カテゴリー「東山三十六峰」の125件の記事

2022/08/16

東大谷万灯会2022(3)

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東大谷万灯会2022(2)

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東大谷万灯会2022

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2020/01/03

阿弥陀ヶ峰 豊国廟への入り口

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豊臣秀吉公墓石 令和二年元日

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阿弥陀ヶ峰山頂にある豊臣秀吉公墓石。明治に入ってからの再興で、平安神宮などを手掛けた伊東忠太の設計である。

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2020/01/02

豊国廟への石段 令和二年元日(2)

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豊国廟への石段 令和二年元日(1)

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2013/12/31

同志社墓地・新島八重の墓

同志社墓地・新島八重の墓

新島襄の墓の北隣にある新島八重の墓。揮毫は徳富蘇峰によるものだが、八重の墓では苗字は新嶋という字になっている。敢えて変えたのか、それとも新島襄の墓も倒壊する以前は新嶋襄で、再建する際に新島に変わったのか。とにかく今は字体が違うのは確かである。

新島八重(山本八重)は、会津の生まれ。砲術師範の山本権八の娘であり、幼時より西洋砲術に興味を示したようである。但馬出石藩出身で、会津の藩校である日新館の師範であった川崎尚之助と結婚する。

会津戦争の際は、鶴ヶ城に籠城し、スペンサー銃を手に奮戦。新政府軍に打撃を与えたとされる。体躯はがっしりしており、怪力の持ち主で、石垣の石を蹴り落として鉄砲狭間を作り、敵を狙い打ちしたという話も伝わる。

しかし鶴ヶ城は開城。会津藩は降伏。八重は「明日の夜は何国の誰かながむらんなれし御城に残す月影」という和歌を城壁に櫛で刻みつけたという。

川崎尚之助との離縁であるが、原因ははっきりとはわからないようである。

会津藩降伏後は米沢で暮らすが、死んだと思っていた兄の山本覚馬が生きていると知り、兄のいる京都に一家で移住する。

日本初の女性のための学校・女紅場(丸太町橋西詰め。九条家河原町邸跡)の権舎長(舎監長)となり、この頃に、兄の覚馬の知り合いであった新島襄と出会い、結婚することになる。女紅場は追われたが、襄と共に、同志社の発展に尽力する。同志社女学校の設立にも寄与した。

しかし、女傑ともいうべき性格が災いしたのか、襄が他界すると八重は同志社の関係者と上手に関係を築くことが出来ず、同志社からは距離を置き、看護師となる。看護学校での教育にも携わり、この功績が認められて勲六等宝冠章を授与される。民間の女性に対する受勲は八重が第一号だとされている。

戦場や学校設立のための華々しい活躍もあったが、気難しい性格だったようで、よく対人関係でトラブルを起こしており、余り人から好かれるタイプではなかったようである。それでも八重の葬儀には多くの人が参列し、盛大に執り行われた。

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同志社墓地・新島襄の墓

同志社墓地・新島襄の墓

東山三十六峰の一つ若王子山の山頂付近にある同志社墓地。同志社設立に携わった人々が眠っている。

同志社大学の祖である新島襄は、上野国安中藩江戸屋敷に生まれた。幼名は七五三太(しめた)。女ばかり4人が生まれていたため、男の子が生まれたと聞いた新島襄の祖父が「しめた!」と言ったことからその名が付いたという説もある。
幕府の軍艦操練所で学んだ後、アメリカに密航し、フィリップス・アカデミーを経て、アマースト大学理学部を卒業。日本人初となる学士号を得ている(最初から正規の留学生による初の学士号取得者は会津出身の山川健次郎である)。

その後、正規の留学生と認められ、岩倉使節団派遣の際に岩倉らと対面。木戸孝允に語学力を買われて通訳に抜擢され、ヨーロッパを巡っている。

宣教師になる教育を受けた後で、宣教師試験に合格し、日本には宣教師として戻った。

キリスト教の精神に基づく学校を建てたいという望みを抱いていた新島は京都・寺町に同志社英学校を設立。京都府顧問の山本覚馬の妹である山本八重と結婚し、覚馬の尽力もあって旧薩摩二本松藩邸跡地などを新たに確保した。
その後、同志社英学校の東隣に同志社女学校を設立。

同志社英学校を大学にするべく奔走するが、生来、余り体が丈夫でなかったということもあり、また夏は暑すぎ、冬は寒すぎる京都の気候に慣れることも出来なかったようで、心臓を患うようになる。この頃、京都の厳しい気候を避けて有馬温泉に湯治に何度も行っていたことがわかっている。
出張先の群馬県前橋市で倒れ、神奈川県大磯町で療養するも回復せず、同地にて客死した。享年46歳。

墓石に刻まれた揮毫は勝海舟のもの。嵐によって倒壊したこともあったが、1987年に再建。揮毫も以前のものが写されている。

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2011/11/16

ながさき龍馬くん

ながさき龍馬くん

2011年11月15日、京都霊山護国神社にて。俄か雨が降ったので傘を指している。横は坂本龍馬像。

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