松之大廊下跡
浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった松の廊下跡。度重なる火災のため今では碑が残っているのみ。壁面に松の絵が描かれていたことからこの名がある。浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた本当の理由は今も不明。ただ赤穂浅野家は火事大名を務めたことがあり、延焼を食い止めるため吉良邸を取り壊したことがありこれが遠因という説もある。ただ浅野内匠頭が接待役になったのは二度目であり、初めての時も吉良上野介から教えを受けていて何事もなかった。しかし二度目に接待役を務めた時は吉良上野介が京都滞在中に浅野内匠頭が勝手にことを進めてしまったことがわかっており、これが吉良の不興を買ったのではないかとも言われる。浅野内匠頭は「吉良に恨みがあった」としか動機を述べなかったが、吉良が無事であることを知って安堵したともいう。即日切腹となったためこれ以上のことはわからない。
浅野内匠頭は短気であったことがわかっており、親類にも江戸城内で刃傷沙汰を起こした人物がいることから、生まれつき血の気の多い性格だったのではないかという説も存在する。
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