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2006/01/09

新徳禅寺

第十四代将軍・徳川家茂入洛護衛のために江戸で集められ、上洛してきた浪士達が、清河八郎から「この隊の目的は勤王の軍となるである」と告げられ、仰天したのが、壬生の新徳禅寺の本堂においてであった。文久3(1863)年2月23日夜のことである。これに芹沢鴨、近藤勇らが強く反発。家茂の入洛を待たずに江戸への帰還を決めた清河に対し、京都残留を希望。残留した浪士らが結成することになるのが新選組(誠忠浪士組、壬生浪士組)である。
内部拝観不可。

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友人のブログで、ホリエモンを幕末の策士「清河八郎」と対比させている。両者のキャラが似ているとは言いえて妙である。 幕末の治安の乱れた京において、浪士をもって浪士を制するという名目で作られた浪士組を、尊王攘夷=倒幕に用いるという大奇術を行った策士が....... [続きを読む]

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