« 坂本龍馬生誕地碑1 | トップページ | 坂本龍馬生誕地3  坂本龍馬の写真と海援隊風デザイン標識 »

2013/11/15

坂本龍馬生誕地碑2

坂本龍馬生誕地碑2

坂本龍馬が生まれた坂本家は下士であったが、本家が豪商の才谷屋であったため、上士よりも裕福であった。なお、武家としての坂本家は、才谷家が武士の身分を買って坂本を名乗って分家したものであり、「明智光秀の家臣で光秀の居城・坂本城があった近江国坂本が苗字の由来」や「明智左馬助の子孫」といったものは全て俗説である。坂本龍馬本人は「紀貫之の子孫」と称しており、京都霊山護国神社の墓石にも「坂本龍馬紀直柔」と記されている。

龍馬の誕生日と命日が同じというのは、龍馬の妻であった、おりょうこと楢崎龍が、再婚して西村ツルと名を変えた後で回想したものを纏めた『反魂香(はんごんんこう)』で証言しているのが唯一であり、龍馬の誕生日が11月15日であるという公式な記録は実は存在しない。龍馬の生まれた天保6年11月15日は西暦でいうと1836年1月3日であり、南国・土佐とはいえ寒い時期に生まれたことになる。

| |

« 坂本龍馬生誕地碑1 | トップページ | 坂本龍馬生誕地3  坂本龍馬の写真と海援隊風デザイン標識 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 坂本龍馬生誕地碑2:

« 坂本龍馬生誕地碑1 | トップページ | 坂本龍馬生誕地3  坂本龍馬の写真と海援隊風デザイン標識 »