平安神宮 応天門
左京区岡崎にある平安神宮の正門、応天門。平安神宮は、明治28年に行われた内国勧業博覧会の目玉として、8分の5サイズで再現された平安京の大極殿を、当初の予定通り神社に改めることによって始まった。
応天門は、かっての平安京大極殿の正門で、現在の千本丸太町付近にあった。「応天門」の額の字を書いたのは弘法大師こと空海であったが、空海は額が門の上に掲げられてから「応」の字の点の数を誤ったことに気付き、筆を投げて点を打ったという(これが「弘法も筆の誤り」という諺のもととなった)。また、伴氏(大伴氏)が没落した「応天門の変」の舞台ともなっている。
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