照高院跡石垣
北白川仕伏町に残る照高院跡の石垣。照高院は豊臣秀吉の命により東山妙法院の地に建てられたが、豊臣氏滅亡とともに一時廃絶。その後、後陽成天皇の弟である興意法親王の願いにより、場所を北白川に移して再興された。伏見城の遺構などを移築した大変立派な門跡寺院であり、「雪輪殿」とも称された。のちに聖護院の隠居寺となる。明治元年(1868年)に智成法親王(さとなりほっしんのう)が聖護院から移り、明治3(1870)年に還俗して智成親王となって後は、「北白川の宮家」、「北白川御殿」と呼ばれるようになる。しかし明治5(1872)年、智成親王はわずか17歳で世を去り、兄の能久親王(よしひさしんのう)が跡を継ぐが、ほどなく北白川宮家は東京に移り、建物も壊された。
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