忍者からくり屋敷 旧藤林家住宅
現在のJR甲賀駅付近にあった旧藤林家住宅が甲賀の里「忍術村」に移築保存されている。藤林というのは山一つ隔てて南にある伊賀忍者三大名家の一つと同じ苗字であり、おそらく血縁関係にあるものと思われる。織田信長、豊臣秀吉は共に忍者を嫌い、殲滅作戦を行っている。特に伊賀は壊滅状態にまで追い込まれたが、伊賀忍者の家系である服部半蔵が徳川家康に仕官していたこともあり、忍者達は家康には重用されることになる。徳川家康公三大危機の一つである伊賀越えでは、伊賀忍者と甲賀忍者が協力して家康の護衛を行っている。講談などでは伊賀が徳川方、甲賀が豊臣方となっているが、あれは話を面白くするためのフィクションであり、実際は伊賀も甲賀も徳川方である。
旧藤林家住宅は入り口から仕掛けがあり、引き戸の右側から入らないといけない。左側には浅い落とし穴があり、そこに嵌まって転倒すると「弁慶の泣きどころ」である向こう脛を打ってしばらく動けなくなる。正面には戸板返しがあるが、この戸板は例えば右側から返した場合、今度は左側からしか返せない仕掛けになっている。忍者が戸板を返したのを見た敵が同じ方から返そうとするも開かず、戸惑っている間に忍者達は逃げることが出来る。
居間へと通じる引き戸は実は真っ正面の二枚は開かず、忍者達は両端を開けて通っていた。だがそれを知らない敵は正面の二枚を開けようとして開かず、こじ開けようとしている間にやはり忍者達は落ち延びることが出来る。
居間であるが、掛け軸の裏に抜け穴という有名なカラクリがある他、天井は実は釣り天井であり、居間に誘い込まれた敵は天井を落とされて圧死もしくは重傷を負うことになる。
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