梁川星巌邸址
川端通丸太町下がるに碑が立つが、御覧の通り曲がっており、すぐ上にある説明板も文字が風化して読めない。
梁川星巌は、美濃国に生まれた漢詩人。江戸に遊学して名を上げる。のち京都に移住し、碑のある川端丸太町に「鴨沂小隠」を開き、佐久間象山、梅田雲浜、橋本左内ら勤王家達と交流するようになる。梅田や橋本が安政の大獄で捕らえられると星巌にも追求の手が伸びそうになるが、直前にコレラで死去。その際、京の町民から「さすが星巌、死に(詩に)上手」といわれたという。
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