてしまった猫や、いざという時に弱い猫などの悲哀がきちんと描かれているからである。底抜けに明るいミュージカルも良いが、実は「キャッツ」はそうした路線のミュージカルではない。気持ち悪いといわれたメイクやCGの多用も、猫でありながら人間を描いていると取れば(ラストにはそうしたセリフがちゃんと用意されている)納得のいくものである。「猫を描いたから成功した」といわれるミュージカル「キャッツ」であるが、今回の映画版でも猫といいながら様々な人間の諸相が描かれていることで、皮相でない充実感も味わうことが出来たように思う。

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2019年9月15日 (日)

観劇感想精選(317) 松本白鸚主演・演出 ミュージカル「ラ・マンチャの男」2019

2019年9月7日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後6時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を観る。今回は1969年の日本初演から半世紀が経過したことを記念しての上演である。主演・演出:松本白鸚。脚本:デール・ワッサーマン、作詞:ジョオ・ダリオン、日本語訳:森岩雄&高田蓉子、作曲:ミッチ・リー、振付・演出:エディ・ロール(日本初演)。出演:瀬奈じゅん、駒田一、松原凜子、石鍋多加史、荒井洸子、祖父江進、大塚雅夫、白木美貴子、宮川浩、上條恒彦ほか。
50年に渡って「ラ・マンチャの男」で主役を張ってきた松本白鸚。50年前に演じ始めた時には市川染五郎の名であり、松本幸四郎を経て、松本白鸚の名では初の「ラ・マンチャの男」となる。

前回、「ラ・マンチャの男」を観たのは、丁度10年前の2009年の5月、今はなきシアターBRAVA!に於いてだった。その時、アルドンザを演じていたのは松たか子であり、親子共演であった。
おりしも、5月2日、忌野清志郎が亡くなり、以前に大阪城ホールで清志郎と共演したことのあった松たか子は訃報を聞き、シアターBRAVA!の前で第二寝屋川を挟んで向かいにある大阪城ホールに向かって頭を下げ、清志郎への感謝の祈りを捧げたという。

 

フェスティバルホールの入っているフェスティバルタワー2階には、「ラ・マンチャの男」の写真パネルや公演記録が展示されている。それによると松たか子はまずアントニア役として出演を重ねた後で2002年から2012年までアルドンザを務め、2015年からアルドンザは霧矢大夢に交代。今回からは、瀬奈じゅんがアルドンザを務める。

 

地下牢が舞台であるが、「ドン・キホーテ」が劇中劇として行われ、即興劇という設定なのでセットこそさほど変わらないが、小道具などを用いることで場面は次々に展開されていく。
宗教裁判にかけられたセルバンテス(松本白鸚)は、地下牢の中で判決を待つことになる。その間、牢名主(上條恒彦)に牢内での裁判に問われることになったセルバンテスは、即興劇の形で申し開きを行うことにし、自作の「ドン・キホーテ」を牢内の人々と一緒に演じ始める。騎士の時代が終わってから数百年が経つのに、自身を騎士だと思い込み、遍歴の旅に出るドン・キホーテ(松本白鸚二役)。風車を巨人だと勘違いして突っ込み、城郭だと思い込んで乗り込んだ小さな旅籠で出会った売春婦のアルドンザを思い姫のドルシネアだと思い込んだドン・キホーテは、端から見ると滑稽でしかない騎士遍歴を繰り返す。
滑稽でしかないのだが、ドン・キホーテには信念がある。それはセルバンテスも同じで、二人ともラ・マンチャの男であり、夢の大切さとそれを追うことの重要性を観る者に訴えかける。本来は道化役でしかなかったドン・キホーテが夢を貫くことで人々を鼓舞する英雄に変わるのである。
セルバンテスはラストで、「私もドン・キホーテも、ラ・マンチャの男だ」というセリフがあるのだが、半世紀に渡って二人を演じ続けてきた松本白鸚もまた、見果てぬ夢に生きるラ・マンチャの男なのだろう。

 

フェスティバルホールはオペラ上演を前提としている劇場で、オーケストラピットも当然ながら存在するが、今回は演出の都合上、オーケストラピットではなく、ステージの両袖にミュージシャンが陣取って演奏を行うというスタイルである。音が通りやすいフェスティバルホールであるが、楽器の音が鮮明に聞こえるため、歌が覆い隠されてしまう場面もあった。

セルバンテスとドン・キホーテという二人のラ・マンチャの男は、松本白鸚が千回以上演じている当たり役であり、貫禄の出来映え。他にも10年前からずっと「ラ・マンチャの男」に出続けている俳優が複数おり、今回の新キャストを含めて優れたアンサンブルを見せていた。

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