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2015/08/28

広島城 わざと崩された石垣

広島城 わざと崩された石垣

関ヶ原の戦いの後、広島城を築いた毛利輝元は長州萩に転封となり、代わって関ヶ原の戦いで戦功のあった福島正則が50万石で広島城の城主となるが、石垣を勝手に改修したことを幕府に見咎められる。正則は築いた石垣を敢えて崩すことで誠意を示そうとするが許されず、大きく減封の上転封が命じられ、代わって五奉行の中で唯一家康寄りだった浅野長政の子である浅野長晟が広島城に入り、以後、明治維新に至るまで広島城は浅野家の居城となった。

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