西本願寺 太鼓楼
西本願寺は長州を布教の根拠地の一つとしており、関係が深かった。それで幕末には追われた長州志士をかくまったり逃がしたりもした。そのため幕府側から睨まれるようになる。
慶応元年(1865)、新選組が屯所を西本願寺境内に移す。壬生の屯所が手狭になったのと、長州藩士の出入りを監視するためである。西本願寺が長州に親近感を持っていることを知っていたため、新選組は境内で演習を行ったり、離反隊士の切腹を境内で行ったり、豚を飼ったりと、さんざん嫌がらせをしたという。新選組は北集会所と太鼓楼を屯所として用いたが、北集会所は明治になってから姫路の亀山本徳寺に移築されたため、新選組西本願寺屯所の遺構は太鼓楼のみである。
新選組隊士であった島田魁が、後年、西本願寺の守衛となり、死ぬまでその任務を全うしている。
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