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2005/06/06

会津本陣跡

文久2(1862)年、金戒光明寺方丈は京都守護職・会津藩主松平容保の本陣となった。翌年、京都守護職屋敷が御所の西(現在、京都府庁が建つ場所)に完成。公務の場はそちらに移るが、金戒光明寺は容保の寝所として使われた。第14代将軍徳川家茂の警護のために上洛した芹沢鴨と近藤勇が京都残留を決め、自分達を会津藩お預かりにしてほしいと願い出たのもこの場所である。
建物は昭和9年に焼失。大部分は忠実に再建されたが容保が寝所とした奥の間だけは再建されなかった。

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