明智左馬助湖水渡りの碑
明智左馬助秀満は明智光秀の重臣。もとは三宅弥平次といい、のちに光秀の娘婿となって明智姓を賜る。本能寺の変で光秀が信長を討った後、左馬助は光秀とともに安土城を落とし、守りとして入る。しかし山崎の戦いで光秀が敗れたことを知ると急ぎ坂本に向かう。大津で秀吉方に進路を阻まれた左馬助は琵琶湖に入り、馬で湖を渡って坂本に着いた。左馬助は琵琶湖の遠浅状況に知悉していたという。
ちなみに維新の英雄の一人、坂本龍馬の実家は「先祖は明智光秀の家来で、坂本の姓も光秀が居城とした近江坂本に由来する」としていたが、龍馬の代になると明智左馬助の子孫を名乗るようになっており、話が少し大きくなっている。
琵琶湖文化館の横に碑が立つ。
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