横井小楠殉節地
寺町通丸太町下がる東側にある「横井小楠殉節地」の碑。
横井小楠は幕末維新期に活躍した思想家・政治家である。肥後熊本の出身。名を時存(ときあり)、通称を平四郎という。小楠は号。
開国論者であり、福井藩主・松平慶永(春嶽)のブレーンとして活躍する。同僚と共にいるところを刺客に襲われた際、逃げ出して同僚を見殺しにしたという「士道忘却事件」で失脚した後は熊本で謹慎処分を受け、不遇をかこっていたが、この間、坂本龍馬が小楠の下にやって来て会談している。明治になると新政府により参与に抜擢される。が、これからという時に攘夷保守派に「キリスト教論者である」として京都で暗殺される。
明治2(1869)年1月5日のことであった。
| 固定リンク | 0
コメント
初めまして、弓木といいます。
横井小楠は僕の好きな人物です。ところで彼の暗殺は、たしかに殺したのは非藩閥系の攘夷志士(皇室主義の「大道組」)だが、そのように操ったのは、政府主流の「長州閥」だという有力な説があります。
栗屋川虹『白墓の声』がこれを主張した本です。推理がみごとで面白い本ですよ。
投稿: 弓木 | 2005/07/27 01:54