山科本願寺土塁跡
山科中央公園内にある山科本願寺の土塁跡。蓮如は浄土真宗(当時は「真宗」、「一向宗」と呼ばれた)の本拠地を越前国の吉崎から河内国・出口へ、更に、京に近い山科に移した。当時、京では法華宗と天台宗が覇権を争っており、山科に移って来た本願寺は警戒された。本願寺側も宗教同士の争いに備えて本願寺の周りに土塁と堀を築き、城塞化した。しかし、天文元年(1532)法華宗門徒と六角定頼が山科本願寺を囲む。山科本願寺の守りは堅固であったが、寺内から裏切り者が出て門を開けたため、敵がなだれ込み、山科本願寺は焼け落ちた。その後、本願寺は現在は大阪城のある石山に移ることになる。
| 固定リンク | 0
コメント