カテゴリー「ベートーヴェン」の146件の記事

2021年7月26日 (月)

ボザール・トリオ ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」

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2021年7月15日 (木)

コンサートの記(730) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会

2021年7月8日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻教授の下野竜也。

新型コロナウイルスの流行により昨年夏の定期演奏会は中止となった京都市立芸術大学音楽学部と大学院音楽研究科。今年はなんとか開催に漕ぎ着けた。

曲目は、第1部が、シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。第2部が、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」より“私の名前はミミ”と“あなたの愛の呼ぶ声に”、「トスカ」より“歌に生き、愛に生き”(ソプラノ:佐藤もなみ)。第3部がドヴォルザークの交響曲第8番。
京都市立芸術大学にはハープの専攻はないようで、ハープは京都ではお馴染みの松村多嘉代、松村衣里の松村姉妹が奏でる。

入りはまずまずで、この点に関してはコロナの影響はさほど感じられない。


シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)。ユダヤ人だったシェーンベルクがナチスの迫害を逃れて渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で教授を務めていた時代に書かれた作品である。高校の吹奏楽部でも演奏可能な曲として依頼されたのであるが、結果として演奏難度の高い楽曲となった。

この曲を聴くのは初めてだが、ユーモラスというか人を食ったような旋律があったり、十二音技法とは異なった和音が響いていたりと、かなり個性の強い作品である。
ただ和声や響きに、ハリウッド映画に出てくるような部分もあり、アメリカの映画音楽がシェーンベルクからの影響を受けていることが感じられる。シェーンベルクが生んだ十二音技法は、クラシックでは結局のところ不毛に終わりそうだが、映画音楽では心理描写などで巧みに用いられ、かなりの成果を上げていると言っていいように思う。


場面転換が必要となるため、下野がマイクを手に登場してトークを行う。「本日はお足元のお悪い中、お越し下さりありがというございます」という挨拶に続き、新型コロナの影響で授業やレッスンに支障が出たが、教員も学生も(芸術系大学の場合は師弟関係になるため、「学生」ではなく「生徒」と呼ぶことの方が多いのだが、ここでは「学生」に統一する)感染対策をして乗り越えたこと、「いたずらに厳しい、下野竜也という男」によく着いてきてくれたことなどを語る。
今回のコンサートでは感染のリスクを抑えるため、奏者達が演奏を行うたびにポジションを変更し、また副指揮者の学生などが中心となって消毒作業なども行うようだ。
1曲目のシェーンベルクの楽曲が吹奏楽版であることにも触れ、「今年からユーフォニアムの専攻が出来て」「学部と大学院に一人ずつ入学した」ということでユーフォニアムが活躍する音楽を選んだことを語る。「有名な曲をやろうとも思いましたが、ひねくれているので」あまり知られていない曲を選んだようである。下野自身が吹奏楽出身であるため、愛着もあるのだと思われる。ちなみに下野は広島ウインドオーケストラの音楽監督でもあり、9月には広島ウインドオーケストラと京都コンサートホールでも公演を行う予定である。


ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲。
日本の音楽大学や音楽学部は、基本的に9割前後を女子学生が占めている。京都市立芸術大学音楽学部も例外ではなく、例えば第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンやヴィオラは、それぞれ男子は1名から2名で、その他は全員女の子である。チェロも女子が過半数。ただ楽器自体が大きいコントラバスは一人を除いて全員男子など、パートによって傾向が異なる。コントラバスの女子は苗字から察するに韓国の方なので、日本人女性でコントラバスを積極的にやりたいという人はまだ余り多くないようである。

弦はフル編成であるが、ビブラートを抑えたピリオドによる演奏。ティンパニもバロックタイプでこそないが、木製のバチを使って硬めの音を出す。

残響の長い京都コンサートホールということで、ゲネラルパウゼを長めに取るのが特徴。ラストではヴァイオリンが情熱的な音色を奏でて、灼熱の世界へとなだれ込んでいく。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。ラヴェルは「ボレロ」など、ラストにとんでもないことが起こる楽曲がいくつかあるが、これもその一つである。
色に例えるとピンク色のような独特の気品を持つ音色が特徴。チャーミングな美演であるが、最後は狂気にも似た空中分解を迎える。
ラヴェルは、フランスとスペインの境にあるバスク地方の出身であるが、その豪快さはエスプリ・ゴーロワというよりもスペイン的な気質を感じさせる。

皮肉なことだが、ラヴェルの人生自体もそのラストで悲劇的な転調を迎えることになる。


第2部。声楽専攻4回生の佐藤もなみの独唱によるソプラノのアリア。京都市立芸術大学では、各専攻の成績優秀者でオーディションを行い、最優秀者がソリストとなる権利を得るシステムのようで、今年は声楽の佐藤もなみが出場権を得たようだ。

緊張と、客を入れてのステージ上の音響がつかめなかったためか、最初の内は声がやや硬めだったが、次第に音響にも慣れたようで伸びやかな声を聴かせる。
下野指揮の京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団も、繊細で柔らかな伴奏を奏でる。


第3部。ドヴォルザークの交響曲第8番。学生のオーケストラということで洗練度にはやや不足しているが、土俗感や自然の息吹など、ドヴォルザークらしさは十全に表現出来ている。
弦楽はヴァイオリンが優秀で、第3楽章の抒情美や冒頭の切れ味、第4楽章の高揚感など見事である。同じ弦楽器でもヴァイオリンとそれ以外では異なり、音大などでヴァイオリンを専攻している人は基本的に子どもの頃からヴァイオリン一筋だが、その他はまず別の楽器をやってから現在の楽器に至っている場合が多い。いわばヴァイオリンはエリートで、大学レベルだとまだ違いが現れやすいのかも知れない。
ということで低弦が薄めではあったが、技術的には学生としては十分な高さに達しており、下野の音楽作りの巧みさも相俟って、聴かせる演奏となっていた。

京都市交響楽団、京都市立芸術大学、京都市立京都堀川音楽高校、京都市ジュニアオーケストラと四段構えになっているのが京都市のクラシック音楽界の強さである。残念ながら、大学卒業後の就職先が少ないため、京都市を離れる人が多いが、それでも京都のクラシックの聴衆の若返りは他の都市に比べると上手くいっているように思う。

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2021年7月11日 (日)

楽興の時(42) 「テラの音 Vol.30」 Duo Felicello(デュオ・フェリーチェロ)デビューライブ

2021年7月2日 真宗大谷派小野山浄慶寺にて

午後7時から、京都御苑の近くにある真宗大谷派小野山浄慶(じょうきょう)寺で、「テラの音 vol.30」を聴く。浄慶寺で「テラの音(ね)」が開催されるのは、1年ぶりとなる。コロナ禍に加えて、共同主宰である牧野貴佐栄の体調面での問題もあり、なかなか上演が出来ないでいた「テラの音」であるが、次回は10月にやはり浄慶寺で行われることが決まっている。

今回は、チェロデュオであるDuo Felicello(デュオ・フェリーチェロ)の出演。メンバーは、三井菜奈生と徳安芽里。実は今回がデビュー公演になるという。

三井菜奈生は、香川県出身。4歳でピアノ、8歳でチェロを始め、12歳から高校卒業まで、かがわジュニアニューフィルハーモニックオーケストラに所属。第20回札幌リスト音楽院セミナーでは、名チェリストとして知られるミクローシュ・ペレーニのレッスンを受けている。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻音楽コース卒業。

徳安芽里は、奈良県出身。浄土真宗本願寺派の大学である相愛大学音楽学部を卒業。桐朋オーケストラ・アカデミー研修課程を修了している。第8回全日本芸術コンクール大学生部門で奨励賞を受賞。


曲目は、J・S・バッハの「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番より“エア”)、ボッケリーニの2本のチェロのためのソナタ、「日本の四季の歌メドレー」、クンマーの「ヘンデルの主題による変奏曲」、ドッツァーの「モーツァルトの主題による変奏曲」、モーツァルトの「鏡のカノン」、バリエールの2本のチェロのためのソナタ ト長調。

見慣れぬ名前の作曲家も多いが、多くはチェリスト兼作曲家だった人のようで、チェロのための練習曲なども書いており、チェロを習っている人にとってはお馴染みの作曲家のようである。

通常の「テラの音」は二部制で、間に住職による法話が入るが、今回は時短にする必要があるということで、最初に浄慶寺の中島浩彰住職による法話があり、来週は七夕ということで「五節句」の話や、仏教が「私」を巡る宗教であるということなどが語られる。


おなじみの「G線上のアリア」でスタート。

「メヌエット」でお馴染みのボッケリーニであるが、それ以外の曲は余り知られていなかったりする。生前は作曲家としてよりもチェロ奏者として有名だったようで、2本のチェロのためのソナタは、チェロデュオの定番とされているようである。スケール豊かで、伸びやかな歌が特徴。

「日本の四季の歌メドレー」は、季節を題材にした日本の童謡など12曲からなるメドレー。春に始まり冬に終わる。演奏されるのは、「春が来た」「花の街」「早春賦」「背比べ」「茶摘み」「紅葉」「里の秋」「手袋の歌」「雪」などで、断片のみが演奏される曲もある。

クンマーの「ヘンデルの主題による変奏曲」。ここで用いられているヘンデルの主題とは、「勝利の歌」としても知られる「見よ、勇者は帰る」である。
トークは主に徳安が受け持っており、「運動会などの表彰式で流れていた曲」と説明していた。

ドッツァーの「モーツァルトの主題による変奏曲」で用いられる「モーツァルトの主題」というのは、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のアリア“お手をどうぞ”のメロディーである。
“お手をどうぞ”の主題による変奏曲は、ショパンなども作曲しているが、チェロは「人間の声に最も近い楽器」と呼ばれることも多く、チェロのことを知り尽くし、教則本も書いたドッツァーが、ドン・ジョヴァンニの歌うアリアを基に書いた変奏曲も魅力的である。

モーツァルトの「鏡のカノン」は、2人の演奏家が1枚の楽譜を上からと下から、同時に弾いて演奏が成り立つという楽曲である。J・S・バッハがこうした作品を多く残したが、モーツァルトも作曲しているようだ。ただこの作品には偽作説があるらしい。

バリエールの2本のチェロのためのソナタ ト長調。バリエールはフランスの作曲家兼チェリストで、生前は名声を博したようだが、わずか40歳で他界している。
この曲もチェリストの間では人気があるようで、典雅な第1楽長、憂いを帯びた第2楽章、華やかな第3楽章のいずれもが魅力的な曲想を持っている。


アンコールとして、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」より冒頭部分が演奏された。

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2021年5月23日 (日)

配信公演 鈴木優人指揮 京都市交響楽第656回定期演奏会(文字のみ)

2021年5月15日 京都コンサートホールより配信

京都市交響楽団の第656回定期演奏会は、予定通り午後2時30分の開演となったが、無観客に切り替わり、ニコニコ生放送での配信公演となった。
指揮台に立つのは、「古楽の貴公子」鈴木優人。鈴木優人が京都市交響楽団を指揮するのはこれが初めてとなる。鈴木優人指揮の実演には、日本人作曲家の作品を並べた関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会と、よこすか芸術劇場で聴いたベンジャミン・ブリテンの歌劇「カーリュー・リヴァー」に接しており、いずれも優れた出来であったが、鈴木優人の十八番である古楽ではなかった。今回の京響定期は、前半に古楽のレパートリーが並んでいたのだが、配信のみの公演となったため、「実演に接した」とはいえない状況になってしまったのだが残念である。

曲目は、ヘンデルの歌劇「忠実な羊飼い」序曲、ラモー作曲・鈴木優人編曲の歌劇「みやびなインドの国々」組曲、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲ト長調 RV414(チェロ独奏:上村文乃)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

ニコニコ生放送ということで、視聴者からのコメントが流れるのだが、プレトークで鈴木はそれらを拾いながら進めていく。ニコニコ生放送ならではの面白さである。休憩時間にも鈴木はソリストの上村文乃と共に視聴者コメントを読みつつトークを行っていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田尚泰。フォアシュピーラーに泉原隆志。前半はドイツ式の現代配置をベースにしつつコントラバスが下手側に回るという独自の配置、後半はヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。
今日はクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演(ヘンデルの時代にクラリネットという楽器は存在しないが、原典版ではなく編曲したバージョンでの演奏)。それ以外の管楽器首席奏者はベートーヴェンのみの出演である。

前半に並ぶ3つの古楽の曲目は、全て鈴木優人がチェンバの弾き振りを行う。典雅なハイドン、個性的でエスニックなラモーは、古楽を得意とする鈴木が存分に腕を振るい、上質の響きと旨味を提供する。今年の3月で放送が終わってしまったが、Eテレの「らららクラシック」でラモーの特集があり、歌劇「みやびなインドの国々」の上演風景などが流された。今回の歌劇「みやびなインドの国々」組曲の演奏も、歌劇の上演ではないが、その光景が目に浮かぶような描写力に長けたものである。

ヴィヴァルディのチェロ協奏曲ト長調 RV414。ヴィヴァルディの作品といえば「四季」、その他に「調和の霊感」ぐらいしか聴けないという時代は終わり、まずNAXOSレーベルがヴィヴァルディの作品の多くを録音、配信でも聴けるようになり、その他のレーベルからもヴィヴァルディの全集が出るようになった。
ソリストの上村文乃(かみむら・あやの)は、6歳からチェロを始め、第7回日本演奏家コンクール弦楽器中学生部門1位及び芸術賞受賞を皮切りに、第15回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学生部門最高位、第5回東京音楽コンクール弦楽部門第2位、第4回ルーマニア国際音楽コンクール弦楽器部門第1位及びルーマニア大使館賞受賞、第80回日本国際コンクール第2位、第65回全日本学生音楽コンクール大学の部1位などのコンクール歴を誇る。桐朋学園大学ソリストディプロマコース卒業後にスイスに渡り、バーゼル音楽演劇大学とバーゼル音楽院に学ぶ。現在は鈴木優人が首席指揮者を務めるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のメンバーとしても活躍している。

上村は、エンドピンのないバロックチェロを使用しての演奏。独特のコクのある音色が特徴で、技術も高い。

ニコニコ生放送ということでコメントを読むのも面白く、コンサートマスターの石田尚泰が石田組長と呼ばれているのを見て、「下の名前が組長なのかと思った」というコメントがあったり、「イケメンおるやん」「向井理おる」「向井理やで」と、「京響の王子」こと泉原隆志に関するコメントが並んだりする。九州在住と思われる視聴者が、クラリネット首席奏者の小谷口直子に、「小谷口さん、九響(九州交響楽団)に客演してくれてありがとう」というコメントを書いていたりもする。謎のキャラクター、Juviちゃんに関するコメントも多かった。Juviちゃんに合わせてコーデリア中山という謎のキャラになることもあるティンパニ(打楽器首席)の中山航介に対する絶賛のコメントも続く。

アンコール演奏は上村単独ではなく、チェンバロの鈴木も加わったボッケリーニのチェロ・ソナタ第6番よりアレグロ。超高音を美しく奏でる、上村の卓越した技巧が鮮やかであった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。かなり優れた演奏となる。史上初めてリズムを最重要視して書かれ、ワーグナーによって「舞踏の聖化」と激賞された作品。人類史上初のロックンロールと見なしても良いと思われるほどのノリの良さを持つ曲である。
鈴木と京響(ぱっと見、「鈴木京香」に見えるな)は、確かな造形美を確立しつつ熱狂を盛り込むという理想的な演奏を展開。弦楽はビブラートを抑えたピリオドの響きを築き、管楽器がそれらを華やかに彩る。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏に若々しさを注ぎ込んだような演奏で、後世まで伝説として語り継がれそうなほどの快演であった。これが生で聴けないというのが残念極まりないが、このコロナ禍をくぐり抜けることが出来たのなら、また鈴木優人指揮のベートーヴェンの交響曲第7番を聴く機会もあるだろう。

演奏終了後に、今回のコンサートの出来を聞くアンケートがあり、「とても良かった」に投票した人が97%を超えた。

放送は、楽団員がステージ上から奏者達が去った後も続き、京響を影で支えるスタッフ達の仕事ぶりが全国に流された。

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2021年5月10日 (月)

コンサートの記(718) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 辻彩奈&江口玲「情熱のプロコフィエフ」+藤原真理&倉戸テル「至高のチェロ」

2021年5月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津市の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで行われる「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021の初日に参加する。
新型コロナウイルスの流行で昨年は開催中止となった「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」。今年はコロナ対策として、ステージ上が密になりやすいオーケストラやオペラの公演を取りやめ、空間が広く飛沫が留まりにくい大ホールで室内楽、器楽、声楽の演奏会を行うという形に変更となった。「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」はオペラ上演が目玉だったが、現在の状態で音楽祭の催しの一つとしてオペラを上演することは現実的ではない。

音楽祭は朝から行われるが、最初に行われるサキソフォンの上野耕平の公演は時間が早すぎるということでパスし、午前11時20分開演の辻彩奈(ヴァイオリン)&江口玲(ピアノ)、午後12時40分(0時台と12時台は午前でも午後でもないという説もあるが通じれば良いので無視する)開演の藤原真理(チェロ)&倉戸テル(ピアノ)、午後2時10分開演の高木綾子(フルート)の公演は事前にチケットを手に入れていた。続く前橋汀子(ヴァイオリン)&松本和将(ピアノ)、舘野泉(ピアノ)の公演も興味があったのだが、コロナ禍ということで様子見であり、これらは当日券を買って入った。最後の公演はびわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバーによる合唱であったが、一日に接する公演としては5公演でもかなり多いということで、こちらは見送った。

 

京都を出た時は曇り空だったが、びわ湖浜大津駅で降りて、琵琶湖畔を歩いている時に日が射す。

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公演ナンバー1-L-2(1日目-Large hall-2回目)「情熱のプロコフィエフ」。出演は、辻彩奈(ヴァイオリン)と江口玲(ピアノ)。

若手女性ヴァイオリニストの代表格となりつつある辻彩奈。1997年、岐阜県生まれである。2016年にモントリオール国際音楽コンクールで第1位を獲得し、一躍注目を浴びている。特別特待奨学生として東京音楽大学に入学し、卒業。現在は東京音楽大学のアーティストディプロマにやはり特別特待奨学生として在籍しているようである。「題名のない音楽会」などメディア出演も多い。

ピアノの江口玲(えぐち・あきら。男性)は、日本を代表する名手の一人で、東京藝術大学附属音楽高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後に渡米し、ジュリアード音楽院のピアノ科大学院修士課程を修了。同校のプロフェッショナルスタディーにも学ぶ。ピアニスト、作曲家、編曲家として活躍し、2011年までニューヨーク市立大学ブルックリン校の教員を務めたほか、東京藝術大学ピアノ科の教授としても活躍している。

曲目は、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番とプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。

今でこそ、ヴァイオリン・ソナタというとヴァイオリンが主役の楽曲だが、モーツァルトの時代のヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリン付きのピアノ・ソナタという捉え方が一般的であった。モーツァルトはこのヴァイオリン・ソナタ第18番においてヴァイオリンとピアノを同格に扱う試みを行っている。ヴァイオリン・ソナタにおいてヴァイオリンが完全に主役になるにはベートーヴェンの登場を待たねばならない。

辻の滑らかなヴァイオリンも魅力的だが、ここはやはりキャリアがものをいうのか、江口のまろやかで甘いピアノの調べの方がより印象の残る。

演奏終了後に辻がマイクを手にしてトーク。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番は、10年前、辻がまだ中学校1年生だった時に参加した、びわ湖ホールでのセミナーの時に弾いた想い出のある曲で、今回、びわ湖ホール芸術監督で「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の芸術監督も兼ねる沼尻竜典から「この曲を弾いて欲しい」と提示されて驚いたという話をする。

メインであるプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。昨年の2月、初めての緊急事態宣言の発令する直前に、フェスティバルホールで行われた秋山和慶指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、辻はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番のソリストを務めて成功を収めている。

独自の個性により、音楽史上に異彩を放っているセルゲイ・セルゲイヴィッチ・プロコフィエフ(1891-1953)。モーツァルト没後100年目に生まれ、スターリンと同年の同日に他界した。
プロコフィエフは、ロシアン・アヴァンギャルドに影響を受けた作曲家には実は含まれないことの方が多いようだが(ライバルで犬猿の仲でもあったショスタコーヴィチはロシアン・アヴァンギャルドに影響を受けた作曲家に入る)、とんがった独自の才気が特徴であり、それは辻の個性にも繋がる。瞬発力抜群で諧謔的な部分もあっさり飲み込んでみせる辻の未来は明るいように思う。

 

通常は、大中小のホール、更には屋外のテラスも使って行われる「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」だが、今回は大ホールのみの使用で、中ホールのホワイエが飲食可のスペースとなり、中ホールの客席は休憩に利用できる(飲食等は不可)。
共通ロビーでは、滋賀県の物産展が行われており、あんパンを買って中ホールのホワイエで食べた。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー1-L-3「至高のチェロ」。出演は、藤原真理(チェロ)と倉戸テル(ピアノ)。

ベテランチェリストである藤原真理。大阪生まれ。1959年に桐朋学園「子供のための音楽教室」に入学し、以降、斎藤秀雄にチェロを師事する。指揮の斎藤メソッドで有名な斎藤秀雄であるが、元々はチェリストとして音楽活動を始めた人である。
1971年に第40回日本音楽コンクール・チェロ部門第1位および大賞受賞。1978年にはチャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門で2位入賞。
坂本龍一と共演するなどメディア活動も多い人だが、私は藤原真理の実演に接するのは初めてである。
DENONレーベルに録音した、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲全曲が高い評価を得ており、私も持っているが情緒豊かな演奏である。

ピアノの倉戸テル(男性)は、東京藝術大学大学院修士課程を修了し、ジュリアード音楽院大学院も修了。ソロの他、室内楽でも強さを発揮し、藤原真理との共演数は200回を超える。宮城教育大学教授。

オール・ベートーヴェン・プログラムで、『魔笛』より「恋人か女房があれば」の主題による12の変奏曲と、チェロ・ソナタ第3番が演奏される。

『魔笛』より「恋人か女房があれば」の主題による12の変奏曲は、パパゲーノのアリアを変奏曲にしたもので、モーツァルト作品のバリエーションということもあってベートーヴェンとしてはユーモアに富んだ楽曲となっている。

チェロ・ソナタ第3番であるが、タイトルはピアノとチェロのためのソナタであり、まだピアノが主役と見なされていた時代の作品である。ただ藤原真理のトークによるとベートーヴェンの5曲あるチェロ・ソナタの中で、第1番と第2番はピアノが主役であるが、第3番はチェロが初めて前に出始めた作品だそうである。
チェロの独奏に始まるドラマティックな曲想だが、第3楽章は爽やかで、愛の囁きのような情熱的な部分があるのも特徴である。

藤原のチェロは渋めの音色で朗々と歌う。スケールも大きい。

藤原は、ベートーヴェンの時代のピアノで聴かせてみたいとも語っていた。当時のピアノはハンマーの戻りが現在のモダンピアノより早いため、テンポも自然と速くなるという。ただ、ベートーヴェンの時代のピアノはもう世界に数台しか残っていないそうである。

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2021年4月10日 (土)

コンサートの記(707) クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団来日公演2008大阪

2008年10月11日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日公演を聴く。

開場時間である午後1時の10分前にザ・シンフォニーホールに着いたのだが、先に来て待っているお客さんは2人しかいない。悪い予感がする。

果たして客席はガラガラであった。三連休の初日に一流とはいえない海外オーケストラのコンサートを聴こうという人は余りいないようである。


指揮のクリスチャン・ヤルヴィは1972年生まれ。父親は世界的な指揮者のネーメ・ヤルヴィ。10歳上の兄であるパーヴォ・ヤルヴィも今最も旬な指揮者だ。
クリスチャン・ヤルヴィは2004年からトーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者を務めている。


曲目は、グリーグの組曲「ペール・ギュント」第1番、同じくグリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:上原彩子)、ベートーヴェンの交響曲第5番。


クリスチャン・ヤルヴィは、コートタイプのジャケットを着ていたので、ステージ上だけ冬になったように見える。長髪を振り乱しての指揮。父も兄もツルツルだが、クリスチャンはまだまだ大丈夫のようだ。

「ペール・ギュント」組曲では、正面を向いて指揮棒の振り幅も比較的小さかったクリスチャン。指揮法は父にも兄にも似ていない。

トーンキュンストラー管弦楽団の弦楽は独特の配置。ステージ左手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン。そしてコントラバスはステージの一番奥に横一列に並ぶ。

“朝の気分”では冒頭のフルートが素っ気なかったが、その後は細部を丁寧に詰める演奏が展開される。“オーセの死”の後半で極端なスローテンポを取ったのも印象的。
クリスチャンは、音楽の自然な流れはさほど重視せず、細かい部分に独特の表情を付けていた。


グリーグのピアノ協奏曲イ短調。チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、日本人初の優勝に輝いた上原彩子。テレビに出演している時の姿は「なんだかなー」で、この人、ピアノ馬鹿なんじゃないかと思ったのだが、本業のピアノは予想以上に素晴らしかった。

エッジの立った音。和音も極めてクリアで、山奥の清流のような清々しいピアニズムを発揮する。ミスタッチもあって技術的に完璧とはいかなかったが、独特のテンポの変化など創造力にも溢れている。上原彩子というピアニスト、やはりただ者ではない。

クリスチャン指揮のトーンキュンストラー管弦楽団も個性溢れる伴奏を聴かせたが、クリスチャンもテンポを自由に動かすタイプなので上原と合わない箇所もあった。上原とクリスチャン指揮のトーンキュンストラー管は相性はさほど良くないようだ。


上原はグリーグの「抒情小曲集」第1集より“アリエッタ”をアンコールとして弾く。これまた清冽なピアニズムを聴かせてくれた。


ベートーヴェンの交響曲第5番。テンポの設定。管楽器の浮き上がらせ方などが、兄、パーヴォの同曲演奏に似ている。基本的に弦楽器にビブラートはかけるが、部分によってはビブラートなし、もしくはビブラートを著しく抑えて古楽器風の響きを出させる。折衷型の演奏である。

クリスチャンの指揮はグリーグの時とは打って変わって激しい。腕をグルグル回す指揮などはパーヴォを思わせる。


CD録音などでは近現代ものしか発表していないので、古典派やロマン派作品に対する実力は未知数だったクリスチャンだが、ベートーヴェン指揮者としてはかなり期待出来そうである。

問題は、まだ頭で音楽を作っている部分が大きいところ。ベートーヴェンなども聴いている時は面白いと思ったのだが、圧倒はされなかったということもあり、コンサートが終わって梅田の街を歩いているうちに感銘がどんどん薄れてしまった。


アンコールとして、バルトークの「ルーマニア舞曲」よりと、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番が演奏された。ブラームスではクリスチャンは客席の方を振り返ってジェスチャーをして聴衆を笑わせていた。ユーモアの精神を発揮するのはヤルヴィ・ファミリーの共通点のようである。

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2021年4月 1日 (木)

ロームシアター京都 ハンブルク・バレエ団 「ベートーヴェン・プロジェクト」映像上映会

2021年3月21日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、ハンブルク・バレエ団の映像上映会、「ベートーヴェン・プロジェクト」を観る。

本来は、この3月にハンブルク・バレエ団の来日公演として「ベートーヴェン・プロジェクト」の日本初演がロームシアター京都メインホールで行われるはずだったのだが、コロナ禍によって来日不可となり、代わりに「ベートーヴェン・プロジェクト」とコロナ下に制作された新作「ゴースト・ライト」の上映会が行われることになった。昨日と今日、「ベートーヴェン・プロジェクト」が午後1時から、「ゴースト・ライト」が午後5時から上映される。ということで今日2本とも観ることが可能なのだが、バレエの映像を1日2回観たいと思うほどバレエ好きではない。

「ベートーヴェン・プロジェクト」は、2018年に初演された作品。映像は2019年10月にバーデン=バーデン祝祭劇場で行われた上演を収めたものである。この映像はBSプレミアムの「プレミアムシアター」で放送されており、またDVDやBlu-rayも発売されていて、家庭でも観ることが出来る。振付:ジョン・ノイマイヤー。第1部のピアノ演奏:ミカル・ビアウク。第2部と第3部の演奏は、サイモン・ヒューイット指揮のドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団。映像監督はミリアム・ホイヤー。

第1部「ベートーヴェン・フラグメント」、第2部「プロメテウスの創造物」、第3部「エロイカ(英雄)」の3部からなる。

 

第1部「ベートーヴェン・フラグメント」。プロメテウス主題が登場する「エロイカ変奏曲」が演奏される。3部ともプロメテウス主題が登場する作品が演奏され、人類に叡智を与えたプロメテウスと人類そのものへの讃歌が奏でられる。

ベートーヴェン自身を演じているのは、アレイズ・マルティネス。ベートーヴェン本人も推定身長165センチと、当時の西洋人としてもやや小柄だったようだが、マルティネスも他の男性バレエダンサーと比較して明らかに背が低いダンサーである。女性ダンサーよりも小さいかも知れない。

マルティネスが演じているベートーヴェンは、おそらくまだ若い頃、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた時代だと思われる。
ピアノの足に絡みついていたマルティネスは、プロメテウス主題に合わせて踊る。やがて高貴な身分を表すと思われるマントを羽織った男性ダンサーが登場するが相手にされない(貴族に憧れつつも果たせないベートーヴェンの心情を表現したようである)。男性ダンサー二人組と楽しく踊った後で、男女のペアが現れる(女性ダンサーはアジア系である)。男女のペアとも楽しく踊るベートーヴェンだが、結局、ペアはペアのまま去り、先程現れた男性ダンサー二人組も、新たに現れた女性ダンサーに夢中になり、ベートーヴェンに構ってくれず、最後にはベートーヴェンは突き飛ばされて横転してしまう。その後、花嫁衣装のダンサーが現れるが、彼女はピアニストにご執心というわけで、作曲家の孤独が描かれている。やがてベートーヴェンは芸術そのものを恋人とし、人生を捧げることを誓う(セリフがないので「ように見える」というだけで、ノイマイヤーの実際の意図は不明である)。すると、それまですげなくしていたダンサー達が音楽の精として生まれ変わったように快活なダンスを披露し、最後はベートーヴェンを掲げて礼賛する。

続いて演奏されるのは、ピアノ三重奏曲「幽霊」である。不協和音が印象的な作品として知られている。赤いドレスの女性ダンサーが登場し、ベートーヴェンとパ・ド・ドゥを行うのだが、やがて彼女はすでに亡き人となっていることがうつ伏せに横たわることで示される。赤いドレスの女性ダンサーはその後に一度起き上がるのだが、それはベートーヴェンに喪服を着せるためであり、その後、男性ダンサー二人に仰向きに掲げられて退場する。恋人のように見えたのだが、実際はベートーヴェンの母親であるマリアであったようだ。赤い服を着た女性ダンサーはもう一人現れ、こちらが「不滅の恋人」のようである。

突然、金属音が混じり、録音によるピアノの演奏が奏でられる。宿痾となった難聴の始まりである。やがてピアニストのミカル・ビアウクもベートーヴェン役のマルティネスと視線を交わして退場する。悲劇の予兆だが、ベートーヴェンはそれを乗り越えていく。

第2部「プロメテウスの創造物」では、ベートーヴェンの母親役だと思われる女性ダンサーがこれから演奏される曲目について解説を行う。ドイツ語で、日本語字幕もないため何を言っているのかよく分からないが、ベートーヴェン作曲の「プロメテウスの創造物」からの2曲が演奏されると言っていることだけはなんとなく分かる。
第2部は第1部と異なり物語性は低め。天上の描写があり、アポロ神を始めとする多くの神々がベートーヴェンを祝福する。

 

第3部の「エロイカ(英雄)」。こちらも第2部同様、エネルギッシュでバリエーションに富んだ表現が中心だが、第2楽章の葬送行進曲だけは人一人の死というよりも何らかの崩壊が描かれているようであり、強い悲劇性を帯びている。

ハンブルク・バレエ団であるが、東アジア人のダンサーがかなり多い。特にアジア人女性ダンサーは重要な役割を担っている。エンドクレジットで確認したところ、日本人、中国人、韓国人の全てが含まれていることが分かった。日本人女性ダンサーは二人いて、有井舞耀(ありい・まよ)と菅井円加であることが確認出来た。

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2021年3月 7日 (日)

コンサートの記(700) 下野竜也指揮 NHK交響楽団西宮公演2021

2021年3月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後7時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、NHK交響楽団演奏会西宮公演を聴く。指揮は下野竜也。下野とN響のコンビの実演に接するのは二度目である。

下野竜也は、NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマの指揮を手掛けることが多く、NHKとNHK交響楽団から高く評価されていることが分かる。

少し早めに兵庫県立芸術文化センター(HPAC、PAC)に着いたので、いったんHPAC前の高松公園に下り、コンビニで飲料などを買って(新型コロナ対策として、ビュッフェは稼働せず、ウォーターサーバも停止されているため、飲み物はHPACの1階にある自動販売機か、劇場の外で買う必要がある)高松公園で飲み、高松公園からHPACのデッキ通路へと上がる階段を昇っている時に、眼鏡を掛け、髪を後ろで一つに束ねて(ポニーテールとは少し異なり、巫女さんがしているような「垂髪」に近い)、ヴァイオリンケースを背負った女性が折り返し階段を巡って目の前に現れたのに気がついた。マスクをしていたが、「あ、大林(修子。「のぶこ」と読む。NHK交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者)さんだ」とすぐに気づいたが、それは表に出さずにすれ違った。大ベテランと呼んでもいい年齢のはずなのに、今なお女学生のような可愛らしい雰囲気を漂わせていることに驚いた。
NHK交響楽団も世代交代が進み、私が1990年代後半に学生定期会員をしていた頃とは顔触れが大きく異なる。歴代のN響団員全ての名前を覚えているわけではないのだが、学生定期会員をしていた頃から変わらず活動しているのは、大林修子、第1コンサートマスターの「マロ」こと篠崎史紀や首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一(共に今回のツアーでは降り番)など一桁しかいないはずである。首席オーボエ奏者であった茂木大輔は2019年に定年退職。5年間のオーボエ奏者としてのN響との再雇用を選ぶか指揮者の道に進むかで悩んだそうだが、指揮法の師である広上淳一の助言を受けて、指揮者として独立して活動することに決めたことが、茂木の最新刊である『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に記されている。クラリネット首席の磯部周平、コンサートマスターとしてN響の顔も務めた堀正文などは、いずれもN響を定年退職している。

 

今回の、NHK交響楽団演奏会西宮公演は、入場前にチケットの半券の裏側に氏名と電話番号を記しておく必要がある。またAndroidのアプリが全く機能していなかったことで悪名高くなってしまったCOCOAのインストールや、兵庫県独自の追跡サービスに登録することが推奨されている。

 

今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。N響が日本に広めたとされるドイツ式の現代配置での演奏である。下野はステージに上がる前にコンサートマスターとフォアシュピーラーの二人と右手を少し挙げるだけのエア握手を行う。

 

曲目は、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、ブラームスの交響曲第4番。N響が得意とするドイツものが並ぶ。

 

今日も客席は前後左右1席ずつ空けるソーシャル・ディスタンス対応シフトであるが、席によっては隣り合っていても問題なしとされているようである(家族や友人、知人などの場合が多いようである)。1階席の前列は、1列目と2列目は飛沫が掛からないよう席自体を販売しておらず、2階サイド席のステージに近い部分も客を入れずに飛沫対策を優先させている。

 

ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。弦楽器奏者はビブラートをほとんど用いないというピリオド的な演奏が行われる。古楽器での演奏のマイナス点として現代のコンサートホールという広大な空間にあっては音が小さ過ぎるということが挙げられると思うのだが、モダン楽器によるピリオド・アプローチならその差は僅かで、今回もN響の音の強度と密度と硬度にまず魅せられる。結晶化されつつボリュームも満点であり、音の輝きも素晴らしい。下野の怖ろしいほど精緻に形作られた音の輪郭が聴く者を圧倒する。
N響の奏者も今日は技術的に完璧とはいかなかったようだが、楽団としては90年代からは考えられないほどに進歩していることを実感させられる。90年代に渋谷のNHKホールで聴いていた時も「良いオーケストラだ」と思っていたが、近年になってEテレで再放送された当時の演奏や、リリースされた音盤を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と思うことが度々ある。それ故に長足の進歩を遂げたことが実感されるのであるが。特にエッジのキリリと立った各楽器の音は関西のオーケストラからは余り聴かれない種類のものであり、名刀を自由自在に操る剣豪集団が、刀を楽器に変えて、音で斬りかかって来るかのような凄みを放っている。

 

ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調。売れっ子ヴァイオリニストである三浦文彰がソリストを務める。下野とN響、三浦文彰という組み合わせは、2016年の大河ドラマである「真田丸」のオープニングテーマを想起させられるが、今回は残念ながらアンコール演奏自体がなし。考えてみれば「真田丸」も5年前のドラマであり、劇伴ということで賞味期限切れと見なされている可能性もある。

「真田丸」は過去のこととして、ブラームスのヴァイオリン協奏曲で三浦は純度の高いヴァイオリンを奏でる。淀みがなく、この世の穢れと思えるものを全て払いのけた後に残った至高の精神が、音楽として姿を現したかのようである。「純度が高い」と書くと綺麗なだけの音に取られかねないが、そうした形而下の美を超越した段階が何度も訪れる。スケールも大きい。
下野指揮するN響も熟した伴奏を聴かせる。第2楽章のオーボエソロを担った首席オーボエ奏者の吉村結実(だと思われる。今日は4階席の1列目で、転落防止のための手すりが、丁度目の高さに来るということもあり、ステージ全体を見合わすことが出来ないという視覚的ハンディがある)の演奏も神々しさが感じられ、この曲の天国的一面を可憐に謳い上げる。
渋さと輝きを合わせ持つ下野指揮のN響は、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のような演奏を行える可能性を宿しているように感じられた。

 

ブラームスの交響曲第4番。ブラームス作品2作ではベートーヴェンとは違ってビブラートも盛大に用いられており、ピリオドの影響は感じられない。
下野の音楽性の高さは、苦味の中に甘さを湛えた表現を繰り出すことで明らかになっていく。感傷的だが自己憐憫には陥らない冒頭を始め、濃厚なロマンティシズムを感じさせつつ古典的造形美をきちんと踏まえた表現の的確さが印象的である。
第4楽章のシャコンヌ(パッサカリア)では、尊敬する大バッハへの憧憬を示しつつ、激流の中へと巻き込まれ、呻吟しているブラームスの自画像のようでもある。

N響の音は威力満点であるが、それに溺れることなく、バランスを保ちながら細部まで丁寧に詰めることで、濃厚にして情熱的なブラームス像が立ち上がる。

 

演奏終了後、指揮台に戻った下野は、右手の人差し指を立てて、「あともう1曲だけ」とジェスチャーで示し、「ベートーヴェンの『フィデリオ』の行進曲を演奏します。またお目にかかれますように」と語り(語尾の部分は客席からの拍手ではっきりとは聞き取れなかったので、聞こえた音に一番近い表現を記した)演奏が始まる。やはり音の輝きと堅固さが最大の特徴である。短い曲であり、あっさり終わってしまうため、下野は客席を振り返って、「終わり」と曲が終わったことを宣言して指揮台を後にした。

下野竜也はおそらく完璧主義者(師である広上淳一によると「音楽オタク」らしい)で、曲の細部に至るまでメスを入れて、表現を徹底させようとしているところがある。そのため、聴いている最中は彼が生み出す音楽の生命力に感心させられることしきりなのであるが、ほぼ全ての部分や場面を完璧に仕上げようとしているため、聞き終わった後の曲全体の印象が茫洋としてしまうところがある。余り重要でない部分を流せる技術や心情を得られるかどうか、そこが下野が今後克服すべき課題のように思われる。

ともあれ、N響と下野の力を再確認させられた演奏会であり、あるいは今後何十年にも渡って共演を重ねていくであろう同コンビの、まだまだ初期の局面に接することの出来た幸せを噛みしめたい。

 

ブラームスの交響曲第4番を聴くと、たまに村上春樹の小説『ノルウェイの森』を思い出す。主人公の「僕(ワタナベトオル)」が、この作品の二人いるヒロインの一人である直子を誘ったコンサートのメインの曲目がブラームスの交響曲第4番であった。「僕」はブラームスの交響曲第4番が「直子の好きな」曲であることを知っており、演奏会を選び、チケットも2枚取ったのだ。ブラームスが好きな女性は昔も今も珍しい。
当日、直子はコンサート会場には現れなかった。直子のいない空間で一人、ブラームスの交響曲第4番を聴くことになった「僕」の気持ちを時折想像してみる。おそらくそれはブラームスのクララ・シューマンに対する慕情に似たものであるように思われる。だからこそ村上春樹はこの曲を選んだのだ。報われぬ恋の一過程として。

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2021年3月 2日 (火)

配信公演 阪哲朗指揮山形交響楽団 『ベートーヴェン「英雄」~ベートーヴェン生誕250年記念特別公演』(文字のみ)

2021年2月26日

午後7時前から、クラシック専門配信サービス「カーテンコール」で、阪哲朗指揮山形交響楽団による『ベートーヴェン「英雄」~ベートーヴェン生誕250年記念特別公演』を視聴。やまぎん県民ホールからの同時配信である。

開演前に、山形交響楽団専務理事の西濱秀樹と阪哲朗によるプレトークがある。本番の前のプレトーク(二重表現だが、正確な日本語で書くと却って伝わりにくい)を日本に根付かせたのは山形交響楽団とされる。飯森範親が山形交響楽団の常任指揮者就任と共に始めた、というのは飯森範親本人が、大阪で行われた「さくらんぼコンサート」(山形交響楽団の本拠地以外での演奏会に付けられる名称)のプレトークで自慢として話していたことである。指揮者ではなくビジネスマンになっていたとしても有能であったことが確実視される飯森の広報戦略に乗り、山形交響楽団は「田舎のオーケストラ」というイメージで営業に苦労していた時代が嘘のようにブランドオーケストラへと成長した。この辺りの経緯は、松井信幸著、飯森範親監修の『マエストロ、それはムリですよ…』~山形交響楽団と飯森範親の挑戦~(ヤマハミュージックメディア)に詳しい。

プレトークの進行役である西濱さんは、関西フィルハーモニー管弦楽団の事務局長時代からプレトークを行っており、関西出身ということで大阪ではユーモラスな語り口で笑いを取っていたのだが、山形のお客さんは大阪に比べるとかなり大人しいようで、明らかに受け狙いのことを言っても反応がなかったりする。

京都市の生まれ育ちである阪哲朗であるが、両親が共に山形県内の出身ということで、子どもの頃は夏休みに山形に遊びに行くことも多かったそうである。山形交響楽団の常任指揮者に就任してからはよく「山形は夏暑いし、冬寒いので大変でしょう」と言われるそうだが、「京都も夏暑くて、冬寒いので余り変わらない。盆地なので」だそうである。
近年は、国内最高気温の記録が毎年のように更新されているが、それまでは長きに渡って1933年7月25日に山形市で記録された摂氏40.8度という気温が日本最高記録として定着していた。ただフェーン現象によるもので、山形市が特別暑い街というわけではないようである。

今回の曲目は、ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「アンネン・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスによる「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが、全てウィーンゆかりの作曲家で、最もオーソドックスな4拍子の曲や楽章が存在しないという共通項で選ばれているようである。

阪哲朗は、ウィーンというのは多国籍都市で、「これがウィーン人」といえるような典型的な市民は余りいないという内容の話をする。それもあって、当時はプロイセン領であったロシアのカリーニングラード出身のオットー・ニコライ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の創設者でもある)、ユダヤ系ハンガリー人の家系であるシュトラウスファミリー、西ドイツが存在した頃には首都にもなったこともあるボンの生まれ育ちで、祖父がベルギー・オランダ語圏からの移民であるベートーヴェンと、よそからウィーンに来た作曲家達のプログラムになったようである。

 

古典配置による演奏。阪は、ニコライとベートーヴェンは指揮棒を使って、シュトラウス作品はノンタクトで指揮を行う。

ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲は、阪らしいキビキビとした音運びと躍動感で聴かせる。

阪はプレトークで、ウィーンの人はワルツを三等分で演奏したがらないと話していたが、シュトラウスファミリーの作品では、意図的なパウゼを長めに取るなど、日本のオーケストラが演奏しがちなポルカやワルツとは異なる演奏を行う。山形交響楽団の各奏者達の技術も高く、楽しめる仕上がりとなった。

休憩時間には、山菜料理・出羽屋に取材した映像(山形交響楽団が独自に作成したものではないそうである)が、通常版と英語字幕付き版とで2度流れる。料理の宣伝ではなく、山形県の魅力に迫るもので、山菜採りや山歩きなど、山形に「移住したくなる魅力」を発信していた。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。ホルンとトランペットはナチュラルタイプのものを使用(ナチュラルトランペットとモダンのトランペットの中間であるバロックトランペットなるものもあるそうであるが、見分けはつかず)。ティンパニも当然ながらバロックタイプのものである。

速めのテンポによる溌剌とした「英雄」になるのではないかと予想されたが、テンポはピリオドのものとしては中庸で、鮮烈さを強調するよりも地に足のついた安定感を重視した演奏となる。阪を正面から捉えた映像も流されるが、指揮棒の先をかなり細やかに動かして指揮していることが確認出来る。
第2楽章の重厚さ、第3楽章の軽快さ、第4楽章のアポロ的な造形美など、阪と山形交響楽団の相性の良さが伝わってくる好演となった。

 

山形交響楽団は、オリジナルの「Bravoタオル」を公式サイトで販売しており、今日も「Bravoタオル」を掲げているお客さんを確認することが出来た。

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2021年1月28日 (木)

コンサートの記(687) 高関健指揮 京都市交響楽団第652回定期演奏会

2021年1月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第652回定期演奏会を聴く。元々はアレクサンドル・スラドコスキーが指揮台に立つ予定だったが、新型コロナウイルスによる外国人入国規制により来日不可となり、代わって昨年3月まで京都市交響楽団常任首席客演指揮者を務めていた高関健がタクトを振るうことになった。

曲目も変更となり、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第5番となる。前の見えない迷宮に迷い込んだような序奏を持つベートーヴェン交響曲第4番は、運命に打ち勝つ交響曲第5番とセットで演奏されることがコロナ禍以降増えているが、高関は少し捻りを加え、ベートーヴェンの交響曲第5番ではなくショスタコーヴィチの交響曲第5番との組み合わせできた。ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、ベートーヴェンの交響曲第5番をなぞる形で書かれたというのが定説であり、同じようなテーマをより現代的に提示した作品を選んだことになる。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。クラウディオ・アバドやクルト・マズアも好んだ、最も古典的な配置であり、山形交響楽団がこの形で演奏する時には特別な名前が付いているが、京響なのでそうした名称は用いられない。高関はこのシフトを好んで用いる。
この配置だと、楽器による音の受け渡しが確認しやすく、視覚的にも面白い効果を上げている。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。今日は管楽器の首席奏者はショスタコーヴィチ作品のみの出演。オーボエ首席の髙山郁子は前後半共に出演することが多いが、彼女も今日はショスタコーヴィチのみの出演で、ベートーヴェンは客演の髙崎雅紀がトップの位置でオーボエを吹いた。

演奏の出来は、ショスタコーヴィチ作品の方がはるかに良い。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。ピリオドアプローチを援用しており、弦楽のビブラートは控えめ。ところによって語尾を短くする。バロックティンパニの強打が効果的であり、生命力豊かであるが、全てのパートの音圧が強いため、主旋律が埋もれがちで、ところによっては混濁した印象を受けてしまう。最も力のある現役日本人指揮者の一人に数えられながら90年代以降「壁に当たっている」と言われ続ける高関健。確かに音を積み上げる技術については一流で、ブルックナーや現代音楽の指揮では高い評価を得ているが、流れの良さやしなやかさを犠牲にしている嫌いもある。なかなか両立は難しいということでもある。
京響も管楽器奏者の指が絡まったりと細かな傷があったが、フォルムのしっかりした演奏を繰り広げる。

 

ベートーヴェンも悪い演奏ではなかったが、ショスタコーヴィチの交響曲第5番は高関の音楽性に合っており、桁違いに優れた演奏となった。首席奏者を揃えた管楽器もパワフルであるが、弦のボリュームと鋭さがショスタコーヴィチの才気を表し、打楽器の鳴りも凄絶である。
スケールとパースペクティヴを築く能力に長けた高関。ホール内を揺るがすほどパワフルな演奏に仕上げるが、飽和することはない。
爆発力と抒情性を兼ね備え、第3楽章のオーボエやクラリネットのソロの哀切さの表出も見事だが、ここは高関が奏者に任せている部分が多いように見えた。

第3楽章は哀歌と解釈される場合も多いが、曲調から勘案するに鎮魂歌と考えた方が自然なように思える。ショスタコーヴィチの生きた時代はスターリンによる粛清の嵐が吹き荒れており、無辜の民が数多く命を落としていた。ショスタコーヴィチの知り合いも、一人また一人と消えていったが、故人を犠牲者として偲ぶことさえ罪と見なされかねない時代であった。ショスタコーヴィチは第4楽章のインパクトによって印象に残りにくくなるこの楽章に鎮魂の意を込めたのだろうか。

その第4楽章は、「皮相なまでの凱歌」と呼ばれる行進曲である。今では偽書であるとされているソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』で、第4楽章について「強制された喜び」であると、ショスタコーヴィチは語ったとされる。ただ、ラストの展開を見ると、勝利と見なすことすら疑わしく、ショスタコーヴィチが本当は何を込めたのか分からなくなってくる。
メッセージを一つの演奏の印象から読み解くのは危険であるため、それ以上には踏み込まないが、高関と京響の演奏は、この曲の異様さを十分に炙り出していた。

「交響曲としては20世紀最大のヒット作」と言われるショスタコーヴィチの交響曲第5番。ショスタコーヴィチの他の作品の多くが聴けるようになった今では、交響曲第5番をショスタコーヴィチの最高傑作と見なす向きは減りつつあるが、それでも特別な楽曲であることに違いはなく、ショスタコーヴィチがこの曲に込めた謎に挑む人は今後も絶えないであろう。

充実した響きを堪能したコンサートであった。

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