河合耆三郎の墓
新選組勘定方・河合耆三郎の墓。壬生寺にある。
河合耆三郎。氏は源、諱は義輝(吉輝とするものもある)。播磨国高砂の裕福な米商人(蔵元)の子として生まれた河合耆三郎は、勘定方という役職やボンボン育ちという経歴から剣の方はさっぱりというイメージを持たれがちだが、池田屋事件に参加し、褒賞金を受けていることから剣の腕もあったのではないかと見られる。
会計に不正があったとして切腹(もしくは斬首される)。実家に不足した金を届けるよう催促の手紙を送るも間に合わなかったというエピソードは事実なのか創作なのか不明である。
光縁寺に埋葬されるが、父親により壬生寺に立派な墓が建てられ、骨が移された。
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