カテゴリー「ベートーヴェン」の174件の記事

2025年1月12日 (日)

これまでに観た映画より(363) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団×リッカルド・ムーティ 「第九」200周年記念公演 in cinema

2025年1月7日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団×リッカルド・ムーティ「第九」200周年記念公演 in cinemaを観る。文字通り、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」初演から200年を記念して行ったコンサートの映像の映画館上映。ユニテルとオーストリア放送協会(ORF)の共同制作で、日本では松竹が配給している。2024年5月7日、ウィーン・ムジークフェラインザール(ウィーン楽友協会“黄金のホール”)での上演を収録。合唱はウィーン楽友協会合唱団。独唱は、ユリア・クライター(ソプラノ)、マリアンヌ・クレバッサ(メゾソプラノ)、マイケル・スパイアズ(テノール)、ギュンター・クロイスベック(バス)。ベーレンライター版での演奏。

常任指揮者を置かないウィーン・フィルにおいて、長年に渡り首席指揮者待遇を受けているというリッカルド・ムーティ。ウィーン・フィルの母体であるウィーン国立歌劇場にも影響力を持っており、小澤征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた際も、「ムーティの後押しがあった」「事実上の音楽監督はムーティ」との声があった。
1941年、ナポリ生まれ。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(後の元の名前のフィルハーモニア管弦楽団に名を戻す)首席指揮者時代に名を挙げ、1980年にユージン・オーマンディの推薦により、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任している。長年コンビを組み、フィラデルフィア管弦楽団=オーマンディというイメージの残る中、お国もののレスピーギ「ローマ三部作」の録音(EMI)などが高く評価された。実はフィラデルフィア管時代に「ベートーヴェン交響曲全集」を制作しており、私が初めて聴いた第九のCDもムーティ指揮フィラデルフィア管のものであった。「ベートーヴェン交響曲全集」は俗に「クリスマスBOX」と呼ばれた廉価BOXCDの中の一つとして再発され、私も購入して全曲聴いてみたが、ベートーヴェンの演奏としては浅いように感じられた。
フィラデルフィア管弦楽団が、アカデミー・オブ・ミュージックという「世界最悪の音響」と言われたホールを本拠地にしていること(現在は新しいホールに本拠地を移している)やアメリカにはイタリアほどにはオペラやクラシック音楽が根付いていないことを理由に同楽団を離任してからは、祖国のミラノ・スカラ座で音楽監督として活躍。この時期、すでにウィーン・フィルから特別待遇を受けていたと思われる。上層部と対立してスカラ座を離任後は、フリーの指揮者を経てシカゴ交響楽団の音楽監督に就任。結果的には、嫌っていたはずのアメリカに戻ることになった。2011年にウィーン・フィルから名誉団員の称号を受けている。

日本では、年末になると国中が第九一色になり、日本のほぼ全てのプロオーケストラが第九を演奏し、日本の有名指揮者は第九に追われることになるが、年末の第九が定着しているのは日本だけ。ドイツのライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などいくつかの楽団が年末の第九を売りにしているが、他の国では第九は「難曲中の難曲」として滅多に演奏されない。そのため、今回の独唱者も全員、譜面を手にしての歌唱である。年末になると第九が歌われる日本の歌手は暗譜での歌唱が当たり前になっているが、これは世界的には珍しいことである。

 

ピリオド・アプローチによる時代の垢を洗い流したかのような第九がスタンダードになりつつあるが、ムーティは自分のスタイルを貫き通している。テンポは現代の標準値に比べるとかなり遅めであり、各パートをギッシリと積み上げたような男性的な第九を構築する。
シラーの「歓喜に寄す」から取った合唱の歌詞が、「平等」を目指すことをさりげなく歌っており、恋多き人生を歩んだベートーヴェンの心境にも男女の平等は浮かんでいたはずで、そうした点からは一聴して「男性的」という言葉の浮かぶ第九がベートーヴェンの意図を汲み取ったものといえるのかどうか(ムーティは「作曲家が書いた神聖な音符は一音たりとも動かしてはならない」という楽譜原理主義者として知られた。今は違うかも知れないが)。ただこれがムーティのスタイルであり、ウィーン・フィルが記念演奏会を任せた指揮者の音楽である。
随所で溜めを作るのも特徴で、オールドスタイルとも言えるが、音楽が単調になるのを防いでいるのも事実のように感じる。
現代望みうる最高の第九かというと疑問符も付くのだが、長年に渡ってクラシック音楽会の頂点に君臨し続けるオーケストラが「今」出した答えがこの演奏ということになる。
テンポが遅いため、近年よく聴かれるような演奏に比べると音楽が長く感じられるという短所もあるが、手応えのある音楽になっているのも確かである。東京・春・音楽祭で日本でも親しみを持って迎えられるようになった指揮者と、日本が愛し日本を愛したオーケストラの賛歌をスクリーンで楽しむべきだろう。

Dsc_72622

| | | コメント (0)

2024年12月31日 (火)

コンサートの記(877) ユベール・スダーン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2024

2024年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮はユベール・スダーン。

イギリスと並ぶ古楽の本場、オランダ出身のスダーン。2019年には京都市交響楽団の年末の第九を指揮しており、オランダ出身らしいピリオド援用の演奏を聴かせたが、今回も同様のアプローチが行われることが予想される。

今日は最前列ほぼ下手端での鑑賞。フェスティバルホールの最前列端側で第九を聴くのは旧フェスティバルホールを含めてこれが3回目だが(前回の指揮は尾高忠明、前々回の指揮は大植英次。大植指揮の第九は旧フェスティバルホール最終公演となったもの)、指揮者の姿が全く見えない。そのため、予め配置などを確認。指揮台は用いず、譜面台に総譜を置いての指揮。スダーンは基本的にノンタクトで振るが、見えないので確認出来ず(入退場時には指揮棒を手にしていなかった)。ドイツ式の現代配置での演奏である。バロックティンパニが用いられ、指揮者の正面よりやや下手側に置かれる。その更に下手に台が設けられ、第4楽章だけ出番のある大太鼓、シンバル、トライアングル奏者が陣取る。3人とも板付きである。

今日のコンサートマスターは須山暢大。独唱は、今井実希(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、妻屋秀和(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
合唱団は最初から舞台に上がり、独唱者は第2楽章終了後に下手から入場。今日は独唱者が現れても拍手は起こらなかった。

オーケストラ奏者も第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの後ろ姿が見えるだけ。第4楽章のみ登場する打楽器の3人は全身が見えるが、その他はホルンのセカンドに入った蒲生絢子の横顔が確認出来るだけである。ただ蒲生さんは手元も見え、指の動きだけで「この人は上手い」と悟ることが可能であった。

全般的に速めのテンポを採用。特に「歓喜に寄す」の合唱はかなり速い。実演に接したことのある第九の中では上岡敏之の次に速いと思われる。弦楽器は完全にH.I.P.を採用。ビブラートを控えめにし、しばしば弓を弦から放して音を切るように演奏する。音の末尾では弓を胴体から大きく離していた。
版であるが、第4楽章末尾のピッコロの浮かび上がりは完全にベーレンライター版のそれであった。ただ第2楽章は一般的なベーレンライター版の演奏とは異なっており、ティンパニが5つの音を強、強、強、強、弱で叩く場面は全てフォルテで通し(これは京響との第九でも同様であった)、比較的長めのホルンのソロはセカンドの蒲生絢子も一緒に吹いていたため、ソロではなくなっていた。
第1楽章でもホルンが浮き上がる場面があったが、これはホルンに近い席に座っていたためそう聞こえた可能性もあり、どの版を使ったのは正確には分からなかった。
バロックティンパニを使ったことによりリズムが強調され、京響を振ったときと同様、ロックな印象を受ける。
第3楽章冒頭では弦楽がノンビブラートとなり、ガット弦に近いような鄙びた音を発していた。
最前列で音が上方から降ってくるような印象を受けたこともあって、第2楽章はやはり宇宙の鳴動のように聞こえる。

ベートーヴェンを得意レパートリーとしている大フィルらしい重厚さと軽妙さを合わせ持った演奏。ピリオド・アプローチを得意とするスダーンの指揮でベートーヴェンの他の交響曲も聴いてみたくなる。独唱者と大阪フィルハーモニー合唱団も快速テンポをしっかりと歌いこなしていた。


大フィルの楽団員がステージを後にしてから会場が溶暗となり、恒例のキャンドルサービスによる「蛍の光」の合唱が福島章恭(ふくしま・あきやす)の指揮で歌われて、去りゆく令和6年を思い返し、しみじみとした心地となった。

Dsc_7215_20241231164201

| | | コメント (0)

コンサートの記(876) ガエタノ・デスピノーサ指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサート 2024

2024年12月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサートを聴く。指揮はガエタノ・デスピノーサ。

コロナの時期には海外渡航が制限されたということもあり、半年近くに渡って日本国内に留まって様々なオーケストラに客演したデスピノーサ。指揮者不足を補い、日本のクラシック楽壇に大いに貢献している。入国制限により来日不可となったラルフ・ワイケルトの代役として大阪フィルハーモニー交響楽団の年末の第九も指揮した
イタリア・パレルモ出身。ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタート。ザクセン州立歌劇場(ドレスデン国立歌劇場)のコンサートマスターとして活躍し、当時の音楽監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2012年から2017年までミラノ・ヴェルディ交響楽団首席客演指揮者を務めている。歌劇場のオーケストラ出身だけにオペラも得意としており、新国立劇場オペラパレスでの指揮も行っている。

独唱は、隠岐彩夏(ソプラノ)、藤木大地(カウンターテナー)、城宏憲(テノール)、大西宇宙(おおにし・たかおき。バリトン)。合唱は京響コーラス(合唱指導:小玉洋子、津幡泰子、小林峻)。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。ヴィオラの客演首席には湯浅江美子、チェロの客演首席には水野優也が入る。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏だが、ソリストと合唱団はステージ上に設けられたひな壇状の台の上で歌うため、ティンパニは舞台上手端に設置され、そのすぐ横にトランペットが来る。

ステージにまず京響コーラスのメンバーが登場し、次いで京響の団員が現れる。独唱者4人は第2楽章演奏終了後に下手からステージに上がった。

デスピノーサは譜面台を置かず、暗譜での指揮である。頭の中に入っているのはベーレンライター版の総譜だと思われる。


弦楽が音の末尾を切るなど、H.I.P.を援用した演奏。アポロ的な造形美が印象的である。京響の明るめの音色もプラスに働いている。
第2楽章では最後の音をかなり弱めに弾かせたのが特徴。またモダンティンパニを使用しているが、この楽章のみ先端が木製のバチを使って硬めの音で強打させていた(ティンパニ:中山航介)。
第3楽章は比較的速めのテンポを採用。ロマンティシズムよりも旋律の美しさを優先させた演奏である。

通常はアルトの歌手が歌うパートを今回はカウンターテナーの藤木大地が担うが、音楽的には特に問題はない。女声の方がやはり美しいとは思うが、たまにならこうした試みも良いだろう。定評のある藤木の歌唱だけに音楽性は高い。
端正な演奏を繰り広げるデスピノーサだが、たまに毒を忍ばせるのが印象的。美演ではあるが、綺麗事には留めない。第4楽章では裁きの天使・ケルビムの象徴であるトロンボーンを通常よりかなり強めに吹かせており、人間が試される段階に来ていることを象徴しているかのようだった。

Dsc_7201

| | | コメント (0)

2024年12月30日 (月)

コンサートの記(875) 井上道義 ザ・ファイナルカウントダウン Vol.5「最終回 道義のベートーヴェン!究極の『田園』『運命』×大阪フィル ありがとう道義!そして永遠に!」

2024年11月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、井上道義 ザ・ファイナルカウントダウン Vol.5「最終回 道義のベートーヴェン!究極の『田園』『運命』×大阪フィル ありがとう道義!そして永遠に!」を聴く。今年の12月30日をもって指揮者を引退する井上道義が、大阪フィルハーモニー交響楽団と行った5回に渡るファイナルカウントダウンコンサートの5回目、つまり今日は井上と大フィルとのラストコンサートとなる。

1946年、東京生まれの井上道義。父親は井上正義ということになっているが、正義は育ての父で実父はアメリカ人である(ガーディナーさんという人らしい)。井上道義は40歳を過ぎてからそのことを知ったそうだ。
成城学園高等部を経て、桐朋学園大学指揮科に入学。グイド・カンテッリ指揮者コンクールで優勝して頭角を現す。若い頃は指揮者の他にバレエダンサーとしても活躍した。
ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者に就任したのを皮切りに、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を歴任。
大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者時代(最初は第3代音楽監督への就任を打診されたようだが、荷が重いとして首席指揮者に変えて貰ったようである)は1期3年のみに終わったが、第500回定期演奏会で、朝比奈隆へのリスペクトを露わにした「英雄」交響曲を演奏したり、レナード・バーンスタインの「ミサ曲」を上演するなど、多くの話題を提供した。


今日の演目は、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と交響曲第5番「運命」という王道プログラム。おそらく日本で最もベートーヴェンの楽曲を演奏しているであろう大阪フィルとの最後に相応しい演目である。


「田園」と「運命」とではアプローチが異なり、「田園」は初演当時に近い第1ヴァイオリン8人の小さめの編成での演奏。「運命」はフルサイズで挑むことになる。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

配置であるが独特である。ぱっと見はドイツ式の現代配置であるが、実は第1ヴァイオリンの隣にいるのはヴィオラであり、ヴィオラと第2ヴァイオリンの場所が入れ替わって、ヴァイオリンの対向配置となっている。具体的に書くと、舞台下手前方から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンとなる。音の低い楽器を奥に置いた格好だ。コントラバスは普通に上手奥に置かれる。同じ編成を誰かがやっていた記憶があるが、誰だったのかは思い出せない。
またティンパニは指揮者の正面奥に置かれているが、「田園」では正面のティンパニではなく、上手奥に置かれたバロックティンパニが使用された。


交響曲第6番「田園」。指揮台を用いず、ノンタクトでの指揮である。
通常の演奏とは異なる楽器が鳴る場面があったり、第5楽章でチェロが浮かび上がるなど、聴いたことのない場面があるが、おそらくブライトコプフ新版の楽譜を使用したのだと思われる。初挑戦の可能性もある。最後までチャレンジを行うのが井上流だ。

弦楽器のビブラートは多めであるが、旋律の歌い方に角張ったところがあるなど、完全にピリオド・アプローチでの演奏である。モダンスタイルのように自然に流さないので、却って鄙びた趣が出て良い感じである。ピリオドではあるが、学問的・学究的な感じではなく、面白く聴かせることに心を砕いているのも井上らしい。
第3楽章や第5楽章では終盤にグッとテンポを落としたのが印象的であったが、「田園」交響曲の性格を考えた場合、効果的だったのかどうか少し疑問は残る。
なお、「田園」交響曲には、ティンパニ、トランペット、トロンボーンなど、第4楽章まで出番のない楽器があるのだが、彼らは第3楽章の演奏途中に上手側入り口からぞろぞろと登場。舞台上手後方に斜めに着座して第4楽章から演奏に加わる。結果としてロシア式の配置ともなった。井上らしい視覚的演奏効果である。
ノンタクトということもあって、それこそバレリーナのような身のこなしで指揮を行う井上。自分を出し切ろうという覚悟も感じられる。

演奏終了後、井上は、「休憩の後、アンコールとして第5をやります」と冗談を言っていた。


ベートーヴェンの交響曲第5番。この曲では指揮台を用い、タクトを手にしての指揮で、視覚的にも「田園」と対比させている。演奏スタイルも完全にモダンだ。ヴァイオリンの対向配置は、「田園」ではさほど意味は感じられなかったが、この曲では音の受け渡しが分かりやすくなって効果的である。
4つの音を比較的滑らかに奏でさせる流線型の格好いいスタート。フェルマータの後の間は短めで、流れ重視のドラマティックな演奏であるが、音のドラマよりも全体としての響きと4つの音からなる構築感を優先させているようにも感じられる。たびたび左手を大きく掲げるのが特徴だが、これは外連のようで直接音楽的に変化があるわけではない。
第1楽章でのホルンの浮かび上がり、ティンパニのロールの違いや第4楽章でのピッコロの音型などからやはりブライトコプフ新版の譜面を用いた可能性が高いと思われる。
若い頃、盟友の尾高忠明と共に「桐朋の悪ガキ・イノチュウ(「チュウ」は尾高忠明の愛称で、「忠」を音読みしたもの)」と呼ばれた井上道義。尾高さんは大分ジェントルになったが、井上さんは、「俺は絶対に丸くなんかならない」という姿勢を貫き通し、やりたいことを全てやるという、最後まで暴れん坊のいたずら小僧であった。
最後の音を、井上は両手で指揮棒を持って剣道のように振り下ろす。今後も井上指揮のコンサートはあるが、関西ではこれが最後。私にとっても最後の井上体験である。ラストの指揮姿は永遠に忘れないだろう。

井上は元バレエダンサーということでクルクル回りながら退場。客席を沸かせる。
再登場した井上に、下手側から花束を手にした大フィルのスタッフが歩み寄るが、今度は上手側から大フィル事務局長の福山修さんが花束を持って登場。男からではあったが両手に花となった。
井上は、「もうアンコールはありません」と言った後で指揮台に上がり、「長い間ありがとうございました」と頭を下げた。


楽団員が退場した後も、鳴り止まない拍手に応えて井上は二度登場。最後は女性楽団員2人がコンサートマスターの崔文洙と共に現れ、女性団員がかしずいて井上に花束を捧げる真似をして(やはり男性から両手に花よりも女性から両手に花の方がいいだろう)、それを崔文洙が賑やかすということをやっていた。

Dsc_7028

| | | コメント (0)

2024年12月25日 (水)

コンサートの記(873) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団ほか 「躍動の第九」2024

2024年12月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団 広上淳一指揮「躍動の第九」を聴く。
日本の師走の風物詩となっているベートーヴェンの第九演奏会。日本のプロオーケストラのほとんどが第九演奏会を行い、複数の第九を演奏するオーケストラもある。大フィルこと大阪フィルハーモニー交響楽団もその一つで、本番ともいえる第九は、今月29日と30日に本拠地のフェスティバルホールでユベール・スダーンを指揮台に迎えて行うが、その前に、ザ・シンフォニーホールでの第九演奏会も行い、今年は広上淳一が招聘された。広上は以前には大フィルの定期演奏会や特別演奏会によく客演していたが、京都市交響楽団の常任指揮者となってからは、「オーケストラのシェフは同一地区にあるプロオーケストラの演奏会には客演しない」という暗黙の了解があるため、大フィルの指揮台に立つことはなかった。京都市交響楽団の常任指揮者を辞し、一応、「京都市交響楽団 広上淳一」という珍しい称号を得ているが(「名誉指揮者」などの称号を広上は辞退したが、京響としては何も贈らないという訳にはいかないので、折衷案としてこの称号になった)、シェフではないため、関西の他のオーケストラへの客演も再開しつつある。
広上は以前にも大フィルを指揮して第九の演奏会を行っているが、もう20年以上も前のこととなるようだ。

なお、無料パンフレットは、ABCテレビ(朝日放送)が主催する3つの第九演奏会(広上指揮大フィルほか、ケン・シェ指揮日本センチュリー交響楽団ほか、延原武春指揮テレマン室内オーケストラほか)を一つにまとめた特殊なものである。

さて、広上と大フィルの「躍動の第九」。曲目は、ベートーヴェンの序曲「献堂式」と交響曲第9番「合唱付き」。独唱は、中川郁文(なかがわ・いくみ。ソプラノ)、山下裕賀(やました・ひろか。アルト)、工藤和真(テノール)、高橋宏典(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)。

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏。合唱団は最初から舞台後方の階段状に組まれた台の上の席に座って待機。独唱者は第2楽章演奏終了後に、大太鼓、シンバル、トライアングル奏者と共に下手から登場する。

重厚な「大フィルサウンド」が売りの大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、広上が振るとやはり音が違う。透明感があり、抜けが良い。広上はベテランだが若々しさも加わった第九となった。

まず序曲「献堂式」であるが、立体感があり、重厚で音の密度が濃く、広上と大フィルのコンビに相応しい演奏となっていた。金管の輝きも鮮やかである。

広上の第九であるが、冒頭から深遠なる別世界からの響きのよう。ベートーヴェンの苦悩とそそり立つ壁の峻険さが想像され、悪魔的に聞こえる部分もある。
第2楽章はあたかも宇宙が鳴動する様を描いたかのような演奏だが(広上自身の解釈は異なるようである)、京響との演奏に比べると緻密さにおいては及ばないように思う。手兵と客演の違いである。それでも思い切ったティンパニの強打などは効果的だ。チェロの浮かび上がらせ方なども独特である(ベーレンライター版使用だと思われ、特別なスコアを使っている訳ではないはずである)。

第3楽章はかなり遅めのテンポでスタート。丁寧にロマンティシズムを織り上げていく。麗らかな日の花園を歩むかのようだ。

第4楽章冒頭は音が立体的であり、大フィル自慢の低弦が力強く雄弁である。独唱者や大フィル合唱団も充実した歌唱を聴かせ、フェスティバルホールで行われるであろう第九とは異なると思われる溌剌として爽やかな演奏に仕上げていた。スダーンの指揮の第九は京都市交響楽団とのものを聴いているが、古楽が盛んなオランダの指揮者だけあって、結構、ロックな出来であり、また聴くのが楽しみである。

Dsc_7089_20241225234401

| | | コメント (0)

2024年11月30日 (土)

コンサートの記(872) 鈴木雅明指揮 京都市交響楽団第695回定期演奏会

2024年11月16日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団の第695回定期演奏会を聴く。指揮は鈴木一族の長である鈴木雅明。
本来は京響の11月定期は、常任指揮者である沖澤のどかが指揮する予定だったのだが、出産の予定があるということで、かなり早い時点でキャンセルが決まり、代役も大物の鈴木が務めることになった。

今日の演目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ジョシュア・ブラウン)、ドヴォルザークの交響曲第6番。


日本古楽界の中心的人物である鈴木雅明。古楽器の指揮や鍵盤楽器演奏に関しては世界的な大家である。神戸市生まれ。1990年にバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)を創設。以降、バッハ作品の演奏や録音で高い評価を得ている。なお、レコーディングは神戸松蔭女子学院大学の講堂で行われ、鈴木も神戸松蔭女子学院大学の客員教授を務めているが、神戸松蔭女子学院大学は共学化が決定している。難関大学ではないが、良家のお嬢さんが通う外国語教育に強い女子大学として知られた神戸松蔭女子学院大学も定員割れが続いており、来年度からの共学化に踏み切った。
モダンオーケストラにも客演しており、ベルリン・ドイツ交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)、ニューヨーク・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団といった世界各国の名門オーケストラを指揮している。
東京藝術大学作曲科およびオルガン科出身(二度入ったのだろうか?)。古楽の本場、オランダにあるアムステルダム・スウェーリンク音楽院にも学ぶ。藝大の教員として、同校に古楽科を創設してもいる。現在は東京藝術大学名誉教授。


午後2時頃より、鈴木雅明によるプレトークがある。「今日の指揮者である鈴木雅明です。というわけで、今日の指揮者は沖澤のどかではありません。期待されていた方、残念でした」に始まり、楽曲解説などを行う。
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」については、「おどろおどろしい。お化け屋敷のような」ところが魅力でありと語り、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲については、「モーツァルトの次にベートーヴェンという王道。最も有名なヴァイオリン協奏曲の一つなのですが」ティンパニの奏でる音が全曲のモチーフとなること、またベートーヴェン自身はカデンツァを書き残していないと説明。ただベートーヴェンはヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲してあり、ピアノ向けにはカデンツァを書いているので、それをヴァイオリン用にアレンジして弾くこともあると紹介していた。
ヨーロッパなどでは王道の曲は「飽きた」というので、プログラムに載ることが少なくなったそうだが、その分、ドヴォルザークの交響曲第6番のような知られざる曲が取り上げられることも増えているようだ。ドヴォルザークの初期交響曲は出版されるのが遅れており、私の小学校時代の音楽の教科書にも「新世界」交響曲は第5番と記されていた。後期三大交響曲(その中でも交響曲第7番は知名度は低めだが)以外は演奏される機会は少ないドヴォルザークの交響曲。今日を機会にまた演奏出来るといいなと鈴木は語った。
鈴木が京都コンサートホールを訪れるのは久しぶりだそうで、リハーサルの時に「あれ、こんな音の良いホールだったっけ?」と驚いたそうだが(ステージを擂り鉢状にするなど色々工夫して音響は良くなっている)、パイプオルガンに中央にないのが不思議とも語ってた。一応であるが、演奏台は中央にある。


今日はヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。モーツァルトとベートーヴェンでは中山航介がバロックティンパニを叩く。
コンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が乗り番。一方で、管楽器の首席奏者はドヴォルザークのみの出演となる人が大半であった。
首席奏者の決まらないトロンボーンは、京響を定年退職した岡本哲が客演首席として入る。
京響は様々なパートの首席が決まらず、募集を行っている状態である。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。全面的に、H.I.P.を用いた演奏である。
鈴木雅明は音を丁寧に積み上げる指揮。音響が立体的であり、建築物を築き上げるような構築力が特徴である。息子の鈴木優人は流れ重視の爽やかな音楽を奏でるタイプなので、親子とはいえ、音楽性は異なる。
総譜を見ながらノンタクトでの指揮。総譜は置くが暗譜していてほとんど目をやらない指揮者も多いが、鈴木は要所を確認しながら指揮していた。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏のジョシュア・ブラウンは、アメリカ出身の若手。シカゴ音楽院を経て、現在はニューイングランド音楽院で、学士号修士号獲得後のアーティスト・ディプロマを目指す課程に在籍している。今年ブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位に入賞し、聴衆賞も獲得している。
北京で開催された2023年グローバル音楽教育連盟国際ヴァイオリンコンクール第1位、レオポルト・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールでも第1位と聴衆賞を得ている。

ブラウンは美音家で、スケールを拡げすぎず、内省的な部分も感じさせつつ伸びやかなヴァイオリンを奏でる。ベートーヴェンということで情熱的な演奏をするヴァイオリニストもいるが、ブラウンは音そのもので勝負するタイプで、大言壮語しない小粋さを感じさせる。
鈴木雅明の指揮する京響はベートーヴェンの構築力の堅固さを明らかにする伴奏で、ブラウンのソロをしっかり支える。重層的な伴奏である。

ブラウンのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。生まれたばかりの朝のようなイノセントな演奏であった。


ドヴォルザークの交響曲第6番。演奏会で取り上げられることは少ないが、スラヴ的な味わいのある独特の交響曲である。ドヴォルザークの傑作として「スラヴ舞曲」を挙げる人は多いと思われるが、そのスラヴ舞曲の交響曲版ともいうべきメロディーの美しい交響曲である。ただ構築や構造において交響曲的要素が薄いということが知名度が低い理由になっていると思われる。
旋律において、マーラーとの共通点を見出すことも出来る。第1楽章の終結部などは、マーラーの交響曲第1番「巨人」第2楽章のリズムを想起させる。マーラーはボヘミア生まれのユダヤ人で主にオーストリアで活躍という人で、自身のアイデンティティに悩んでいたが、幼い頃に触れたボヘミアの旋律が原風景になっている可能性は高いと思われる。
鈴木と京響は歌心に満ちた演奏を展開。音色は渋く、密度も濃い。かなり情熱的な演奏でもある。意外だったのはブラスの強烈さ。ティンパニと共にかなりの力強さである。通常ならここまでブラスを強く吹かせると全体のバランスが大きく崩れるところだが、そこは鈴木雅明。うるさくもなければフォルムが揺らぐこともない。結果として堂々たる演奏となった。

鈴木は、オーケストラを3度立たせようとしたが、京響の楽団員は鈴木を讃えて立たず、鈴木は指揮台に上って、一人喝采を浴びていた。

Dsc_6752

| | | コメント (0)

2024年11月 7日 (木)

コンサートの記(869) 第28回 京都の秋 音楽祭 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会 尾高忠明指揮

2024年10月27日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、第28回 京都の秋 音楽祭 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

毎年恒例の、京都コンサートホールでの大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会。今回は、オール・ベートーヴェン・プログラムで、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ピアノ三重奏:葵トリオ)と交響曲第6番「田園」が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏がホワイエにいらっしゃったのでまず挨拶する。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)に尾張拓登。ドイツ式の現代配置による演奏である。なお、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、長年に渡って京都市交響楽団と大阪フィルハーモニー交響楽団の両方に客演を続けていた一樂恒(いちらく・ひさし)が客演チェロ奏者として参加している。彼は大フィルの首席ヴィオラ奏者である一樂もゆると結婚しているので、夫婦での参加となる。


ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。ピアノトリオによる協奏曲で、比較的珍しい編成による曲である。少なくともベートーヴェンの三重協奏曲と同等かそれ以上に有名な三重協奏曲は存在しない。特殊な編成ということで、ベートーヴェンの協奏曲の中では人気がある方ではないが、実演に接するのはこれが3度目となる。

ヴァイオリンの小川響子、チェロの伊藤裕(いとう・ゆう。男性)、ピアノの秋元孝介という関西出身の3人の音楽家で結成された葵トリオ。第67回ミュンヘンコンクールで優勝し、一躍日本で最も有名なピアノトリオとなっている。紀尾井ホールのレジデンスを務めたほか、サントリーホールと7年間のプロジェクトが進行中。2025年からは札幌にある、ふきのとうホールのレジデントアンサンブルに就任する予定である。これまで第28回青山音楽賞バロックザール賞、第29回日本製鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞、第22回ホテルオークラ賞、第34回ミュージック・ペンクラブ賞などを受賞している。
ヴァイオリンの小川響子(SNSからニックネームが「おがきょ」であることが分かる)は、今年の4月から名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターに就任している。
また、チェロの伊藤裕は、現在、東京都交響楽団の首席チェロ奏者を務めている。

三重協奏曲は、1803年頃から作曲が始められたことが分かっており、1804年もしくは1805年に完成したとされる。1804年の試演を経て、1808年にウィーンで公開初演が行われたが不評であったという。ピアノ三重奏の協奏曲という特殊な楽曲であり、チェロが最も活躍し、難度も高いことから優れたチェリストから依頼があったことが予想され、一方で、ピアノの技巧はそれほど高いものが求められないなど、各楽器の難度に差があることから、特定の奏者を想定して書かれたことが予想される。ただ、具体的に誰のために書かれたのかは分かっていないようだ。

普段からピアノ三重奏団として活躍している葵トリオの演奏だけに、息のピッタリあった演奏が展開される。技巧面は申し分ない。小川響子が旋律を弾き終えると同時に、弓を高々と掲げるのも格好いい。小川のヴァイオリンには艶とキレがあり、伊藤のチェロは温かく、秋元のピアノはスケールが大きい。
ベートーヴェンの楽曲としては決定的な魅力には欠けるとは思うが、ヴァイオリン、チェロ、ピアノとオーケストラのやり取りによって生まれる独自の音響がなかなか楽しい。

尾高指揮する大フィルは、磨き抜かれた音色を最大の特徴とする。ベートーヴェンの演奏としては綺麗すぎる気もするが、アンサンブルの精度も高く、構造もきっちりとして見通しも良く、「好演」という印象を受ける。


演奏終了後、何度かカーテンコールに応えた葵トリオ。最後は譜面を手にして現れ、アンコール演奏があることが分かる。
演奏されるのは、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第6番変ホ長調より第3楽章。瑞々しい音楽であり、叙情味に溢れた演奏であった。ピアノの音は三重協奏曲の時よりも輪郭がクッキリしていて、やはり難度によって響きが変わることが分かる。



ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。尾高と大フィルは、大阪・中之島のフェスティバルホールで「ベートーヴェン交響曲チクルス」を行っており、私も交響曲第3番「英雄」と第4番の回を除く全ての演奏を聴いているが、「田園」のみ大人しく、不出来であっただけに不安もある。
ただ、今回は弦の音色も瑞々しく、歌心にも溢れ、金管はやや安定感に欠けたが、木管も堅調で優れた演奏になる。

ベートーヴェンの交響曲の中でも「田園」は特に名演が少なく、演奏が難しいことが予想される。ベートーヴェンの交響曲の中でも旋律主体であり、描写的(ベートーヴェン本人は否定しているが)であるため、他の交響曲とは性質が異なり、ベートーヴェンを得意としている指揮者でも合わない人が多いのかも知れない。考えてみれば、「田園」の名盤を残していることで知られるブルーノ・ワルターもカール・ベームも「ベートーヴェン交響曲全集」を作成しているが全集の評判自体は必ずしも高くない。一方で、ベートーヴェン指揮者として知られるヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「田園」は特異な演奏として知られており、「ベートーヴェン交響曲全集」を何度も作成しているヘルベルト・フォン・カラヤンや朝比奈隆の「田園」もそれほど評価は高くないということで、「田園」だけは毛色が違うようである。
ということで、フェスの「ベートーヴェン交響曲チクルス」では上手くいかなかったのかも知れないが、今回は「田園」1曲ということで、チクルスの時とスタンスを変えることが可能だったのか、しっかりとした構造を保ちつつ、流れも良く、日本のオーケストラによる「田園」の演奏としては上位に入るものとなった。
ピリオドを強調した演奏ではないが、弦のボウイングなどを見ると、H.I.P.なども部分的に取り入れているようである。ティンパニもバロックティンパニは使用していないが、堅めの音で強打するなど、メリハリを生み出していた。
第5楽章も神や自然に対する畏敬の念が大袈裟でなく表れていたように思う。ある意味、日本的な演奏であるとも言える。

演奏終了後、尾高のスピーチ。「お世辞でなく」「大好きなホール」と京都コンサートホールを讃えるが、その後の言葉はマイクを使っていないということもあってほとんど聞き取れず。「パストラルシンフォニーは」という言葉は聞こえたため、「田園」交響曲にまつわる話であるということが分かるだけであった。

Dsc_5795

| | | コメント (0)

2024年11月 4日 (月)

「題名のない音楽会」60周年記念企画⑤ 鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパン 2024.8.31

録画してまだ見ていなかった8月31日放送の「題名のない音楽会」を見る。今回は「題名のない音楽会」60周年記念企画⑤として、鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏が紹介される。演目は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」より第1楽章、第4楽章と、メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」より序曲と「結婚行進曲」。メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」は、オーケストラ・ディスカバリーで抜粋版が上演されるはずであった。

バッハ・コレギウム・ジャパンは、その名の通り、バッハの作品を演奏するために結成された古楽器オーケストラ。鈴木雅明が結成し、現在はその息子の鈴木優人が首席指揮者を務めている。
有名奏者としては、チェロの上村文乃(かみむら・あやの)がいるが、ハーバード大学とジュリアード音楽院の両方を首席で出て才媛と騒がれた廣津留すみれもいつの間にかメンバーとして加わっているようである。

鈴木優人は、眼鏡なしのノンタクトで指揮。当然ながら古典配置での演奏である。


ベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章では、最初の運命主題のフェルマータはナチュラルだがやや短めに、2度目はよりも流す感じ。古楽器の鄙びた音が独特の立体感を作り出し、推進力にも富む。古楽器は音が小さめなので、モダンオーケストラに比べると迫力を欠きがちだが、収録ということや、構築力を示すことを重視した音楽作りと言うことで不満はない。カットしたバージョンによるもので、哀切なオーボエソロはない。

第4楽章でも生き生きとした音によるドラマが繰り広げられた。モダン楽器と違い、音が必ずしも溶け合わないのも特徴である。音色も明るめで、爽快感のあるラストを迎える。
この曲で初めて使われた楽器として、ピッコロ(野崎真弥)、コントラファゴット(鈴木禎)、トロンボーン(清水真弓ほか)が紹介される。


メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」より序曲と「結婚行進曲」。「結婚行進曲」がラストに登場するのはおそらく意味があり、「運命」と「結婚」の冒頭の主題が実は、「タタタターン」という同じ音型なのである。メンデルスゾーンが意図的に真似たという説もある。

オフィクレイドという楽器が紹介される。今では使われていない楽器である。演奏は橋本晋哉。

序曲における底から湧き上がってくるかのようなエネルギーの横溢した表情。「結婚行進曲」(短縮版)の華やかさ(冒頭で吹かれるトランペットは、勿論、ナチュラルトランペットである)。いずれも聞きものであった。

| | | コメント (0)

2024年10月31日 (木)

コンサートの記(866) アジア オーケストラ ウィーク 2024 ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団@京都コンサートホール エレーヌ・グリモー(ピアノ)

2024年10月19日 京都コンサートホールにて

アジア オーケストラ ウィークが関西に戻ってきた。

午後4時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都公演を聴く。
アジアのオーケストラを日本に招く企画、「アジア オーケストラ ウィーク」は、当初は東京の東京オペラシティコンサーホール“タケミツ メモリアル”と大阪のザ・シンフォニーホールの2カ所で行われていたが、東日本大震災復興への希望を込めて、東京と東北地方での開催に変更。関西で聴くことは叶わなくなっていた。だが、今年は一転して京都のみでの開催となっている。


シンガポール交響楽団は、1979年創設と歴史は浅めだが、アジアのオーケストラの中ではメジャーな方。ラン・シュイ(水蓝)が指揮したCDが数点リリースされている。

治安が良く、街が綺麗なことで知られるシンガポール(そもそもゴミを捨てると罰金刑が課せられる)。日本人には住みやすく、「東京24区」などと呼ばれることもあるが、シンガポール自体は極めて厳しい学歴主義&競争社会であり、シンガポールに生まれ育った人達にとって必ずしも過ごしやすい国という訳でもない。競争が厳しいため、優秀な人が多いのも確かだが。
シンガポールもヨーロッパ同様、若い頃に将来の進路を決める。芸術家になりたい人はそのコースを選ぶ。学力地獄はないが、音楽性の競い合いもまた大変である。

無料パンフレットには、これまでのアジア オーケストラ ウィークの歴史が載っている。私がアジア オーケストラ ウィークで聴いたことのあるオーケストラは以下の通り、会場は全て大阪・福島のザ・シンフォニーホールである。
上海交響楽団(2004年)、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団(2004年。実はソウルには日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になるオーケストラが二つあるという紛らわしいことになっており、どちらのソウル・フィルなのかは不明)、ベトナム国立交響楽団(2004年。本名徹次指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団(2004年。岩城宏之指揮。これが岩城の実演に接した最後となった)、オーストラリアのタスマニア交響楽団(2005年。オーストラリアはアジアではないが、アジア・オセアニア枠で参加)、広州交響楽団(2005年。余隆指揮。このオーケストラがアジア オーケストラ ウィークで聴いた海外のオケの中では一番上手かった)、ハルビン・黒龍江交響楽団(このオケがアジア オーケストラ ウィークで聴いた団体の中では飛び抜けて下手だった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を取り上げたが、伴奏の体をなしておらず、ソリストが不満だったのか何曲もアンコール演奏を行った。女性楽団員が「長いわね」と腕時計を見るって、何で腕時計してるんだ?)。一応、このオーケストラは朝比奈隆が指揮したハルビン交響楽団の後継団体ということになっているが、歴史的断絶があり、実際は別のオーケストラである。この後、アジア オーケストラ ウィークは大阪では行われなくなった。2021年にはコロナ禍のため、海外の団体が日本に入国出来ず、4団体全てが日本のオーケストラということもあった。日本もアジアなので嘘偽りではない。
2022年には琉球交響楽団が参加しているが、大阪ではアジア オーケストラ ウィークとは別の特別演奏会としてコンサートが行われている。

そして今年、アジア オーケストラ ウィークが京都に来た。

指揮は、2022年にシンガポール交響楽団の音楽監督に就任したハンス・グラーフ。2020年にシンガポール響の首席指揮者となり、そこから昇格している。オーストリア出身のベテラン指揮者であるが、30年ほど前に謎の死亡説が流れた人物でもある。当時、グラーフは、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督で、ピアノ大好きお爺さんことエリック・ハイドシェックとモーツァルトのピアノ協奏曲を立て続けに録音していたのだが、「レコード芸術」誌上に突然「ハンス・グラーフは死去した」という情報が載る。すぐに誤報と分かるのだが、なぜ死亡説が流れたのかは不明である。ハイドシェックは、当時の大物音楽評論家、宇野功芳(こうほう)の後押しにより日本で人気を得るに至ったのだが、宇野さんは敵が多い人だっただけに、妨害工作などがあったのかも知れない。ともあれ、ハンス・グラーフは今も健在である。
これまで、ヒューストン交響楽団、カナダのカルガリー・フィルハーモニー管弦楽団、フランスのボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バスク国立管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督として活躍してきた。


曲目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、シンガポールの作曲家であるコー・チェンジンの「シンガポールの光」、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」


開演の大分前から、多くの楽団員がステージ上に登場。さらっている人もいるが特に何もしていない人もいる。そうやって人が増えていって、最後にゲストコンサートマスターのマルクス・グンダーマン(でいいのだろか。アルファベット表記なので発音は分からず)が登場して拍手となる。なお、テューバ奏者としてNatsume Tomoki(夏目智樹)が所属しており、夏目の「アジア オーケストラ ウィークに参加出来て光栄です」という録音によるメッセージがスピーカーから流れた。

ヴァイオリン両翼の古典配置がベースだが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや上手寄り。指揮者の正面にはファゴットが来る。またホルンは中央上手側後列に陣取るが、他の金管楽器は、上手側のステージ奥に斜めに並ぶという、ロシア式の配置が採用されている。なぜロシア式の配置を採用しているのかは不明。
多国籍国家のシンガポール。メンバーは中華系が多いが、白人も参加しており、日本人も夏目の他に、第2ヴァイオリンにKURU Sayuriという奏者がいるのが確認出来る。


グラーフは、メンデルスゾーンとベートーヴェンは譜面台を置かず、暗譜で振る。指揮姿には外連はなく、いかにも職人肌というタイプの指揮者である。その分、安定感はある。

メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲は、各楽器、特に弦楽器がやや細めながら美しい音を奏でるか、ホールの響きに慣れていないためか、内声部が未整理で、モヤモヤして聞こえる。それでも推進力には富み、活気のある演奏には仕上がった。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。今年はラヴェルの伝記映画が公開され、ピアノ協奏曲の2楽章がエンディングテーマとして使用されている。

ソリストのエレーヌ・グリモーは、フランスを代表する女流ピアニスト。変人系美人ピアニストとしても知られている。幼い頃からピアノの才能を発揮するが、同時に自傷行為を繰り返す問題児でもあった。美貌には定評があり、フランス本国ではテレビCMに出演したこともある。オオカミの研究者としても知られ、オオカミと暮らすという、やはりちょっと変わった人である。先月来日する予定であったが、新型コロナウイルスに感染したため予定を変更。心配されたが、X(旧Twitter)には、「東アジアツアーには参加する」とポストしており、予定通り来日を果たした。


グリモーのピアノであるが、メカニックが冴え、第1楽章では爽快感溢れる音楽を作る。エスプリ・クルトワやジャジーな音楽作りも利いている。
第2楽章は遅めのテンポでスタート。途中で更に速度を落とし、ロマンティックな演奏を展開する。単に甘いだけでなく、夢の中でのみ見た幸せのような儚さもそこはかとなく漂う。
第3楽章では、一転して快速テンポを採用。生まれたてのような活きのいい音楽をピアノから放っていた。


アンコール演奏は2曲。シルヴェストロフの「バガテル」は、シャンソンのような明確なメロディーが特徴であり、歌い方も甘い。ブラームスの間奏曲第3番では深みと瑞々しさを同居させていた。


休憩を挟んで、コー・チェンジンの「シンガポールの光」。オーケストラの音の輝きを優先させた曲だが、音楽としてもなかなか面白い。揚琴(Yangqin)という民族楽器を使用しているが、楽器自体は他の楽器の陰に隠れて見えず。演奏しているのはパトリック・Ngoというアジア系の男性奏者である。良いアクセントになっている。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。日本では「運命」のタイトルで知られるが(西洋では余り用いられない。ごくたまに用いられるケースもある)、北京語では運命のことを命運と記すので、「運命」交響曲ではなく、「命運」交響曲となる。

冒頭の運命動機はしっかりと刻み、フェルマータも長めで、その後、ほとんど間を空けずに続ける。流線型のフォルムを持つ格好いい演奏である。アンサンブルの精度は万全とはいえないようで、個々の技術は高いのだが、例えば第4楽章に突入するところなどは縦のラインが曖昧になっていたりもした。
ただ全般的には優れた部類に入ると思う。グラーフには凄みはないが、その代わりに安心感がある。
ラスト付近のピッコロの音型により、ベーレンライター版の譜面を使っていることが分かった。


アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。丁寧で繊細で典雅。シンガポール響の技術も高く、理想的な演奏となる。グラーフも満足げな表情を浮かべていた。

Dsc_5256

| | | コメント (0)

2024年10月21日 (月)

コンサートの記(863) 安達真理(ヴィオラ)&江崎萌子(ピアノ) 「月の引用」@カフェ・モンタージュ

2024年10月4日 京都市中京区 柳馬場通夷川東入ルのカフェ・モンタージュにて

午後8時から、柳馬場(やなぎのばんば)通夷川(えびすがわ)東入ルにあるカフェ・モンタージュで、ヴィオラの安達真理とピアノの江崎萌子によるコンサート「月の引用」を聴く。

曲目は、ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番とショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ。ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番は、ブラームス最後の室内楽曲。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは、ショスタコーヴィチの最後の作品で、死の5日前に完成している。


人気ヴィオリストの安達真理。関西で実演に接する機会も多い。国内ではソリストや室内楽での活動が多かったが、2021年に日本フィルハーモニー交響楽団の客演首席ヴィオラ奏者に就任している。
桐朋学園大学、ウィーン国立音楽大学室内楽科、ローザンヌ高等音楽院ソリスト修士課程を修了。若手奏者との共演の他、坂本龍一との共演経験もあり、6月に行われた日本フィルの坂本龍一追悼演奏会でも客演首席ヴィオラ奏者として乗り番であった。指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとはエストニア・フェスティバル管弦楽団のメンバーとして、ヨーロッパ各地で共演を重ねている。コロナの時期にはインスタライブなども行っていて、私も見たことがあるのだが、かなり性格が良さそうで、彼女のことを嫌いという人は余りいないのではないだろか。笑顔がとてもチャーミングな人である。
ロングヘアがトレードマークであるが、今日はポニーテールで登場した。

ピアノの江崎萌子は、東京出身。桐朋女子高校音楽科を首席で卒業後、パリのスコラ・カントルム(エリック・サティが年を取ってから入学し、優秀な成績で卒業したことでも知られる音楽院である)とパリ国立高等音楽院修士課程に学び、ライプツィッヒ・メンデルスゾーン音楽大学演奏家課程で国家演奏家資格を取得している(日本と違って資格がないとプロの演奏家として活動出来ない)。ヴェローナ国際コンクールで2位獲得、東京ピアノコンクールでも2位に入っている。


ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番。カフェ・モンタージュは空間が小さいので音がダイレクトに届く。ブラームスらしい仄暗い憂いの中に渋さと甘さの感じられる曲だが、憧れを求める第2楽章、そして第3楽章などは清澄な趣で、穏やかな魂の流れのようなものが感じられる。
間近で聴いているので迫力が感じられ、二人のしなやかな音楽性も伝わってくる。

演奏終了後に安達真理のトーク。マイクがないので、地声で話す。空間が小さいので十分に聞こえる。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが彼の最後の作品であり、もう右手が使えず左で記譜したこと、死の直前まで奥さんにチェーホフの小説「グーセフ」を読み聞かせて貰っていたことなどを話す。
今回のタイトルは、「月の引用」であるが、ショスタコーヴィチはヴィオラ・ソナタの第3楽章でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「月光」第1楽章の旋律を引用しており、そこからタイトルがつけられたことを明かす。第1楽章には「ノベル(小説)」、第2楽章には「スケルツォ」、第3楽章には「偉大な作曲家の思い出に」という副題が付いていたようだ。

休憩後に演奏開始。ヴィオラはピッチカートで始まる。深遠さと諧謔の精神を合わせ持ついつものショスタコーヴィチであるが、背後に何か得体の知れないものが感じられる。
第2楽章は、流麗な舞曲風の曲調。再びピッチカートの歩みが始まり、悲歌のようなものが歌い上げられて、再びピッチカートが姿を現す。

第3楽章には、「月光」ソナタからの引用と共に、自身の交響曲全15曲からの引用がさりげなくちりばめられてるのだが、それが発見されたのは、作曲者が亡くなってから大分経ってからであった。それほど巧妙に隠されていたということになる。ベートーヴェンをカモフラージュにして意識をそちらに向かわせるよう仕向けたのであろう。
「月光」からの引用はまずピアノに現れ、すぐにヴィオラが歌い交わす。
次第にピアノが叩きつけるような音に変わり、その上をヴィオラの月光の旋律が滑る。
ベートーヴェンの「月光」は、「神の歩み」「十字架」「ゴルゴダの丘」などを描写しているという説があるが、ショスタコーヴィチがそうしたことを知っていたのかどうかは不明である。

二人ともショスタコーヴィチの鋭さの中に優しさを含ませたかのような演奏。


アンコール演奏は1曲。聴いたことのない曲だったが、安達真理は、「なんの曲かは私のXをご覧下さい」と告げていた。確認すると、平野一郎の「あまねうた」という曲だったようだ。

Dsc_4780

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アップリンク京都 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロシア映画 ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇場 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ドラマ 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画