稲荷社文楽座跡の碑
難波神社の御堂筋側鳥居横に建つ、「稲荷社文楽座跡」の碑。竹本義太夫、竹田出雲、近松門左衛門らの死後、勢いの衰えていた人形浄瑠璃であったが、初代植村文楽軒が、再興を果たす。人形浄瑠璃の最盛期をもたらした三代目植村文楽軒が人形浄瑠璃のための劇場・文楽座を建てたのが難波神社末社である稲荷社の前であった。人形浄瑠璃の総本山的立場にあった竹本座、豊竹座などが江戸時代後期に廃業する一方で、ここ稲荷社の文楽座は明治に至るまで盛んに人形浄瑠璃が上演されていた。人形浄瑠璃の別名が「文楽」と呼ばれ、正式名称よりもポピュラーな名称となった理由はここにあるという。
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