カテゴリー「ベートーヴェン」の158件の記事

2023年1月12日 (木)

コンサートの記(822) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「ニューイヤーコンサート」2023

2023年1月8日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「ニューイヤーコンサート」を聴く。指揮は広上淳一。

前半は、NHK大河ドラマのテーマ曲とヨハン・シュトラウスⅡ世の作品を並べた曲目で、後半のメインにはベートーヴェンの交響曲の中でも最も快活な第8番が選ばれている。

前半の詳細な曲目は、佐藤直紀の「青天を衝け」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「ジプシー男爵」から入場行進曲、ジョン・グラムの「麒麟がくる」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「南国のばら」、服部隆之の「真田丸」(ヴァイオリン独奏:石田泰尚)、エバン・コールの「鎌倉殿の13人」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「ハンガリー万歳」、吉俣良の「篤姫」。

今日のコンサートマスターは、「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日は短めの曲が並ぶということもあって、管楽器奏者に前後半で目立った異動はなし。男性奏者は普段通りの服装の人が大半だが、女性奏者は思い思いにドレスアップして演奏する人が多く、中には着物姿で演奏する人もいる。


NHK職員の息子で、自称「大河フェチ」の広上淳一。大河ドラマのテーマ曲を集めた演奏会はこれまで何度か行っているが、自身が大河本編で指揮した「麒麟がくる」を始め、京響で初めて振る曲が3曲ある。いずれも共感に満ちたスケールの大きな演奏で、聴き応えがある。私は、今日取り上げれた大河ドラマのうち3作品は全編見ているので、オープニングの映像や名場面などが脳裏に浮かんで懐かしかった。残る2つも多くの回は見ている。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の作品は、活気と上品さと華やかさが統合された理想的な演奏である。


後半、ベートーヴェンの交響曲第8番。ベートーヴェンの交響曲の中では人気が余り高くない曲だが、ベートーヴェン本人は自身の交響曲の中でこの第8番が最も好きだと答えており、この交響曲だけ誰にも献呈されていない。

広上指揮する京響は、第1楽章と第2楽章は自然体。無理のない音運びだが、「無難」という言葉からは遠く、見通しの良い透明度の高い美音による演奏を展開。第3楽章と第4楽章ではスケールを拡げて豪快さも感じさせる演奏を行った。
この手の音楽は日本では「俳句」に例えられやすいが、広上と京響の演奏を聴いていると、「短歌のような」という形容の言葉が浮かぶ。メロディアスで切れ味が良く、冗長でない。まさに短歌だ。


演奏終了後、広上はマイクを手に、「みなさん、あけまして」と語り、京響の楽団員が「おめでとうございます」と続ける。広上は客席に「大河いいでしょ?」と語りかける。なお、今年の大河ドラマである「どうする家康」は今日が初回放送日であるが、放送が行われるまでは演奏してはならないという決まりがあるそうで、広上も残念がっていた。

京響は今年の4月から常任指揮者に若手の沖澤のどかを迎えるが、広上は去年の大河ドラマである「鎌倉殿の13人」に掛けて、沖澤を北条泰時に例え、「悪いものは北条義時が全部抱えて地獄に落ちた」と語る。

「お年玉」として1曲アンコール演奏が行われることになったのだが、その前に、昨年の3月に広上が京響の常任指揮者を退任する際にプレゼントすることが約束された広上の肖像画がお披露目される。京都市立芸術大学講師の城愛音の筆によるもので、終演後にホワイエでも見ることが出来たが、「福々しい」顔として描かれている。

「お年玉」のアンコール曲は、山本直純の大河ドラマ「武田信玄」メインテーマ。昨年がメモリアルイヤーだった山本直純(生誕90年、没後20年)。広上は山本について、「日本のレナード・バーンスタインのような人」と紹介する。
山本直純の「武田信玄」は大河ドラマのテーマ曲の中でも最も人気のある曲目の一つである。甲斐武田の騎馬隊の勇壮さを音楽化したもので、疾走感と迫力、そして中間部の叙情性が印象的であり、広上と京響も音のドラマを見事に再現していた。

Dsc_2127

| | | コメント (0)

2022年12月31日 (土)

コンサートの記(821) デニス・ラッセル・デイヴィス指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2022

2022年12月28日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。今年の指揮者は、デニス・ラッセル・デイヴィス。

アメリカ出身のデニス・ラッセル・デイヴィス。現代音楽の優れた解釈者として知られる一方で、ハイドンの交響曲全集を録音するなど幅広いレパートリーの持ち主である。宮本亞門が演出した東京文化会館でのモーツァルトの歌劇「魔笛」で生き生きとした演奏に接しているが、おそらくそれ以来のデニス・ラッセル・デイヴィス指揮の演奏会である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ステージ奥の指揮者の正面に来る場所には独唱者のための席が設けられており、ティンパニは舞台下手奥に据えられている。

独唱は、安井陽子(ソプラノ)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)、望月哲也(テノール)、山下浩司(バス・バリトン)。合唱は京響コーラスで、ポディウムに陣取り、歌えるマスクを付けて歌う。

冒頭のヴァイオリンの音に圭角があり、「現代音楽的な解釈なのかな」と思ったが、実際はそうした予想とは大きく異なる演奏に仕上がった。しなやかで潤いに満ちた音楽であり、再現部ではヴァイオリンもなだらかな音型へと変わる。第九は第2楽章が演奏によっては宇宙の鳴動のように響くことがあるが、デニス・ラッセル・デイヴィスと京響の第九は、第1楽章が宇宙をかたどった音楽のように聞こえた。こうした経験は初めてである。

第2楽章。構築の把握の巧みさと計算の上手さが印象的な演奏である。迫力を出そうと思えばいくらでも出せる部分でも、滑らかに美しく奏でる。

第3楽章のテンポは速めで開始するが、途中で速度を落としてロマンティックに歌う。「美しさ」が印象的な楽章であるが、デイヴィスと京響は、「愛」と「優しさ」が両手を拡げて抱きしめてくれるような温かな演奏である。

第4楽章も、迫力ではなく「愛」と「優しさ」を重視。人間賛歌を歌い上げるような、ぬくもりに満ちた第九となった。

Dsc_2110

| | | コメント (0)

2022年12月11日 (日)

コンサートの記(819) 広上淳一指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第169回定期演奏会

2022年12月2日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の第169回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学客員教授の広上淳一。

曲目は、ベートーヴェンの「コリオラン」序曲、ブルックナーのモテット「この場所は神によって造られた」と「見よ、大いなる司祭を」、ベートーヴェンの合唱幻想曲(ピアノ独奏:三舩優子、ソプラノ:佐藤もなみ&伊吹日向子、アルト:柚木玲衣加、テノール:向井洋輔&井上弘也、バス:池野辰海、合唱;京都市立芸術大学音楽学部合唱団)、ベルリオーズの幻想交響曲。

京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の定期演奏会には何度が接しているが、広上淳一の指揮で聴くのは初めてだと思われる。


ベートーヴェンの「コリオラン」序曲。音色が洗練に欠けるのは学生団体故仕方ないであろう。なかなか熱い演奏を展開する。


ブルックナーのモテット「この場所は神によって造られた」と「見よ、大いなる司祭を」。合唱はポディウムに陣取り、マスクなしで歌う。パイプオルガンは客演の三森尚子が演奏する。
ブルックナーは現在では交響曲作曲家として認知されているが、元々はパイプオルガンの名手として知られ、宗教音楽の作曲も得意としていた。
「この場所は神によって造られた」の楚々とした感じ、「見よ、大いなる司祭を」の雄渾さ、いずれもブルックナー節も利いていて曲としても面白い。
日本に限らないかも知れないが、音楽のみならず芸術関係の大学は女子の方が圧倒的に多い。京芸も例外ではなく、合唱の人数も目視で確認して男女比は1:3ぐらいあるのではないかと思われる。男声が少なくても良い曲を選んだのであろうか。


ベートーヴェンの合唱幻想曲。交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」と同じ日にアン・デア・ウィーン劇場で初演されたことで有名である(ちなみに「田園」の番号は初演時には交響曲第5番、日本では「運命」して知られる曲が交響曲第6番として発表されている)。この初演は演奏会自体が失敗している。ひどく寒い日だった上に演奏家や声楽家のコンディションが悪く、しかも約4時間の長丁場ということで聴衆の集中力が保たなかったのだと思われる。
合唱幻想曲であるが、個人的には「クサい」感じがして余り好きな曲ではない。やけに芝居がかっているところが気に掛かる。
ということで、今回も聴いていて「良い曲だ」とは思えなかったのだが、三舩優子の温かな響きのするピアノ、また学生ソリスト達の優れた歌唱など、思った以上に聴き応えはあった。


後半、ベルリオーズの幻想交響曲。
冒頭から前半とは打って変わって弦が洗練された音を出す。単に洗練されているだけではなく、妖しげな光を放っているのが特徴である。
広上淳一はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してDENONにこの曲をレコーディングしており、出来も上々であるが、やはりこの曲は向いているようだ。
音型のデザインもきっちりなされた上で生命力豊かな演奏を展開。第2楽章はコルネット入りのバージョンである。
第3楽章のコーラングレとオーボエの掛け合いでは、オーボエ奏者はパイプオルガンの横のボックス席のようなところで演奏を行う。楽章全体を通して瑞々しい音色が印象的である。
第4楽章「断頭台への行進」では、おどろおどろしさと推進力が掛け合わされた優れた演奏。ラストを一気呵成に駆け抜けるのも容赦がない印象で効果的である。
第5楽章「サバトの夜の夢」では、鐘はパイプオルガンの横のポディウム最上段に置かれ、視覚的な効果も上げていた。奇っ怪な夢の描写も優れており、迫力と華麗な音の彩りが発揮されて、広上と京都市立芸術大学音楽学部の結束力の強さも確認出来た。

最後に広上は、「ワールドカップ、日本、スペインに勝ちました。そして京都市芸の若者が素晴らしい演奏を行う。日本もまだまだ捨てたもんじゃないですね」「長友選手の言葉を皆さんにお届けします。『ブラボー!』」と語り、コンサートはお開きとなった。

Dsc_2021

| | | コメント (0)

2022年9月29日 (木)

コンサートの記(806) 広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢大阪定期公演2022

2022年9月23日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢の大阪定期公演を聴く。指揮は、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)アーティスティック・リーダーに就任したばかりの広上淳一。広上とOEKは、今月18日にシェフ就任のお披露目となる演奏会を行い、同じプログラムで、名古屋、大阪、東広島、境港を回る。

京都市交響楽団退任後は、名誉称号も断り、フリーランスの指揮活動に専念しようと思っていたという広上だが、岩城宏之や井上道義という広上も影響を受けた指揮者の薫陶を受けてきたオーケストラ・アンサンブル金沢のシェフをOEKアーティスティック・リーダーという称号で受諾している。


曲目は、コダーイのガランタ舞曲、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」(デシャトニコフ編曲。ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」


今日のコンサートミストレスはアビゲイル・ヤング。ドイツ式の現代配置での演奏である。通常のティンパニの横にバロックティンパニが置かれており、「英雄」がピリオドスタイルで演奏されることがわかる。


広上淳一は頭髪をきれいに剃って登場。老眼鏡を掛けてスコアを確認しながらの指揮である。


コダーイのガランタ舞曲。コダーイが子供時代を過ごしたガランタの街で聞いたジプシーの音楽に影響を受けたというガランタ舞曲。いかにもそれらしい旋律で始まり、オリエンタルムードにも富む旋律も登場する。
広上指揮するオーケストラ・アンサンブル金沢は音の分離が良く、ノリの良さと同時に構築力の確かさも感じられる。


ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」。聴く機会が徐々に増えつつある作品である。元々は室内楽編成による曲で、室内楽バージョンも演奏会のプログラムでよく目にするようになっているが、今回はウクライナ出身のレオニード・デシャトニコフ(1955- )の編曲による独奏ヴァイオリンと弦楽合奏版で演奏される。曲順は、「ブエノスアイレスの秋」「ブエノスアイレスの冬」「ブエノスアイレスの春」「ブエノスアイレスの夏」の順番だが、ブエノスアイレスのある南半球は北半球と季節が逆転しているということで、「ブエノスアイレスの秋」にはヴィヴァルディの「春」の、「ブエノスアイレスの夏」はヴィヴァルディの「冬」の、「ブエノスアイレスの春」はヴィヴァルディの「秋」の、「ブエノスアイレスの夏」はヴィヴァルディの「冬」からの引用がある。それとは別に「ブエノスアイレスの春」にはヴィヴァルディの「春」からの直接的な引用がある。

特殊奏法も数多く用いられている作品であるが、神尾真由子は切れ味鋭いヴァイオリンで、ブエノスアイレスの四季とヴィヴァルディの四季、合わせて8つの季節を描きあげる。
広上指揮のOEKも雰囲気豊かな演奏を展開。クールな出来である。

神尾のアンコール演奏は、お得意のパガニーニの「24のカプリース」より第5番。超絶技巧が要求される曲だが、音階をなぞる部分も音楽的に聞こえるのが、神尾のヴァイオリニストとしての資質の高さを物語っている。


ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。広上の十八番の一つである。
ピリオドを援用した演奏であるが、かなりゆったりとしたテンポを採用。「たおやか」な表情も見せる演奏で、一般的な「英雄」の演奏とは大きく異なる。
おそらく第4楽章に登場するプロメテウスの主題に重要な意味を持たせた演奏で、プロメテウス主題のみならず、第1楽章から音楽の精が舞っている様が見えるような音楽礼賛の演奏となる。ナポレオンは死んでも音楽は生き残る。あるいは第1楽章の軍事的英雄は、直接的もしくは間接的な「死」を経て、ミューズとなって復活するのかも知れない。
ただ単調な演奏ではなく、第2楽章も濃い陰影を伴って演奏されるなど、適切な表情付けが行われるが、基本的には他の演奏に比べると典雅な印象を受ける。この曲の「ロマン派の魁け」的一面よりも古典的な造形美を重視したような演奏であった。


広上は演奏終了後にマイクを手に登場し、「いかがだったでしょうか?」と客席に語りかけて拍手を貰い、「来週、私はしつこくまた登場します」「『またおまえか』と言われそうですが」と10月1日に行われる京都市交響楽団の大阪公演の宣伝を行っていた。


アンコール演奏は、ビゼーの「アルルの女」よりアダージェット。しっとりとした美演であった。

Dsc_1626

| | | コメント (0)

2022年8月24日 (水)

コンサートの記(800) ROHM CLASSIC SPECIAL 秋山和慶指揮NHK交響楽団京都特別演奏会

2022年8月20日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL NHK交響楽団京都特別演奏会を聴く。指揮は秋山和慶。

ありとあらゆる楽曲を一定の水準以上で演奏出来る秋山和慶。日本中で新型コロナによるコンサート休止期間が発生した後ではそれ故に引っ張りだことなり、80歳を超えてますます存在感を増している。齋藤秀雄の高弟であり、「齋藤メソッド」の正統的な継承者として知られるが、自身のキャリアよりも教育を重視しており、アメリカ交響楽団、バンクーバー交響楽団、シラキュース交響楽団の音楽監督など主に北米でキャリアを築いているが、日本各地の学生オーケストラなどもたびたび指揮している。そのため、やはり齋藤秀雄の高弟で、共にサイトウ・キネン・フェスティバルを始めた小澤征爾に比べると地味であったが、小澤が指揮台に復帰するのが難しい状況となっており、皮肉なのかも知れないが、サイトウ・キネン・フェイスティバルがセイジ・オザワ 松本フェスティバルに名を変えるのに前後して、秋山に光が当たるようになった。


演奏曲目は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調(チェロ独奏:宮田大)、ベートーヴェンの交響曲第7番。


今日のコンサートマスターは、伊藤亮太郎。ドイツ式の現代配置での演奏である。
第2ヴァイオリン首席奏者であった大林修子が定年退職し、私がN響の学生定期会員をしていた時に在籍していたメンバーがもうほとんどいない状態になっている。N響も世代交代が進んでいる。チェロ首席の藤森亮一はまだ在籍しているが、それ以外は私が大学を卒業して定期会員を辞めて以降に入団した人が大半となっている。


今日は3階席の最前列で鑑賞。ロームシアター京都メインホールの3階席最前列は、手すりが目隠しのようになって視覚を遮ることで評判が悪いが、演劇やオペラではなく、クラシックのコンサートなので、「見えなくて困る」という程のことはなかった。


ドヴォルザークのチェロ協奏曲。宮田大のソロでこの曲を聴くのは、八幡市文化センターでの広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏会以来だと思われるが、深々とした呼吸で朗々と歌い、ドヴォルザークがこの曲に込めたノスタルジアを自然な形で引き出す。「そこにあるので出しました」といったように。技術も高いのだが、自然体のように聴かせることが出来るのが宮田の良いところだろう。
秋山の音楽作りは管楽器重視。弦の音は渋めだが、管はアメリカのオーケストラのように華やかで、特に金管の浮かび上がらせ方が爽快である。


宮田のアンコール演奏は、マーク・サマーの「Julie-o」。ピッチカートや左手ピッチカートなども多用する現代作品である。「チェロ独奏」のイメージを打ち破る演奏であった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。モダンスタイルによる演奏である。派手に演奏することも可能な楽曲であるが、秋山は堅牢な構造美を前面に打ち出した秀演を聴かせる。
安定感のある低弦部は渋めの音、一方でヴァイオリンは白熱の光を帯びており、その対比が鮮やかだ。迫力はあるが虚仮威しにならないのは、やはりバランス感覚の高さにあるのだと思われる。
第2楽章「不滅のアレグレット」も切々とした歌で聴かせる。ラストは弦の響きが印象的となる楽章であるが、秋山は弦が弾き終えた後も木管を伸ばして吹かせ続けて、独特の余韻を築いていた。
第3楽章と第4楽章も華やかだが、いたずらに迫力を追求することなく、ベートーヴェンがこの曲に込めた冒険心を一つ一つ詳らかにしていく。設計のしっかりした美しいベートーヴェン演奏であった。


アンコール演奏は、ドヴォルザークの「弦楽セレナード」より。しなやかな美しさが印象的であった。

Dsc_1325

| | | コメント (0)

2022年6月13日 (月)

コンサートの記(781) 「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.2

2022年6月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.2を聴く。東京でコバケンこと小林研一郎が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して行っている特別コンサートの京都版、昨年に続いて2回目である。

ロームシアター京都オープン当初から積極的に演奏会を開催している日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル。JPO)。この3月まで京都市交響楽団の常任指揮者を務めていた広上淳一(現在はフレンド・オブ・JPOの肩書きを得ている)との繋がりがあるのかどうかは分からないが、「東京のオーケストラの関西公演といえば大阪のザ・シンフォニーホールかフェスティバルホール」という状況を変えつつある。今年、日フィルは京都で3回の公演を行うが、そのうち2回は親子向けのコンサートで、一般向けのコンサートは、「コバケン・ワールド」のみとなる。

昨年のローム・ミュージック・フェスティバルには東京交響楽団が登場(コロナのために無観客での配信公演のみとなった)、今年のローム・ミュージック・フェスティバルには新日本フィルハーモニー交響楽団がロームシアター京都メインホールのステージを踏むなど、東京のオーケストラが京都コンサートホールではなくロームシアター京都で公演を行うことも増えている。今年のNHK交響楽団の京都公演(秋山和慶指揮)も京都コンサートホールではなくロームシアター京都メインホールで行われる予定である(N響がロームシアター京都メインホールで京都公演を行うのは2度目)。その中にあって、日フィルは京都での売り込みには一歩リードしている形となる。


曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:千住真理子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

今日のコンサートマスターは、日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰明。ソロ・チェロ奏者として菊地知也の名も無料パンフレットに記載されている。ドイツ式の現代配置での演奏。


現在は日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎。「炎のコバケン」の愛称で親しまれており、岩城宏之の後を継いで、年末の「ベートーヴェン交響曲一挙上演」の指揮を担っていることでも知られている。非常に熱心なファンを持つ一方で、アンチもまた多いことで有名。
レパートリーはそれほど広くなく、気に入った曲目を何度も取り上げるというところは朝比奈隆にも似ている。
第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝。小林は東京藝術大学を二度出ている(作曲科と指揮科。東京藝大は編入を認めていないため再入学している)ということで、指揮科を卒業した時には二十代半ば。今はそうでもないが、当時の指揮者コンクールは、「応募出来るのは25歳まで」というところがほとんどで、小林は応募資格がなかったが、ブダペスト国際指揮者コンクールは年齢制限が緩かったので、参加して優勝を勝ち得た。そうしてハンガリーの音楽好きに気に入られ、同国最高のオーケストラであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長年に渡って務めたほか、ヨーロッパ各地のオーケストラに招かれている。ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団の常任客演指揮者を25年の長きに渡って務めているのも特筆事項である。
国内では日本フィルハーモニー交響楽団や京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などのシェフを務めており、特に日本フィルとは、渡邉暁雄亡き後の精神的支柱として長年に渡って称号を変えつつ共演を重ねてきた。


ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。小林は暗譜で指揮を行う。唸り声を上がるためか、マスクはしたままの指揮である。
東京に通っていた頃から何度もコンサートに接してきた日本フィル。当時は弦の弱さが顕著だったのだが、今は弦の音色も引き締まり、厚みがある上に表現力も高い。
ウェーバーは、保守的な作曲家であるが、その分、ドイツの伝統に則った音楽を生み出しており、重厚なロマンティシズムが耳に心地よい。


ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。
ヴァイオリン独奏の千住真理子は、千住三兄妹(画家の千住博、作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子)の末っ子としてよく知られている。一時期、ヴァイオリンを続けることに疑問を感じ、音大には進まず、慶應女子高校から慶應義塾大学文学部に内部進学したが、普通の大学出身であるデメリットとして「お友達が出来ない」ことを挙げていた。大学卒業後に指揮者のジュゼッペ・シノーポリに認められ、ヨーロッパデビューを飾り、以後、国内外での活躍を続けている。


千住真理子は人気ヴァイオリニストであるが、これまで生で聴いた記憶がなく、CDも持っていないので、演奏を聴くこと自体、今回が初めてとなるかも知れない。
美音であるが「磨き抜かれた」音とは少し違い、渋さも兼ね備えている。スケールも大きすぎず小さすぎずで、楽曲の本質をよく捉えたヴァイオリンという印象を受ける。表現の幅も広めである。

小林は、オーケストラに正対するのではなく斜めにした指揮台の上で指揮を行う。以前、オリ・ムストネンが京都市交響楽団に客演した時に、ピアノを斜めにおいて弾き振りしているのを見たことがあるが、指揮台を斜めにおいてその上で指揮するというスタイルを目にするのは初めてである。この曲では総譜を見ながらの指揮。
日フィルからロマンティックな音を引き出していた。

千住のアンコール演奏曲目は、「アメイジング・グレイス」。祈りと愛に溢れつつ、切れもあるという演奏であった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。小林はこの曲も暗譜で指揮する。
「炎のコバケン」という愛称からも分かるとおり、熱い演奏を行う小林研一郎にぴったりの曲だが、いたずらに情熱を振りかざすだけではなく、低弦を分厚く築いた強固なフォルム作りが印象的である。日本人はピラミッド型のバランス作りという発想自体を持っていないことが多いのだが、小林は海外での経験が長いためか、低弦をしっかり築いた演奏を行っている。
重低音が魅力の日本のオーケストラというと、大阪フィルハーモニー交響楽団が代表格であるが、大フィルでも、ここまで低弦を分厚くしたベートーヴェンを聴くことは滅多にない。


演奏終了後、小林はマイクを手にスピーチを行う(マスクはしたまま)。「京都は我々に大きな命を与えてくれる場所です」と語りだし、ローム・ミュージック・ファンデーションに大変お世話になっているという話をした。

アンコールはまず、小林のアンコール演目の定番である「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。叙情味溢れる演奏である。

最後は、ベートーヴェンの交響曲第7番第4楽章より終結部。やや粗めの演奏であったが、会場を盛り上げた。


小林は最後に、「京響も素晴らしいんですが、日本フィルも。年に1回しか来られないものですから」と、「コバケン・ワールド in KYOTO」の年複数回開催の希望を語った。

Dsc_0801

| | | コメント (0)

2022年4月20日 (水)

コンサートの記(774) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第557回定期演奏会

2022年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフィエスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第557回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:藤田真央)とエルガーの交響曲第2番。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の独奏は、元々はフランス人ピアニストであるアンヌ・ケフェレックが担う予定であったが、コロナ禍により来日不可となったため、気鋭の若手ピアニストとして知名度を上げている藤田真央が代役に指名された。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ちょっと風変わりな青年であるが、天衣無縫の音楽性を持つピアニストである藤田真央(有名人ではあるが一応注釈を入れておくと男性ピアニストである)。冒頭の天国的な響きから聴衆を魅了する。音楽は次第に思索を深めていくが、藤田真央のピアノはピアノの音そのものよりも高い音楽性で聴かせる。「いいピアノだ」という印象よりも「なんて素敵な音楽なのだろうと」、ベートーヴェンの音楽性の高さをありありと示すことが出来るのである。まだ若い故に時にムラッけが出ることもあるが、リリシズムやロマンティシズム、この上ない喜びなどを自在に奏でてみせるのだからその実力に疑問の余地はない。
尾高指揮の大フィルも、ピリオドを取り入れた深くて格好の良い伴奏を聴かせた。


藤田真央のアンコール演奏は、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」よりガヴォット(ラフマニノフ編)。チャーミングにして愉悦感に飛んだ演奏であった。


エルガーの交響曲第2番。
大英帝国の栄耀栄華を描いたような交響曲第1番で名声を博したエドワード・エルガー。彼の交響曲第2番も大いに期待されたが、1911年5月24日にクイーンズホールで行われた作曲者自身の指揮による初演は、演奏終了後に困惑が広がったという。聴衆は交響曲第1番のような壮麗な楽曲を期待していたのだと思われるが、交響曲第2番は旋律も短めで、しかも何度も同じ音型が繰り返されるというものであり、交響曲第1番に比べてモダンな印象も受けるが、その余りの落差に、初めて聴いた聴衆が戸惑ったのもむべなるかなという気もする。

全ての楽章で、当時、大英帝国の首都として世界一の賑わいを見せていたロンドンの街の種々雑多な賑わいが描かれているようであり、楽しい曲ではあるのだが、作風がモダンすぎたのかも知れない。
第2楽章は、「故エドワード7世陛下の想い出に捧ぐと」記された追悼曲であるが、それにしては明るめの印象を受ける。一説には、エルガーが親しくしていた人物の他界に寄せた楽曲でもあるといわれているようだ。
第4楽章のラストは、「高揚」というよりも、「次の時代へと続く」という「その先」を感じさせる終わり方で、効果的である。

エルガーの交響曲第1番は英国音楽史上に燦然と輝く名曲だが、交響曲第2番も、ヴォーン=ウィリアムズを始め、その後の英国人交響曲作曲家に繋がるような曲調であり、英国音楽史上重要な音楽作品と見ることが出来るだろう。

Dsc_0636

| | | コメント (0)

2022年2月 6日 (日)

コンサートの記(763) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014「VIVA!オーケストラ」第3回「オーケストラってなぁに?」

2014年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014『VIVA!オーケストラ』第3回「オーケストラってなぁに?」を聴く。
「~こどものためのオーケストラ入門~」という副題の付いているコンサートであるが指揮者も曲目も本格的であり、大人でも十二分に楽しめる。というより、正直、このプログラムは子供には理解出来ないと思う。
今日の指揮者は京都市交響楽団首席常任客演指揮者の高関健。ナビゲーターは「ぐっさん」こと山口智充。

曲目は、前半がハイドンの交響曲第90番より第4楽章、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」より第4楽章、ブラームスの交響曲第4番より第1楽章、後半がベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章、マーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。オーケストラの弦楽の配置は前半と後半で変わり、前半はドイツ式の現代配置、後半は古典配置による演奏が行われる。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーは尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は今日は全ての演目に登場。定期演奏会で前半にオーボエトップの位置に座ることの多いフロラン・シャレールは今日は後半のみの登場で次席として吹いた。小谷口直子はクラリネットが編成に加わるブラームスの曲から登場。フルート首席の清水信貴は後半のみの出演である。

開演前に京都コンサートホールのホワイエで、金管五重奏によるミニコンサートが行われる。出演者は、トランペットの早坂宏明(次席奏者)と稲垣路子、トロンボーンの岡本哲(首席指揮者)、ホルンの澤嶋秀昌、テューバの武貞茂夫。

曲は、ジョン・アイヴソンの編曲による「クリスマス・クラッカーズ」(「ジングルベル」、「Deck the halls(ひいらぎ飾ろう)」、「A Carol Fantasy」、「We wish a merry Christmas」)、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の金管合奏編曲版、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」金管五重奏版という、いずれもクリスマスを意識した曲目であった。


午後2時開演。

まず、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章の演奏。今日の高関はマーラーの交響曲第5番第5楽章のみ指揮棒を用い、他は全てノンタクトで指揮した。
ピリオド・アプローチを取り入れた快活な演奏。今日は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンはピリオドによる演奏である。
曲が終了して、拍手が起こる、と、高関は客席の方を振り向いて指を振り、「まだ終わりじゃない」と告げる。演奏再開。そして終わって拍手、と思いきや曲はまだ終わっておらず、高関が再び客席を振り向いて人差し指を左右に振る。3度目でやって演奏は終了した。実はこの曲はハイドンが聴衆に「演奏が終わった」と勘違いさせるためにわざと疑似ラストを書いたという冗談音楽なのである。疑似ラストというとチャイコフスキーの交響曲第5番の第4楽章が有名だがチャイコフスキーは勘違いさせようとして書いたわけではない。だが、ハイドンはわざとやっているのである。ハイドンは「驚愕」交響曲を書いていたりと、ユーモア好きでも知られている。


ここで、ぐっさん登場。グレーの背広に同じ色の帽子姿である。ぐっさんは、クラシック音楽を聴く習慣もないし、オーケストラの演奏をコンサートホールで聴くのも初めてだという。
京都コンサートホールはステージの後方にも客席があるのだが、それがぐっさんは不思議だという。高関が「あれは合唱の席なんです。合唱が入る時はあそこに合唱が入るんです。今日は合唱は入らないので客席になっています」と説明する。京都コンサートホールのいわゆるP席(ポディウム席)は基本的に合唱が入ることを想定して設計されたものであり、合唱が大勢入れるように客席は可動式になっている。3席で1ユニットで、そのまま取り外し可能である。というわけで少し薄くて背もたれも低く、たまに軋むという欠点もある。
P席のあるホールでも、ザ・シンフォニーホールやサントリーホールなどは席は固定式である(合唱が入ることを想定して作られたものではない)。
元々は、P席は、ベルリン・フィルハーモニーが再建される際に、当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であったヘルベルト・フォン・カラヤンが、「カラヤンがホールの中心にいるようにする」というプランを取り入れて建設した際に生まれたものであり、合唱用に特別にあつらえられたものではない。

高関は、「あそこの席(P席)は(私から)良く見えるんです。あ、あそこのお客さん寝てるな、とか」と言う。ぐっさんが「逆にノリノリのお客さんなんかもいるわけですか?」と聞くと、高関は「それは迷惑です」と答える。ぐっさんは「ほどほどということで」とこの話題を締める。

ぐっさんは、オーケストラというものの成り立ちについて高関に聞く。高関は「昔、芝居などの時に、ステージの前の方にで歌ったり踊ったりする声を掛けたりする(その人達のことをコロスといってこれはコーラスの元となった言葉である)場所があったそうで、そこをオルケーストラと呼んだのが始まりだそうです。昔は下で演奏していましたが、ステージに上がって演奏を始めたのが大体、1700年頃といわれています(日本でいうと元禄時代である。1701年に浅野内匠頭と吉良上野介の松の廊下刃傷事件が起こり、翌1702年に赤穂浪士達の吉良邸討ち入りがあった)」と述べた。

ぐっさんは、「高関さんも、京都市交響楽団の方々も凄い方なんです。プロフィールに凄い経歴が書いてある。ですが、私のプロフィールはたった3行ってこれなんですか? 吉本興業、もっと良い情報持ち合わせていなかったんでしょうか? 『趣味は、散歩、ものまね、ギター』ってこれどうでもいい情報ですよね」と言う。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。緻密な演奏である。弦楽のビブラートはハイドンや、この後に演奏されるベートーヴェンに比べると多めだった。
この曲が始まる前に高関はフーガについての説明を行った。


ブラームスの交響曲第4番第1楽章の演奏の前に、高関はソナタ形式についての説明を行う。第一主題、第二主題、展開部、再現部、終結部からなるのだが、これを高関はプレートを使って説明する。第一主題は「A」、第二主題は「B」、展開部は「サビ」と書かれたプレートである。「A」のプレートは黄色、「B」のプレートは緑、「サビ」のプレートはピンク色をしている。展開部はサビとは違うのだが、わかりやすくサビと呼ぶことにしたらしい。まず予行として高関は「A」のプレートを掲げながら、第一主題を指揮し、いったん指揮を終えて、第二主題に入るちょっと前から演奏を始め、チェロが第二主題を奏でたときに「B」のプレートを掲げる。それからプレートはないのだが、もう一つの主題を演奏する。

本番の演奏でも、高関は「A」のプレートを掲げてから指揮を始め、第二主題に入ると「B」のプレートを取り出す。展開部では「サビ」と出し、その後、再現部でも「A」と「B」のプレートを掲げた。
なかなか白熱した演奏である。
今日は1階席の18列18番目の席で聴いたのだが、良い音で聞くことが出来る。京都コンサートホールの1階席は音響が今一つなのだが、高関はオーケストラを鳴らすのは得意なので問題はない。


後半、弦楽は配置を変えてヴァイオリン両翼の古典配置となる。ぐっさんは、配置が変わったことについて高関に聞く。高関は「元々は今のような配置で演奏していたようですが、第二次大戦後に前半のような配置も生まれたようです」と答える。現代配置が生まれたことについて高関は「諸説あるのですが、録音の際に前半のような配置にした方が良かったのではないかとも言われています。ステレオで録音する際に、こちら側(下手側)からは高い音、こちら側(上手側)から低い音と分けて聞こえるのが効果的だったのではないかと」と推測した。
現代配置の生みの親は実はわかっている。イギリスの指揮者であるレオポルド・ストコフスキーである。現代配置と呼ばれているのは彼がフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたものだ(そのため、アメリカ式の現代配置は「ストコフスキー・シフト」とも呼ばれる)。ただ配置を変えた理由については明確になっていないようだ。また、チェロが指揮者の正面に来るドイツ式の現代配置は誰が始めたのか正確には不明のようである。

配置換えを担当したステージマネージャーの日高成樹がステージ上に呼ばれるが、日高は内気な性格のようで、高関からもぐっさんからもマイクを向けられたが、結局、一言も発することなくステージを後にした。

ぐっさんは、配置が正反対に変わったコントラバス奏者の石丸美佳にインタビューするが、ぐっさんの「どちらが弾きやすいですか?」という質問に石丸は「どちらでも同じぐらい」という無難な返答をした。


ベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章。フレッシュな演奏である。聴覚的にもそうだが、視覚的にも音の受け渡し方がよりわかりやすくなる。


ラストの曲目であるマーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。大編成での演奏。高関によると「83名か84名による演奏」だそうである。ぐっさんが「一番編成の大きい曲は何人ぐらいで演奏するんですか?」と聞くと高関は「実はマーラーの曲でして、交響曲第8番『千人の交響曲』という曲で、合唱を含めて全1033名で演奏したという記録があります。実は朝比奈隆先生が、フェスティバルホールで同じ人数で再現されたことがあります」と答えた。高関も「千人の交響曲」は指揮したことがあるが、流石に千人には到達せず、850人編成での演奏を3回指揮したことがあるという。

ぐっさんは客席で聴いてみたいということで、ステージを降りて、空いている前の方の席に座る。

有名な第4楽章アダージェットは京響の弦楽が艶やかであり、第5楽章はスケールが大きい(先に書いた通り、第5楽章だけは高関は指揮棒を手にして指揮した。指揮棒を使った方が大編成のオーケストラを操りやすいからだと思われる)。ただ、京都コンサートホールの音響は第5楽章を聴くには余り効果的ではない。この楽章では、管楽器奏者が朝顔を上げて、下ではなく真横に向けて音を出すようマーラーが楽譜に書き込んでいるのだが、トランペットの直接音などは強すぎて全体のバランスが悪くなってしまうのである。弦楽の音がもっと前に飛ぶホールだと良かったのだが。

とはいえ、充実した演奏を楽しむことが出来た。

| | | コメント (0)

2021年12月31日 (金)

コンサートの記(755) ガエタノ・デスピノーサ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2021

2021年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。昨年の「第9シンフォニーの夕べ」では、指揮台に立つ予定だったラルフ・ワイケルトがコロナ禍で来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代役を務めた。今年の「第9シンフォニーの夕べ」の指揮者にもワイケルトは再び指名されたが、オミクロン株の流行などによる外国人の入国規制強化によってまたも来日不可となり、入国規制が強化される前に来日して、日本滞在を続けているガエタノ・デスピノーサが代役として指揮台に立つことになった。なお、来年の大フィル「第9シンフォニーの夕べ」は尾高忠明の登壇が決まっており、ワイケルトの第九は流れてしまったようである


1978年生まれと、指揮者としてはまだ若いガエタノ・デスピノーサ。イタリア・パレルモに生まれ、2003年から2008年まで、名門・ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターを務めた、同時代にドレスレデン国立歌劇場の総監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2013年から2017年までミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。

独唱は、三宅理恵(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(やました・こうじ。バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの肩書きで客演の蓑田真理が入る。ドイツ式の現代配置での演奏だが、通常とは異なり、昨年同様ホルンが上手奥に位置し、通常ホルンが陣取ることが多い下手奥には打楽器群が入る。独唱者4人はステージ下手端に置かれた平台の上で歌うというスタイルである。


デスピノーサはフォルムを大切にするタイプのようで、先日聴いた広上淳一指揮京都市交響楽団の第九とは大きく異なり、古典的造形美の目立つスッキリとして見通しの良い演奏が行われる。
朝比奈隆時代に築かれた豊かな低弦の響き、俗に言う「大フィルサウンド」を特徴とする大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、デスピノーサがイタリア人指揮者ということもあって音の重心は高め。通常のピラミッド型とは異なる摩天楼型に近いバランスでの演奏が行われる。大フィルならではの演奏とはやや異なるが、こうしたスタイルによる第九も耳に心地よい。
全編を通して軽やかな印象を受け、ラストなども軽快な足取りで楽園へと進んでいく人々の姿が目に見えるようであった。

大阪フィルハーモニー合唱団は、今年も「歌えるマスク」を付けての歌唱。ザ・シンフォニーホールでの大フィル第九では、指揮台に立つ予定だった井上道義が「歌えるマスク」での歌唱に反発して降板したが(井上さんはコロナでの音楽活動縮小やマスクを付けての歌唱に元々反対だった上に、「歌えるマスク」がKKKことクー・クラックス・クランに見えるということで、降板している。KKKは、白人至上主義暴力肯定団体で、映画「国民の創生」や、シャーロック・ホームズ・シリーズの「5つのオレンジの種」などに描かれている。現在も活動中であり、先日、公園で集会を開いて周囲の住民と揉み合いになった)、マスクを付けていても歌唱は充実。フェスティバルホールの響きも相俟って堂々たる歌声を響かせていた。

演奏終了後に照明が絞られ、福島章恭指揮によるキャンドルサービスでの「蛍の光」が歌われる。再三に渡るリモートワークを強いられるなど、去年以上に大変であった今年の様々な光景が脳裏をよぎった。

日本語詞の「蛍の光」は別れを歌ったものであり、寂しいが、第九同様に明日へと進む人々の幸せを願う内容であり、目の前に迫った来年への活力となるようにも感じられた。

Dsc_3018

| | | コメント (0)

2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

Dsc_3005

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画