伏見奉行所跡の碑
現在の桃陵団地一帯がかっての伏見奉行所の跡である。小堀遠州の設計による巨大な建物で、京都入り口の監視や、幕府直轄領である伏見の管理・行政を受け持った。
慶応4(1868)年1月1日。京都を退き、大坂にあった幕府軍、会津軍、新選組らが伏見に出て、ここに籠もり、真正面の御香宮に陣取った薩摩軍と対峙する。
1月3日、鳥羽で開戦の砲声が鳴ると幕府方は伏見奉行所を飛び出して攻撃を開始。特に土方歳三率いる新選組は果敢に切り込むが、刀による白兵戦を中心に考えていた幕府方に対し、薩英戦争での教訓を生かした薩摩軍は高所からの砲撃で応戦する。薩摩軍のイギリス製新式大砲の弾が伏見奉行所の建物に次々命中。火を吹くタイプの炸裂弾であったため、伏見奉行所は炎上。伏見奉行所内の幕府方砲台(大砲はフランス製であったと思われる)も破壊されたため、幕府方は太刀打ち出来ず、退却を余儀なくされた。
京阪伏見桃山駅下車、徒歩3分。
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