新島襄墓所
東山三十一峰の一つ若王子山の山頂にある新島襄の墓。同志社大学の創設者として有名な新島襄は、上野安中藩士の子として江戸に生まれ育つ。キリスト教精神に関心を持ち、21歳でアメリカに密航、フィリップス・アカデミー、アマースト大学などに学ぶ。帰国後、通訳、宣教師として活躍。キリスト教伝道師養成の必要性を感じ、大阪に学校を作ろうとするが、理解が得られず、キリスト教精神に共感を持っていた山本覚馬が府の顧問を務めていた京都に同志社を創設(同志社の名付け親は山本であるとされる)。しかし京都は仏教勢力の強いところであり、当初は神学のクラスを置くことは許されず、同志社は英学校としてスタート。キリスト教教育は正規外の授業として行われる。その後、同志社を大学に昇格させるべく基金集めに奔走するようになる新島だが、滞在先の群馬県前橋で倒れ、同志社大学の誕生を見ることなく療養先の神奈川県大磯で亡くなった。
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