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2006/06/07

島原大門

島原大門

江戸の吉原、大坂の新町、長崎の丸山など並び称された京都の遊廓・島原(嶋原)。正式には西新屋敷という。天正17年(1589)、時の権力者、豊臣秀吉の許しにより、京都・二条万里小路(現在の二条柳馬場)に公営遊廓が誕生。「柳町」、「新屋敷」など称されたこの遊廓は、御所や寺町に近いこと、また、二条城が出来ると二条通は大手筋となることから、慶長7年(1602)に六条三筋町へと強制移転させられる。その六条三筋町も、寛永18年(1641)年に、突如、朱雀野への移転を幕府より言い渡され、その命令が余りに急であり、「今日明日にも移転せよ」というものだったために京は大騒ぎとなり、その様子が4年前の寛永14年に起こった「肥前島原の乱」を想起させたため、朱雀野に出来た新遊廓は「島原」とあだ名されるようになった。島原大門は慶応3年(1867)に再建されたもの。京都市登録有形文化財に指定されている。

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