カテゴリー「ベートーヴェン」の152件の記事

2022年4月20日 (水)

コンサートの記(774) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第557回定期演奏会

2022年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフィエスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第557回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:藤田真央)とエルガーの交響曲第2番。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の独奏は、元々はフランス人ピアニストであるアンヌ・ケフェレックが担う予定であったが、コロナ禍により来日不可となったため、気鋭の若手ピアニストとして知名度を上げている藤田真央が代役に指名された。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ちょっと風変わりな青年であるが、天衣無縫の音楽性を持つピアニストである藤田真央(有名人ではあるが一応注釈を入れておくと男性ピアニストである)。冒頭の天国的な響きから聴衆を魅了する。音楽は次第に思索を深めていくが、藤田真央のピアノはピアノの音そのものよりも高い音楽性で聴かせる。「いいピアノだ」という印象よりも「なんて素敵な音楽なのだろうと」、ベートーヴェンの音楽性の高さをありありと示すことが出来るのである。まだ若い故に時にムラッけが出ることもあるが、リリシズムやロマンティシズム、この上ない喜びなどを自在に奏でてみせるのだからその実力に疑問の余地はない。
尾高指揮の大フィルも、ピリオドを取り入れた深くて格好の良い伴奏を聴かせた。


藤田真央のアンコール演奏は、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」よりガヴォット(ラフマニノフ編)。チャーミングにして愉悦感に飛んだ演奏であった。


エルガーの交響曲第2番。
大英帝国の栄耀栄華を描いたような交響曲第1番で名声を博したエドワード・エルガー。彼の交響曲第2番も大いに期待されたが、1911年5月24日にクイーンズホールで行われた作曲者自身の指揮による初演は、演奏終了後に困惑が広がったという。聴衆は交響曲第1番のような壮麗な楽曲を期待していたのだと思われるが、交響曲第2番は旋律も短めで、しかも何度も同じ音型が繰り返されるというものであり、交響曲第1番に比べてモダンな印象も受けるが、その余りの落差に、初めて聴いた聴衆が戸惑ったのもむべなるかなという気もする。

全ての楽章で、当時、大英帝国の首都として世界一の賑わいを見せていたロンドンの街の種々雑多な賑わいが描かれているようであり、楽しい曲ではあるのだが、作風がモダンすぎたのかも知れない。
第2楽章は、「故エドワード7世陛下の想い出に捧ぐと」記された追悼曲であるが、それにしては明るめの印象を受ける。一説には、エルガーが親しくしていた人物の他界に寄せた楽曲でもあるといわれているようだ。
第4楽章のラストは、「高揚」というよりも、「次の時代へと続く」という「その先」を感じさせる終わり方で、効果的である。

エルガーの交響曲第1番は英国音楽史上に燦然と輝く名曲だが、交響曲第2番も、ヴォーン=ウィリアムズを始め、その後の英国人交響曲作曲家に繋がるような曲調であり、英国音楽史上重要な音楽作品と見ることが出来るだろう。

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2022年2月 6日 (日)

コンサートの記(763) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014「VIVA!オーケストラ」第3回「オーケストラってなぁに?」

2014年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014『VIVA!オーケストラ』第3回「オーケストラってなぁに?」を聴く。
「~こどものためのオーケストラ入門~」という副題の付いているコンサートであるが指揮者も曲目も本格的であり、大人でも十二分に楽しめる。というより、正直、このプログラムは子供には理解出来ないと思う。
今日の指揮者は京都市交響楽団首席常任客演指揮者の高関健。ナビゲーターは「ぐっさん」こと山口智充。

曲目は、前半がハイドンの交響曲第90番より第4楽章、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」より第4楽章、ブラームスの交響曲第4番より第1楽章、後半がベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章、マーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。オーケストラの弦楽の配置は前半と後半で変わり、前半はドイツ式の現代配置、後半は古典配置による演奏が行われる。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーは尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は今日は全ての演目に登場。定期演奏会で前半にオーボエトップの位置に座ることの多いフロラン・シャレールは今日は後半のみの登場で次席として吹いた。小谷口直子はクラリネットが編成に加わるブラームスの曲から登場。フルート首席の清水信貴は後半のみの出演である。

開演前に京都コンサートホールのホワイエで、金管五重奏によるミニコンサートが行われる。出演者は、トランペットの早坂宏明(次席奏者)と稲垣路子、トロンボーンの岡本哲(首席指揮者)、ホルンの澤嶋秀昌、テューバの武貞茂夫。

曲は、ジョン・アイヴソンの編曲による「クリスマス・クラッカーズ」(「ジングルベル」、「Deck the halls(ひいらぎ飾ろう)」、「A Carol Fantasy」、「We wish a merry Christmas」)、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の金管合奏編曲版、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」金管五重奏版という、いずれもクリスマスを意識した曲目であった。


午後2時開演。

まず、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章の演奏。今日の高関はマーラーの交響曲第5番第5楽章のみ指揮棒を用い、他は全てノンタクトで指揮した。
ピリオド・アプローチを取り入れた快活な演奏。今日は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンはピリオドによる演奏である。
曲が終了して、拍手が起こる、と、高関は客席の方を振り向いて指を振り、「まだ終わりじゃない」と告げる。演奏再開。そして終わって拍手、と思いきや曲はまだ終わっておらず、高関が再び客席を振り向いて人差し指を左右に振る。3度目でやって演奏は終了した。実はこの曲はハイドンが聴衆に「演奏が終わった」と勘違いさせるためにわざと疑似ラストを書いたという冗談音楽なのである。疑似ラストというとチャイコフスキーの交響曲第5番の第4楽章が有名だがチャイコフスキーは勘違いさせようとして書いたわけではない。だが、ハイドンはわざとやっているのである。ハイドンは「驚愕」交響曲を書いていたりと、ユーモア好きでも知られている。


ここで、ぐっさん登場。グレーの背広に同じ色の帽子姿である。ぐっさんは、クラシック音楽を聴く習慣もないし、オーケストラの演奏をコンサートホールで聴くのも初めてだという。
京都コンサートホールはステージの後方にも客席があるのだが、それがぐっさんは不思議だという。高関が「あれは合唱の席なんです。合唱が入る時はあそこに合唱が入るんです。今日は合唱は入らないので客席になっています」と説明する。京都コンサートホールのいわゆるP席(ポディウム席)は基本的に合唱が入ることを想定して設計されたものであり、合唱が大勢入れるように客席は可動式になっている。3席で1ユニットで、そのまま取り外し可能である。というわけで少し薄くて背もたれも低く、たまに軋むという欠点もある。
P席のあるホールでも、ザ・シンフォニーホールやサントリーホールなどは席は固定式である(合唱が入ることを想定して作られたものではない)。
元々は、P席は、ベルリン・フィルハーモニーが再建される際に、当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であったヘルベルト・フォン・カラヤンが、「カラヤンがホールの中心にいるようにする」というプランを取り入れて建設した際に生まれたものであり、合唱用に特別にあつらえられたものではない。

高関は、「あそこの席(P席)は(私から)良く見えるんです。あ、あそこのお客さん寝てるな、とか」と言う。ぐっさんが「逆にノリノリのお客さんなんかもいるわけですか?」と聞くと、高関は「それは迷惑です」と答える。ぐっさんは「ほどほどということで」とこの話題を締める。

ぐっさんは、オーケストラというものの成り立ちについて高関に聞く。高関は「昔、芝居などの時に、ステージの前の方にで歌ったり踊ったりする声を掛けたりする(その人達のことをコロスといってこれはコーラスの元となった言葉である)場所があったそうで、そこをオルケーストラと呼んだのが始まりだそうです。昔は下で演奏していましたが、ステージに上がって演奏を始めたのが大体、1700年頃といわれています(日本でいうと元禄時代である。1701年に浅野内匠頭と吉良上野介の松の廊下刃傷事件が起こり、翌1702年に赤穂浪士達の吉良邸討ち入りがあった)」と述べた。

ぐっさんは、「高関さんも、京都市交響楽団の方々も凄い方なんです。プロフィールに凄い経歴が書いてある。ですが、私のプロフィールはたった3行ってこれなんですか? 吉本興業、もっと良い情報持ち合わせていなかったんでしょうか? 『趣味は、散歩、ものまね、ギター』ってこれどうでもいい情報ですよね」と言う。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。緻密な演奏である。弦楽のビブラートはハイドンや、この後に演奏されるベートーヴェンに比べると多めだった。
この曲が始まる前に高関はフーガについての説明を行った。


ブラームスの交響曲第4番第1楽章の演奏の前に、高関はソナタ形式についての説明を行う。第一主題、第二主題、展開部、再現部、終結部からなるのだが、これを高関はプレートを使って説明する。第一主題は「A」、第二主題は「B」、展開部は「サビ」と書かれたプレートである。「A」のプレートは黄色、「B」のプレートは緑、「サビ」のプレートはピンク色をしている。展開部はサビとは違うのだが、わかりやすくサビと呼ぶことにしたらしい。まず予行として高関は「A」のプレートを掲げながら、第一主題を指揮し、いったん指揮を終えて、第二主題に入るちょっと前から演奏を始め、チェロが第二主題を奏でたときに「B」のプレートを掲げる。それからプレートはないのだが、もう一つの主題を演奏する。

本番の演奏でも、高関は「A」のプレートを掲げてから指揮を始め、第二主題に入ると「B」のプレートを取り出す。展開部では「サビ」と出し、その後、再現部でも「A」と「B」のプレートを掲げた。
なかなか白熱した演奏である。
今日は1階席の18列18番目の席で聴いたのだが、良い音で聞くことが出来る。京都コンサートホールの1階席は音響が今一つなのだが、高関はオーケストラを鳴らすのは得意なので問題はない。


後半、弦楽は配置を変えてヴァイオリン両翼の古典配置となる。ぐっさんは、配置が変わったことについて高関に聞く。高関は「元々は今のような配置で演奏していたようですが、第二次大戦後に前半のような配置も生まれたようです」と答える。現代配置が生まれたことについて高関は「諸説あるのですが、録音の際に前半のような配置にした方が良かったのではないかとも言われています。ステレオで録音する際に、こちら側(下手側)からは高い音、こちら側(上手側)から低い音と分けて聞こえるのが効果的だったのではないかと」と推測した。
現代配置の生みの親は実はわかっている。イギリスの指揮者であるレオポルド・ストコフスキーである。現代配置と呼ばれているのは彼がフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたものだ(そのため、アメリカ式の現代配置は「ストコフスキー・シフト」とも呼ばれる)。ただ配置を変えた理由については明確になっていないようだ。また、チェロが指揮者の正面に来るドイツ式の現代配置は誰が始めたのか正確には不明のようである。

配置換えを担当したステージマネージャーの日高成樹がステージ上に呼ばれるが、日高は内気な性格のようで、高関からもぐっさんからもマイクを向けられたが、結局、一言も発することなくステージを後にした。

ぐっさんは、配置が正反対に変わったコントラバス奏者の石丸美佳にインタビューするが、ぐっさんの「どちらが弾きやすいですか?」という質問に石丸は「どちらでも同じぐらい」という無難な返答をした。


ベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章。フレッシュな演奏である。聴覚的にもそうだが、視覚的にも音の受け渡し方がよりわかりやすくなる。


ラストの曲目であるマーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。大編成での演奏。高関によると「83名か84名による演奏」だそうである。ぐっさんが「一番編成の大きい曲は何人ぐらいで演奏するんですか?」と聞くと高関は「実はマーラーの曲でして、交響曲第8番『千人の交響曲』という曲で、合唱を含めて全1033名で演奏したという記録があります。実は朝比奈隆先生が、フェスティバルホールで同じ人数で再現されたことがあります」と答えた。高関も「千人の交響曲」は指揮したことがあるが、流石に千人には到達せず、850人編成での演奏を3回指揮したことがあるという。

ぐっさんは客席で聴いてみたいということで、ステージを降りて、空いている前の方の席に座る。

有名な第4楽章アダージェットは京響の弦楽が艶やかであり、第5楽章はスケールが大きい(先に書いた通り、第5楽章だけは高関は指揮棒を手にして指揮した。指揮棒を使った方が大編成のオーケストラを操りやすいからだと思われる)。ただ、京都コンサートホールの音響は第5楽章を聴くには余り効果的ではない。この楽章では、管楽器奏者が朝顔を上げて、下ではなく真横に向けて音を出すようマーラーが楽譜に書き込んでいるのだが、トランペットの直接音などは強すぎて全体のバランスが悪くなってしまうのである。弦楽の音がもっと前に飛ぶホールだと良かったのだが。

とはいえ、充実した演奏を楽しむことが出来た。

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2021年12月31日 (金)

コンサートの記(755) ガエタノ・デスピノーサ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2021

2021年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。昨年の「第9シンフォニーの夕べ」では、指揮台に立つ予定だったラルフ・ワイケルトがコロナ禍で来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代役を務めた。今年の「第9シンフォニーの夕べ」の指揮者にもワイケルトは再び指名されたが、オミクロン株の流行などによる外国人の入国規制強化によってまたも来日不可となり、入国規制が強化される前に来日して、日本滞在を続けているガエタノ・デスピノーサが代役として指揮台に立つことになった。なお、来年の大フィル「第9シンフォニーの夕べ」は尾高忠明の登壇が決まっており、ワイケルトの第九は流れてしまったようである


1978年生まれと、指揮者としてはまだ若いガエタノ・デスピノーサ。イタリア・パレルモに生まれ、2003年から2008年まで、名門・ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターを務めた、同時代にドレスレデン国立歌劇場の総監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2013年から2017年までミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。

独唱は、三宅理恵(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(やました・こうじ。バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの肩書きで客演の蓑田真理が入る。ドイツ式の現代配置での演奏だが、通常とは異なり、昨年同様ホルンが上手奥に位置し、通常ホルンが陣取ることが多い下手奥には打楽器群が入る。独唱者4人はステージ下手端に置かれた平台の上で歌うというスタイルである。


デスピノーサはフォルムを大切にするタイプのようで、先日聴いた広上淳一指揮京都市交響楽団の第九とは大きく異なり、古典的造形美の目立つスッキリとして見通しの良い演奏が行われる。
朝比奈隆時代に築かれた豊かな低弦の響き、俗に言う「大フィルサウンド」を特徴とする大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、デスピノーサがイタリア人指揮者ということもあって音の重心は高め。通常のピラミッド型とは異なる摩天楼型に近いバランスでの演奏が行われる。大フィルならではの演奏とはやや異なるが、こうしたスタイルによる第九も耳に心地よい。
全編を通して軽やかな印象を受け、ラストなども軽快な足取りで楽園へと進んでいく人々の姿が目に見えるようであった。

大阪フィルハーモニー合唱団は、今年も「歌えるマスク」を付けての歌唱。ザ・シンフォニーホールでの大フィル第九では、指揮台に立つ予定だった井上道義が「歌えるマスク」での歌唱に反発して降板したが(井上さんはコロナでの音楽活動縮小やマスクを付けての歌唱に元々反対だった上に、「歌えるマスク」がKKKことクー・クラックス・クランに見えるということで、降板している。KKKは、白人至上主義暴力肯定団体で、映画「国民の創生」や、シャーロック・ホームズ・シリーズの「5つのオレンジの種」などに描かれている。現在も活動中であり、先日、公園で集会を開いて周囲の住民と揉み合いになった)、マスクを付けていても歌唱は充実。フェスティバルホールの響きも相俟って堂々たる歌声を響かせていた。

演奏終了後に照明が絞られ、福島章恭指揮によるキャンドルサービスでの「蛍の光」が歌われる。再三に渡るリモートワークを強いられるなど、去年以上に大変であった今年の様々な光景が脳裏をよぎった。

日本語詞の「蛍の光」は別れを歌ったものであり、寂しいが、第九同様に明日へと進む人々の幸せを願う内容であり、目の前に迫った来年への活力となるようにも感じられた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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2021年10月 3日 (日)

コンサートの記(747) 小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団第170回定期演奏会

2012年4月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第170回定期演奏会に接する。今日の指揮者は音楽監督の小泉和裕。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第1番と、オルフの世俗的カンタータ「カルミナ・ブラーナ」(合唱:大阪センチュリー合唱団、神戸市混声合唱団、岸和田市少年少女合唱団。ソプラノ独唱:幸田浩子、テノール独唱:高橋淳、バリトン独唱:三原剛)。


小泉和裕は端正な音楽を作る人だが、今日も指揮した通りの音楽が出てくる。安心して聴くことが出来るが、意外性がまるでないのが物足りないところでもある。


ベートーヴェンの交響曲第1番は、まさに「端正」そのもので、音楽の殻を破って突き出てくるものはない。ただ、安定感は抜群である。


オルフの「カルミナ・ブラーナ」。
日本センチュリー交響楽団は中編成の小回りが利く演奏が持ち味のはずだが大曲への挑戦である。字幕スーパー付きの演奏。

清潔感溢れる「カルミナ・ブラーナ」で、世俗的な面はさほど強調されない。日本センチュリー交響楽団は弦も管も好調であり、音に威力がある。独唱者の出来も良く。小泉の指揮もスケールの大きさが適切で、なかなかの好演であった。

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2021年8月11日 (水)

コンサートの記(736) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

2021年8月7日 伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のレクチャーと全曲演奏が行われる。ベートーヴェンの演奏に定評のある広上の指揮ということで呉竹文化センターは満員の盛況となった。2回のワクチン接種を済ませたお年寄りが増えたということも影響しているかも知れない。

先日、ミューザ川崎コンサートホールで行われたフェスタサマーミューザKAWASAKI2021でも「英雄」を演奏して好評を博した広上と京響。今日もミューザ川崎での演奏とほぼ同じメンバーによる演奏と思われ、管楽器の首席奏者もほぼ全員顔を揃えていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏である。

まずは広上と、京都市交響楽団シニアプロデューサーの上野喜浩によるレクチャーが行われる。広上はアドリブ飛ばしまくりで、「英雄」について、
「俗に英雄(ひでお)と呼ばれたりしますが」とボケ、
上野「ひでお?」
広上「そこは笑わないと! (広上が)台本にないことばかり言うから(上野は)顔が真っ青になってない?」
というようなやり取りがあったりする。

広上が大作曲家を「ベートーヴェン先生」というように「先生」付けで呼ぶことについては、「先に生まれたから先生、というのは冗談ですが(「先に生まれたから先生と呼ぶ」というのは、夏目漱石の『こゝろ』に出てくる話でもある)、偉大な作曲家なので、亡くなった方には、基本、先生を付けます」と語った。

ベートーヴェンが肖像画などで気難しそうな顔をしていることについて(肖像画を描く直前に食べた料理が不味かったからという説が有力だったりする)広上は、「耳が聞こえない、最近で言う基礎疾患があったということで。作曲家でありながら耳が聞こえないというのは、指揮者なのに手足がないようなもので、信用して貰えない」「元々は社交的な性格で、人と一緒にいるのが好きな人だったと思うのですが」作曲家として致命的な障害を抱えているということを悟られないよう人を遠ざけて、性格も内向的に、顔も不機嫌になっていったのではないか、という解釈を述べた。

第九を書いている頃に、ジャーナリストから、「自身の交響曲の中で一番出来がいいと思うのは?」と聞かれ、「英雄!」と即答したという話については、上野に「なぜ一番良いと思ったんでしょうか?」と聞かれ、「そんなこと知りませんよ! 先生じゃないんだから!」と言って笑いを取るも、前例のないことを色々やっているというので、自信があったのかも知れないという見解を述べていた。「英雄」の第1楽章は4分の3拍子で始まるが、第1楽章が4分の3拍子で始まる交響曲はそれまでほとんど存在しなかったそうである。最も新しい部分については、「冒頭」と答え、「NHKではビンタと語ったのですが」と2つの和音の衝撃について口にする。

その後、「英雄」の冒頭部分を演奏し、更にチェロが奏でる第1主題をチェロ副首席の中西雅音(まさお)に弾いて貰う。今回は語られなかったが、第1楽章の第1主題をチェロが奏でるという発想もそれ以前にはほとんど存在していなかったと思われる。第1主題を奏でる弦楽器は大抵は花形であるヴァイオリンで、オーケストラにおけるチェロはまだ「低音を築くための楽器」という認識である。

「英雄」は第1楽章だけで、それまでの交響曲1曲分の長さがあるという大作であり、ミューザー川崎コンサートホールでは、広上と京響は全曲を約55分掛けて演奏したそうであるが、広上曰く「うるさがたの聴衆から、『遅い! お前の「英雄」には流れがないんだ! 55分も掛けやがって、今の「英雄」の平均的な演奏は40分から45分』」という言葉に逆に「速すぎるよ!」と思ったという話をする。

第2楽章が葬送行進曲であることについては、「ハイリゲンシュタットの遺書」との関係がよく語られるが、「ハイリゲンシュタットの遺書」自体はベートーヴェンの死後に発見されたものであるため、推測することしか出来ないようである。

第3楽章をこれまでのメヌエットではなくスケルツォとしたことについては、広上は社交好きだった頃の性格が反映されているのではないかと考えているようだ。事情により表向きは気難しさを気取る必要があったが、本音は音楽に託したと見ているようである。

コーヒー豆を毎朝60粒選んで挽いたという話については、広上は、「稲垣吾郎ちゃんの『歓喜の歌』だったかな?(稲垣吾郎がベートーヴェンを演じた舞台「No.9 -不滅の旋律-」のこと)剛力彩芽ちゃんがやってた役(初演時は大島優子が演じており、剛力彩芽が演じたのは再演以降である)が、コーヒー豆を59粒にしたらベートーヴェンが気づいて怒った」という話をしていた。
上野は、「広上先生も、京響と共演なさる時には必ず召し上がるものがあるそうで」と聞くも、広上は「興味ある人いるんですか?」と乗り気でなかった。リハーサルの時にはいつも鍋焼きうどんを出前で取るそうで、餅と海老と玉子入りの「広上スペシャル」と呼ばれているものだそうである。

なお、トリオのホルンについて、ベートーヴェンの時代のホルンにはバルブが付いておらず、口だけで音を出していたという話に、広上は「ガッキーちゃんに聞いて」と振るも、ホルン首席のガッキーちゃんこと垣本昌芳は、「マスクを持ってくるの忘れました」ということで、隣にいた「澤さん」こと澤嶋秀昌が代わりに答え、実際にホルンを吹いて音を出していた。
ちなみに広上は、「ガッキーちゃんとはシュークリーム仲間」と話していたが、以前、広上がラジオで「四条のリプトンのシュークリームがお気に入りと話したら、演奏会前に差し入れをしてくれるようになった」と話していたため、本番前に一緒にシュークリームを食べる習慣があるのかも知れない。

その後も随所を演奏。上野は演奏が始まるたびに舞台から降りて聴いていたが、広上が「降りなくていいよ」と言ったため、以後はステージ上で聴いていた。

第4楽章に出てくる「プロメテウス主題」については、上野が「生涯の作品の中で4度用いられている」という話をする。広上が前日にどんな作品で何回使われているか調べるよう上野に言ったようで、上野が使われている作品全てを挙げると、広上は「よく調べてきたね」と感心していた。ちなみに「英雄」はプロメテウス主題が用いられた最後の作品となるようである。

第4楽章は変奏曲形式で書かれているが、ベートーヴェンが最も得意とした作曲形式が他ならぬ変奏曲であることを広上が告げる。ちなみに、ベートーヴェンはフーガの作曲を大の苦手としていたそうだが、「全ての交響曲でフーガを書いている。第九なんかが有名ですが。苦手だからといって逃げない」という姿勢を評価したところで上野が、「もうそろそろお時間で」と言ったため、「え? 逃げるの?」と冗談を飛ばしていた。


20分の休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」全編の演奏が行われる。広上はノンタクトで指揮する。

日本で最良のコンサートホールの一つとされるミューザ川崎コンサートホールは残響も長いと思われるが(行ったことがないのでどの程度かは不明だが)、呉竹文化センターは多目的ホールであるため残響はほとんどない。ということでテンポはミューザ川崎の時よりも必然的に速くなったと思われる。
時折、弦楽のノンビブラートの音も聞こえるが、基本的にはモダンスタイルの演奏であり、第1楽章のクライマックスではトランペットが最後まで旋律を吹いた。

音響の問題か、空調が影響したのか(余り冷房は効いていなかった)、いつもより細かなミスが目立つが、スケールの大きい堂々とした「英雄」像を築き上げる。生命力豊かであるが強引さを感じさせない。

ナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりで書かれたという真偽不明の説を持つ「英雄」交響曲。だが、最終楽章にプロメテウス主題(天界から火を盗み、人類に与えたプロメテウスは、「智」の象徴とされることが多いが、ベートーヴェンが書いたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」は「智」そのものというより「智」が生み出した芸術作品を讃える内容となっている)が用いられていることを考えると、政治・戦略の英雄であるナポレオンよりも音楽が優位であることが示されているように捉えることも出来る。表面的な英雄性は一度死に絶え、芸術神として再生するということなのかも知れない。その象徴を文学の才にも秀でていたといわれるナポレオンに求めたために、皇帝に自ら即位したという情報が、より一層、ベートーヴェンを憤らせたのかも知れない。

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2021年7月26日 (月)

ボザール・トリオ ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」

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2021年7月15日 (木)

コンサートの記(730) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会

2021年7月8日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻教授の下野竜也。

新型コロナウイルスの流行により昨年夏の定期演奏会は中止となった京都市立芸術大学音楽学部と大学院音楽研究科。今年はなんとか開催に漕ぎ着けた。

曲目は、第1部が、シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。第2部が、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」より“私の名前はミミ”と“あなたの愛の呼ぶ声に”、「トスカ」より“歌に生き、愛に生き”(ソプラノ:佐藤もなみ)。第3部がドヴォルザークの交響曲第8番。
京都市立芸術大学にはハープの専攻はないようで、ハープは京都ではお馴染みの松村多嘉代、松村衣里の松村姉妹が奏でる。

入りはまずまずで、この点に関してはコロナの影響はさほど感じられない。


シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)。ユダヤ人だったシェーンベルクがナチスの迫害を逃れて渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で教授を務めていた時代に書かれた作品である。高校の吹奏楽部でも演奏可能な曲として依頼されたのであるが、結果として演奏難度の高い楽曲となった。

この曲を聴くのは初めてだが、ユーモラスというか人を食ったような旋律があったり、十二音技法とは異なった和音が響いていたりと、かなり個性の強い作品である。
ただ和声や響きに、ハリウッド映画に出てくるような部分もあり、アメリカの映画音楽がシェーンベルクからの影響を受けていることが感じられる。シェーンベルクが生んだ十二音技法は、クラシックでは結局のところ不毛に終わりそうだが、映画音楽では心理描写などで巧みに用いられ、かなりの成果を上げていると言っていいように思う。


場面転換が必要となるため、下野がマイクを手に登場してトークを行う。「本日はお足元のお悪い中、お越し下さりありがというございます」という挨拶に続き、新型コロナの影響で授業やレッスンに支障が出たが、教員も学生も(芸術系大学の場合は師弟関係になるため、「学生」ではなく「生徒」と呼ぶことの方が多いのだが、ここでは「学生」に統一する)感染対策をして乗り越えたこと、「いたずらに厳しい、下野竜也という男」によく着いてきてくれたことなどを語る。
今回のコンサートでは感染のリスクを抑えるため、奏者達が演奏を行うたびにポジションを変更し、また副指揮者の学生などが中心となって消毒作業なども行うようだ。
1曲目のシェーンベルクの楽曲が吹奏楽版であることにも触れ、「今年からユーフォニアムの専攻が出来て」「学部と大学院に一人ずつ入学した」ということでユーフォニアムが活躍する音楽を選んだことを語る。「有名な曲をやろうとも思いましたが、ひねくれているので」あまり知られていない曲を選んだようである。下野自身が吹奏楽出身であるため、愛着もあるのだと思われる。ちなみに下野は広島ウインドオーケストラの音楽監督でもあり、9月には広島ウインドオーケストラと京都コンサートホールでも公演を行う予定である。


ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲。
日本の音楽大学や音楽学部は、基本的に9割前後を女子学生が占めている。京都市立芸術大学音楽学部も例外ではなく、例えば第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンやヴィオラは、それぞれ男子は1名から2名で、その他は全員女の子である。チェロも女子が過半数。ただ楽器自体が大きいコントラバスは一人を除いて全員男子など、パートによって傾向が異なる。コントラバスの女子は苗字から察するに韓国の方なので、日本人女性でコントラバスを積極的にやりたいという人はまだ余り多くないようである。

弦はフル編成であるが、ビブラートを抑えたピリオドによる演奏。ティンパニもバロックタイプでこそないが、木製のバチを使って硬めの音を出す。

残響の長い京都コンサートホールということで、ゲネラルパウゼを長めに取るのが特徴。ラストではヴァイオリンが情熱的な音色を奏でて、灼熱の世界へとなだれ込んでいく。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。ラヴェルは「ボレロ」など、ラストにとんでもないことが起こる楽曲がいくつかあるが、これもその一つである。
色に例えるとピンク色のような独特の気品を持つ音色が特徴。チャーミングな美演であるが、最後は狂気にも似た空中分解を迎える。
ラヴェルは、フランスとスペインの境にあるバスク地方の出身であるが、その豪快さはエスプリ・ゴーロワというよりもスペイン的な気質を感じさせる。

皮肉なことだが、ラヴェルの人生自体もそのラストで悲劇的な転調を迎えることになる。


第2部。声楽専攻4回生の佐藤もなみの独唱によるソプラノのアリア。京都市立芸術大学では、各専攻の成績優秀者でオーディションを行い、最優秀者がソリストとなる権利を得るシステムのようで、今年は声楽の佐藤もなみが出場権を得たようだ。

緊張と、客を入れてのステージ上の音響がつかめなかったためか、最初の内は声がやや硬めだったが、次第に音響にも慣れたようで伸びやかな声を聴かせる。
下野指揮の京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団も、繊細で柔らかな伴奏を奏でる。


第3部。ドヴォルザークの交響曲第8番。学生のオーケストラということで洗練度にはやや不足しているが、土俗感や自然の息吹など、ドヴォルザークらしさは十全に表現出来ている。
弦楽はヴァイオリンが優秀で、第3楽章の抒情美や冒頭の切れ味、第4楽章の高揚感など見事である。同じ弦楽器でもヴァイオリンとそれ以外では異なり、音大などでヴァイオリンを専攻している人は基本的に子どもの頃からヴァイオリン一筋だが、その他はまず別の楽器をやってから現在の楽器に至っている場合が多い。いわばヴァイオリンはエリートで、大学レベルだとまだ違いが現れやすいのかも知れない。
ということで低弦が薄めではあったが、技術的には学生としては十分な高さに達しており、下野の音楽作りの巧みさも相俟って、聴かせる演奏となっていた。

京都市交響楽団、京都市立芸術大学、京都市立京都堀川音楽高校、京都市ジュニアオーケストラと四段構えになっているのが京都市のクラシック音楽界の強さである。残念ながら、大学卒業後の就職先が少ないため、京都市を離れる人が多いが、それでも京都のクラシックの聴衆の若返りは他の都市に比べると上手くいっているように思う。

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2021年7月11日 (日)

楽興の時(42) 「テラの音 Vol.30」 Duo Felicello(デュオ・フェリーチェロ)デビューライブ

2021年7月2日 真宗大谷派小野山浄慶寺にて

午後7時から、京都御苑の近くにある真宗大谷派小野山浄慶(じょうきょう)寺で、「テラの音 vol.30」を聴く。浄慶寺で「テラの音(ね)」が開催されるのは、1年ぶりとなる。コロナ禍に加えて、共同主宰である牧野貴佐栄の体調面での問題もあり、なかなか上演が出来ないでいた「テラの音」であるが、次回は10月にやはり浄慶寺で行われることが決まっている。

今回は、チェロデュオであるDuo Felicello(デュオ・フェリーチェロ)の出演。メンバーは、三井菜奈生と徳安芽里。実は今回がデビュー公演になるという。

三井菜奈生は、香川県出身。4歳でピアノ、8歳でチェロを始め、12歳から高校卒業まで、かがわジュニアニューフィルハーモニックオーケストラに所属。第20回札幌リスト音楽院セミナーでは、名チェリストとして知られるミクローシュ・ペレーニのレッスンを受けている。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻音楽コース卒業。

徳安芽里は、奈良県出身。浄土真宗本願寺派の大学である相愛大学音楽学部を卒業。桐朋オーケストラ・アカデミー研修課程を修了している。第8回全日本芸術コンクール大学生部門で奨励賞を受賞。


曲目は、J・S・バッハの「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番より“エア”)、ボッケリーニの2本のチェロのためのソナタ、「日本の四季の歌メドレー」、クンマーの「ヘンデルの主題による変奏曲」、ドッツァーの「モーツァルトの主題による変奏曲」、モーツァルトの「鏡のカノン」、バリエールの2本のチェロのためのソナタ ト長調。

見慣れぬ名前の作曲家も多いが、多くはチェリスト兼作曲家だった人のようで、チェロのための練習曲なども書いており、チェロを習っている人にとってはお馴染みの作曲家のようである。

通常の「テラの音」は二部制で、間に住職による法話が入るが、今回は時短にする必要があるということで、最初に浄慶寺の中島浩彰住職による法話があり、来週は七夕ということで「五節句」の話や、仏教が「私」を巡る宗教であるということなどが語られる。


おなじみの「G線上のアリア」でスタート。

「メヌエット」でお馴染みのボッケリーニであるが、それ以外の曲は余り知られていなかったりする。生前は作曲家としてよりもチェロ奏者として有名だったようで、2本のチェロのためのソナタは、チェロデュオの定番とされているようである。スケール豊かで、伸びやかな歌が特徴。

「日本の四季の歌メドレー」は、季節を題材にした日本の童謡など12曲からなるメドレー。春に始まり冬に終わる。演奏されるのは、「春が来た」「花の街」「早春賦」「背比べ」「茶摘み」「紅葉」「里の秋」「手袋の歌」「雪」などで、断片のみが演奏される曲もある。

クンマーの「ヘンデルの主題による変奏曲」。ここで用いられているヘンデルの主題とは、「勝利の歌」としても知られる「見よ、勇者は帰る」である。
トークは主に徳安が受け持っており、「運動会などの表彰式で流れていた曲」と説明していた。

ドッツァーの「モーツァルトの主題による変奏曲」で用いられる「モーツァルトの主題」というのは、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のアリア“お手をどうぞ”のメロディーである。
“お手をどうぞ”の主題による変奏曲は、ショパンなども作曲しているが、チェロは「人間の声に最も近い楽器」と呼ばれることも多く、チェロのことを知り尽くし、教則本も書いたドッツァーが、ドン・ジョヴァンニの歌うアリアを基に書いた変奏曲も魅力的である。

モーツァルトの「鏡のカノン」は、2人の演奏家が1枚の楽譜を上からと下から、同時に弾いて演奏が成り立つという楽曲である。J・S・バッハがこうした作品を多く残したが、モーツァルトも作曲しているようだ。ただこの作品には偽作説があるらしい。

バリエールの2本のチェロのためのソナタ ト長調。バリエールはフランスの作曲家兼チェリストで、生前は名声を博したようだが、わずか40歳で他界している。
この曲もチェリストの間では人気があるようで、典雅な第1楽長、憂いを帯びた第2楽章、華やかな第3楽章のいずれもが魅力的な曲想を持っている。


アンコールとして、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」より冒頭部分が演奏された。

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2021年5月23日 (日)

配信公演 鈴木優人指揮 京都市交響楽第656回定期演奏会(文字のみ)

2021年5月15日 京都コンサートホールより配信

京都市交響楽団の第656回定期演奏会は、予定通り午後2時30分の開演となったが、無観客に切り替わり、ニコニコ生放送での配信公演となった。
指揮台に立つのは、「古楽の貴公子」鈴木優人。鈴木優人が京都市交響楽団を指揮するのはこれが初めてとなる。鈴木優人指揮の実演には、日本人作曲家の作品を並べた関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会と、よこすか芸術劇場で聴いたベンジャミン・ブリテンの歌劇「カーリュー・リヴァー」に接しており、いずれも優れた出来であったが、鈴木優人の十八番である古楽ではなかった。今回の京響定期は、前半に古楽のレパートリーが並んでいたのだが、配信のみの公演となったため、「実演に接した」とはいえない状況になってしまったのだが残念である。

曲目は、ヘンデルの歌劇「忠実な羊飼い」序曲、ラモー作曲・鈴木優人編曲の歌劇「みやびなインドの国々」組曲、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲ト長調 RV414(チェロ独奏:上村文乃)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

ニコニコ生放送ということで、視聴者からのコメントが流れるのだが、プレトークで鈴木はそれらを拾いながら進めていく。ニコニコ生放送ならではの面白さである。休憩時間にも鈴木はソリストの上村文乃と共に視聴者コメントを読みつつトークを行っていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田尚泰。フォアシュピーラーに泉原隆志。前半はドイツ式の現代配置をベースにしつつコントラバスが下手側に回るという独自の配置、後半はヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。
今日はクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演(ヘンデルの時代にクラリネットという楽器は存在しないが、原典版ではなく編曲したバージョンでの演奏)。それ以外の管楽器首席奏者はベートーヴェンのみの出演である。

前半に並ぶ3つの古楽の曲目は、全て鈴木優人がチェンバの弾き振りを行う。典雅なハイドン、個性的でエスニックなラモーは、古楽を得意とする鈴木が存分に腕を振るい、上質の響きと旨味を提供する。今年の3月で放送が終わってしまったが、Eテレの「らららクラシック」でラモーの特集があり、歌劇「みやびなインドの国々」の上演風景などが流された。今回の歌劇「みやびなインドの国々」組曲の演奏も、歌劇の上演ではないが、その光景が目に浮かぶような描写力に長けたものである。

ヴィヴァルディのチェロ協奏曲ト長調 RV414。ヴィヴァルディの作品といえば「四季」、その他に「調和の霊感」ぐらいしか聴けないという時代は終わり、まずNAXOSレーベルがヴィヴァルディの作品の多くを録音、配信でも聴けるようになり、その他のレーベルからもヴィヴァルディの全集が出るようになった。
ソリストの上村文乃(かみむら・あやの)は、6歳からチェロを始め、第7回日本演奏家コンクール弦楽器中学生部門1位及び芸術賞受賞を皮切りに、第15回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学生部門最高位、第5回東京音楽コンクール弦楽部門第2位、第4回ルーマニア国際音楽コンクール弦楽器部門第1位及びルーマニア大使館賞受賞、第80回日本国際コンクール第2位、第65回全日本学生音楽コンクール大学の部1位などのコンクール歴を誇る。桐朋学園大学ソリストディプロマコース卒業後にスイスに渡り、バーゼル音楽演劇大学とバーゼル音楽院に学ぶ。現在は鈴木優人が首席指揮者を務めるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のメンバーとしても活躍している。

上村は、エンドピンのないバロックチェロを使用しての演奏。独特のコクのある音色が特徴で、技術も高い。

ニコニコ生放送ということでコメントを読むのも面白く、コンサートマスターの石田尚泰が石田組長と呼ばれているのを見て、「下の名前が組長なのかと思った」というコメントがあったり、「イケメンおるやん」「向井理おる」「向井理やで」と、「京響の王子」こと泉原隆志に関するコメントが並んだりする。九州在住と思われる視聴者が、クラリネット首席奏者の小谷口直子に、「小谷口さん、九響(九州交響楽団)に客演してくれてありがとう」というコメントを書いていたりもする。謎のキャラクター、Juviちゃんに関するコメントも多かった。Juviちゃんに合わせてコーデリア中山という謎のキャラになることもあるティンパニ(打楽器首席)の中山航介に対する絶賛のコメントも続く。

アンコール演奏は上村単独ではなく、チェンバロの鈴木も加わったボッケリーニのチェロ・ソナタ第6番よりアレグロ。超高音を美しく奏でる、上村の卓越した技巧が鮮やかであった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。かなり優れた演奏となる。史上初めてリズムを最重要視して書かれ、ワーグナーによって「舞踏の聖化」と激賞された作品。人類史上初のロックンロールと見なしても良いと思われるほどのノリの良さを持つ曲である。
鈴木と京響(ぱっと見、「鈴木京香」に見えるな)は、確かな造形美を確立しつつ熱狂を盛り込むという理想的な演奏を展開。弦楽はビブラートを抑えたピリオドの響きを築き、管楽器がそれらを華やかに彩る。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏に若々しさを注ぎ込んだような演奏で、後世まで伝説として語り継がれそうなほどの快演であった。これが生で聴けないというのが残念極まりないが、このコロナ禍をくぐり抜けることが出来たのなら、また鈴木優人指揮のベートーヴェンの交響曲第7番を聴く機会もあるだろう。

演奏終了後に、今回のコンサートの出来を聞くアンケートがあり、「とても良かった」に投票した人が97%を超えた。

放送は、楽団員がステージ上から奏者達が去った後も続き、京響を影で支えるスタッフ達の仕事ぶりが全国に流された。

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