カテゴリー「余談」の11件の記事

2025年10月16日 (木)

これまでに観た映画より(407) 原作:小泉八雲、監督:小林正樹、音楽音響:武満徹 映画「怪談」

2025年10月14日

Amazon Prime Videoで、日本映画「怪談」を観る。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンがまとめた著書の中から、「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」を選び、オムニバス映画としているが、4つの作品に共通するものは特にない。

2007年にも私は観ていて、記録を残しているが、大したことは書いていない。

原作:小泉八雲。監督:小林正樹。脚本:水木洋子。音楽音響:武満徹。出演:新珠三千代(なんとIMEで変換されず)、渡辺美佐子、三國連太郎ほか(以上「黒髪」)、仲代達矢、岸惠子、望月優子、浜村純ほか(以上「雪女」)、中村賀津雄、志村喬、丹波哲郎、田中邦衛、林与一、北村和夫ほか(以上「耳無芳一の話」)、中村翫右衛門、滝沢修、杉村春子、中村鴈治郎、仲谷昇、佐藤慶、奈良岡朋子、神山繁(こうやま・しげる)、天本英世ほか(以上「茶碗の中」)。

かなり豪華な面子である。新珠三千代、岸惠子(彼女が出ている「雪女」の舞台は雪国ではなく、意外にも現在の東京都調布市である)などは、今の時代でも美人女優として通用しそうである。ただ歳月が流れたと言うこともあり、かつての大女優もIMEでは一発変換出来なくなった。

耽美的な演出が特徴。日本画を意識した、別世界のような背景が広がる中で、この世とあの世との境のドラマが展開される。
美術が凝っている一方で、演出はオーソドックス。余計なことはせずとも伝わるよう、カット割りを綿密に行っている。芸術映画なので客を楽しませようというようなサービス精神はなしだが、誠実に作品と向かい合っている。もし今のような優れたテクノロジーがあったら、より優れた作品になっていたと思われるが、それは仕方ない。
若き日の三國連太郎は佐藤浩市に似ているが、その佐藤浩市の息子である寛一郎が現在、連続テレビ小説「ばけばけ」に、山根銀二郎改め、松野銀二郎役で出ている。祖父と孫とで「怪談」絡みの話に出演しているということになる。山根銀二郎という名前は大物音楽評論家であった山根銀二を連想させる。山根銀二は、武満徹のピアノ曲「二つのレント」を「音楽以前である」と酷評したことで有名だが、その山根銀二に似た名前の役を演じている人がいる。更に映画「怪談」の音楽担当は武満徹。ということで繋げているのだと思われる。

その武満の音楽であるが、音楽のみならず音楽音響とされているように、金属音を出したり、プリペイドピアノを使ったり、風の音で場を作ったり、三味線などの邦楽器が掻き鳴らされたり、読経を音楽として持ち込んだりしている。メロディーらしきものはラストにしか出てこないが、意欲的な映画音楽であると言える。

セリフが極端に少ないのが特徴だが、話すと説明ゼリフになってしまっているため、もっとセリフを入れればそれは避けられたかも知れない。ただ無言で行われることで恐怖やただならぬ雰囲気を生めているのも事実だ。

小泉八雲の『怪談』であるが、やはり魅力的という他ない。単に怖いだけでなく、人間の機微のようなものが伝わってくる。人間の悪い面をも浄化していくようだ。そして幽霊は美人であればあるほど怖いように(幽霊ではないが、貞子役は小説での設定もあってほぼ全て日本の女優の中でも上位の美人女優が演じている)美と恐怖の関係を再確認させてくれたりする。泉鏡花も怪異譚を多く書いているが、文章は抜群に美しい。

3時間強の大作だが、途中で休憩の時間があったことが今日の配信映像を見て分かった。

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2025年10月13日 (月)

これまでに観た映画より(405) 草刈正雄主演「沖田総司」

2025年10月7日

Amazon Prime Videoで、東宝映画「沖田総司」を観る。私が生まれた1974年の作品ということで、もう制作後半世紀が経つ。ちなみにタイトルであるが、Wikipediaには「おきたそうじ」と書かれているが、劇中のセリフなどから考えて、「おきたそうし」がこの映画の読み方である。
沖田総司の本来の読みは「おきたそうじ」で、本人の署名にも「沖田総二」と、「じ」としか読めないものもあったりするため、「そうじ」で間違いないのだが、俳優で沖田を当たり役としていた島田順司(しまだ・じゅんし)が、先輩の俳優から、「お前、順司で『じゅんし』って読むんだから、総司も『そうし』で出ちゃえよ」と言われ、「おきた・そうし」の読みで出演。大ヒットしたため、以後は「おきた・そうし」読みが定着していく。
私が初めて沖田総司を知ったのは、田原俊彦が沖田総司を演じた2時間ドラマ(これも今は配信で見ることが出来る)であったが、やはり読みは「おきた・そうし」であった。2004年の大河ドラマ「新選組!」あたりから「おきた・そうじ」読みが戻ってくる。

出演:草刈正雄、高橋幸治、米倉斉加年(よねくら・まさかね)、西田敏行、辻萬長(つじ・かずなが。愛称:つじ・ばんちょう)、小松方正、真野響子(まや・きょうこ)、池波志乃、神山繁(こうやま・しげる)ほか。

沖田総司の没年には、24歳説、25歳説、27歳説などがあるが、いずれにしてもかなり早くに亡くなっている。奥州白河藩士の血筋に生まれた武士であり、天然理心流の試衛館の食客となって剣に邁進。永倉新八曰く「本気を出したら近藤もやられる」
新選組に関する証言を数多く残している永倉新八は、「沖田の剣は猛者の剣、斎藤(一)の剣は無敵の剣」と評しているが、肝心の永倉本人は、「一番強いのは自分だった」としている。この映画では西田敏行が永倉新八を演じているが、見せ場はほとんどない。
三多摩で、剣を生かす場を探している沖田総司(草刈正雄)。ちなみになぜか立ち小便をする場面があるが、司馬遼太郎の『燃えよ剣』の影響かも知れない。多摩地区で武芸のシマ争いが起こっており、沖田は土方歳三(高橋幸治)と共に天然理心流派として他派と闘う。
今や押しも押されもせぬ名優の地位を築いている草刈正雄だが、この時はセリフに感情が乗っていないなど、お世辞にも上手いとは言えない。最初から出来る天才タイプではなく、努力を積み上げて名優となったのだろう。

この映画はどんどん場面が進んでいき、浪士組に応募したかと思いきや、瞬く間に新選組となり、芹沢をあっさりとやっつけて、メインである池田屋事件に至る。テンポは良いが、人物を掘り下げていないので、人間としての成長ドラマは描かれていない。
さて、池田屋では沖田の喀血がある。新選組のどのドラマでも沖田喀血は描かれるのだが、実際には沖田が喀血したという記録はない。新選組三部作を書いた子母沢寛の脚色だと思われる。永倉新八は、小樽の楽隠居・杉村義江となってからの回想で、「沖田が持病で倒れた」と書いているが、持病が何なのかははっきりしていない。別の書では「呼吸器系」と言われているが喘息か? 戦って倒れたのなら心臓系の可能性もある。が、少なくとも喀血を伴う労咳(結核)ではないようだ。労咳は吐血から1~2年で死に至り、広まらないよう隔離が必要だが、沖田が隔離されるのは大坂城に入ってからである。
基本的に沖田の見せ場は、池田屋事件で終わってしまうため、この作品では、おちさ(真野響子)との恋が描かれたりするのだが、残酷な結末が待ち受けている。
この映画では沖田が鳥羽・伏見の戦いの伏見の戦いに参戦したことになっている。実際には、この直前に労咳にかかったようで大坂城に運ばれて療養生活に入っていて参加はしていない。大坂城に向かう直前まで京の街の警護に当たっていたという記録はあるため、労咳にかかったのはこの頃だと推測されている。
新選組は伏見奉行所に籠もり、先陣を受け持って、薩摩軍が陣を張る御香宮に斬り込むのだが、薩摩の鉄砲隊と大砲に歯が立たず、土方も「刀の時代は終わったな」と悟る。ちなみに良いロケ場所がなかったようで、商人の街・伏見とは思えない荒野で戦いが行われている。

江戸に帰った沖田は、もう猫も斬れないことを嘆く(これも子母沢寛の小説からのエピソードだと思われる)。

劇中、近藤勇が写真を撮るシーンがあるが、この場面は司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』にも出てくるよく知られた話をそのまま使っている可能性がある。当時はバカ殿のように白化粧をして30秒ほど静止していなければならなかった。座っている場面はまだ良いが、立っている姿を撮る場合はふらつくので何かにもたれていた。坂本龍馬が台にもたれているのはそのためである。
こうして今に残る写真を収めた近藤勇だが、沖田が猫も斬れないと嘆くよりも前に流山で投降。旗本・大久保大和を名乗るが、元新選組隊士が維新軍に参加していたため、素性が割れて板橋で斬首となり、首は京の三条河原に晒された(行方不明になるが、幕府方の何者かが首を奪還して埋葬したと思われる)。
土方も箱館の蝦夷共和国で陸軍奉行並まで出世するが、二俣川の戦いで流れ弾に当たって戦死する。
そして沖田は近藤の死も知らぬまま、一人寂しく散るのだった。
最後は、多摩地方を思いっきり駆けていく若き日(享年もかなり若いが)の沖田の姿で終わる。


音楽は敢えて時代劇風のものを避け、カントリーミュージックのようなものが多い。沖田が主人公ということで、これまでの新選組映画とはひと味違ったものを目指したということもあるだろう。
おそらく新選組好きにとっては物足りない内容となっているので(近藤も芹沢も清河も出てくるだけで、どんな人物なのか描かれていない。伊東甲子太郎は顔を見せるだけだが嫌な奴なのが分かる)お薦めは出来ないが、草刈正雄のような昭和の男前の活躍を楽しみたい人には推せるだろう。

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2025年9月26日 (金)

追悼・栗塚旭 これまでに観た映画より(401) 「燃えよ剣(土方歳三 燃えよ剣)」

2025年9月21日

先日亡くなった栗塚旭追悼ということで、主演映画「燃えよ剣」を観る(公開時のタイトルは「土方歳三 燃えよ剣」)。1966年、松竹の制作。栗塚の代表作である。今では土方歳三役というと、大河ドラマ「新選組!」と箱館での土方を描いたそのスピンオフ、朝ドラ「あさが来た」などで、計7回も土方を演じている山本耕史がまず頭に浮かぶと思うが、その前は土方歳三役といえば栗塚旭であった。テレビドラマでも土方を何度も演じたのだが、それらは映画とは異なり、配信などで見ることは出来ない。
原作は司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』。それまで新選組不動の一番人気は近藤勇であったが、この小説によって土方がトップに躍り出たという伝説の作品である。ただ新選組に関しては史料が少ないためフィクションの部分が多く、私は余り好きではないし、『竜馬がゆく』や『峠』などに比べても完成度では落ちると思われる。なお、「燃えよ剣」は、数年前に岡田准一の土方で新たな映画が撮られているが、そちらは観ていない。

司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、比較的厚めの文庫本2冊からなるため、そのまま1時間半の映画に収めることは不可能で、小説と映画は別物である。

監督:市川泰一。脚本:加藤泰ほか。主演:栗塚旭。出演:和崎俊哉、石倉英彦、小林哲子、高宮敬二、戸上城太郎、天津敏、北村英三、内田良平ほか。ナレーション:芥川隆行。

元田中にアトリエを構えていた京都の新劇の劇団、劇団くるみ座(21世紀に入ってから座員不足のため解散)が全面的に協力している。ちなみに私は、元くるみ座の女優さんと知り合いである。おばあちゃんだけど。


土方歳三が江戸の試衛館道場から、日野の実家に帰る途中が物語の開始である。土方は男前なので橋を渡るときに百姓娘に冷やかされる。橋を渡り終えた直後、道楽者の若い武士と女郎の若い女が駆け落ちを図るも村人達に見つかって窮地に追い込まれている場面に出くわす。土方は、「穀潰しは好きじゃない(武士と言えば聞こえはいいが、太平の世では生産性皆無で禄を食む遊民のようなものであり、土方は本来の意味とそちらと二重の意味で言っていると思われる)」と言いつつ、武士が殺されると女を守るために百姓相手に大立ち回りを繰り広げる。その際、土方は肩に担いでいた真剣で農民に斬りつけて、長老格の男性からとがめられている。土方は真剣の他に農民から奪い取った長くて丸い武器を持っている。新選組の剣法である天然理心流は竹刀よりも真剣と同じ重さの木刀で稽古することが多かったので、木刀だと思われるのだが、棍棒のようにも見える。あるいは藁を束ねて何かで外に巻いたものか。叩き付けたときにたわむなど柔らかいので吉本新喜劇の乳首ドリル棒も思い浮かぶ。本当の木刀で斬りつけたら役者が大怪我をするのでこの辺は見逃すべきであろう。

土方が里帰りしたのは、その日が日野の神社の年に一度の大祭だったからだ。この祭りは夜祭りで、神社の草叢で多くの百姓階級の男女が野合に及ぶ。
その夜、土方が神社の本殿の横を歩いていると(この場面は経年のためか見づらい映像になっている)、般若の面を被った女と出くわす。普通だったらそんな頭のおかしそうな女は無視して通り過ぎそうなものだが、土方は余程女好きなのか、女を抱きしめる。女の面が外れ美しい輝く。二人はそのまま……。

土方が日野に帰る途中に大立ち回りをした直後、八王子百人同心が日野の道場を破りに来たという情報を得て、土方はその足で佐藤彦五郎の家に向かっていた。ここが日野における天然理心流の道場となっている。天然理心流はメジャーな流派ではなく、江戸ではなかなか門人が集まらない。そこで多摩地方まで出稽古を行って門人を増やしていた。八王子の同心達はそれが気に食わなかったのだと推測される。道場破りに来たのは二人。道場主の比留間(ひるま)と六車(ろくしゃ)という若い男である。天然理心流四代目宗家の近藤勇が日野まで出稽古に来ているという噂を聞きつけて来たらしい。近藤は「天然理心流は実践的な剣法で、竹刀で戦うと弱い」という意味のことを説明し、他の者も百姓相手の田舎剣法なので「八王子の同心の島を荒らすことはない」といった意味のことを述べるが、六車は竹刀での戦いを挑む。
土方が名乗りを上げる。小手で六車が勝ったように見えたが、近藤は、「真剣だったら小手を決める前に、顔中と尻を斬られてる」と語る。「だが、尻に一本てのは(剣道ではねえなあ)」ということで六車の勝ちとなる。納得のいかない土方は近藤と土手の上を歩きながら「真剣なら絶対に自分が勝っている」と力説する。近藤も分かっているのだろうが、真剣で立ち合いという訳にもいかない。
翌朝、土方の姉が女の道具を土方の部屋で見つけ、それが神官の娘である佐枝のものであることに気付く。女の正体を知った土方はその夜に神官の家に忍び込み、道具を返して佐枝と抱き合う。
塀を乗り越えて帰る際、土方は見張っていた六車に声を掛けられる。「夜這い剣法」などとからかわれた土方は、六車と真剣で対戦。惨殺する。それが土方初の本格的な人斬りであった。

六車と戦った場所で真剣で素振りをしていた土方を見つけた佐枝は、「歳三さん」と呼ぶ。二晩だけのほぼ無言の相手だったため、「どうして俺の名前を知ってるんだ」と土方はいぶかるが、佐枝はそれには答えず、「やはり斬ったのはあなたなんですね」と素振りをしていただけなのに見抜く。

八王子同心が小石川柳町の試衛館(試衛館という名前は史料には出てこず、試衛とあるだけなのだが、「試衛」だけでは道場らしくないので、「他の道場には『館』が付く」ということで取りあえず試衛館と呼ばれている。また試衛館の跡地が特定されたのは最近で、最寄り駅の名前から市ヶ谷と呼ばれることが多い)に押し寄せ、七里研之助(しちり・けんのすけ。「燃えよ剣」の重要人物だが、司馬が創作した架空の存在である。演じるのは内田良平)が六車に代わって土方と対戦。竹刀での対戦だったが、土方が強いことが分かる。だがそれは正統的な太刀筋ではなく、すねを斬るなど卑怯な剣法である(天然理心流は頸動脈を切って絶命させるというとどめの刺し方まで教える残忍さを持つ)。七里は、「すね斬り剣法」と呼び、六車が数人がかりで殺されたという同僚の推理は誤りで、土方一人が斬りまくったのだと見抜いた。

その夜、七里が馬を駆って試衛館の門前に来て決闘を申し出る。刻限は明日の夕刻、分倍河原に架かる橋の上にて。その夜、分倍河原(今は東京都府中市の地名として知られている。古畑任三郎の自宅があることで有名)の河原を歩く土方と沖田。原作ではここで尾籠な話があって笑えるのだが、勿論、映画でそんなものを撮るわけにはいかない。
試衛館方は約束通り二人だが、七里の方は大人数。だが土方も沖田もそれを読んでおり、阿修羅の如く戦う。土方の映画なので土方を演じる栗塚の殺陣が中心で沖田は余り目立たないが。
七里は土方への復讐を誓う。


その後、舞台は京都へと移る。清河八郎(本名:斎藤正明)の案による浪士組に試衛館の面々は応募。中仙道を西に向かう。天然理心流宗家である近藤も浪士組では平隊士。一方、昼間から瓢箪徳利を仰いで酒を飲んでいる芹沢鴨ら水戸の一派は扱いが上である。沖田総司はそれが不満だが、この映画では芹沢鴨は水戸の天狗党に参加し、名を挙げているため仕方ないという結論になる。芹沢鴨の正体については今も詳しくは分かっていない。中世には芹沢城の城主を務めたという名家の出身とされるが、現在の芹沢家の人々も鴨との関係については把握し切れていないようである。近藤は芹沢について、「元の名は下村嗣司といい、水府(水戸)脱藩」と記している。芹沢家から下村家に養子に出された者はいるそうで、それが鴨かどうかは分からないが下村嗣司という人物が実在し、天狗党に参加したことが分かっている。が、斬首されたことが確実視されている。斬首された人物が生きている訳もないので、近藤の記述とは異なり、芹沢鴨と下村嗣司は別人と考えるほかない。という訳で謎だらけの人物である。芹沢には平間重助というお付きの老人がおり、殿様とまでは行かないまでも良家の出らしいことは分かる。
芹沢が残した有名な和歌がある。「雪霜に色よく花の魁けて散りてものちに匂ふ梅が香」というものだが、かなり出来が良い。新選組に詳しい人に、「梅が香」というのは藤田東湖を詠んだものだろうと教わったが、平安時代に雪や霜が梅に例えられたことは、『古今和歌集』や『新古今和歌集』などを読んだことのある人でないと知らないはずで、詠めない歌でもある。かなりの教養人であったことは間違いない。
また松平容保公や清河八郎と知り合いだったという話もあり、どこまでが本当なのか分からないが、不可思議な人物である。
この映画は、土方歳三が主役なので、芹沢の扱いは低いが、新徳寺での清河八郎の「江戸に戻って攘夷の先駆けとなろう」という提唱に近藤や土方が反発し、京に残ることに決めた際、芹沢も残そうと話したのは、この映画では他ならに土方であり、「芹沢なら会津守護職(京都守護職の松平容保)と引きがある(縁がある)」と、司馬の原作にはなかったはずの「容保公と芹沢は知り合いだった説」を打ち出している。史実でも瞬く間に松平肥後守御預となっているが、これは容保公がよく知る人物が浪士の中にいないと無理かも知れない。ただその後、それとは矛盾した「土方の奔走により新選組結成」というナレーションが入る。芹沢はどうしたのかと思うが、土方の映画なので土方の手柄にしないとまずいのだろう。
ちなみにこの映画の芹沢はかなり弱く、あっという間に刺殺されている。罪状は「士道に背いた」からであるが、「一、士道に背くまじきこと」で始まる「局中法度」は史実通り芹沢粛正後に定められたことになっているので矛盾している。「局中法度」については、永倉新八が、「そのようなものがあったのは覚えているが、内容は覚えていない」と証言しており、実在したかどうかは不明。だが、永倉が覚えていないということは、あったとしても幹部ではなく平隊士向けだったのだろう。
その他の水戸派の人々も弱い人物として描かれ、新見錦は、切腹も自分一人では出来ない臆病者ということになっている(新見錦が「新選組局長」を名乗る場面があるが、史実ではその少し前に「なんらかの理由」で局長から副長に降格となっている。なのでこのセリフは厳密には誤り。ただ史実を述べていくと切りがない)。

芹沢と清河が知り合いだったという話は今の茨城県の水郷地帯に残っており、清河が天狗党時代の芹沢を訪ねてきて「芹沢先生」と呼んだというものだが、これが何を意味するのか分からない。清河八郎というと今でこそ「うさんくさい奴」「策士」というイメージしかないが、生前は江戸で学問と武道の両方の道場を開き、一廉の人物として幕府からも信用されていた。

この映画では、芹沢が清河を切り損ねるシーンがあるが、史実では新徳寺で激怒した浪士の一部が清河を斬ろうと探るも、それを逃したのが芹沢である可能性も高いように思われる。芹沢は尊皇攘夷の総本山である水戸藩の出身なので、清河とは思想が一致しているのだ。芹沢も「清河を斬る」と出掛けたようだが、余り動いた形跡は見られない。

土方は、佐枝の家に招かれる。掛け軸の上には、あの般若の面。(攘夷派と親しい)九条家に仕えているので、協力せざるを得ないと語る佐枝。

壬生浪士組は京で討幕派を退治し、知名度を上げるが、水戸派が豪商の大和屋を揺するなど(焼き討ちではなく大砲を一発という設定)したため、会津本陣(黒谷こと金戒光明寺)で会津藩家老(神保修理であろうか。名前は出てこない)から、「芹沢『先生』の行状が問題」と言われる。寺院の方丈を巡りながら、土方は「芹沢を斬れということさ」というが、この時点では近藤は芹沢粛正に反対のようである。近藤のセリフから、容保公と芹沢はやはり面識があり(それゆえに会津藩家老から「先生」と呼ばれる)、それを土方が利用したということが分かる(これが土方奔走の正体かも)。芹沢は身分は郷氏とされるが武士であり、共に農民出身の近藤と土方とは異なり、信頼もあるのだろう。
土方は、「俺こそが武士だ」と誇りを見せる。

四条小橋の西で討幕派の古高俊太郎が捕らえられ、壬生前川邸屯所で拷問が行われて、「京を火の海にし、帝を長州へとお連れする」という謀議の内容を白状する。次の謀議が行われるのは木屋町三条上ルの丹虎(跡地の入り口に「武市瑞山(半平太)寓居の地」の碑が残る。以前は、私の父方の祖母の親戚が営む金茶寮という料亭になっていたのだが、10年ほど前に廃業してしまった。祖母は京都人である)。
一方、佐枝から土方に文が届く。会いたいという内容だ。沖田は「罠かも知れません」と忠告するが、土方は「なら罠にかかるまでよ」と出掛ける。
文は佐枝のものではなく、七里らの罠であった。沖田が手配したようで、新選組の隊士達が駆けつけ、大立ち回りは回避される。
だが、新選組監察・山崎烝(すすむ)は佐枝のことを始めから怪しいとにらんでおり、謀議のことも知っている可能性が高いとして、壬生で拷問に掛ける。佐枝は「三条小橋の西、池田屋」と白状する。池田屋は密議の場所の候補に入っておらず、隊士達は店の名前も知らなかった。

池田屋事件の日。土方は敢えて丹虎に向かう(本物の土方も池田屋よりも先に丹虎に行っていることが史料や証言で分かっているが、誰もおらず空振りだった)。七里が待ち受けていると読んでのことだった。なお、史実とは異なり、副長(のち総長)の山南敬助も討ち入りに加わったことになっている。謀議の首謀者として、「肥後の宮部、長州の吉田、土佐の北添、野呂山」が挙げられているが、この中に一人、難読姓の人がいる。すぐ分かると思うが野呂山である。「野呂山」と書いて「ところやま」と読む難読姓だ。この頃は研究が進んでいなかったので、そのまま「のろやま」と呼ばれている。
この時、土方は定紋である左三つ巴ではく、丸に左四つ巴の紋が入った羽織を着ているが、祇園祭の最中なので、神紋と同じ左三つ巴を避けたのだと思われる。家紋はいくつ持っていても構わない。
丹虎での七里派との対決の後、七里は「俺は池田屋に向かう」と宣言し、主戦場は池田屋に移る。史実だと、討幕派が新選組の討ち入りを聞いて、すぐに行灯を消したため、旅籠の中は真っ暗だったが、当時のカメラの技術ではそれでは映画にならないので灯がついた状態での戦いとなる。一際凜々しい志士は宮部鼎蔵、二階から滑り落ちたのは、とある理由により吉田稔麿だと推測される。新選組の剣豪として知られるのは、沖田、斎藤、近藤、永倉、人によっては芹沢や藤堂、大石らで、土方は入っていないことが多い。実際、土方には「稽古に余り熱心ではなかった」という話もあり、その分、知謀を武器としていた。その点で山南と重なるため、後の山南切腹に繋がる可能性はありそうだ。やはり同じタイプの伊東甲子太郎(伊東摂津)も粛正されている。

不安を感じ、佐枝の家に向かう土方。佐枝は自刃して果てていた。

池田屋事件で全国に名を轟かせた新選組。その後に幕臣に取り立てられ、土方は初めて武士の身分となる(近藤は義父である天然理心流三代目宗家の近藤周助の養子になった時点で士分になっている。近藤周助も名主とはいえ農民から武士になった人である)。

池田屋事件の歴史的意義であるが、「維新を数年遅らせた」という定説がある一方で、歴史学者の中村武生(一応、知り合いである)は、「長州軍が京に進発することは池田屋事件の起こる前から決まっており、早まっても遅れてもいない」として影響はなかったと結論づけている。また桂小五郎は事件が起こった際に池田屋にいた可能性が高いとしている。

東寺の五重塔をバックに、明日を見据える土方の横顔で映画は終わる。


モノクロ映画で、モノクロは光と影の芸術だけにライティングなどを含めて優れた出来を示している。経年劣化と思われる場面だけが残念。
またこの時代は、今ほどマイクが高性能というわけではなかったこともあってか、発音の明瞭さ重視のセリフ回し。一音一音をはっきりと発音する。ナチュラルなセリフではないが、舞台が幕末なので、今の人と同じような喋り方をしている人が多かったとも思われず、この辺は違和感はない。一方で、セリフを補うための表情の演技が目立つ。
今回の栗塚による土方はハードボイルドな感じで、くさいセリフも多いが、意味がよく分からない俳句を沢山残している土方なので、そういうことを言うこともあったかも知れない。

最も見事なのは殺陣である。時代劇の盛んな時代、太秦の大部屋で「殺陣でのし上がってやる」と考える若者もいただろう。朝ドラ「カムカムエヴリバティ」の世界である。朝から晩まで撮影所内の道場で殺陣。
今は時代劇も殺陣の名手が減り、安全面優先であるため、「斬れるのに斬らない敵方」が散見されることが「時代劇あるある」に入っていたりするが、この映画では斬っては避けの繰り返しで、今よりもずっと迫力がある。殺陣の人材不足が続くと、将来は殺陣の場面は、主役級以外はAIが担うことになるかも知れない。

池田屋事件というと階段落ちだが、それはなく、二階から落ちる者2名、滑り落ちて切腹した者が1名である。切腹したのはおそらく吉田稔麿であると思われるが、字幕もなにも出ないので不明。実際には吉田は池田屋を抜け出し、長州藩邸の門の前まで援護を頼みに行くが、桂小五郎が「無関係なので応じないように」と厳命したため開けて貰えず、帰る途中の加賀藩邸前で切腹したと伝わっている。「生きていれば首相になれた」という逸材であり、橘を氏とする数少ない有名人の一人である。
土方は池田屋中を歩き回った後で、玄関付近で七里研之助を倒すが、実際、池田屋事件の時には土方は積極的には戦わず、入り口付近で後から駆けつけた会津藩など味方の軍勢を止め、手柄を新選組で独り占めしようとしていたという話が残っていることから、理には叶っている。

謎の女、佐枝であるが、攘夷派の九条家に仕えることになったので、土方を敵に回したということになっている。だが、それよりも、最初から長州の間者であると考えた方が辻褄は合う。最後も口を割らないために自刃したと。だが、それは、無名道場の食客の一人を監視する意味があるとすればである。後の土方を知っていればそれもあり得るが、未来を見通せる者などいない。
ということで、土方の名前を知っていたのは前から土方に惚れていたから、土方が六車を斬り殺したと判断したのも土方の行いが普段とは異なっていたからであろう。自刃の理由であるが、討幕派の謀議が行われる場所を池田屋だと土方に教えてしまったからで、このままだと討幕派の残党にどんな目に遭うか分からないので自刃を選んだ。般若の面は彼女の内面を表したものではなく、土方との出会いを特別視していたため京の住まいに飾ったと解釈出来る。
ちなみに佐枝が「謀議の場は池田屋」だと明かしたことは土方が七里に告げてしまっている。七里は佐枝が嘘をついたので土方が丹虎に来たと思い込んでいるので驚く。結末は変わらなかっただろうが、土方はちょっと抜けたところがあるように思う。

男臭い俳優が多いのも特徴。今は男だか女だか分からないような俳優も多く、男臭い俳優は絶滅危惧種である。だが、時代劇には男臭い俳優の方が似合う。

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2025年9月20日 (土)

これまでに観た映画より(400) 伊藤沙莉主演「風のマジム」

2025年9月12日&18日新京極のMOVIX京都、9月14日 梅田の大阪ステーションシティシネマにて

日本映画「風のマジム」を観る。実在の人物をモデルに、原田マハが書いた同名小説の映画化。監督:芳賀薫(男性)、脚本:黒川麻衣、企画プロデューサー:関友彦、音楽:高田漣、主題歌:森山直太朗「あの世でね」。5人とも私と同世代である。
出演:伊藤沙莉、染谷将太、シシド・カフカ、富田靖子、小野寺ずる、橋本一郎、眞島秀和(ましま・ひでかず)、なかち、下地萌音(しもじ・もと)、玉城琉太(たましろ・りゅうた)、肥後克広、川田広樹(ガレッジセール)、尚玄、滝藤賢一、高畑淳子ほか。
沖縄が舞台。契約社員の女性が、ベンチャーコンクールに応募したことで、沖縄のサトウキビを原料にしたラム酒を開発し、子会社の社長にまで上り詰めるサクセスストーリーであるが、主人公の伊波(いは)まじむ(伊藤沙莉)がギラギラした女性ではないため、爽やかな余韻を受ける。まさに「風のマジム」だ。

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まじむの祖母(おばあ)、伊波カマル(高畑淳子)が豆腐を作る音が、画よりもまず印象に残る。その後、まじむの母(おかあ)であるサヨ子(富田靖子)が朝食の準備をし、まじむが起きてきて、サヨ子に言われたことをやっているうちに、まず、まじむが主題歌の「あの世でね」をハミングし、サヨ子やカマルがそれにつられるようにユニゾンする。印象的な冒頭である。その後、森山直太朗が歌う「あの世でね」のアンプラグドバージョン(全編は分からないが映画で使われるのはアコースティックギター弾き語り)が流れ、映画のラストでは弦楽器が盛大になるフルバージョンが流れる。
更には、高畑淳子と富田靖子が二人で、「てぃんさぐぬ花」を歌う場面もある。なお、まじむには父親がいないが、そのことに関しては特に触れられていない(原作には書かれている)。

おばあ役の高畑淳子の見事なウチナンチューぶりが特筆事項。逆に、「あれヤマトの役者だよ」と言われても「嘘でしょー」と言われる水準である。余談であるが、高畑淳子は脚本が読めないタイプだそうである。脚本を一から読むと寝てしまうので、自分のセリフを一つ一つ書き出し、家の中のあちこちに貼って、通り過ぎるたびに見て覚えるそうだ。一口に役者といっても色々な人がいる。

おばあは豆腐屋を営んでいるが、あれはセットではなく、実際に今も豆腐店を営業している場所を借りて撮影したそうだ。伊藤沙莉と高畑淳子による印象的な場面があるのだが(特に伊藤沙莉は真骨頂発揮)、伊藤沙莉の後ろの裏に、本物の豆腐屋の人が隠れていて、その場面を見て大泣きしていたそうである。

 

まじむという変わった名前であるが、「ちむ」というのは沖縄で「魂、肝、心」のこと。それに「ま」が付くということで、「真心」という意味である。

伊波まじむは、那覇にある比較的大きな通信会社・琉球アイコムの契約社員である。沖縄という元々は別の王朝があった独特の風土に憧れて、本土から沖縄の大学に進む人もいるが、沖縄の産業は観光と農業に依存しており、就職先が見つからないため、ほとんどの人が本土に戻って就職するという「通過する場所」の性質を持つ。そういった意味では京都に似た部分がある。沖縄では稼げないので本土に出る沖縄の人も当然おり、千葉(台湾のスター、金城武の父親は沖縄の人であるが、金城武の自身の本籍は千葉県である)や京都といった私と関係のある土地も移民は多い方だが、最も多いのはほぼ全部埋め立て地という大阪市大正区で、大阪の沖縄といった趣であり、関西で沖縄関連のイベントを行うとなると、まず大正区の人が駆り出される。

まじむも正社員での就職が叶わず、契約社員に甘んじている。契約社員も正社員を手伝ったりすることはあるが、責任ある仕事は任されない。責任は正社員が取るもの。そして契約社員では、いつ契約を切られるか分からないので、任せるわけにはいかないのだ。日常の職務もパソコンでのデータ入力や書類のシュレッターがけだったり、正社員が食べるお菓子の補充と買い出し、といってもお菓子を食べているのはほとんど仲宗根光章(「沖縄の一発屋」こと仲宗根美樹と同じ苗字。演じるのは橋本一郎)一人だけなので、使いっ走りだったりである。仲宗根個人の趣味に沿ったお菓子の買い出しが業務としてセーフなのか分からないが、とにかく雑務だけである。キャリアなど身につかない。

いつもお昼を一緒に食べているテルちゃんは司法書士の試験に合格。新たなる道を歩むことになった。「ここにずっといても良いことなんてないんだから」と忠告するテルちゃんだが、元々就職口が少ないのだ。転職先もおそらくほとんどないだろう。そう言われてもなあ、という感じて屈託するまじむだったが、シュレッダーがけの最中に社内ベンチャーコンクールのチラシを発見し、「※契約社員含む」の文字を見つけて、挑んでみる気になる。ちなみに契約社員の中で応募したのはまじむだけだった。

まじむは行きつけのバーのマスター、後藤田吾朗(染谷将太)に入ったばかりのラム酒を飲ませて貰う。沖縄はサトウキビの産地であるが、沖縄のサトウキビを使ったラムについては、
吾朗「あんまり聞いたことないな」
ということで、沖縄産のサトウキビを使ったラム酒醸造の企画がまじむの頭に浮かぶ。
そして、まじむの企画は一次審査を通過し、更に最終候補の一つに残った。
だが、細部が詰められず、クールな先輩社員の糸数敬子(甲子園で活躍してプロにも入った糸数投手がいた。演じるのはシシド・カフカ)に相手が大幅にリードしていることを告げられる。
競争相手は、「養殖珊瑚」の企画を打ち出す男性社員の仲村渠(なかんだかり。昔、仲村知夏の芸名でデビューした仲村渠睦子という沖縄出身の歌手がいたが、売れなかった)悠太で、協力企業を見つけ、おおよその見積もりなども弾き出しているらしい。それに比べればまじむはアイデアがあるだけで、具体的な動きは何も行っていない。そもそも契約社員はそうしたビジネス的な仕事を任せて貰えないので、ノウハウもないと思われる。まじむは思い切って有給を取り(契約社員が有給を取るとよく思われない。というより日本の社会では有給は軽視されがちで、「取るのは悪」という風潮すらある)、沖縄一のサトウキビの産地である南大東島に向かう……。

 

2024年のJOAK制作のNHK連続テレビ小説「虎に翼」に主演し、驚愕の演技力を示して話題をさらった伊藤沙莉。その後、FODで配信された連続ドラマ「ペンション・恋は桃色3」に出演したが、それ以外はCMの仕事、ナレーション、ラジオ、バラエティ番組出演、イベント参加など、俳優の仕事は控えめだった。「風のマジム」も撮影自体は昨年の暮れに行われている。
高畑淳子、富田靖子という現代を代表する女優達と一族として共演という豪華さもあり、かなり手応えのある作品になっている。

伊藤沙莉の巧みな表情表現は真似の出来ないものである。泣きながら笑っているようなまなざしを見せた時も、「ああ、こんな演技も出来るのか」と感心した。

飲むとき食べるときの表情も良い。これほど美味しそうに飲んだり食べたりするのは彼女と稲垣早希ちゃんだけである。

そして髪型などに注意して見てみると面白いかも知れない。まじむの思考がさりげないところに現れていそうだ。

 

まじむは契約社員の時はキュロット(今はそういわないのかな)などラフな格好をしていたが、ベンチャーコンクールの最終候補に挙がり新規事業開発部の一員となって(身分は契約社員のままである)からは、毎回、日替わりのスーツで凜々しく決めている。伊藤沙莉は背が低いので、高身長の女優ほどには凜々しくならないが。
その代わり、とても可愛らしい。序に当たる部分で、南大東島のサトウキビ畑の間の道を一人でチョコチョコ歩いている姿は、「人間」というより「可愛らしい何か」である。

 

糸数はラム酒の醸造を東京で名声を上げている朱鷺岡明彦(ときおか・あきひこ。演じるのは眞島秀和)に頼もうとするが、糸数に勝手に付いて東京まで来たまじむは、朱鷺岡の、「沖縄本島にもサトウキビなんていくらでも生えてるんでしょう? 那覇の近くの、どこかその辺の適当な場所に」という言葉に、本土人の沖縄に対する無意識の見下しと不誠実なものを感じる。まじむは更に朱鷺岡に「南大東島に常駐で」という条件を出す。朱鷺岡は当然、南大東島行きを断る。
「沖縄の人で沖縄のサトウキビでラムを造ってくれる人でないと」と理想を口にするまじむ。やがて吾朗が瀬那覇仁裕(せなは・じんゆう。演じるのは滝藤賢一)という醸造家の名前を挙げる……

非常に爽快なサクセスストーリーだが、アドレナリンが増えるというよりも、柔らかなウチナーグチの効果もあってか、穏やかな幸せに浸れる映画である。

 

沖縄は、日本でありながら日本とは異なる文化を持った場所。ある意味、日本を相対化出来る場所である。

これは、まじむのサクセスストーリーであるが、沖縄のサトウキビ産のラム酒を思いついたのは、行きつけの吾朗のバーでたまたま新しく入ったラム酒を飲んだからであり、彼女が0から創造した訳ではない。その場にいたみんなのアイデアだ。「スーパーヒロインとその他」にならないのがこの映画の最大の美点の一つである。

契約社員でノウハウがないため(ベンチャーコンクールのオリエンテーションで、クールビズ期間とはいえまじむが一人だけ派手な格好でペンを走らせている場面があるが、会議に出たことがないので、要領が分からないのだろう)、居心地が悪そうなマジム。他の参加者が退出しても一人残ってメモなどを取っているが、新規事業開発部長の儀間鋭一(尚玄)に声を掛けられる。契約社員が出しゃばって応募し、その場から去らないので怒られるのだと思ったまじむが謝ると、「(悪いことをしていないのに)謝るのは止めなさい。君のアイデアが面白かったから通ったんだよ。堂々としていればいい」と言われ(この時の伊藤沙莉の目の演技も見事)、契約社員にありがちなマインドを変えて、資料作成などに意欲的に取り組みようになる。おばあやおかあは、「まじむは飽き性」だと思っていたが、ノートにびっしりと企画を書き込み、絵も自分で描くなど生き生きと制作を続ける。それはただ単にコンクールに勝ちたいとか、契約社員に甘んじている自分の力を見せつけたいとか、そんな野心がらみのものではなく、「自分がやりたいことを納得出来るようにやる」これだけで一点突破していく。嫌味なところがまるでないヒロインだ。

緩やかな時間の流れる映画である。日本は東京を軸にして動き、この映画の主な出演者もスタッフも普段は東京で仕事をしているのだが、東京的なものとは違った映画がまた一つ加わった感じである。

さて、この映画を観て、「うちゆ(浮世)わたら(渡ら)」

 

 

JR大阪駅ビル直結の大阪ステーションシティシネマで、「風のマジム」を観る。主演女優である伊藤沙莉と、監督の芳賀薫の舞台挨拶付きでの上映である。

チケットは事前に購入していた(満席であるため当日券は販売なし)が、発券機の前や、シアターに入るまでに長蛇の列が出来ていた。早めに出てきて良かったと思う。

大阪ステーションシティシネマに入るのは初めてである。ザ・シンフォニーホールでコンサートを聴いた後、阪急大阪梅田駅まで向かう際に大阪ステーションシティの横を通るのだが、だいたいがソワレを聴いているため、ステーションシティシネマではレイトショーしかやっていない、しかもレイトショーを観ると京都に帰れないという訳で縁がなかったのだ。

「風のマジム」の舞台挨拶は、先に東京都内の3カ所で行われ、今日は朝になんば、昼に梅田、そしてその後、名古屋に飛んで伏見(名古屋の伏見はJR名古屋駅と栄の中間にある)と名駅にある映画館で舞台挨拶を行う。
一昨日もMOVIX京都で「風のマジム」を観ているが、あれは予習で、今回が本番のつもりである。舞台挨拶は上映後に行われる。

客層であるが、比較的年輩の男性が多いような印象を受ける。おそらく上白石萌音のコンサートに来ていた客層と被っているはずで、朝ドラを見て知り、出来の良い娘や孫を愛でる気分なのだろう。

大阪ステーションシネマの3番シアターでの上映であったが、MOVIX京都よりもスクリーンの横幅が広く、MOVIX京都でははっきり見えなかった端の部分もクッキリ見える。
そして舞台挨拶ありということで満席。自然に笑いが起こったり、つられて笑ったり出来るので、映画館は満員の方が良い。そう思うと有楽町マリオンが懐かしくなる。

上映終了後の舞台挨拶で、芳賀監督は、「伊藤沙莉さんに主役をお願いしよう」と思い立ち、直筆の手紙を送ったことを明かす。伊藤沙莉はその手紙を読んで出演を決める。
基本的には出世するキャリアウーマンの話なのだが、バリバリのキャリアウーマンに見えてしまう人ではこの映画の流れに合わない。バリバリのキャリアウーマンを得意とする女優は比較的多く、伊藤沙莉も演じようと思えば演じられると思うが、そうではないヒロイン像が求められる。それが出来る女優は限られる。本当に難しい。伊藤沙莉は、その数少ない女優の一人だ。

まじむは、基本的には本質が変わらない人である。ベンチャーコンクールに応募してからも、スーツを着こなすようになってからも、基本的には自分が好きなことに正直な人だ。コンクールを勝ち抜くために、がむしゃらになってしまうようでは、まじむになれない。

スクリーンに映る人が伊藤沙莉と認識しながら、伊波まじむに見えてくる。彼女はそんな魔法を使える人だ。

伊藤沙莉は数種類の笑顔を操れるのだが、今回はクライマックスでどの笑顔を選ぶのか。観てのお楽しみである。

 

舞台挨拶。女性司会者の辻さんが進行する。まず伊藤沙莉が上手側から腰を低めにしながら登場。上下黒(に見えたがマスコミの写真で見ると濃い茶色だったようである)のスーツでシックである。オーラなどは感じられないが、そういう人でないとまじむは演じるのは無理だろう。続いて芳賀薫監督が現れた。

以前、もう四半世紀ほど前に川崎市の新百合ヶ丘の映画館で、富田靖子の舞台挨拶に接したことがあるのだが、「なんか異世界の人が来たなあ」という印象で、伊藤沙莉とは完全にタイプが違う。

沖縄映画となるとなんといってもウチナーグチが難しく、芳賀監督も俳優陣が出来ているのか判断が難しかったのだが、先行上映された沖縄では「自然に感じる」「聞きやすい」と好評だそうである。また、「この映画は本当に悪い人が一人も出てこないものにしたかった」と語る。悪い人が一人も出てこないと、ドラマとしては盛り上がらないのだが、この映画は「流れを見るような感覚」で観ることも可能であるように思う。

伊藤沙莉はウチナーグチの難しさについて、沖縄独特の言葉よりも「ありがとう」のようにヤマトでも日常的に使うがイントネーションの違う言葉の方がつられるために難しいと語る。音程に例えると「そこからそこ行く?」という言い回しも多いそうで、まるで服部良一のメロディーのようである。
ちなみにウチナーグチは癖になると抜けにくいようで、伊藤は、「滝藤さん、この間、沖縄弁喋ってました」と語って笑いを取っていた。

ちなみは伊藤は、大阪に来るとアメリカ村で服を探すそうで、草彅剛と相性が良さそうだ。また舞台「パラサイト」(WOWOWで放送されたものを録画してあるがまだ観てない)の大阪公演の際、打ち上げで古田新太に、「さきいか天」を紹介されて、「めちゃくちゃ美味しかった」と今、口にしているように語る。
大阪の印象については、「東京よりも優しい。『バカ』よりも『アホ』の方が優しい」(※個人の感想です)

本筋とは関係ないが、サトウキビ畑の間の道で、伊藤は野生のマングースを見たそうである。芳賀監督は遠くにいたが確認は出来たそうだ。

 

伊藤沙莉は、昨年秋の「PARCO文化祭」で見た時よりも顔がすっきりした感じ。個人的には前のような丸顔が好きなのだが(ちなみに私の妹が丸顔なんですね)。
沖縄で行き足りなかったところについては、「海」と語る。伊藤沙莉のお姉さんが海が大好きなのだが、その影響で伊藤沙莉も海好き。ただ水恐怖症で「完全カナヅチ」だったが、今度、水に深く潜る役を引き受けたそうで(詳細は不明)、水恐怖症克服も込めてプールに通い、15mほど潜れるようになったそうだ。ただクロールやバタフライなどは出来ないので、前への移動は2mほどらしい。潜る話は、今回の舞台挨拶でも話していた。また6月にUSJで行われた水鉄砲で遊ぶイベントにもシークレットゲストとして参加しており、それ以来の大阪だと話す。

伊藤沙莉は、「エゴサばばあ」を名乗るほどエゴサーチが好きで(彼女も含めて彼女の女友達は自分のことを「○○ばばあ」と呼ぶ習慣があるらしい)、「風のマジム」のエゴサーチで、「好きなことを諦めなくていいんだ」という感想を読んで感銘を受けたようだ。何かを与えられた気分になったのかも知れない。
更に伊藤沙莉は、「皆さんのところにも行きますので」と言っていた。

 

記者達によるフォトセッションの後で、観客のためのフォトセッションもあったのだが、スマホのカメラの機能が低い上に、沙莉さんも芳賀監督も両手を振っているので、良い写真は撮れなかった。取りあえず、アップするに堪える写真をXに文章と共に載せた。

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舞台挨拶も終わり、退場する沙莉さん。舞台上手端の端まで手を振り、階段を一歩降りたときも右手で手を振る。こちらは「大丈夫かな」と見守っていた。

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2025年7月24日 (木)

観劇感想精選(495) 広田ゆうみ一人芝居 別役実 「もうひとりの飼主」@アバンギルド京都

2025年7月10日 京都・木屋町のアバンギルドで観劇

午後7時30分から、木屋町のUrBANGUILDで、広田ゆうみ一人芝居「もうひとりの飼主」を観る。出演・演出:広田ゆうみ、演出協力:二口大学。
UrBANGUILDの入るビルは、入居する店舗が変わったようで、他の階から歌声が漏れてくる。

2002年に、私は京大のそばにあったスタジオヴァリエという小劇場で、広田さんの演じる「もうひとりの飼主」を観ている。ということで23年ぶりの観劇となった。「もうひとりの飼主」の戯曲に関しても読んだことはあるが、だいぶ昔のことなので内容などは覚えていない。

安マンションの1室が舞台。上手の奥に空間があることが察せられる。
作品の書かれた時代を考慮して黒電話が用いられている。23年前には辛うじて黒電話も「若者にとって見覚えのないもの」ではなかった。

23年前は、最前列で、客席の中央よりやや下手寄りの席を選んだはずだが、今日は前から2列目の中央より上手寄りの席に陣取る。

23年前は広田さんは紺の衣装であったが、今回も同様である。

この芝居は出オチのところがある。広田ゆうみ演じる女性が現れるのだが、エプロンに血痕が付いている。ということで、上手の奥にあるのは風呂場で、遺体が切断されているようである。ただ、お嬢様育ちの美人妻の犯罪として知られる新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件で、妻が夫を殺して一人でバラバラにしたが、ほぼ、頭部、上半身、下半身に分けられただけで、実際には女性一人がバラバラにする作業を行っても細かく刻み分けることは困難そうである。
一方で、同じ2002年に桐野夏生の長編小説を映画化した「OUT」が公開されている。私はMOVIX京都で観たが、それが初MOVIX京都だったはずである。深夜のコンビニ弁当製造に従事しているパートの主婦4人が、遺体解体業に手を染めることになる話で、今回の芝居を観て気に入った人(余り気に入られても困るが)は映画を観るか、原作を読んでみるのもいいかも知れない。

女性の正体であるが、「外出しない」とのセリフがあることから、引きこもりと思われる。神田須田町の精神科の話が出てくるが、おそらくここにかかっているのだろう。女性はローラという名の猫を飼っているが、実際には飼っているのは同じマンションの3階に住むクヌギという男であり、猫の名もメアリーだ。つまりこの女性が「もうひとりの飼主」としてローラを勝手に飼っているのである。引きこもりのローラというと、演劇好きの人はすぐピンとくると思うが、言葉以上の深い意味はないようである。あるとしたならかなり意味深いが。ちなみに別役は「消えなさいローラ」という作品も書いている。

女性の病状であるが、判然とはしない。ただ多重人格や解離性健忘症などの傾向は見られる。

「ひとのみち教会」という団体が出てくる。「ひとのみち教会」という団体は実在しないが、よく似た「ひとのみち教団」は実在する。現在の「パーフェクト リバティー教団」、「PL教団」である。おそらく「ひとのみち教会」は「ひとのみち教団」に由来すると思われるが、特に教義の話などは出てこない。
PL学園高校野球部の甲子園での活躍や、花火大会、PLタワー(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔)などで知られたPL教団だが、PL学園高校は野球部の廃部のみならず、今やP全校生徒が3学年合わせて46人しかいないということで、「永遠の学園」の廃校、ひいては教団の解散に繋がりそうである。
ちなみにPL学園高校に入るにはPL教の信者である必用があるのだが、お金を払うだけであり、払わなくなったら棄教ということになるので、プロ野球で活躍したPL学園出身の選手の多くは卒業後は棄教扱いになっていると思われる。
モデルになった教団が衰退している時代にこうした芝居を観ると、感慨深いものがある。「人生は芸術である」を教義としたPL教団だが、この人以外には余り響かなかったのだろう。

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2025年3月16日 (日)

観劇感想精選(485) 令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」 吉岡里帆×蓮佛美沙子

2025年3月9日 石川県七尾市中島町の能登演劇堂にて観劇

能登演劇堂に向かう。最寄り駅はのと鉄道七尾線の能登中島駅。JR金沢駅から七尾線でJR七尾駅まで向かい、のと鉄道に乗り換える。能登中島駅も七尾市内だが、七尾市は面積が広いようで、七尾駅から能登中島駅までは結構距離がある。

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JR七尾線の各駅停車で七尾へ向かう。しばらくは金沢の市街地だが、やがて田園風景が広がるようになる。
JR七尾駅とのと鉄道七尾駅は連結していて(金沢駅で能登中島駅までの切符を買うことが出来る。のと鉄道七尾線は線路をJRから貸してもらっているようだ)、改札も自動改札機ではなく、そのまま通り抜けることになる。

のと鉄道七尾線はのんびりした列車だが、田津浜駅と笠師保駅の間では能登湾と能登島が車窓から見えるなど、趣ある路線である。

 

能登中島駅は別名「演劇ロマン駅」。駅舎内には、無名塾の公演の写真が四方に貼られていた。
能登演劇堂は、能登中島駅から徒歩約20分と少し遠い。熊手川を橋で渡り、道をまっすぐ進んで、「ようこそなかじまへ」と植物を使って書かれたメッセージが現たところで左折して進んだ先にある。

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午後2時から、石川県七尾市中島町の能登演劇堂で、令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」を観る。吉岡里帆と蓮佛美沙子の二人芝居。

能登演劇堂は、無名塾が毎年、能登で合宿を行ったことをきっかけに建てられた演劇専用ホールである(コンサートを行うこともある)。1995年に竣工。
もともとはプライベートで七尾市中島町(旧・鹿島郡中島町)を訪れた仲代達矢がこの地を気に入ったことがきっかけで、自身が主宰する俳優養成機関・無名塾の合宿地となり、その後10年ほど毎年、無名塾の合宿が行われ、中島町が無名塾に協力する形で演劇専用ホールが完成した。無名塾は現在は能登での合宿は行っていないが、毎年秋に公演を能登演劇堂で行っている。

令和6年1月1日に起こった能登半島地震。復興は遅々として進んでいない。そんな能登の復興に協力する形で、人気実力派女優二人を起用した演劇上演が行われる。題材は、七尾城主だったこともある石川県ゆかりの武将・前田利家の正室、まつの方(芳春院。演じるのは吉岡里帆)と、豊臣(羽柴)秀吉の正室で、北政所の名でも有名なおね(高台院。演じるのは蓮佛美沙子。北政所の本名は、「おね」「寧々(ねね)」「ねい」など諸説あるが今回は「おね」に統一)の友情である。
回想シーンとして清洲時代の若い頃も登場するが、基本的には醍醐の花見以降の、中年期から老年期までが主に描かれる。上演は、3月5日から27日までと、地方にしてはロングラン(無名塾によるロングラン公演は行われているようだが、それ以外では異例のロングランとなるようだ)。また上演は能登演劇堂のみで行われる。

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有料パンフレット(500円)には、吉岡里帆と蓮佛美沙子からのメッセージが載っているが、能登での公演の話を聞いた時に、「現地にとって良いことなのだろうか」(吉岡)、「いいのだろうか」(蓮佛)と同じような迷いの気持ちを抱いたようである。吉岡は昨年9月に能登に行って、現地の人々から「元気を届けて」「楽しみ」という言葉を貰い、蓮佛は能登には行けなかったようだが、能登で長期ボランティアをしていた人に会って、「せっかく来てくれるんなら、希望を届けに来てほしい」との言葉を受けて、そうした人々の声に応えようと、共に出演を決めたようである。また二人とも「県外から来る人に能登の魅了を伝えたい」と願っているようだ。

原作・脚本:小松江里子。演出は歌舞伎俳優の中村歌昇ということで衣装早替えのシーンが頻繁にある。ナレーション:加藤登紀子(録音での出演)。音楽:大島ミチル(演奏:ブダペストシンフォニーオーケストラ=ハンガリー放送交響楽団)。邦楽囃子:藤舎成光、田中傳三郎。美術:尾谷由衣。企画・キャスティング・プロデュース:近藤由紀子。

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舞台美術は比較的簡素だが、能登演劇堂の特性を生かす形で生み出されている。

 

立ち位置であるが、上手側に蓮佛美沙子が、下手側に吉岡里帆がいることが多い。顔は似ていない二人だが、舞台なので顔がそうはっきり見えるわけでもなく、二つ違いの同世代で、身長は蓮佛美沙子の方が少し高いだけなので、遠目でもどちらがどちらなのかはっきり分かるよう工夫がなされているのだと思われる。

 

まずは醍醐の花見の場。秀吉最後のデモストレーションとなったことで有名な、今でいうイベントである。この醍醐の花見には、身内からは前田利家と豊臣秀頼のみが招かれているという設定になっており、おねは「次の天下人は前田利家様」になることを望んでいる。淀殿が秀吉の寵愛を受けており、子どもを産むことが出来なかった自分は次第にが狭くなっている。淀殿が嫌いなおねとしては、淀殿の子の秀頼よりも前田利家に期待しているようだ。史実としてはおねは次第に淀殿に対向するべく徳川に接近していくのであるが、話の展開上、今回の芝居では徳川家康は敵役となっており、おねは家康を警戒している。秀吉や利家は出てこないが、おね役の蓮佛美沙子が二人の真似をする場面がある。

二人とも映画などで歌う場面を演じたことがあるが、今回の劇でも歌うシーンが用意されている。

回想の清洲の場。前田利家と羽柴秀吉は、長屋の隣に住んでいた。当然ながら妻同士も仲が良い。その頃呼び合っていた、「まつ」「おね」の名を今も二人は口にしている。ちなみに年はおねの方が一つ上だが、位階はおねの方がその後に大分上となり、女性としては最高の従一位(「じゅいちい」と読むが、劇中では「じゅういちい」と読んでいた。そういう読み方があるのか、単なる間違いなのかは不明)の位階と「豊臣吉子」の名を得ていた。そんなおねも若い頃は秀吉と利家のどちらが良いかで迷ったそうだ。利家は歌舞伎者として有名であったがいい男だったらしい。
その長屋のそばには木蓮の木があった。二人は木蓮の木に願いを掛ける。なお、木蓮(マグノリア)は能登復興支援チャリティーアイテムにも採用されている。花言葉は、「崇高」「忍耐」「再生」。

しかし、秀吉が亡くなると、後を追うようにして利家も死去。まつもおねも後ろ盾を失ったことになる。関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍が勝利。まつの娘で、おねの養女であったお豪(豪姫)を二人は可愛がっていたが、お豪が嫁いだ宇喜多秀家は西軍主力であったため、八丈島に流罪となった。残されたお豪はキリシタンとなり、金沢で余生を過ごすことになる。その後、徳川の世となると、出家して芳春院となったまつは人質として江戸で暮らすことになり、一方、おねは秀吉の菩提寺である高台寺を京都・東山に開き、出家して高台院としてそこで過ごすようになる(史実としては、高台寺はあくまで菩提寺であり、身分が高い上に危険に遭いやすかったおねは、現在は仙洞御所となっている地に秀吉が築いた京都新城=太閤屋敷=高台院屋敷に住み、何かあればすぐに御所に逃げ込む手はずとなっていた。亡くなったのも京都新城においてである。ただ高台寺が公演に協力している手前、史実を曲げるしかない)。しかし、大坂の陣でも徳川方が勝利。豊臣の本流が滅びたことで、おねは恨みを募らせていく。15年ぶりに金沢に帰ることを許されたおまつは、その足で京の高台寺におねを訪ねるが、おねは般若の面をかぶり、夜叉のようになっていた。
そんなおねの気持ちを、まつは自分語りをすることで和らげていく。恨みから醜くなってなってしまっていたおねの心を希望へと向けていく。
まつは、我が子の利長が自分のために自決した(これは事実ではない)ことを悔やんでいたことを語り、苦しいのはおねだけではないとそっと寄り添う。そして、血は繋がっていないものの加賀前田家三代目となった利常に前田家の明日を見出していた(余談だが、本保家は利常公の大叔父に当たる人物を生んだ家であり、利常公の御少将頭=小姓頭となった人物も輩出している)。過去よりも今、今よりも明日。ちなみにおねが負けず嫌いであることからまつについていたちょっとした嘘を明かす場面がラストにある。
「悲しいことは二人で背負い、幸せは二人で分ける」。よくある言葉だが、復興へ向かう能登の人々への心遣いでもある。

能登演劇堂は、舞台裏が開くようになっており、裏庭の自然が劇場内から見える。丸窓の向こうに外の風景が見えている場面もあったが、最後は、後方が全開となり、まつとおねが手を取り合って、現実の景色へと向かっていくシーンが、能登の未来への力強いメッセージとなっていた。

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能登中島駅に飾られた舞台後方が開いた状態の能登演劇堂の写真

様々な衣装で登場した二人だが、最後は清洲時代の小袖姿で登場(ポスターで使われているのと同じ衣装)。劇場全体を華やかにしていた。

共に生で見るのは3回目となる吉岡里帆と蓮佛美沙子。吉岡里帆の前2回がいずれも演劇であるのに対して、蓮佛美沙子は最初はクラシックコンサートでの語り手で(ちなみにこの情報をWikipediaに書き込んだのは私である)、2度目は演劇である。共に舞台で風間杜夫と共演しているという共通点がある。蓮佛美沙子は目鼻立ちがハッキリしているため、遠目でも表情がよく伝わってきて、舞台向きの顔立ち。吉岡里帆は蓮佛美沙子に比べると和風の顔であるため、そこまで表情はハッキリ見えなかったが、ふんわりとした雰囲気に好感が持てる。実際、まつが仏に例えられるシーンがあるが、吉岡里帆だから違和感がないのは確かだろう。ただ、彼女の場合は映像の方が向いているようにも感じた。

 

二人とも有名女優だが一応プロフィールを記しておく。

蓮佛美沙子は、1991年、鳥取市生まれ。蓮佛というのは鳥取固有の苗字である。14歳の時に第1回スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックスという全国クラスのコンテストで優勝。直後に女優デビューし、15歳の時に「転校生 -さよなら、あなた-」で初主演を飾り、第81回キネマ旬報ベストテン日本映画新人女優賞と第22回高崎映画祭最優秀新人女優賞を獲得。ドラマではNHKの連続ドラマ「七瀬ふたたび」の七瀬役に17歳で抜擢され、好演を示した。その後、民放の連続ドラマにも主演するが、視聴率が振るわず、以後は脇役と主演を兼ねる形で、ドラマ、映画、舞台に出演。育ちのいいお嬢さん役も多いが、「転校生 -さよなら、あなた-」の男女逆転役、姉御肌の役、不良役、そして猟奇殺人犯役(ネタバレするのでなんの作品かは書かないでおく)まで広く演じている。白百合女子大学文学部児童文化学科児童文学・文化専攻(現在は改組されて文学部ではなく独自の学部となっている)卒業。卒業制作で絵本を作成しており、将来的には出版するのが夢である。映画では、主演作「RIVER」、ヒロインを演じた「天外者」の評価が高い。
2025年3月9日現在は、NHK夜ドラ「バニラな毎日」に主演し、月曜から木曜まで毎晩登場、好評を博している。
出演したミュージカル作品がなぜがWikipediaに記されていなかったりする。仕方がないので私が書いておいた。

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吉岡里帆は、1993年、京都市右京区太秦生まれ。書道を得意とし、京都橘大学で書道を専攻。演技を志したのは大学に入ってからで、それまでは書道家になるつもりであった。仲間内の自主製作映画に出演したことで演技や作品作りに目覚め、京都の小劇場にも出演したが、より高い場所を目指して、夜行バスで京都と東京を行き来してレッスンに励み、その後、自ら売り込んで事務所に入れて貰う。交通費などはバイトを4つ掛け持ちするなどして稼いだ。東京進出のため、京都橘大学は3年次終了後に離れたようだが、その後に大学を卒業しているので、東京の書道が専攻出来る大学(2つしか知らないが)に編入したのだと思われる。なお、吉岡は京都橘大学時代の話はするが、卒業した大学に関しては公表していない。
NHK朝ドラ「あさが来た」ではヒロインオーディションには落選するも評価は高く、「このまま使わないのは惜しい」ということで特別に役を作って貰って出演。TBS系連続ドラマ「カルテット」では、元地下アイドルで、どこか後ろ暗いものを持ったミステリアスな女性を好演して話題となり、現在でも代表作となっている。彼女の場合は脇役では有名な作品は多いが(映画「正体」で、第49回報知映画賞助演女優賞、第48回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞)、主演作ではまだ決定的な代表作といえるようなものがないのが現状である。知名度や男受けは抜群なので意外な気がする。現在はTBS日曜劇場「御上先生」にヒロイン役で出演中。また来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、主人公の豊臣秀長(仲野太賀)の正室(役名は慶=ちか。智雲院。本名は不明という人である)という重要な役で出ることが決まっている(なお、寧々という名で北政所を演じるのは石川県出身の浜辺美波。まつが登場するのかどうかは現時点では不明である)。

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二人とも良いとこの子だが、経歴を見ると蓮佛がエリート、吉岡が叩き上げなのが分かる。

カーテンコールで、先に書いたとおり小袖姿で登場した二人、やはり吉岡が下手側から、蓮佛が上手側から現れる。二人とも三十代前半だが、そうは見えない若々しくて魅力的な女の子である。

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2025年3月 2日 (日)

これまでに観た映画より(379) 「ホテルローヤル」

2025年2月23日

J:COMストリームで、日本映画「ホテルローヤル」を観る。直木賞を受賞した桜木紫乃の同名短編小説集の映画化。ホテルローヤルは、桜木紫乃の父親が実際に釧路で経営していたラブホテルの名称であり、モデルにもなっていると思われる。
短編集であるため、映画化は難しかったようだが、桜木紫乃が「全てお任せ」としたため、桜木の他の小説などを含めた独自のシナリオで撮られている。
監督:武正晴。脚本:清水友佳子。出演:波瑠、松山ケンイチ、余貴美子、伊藤沙莉、岡山天音、正名僕蔵、内田慈(ちか)、冨手麻妙(とみて・あみ)、丞威(じょうい)、稲葉友(ゆう)、和知龍範、玉田志織、斎藤歩(釧路市生まれで北海道演劇界の重鎮)、原扶貴子、友近、夏川結衣、安田顕ほか。音楽:富貴晴美。
北海道のマスコミも多く制作に協力しているが、なぜかメ~テレ(名古屋テレビ)が筆頭となっている。

時代が飛ぶ手法が用いられている。ラブホテルが舞台だけに、男女の入り乱れた関係が描かれる。
北海道釧路市。釧路湿原を望む地に、ラブホテル、ホテルローヤルが建っていた。現在は閉鎖されているが、ヌード写真撮影のために男女が訪れる。この場面に意味があるのかどうかは不明だが(原作には出てくる場面である)、過去のホテルローヤルの場面が断片的に浮かび上がる。

田中雅代(波瑠)は、ホテルローヤルを営む大吉(安田顕)とるり子(夏川結衣)の一人娘。絵が得意で札幌の美大を受験するが不合格となる(原作では大学ではなく就職試験全敗という設定)。浪人する余裕がないのか、進学を諦めて、実家を継ぐことになるのだが、その前に母親のるり子が不倫の末、駆け落ちする。実は大吉も元々の妻を捨ててるり子と一緒になったのだが、今度は逆に自分が捨てられる羽目になった。
ホテルの部屋の音は、換気口を通して従業員室で聞き取れるようになっている(他のラブホテルでもそういうことがあるのかどうかは不明)。

ホテルには様々なカップルが泊まりに来る。何度も泊まりに来る熟年夫婦(正名僕蔵と内田慈が演じる)、ホームレス女子高生の佐倉まりあ(伊藤沙莉)と担任教師の野島亮介(岡山天音)や台詞も特にないカップルなど。

従業員は、能代ミコ(余貴美子)と太田和歌子(原扶貴子)の二人だけだが、ある日、左官として働いていると思ってたミコの長男が実は暴力団員であり、犯罪で捕まったことがテレビで報道される。ミコの夫の正太郎(斎藤歩)は病気で働くことが出来なくなっており、息子から「給料が上がったから」と仕送りが届いたばかりだった。ショックの余り森を彷徨うミコ。正太郎が何とか探し出す。るり子は雅代に「稼ぎよりも自分を本気で愛してくれる人を見つけなさい」とアドバイスするが、その後に姿を消したのだった。

佐倉まりあは、17歳。おそらく近く18歳になる高校3年生だと思われる(原作では高校2年生)。母親が男と駆け落ちし、その後、父親も女の下へ走ったため、ホームレスとなった。担任教師の野島亮介とは、雨宿りのためにホテルローヤルに立ち寄った、というと嘘くさいが本当らしい。実際にまりあが野島を誘うシーンがあるが、野島は応じない。進学先の候補である専門学校に二人で見学に行ったのだが、まりあは進学する気はなく途中で姿を消し、その後に野島が追いついたらしい。まりあが通うのは偏差値が低めの高校のようで、まりあを演じる伊藤沙莉もそれっぽく振る舞っている(武監督から「口開けてろ」「余計なことしろ」との指示があったとのこと)。なので大学進学という選択はないようだ(現在の北海道は私立大学受難の地で、名門私立大学はあるが難関私立大学は存在せず、Fランクと呼ばれる大学が多いが、それでも両親がいないのでは金銭的に難しいのだろう)。
キャバクラごっこ(札幌のススキノという設定らしい)で自己紹介をするのだが、野島に「君はキャバクラには向かない」と言われる。野島は妻の不倫が発覚したばかりで、それも相手は身近な人物だった。この場面の意味であるが、まりあには実際に「キャバクラ嬢になる」という選択肢があったのかも知れない。
この二人が起こした事件がきっかけで、ホテルローヤルからは客が離れることになる。ちなみに野島や佐倉という役名は原作通り(野島は原作では下の名前が広之)だが、某有名ドラマへのオマージュだと思われる。某有名ドラマの女優さん(現在は引退)も伊藤沙莉同様、千葉県出身である。

ホテルローヤルにアダルトグッズ(大人のおもちゃ)を売りに来る宮川聡史(松山ケンイチ)。「えっち屋さん」と呼ばれているが、松山ケンイチが演じているため、雅代が宮川に気があるのはすぐに分かるようになっている。雅代はかなり暗めの性格で、男っ気は全くなく、実際に処女である。宮川が結婚したことを知った時、少しショックを受けたような素振りも見せるが、宮川もその妻が最初の女性という奥手の男性だったことが後に明らかになる。

ホテルローヤルの閉鎖後は、エピローグ的に若き日の大吉(和知龍範)と若き日のるり子(玉田志織)の物語が置かれ、雅代を妊娠した日のことが描かれる。


映画化しにくい題材のためか、ややとっちらかった印象があり、焦点がぼやけてしまって、「ここが見せ場」という場面には欠けるように思う。一番良いのは松山ケンイチで、北海道弁(釧路弁)も上手いし、少し出しゃばり過ぎの場面もあるが、商売に似合わぬ爽やかな青年で優しさもあるという魅力的な人物像を作り上げている。

当時、26歳で高校生役に挑んだ伊藤沙莉。若く見せるために体重を増やして撮影に臨んでいる。「好きなだけ食べて良いのでラッキー」と思ったそうだ。担任教師役の岡山天音とは実は同い年で高校1年の時に同じドラマに同級生役で出演(共にいるだけの「モブ」役だったそうだが)しているそうである。まりあは17歳、野島は28歳という設定であるが、この時の伊藤沙莉は色気があるので、高校生には見えないように思われる。実際、「これが最後の制服姿」とも語っていたのだが、その後も、Huluオリジナルドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」や、高校生ではなく高等女学生役ではあるが「虎に翼」でも制服を着ており、いずれも十代後半に見える。「ホテルローヤル」で女子高生に見えないのはおそらく、特に工夫のない髪型のせいもあると思われる。
トローンとした眠そうな目が様々なことを語っていそうな場面があるのだが、これは伏線の演技であることが後に分かる。
武監督は、キャストとしてまずまりあ役に伊藤沙莉を決めたそうだ。ただ童顔の伊藤沙莉も段々大人っぽくなってきていたため焦ったそうである。

長く舞台中心に活動していた内田慈が思いのほか魅力的なおばさん(と言ったら失礼かな)を演じていて、興味深かったりもする。

ただ、波瑠が演じる雅代が暗すぎるのが大衆受けしない要素だと思われる。波瑠を使うならやはり明るい女性をやらせて欲しかった。美大に落ちたことをずっと引き摺っているような陰気なヒロインではキャストが充実していても波瑠ファン以外の多くの人から高い評価を得るのは難しい。

音楽を担当しているのは大河ドラマ「西郷どん」などで知られる富貴晴美。私は連続ドラマ「夜のせんせい」(観月ありさ主演)の音楽などは好きである。タンゴ調の(「単語帳の」と変換された)音楽が多く、ピアソラの「リベルタンゴ」に似た曲もあるが、おそらくそうした曲を書くよう注文されたのだと思われる。

舞台美術は美しいの一言。

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2024年10月15日 (火)

「あさイチ Kira KIra キッチン」 麻生久美子 2024.10.8

2024年10月8日

NHK総合「あさイチ」。今日は「Kira Kira キッチン」と称して、調理を行いながら番組が進行するという趣向。ゲストは女優の麻生久美子。
麻生さんは、現在、NHK連続テレビ小説「おむすび」(橋本環奈主演)に主人公のお母さん役として出演中である。と書いていながら私は見ていない。「ブギウギ」は、笠置シヅ子をモデルとした音楽の話で、同い年の草彅剛が音楽家役で出ているので見たし、「虎に翼」は、日本初の女性法曹で、母校である明治大学出身の三淵嘉子がモデルであり、私も寅年(五黄の寅ではなく八白の寅)、主役を演じるのが同郷の伊藤沙莉ということで見る要素があったのだが、「おむすび」は麻生久美子が出てはいるがヒロインではないし、それだけではちょっと弱い。橋本環奈は嫌いではないが特に好きではない。そもそも彼女が出演した作品を数えるほどしか見ていないということで食指が動かなかったのである。同い年の北村有起哉など、良い俳優も出ているのであるが、舞台が福岡と神戸なので、余り惹かれないということもある(NHK大阪放送局=BK制作)。

神戸が舞台の一つということで、阪神・淡路大震災も絡んでくるはずである。

主人公は栄養士を目指すのだが、福岡には九州限定で栄養士の名門として知られる中村学園大学があり(全国区の知名度はない)、九州で栄養士を目指す子は大体、そこを目指すのだが、主人公は関西に出てきてしまうようである。「虎に翼」で主人公の伊藤沙莉演じる猪爪(佐田)寅子(ともこ)の母親、はるさん役を演じていた石田ゆり子は女子栄養大学の二部だったか、短期大学部だったかの出身で、栄養士のお母さん役には最適だったのだが、先の朝ドラに出てしまったので、今回は出られない。

麻生久美子は、1978年6月17日生まれ。千葉県山武(さんぶ)郡山武町(さんぶまち)の出身。現在は合併により山武(さんむ)市となっている。山武郡山武町は千葉県の中でも一番の田舎といわれているところで、映画「SF ショートフィルム」で麻生久美子の実家付近でのロケが行われているのだが、感心してしまうくらい何もないところである。ちなみに麻生久美子の実のお母さんとお婆さんが出演されている。
両親の中が悪く、離婚。父親は金遣いが荒くて粗暴でちょっと困った人だったようで、夫婦喧嘩の時に包丁を持ちだして、幼い麻生久美子が楯になって母親をかばったという話がある。弟と二人、母子家庭で育つこととなる。母親はスーパーで働いていたのだが、「ハンバーグやミートボールを貰ってきてくれるんですけど、どっちも一緒じゃないですか」という環境で育った。ザリガニを釣って、食べたこともあるのだが、後で「食べちゃいけない。細菌なんかがいるから」と言われたらしい。ただザリガニはエビの味がするのでごちそうだったそうである。

私も幼い頃に千葉県内にある母方の実家(田舎にある)でザリガニ釣りをして遊んだが、勿論、食べず、釣ったザリガニは祖父が海釣りのエサにしていた。余談だが、東京にはザリガニ料理が食べられる店があるらしい。

貧乏という理由でいじめられることもあったそうで、彼女は額の見えにくいところに傷があるのだが、幼い頃に石を投げつけられて出来たものである。また走る車の前に突き飛ばされそうになり、この時は母親が他の子どもたちの家に怒鳴り込んだそうだ。このお母さん、結構、スパルタで、麻生久美子がちょっと悪いことをしたら木に縛りつけて泣いてもわめいてもなかなか許さないということもあったらしい。そんな彼女であるが、幼い頃は、「自分は世界で一番可愛い」と思い込んでいるような、「今振り返ると嫌な子」だったようで、西田ひかるのファンであり、西田ひかるの顔のほくろがある場所をいじっていたら、ほくろが出来たという話もある。
お菓子系と呼ばれたライトなエロ目の雑誌にモデルとして出るようになり、コンビニかどこかに買いに行って、「お菓子系なのに、これ私」と周りに自慢して回ったという彼女らしいエピソードもある。
授業態度は真面目で、成績も良かったようだが、学区的には県立佐倉高校一校だけが飛び抜けた進学校で、その他は、誰でも入れるレベルの高校ということで、成績が良くても佐倉高校に行けるだけの学力はなかっためか、県立佐倉南高校に進学することになり、残念そうな発言をしていた記憶がある。「高校時代にはいじめられるし」と発言しているが、どちらかというとハブられていたというより、自分から壁を作っていて、余り周りとは仲良くしなかったようである。容姿的には幼い頃から別格扱いではあったらしい。
十代の頃は哀川翔に片思いしていて相手にされなかったようだが、哀川翔に「カンゾー先生」への出演を勧められ、ブレークすることになった。

割と開けっぴろげで、明るく、豪快に笑う性格。映画に出まくっているが、映画自体はそれほど好きではなく、余り映画は観ない。そのことで事務所に怒られたこともある。ただ映画が好きではないのに映画女優としてフィルムに収まることに疑問を感じた時代もあったようだ。

麻生久美子さんの映画の舞台挨拶には、二度ほど行ったことがあるのだが、最初はテアトル新宿で行われた、「贅沢な骨」の舞台挨拶付き上映。この頃はまだフィルムを使っていたので、フィルムトラブルがあって、上映が始まってすぐにフィルムが丸まって動かなくなってしまうため、3度やり直すという事件があった。
麻生さんによると、「贅沢な骨」は、上映出来るのかどうかまだ分からないまま撮り始めた映画であるとのことだった。
舞台挨拶が終わり、上手通路から退場する時に、お客さんの一人が手を差し伸べたらしいのだが、麻生さんは、「わー! 握手握手!」とはしゃいで自分から握手に行き、その後ろの席の人とそのまた後ろの人ーー多分、二人は手を差し出していなかったと思われるのだがーーとも握手をして、「アーッハッハッハッハッ!」と豪快な笑い声を残して去って行ったのをよく覚えている。「あー、この人、やっぱり千葉の女だわ」と思ったものだ(千葉の女性は豪快に笑う人が多い)。
好きな女優さんなので、色々知識があるんですね。ずっと書いていられるけれど、そんなことしても仕方がないので、今日の内容へ。


で、ここからが本編。番組が始まった時から、すでに麻生さんは調理中である。麻生さんは包丁でタマネギを刻んでいる。カメラが寄ってきて、「おはようございます」挨拶を行う麻生さん。今日の番組内容を紹介して。「嫌だもう、朝からすみません。恥ずかしい」と言う。その後も料理を行いながら喋っていく。指導は秋元さくらシェフ(フレンチ)。ひき肉のピカタを作っていく。

鈴木菜穂子アナウンサーに「お料理大好き」と言われた麻生さんは、「いやーもう、そんなに」と謙遜する。

後は基本的に調理が進んでいく。女優さんの家庭的な部分を見る機会は余りないので、貴重ともいえる。


麻生久美子のお気に入りの紹介。
ドイツの一口バウムのチョコレートがけとシンガポールのピリ辛ポークジャーキー。いずれも国内に店舗があるそうである(ポークジャーキーは東京のみ)。
多分、食べに行くことはないな。
手料理の紹介もある。ハンバーグ、春巻き、ブリの照り焼き。普通のお母さんの料理である。子どもたちが喜ぶので、春巻きを作ることが一番多いそうだ。


続いて山野辺仁(やまのべ・ひとし)シェフの指導で、秋のみそぼろ丼の調理。
基本的に麻生さんが料理しているだけの展開である。正直、大女優を使ってやることなのかどうか分からない。麻生さんは基本的にかなり良い人なので何でもやってくれるけれど。
今日は朝のNHKなので比較的落ち着いているけれど、実際はキャピキャピした明るい人である。

朝ドラ「おむすび」では、今のところギャルが重要なポジションを占めているようなのだが、麻生久美子も「ギャルやってみたかった」と述べた。実際にギャルであったこともないが(それほど彼女をよく知っているわけではないが、性格的に多分無理である)、麻生久美子がギャルを演じたこともおそらく一度もないと思われる。数多くの映画やドラマに出ている麻生久美子だが、実際の年齢より上の女性を演じることも比較的多く、落ち着いた役が多い。悪女役もやっていて、私は映画「ハサミ男」の知夏役が結構好きである。あの作品は、原作者も監督も残念なことになってしまったけれど。

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2024年5月27日 (月)

これまでに観た映画より(334) 草彅剛主演「碁盤斬り」

2024年5月20日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、草彅剛主演映画「碁盤斬り」を観る。白石和彌監督作品。草彅剛も白石和彌監督も私と同じ1974年生まれである。主演:草彅剛。出演:清原果耶、國村隼、中川大志、小泉今日子、音尾琢真、奥野瑛太、市村正親、斎藤工ほか。脚本:加藤正人(小説化も行っている)、音楽:阿部海太郎。エグゼクティブプロデューサー:飯島三智。
囲碁シーン監修:高尾紳路九段(日本棋院東京本院)、岩丸平七段(日本棋院関西総本部)。

落語「柳田格之進」をベースにしており、碁を打つシーンが多いという異色時代劇である。

撮影は昨年(2023年)の春に、京都、彦根、近江八幡で行われた。

元彦根藩進物番の柳田格之進(草彅剛)は、清廉潔白な人柄で、井伊の殿様からの覚えもめでたかったが、狩野探幽の掛け軸を盗んだ疑いで藩を追われて浪人となり、今は江戸の裏長屋で娘のお絹(清原果耶)と二人暮らし。長屋の店賃も滞納する貧乏ぶりである。ちなみに格之進の妻は琵琶湖で入水自殺している。格之進は篆刻を、娘のお絹は縫い物をして小金を稼ぐ毎日。吉原の女郎屋・松葉屋の大女将であるお庚(こう。小泉今日子)から篆刻を頼まれており、吉原に篆刻を届けに行ったついでに、お庚に碁を教える格之進。格之進は碁の名手であり、今日は裏技「石の下」をお庚に教える。お庚は篆刻の費用のついでに碁を教えて貰ったお礼代も払う。これで店賃を払えることになった格之進であったが、帰り道、馴染みの碁会所で囲碁好きの質両替商・萬屋源兵衛(國村隼)が賭け碁を行っているのを知る。格之進は金がないので刀を売ってしまい、脇差ししか差していない。一目で賭ける金のない貧乏侍と見た源兵衛だったが、格之進は勝負に乗る。腕は格之進の方が上だったが、途中で一両を払って勝負を降りてしまう。
その後、萬屋で不逞の侍が家宝の茶碗に傷を付けたと言い掛かりを付ける騒ぎがある。元彦根藩進物番の格之進は目利きであり、一発で偽物の茶碗と見抜く。恥をかいた侍は退散。源兵衛はお礼にと十両を渡そうとするが、潔癖な人柄の格之進は受け取らない。
格之進と源兵衛は碁を通して次第に親しくなり、度々碁を打つ関係になる。碁仲間を得た源兵衛は性格が和らぎ、それまでは「鬼のケチ兵衛」と呼ばれていたのが、「仏の源兵衛」と呼ばれるまでになる。清廉潔白で実直な人柄の格之進は、「嘘偽りのない手」を打つことを専らとしており、源兵衛も影響を受ける。碁が分からないので退屈していたお絹と萬屋の手代・弥吉(中川大志)は退屈している者同士、次第に親しくなる。格之進はお絹と弥吉に碁を教え、二人で碁の勝負をするよう勧めたことで、更に惹かれ合う二人。
しかし、ある日、格之進の元に、「柴田兵庫が探幽の掛け軸を盗んだことが分かり、すでに出奔した」という知らせが伝わる。柴田兵庫(斎藤工)と格之進は折り合いが悪く、彦根城内で斬り合いになったこともあった。更に兵庫が格之進の妻を脅して関係を迫り、それを苦にして妻が自殺したことも判明する。復讐心に燃える格之進。

中秋の名月の日。源兵衛に誘われて碁を打ちに出掛けた格之進。しかし碁の最中に柴田兵庫の話を聞いた格之進は、いつものような手が打てない。源兵衛の提案で対局は中止となった。対局の最中に淡路町の伊勢屋から五十両が源兵衛に届く。碁に夢中な源兵衛はその五十両をどうしたのか失念してしまう。番頭の徳兵衛(音尾琢真)が、柳田様が怪しいというので、弥吉を格之進の元に使いに出す。格之進は、弥吉を「無礼者!」と一喝した。しかし五十両といえば大金である。格之進は吉原のお庚に五十両を貸してもらい、お絹が自ら進み出て松葉屋に入ることになる。住み込みの小間使いだが、期限の大晦日までに返済しないとお絹も女郎として店に出ることになる。

柴田兵庫が中山道をうろつきながら賭け碁で稼いでいるという情報を得た格之進は、中山道を西へ。碁を打てる場所を片っ端から当たるが、兵庫は見当たらない。兵庫は六尺の大男で、格之進に斬られた片足が悪いという特徴があるので、他の人物よりは見つけやすいが、情報網の発達していない江戸時代にあって人捜しは困難を極める。塩尻宿で彦根藩時代の同僚、梶木左門(奥野瑛太)と出会った格之進。左門は潔白が証明されたので彦根に戻ってはどうかと格之進に告げる。だがそれより先に兵庫を探さねばならない。中山道に兵庫はいないと見た二人は甲州街道を下り、韮崎宿で兵庫とおぼしき男がいたという情報を手に入れる。その男は今は韮崎を去り、江戸の両国で行われる碁の大会に出ると話していた。二人は急ぎ江戸へと向かう……。

落語が原作ということもあり、昨日、志の輔の落語で聞いた「文七元結」にも似た要素が出てくるのが興味深い。金をなくす経緯や若い二人が祝言に至る過程などがそっくりだ。

普段は穏やかで知的だが、激高すると凄みの出る柳田格之進を演じた草彅剛。「白川の清き流れに魚住まず」と言われるほど生一本な性格で、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で演じた羽鳥善一とは真逆に近いキャラクターであるが、どちらも立体的な人物に仕上げてくるのは流石である。髭を伸ばした姿にも色気があり、普段バラエティーや彼の公式YouTubeチャンネルで見せる「親しみやすい草彅君」とは違った姿を見ることが出来る。
格之進は清廉すぎて不正を見逃せず、殿様に度々讒言を行って多くの者が彦根を追われている。そうしたどこか親しみにくい人柄や己に対する後悔も随所で表現出来ていたように思う。

格之進の娘・お絹役の清原果耶と萬屋の手代で源兵衛の親類に当たる弥吉を演じた中川大志は美男美女の組み合わせで、この作品における甘いエピソードを一手に引き受けている(格之進はああした性格なので女遊びはせず、色恋とも縁がない)。二人とも特別好演という訳ではなかったように思うが、若さ溢れる姿は魅力的だった。

敵役の柴田兵庫を演じる斎藤工は、まず容姿が格好いいが、格之進と反りが合わなかっただけで、根っからの悪人というわけでもなさそうな印象を受けるのは斎藤の持つキャラクターゆえだろう。

最初出てきた時は小悪党っぽかった萬屋源兵衛を演じた國村隼。身内にとにかく厳しい性格だったが、次第に和らいでいく様が印象的である。

ちなみに「キネマ旬報」2024年5月号の草彅剛へのインタビューと白石監督との対談には、草彅剛、國村隼、斎藤工らは囲碁の知識が全くないまま対局シーンに臨んでおり、囲碁のルールが分かっているのは本来は碁を知らないという設定のはずの清原果耶と中川大志の二人だけだったという逆転話が載っている。白石和彌監督は「碁盤斬り」を撮ることを決めてからスマホに囲碁のアプリをダウンロードしてやり方を覚えたそうである。

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2008年3月13日 (木)

サンドイッチ・デー

3月13日は「サンドイッチ・デー」。

サンドイッチは中国語で書くと「三明治(sanmingzhi)」。うーん。何なんだこの妙な音訳漢字の選択は。

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