演じる。稽古

「ひと・まち交流館 京都」の一室。机を片づけると稽古に十分なスペースが出来る。
正午に「ひと・まち交流館 京都」に着いて、一人、ウォーミングアップと軽い運動をしてから、自分で自分が書いた劇を演じてみる。私自身が演技をつけることも多いので、劇を十全に、声も含めた「身体」として捉えておこうと思ったのである。
自分が書いたテキストなので、演じるのは比較的楽である。セリフの緩急の付け方、間の取り方、声量、体の向き、セリフの背後の心理の真実と嘘、ある単語の別の意味へのすり替え。全てわかっている。しかし、全てわかっているということは仇になることが多い。私の思う全てが全てではないからだ。「全てわかっている」などという状態は本当はあり得ず、「全てわかったつもり」になっていることが常だからだ。自作自演の一人芝居の公演でも演出を立てることが多いのはそのためだろう。
永尾さんが到着したので、通し。順調とはいかないまでも、通す。この時点で順調に通せると却って恐いのでこれでいいのだろう。一箇所、「観客に伝わりにくいかな」というところがあるのでわかりやすくしてみる。自然さは失われたが、伝わらないよりは良いだろう。
後は前半の細部を詰めていく。決定はしない。可能性を拡げていく。もちろん優柔不断であってはならないから変えてはいけない場所は絶対に変えない。ただ流動的に。形も大切だが、崩しも大切。今回の一人芝居はむしろ崩しの方が大切だが、それはまた後日。
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